最終日
DMMO-RPGとは、簡潔に説明すると、体感型ネットゲームのことである。
基本職、上級職は合わせて2,000を超えている。そして職業(クラス)のレベルは、最高で15まで。プレイヤーの上限レベルは100。つまり、やろうと思えば各クラスをレベル1ずつ取得することが可能なゲームなのだ。意図的に行わない限り、誰かと被ることはない、自分だけのキャラクターを作れるのだ。
加えて“種族”は基本と上級を合わせて700種類に及ぶ。プレイヤーは、人間やドワーフ、エルフ以外にもモンスターを選ぶことができるのだ。
これらは、大きく3種類に分けられる。
種族のレベルはないが、ほとんどペナルティを受けない人間種(人間、ドワーフ、エルフなど)。
種族レベルがあり、外見は醜いが、人間種よりも性能が優れる亜人種(ゴブリン、オーク、オーガなど)。
こちらにも種族レベルがあり、最も性能は良く、モンスター効果を持つものの様々なペナルティを受ける、異形種(悪魔や天使、ゾンビ、ゴーストなど)。
外装(ビジュアル)だって、別売りのクリエイトツールを使用すれば自分好みに変更できる。
武器防具、装備できるものはもちろん、それらの内包するデータ。住居となる場所の詳細な設定など。プレイヤーの外装や、特定条件を満たすことで得られる自作のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)の外装も。プレイヤーが作れるものは、すべて変更できるのだ。
職や外装だけではない。ゲームの世界も広かった。
アースガルズ。アルフヘイム。ヴァナヘイム。ニダヴェリール。ミズガルズ。ヨトゥンヘイム。ニヴルヘイム。ヘルヘイム。ムスペルヘイムの9つの世界。
広大な世界、把握しきれそうにない種族と職業、いくらでも弄ることができる外装。
これらは、凝り性な日本人にニトロをぶち込む結果となり、爆発的な人気を呼んだ。日本でDMMO-RPGといえば“ユグドラシル”を差すほどの評価を得たのだ。
しかし、約10年前サービスを開始したDMMO-RPG “ユグドラシル”は、今日で終わりを迎えようとしていた。
「お久しぶりです、ヘロヘロさん」
「お久しぶりです。おかえりなさい」
「おひさーです。モモンガさん、パインさん」
灯りがない夜のように黒い色を放つ巨大な円卓を、囲む“42人分”の豪華な椅子。
そのうちの、3席に怪物の影があった。
一人は肉が一切付いていない真っ白な骨が美しい骸骨、種族:オーバーロード。ぽっかりとあいた眼窩の奥で、赤黒い光が灯る。魔法職の彼は、豪奢な黒色のガウンを羽織っている。襟元が非常に装飾過多だが、逆にそれが似合っている。名はモモンガ。
もう一体は黒いスライムで、一秒も同じ姿を保たず、どろどろとうごめいている、種族:エルダー・ブラック・ウーズ。どろどろとうごめくのは、ゲームの仕様なのでやめることはできない。名はヘロヘロ。
最後は、この中で唯一の女性。顔は真っ黒で、凹凸のない球体。大きな“魔女の帽子”を被っている。そして肩から上部分がない―つまり首がないため―、頭部が浮かんでいる。上着は白く、非常に丈の短い―鎖骨あたりまでしかない―。その裾は金で縁取られている。襟は長めで、顎下まであり、ない首が隠れていた。体のラインに沿う赤のドレスは腰辺りから、少し膨らんでいる。現在は、種族:魔女で魔法職。先端が二股に分かれ、その中央に直径10cm程の丸いエメラルドが浮かぶ杖を所持している。名はパイン・ツリー。
ヘロヘロがリアルで転職して以来の再開に、モモンガとパインははしゃいでいた。
「えー…もう2年ぐらい会ってないんですかね?」
「それぐらいになりますね。2年かあ…うわ。もうそんなに経つんですね。やばいな…。最近残業が続いて、時間の感覚が変なんですよ」
「それ危なくないですか?体大丈夫ですか?」
「医者にかかるほどではありませんが、かなりやばいです。」
三人が所属するギルドは、社会人のみで構成されている。そのため、会話は自然と会社の愚痴へと変わっていった。
残業が続くと言ったヘロヘロは転職できたものの、以前から健康診断で内臓がレッドと評価されていた。今聞こえてくる声も重く、疲れていることがわかる。
