Fate/EXTRA 虚ろなる少年少女   作:裸エプロン閣下

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執筆中の『俺とアストルフォの第四次聖杯戦争』が詰まったので息抜きに。
といってもそんなレベルじゃなくなってしまいましたがw


予選突破

 変わり映えのない陽気な天気に通学路。

 気だるげに欠伸をこぼしながら傍を歩くクラスメートたち。

 ニュースやドラマなどの他愛のない話を楽しむ声。

 

 特に変化のない日常風景、なのだが今日は校門の前がにぎやかだ。他の生徒たちとは色が違う黒の制服――生徒会役員の制服を着た生徒たちが登校してきた生徒たちを呼び止めている。いつもはない光景に足を止めてその一連を眺めていると、その中心に立つ生徒会長にして自分の友人である柳洞一成と目が合う。こちらに笑みを浮かべる一成に思わず苦笑を返しながら、止めていた足を再び動かし悠々と彼に歩み寄る。

 

「おはよう! 気持ちのいい天気だ! こんな日は気分がいいな!」

 

 朝から元気がいい一成に、こちらも片手を控えめに挙げておはようと返す。

 一成は満足そうに肯き一層爛々とした笑顔を向ける。

 今日は何かあったっけ、と言うと、

 

「あったっけもなにも、今日から学内風紀強化月間じゃないか。先週の朝礼で発表しただろう」

 

 ……思い返してみれば、そんなことを言われた気がする。

 

「美しい規律は正しい服装から始まる。そういうわけで模範として直々に陣頭指揮を執っているわけだ。いっておくが、長年の友人だからと言って甘やかすわけにはいかないからな」

 

 そういい、早速風紀検査を始める。

 襟から袖、袖からソックス。鞄の中身までしっかり検査される。最後に爪に頭髪と、計六点の調査項目を確認される。結果はオールパス、文句のつけようのない完璧な月海原(つくみはら)学園の生徒、らしい。

 

「事前に知っていた訳でもないのにここまで完璧とは、見事というしかないな!」

 

 満面の笑みを浮かべる一成は、自分のことでもないのに誇らしげで、それが少し微笑ましく感じられた。

 

 そんな彼に、これだけの項目をチェックするとなると時間がかかるのでは、と疑問を投げてみると先ほどとは打って変わり、ため息を吐いて表情を暗くする。

 

「残念ながらその通りだ。普通にやっていると時間がかかるし手間だということで、雑にやっている者もちらほらといてな……。運営側にもお前のような奴がいてくれればな……」

 

 運営? つまり生徒会役員のことだろうか?

 

「いや、今のは忘れてくれ。無理強いしてまで入ってほしいわけでもないからな」

 

 分かった。それじゃあがんばれよ、と一言置いて一成の隣りをすり抜ける。

 簡素な感謝を耳に入れて下駄箱がある昇降口へ向かっていく。ふと後ろを振り返ってみれば真面目な生徒会長は既に手近な生徒を捕まえて再び風紀検査を行っていた。そんな友人を見ていたら、いつの間にか自分も誇らしげな顔をしていたことに気付く。

 

 これといった珍しさのない、日常的な朝の風景。『いつも通り』のありきたりな積み重ね。

 

 穏やかな一日は再び始まっていく。

 

 

 ※※※

 

 

 いつも通りの二階のすぐ傍の教室へ入ると、自分の隣りの席に座る間桐慎二が幾人かの女子生徒に囲まれていた。もはやいつも通りの光景なので、今更特別に思うことはない。

 

 一成にしてみせたように、片手を挙げておはようと話すと慎二はそれまで女子生徒へと向けていた視線をこちらに移す。

 

「なんだ、何時の間にいたのかよ。お前って地味だから、存在感薄いよな」

 

 朝からいきなりご挨拶だが、これもいつも通りなのでもはや慣れた。もう彼とはかれこれ一年近くの仲だ。

 

「でもしょうがないよな。僕みたいな特別な人間の隣りにいると、どうしても薄くなってしまうからね!」

 

