結果として人によっては2話と3話でズレが生じていると感じてしまうでしょう。
矛盾の無いように2話は既に修正済みなので、変だと思われたら軽く目を通すことをお勧めします。
皆様にはご迷惑をおかけします。申し訳ございません。
また、今回からサブタイトルは話数のみの表示となり、以前のものも修正しました。
『はぁ……はぁ……』
吹雪が発生ている雪山で少年はただ一人走っていた。
何度か雪に足を取られて転びそうになるが、無理矢理体を起こして転ばないように気を付ける。
何かに襲われたかのように防寒具には傷がある。小型モンスターによる引っ掻き傷でないことは確かだがそれ以外は不明。
右腕には爪か牙などの鋭利な物が掠ったような傷が出来ていて、左手で抑えていても指の間から漏れ出している。
血は、真っ白な雪原に赤い点を作っていった。
幼いとはいえ血痕を残しながらの移動がいかに危険なのかは判っているはずだ。
けれど止血はしない。襲撃者から逃げるのに必死で手当てをしている暇がない。
不意に、左手にある壁の方から物音がした。
初めは小さい地鳴り。時間と共にその不気味な音は大きくなっていき、この小高い壁の上に追跡者がやってきたことを表していた。
『ひっ……』
恐怖にひきつる表情。
追いつかれた、そう理解するに時間は必要なかった。
少年は狩人でなくただの一般人。護身用にと持参しているサバイバルナイフではせいぜいバギィを1匹を追い払うが関の山。勝てる可能性は皆無。
待っている結末は良くて大怪我、悪ければ――
死。
凄惨なエンドを想像し背筋を凍らせる。動揺から足元への意識は無くなり、当然のように転ぶ。
地面は雪で覆われているので怪我をすることはなかったが、その冷たさが少年を更に恐怖させた。
すぐさま体を起こす。顔に雪がついているのも気にする余裕はなく再び走り始めようとする。
けれど、もう遅かった。
『■■■■■■!!』
怒りの咆哮と共に少年の前に降り立つ黒い影。視界が効かないので『それ』の正体を把握することは叶わなかった。仮に見晴らしが良くても少年の知識では判るはずもないが。
4足歩行、判ったのはこれだけである。
驚いて腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった少年。
あまりの恐怖に声を荒げすことさえ出来ず、わずかばかりの抵抗として後ろに下がっていくだけ。無力に等しい行動である。
獲物を捕まえた、そう言わんばかりに傲然と近づいていく黒い影。相手はもう抵抗しないと踏んでいたためか完全に油断をしている。
少年がハンターであったならば、この油断を隙に逃げるなり反撃するなりできただろう。
ズシン、ズシン、と雪を踏みしめる音が嫌と言うほど響き渡って少年の耳に絶えず恐怖を与えていた。
『あ……あ……』
後ろに下がり続けるうちにトン、と何かにぶつかる。ぎこちない動きで後ろを盗み見ると岩壁がそびえ立っていた。
これ以上の後退を許さない絶壁の存在は完全に希望を絶ち、更なる絶望に叩き落とした。
打つ手がなくなった人間を尻目に一歩、また一歩と距離を詰める。
まるで弄ぶかのようにゆっくりとその剛腕を振りかざし、無慈悲に振り下ろした。
鍛錬を積んでいない少年にとって、その剛爪は死神の鎌を同義。迫り来る死を前に動くことはできない。
視界は一瞬にしてモノトーンに。
視覚情報が通常の何十倍もの情報を脳に送る。膨大過ぎる情報量に処理が追い付かずスロー再生で処理されていく。結果として時間の流れが遅くなった。
亀でも避けられるような速さにまで減速しているが、それだけだった。
自分の体も同じように遅くなり判っているのに動かすことはできない。
爪が近づいてくる。人間の反射である眼を閉じるという行為さえ追いつかない。
体感時間でどのくらい経ったのだろうか。
死が刻一刻と時間をかけて近づいてくるのは拷問だった。
やがて爪は少年の頭に触れる。これからは痛みが待っているだけ。
『ッ――』
ここでやっと瞼が閉じきった。目を固く結ぶ行為に意味はないが常人である限り仕方のないこと。
真っ暗な世界の中で、額を抉る痛みが確かに響く。覚悟を決めるしかすることは無い。
パリン。
後ろの方で音がした。間髪入れずに発生したのは浮遊感。