やがて、ヒートアップしだしたヘロヘロに対し、モモンガとパインは聞き役へシフトしていった。
ゲームの世界で、現実の話はあまりされない。楽しいことをしている最中に、嫌なことを思い出したくないからだ。リアルは厳しく、希望がない。それは3人の会話から読み取れるだろう。
しかし、三人はリアルの話に対して忌避感はない。
このギルド―プレイヤー仲間で構築され、組織運営されるチーム―アインズ・ウール・ゴウンは、社会人であり、異業種を選択した者が加入できた。その為、よくリアルの話はされていた。会社の愚痴の言い合いは、日常であり…今では懐かしい思い出である。
モモンガは、まだギルドメンバーが大勢ログインしていたころを思い出して、懐かしんだ。
話し始めて数十分後、ヘロヘロの熱がようやくひいてきた。
「すみません、俺ばっかり愚痴言っちゃって…。リアルじゃ言えないんですよね、こんなこと」
頭部がプルンと揺れた。多分頭を下げたのだろう。
俺が声をかける前に、空気の読めない声が飛び出してた。
「ん?彼女いないんですか?」
ビキリ。
男たちにヒビが入った。
「…パ、パインさん!」
この人はなんでデリケートな話題を、前振りなくぶっ込んでくるんだ!!
「失礼なこと聞いてしまって、すみません。それから、あの、今日は最後まで残りませんか?お疲れなのは理解できます。でも…ユグドラシル最終日だし、久しぶりにヘロヘロさんに会えたし、もうちょっと喋りたいというか」
「いや、相手の都合も考えて話してくださいってば」
前のめりになる魔女は、骸骨の制止を聞かない。たまに暴走するが、止めれば身を引いてくれる人なのに今日は強引だ。ゲームの最終日に嫌な思いをさせて、会えるのがこれきり…そんな悲しい終わり方は耐えられない。どうにかこの場を収めて、次もお互いが忌避なく会えるようにしないと…。
モモンガは頭を抱えた。しかし、ヘロヘロが「あはは」と明るく笑ったことで杞憂に終わる。
「パインさん相変わらずですね。ふふ…前に会ったころと全然変わってない」
「そうでしょうか?んー…大きな変化が訪れていないせいですかね」
「私にも、大きな変化は訪れていません。あー…モモンガさんは、どう、ですか?」
「私は……私も、ないですよ」
「そうでしたか。はは…みんな独り身ですね」
「そ、そうですね」
沈んだ声になるが、相手も同じだと少し安心できた。なにより、ヘロヘロは特に嫌な思いをしているわけではないようだ。ほっと息を吐く。
「ですねー。…それで、どうでしょう。残りますか」
パインさんがグイグイと攻める。はっきり口にしていないが、「残りますよね」と強要していた。
…本当に、今日は特に押しが強いなあ。どうしたんだ、この人。まあ、その質問は俺も聞きたかったから、止めないけど。
「えーと、その。すいません。本当は最後までご一緒したいんですけど…さすがに眠くて」
残れないのか、そっか。…寂しいな。
感情が声に乗らないように気をつけて、努めて明るく言った。
「……そうですよね。お疲れですもんね。ゆっくり休んでください」
「…引き留めてしまって、すみません。温かくして、寝てくださいね」
「こちらこそ、愚痴ばっかり言ってしまってすいません。…お二人は、どうされるんですか?」
「私はサービス終了の強制ログアウトまで残りますよ。ギルド長も残られますよね」
「ええ、そう考えています。もしすると、他のメンバーも来てくれるかもしれませんから」
「そうですか。…でも、正直ここがまだ残っているなんて思っていませんでした」
現実のモモンガの顔が、歪む。しかし、ゲームのアバターに表情を変える仕様はないから、ヘロヘロに知られることはないだろう。そして、こみ上げた感情を見せる訳にはいかないから、声を出せない。
人生で、はじめてできた仲間たちと作った場所だから、必死に維持したのだ。残業して疲れていても、次の日の出社が早くて少ししか眠れなくても。パインさんだって、一緒に頑張ってくれて。俺以上に、ギルドに必要な維持費を集めてくれた。
仲間の一人から、そんな言葉なんて聞きたくなかった。
形容しがたい感情が胸で渦巻いていたが、次の一言で霧散する。