 これまたいつもと同様のセリフである。付き合いが長いからか自分は普通に受け止めているが、周りの女生徒たちはどのあたりがツボなのか分からないが、黄色い歓声を上げている。相変わらずだな、と思わざるを得ない。

 

 視線を少し下に下げると慎二の机にいくつかの教科書が出ていた。表紙に大きく『Math』と書かれているそれは数学のものだ。しかし自分の知る間桐慎二はとても勉学に打ち込むような性格ではなかったが……。

 

「あ、これかい? 実は今彼女たちに数学を教えててね。僕としてはこんなの理解できないほうがわからないけどね」

 

 誇らしげに――しかし先ほどの一成とは違う――笑う慎二。しかし、

 

「……あれ? ここ、ちょっとおかしくないかな、間桐君」

「……え?」

 

 一人の女生徒の言葉で笑みが凍りつく。引っ手繰るように女生徒のノートを取って目を落とす。ノートの字を追っていくごとに彼のノートをつかむ手が震える。

 

「ほら、ここ……間違ってるよね?」

「う、うるさい! どうせお前らが間違えたんだろ! 僕がこんなつまらないミスなんかするはずないだろうがっ!」

 

 それが図星だったのか、急に声を荒げ、顔を赤くしてノートを投げつける慎二に女生徒たちは蜘蛛の子を散らしたように去っていった。

 

「まったく、気まぐれで付き合ってやってるのに。これだから身の程をわきまえない凡人は嫌だね」

 

 そこで再び視線をこちらに向ける。今のでだいぶ発散したのかこちらに向ける表情は先ほどよりだいぶマシなものになっていた。

 

「その点、お前は分を弁えてるよな。地味な部活やってる割には見どころあるし、僕の邪魔もしない。ほんと、ちょうどいい脇役だよな」

 

 はっは、と無邪気に笑う慎二にぎこちない笑みを送る。信頼の置き方がちょっと変わっているが、彼は彼なりに自分のことを気に入っているようだ。

 

 しかし、何故自分は彼に気にいられているのだろう。一年前ということは分かるのに……それ以外のことがよく思い出せない。

 

 思い出そうとしてみるが、始業を告げるチャイムの音と、それと同時に教室へ飛び込んできた担任の藤村先生が周りの喧騒と自分の思考を容赦なく断ち切っていく。

 

「ギリギリ間に合ったーーっ! みんなー、おっはよ――」

 

 大きな声で朝の挨拶をしようとした藤村先生は教室へ入ってきたときの勢い余って足を滑らせ、教壇の角に頭を激突させた。ぎごん、という生物的にやばい音により教室が先ほどとは違う意味で静粛に包まれる。明らかにヤバイ光景ではあるが誰一人として藤村先生を心配する者はいない。別に嫌われているとかみんなが薄情だから、というわけではない。

 

「またか……。これで何回連続だよ。ギネスでも狙ってんの?」

「男子ー、冗談は良いから早くー」

「そうだよ。ピクリとも動かないぞ」

 

 そう、いつも通りの光景だからだ。

 勇気のある生徒たちがゆったりとした動きで倒れ込んだ先生の顔を覗き込む。

 

「おーい、先生―。生きてますかー?」

「あのー、大丈夫ですかー?

「……うーん、むにゃむにゃ……。ん……こーら、ホームルーム中に席を立っちゃだめだよ。ほら、早く座りなさい」

 

 まるで寝起きかのように眼を擦り起き上がり、何もなかったように当たり前の注意をする。先の衝撃で教室に入った後の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまったらしい。

 

 これも、いつも通りの光景だ。

 ……正直、日常的にこんなことがあるのはどうなのか、と思うが。

 

 

 ※※※

 

 

 まるで円環のように一定周期で回り続ける風景。

 

 一度見たビデオを巻き戻してもう一度見るかのような授業。

 

 変わり映えしない、いつも通りの内容。

 

「この文はトワイスさんっていう立派なお医者さんに関する伝記で――」

 

 そして変わらない教鞭を振るう藤村先生。

 

