従業員用の出入り口から出て、約5時間振りの外の空気を吸い込んで大きく伸びをする。
退屈で代わり映えしないアルバイトから解放されるこの瞬間、俺は決して嫌いではない。
しかし、解放されると同時にまた明日もバイトがあるのか、と少々憂鬱にすらなる。
自分では要領が悪い方では無いと思うし、適度にサボったりして楽をする時間は確保しているがそれでも面倒なものは面倒だ。
しかしコレも全て生活の為、致し方ない。
「よし」
両手に下げたビニール袋と気持ちを持ち直し、俺は帰路に着く前の寄り道へ向かう事にした。
夜10時を回り、車通りと人が疎らになったスーパーマーケットの看板下。
照明に照らされて目当ての人物は居た。
「矢澤」
「遅いわよ」
声を掛けて振り向いたラフな格好の矢澤は、こちらを認めると不機嫌そうに言った。
「年頃の乙女をこんな時間外にほったらかしにするなんてどういう了見なワケ?」
「あんまうるせぇとあげないぞ」
「ごめんなさいにこ」
文句を垂れる矢澤に両手のビニールを掲げるとあっさりと謝った。
現金な奴である。
「…いつも悪いわね」
バツの悪い顔で矢澤は言う。
「いい。どうせ捨てるんだからな」
袋の中身は廃棄予定の惣菜品や弁当である。
バイトがある日はいつも消費期限間近になり販売できなくなった品を失敬し、矢澤に渡しているのだ。
高校一年生の折、俺のバイト先であるスーパーにたまたま矢澤が買い物にやってきた時からこの関係は続いている。
矢澤の実家はお世辞にも裕福とは言えないらしく、四人の子供たちを育てるシングルマザーの母は毎日働き詰めで帰宅する時間は遅く、帰ってこない日も少なくない。
そんな母の負担を減らすため家事の一切合財は矢澤が引き受け、買出しもする訳ではあるがキツい家計を考慮すると極力安い品を買う必要がある。
話を聞いた俺は廃棄品の提供を提案、始めはプライドもあったのかクラスメートに迷惑を掛けられない、と断った矢澤だったが、最終的には俺に
「結構消費期限ヤバイの多いから帰ったら速攻冷凍しろよ。期限切れのカキフライ食って腹壊したら大変だ」
「ん、わかった…それじゃ早く戻らないと。妹たちが起きて騒ぎ出したら大変だわ」
「家まで送るよ」
「え?アンタの家ウチと別ルートじゃない」
「帰り道は途中まで一緒だ。それに年頃の乙女をこんな時間にほったらかしで帰すわけには行かないだろ」
「…む」
先程の言葉を意匠返しされた矢澤は若干ムッとした顔をするが何も言い返せないようだった。
「しかし毎度毎度結構な量渡してる筈だがすぐ無くなるな」
両手に提げたビニール袋はパンパンに膨らみ、俺の手指に食い込む程度の重さになっている。
中身は廃棄予定の品々である。
弁当、揚げ物、パン、デザート、生鮮食品など多岐にわたり、コレだけあれば俺なら一週間は食うには困らない量だ。
小柄な矢澤に持って行かせるのは中々酷な重さであり、やはり俺が荷物持ちを提案したのは正しい判断であろう。
「仕方ないでしょ?ウチの下の子らは皆食べ盛りなんだから」
「オマエももうちょっと食ったほうがいいんじゃ――痛てっ!」
瞬間、冗談を言った片方の太ももに鈍痛が走る。
矢澤がスニーカーのつま先で俺を蹴ったのだ。
「殺すわよアンタ」
低くドスの利いた声で矢澤。
何とも言わず体型のことをバカにされたのを察知したらしい。
「俺は矢澤の栄養環境をだな」
「余計なお世話よッ!蹴っ飛ばすわよ!?」
「もう蹴っ飛ばしてるだろ!」
怒りと羞恥で顔を赤くして吠える矢澤。
一切体型のことは口にしていないのにここまでの反応とは相当気にしているようだ。
「ったく、女の子に冗談でもそんなこと言うなんてセクハラよセクハラ。ケーサツに突き出されても文句言えないわよ?寛大なにこにーに感謝しなさい」
「はぁ」
俺は一言もそんな事は、と言おうとしたが飲み込んだ。
「…アンタ、今また失礼な事考えたでしょ」
「よくわかったな。エスパーかオマエ」
本日二度目の矢澤の蹴りが炸裂した。