「モモンガさんとパインさんが二人で、維持してくれたんですよね…おかげで俺は、こうして最後にアインズ・ウール・ゴウンに帰ってくることができました。…感謝します」
「ヘロヘロさん…」
「……皆で作ったものですからね。誰が戻ってきてもいいように維持するのはギルド長として当然ですよ」
「…パインさん。モモンガさんがギルド長だったから、俺たちはあれほどにゲームを楽しめたんですね」
「ですです。モモンガさんがギルド長だったから…皆さんと一緒だったから、私はこのゲームを楽しめました。…次に、皆さんと会うときは、ユグドラシルⅡだといいですね」
「それ、俺も同じことを考えていました。また集まれたらいいんですけど」
「ユグドラシルⅡですか…噂を聞いたことはありませんが、本当にそうだったらいいですね」
「そのときはぜひ!じゃ…そろそろ寝落ちしちゃいそうなので、アウトします。…最後にお二人にお会いできて嬉しかったです。お疲れ様です」
「私も嬉しかったです。…お疲れ様でした」
「体、壊さないように気をつけてくださいね。…お疲れ様でした」
ピョコン。
3人それぞれの頭上に、笑顔のアイコンが浮かぶ。プレイヤー同士でわかりやすく感情を表現するため、このゲームには感情(エモーション)アイコンがある。
「またどこかでお会いしましょう」
その言葉を最後に、ヘロヘロの姿が消えた。ログアウトしたのだ。
42人のうち、37人が引退した。そして今日来てくれた、3人のメンバー―その最後の一人がログアウトした。
これで本当に、俺とパインさん2人だけになってしまった。
「ヘロヘロさん、今日はゆっくり休めるといいですね」
「そうですね。一人暮らしだと、体壊したら大変ですし」
気休め程度の言葉を交わし、俺たちは黙った。
正確には、俺が黙った。
ゆっくりと、ヘロヘロがいた席からぐるっと見回して、最後にパインを見る。
彼女はモモンガを見ておらず、キョロキョロと頭を動かしていた。
「…何度も見てますけど、ここに人がいないって変な感じですね。今にも皆さん帰ってきて、大騒ぎになっちゃいそうです」
「あはは、そうなったらいいんですけどね」
本当にそうなったらいいのに、という気持ちを込めて言う。
「だといいんですけど。…モモンガさん、どうします?残りますか?」
「いいえ。最初に決めていた通り、玉座で最期を迎えましょう。…私たちはアインズ・ウール・ゴウン。最後まで悪のギルドっぽくありたい」
「わかりました。…では、ワタクシはこれから宝物殿へ赴き、支度して参ります。魔王様、玉座にてお会いしましょう」
「うむ。待っているぞ、人任せの魔女よ」
頭部の球体が上下した後、魔女の姿がかき消えた。
宝物殿へ転移したのだろう。
さあ、俺も動かないと。
円卓の中央に、あらかじめ用意しておいた手紙を置いた。この手紙に見えるアイテムは、誰かがこのアイテムを設置した部屋に入ると、中に書かれているメッセージが浮かぶという物だ。中には「来てくれたギルドメンバーへ。玉座の間にいます。モモンガとパインより」と書かれている。もしかすると、来るかもしれないメンバーへの手紙だ。
「それじゃ、行くか」
皆が褒めてくれた「魔王」に相応しい装備に着替え終わると、席を立ち上がった。向かう先には、我らのギルド武器がある。各ギルドに1つしか所持できないもの。ギルド長しか所持できないもの。
ギルド武器:スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。
アインズ・ウール・ゴウンの象徴、七匹の蛇が絡まった複雑な形をした杖。蛇は、それぞれ効果が違う宝石を一つずつ咥えている。
手を伸ばし、黄金の杖を掴み取る。
その瞬間、赤黒いオーラが揺らめき立ち上がった。
「ヘロヘロさんが来る前に見たけど、作り込み凄いな」
杖に内包されるデータ―アイテムの効果、スキルなどの力は、ゴッズを遥かに超えて世界級(ワールド)に匹敵する。
全アイテムの頂点に位置する物。ユグドラシル上に200種類しかない、至高のアイテム。ゲームバランスを崩壊させかねない効果を持っているワールドアイテム。
「パインさんと今日まで探してみたけど、11個から増えなかったんだよな」