全身が後ろに引っ張られるようにして動いていく。
今まで壁と思っていたのは壁に違いないが、それは氷でできた壁であった。
少年が寄りかかったことか、風圧か、神の悪戯かは判らないが割れたことにより谷底が露わになる。勿論、壁に寄り掛かっていた少年はその崖から転落。
かくして必中だった死神の鎌から逃れることができた。
崖にそこまでの高さが無いのは更なる幸運。積もった雪がクッションとなって落下してきた少年を優しく包む。
何が起こったか判らず混乱しているが、状況を把握するまでもなく本能に従って走り出す。
敵は必ず追いかけてくるが、更に目の前の崖を飛び下りればかなりの距離を取れる。高すぎて絶命する可能性もあるが、確実な死よりは良いだろう。
しかし、死神は執拗な性格をしていた。飛び込む前にまたしても黒い影が立ちふさがったのだ。
周りを見ても助かる要素はなし。
無いはずだった。
『おおおおおお!!!!』
怒号を発しながら落ちてくるのは一筋の刃。寸分くるわず獣の顔を切り裂いた。
突然の乱入者は人間であって細長い刀身を持ち黒い防具を着けている。ハンターでない少年にも判ったその有名すぎる迅竜・ナルガクルガの防具。
一太刀入れたが乱入者は警戒を解くことは無く、武器を相手に突きつけるように自らの顔の右側に付ける。
『少年! 今のうちに逃げろ!!』
怒声が飛ぶ。その一言に発破をかけられたのか、素早く立ち上がって走り出した。
獣が追いかけようとするのを殺気で阻止、完全に姿が見えなくなったのを確認すると一息つく。
『さあ、始めようか』
『■■■■■■……』
小さい影と巨大な影が雪山で交じり合った。
結果がどうなったかは本人たちにしか判らない。
「はぁ……はぁ……」
寝ていた白夜が急に飛び跳ね、にランプに火を灯した。
涼しい気温だというのに彼の全身を嫌な汗が覆っている。悪夢、この2文字では表せないほどの心の傷を再現させられたのだろうか、呼吸は荒く心音は煩いくらいに脈動していた。
何をするわけでもなく落ち着かせるようにしばらく動かない。
点けたランプのぼんやりとした光が暗くなっている辺りを優しく包み込む。ひと眠りのつもりがだいぶ寝てしまったようだ。
主照明を点けてランプを消す。時計が指しているのは午後9時。
時間的に夕食には遅い時間帯となってしまったが、何だかんだで昼食を食べ損ねた彼は空腹状態。
どんな地域でも安くて量が多いと軸はぶれない評判の集会場で飯を食べようと出かける準備をする。
といってもユクモ村に来た時と同じようにナルガ装備に身を包むだけの話だ。
彼が着けていたナルガ装備は焼けてしまっている。これではまともな衣服がないと思われるが、手元にあるのは補修が完璧な防具。
修理に出した覚えはないのでどこかのお節介さんが直してくれたのだろう。手際よく装備していき最後に仮面をつける。ひょんなことから外れないよう念入りに確認した後、昼の売買で得た残りのお金を懐にしまった。
悪夢を見たせいか足取り重く食事処の暖簾をくぐる。
昼の明るい喧騒とは違った嫌な感じのする喧しさが際立っていた。
決して集会場の警備がザルということではなく、利用しているハンターが強面というだけ。人を見た目で判断するのは良くないことだが、全身から出ている雰囲気が厄介事を起こしますよと言っているようなもの。
絡んでこないだけいいか、と嫌々ながらも納得して空いている席に座る。
綺麗なテーブルの上に立てかけられているメニューを手に取って眺めた。焼き魚の定食や山菜うどん等とサッパリしている料理が多いのがユクモ村の特徴らしい。
知る人ぞ知る料理であって、評判も上々。それ故に何を頼めばいいのか頭を抱えている。
「ややっ、貴方は昼時のハンターさんじゃニャいですか」
悩んでいると一匹のアイルーが話しかけてきた。前掛けを付けているのでウェイターかコックと言ったところだろう。
サービスのドリンクとおしぼりをテーブルに置いて何事も無いように自分も椅子に座る。
「……すまん、記憶にない」
「まあ、うちはギルドマスターと会話しているのを盗み見ただけニャから、知らないのは当然ニャ」
「バレないように気を付けてはいたんだが、お前案外やるな」
「いや~、会話の内容までは流石に判らニャいですよ。ささ、お詫びと言ってはニャんですが奢りますよ、あ、高いものは勘弁を」
