モモンガさん休暇中。
コンコン、と誰かにノックされた気がした。
目を開ける、肌を風が撫ぜている。
「…ここは?」
モモンガはオーバーロードの姿のままだった。
青臭く、暗い森の中、ちょうどモモンガがいる場所だけ木がなく開けているため、何にも妨げられず月光が満ちている。その灯りでスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが輝いていた。
相変わらず風は吹いている。その度にバサバサと、ローブの裾がうるさい。
「青臭い?……匂いを感じてる!!?」
ありえない!!
電脳法によって、仮想現実では、嗅覚と味覚は完全に削除されている。触覚もある程度制限されているが、これらは現実と混同しないためだと言われている。
なのに、今モモンガは“木々や草の青い匂いを嗅ぎ”、風が肌を撫ぜる感触を確かに感じていた。
わめきたくなった瞬間、ふっと意識が落ち着くのを感じた。
なんだこれ、一体何が起こっているのだろうか?大体、自分はナザリック地下大墳墓の玉座にて、パインと一緒にサービス終了時間を待っていたはずだが、なぜこんなところにいるのだろうか?
「……パインさーん」
呼んでみるが返事がない。辺りには森と生い茂る草、あと自分が座っている岩しかなかった。どうして彼女は近くにいないのだろうか。
視界には何も表示されていない。コンソールも、現在時刻を表す時計も存在していない。何故だ?
「Ⅱに移行したのではないのか?…GMコールもできない」
コンソールを動かせないので、ゲームマスターに連絡できない。
口に手を当てて、這い上がる感覚に眩暈がした。
「ありえない…なんだよ、コレ。一体何が…」
そこで再び気づく。口が動いているのだ。唇がないので、正しくは顎が動いている。
モモンガは、しっかりと歯に手を当てて、顎を動かした。
ガチガチ…
思った通りに動く。ゲームでは、これも再現が不可能だった表現だ。でなければ、感情アイコンなんて開発側は用意しない。
モモンガは上半身、骨しかない体を見る。
声は出た。口や喉、肺もないのにどうやって自分は声を出せているのか。まったく訳がわからない。
…いや、分からないからこそ冷静になるんだ。
―焦りは失敗の種であり、冷静な論理的思考こそ常に必要なもの。心を鎮め、視野を広く。考えに囚われることなく、回転させるべきだよ、モモンガさん。
かつて、ギルドの諸葛孔明と呼ばれた男、ぷにっと萌えの言葉を思い出す。
再び、感情の波が収まる。さっきといい、どうにも抑圧されているようだ。これは一体なんなのだろう。
頭を振る。今はそんなことを考えている場合ではないだろう、と自分に言い聞かせて。
製作会社と連絡が取れなくても、一緒にいたパインには連絡できるかもしれない。魔法がちゃんと発動するかわからないが、試してみよう。
体の中に意識を向けると、杖から力を感じた。まるで自分を使えと主張しているようだ。
「(そういえば、ギルド武器持って来ちゃったよ。これやばいよな…、なんとかして守らなくちゃ)」
ギルド武器が破壊されれば、ギルドは失われてしまう。このアイテムだけは、どんなことがあっても死守しなければならない。杖を握る手に力を込めた。
「「「オオオオオオオオオオオッ!!!!」」」
突然獣の雄たけびが、大地に響いた。
幾十にも重なったこえから、相手は複数いる。モモンガはすぐに自らに完全不可知化の魔法をかけ、近くの茂みの中に隠れた。これで、相手はあの岩から突然自分が消えたように見えるはずだ。看破されない限り、ワープを使ったと勘違いしてくれるだろう。続けて≪飛行(フライ)≫、≪魔法詠唱者の祝福(ブレス・オブ・マジック・キャスター)≫、≪上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)≫など、いくつもの魔法で自身を強化していく。相手は自分より強者だと仮定して、念入りに行った。
ユグドラシルではレベル100が、ここではレベル1,000や10,000が当たり前かもしれないのだ。
慎重に行動しなくてはならない。モモンガは息を潜めた。…ちょうど背中側から、人の悲鳴が聞こえてくる。それから物がぶつかり、壊れていく音もしている。…どこかが襲われているのか?