サービス開始から約12年も経っているのに、すべてのワールドアイテムが発見されてないってどうなってんだよ。ユグドラシル広すぎ。運営は糞すぎ。
悪態を言いつつ、モモンガは円卓(ラウンドテーブル)と名付けられた部屋を後にした。
白亜の宮殿。神々が住む王宮。
そんな称賛こそが、最も似合うナザリック第九階層を歩く。
この妥協がない作り込みこそ、彼らが本気でユグドラシルを遊んだ証になるだろう。そして、その思い出は、すべてが輝かしいナザリックの黄金時代である。
皆で休日を合わせて、攻略不可能と言われたボスに挑んだ。
かつてダンジョンだったナザリックを、初見で攻略でき、おかげで皆との絆がより一層強まった。お喋りだけで、一日がつぶれた。馬鹿な話ばかりした。
サーバーきっての大軍、約1500人のプレイヤーに攻められ、そして全滅させるという伝説を作り上げた。
「(もう終わるのか。……すべて、なかったことになるのか。)」
沸き上がる寂寥感は、サービス終了を止められないという無力感によって、さらに膨れ上がった。
途中、第10階層で待機していたNPCたち―家令(ハウススチュワード)の仕事も行う執事セバス。その部下で計6人の戦闘メイド、チーム名プレアデス―を引き連れて玉座の門を開けた。
「お待たせしました」
「さほど待っていませんよ。ギルド長」
玉座の間。数百のシモベを並べても、なお余る広さ。見上げる高い天井には、いくつもの豪華なシャンデリアが釣り下がっている。それは7色の宝石で作り出され、幻想的な光を放っていた。
壁には、天井から床まで大きな旗が計42枚、一定間隔で飾られている。一枚ずつ違う模様は、それぞれのギルドメンバーを表していた。
部屋の最奥、十数段の階段がある。その上に水晶から切り出されたような、背もたれが天井までありそうなほど高い玉座があった。その背後の壁に、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインが施された深紅の布が下がっている。
玉座の前には一体のNPCと人間がいる。
人間がパインさんで、美しい黒髪の美女がアルベド(NPC)だ。
ギルドの本拠地にNPCを配置するには、“城以上の本拠地を所持する”しかない。この条件を、満たして得られる特典だからだ。配置したNPCは、拠点を守ってくれる戦力になる。
そして、拠点NPCには2つに分かれる。
まず、自動で湧き出る(POPする)NPCがいる。これらは外装、AIを変更できないが、殺されてもギルドに出費がない。POPできるのはレベル30までと決まっているため、最高レベル100のユグドラシルでは使い物にならない。
これとは別に、完全に一から自作できるNPCがいる。拠点によって違うが、最低でも700レベルポイントを割り振る。例えばレベル100が5人、レベル50が4人といった具合に作るのだ。それがセバスたちであり、玉座の傍で待機するアルベドというNPCだ。外装、レベル、種族、職業構成、所持武器などがいじれる。POPするものよりも遥かに強い警備兵を配置することができる。
ちなみに、我らアインズ・ウール・ゴウンの本拠地、ナザリック地下大墳墓は700レベルポイントではなく、もっと高いポイントを獲得している。
「セバスたちも連れてきたんですね。どこに並ばせますか?」
「玉座の下にしようかと思っています」
パインは宝物殿に預けていた“魔女専用アイテム”を使うことで、人間、魔女の姿どちらにでも変更できる。そして種族を変更すると、取っている職業も変化するのだ。今の彼女は戦士職である。
20代の女性。緑色の目は、植物の生命力を感じさせる色をしている。目元が少し丸めで、優しそうな雰囲気を醸し出す、可愛らしい美女だ。エメラルドの髪は短く、肩より少し上で切り揃えている。前髪は目元にかかり、右端から4割を耳にかけ、6割はそのまま流している。装備品は、人間の姿になったことでスカートからズボンに変わっていた。体のラインに沿った作りはそのままである。まるで翼を広げたようなモチーフの膝当てをつけ、先端だけ茶色の真っ白なブーツを履いている。
