紅茶のフルーティな香りが鼻孔をくすぐる。私はそれを深く吸い込み、肺を満たした。そしてゆっくり吐き出す。緊張で強張っていた体がゆとりを取り戻していくのを感じた。
私は魔女の館にいる。
最後の時まで、ナザリックのために金貨を手に入れようと考えたからだ。
今は休憩中。昼の第一回目を終えて小休止を挟んでいる。館に入ってすぐの玄関ホール、そこに置かれた応接用ソファにくつろいで、メイドたちから奉仕を受けていた。といっても、今はお菓子と飲み物をいただいているだけだが。私の横にはヘドラがいて、同じく力を抜いて私に少しだけ体重をかけている。周りのソファには始祖たちが、ちょっと狭そうに肩を並べて座っていた。メイドたちは私の後ろに控えて、仕事を与えられるのを待っている。その目は私を捉えて離さず、正直疲れる類のものだが、これも最後かと思えば好きにさせてあげたい気持ちが勝った。
もうすぐ円環の理に召される。それが日常にどのような変化をもたらすのか、まったく想像できない。魔法少女まどか☆マギアの外伝、マギアレコードというアプリゲームの設定では、円環の理に導かれた魔法少女は、女神の中で漂っている、らしい。たしか。かなり前にちょっとデータを見ただけなので、記憶があやふやだ。間違っていたら申し訳ない。
あちらについては分からない事だらけなので、ほとんどヘドラとも始祖たちとも、情報は共有していない。まったく違うものだったら恥ずかしいし、準備させた物が無駄になったら申し訳ないないからだ。ただ身一つで行く場所なので、荷物はいらないことは、伝えておいた。
「あ、そうだ。身辺整理しなくちゃ」
あー、自室の物置部屋を片付けなくちゃいけない。面倒だと、体をぐったりソファにあずけた。背もたれに頭が乗っかり、視線がちょうと真上を向く。すると、視界の中にメイドたちの姿が見えた。
ああ、そうだ。最後の思い出作りをしよう。
「ねえ、休憩後の予定を変更。自室の片付けをします。魔女の館のメイドたち全員で大掃除をしましょう」
代表者のクレンチが了承した。
「かしこまりました。皆にそのように伝えます」
「うん。というわけで、残りはヘドラたちでも倒せるように、魔獣のレベルを調整しておくように」
「承ったよ」
左側の肩口あたりから声が聞こえた。その肩の反対側の手ー右手ーを伸ばし、ヘドラの頭を撫でた。
休憩時間も終わり、私たちは移動を始めた。魔女の館から第九階層へ直通で行ける転移門を作動させる。千五百人の侵攻があった時に、メイドたちを逃がすために、一度使った限りだ。久しぶりに利用するなあ。一度作動させると、次に使えるまで二十四時間はかかる。なので、普段は使わないのだ。今日ぐらいはいいだろう。
メイドたちを魔女の館に帰宅させるときは、冷気対策などの魔法が付与された装備品をあげる為、第五階層内を自由に歩ける。これで、少し歩くことになるが帰宅に問題はない。
第九階層のとある一室に転移する。メイドたち全員が転移したら、外に出て自室へ向かった。
道中、デミウルゴスとコキュートスに出会った。
「あら、ご機嫌よう」
「ご機嫌麗しゅうございます。パイン様」
「オ会イデキテ光栄デゴザイマス」
二人が並んで膝をつく。挨拶もそこそこにして、立たせた。
「さて、二人はどこか出かけるの?」
「左様でございます。コキュートスとバーに向かう途中でして」
「へえ、素敵ね。私もヘドラとデートしに行こうかしら」
そういえば転移後は、ナザリックの娯楽施設に足を運んでいなかった。彼らの様子も気になるし、覗きに行こう。
「パイン様。ピッキーガ貴女様ノ為ニ、特別ナカクテルヲ作リマシタ。ゼヒ、足ヲ運ンデ頂キタク存ジマス」
「それはいい情報を得たわ!ありがとう二人とも。夜に伺いましょう」
「それならば、ピッキーも喜ぶでしょう。彼には先に伝えておきましょうか?」
「ええ、頼んだわ」
「カシコマリマシタ。ソレデハ御前失礼イタシマス」
二人は並んでバーの方へ歩いて行った。仲の良い二人が、飲みに行くところに出会えてよかった。NPC同士が仲良くしている場面に出くわすと、ほっこりするんだよね。
「ふふ。なんだかやる気をチャージさせてもらったみたい。片付け頑張ろうっと!」
「(頑張れないー!!)」
パインは開始一時間で根をあげていた。
転移直後からメイドたちに、ちょくちょく片付けさせていたドレスルームが片付きそうにないのだ。さすがにこれでは嫌気がさしてしまう。
ちなみにパインは大した事はしていない。ほとんどはメイドたちがテキパキと働いてくれているおかげで、やる事がないのだ。
先程からやっている事と言えば、要る物といらない物の仕分けぐらいである。それも九割は要る物として再びクローゼット内に押し込められていた。いらない物のはすべて換金アイテムである。
これを片付けとは言わない。
どちらかと言えば整理整頓だ。
すべてのアイテムをギルドメンバーと、NPCたちに分けてやるつもりなのだ。だから装備品とかアイテムはすべて要る。換金アイテムはいらないから、金貨に変えてしまう魂胆なのである。
「これじゃ拉致があかない。とりあえず伝説級と聖遺物級はモモンガさんたちに預けて、残りをNPCたちに与えてもらおうかな」
装飾品が多いが、素材アイテム、自分では使わなかった道具と様々な種類が揃っている。意思疎通が難しいNPCにも喜んでもらえそうな物だってある。一人一つは必ず当たるだろう。
「喜んでもらえたらいいな」
「喜ばれますわ。絶対!」
クレンチたちに力強く頷かれる。それが嬉しくて、パインも頷いた。
「よし!喜んでもらうためにも、もう少しだけやるぞー!」
やればやる気がでる!を、合言葉に作業を続けた。
人数の多さが功を奏したのか、仕分けをメインとした整理整頓は、夜に無事終了した。
「……というわけで、今日は一気に片付いたのよ?」
「それはそれは、お疲れ様でした」
ナザリック娯楽施設。バー。
カウンター席にヘドラと並んで座る。
互いにグラスを軽く上げてー音が鳴らないようにグラス同士を当てたりしないでー飲む。ピッキーが作った、自分特性カクテルは甘くてジュースのように飲みやすく、人にオススメしやすい一品だった。お酒を飲みに来た人たちには、物足りないかもしれない。しかし、その少し足りないぐらいが、私らしくていいんじゃないかな?
「ピッキー、こちらのカクテル。とっても飲みやすくて美味しいわ。ジュースのような甘さは私の好みだけれど、飲む人によっては甘すぎるんじゃない?」
ピッキーがキノコの頭を少し前後に揺らした。
「はい。ですので、パイン様特性カクテルは全部で三種類ご用意いたしました。魔法少女、身代わり、魔女の姿の三種類です。それぞれ甘さや苦さ、アルコール度数が違いますので、お好みの味が見つかるかと」
「あら、嬉しい。三種類も作ってもらえるなんて!私ってば得しちゃったわ」
ふふふ、と笑ってふざけてヘドラの腕に抱きつく。まだ慣れないそれは、どこかぎこちなく初々しい。見ている方が照れてしまう。ピッキーは自然な動作で二人を視界から外した。
〈つづく〉