まったく同じところを蹴るあたり、矢澤も中々良いセンスをしている。
「ああもう、アンタがセクハラばっかするからこんな時間じゃない」
「俺はパワハラで訴えたいんだが」
あーだこーだとじゃれあっているといつの間にか分かれる筈の道を通り過ぎ、矢澤宅の前――アパートの一室――へと到着していた。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうもので、時間は間もなく日付を跨ぐ時間となってしまった。
「悪かったわね、結局家まで付き合わせて」
「別に良い。こんな大荷物オマエが持ってくのは酷だろ」
ビニール袋を矢澤に渡す。
ここまで持ってくるのには中々の重さであり、やはり矢澤に持たせなかった俺の判断は正解だった。
「それよか妹らは大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。アンタに会う前にちゃんと寝かしつけたから」
「それは良かった…それよか早く冷凍して寝ろ。日付変わっちまうぞ」
「ん、わかった…それじゃ」
「ああ」
両手が塞がった矢澤の為に扉を開けてやると、彼女はビニールを重そうに持ちながらそそくさと明かりの点いていない屋内へと消えた。
「…ふう」
矢澤を見送り扉を閉めると、一つ息を吐く。
矢澤を心配する言葉なんてかけたが、俺も翌日普通に学校がある身の上、早く帰宅して寝るとしよう。
「あ、あのさ」
「ん」
アパートの出口へ向かおうとすると、背後から扉が開き声が掛かった。
振り返ると扉を少し開けてこちらを覗くように見ている矢澤が居た。
「なんだよ。もう渡す食いモンはないぞ」
「違うわよ!えっと、その…」
俺の冗談に調子よくツッコんだ後、矢澤は何やらが歯切れ悪くなる。
「今日はわざわざ持ってきてくれたんだしぃ?明日はいつも以上に期待してていいわよぉ?」
わざとらしすぎる羞恥を隠すための上から目線口上。
矢澤が照れ隠しの時使う常套句だ。
「フーン、あっそ」
「反応薄ッ!?何よ折角感謝の念込めて腕ふるってやろうっていうのに!」
適当に淡泊な反応を返すと、面白いぐらいのリアクションをとってくれる。
「あーもうそんなデカい声出すなよ。近所迷惑だろ」
「グッ…もう知らない!ひじきでも食ってろにこバーカ!」
悪態をついて勢いよく扉を閉める矢澤。
だから近所迷惑を考えろというに。
「ホント面白い奴」
今度こそ帰ろう。
帰路に就く俺の腹は、明日への期待で早くも空腹を訴えるのであった。
いつも通り、授業終了のチャイムで目を覚ます。
登校してから聞く四時限目の終了と昼休み開始を告げるチャイムは大好きだ。
「あぁ~良く寝た」
作場は遅い帰宅という事もあり、午前中はずっと寝ていたのでさすがに背中と腰が凝り固まっている。
大きく伸びをすると背骨が小気味の良い音がなり気持ちが良い。
「…む」
いつもなら伸びをする俺に後ろの席の女が小言を言うのだが、珍しく何もない。
振り返ってみると、当の本人は机に突っ伏して夢の中だった。
「おい矢澤、起きろ昼だぞ」
「んう?」
肩を持って揺すると、腕の中から頭を上げる。
その表情は惚けて緩み切っており、口の端からは涎が垂れそうになっている。
「ほら、涎」
「ん~」
ハンカチで涎を拭ってやっても矢澤はされるがまま。
どうやら相当深く眠っていたらしく、いわゆる寝ぼけている最中のようだ。
「ん、んん、あっ?涎?」
ここでようやく意識が覚醒したのか、矢澤の目と表情に活力が戻った。
「起きたか、もう昼だぞ」
「……えと、にこ、涎垂れてたにこ?」
「ガッツリ」
「はあぁぁぁぁあああぁぁぁ~」
恐る恐る自らの醜態を訪ねる矢澤に真実を伝えると再び机に突っ伏してしまう。
「最悪ぅ…寝顔見られたぁ…よりによって村田に見られてしかも涎まで拭かれるなんてぇ…」
よほど恥ずかしかったのか、矢澤は自らの額を机に打ち付け始める。
よりによってとは何だよりによってとは。