どうしよう。戦力の見極めはするつもりだったが、早すぎる。心の準備なんてできていない。何より、今自らを強化・隠蔽した魔法だって発動はしたが、相手に効果があるのか全くわからないのだ。
一度離れるべきだろうか?
考える間もなく、≪敵感知(センス・エネミー)≫に引っかかる対象が、モモンガの前方から迫っていた。スピードは速くない、敵とは直線状にいる訳ではない。レベルが自分より10以上低ければ、十分に戦える相手かもしれない。
「(しかし、やはり魔法が効かなければ、敗北はあり得る。…クソッ!)」
モモンガは杖から「月光の狼(ムーン・ウルフ)」を5匹召喚し、大きく迂回させてから接敵を命じた。銀色の狼たちは召喚者の命令通りに、まず自分から離れるように走り出した。
ムーン・ウルフたちと主従としての、意識的な繋がりを明確に感じる。モモンガは、ユグドラシルと違い―召喚したモンスターは敵に向かっていくものだが―まさか今のように命令ができるとは驚いた。
ゲームでは、ただ非常に足が速いだけの奇襲要因である。レベル20なので大して強くはない、モモンガからすれば弱すぎた。それでも、ウルフたちが倒されれば逃げるつもりでいた。
「(すぐに会敵するだろう。果たしてどちらが勝つかな)」
背後で絶え間なく人々が「助けてくれ」「逃げろ」と叫び続けている。家か、森が燃えているのか炎の音までしてきた。辺りが焦げ臭くなっていく。
もしかしたら、囲まれて逃げ場がない可能性もあるのに、そんな風にうるさくされたら集中できないぞ。苛立って背後を振り返った。モモンガの方からでも赤い光が見えている。しかし誰と誰が戦っているか、よくわからなかった。
「助けて!助けて、お父さん!!」
ああ、可哀そうに子どもが死んじゃうのか。まるで映画のワンシーンみたいだなあと、ぼんやり光の方を見ていた。
緊張を緩めたつもりはなかったのに、モモンガは周りが変化してから気がついた。
―森が切られている。木々は倒れるそぶりを見せなかったが、それらは“切断”されていた。ゆっくりと時間が動き出し、数秒の間をもってやっと木が倒れ始める。何十本も、同時にだ。
こんな異常を起こせる何かがいる。感情は爆発し、そして瞬時に収まった。慌てず思考ができるのは、本当に有難い。…ちょっと不気味だけど。
これだけの荒業を成せるのは、ユグドラシルではワールドのクラスに付いたプレイヤーだけだ。彼らはモモンガが自身にかけた隠蔽魔法を見破る術を持っている。手持ちには隠れるための課金アイテムがないので、ここから無事逃げ出すこともできない。
「……このまま身を低くしても、意味ないな」
彼は覚悟を決めて、立ち上がった。盾役として長く愛用している「死の騎士(デス・ナイト)」を4体召喚し、前方と後方、左右に配置する。
「(これなら、攻撃されても一瞬は耐えられるだろう。…その一瞬に殺されるかもしれないけど)」
モモンガは周りを見る。子どもの声が聞こえた場所の近くはすべて倒れているが、ムーン・ウルフを送った方角は切れていない木がある。つまり、中心地はあちらなのだろう。
「(なるほど…人の村がビーストマンに襲われていたのか。あの立っている奴がやったのかな)」
約100m先で家屋がいくつも燃え、それが巨大な灯りとなり真昼のように周りを見回せた。防壁代わりの柵は壊され、大小様々な影が大地に伏せている。人間が多いのは、ここが人間の村だったからだろう。
たった1人、炎に照らされ剣を持つ戦士が立っている。体格は男性的だ。背が高く、フルプレートを装い、肩から足元に届きそうな長いマントがたなびいている。剣と盾をそれぞれの手に装備していた。彼の周りには、人ではなくビーストマン―狼によく似ている―が5~6体倒れていた。体長2mもありそうな筋肉質の体が“両断”されている。腹や頭から中身が出ているのが、少々汚い。
「(汚い?あんなグロい物を見ていれば、俺なら叫んで逃げ出すのに)」
感情の抑圧だけじゃなく、心も変わってしまったのだろうか?