 そしてしばらくして、チャイムが鳴り授業が終わる。

 

 

 

 眠くはならないが、興味が惹かれるわけでもない授業。それらがすべて終わり、放課後を告げるチャイムが鳴り響くとみんな各々の場所へと散っていく。

 

「ようやく今日のルーチンワークも終わりだよ。こんな退屈な授業につき合わされなきゃならないなんて、学生ってほんとに面倒だな」

 

 慎二も一度伸びをして椅子から立ち上がり、鞄を手に取り、

 

「お前は――確か新聞部、だっけ。お前らしい地味な部活でお似合いだな!」

 

 こちらを一瞬見て、思い出したように話す。彼の言うとおり、自分は新聞部に所属している。理由は――――なんだっただろうか? これも一年ほど前の出来事だが、慎二との馴れ初め同様思い出せない。全く記憶になく、頭を悩ませる。

 

「また明日会おうじゃないか! じゃあな!」

 

 慎二がこちらに背を向け去っていく。その後も少しずつ思い出そうとしていくが、結局分からず仕舞い。仕方ないので後で部長に聞くとしよう。自分が覚えていないことを、他人が覚えているかは疑問ではあるが。

 

 鞄を背負い、教室から出ると件の部長が部員を二人連れて階段前に居た。今日はとくに急ぎの用事があるわけでもないはずだが……何かいいネタでも仕入れて来て、確かめてこいとでも言われるのだろうか。期待半分恐れ半分に部長へ歩み寄る。

 

「よ、新聞部のエース君! 取材の方は進んでいるか?」

 

 自分が頼まれていた取材はたしか『月海原怪奇スポット』だった。弓道場の裏手に霊界への入り口があるだの、いまいち信憑性が感じられないものばかりで確認してみればほとんどがガセネタだった、と鞄の中からそれらをまとめたレポートを渡す。

 

「さすがエース! 仕事が早いな!」

 

 渡したレポートを笑顔で受け取り、パラパラとめくり一通り速読した後、やや強めだが労うように肩を叩かれる。

 

「で、早速で悪いんだが、もう一つ、頼めるかなー?」

 

 そして次の瞬間、猫なで声で頼まれる。頼む、といっているが肩を掴む手が強制だと雄弁に告げている。否定しても黙っていてもこのままだと肩の骨が砕かれかねないので受けることにする。

 

「よろしい、それじゃあ最近の通り魔事件について調べてほしいの!」

 

 通り魔――その物騒な単語に思わず顔を顰める。

 そういえば、藤村先生もそんなことを言っていた気がする。

 そんな事件を調べてほしいとは、つまり……襲われろと?

 

「いや突飛すぎでしょ。ただその辺についての情報を集めてほしいんだよ」

 

 集めるといってもどうすればいいのだろうか。被害者本人に直接聞きに行く、などという真似はしたくないし、されたくないだろう。

 

「お、今のはちょっと惜しかったね。正解は被害者の友人に話を聞いて来てほしいの。確か今の時間なら……花壇の方にいるんじゃないかしら」

 

 分かった、と一言告げて花壇へ向かう。頑張れよー、とありきたりな声援を受けて階段を下りて花壇へ向かう。

 

 

 

 教会前の花壇は、まるでここだけ学校から切り離されたような静寂さだった。蝶がひらひらと宙を舞い、ポンプで噴き上げられる噴水を夕焼けが照らしていく。ひどく簡素な造りだが、そんな光景が輝いて見えたのはそこにいる一人の少女によるものだろう。

 

「……………………」

 

 教会と花壇には似合わない白い着物を着て、赤く濡れるナイフを持った少女が噴水を挟んだ先に立っていた。そのすぐ隣りには、おそらく自分が話を聞こうとした女生徒が制服を赤く染めながら倒れ伏していたが、自分は目線も思考も目の前の少女に釘付けとなっており、その光景が意味することが頭に入ってこなかった。それは自分と彼女の目があった後も変わらず、ただ彼女を見つめていた。

 