武器は、杖から巨大な“ハサミ”に変わっていた。ハサミは背中に、まるで磁石がくっつくように、ぴたりと収まっている。
パインは元々、スケルトンウォーリアーだった。しかし、魔法少女の職が取れるイベントで“見た目が人間になれる”職業と種族を手に入れ、現在の見た目になっている。
つまり、人間種に見えるが、本当は異形種なのだ。
「久しぶりですね、人間の姿。それだと、他の装備に変更できましたっけ?」
「できますよ。魔女の姿は見た目固定ですけど、こっちは変えられるんです」
「たしか頭に付けてるアクセサリーは、別なんですよね?」
「あー、本体ですか?これは外れないんですよ。さっきみたいに魔女になるときは、外せますけどね」
モモンガは、玉座の前でセバスたちを待機させると、自らは階段を上がった。
パインがアルベドから離れ、ちょうど彼女と対になる玉座の反対側に立つ。モモンガが玉座に座り、やっと最後の瞬間を迎える準備が整った。
「はじめは私たちと、アルベドだけの予定でしたが、いいですね。セバスたちがいてくれると、グッと雰囲気が重厚になります」
ピョコンと、サムズアップする笑顔の感情アイコンが、パインの頭上に出てくる。
ピョコン。モモンガの頭上には笑顔のアイコンが出た。
「そう言ってもらえると思って、連れてきました。それで、なぜアルベドがワールドアイテムを所持しているんですかね?」
「タブラさんが、持たせたのではないでしょうか。見たときは驚きましたけどね」
「タブラさんが…」
アインズ・ウール・ゴウンは多数決を重視していた。だからこそ、皆で頑張って手に入れた宝を、勝手に持ち出していいとはずがない。
軽い不快感から、アイテムを奪い取ろうかと考えた。しかし、今ここにいる仲間のまったく気にしていない様子。ならば、このままでいいか。
「あ、モモンガさん。アルベドの設定をちゃんと読んだことありますか?私はテキストコピーして家でも読めるようにプリントアウトしてるんですけど、長いですよね。さすが設定魔のタブラさん。細かい!読むのめっちゃ楽しかったです」
「設定にやたらと凝る人でしたからね」
そして、その本が一冊できそうなほど長いテキストを、飽きずに読んで楽しむのがパインさんだ。
パインさんも凝り性というか、自分の好きなものを曲げない人だよな。今の職業構成にするためにレベル80以上も落として、元のスケルトンウォーリアーから作り変えたんだから。
ユグドラシルでは、体力が0になると“ゲームオーバー”になり、デスペナルティを受ける。その1つに“レベルダウン”がある。死ぬと5レベル分ダウンするので、これを繰り返せば手間と暇がかかるものの、職業構成を選び直せた。
しかし、レベルが高くなれば上がりにくくなるので、大変面倒くさい。そして一時的だが、戦力外になるためギルドメンバーの迷惑にもなりうる行為だ。それらを承知の上で、彼女は仲間に頼み込み、話し合いの結果、イベントなど戦力が必要になる時期を外してクラスチェンジが行われた。あの時のパインさん、熱かったな~。
「そういえば、アルベドの設定をちゃんと読んだことがないんですよね。長いから後回しにしちゃって…ははっ」
「……なら、今読みませんか?アルベドと会えるのも最後ですし、ナマで読めるのも最後ですよ」
「なんですかナマって。でも、そうですよね。最後だし読んでみます。少し待っててもらえますか?」
「いいですよ」
俺は急いでアルベドの設定を開く。テキスト量が量なので、斜め読みならぬ頭文字読みになってしまう。詳細は パインさんがプリントアウトした物で確かめよう。
ようやく訪れた終わりの一文で、モモンガの思考が止まった。
『ちなみにビッチである。』
「え、なにこれ」
「あ、最後の一文読みましたか?」
「ええ。これって、つまり…そういう意味ですよね?」
「罵倒の意味のビッチでしょうね。…正直、少し引いちゃいました。いくら“ギャップ萌え”だとしても、ナザリックにいるNPCの最上位にいるのに、これじゃあアルベドが可哀そうで…」
俺もそう思う。斜め上の方角に飛んで行った設定を考えるタイプの一人であった、タブラ・スマラグディナという仲間。ギャップ萌えを愛する男だった。
でも、タブラさん。幾らなんでもこれは酷くない?