「いいから飯にしよう。俺は朝食ってないから腹減ってるんだ」
「お願い…しばらく話しかけないで…」
「飯。はよ」
「あーもう分かったわよ!」
お構いなしに飯を催促すると、矢澤はヤケ気味に鞄から三角巾で包まれた弁当箱を取り出し俺に押し付ける。
「にこにースペシャル弁当よ!むせび泣きながら食べなさい!」
俺が
ブツを矢澤に渡した翌日には必ず作ってもらう事になっている。
「おおよしよし、それじゃあ早速」
「待ちなさいよ」
一人になりたいらしい矢澤を放って机に向き直ろうとすると肩を捕まれる。
「ハンカチ、渡しなさいよ。洗濯して返すから」
「いやいいって。適当に自分で洗うから」
「いいから渡しなさいよ!にこにーのDNA付きハンカチをアンタに渡したら何に使うか知れたもんじゃないわ!」
「オマエ俺を何だと思ってんだ…」
有無を言わさずハンカチを矢澤に奪い取られる。
俺からハンカチを奪い取ると、矢澤は再び机に突っ伏し石のように動かなくなってしまった。
「…まぁいいか」
それより飯である。
包みを解き蓋を開けると中は男子高校生も満足する内容量の生姜焼き弁当だった。
盛り付け、付け合わせのポテトサラダ、白飯の硬さもすべて完璧と言って良い。
「いただきます…うま」
石になった矢澤へ聞こえるように感想を言いつつ、昼飯に舌鼓を打った。
「……」
机から恐る恐る顔を上げる。
前の席の住人はあっという間に平らげた弁当の箱を洗いに行ったようで、その姿と机上の弁当箱は姿を消している。
「はぁ~、やっと行ったわね」
不覚だった。
朝、妹たちの面倒も見なければならないので私は基本早起きだ。
その為に早く寝るようにしているのだが、昨日は村田と喋っていたら床に就く時間はいつもより大幅遅い時間、日付を跨いでしまっていた。
それが影響してか、午前中の授業はガッツリと寝てしまい、村田に寝ぼけ面を見られ涎を拭かれるなどという失態を犯してしまった。
矢澤にこ、17年の人生で最大の失態である。
手の中のハンカチを見る。
一目で安物とわかるハンカチは皺くちゃだ。
おそらく、あいつの性格からして洗濯してアイロンがけもせずに取り込んだままポケットに突っ込んだのだろう。
全く、だらしのない男だ。
「ねぇ、矢澤さん」
「ん?何?」
不意に隣のクラスメートに話しかけられる。
自分用の弁当を取り出したところで、包みを開けようとする手を止めて応答した。
「矢澤さんてさ、村田くんと付き合ってるんでしょ?」
「……ん?え?は?」
言葉の意味が理解できずに聞き返す。
ツキアウ、というのはアレだろうか、関取が土俵でやるアレだろうか。
……今のはさすがにない、と自分でも思った。
落ち着いて考える。
付き合う、女子高生的には彼氏がいる状態の事。
この場合の彼氏とは村田の事になるだろう。
つまり、彼女は私と村田が交際しているのか、と確認してきているのだ。
成程、納得した。
納得…
「納得できるかッ!?」
「わっ」
「つつつ付き合う?私があの村田と!?ないないないない!絶っっっっ対ない!」
興奮で顔が紅潮しているのがわかる。
決して村田が彼氏だった妄想をしたから顔が赤いわけではない、うん、決してない。
「え~?でも、彼氏でもない男子にお弁当作ってきたりしないでしょフツー」
「うっ」
痛いところを突かれてしまった。
確かに、ただの同級生ならばそのような事はする筈はない。
「しかもそんなムキになって否定するなんてさ、余計怪しいよ~」
「っ、とにかく!にこは村田の彼女なんかじゃないから!絶対よ!」
居た堪れなくなり教室を飛び出して廊下に出る。
数メートル教室から離れたところで自分のミスに気付いた。
これでは余計戻りづらくなったではないか。
「お、矢澤、弁当箱洗ってきたぞ」
「うっさいバカ!」
「!?」
こうなった原因の男が能天気に水洗した弁当箱を持った来たのでとりあえず罵倒しておいた。
おもてなし(tricot)
500000000年ぶりの更新です