 しばらくそうしていると、一瞬、自分の首から衝撃を感じた。

 なんだ、と思って首に手を当てようとするが、それより早く意識は闇に沈んでいった。

 

 

 ※※※

 

 

「……オレが言うのもなんだけど、態々殺す必要があったのかよ」

「なるほど、通りで数が合わないわけだ」

 

 白い少女の問いかけを、黒い男は無視して独白していく。

 

 それは奇妙な光景だった。教会前という西洋風景において血に染まるナイフを手にした純和風の着物少女に、時代錯誤な衣装を着た侍を侍らせる黒いコートを着た青年。中でも侍が持つ槍ほどの長さを誇る長刀はことさらに目を引く光景だ。

 

「不確定要素は排除する。アサシン」

「やれやれ、またしてもこんな役回りか……。どうやらそういう星の下に生まれてしまったらしい」

 

 黒コートの言葉に従い一歩踏み出す彼の表情は、これからの死合に心を躍らせており、これを待っていたと言わんばかりに目を輝かせていた。

 

「マスターの手前、真明を名乗ることは許されぬのでな。ただアサシンと名乗らせてもらおう」

「オレは別にかまわないよ」

 

 互いに構えはなく、全身をだらりと脱力させる。そんな二人とは逆にあたりの空気は闘気で張りつめ、動くものはただルーチンワークに従い辺りを漂う蝶だけとなっていた。

 

 そして二人は示し合せたかのように、蝶が互いの視界から消え去ると同時に動き始めた。

 

 

 ※※※

 

 

 目覚めはいつも唐突に。まるで階段の電気のようにオン/オフを切り替えられる。

 自分の立つ位置より先の通学路は知らず、そもそも自分の家すら思い出せない有り様。

 定められたルーチンワークに従わされる足は自分の意志を無視して勝手に学校へ向かって歩み出す。

 今が何年なのか、何の季節なのか、何月なのか、何日なのか。考えようとすると眩暈で意識を飛ばされそうになる。それを必死に抑えようとする自分の心中をも無視して、足はただ無情にも歩き続け、遂に校門の前にまでやって来てしまった。

 

「おはよう! 気持ちのいい天気だ! こんな日は気分がいいな!」

 

 毎日、同じ天気を繰り返す空/なのだろうか。

 毎日、同じ話題を繰り返すクラスメート/なのだろうか。

 毎日、同じ行動を繰り返す友人/なのだろうか。

 

 毎日、同じことを繰り返す世界。どこにも行けない世界。それもそうだ、きっとこの世界にこれ以上先は無いんだ。

 

 先が無ければ、進めない。

 先が無いなら、進めない。

 まるで監獄。まるで悪夢。

 

「美しい規律は正しい服装から始まる。そういうわけで模範として直々に陣頭指揮を執っているわけだ」

 

 何も言っていないにも関わらず、勝手に話を進めていく彼。

 

 あまりの気持ち悪さと頭痛に耐えかねて喋り続ける柳洞一成を放置してそのまま逃げるように通り過ぎる。 このままここにいては自分は耐えられない。

 

「いっておくが、長年の友人だからと言って甘やかすわけにはいかないからな」

 

 自分が居なくても繰り返されるその言葉に、お前の代わりはいくらでもいると、言われている気がした。

 

 ここはもう、自分が知っている学校、いや自分が知っている世界じゃない……!

 本能が早く早く、と急かしていく。

 でないと手遅れになると、頭が理解している。

 

 

 ああ、でも――いったい、どこに行けばいいのだろうか?