「うーむ」
ギルドメンバーが作ったものを、個人の感情で勝手に変えてしまっていいものか。
「あの、設定変えちゃいませんか?女の子にこの設定は、やっぱり酷いですよ」
「ふむ…うん。いいですよ。俺も酷いなって思いましたから」
現メンバーの後押しで、自らの迷いを打ち砕く。
スタッフをアルベドに突きつける。本来、NPCの設定を変えるにはクリエイトツールでなければ操作できないが、ギルド長特権を行使すればその手間はなくなる。
すぐに最後の一文が消え去った。
「はい、消えましたよ」
「ありがとうございます、モモンガさん。では、空いた隙間に打ち込みましょう」
「は?」
「だってみっちり容量いっぱい書き込まれているのに、隙間があるってなんだか落ち着かないっていうか。埋めたくなりませんか?」
「まあ、そうですね」
「“モモンガを愛している。”なんてどうですか?」
「は?……はあ!?」
「“ちなみにビッチである。”と文字数がぴったりなんですよ。ぱっと思いついた文にしてはイケてると、思います!」
「でも、えーそれって。すごい恥ずかしいですよ!」
「いいじゃないですか。それぐらい遊んだって。別に悪いことをしていませんよ。ただ、社長に恋する秘書というシチュエーションをこの場に作っていただきたいと、私はそう思うのです」
「…好きですね、上司と部下のセット」
「大好きです。大好物です。だって素敵だと思いませんか?尊敬できる相手と、頼れる相手がくっつく。その関係性は、結婚後も続くハッピーエンドの布石ですよ」
「ハッピーエンドですか」
「ハッピーエンドです。……ユグドラシルが終わっても、ナザリックは終わらない。いつまでも栄光と共に。そんな意味も込めている、つもりです」
彼女の真剣な言葉に、胸が打たれた。
俺たちはナザリックがなくならないように、毎日走り回った。実際42人でする作業量を2人だけでしたのだ。
サーバー内を遊ぶより、ギルドの維持費用を稼ぐ時間の方が長かった。面白くなかった作業に、彼女は文句一つ言わず。自ら進んで稼いでくれた。「皆が作ったナザリックが好きだから、無くなってほしくない」と、そう零したことがある。
俺も同じ気持ちですよ、パインさん。
「ナザリックが終わらないか。良いですね。でも、それなら俺じゃなくて“ギルメンを愛している。”にした方がいいんじゃないですか?部下に慕われる上司たちって感じで」
「それじゃオフィスラブじゃなくなりますよね?」
「ふふっ、そうでした。上司と部下の組み合わせがいいんですよね」
“モモンガを愛している。”と打ち込む。
まるで、理想の恋人の設定を作って恋愛話を書いたような気恥ずかしさに悶絶した。
「はっ恥ずかしい!」
「あはは、ナザリック万歳!モモンガさん万歳!アインズ・ウール・ゴウン万歳!」
顔を手で覆い隠す隣で、両手を何度も大きく上げ下げする。
あまりの恥ずかしさに消してしまいたくなるが、このままにしておこう。
せっかくパインさんが喜んでいるのだ。水を差す真似がしたくない。
直視ができないので、設定はすぐに閉じる。
「ひれ伏せ」
硬質な声が響き渡り、NPCたちが跪く。
「(え、今の声誰だよ)」
モモンガは自分から見て、左側に立つ女性に顔を向けた。プレイヤーは2人しかいない。答えはわかっているが、あんな真面目そうな声ははじめて聞いたぞ。
「うんうん、皆に臣下の礼をとってもらった方が、この部屋には相応しいですね」
「たしかに、ぐっと雰囲気が増しましたね」
「でしょう?ナザリックにぴったりです」
パイン・ツリーは片手を大きく広げ、視線を前方へ誘導する。
42人のギルドメンバーの旗が見えた。