「じゃあ任せる。飛び切り美味いものを作ってきてくれ」
「了解ニャ」
ピョンピョン跳ねながら厨房へと移動するアイルー。
料理が運ばれてくるまでの間、持って来てくれたドリンクを少しずつ飲んで時間をつぶすとこにする。ただの水ではなく霊水となっていて、ほのかに甘い味が喉を通った。
地域によっては酒よりも高価な霊水がタダで出てくるのは、この村はとても恵まれているのだろう。白夜もユクモ村に来るまでは両手で数えられるくらいしか飲んだことがない。
荒んだ心境の彼にとっては至福のひと時。
だが、そのひと時をぶち壊そうとする愚か者がいたようだ。
見るからにガラの悪い大男が3人。素面の癖に悪酔いしたかのようなニヤニヤと気味の悪い顔で白夜の周りを囲む。
そ の中でリーダー格らしき男が、座ることはしないもののテーブルに肘を着いて仮面の奥を覗き込むように近づける。メンチを切っているようだが、反応しないこと決め込む白夜。
しばらくしても何のアクションが無いことに苛立ったのか声を荒げた。
「おう、あんちゃん。オレ様相手に無視し続けるとはいい度胸じゃねーか。痛い目みたいのか? オレ様はハンターズギルドの本部から直々にユクモ村を守れと命を受けた英雄だぞ?」
まさに三流悪党のテンプレート。
初対面にいきなり自慢と、これ以上ないくらい頭の悪い自己紹介をする相手に対して少しばかりの嫌悪感を抱いた。
「それは凄いな。それで、その英雄様がハンター成り立ての無名な俺に何用で? 生憎さっき悪夢を見たばかりだから大人の対応なんてできそうにない」
酷く冷たい声で忠告を掛ける。白夜なりの忠告は、周りから見れば声だけで相手を殺せそうな威圧感を含んでいた。
鬼のような雰囲気に飲み込まれ、たじろぐのは横の二人。目の前の男は虚仮おどしと受け取ったのか更に大きな怒声を発する。
「大人の対応なんて気にしなくていい。ただ、ちょっとばかり金を貸してほしくてなぁ。そうそう、たった10万zだ。この程度の金で俺様から解放されるなら安い額だと思うぞ。お前だって痛いのは嫌だろう?」
「吹っかけるにしても現実的な金額にしておけ。頭の悪さを露呈するだけだ。ついでに言っておくと性格から見るに、ギルド本部から厄介払いされただけだろう。それを偉そうに命を受けたとか、英雄だとか、趣味の悪い冗談をしているな。そういうのは顔だけにしておけ」
「なんだと!?」
「図星か。そんなんだからお前は三流なんだよ。いや、三流に失礼になるな」
後のことを考えれば上手く立ち回って受け流す方が得策と言えるが、虫の居所が悪い白夜がそんなことを考えている余裕は無かった。
男の方はと言うと、挑発的な言葉に乗せられていとも簡単に怒りの臨界点を超えたらしくハンターの間でタブーとされる『武器を人に向ける』という行為に走る。
背中の大剣を抜いて白夜の首筋にピタリと付け、相手が動かないのを恐れているからと勘違いしたのか顔には薄ら笑いが浮かぶ。
釣られるように横にいる2人もそれぞれの武器を安易に構える。
修羅に刃を向けたことがどうなるかを考えずに。
「最初に断わっておく」
霊水の入った木製のコップから手を離して腕をテーブルの下に隠した。左手は密かに左腰に携えた刀の鞘を握っているが勘づかれてはいない。
脚に力を込める。同時に空いている右手をテーブルの縁にかけた。
「先に武器を手に取ったのは、お前らだからな」
言い終わるが早いが縁を掴んでいる右手を思い切り跳ね上げる。当たり前のようにテーブルは吹き飛び、軌道上にある大剣を巻き込んだ。
突然の反撃に唖然としている3人は動けない。いや、仮に動けたとしても白夜の速さについていけるはずもない。
椅子から跳ねるように立ち上がって目の前の距離を一気に詰める。大剣が弾かれた今、人体急所の一つである水月、いわゆる鳩尾が完全に無防備。
左足で踏み込むと同時に鞘ごと刀を突きだして柄頭で水月を撃ち抜く。強い衝撃のあまり勢い良く後方へ吹っ飛んだのを確認し瞬時に刀を引き戻す。
そのまま鞘のみを左手で背後に突きだして鞘尻を2人目に当て、あっという間に沈めた。
ここで3人目が斬りかかってきたが何もかもが遅い。鞘だけを突き出したため刀身は既に抜かれた状態になっている。
片手剣が振り下ろされるよりも早く脇腹を撃つ。直前で刃を返して峰打ちに変えたのは少しばかりの優しさか。