ここがどこなのか、俺はどうなってしまったのか、考えるのはすべて後回しだ。今は生き伸びなきゃいけない。
「……お、おお…お父さーん!!」
子どもが戦士の足元から、飛び出した。どうやらあの子をビーストマンから助けたらしい。まだ燃えていない家屋から男性が現れた。子どもは父親に抱き着き、父親は子どもを抱き上げた。感動の再開シーンである。あの騎士は命の恩人なのだが、親子はそのまま家の中に入ってしまう。
「(いやいや、そこは泣いてお礼いうところだろ!なんで黙って行っちゃうかな…いるよな~お礼言わない人)」
顔が見えないので今戦士がどんな顔をしているのかわからない。なんとなく、背中から哀愁を漂わせている気がしたので、心の中で合掌した。
その時、接敵を命じたムーン・ウルフが帰ってきた。5匹全員無事だ。体力が20%近く削れているものがいれば、無傷もいる。どうやらレベル20数体で勝てる相手だったらしい。なんだ、弱くて助かった。
現状センス・エネミーに引っかかる相手はいない。残る懸念はあの戦士だけだ。
「人助けするぐらいだし、対話して、こちらに敵意がなければ見逃してくれないかな」
交換条件としてアイテムやお金を求められるかもしれないが、ある程度はいいだろう。 念のためスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンはアイテムボックスにしまい、敵の目に入らないようにする。これでいいだろう。
「モモンガさん?」
「はい」
名前を呼ばれて、つい応えてしまった。一体誰が呼んだのかと、顔を向ける。
「お久しぶりです、たっち・みーです」
「……お久しぶりです」
驚いた。
目の前にいる虫系の異形種は、間違いなくアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー、たっち・みーだった。かつてモモンガを助け、生涯の宝となる仲間たちに出会わせてくれた恩人である。彼はゲームを引退したはず、それなのにゲームのアバターの姿のままモモンガの目の前にいた。
ここは仮想現実のままなのだろうか?匂いや口が動くので、てっきり現実になってしまったと考えていたが、違うのか?
「…ああ、よかった。本当にモモンガさんだ。デスナイトが急に出現したので警戒しましたが、懐かしい声が聞こえたので、そうじゃないかと思ったんです!」
嬉しそうに声を弾ませている。表情は動かず、口を開いてないが言葉を話せていた。
完全不可知化を自分にかけていたはずだが、ワールドの称号を持つ戦士職のたっちならば見破れる。看破のスキルを使用し、確率で相手の居場所を探し出せるのだ。
「えっと、もしかしてあちらにいたのって…」
「あちら?ああ、そうです。さっきまで村の方にいました。」
子どもを助けた戦士と同じ装備をしている。つまりあの摩訶不思議な出来事をおこしたのは、たっちさんだった。それなら納得できる。
「そうですか。俺はたっちさんだと気づきませんでした。ちょっと混乱していまして…」
「私もです。スキルで周辺に敵がいないことはわかっているんですが、ここから離れませんか?落ち着いて話がしたいです」
頭を上下に振った。
「俺もです」
「では、あそこ。あの崖の上に行きませんか?上からなら見渡しもいいですし、木々が生い茂っているので見つかりにくいかと」
「では、そうしましょう」
念じると、召喚モンスターたちは消えた。そして、全体に≪飛行(フライ)≫と不可視の魔法をかけ飛び上がる。
【つづく】