「モモンガさん、たっち・みーさん、死獣天朱雀さん、餡ころもっちもちさん、ヘロヘロさん…」
一人一人、名前を淀みなく挙げていく。決して忘れることはない、俺のはじめての友達。そして仲間たち。
「……最後に、私。あー本当に、楽しかったですね。ユグドラシルは広すぎて、まだまだ冒険したりない。もっとお金集めしたいです。もっと花の種を集めて第六階層の森に植えて、綺麗な花畑を皆に見てほしい。それで作った紅茶も香水も、もっと色んな配合を試したい。もっと続けばいいのに、私は何にもできませんでした。サービス終了が発表されてからも、結構課金したんですよ。ユグドラシルが続けばいいなーって、続編の発表来ないかなーって。何もありませんでした。次はなかった。私は無力でした。当たり前です、何のコネクションもないプレイヤーなんだから。今日でここの糞運営とおさらばです。それは良いことですよね?」
感情の嵐が、言葉の濁流となってモモンガに問いかけた。
女の気持ちは狂おしい程、男と同じだ。
この場所を残しておけない。一瞬で消え失せる時間を、ただ黙って受け入れるしかない。なんて悔しくて、不快なことだろうか。当たり前だ。誰も仮想の中では生きていけない。人は必ず夢から覚める。
男には、夢の中でしか友人がいなかった。アインズ・ウール・ゴウンのメンバーは仲が良かったから、オフ会をしたことはある。何人かのメンバーとは、リアルで会っているのだ。そのときも、馬鹿な話で非常に盛り上がった。内容は忘れてしまったが、ずっと笑っていたことは覚えている。
楽しかった。
「…本当に、楽しかったですね」
ユグドラシルを引退し、疎遠になってからは会っていない。今は俺と、彼女しかいない。
だが、彼女がいてくれた。
「パインさんがいたから、最後まで面白く遊べました。それに今の状況は、俺の理想の終わり方だと思います。仲間たちがいてくれないのがちょっと寂しいけど、玉座で終末を迎える。悪の組織らしい、俺たちらしい迎え方です。あなたが提案してくれたおかげです。ありがとうございます。次に遊ぶゲームどれにするか、ちゃんと連絡し合いましょうね。あなたが言い出しっぺなんですから、以前みたいに忘れないでください」
「それは私だって…。ありがとうございます。ごめんなさい、さっきは愚痴ばっかり言っちゃいました。あと、もう集合日を忘れたり、間違えたりしません。ちゃんとメモしてるし…。連絡もちゃんとします!いくつか気になる物があって事前調査済みなので、あとはモモンガさんに確認してもらうだけ。…あ、先にプレイしてませんからね。」
「信じてますよ。パインさん」
終わりの時が迫る。
あと20秒…。
「もっと、一緒に遊びましょう」
「はい、約束です」
明日は4時起きだ。サーバー停止の午前0時を迎えたら、すぐに眠らなきゃいけない。
俺たちは黙って、視界の端に映る時計を数えた。
10、9、8、7…
モモンガは目を閉じる。
…5、4、3、2、1―――
……
………
………………
00:00:06
まだ時計は動いていた。
ぐらりと軽く上半身が揺れるが、踏みとどまる。
「(これが“異世界へ転移する”瞬間なんだ…)」
ちょっと気持ち悪いが、これからを考えれば苦痛にならない。
だって、新しい日々が待ってるんだから!
さよらな、社畜!
こんにちは自然、ナザリック地下大墳墓、オーバーロード!!
そして我らがギルド、アインズ・ウール・ゴウン!!!
「モモンガさ………んん?」
女が立っている右側には、玉座があった。そこには心から尊敬できる、ギルドマスターが座っていた。
そのはずだった。
誰もいない。
「……モモンガさん?」
男はいなかった。
代わりに空っぽの玉座だけが残った。
【つづく】