「ふん、弱いな」
自慢するほどの実力もなく、ほんの数秒で蹴散らされた3人。白夜の絶妙な力加減のお蔭でたいした外傷もなく気絶していた。
斜め下に振り下げて血振りのような動作をしたあと静かに納刀する。
ハンター同士の喧嘩はもちろん禁止されているし、例え起きたとしても普通は周りの常識人が止める。そうならなかったのは、決して周りが止める気が無かった訳ではなく白夜の制裁が早すぎたがゆえ。わずか数秒の出来事は声を掛けられることすら拒否した。
一度爆発したために溜飲が下がったようでスッキリとした様子。
ひっくり返っているテーブルを元の位置に直して何事もなかったかのように椅子に座る――前に伸びている3人を引きずるようにしてギルドのカウンターへ。
全てを目撃していた受付嬢に一応の報告をしておき引き渡す。ごっついオッサンに連れて行かれるがこの後にどうなろうと彼の知るところではない。
一撃で沈めているので近々噂にはなると思われるが、過剰防衛にはならないだろう。
残っている霊水を飲み干して迷惑料とばかりにわずかな全財産を置く。流石にいたたまれなくなったのか黙って集会場を後にしてしまった。
何も食べていないのに。
白夜が帰った少しあと、制裁騒ぎで重くなった空気の中まったく空気を読まないでアイルーが1匹、ユクモ村名物の蕎麦を片手に登場。
先の騒ぎを知らないのか白夜がいなくなったことに疑問を覚える。
「この料理、どうすればいいかニャ……」
いつもは賑やかな集会場が黙った日と言われるのは後のことであった。
「お前さんもだいぶ派手にやったなぁ。気持ちは判らんでもないが、あまり苦労させんでくれ」
翌日、空腹を紛らわすためにぐっすりと就寝していた白夜を朝一で集会場に招待して事情聴取が始まった。
正当防衛なので形で、レウス対策のついでと言った感じのようだ。今後はこのような騒動は相手が100%悪くともなるべく自重するように言いつけられ、本命であるレウスの新情報について話し始める。
「さて、昨日から今日にかけての情報だがドンピシャリなのが来たぞい。えー、こいつだこいつ。『先日ユクモ村に接近したと思われる火竜・リオレウスが渓流の奥部、洞窟においてその姿が確認された』だそうだ。村全体に警告出して、しばらく人の行き来は禁止しといたんで後はお前さん次第だ。こっちとしては早めに出向いてもらいたいねぇ、ひょひょひょ」
「ふむ……少し頼んでいることがあるからそれが出来次第ってことになりそうだ。目安としては昼時だろうな」
「そうかい。じゃー準備が出来たら受付嬢じゃなく俺っちに話しかけてくれ。あと、応援のことだが要請した昨日の内にこっちに向かってきているらしいぞ。ディアブロ装備で弓使いだそうだ。話は以上、そら飲め飲め」
「これから戦おうとする奴を酔わせるなよ……」
相変わらずお酒を浴びるように飲んでいるギルドマスターが、あろうことか現状で一番酔わせてはいけない人間に酒を勧める。絡み酒ほど厄介なものはないがギルドマスター自身は酔っていないという途轍もなく嫌な事実。
やんわりと断りつつ代わりに蕎麦を頬張る。結局昨日は夕食を取れず仕舞いだったのもあって既に3杯目を平らげていた。元来から大食いのようで追加で5杯頼んでいる姿には恐怖すら覚える。
対抗するかのように酒類だけを注文するギルドマスターもギルドマスターだ。
5杯の追加すらあっさりと胃袋に納めたところで一段落ついた様子。
クエスト開始のカギとなる人物、メティスとは集会場での待ち合わせで合っているが、早くはないとはいえ流石に午前中には来ないであろう。
だったらまだのんびりできる、そう言うかのように食後に一服と蕎麦湯をゆっくりと飲んでいた。
甘い考えだと痛感したのは直後。不意に暖簾が動いてリュックを背負った人が、まだ人気の少ない集会場に入ってきた。
「あ! 白夜さん! もう集会場にいるって話を村長さんに聞いたので、早速頼まれたもの持ってきましたよ。私の手にかかれば一晩あれば充分です」
満面の笑み且つしたり顔と言う器用な表情をしながら食器が片づけられて綺麗になっているテーブルの上に荷物を置くメティス。
中身は頼んだ物がどこをどうやったか知らないが、何故か必要以上に入っていた。渡した素材の量と出来上がったアイテムの量が釣り合っていない。それどころか全て2倍近く入っている。
そして何故か情報を知り得ている村長。この村にはまだまだ謎が多いようだ。
「予想より多いけどどういうことだ? まさか素材を追加で買ったとかそういうことをしたのか?」
「いえいえ、自慢みたいになっちゃいますけど、調合は昔から得意で少ない素材でも成功できるんですよ。今では普通の倍くらい簡単に作れちゃいますよ」
「その才能を生かして商売やればひと財産くらい……いやなんでもない。こっちとしてはありがたいが、対価が完全に釣り合ってない。本当に貰っていいのか?」
「はい、好きに使っちゃってください」
押し付けるように勧めるので遠慮なく受け取る。
相手はG級。何が起こるか判らないことが多すぎるのでアイテムは多いに越したことは無い。
多すぎて動きが鈍くなれば全く持って意味はないがそこまでの量はないので問題にまではならないだろう。
頼んでいたアイテムが手元にある今、準備は整った。いつ出発になるか判らない、裏を返せば今津すぐにでも出発する可能性があるということなのでコンディションの方も完璧。
荷車の準備は出来ていると言ったのはギルドマスター。白夜は自分で走って行ってもいいと言ったがさすがにそれは認められないようで有無を言わさずの却下。意外と頑固な一面もあるらしい。
これ以上ここにいても始まらないので門の外で待機している荷車の方へ向かう。
装備に不具合がないかを一通り確認して軽く肩を回す。彼が纏う雰囲気はもやは日常生活でまったりしているそれでなく、完全たる戦闘態勢。
初心者ではないとこは素人目にも判る。それどころか心が弱ければそれだけで失神してしまってもおかしくないほど。場数を踏んでいるギルドマスターならともかく、メティスには少々厳しかったようで小さく震えていた。
幸いだったのは、朝の集会場には片手で数えられる人数しかいなかったこと。大勢いる場所だったら騒ぎになるのは必至。
「気張るのはええがなるべく怒気は抑えてくれ。年寄りの心臓には百害あって一利なしだぞい」
「驚きの『お』の字もないのに文句付けられたくはないな。メティスには悪いことをしたが、抑えられる自信がないから諦めて欲しいな。それじゃあ、いい結果を期待していてくれ」
「が、頑張ってください……」
風のような速さで集会場を後にした白夜。残ったのは幾らか落ち着きを取り戻したメティスともう酒飲みを再開したギルドマスター、それと雰囲気に気圧されて黙っていた朝番の受付嬢。
閑散とした集会場の雰囲気に耐え切れず喋りだそうとした瞬間、割り込むようにギルドマスターの方が絡んできた。
「ヒック、最近はどうだメティス君。聞いた話によると実力は付いてきたが精神面が甘いとか。さっきの様子を見れば一発だがな」
「そうですね。自分も判ってるんですけど……」
「まあ自然と成長するから問題ねえだろ。まあ白夜みたいな奴になれって言ってるんじゃねえから気楽にせい。あいつは俺っちが知っている」
「あの人は規格外すぎますよ。うう、思い出しただけで怖くなってきた……」
鬼の居ぬ間に散々なことを言っている2人。
しかし、その言葉にはある種の温かみが含まれているのは果たして気のせいだろうか。
「はっくしょん!」
荷車に乗ってゴトゴトと揺られている白夜が急にくしゃみをした。
軽食を取っている最中で仮面を外していたので大事にはならなかったが、折角のサンドイッチを手から落としてしまう。
やってしまった感じ溢れる表情で拾い上げて埃を払う。まだ3秒以内だから大丈夫と自分に言い聞かせて頬張り始めた。
「おや? 誰かさんに噂でもされましたかニャ?」
気を使ってくれたのか運転猫の茶ぶちアイルーが前からは目を離さず聞いてくる。
一発目が風邪でなく噂と言うあたり、白夜が風邪なんてひかない化け物扱いをしていることがよく判る。果たして褒めているのか貶しているのか。
「マスターかメティスあたりだろうな。どうせ怪物扱いされてんだろ、今のあんたみたいに」
「ははは、細かいことはいいじゃニャいですか。それにしても……G級レウスですかニャ。いやはや、思った以上の大事ですニャね。頑張ってくださいニャ」
「こんな事になるとは思いもしなかったからな。やるだけやってみるさ」
これから激戦となるというのに呑気な会話で時間を潰している。
周りの景色も綺麗な自然で埋め尽くされていて、ここでピクニック等に興じればどれほど楽しい事だろうか。
陽気な風に当てられて一つ大きくあくびを出す。時間的にもあと30分はかかるようなので英気を養うためにもひと眠りしようかと横になる。
小鳥の鳴き声を子守唄に、うつらうつらと瞼が閉じて来たときに手に何か当たった。
初めは当たる方が珍しかったが、落ちてくる量は段々と多くなっていく。
雨が降ってきていた。
気持ちの良いうたた寝を中断されたので気分悪いが自然にケチをつけても仕方がない。このまま濡れて体温を奪われる訳にはいかないのでせっせと雨避けの為のシートを張る。
荷車を覆うようにシートを張ったあたりで雨は落ち着いてきた。落ち着いただけで大人しくはなっていないので、未だ降り続いている。視界が効かないほどの土砂降りではなく、天の恵みと言われそうな優しい雨。雲が極めて薄いことも関わっている。
「おお、ハンターさん虹ですニャ、虹! 幸先いいじゃニャいですか」
「ほー。結構はっきり映っているな。こんな所で運を使い果たしたって考えもできるな」
「そんニャマイナス思考は勘弁してくださいニャ。いやマジで」
自虐的なことに対して軽く引いている様子のアイルーだが、不安にさせるためだけに行ったわけではなかった。
虹が出ている方角と目的地の方角は一致している。何かありそうだ、と考えていたが自分でも深読みしすぎだろうと気にしないことにする。それよりも気になることが一つ。
虹がある更にその向こう側、黒い雷雲が存在していた。風向きからしてその雷雲はこちらに向かうことなく流されていくのだが、どうにも『くさい』と鍛え抜かれた第六感が警告している。
しかし、考察しようにも情報が全くと言っていいほど無く、実際に足を運ぼうにも目的地を通り過ぎることになるので行けず。
ならば気にかけている必要はない。
必要なのは戦略、地理把握であって強敵相手には欠かすことは即ち敗北。
村を発つときに受け取った資料に目を通す。
「(一番の懸念ごとは雨だけど、この程度なら大丈夫だろう。レウス拠点が洞窟ならぬかるみとかで足を取られる心配もない。森に行かれるとヤバイな。おお、洞窟の近くには森は見当たりないじゃないか。行動範囲が渓流全体になっているのは痛いが、プライドの高い奴が逃げ出すように……そういや前科持ちだった)」
「……さん、……ターさん」
「(となると自分の得意なエリアに移動される線が濃厚だな。まあ、そのために道具を目一杯持ち込んだわけだし。あとは奥の手だが、やっぱり使うことになるだろうな。使わないで倒せるほど奴は弱くないだろうし)」
「そろそろ帰ってきてくださいニャ、ハンターさん!」
「え? あ、スマン。考え事していて全く気付かなかった。雨が強くなってきたとかか?」
「いや、雨は強くなってませんニャ。そうじゃニャくて到着したですニャ」
周りを見れば荷車は既に止まっていて、ベースキャンプに着いていた。
30分以上熟考していたようで、白夜本人も時間の流れに驚き同時に寝る暇がなかったと愚痴る。
「ハァ……仕方ない。今からでも昼寝はできるからいいか。念のためこの辺りから避難しておいてくれ。何が起こるか俺にも判らんからな」
「了解ですニャ、御武運を」
忠告通りに荷車を走らせて帰ったのを見届けた後、ベースキャンプから広大な渓流を望んだ。
緑豊かで非常にのどかな場所のはずが、強敵がいるというだけで穏やかな感情は塗りつぶされる。
相手が動かない以上こちらから仕掛けるメリットはない。
応援が到着するまでの間、荷車の上で出来なかった昼寝でもしようと心に決め、特大サイズのベッドにダイブする。
だがしかし、状況は悪い方へと進んでいった。
「もう動き始めたのか!? 心もとないがこっちも動かないとか。頼むから早いとこ着いてくれよ応援さん」
服用していた千里眼の薬の効力でレウスが動き始めたことを知った白夜。
移動方向から見て、村ではなく白夜個人を狙っているかのように思われる。
恐らく、彼が逃げればそのまま村を襲撃することであろう、戦闘は避けられない。
「しばらくの間1対1だからな。手加減してくれたらどんなに楽になるか」
落胆する言葉に対応するかのように、遠くから竜の嘶きが微かに聞こえた。