 

 

※※※

 

 

 頭痛は時間が経てば経つほど酷くなり、吐き気はもう我慢の限界をとうに超えており、悪寒は氷河期を思わせるほどの寒さで自分の思考を鈍らせ、激痛は全身を容赦なく蝕んでいく。

 

 でも自分はまだその訴えに答えられる解を見つけられず、既に放課後を迎えていた。

 

 視界を覆うノイズは一寸先すら見通させず、耳に纏わりつく雑音は喧騒を寄せ付けず、全身を覆う重圧はまるで身体が石でできているかのように圧し掛かる。逃げ出したい一心で、鞄も持たずに教室から出る。

 階段へ向かおうとするが視界は悪く足もふらつき、隣りの掲示板に張り付いてしまう。その際目に入った新聞の『最終号』という文字にとてつもない違和感を感じる。新聞はまだ終わっていないはずだ。脳が鳴らす警鐘を無視して、へばりつくようにして新聞の内容を読み取る。

 

『月海原学園新聞 最終号

 「怪奇 視界を覆うノイズ」

 

 学園内に残った生徒たちにお知らせデス。

 

 予選期間はもうすぐ終わります。

 

 はやく真実を見つけ出して、

 きちんとお家に帰りましょう。

 

 さもないと――― 一生、何処にも帰れません』

 

 頭痛が、吐き気が、悪寒が、軽く今までの倍になった。その新聞から遠ざかりたい一心で一階に下りる。何度か躓きそうになりながらも少しずつ降りていくと、先ほど以上の強烈な違和感に襲われた。

 

 白いキャンバスの上にあるただ一つの黒点のような隠しようのない存在――この圧倒的な威圧感はついこの間転校してきたレオだ。

 

 威圧感は段々と一年教室の奥の方へと向かっていき、ある地点で――消えた。

 比喩でもなんでもない、本当に消えたのだ。何か考える前に、足が自然とその消えた地点へと向かっていた。あそこに行けば逃げられると、本能が告げている。まるで山のように重たい足をずるずると引き摺り、倒れそうになる体を引き起こし、落ちそうになる瞼を必死に開け、進んでいく。傍でひそひそと不審がる声が聞こえるが構っている暇はない。

 

 生死の境目をゆらゆらと『やじろべえ』のように揺れながらやって来た先はただの壁で、でも本能は一層ここが出口だと告げていた。グチャグチャになった思考の中、この世界のことを振り返る。

 

 この世界にもう、先は無い。

 確証はないが、確信はしている。

 だからここで乗り換えなければならない。

 この、なにもない“虚構”の世界から――残酷な“真実”の世界へ。

 だから――逃げるな! 真実に目を凝らせ!

 

 決意した瞬間、壁が変わる。何の変哲のないコンクリートの壁から、異界への入り口ができる。もう迷う余地は無く、日常の世界へ別れを告げて手を伸ばす。

 

 

※※※

 

 

 扉をくぐるとそれまであった頭痛に吐き気、悪寒などは消えており、錯覚かと疑うほどだった。あたりには埃をかぶったダンボールや使われなくなった机などがあり、用具室らしい場所だった。二、三歩進むと、自分より背が高いつるりとした肌の人形があった。

 

 これは、この先で、自分の剣となり、盾となるもの……。それをもって戦うがいい。

 

 どこからか、そんな声が聞こえてきた。

 戦うということに、強い反発心を抱くが、どのみち自分には選択肢などないのだろう。

 急に戦えなど、自分が盤上の駒のように扱われることに不愉快な気分になる。

 

 しかしそれでも、止まることは許されない。自分が選んだ“真実”を知るため、先にある歪みへ向かう。自分より幾分か身長が高い人形は何も言わず、従者のように自分の背後に付き従ってきた。

 

 

 ※※※

 

 

 何度かの演習を終え、向かった先には息苦しさすら感じるほど荘厳な空間へとたどり着いた。なるほど、ここまで神秘的だと、旧時代の人々が聖霊の宿る場所だと思うのもおかしくない。

 しかしそんな空間にはいま、白い着物をところどころ赤く染めた少女と紺色の陣羽織を来た侍、さらには赴任したばかりの葛木先生と似つかわしくない面々がいた。もっと言えば、少女と侍は互いに武器を構え、人の領域を超えた戦いを繰り広げており、当人はもちろん、葛木先生もそちらに全神経を削がれており自分たちの存在に気付いていなかった。斯く言う自分もその光景、というより白い少女に見とれており、先生の存在にすぐには気付けなかった。

 少女はナイフを手に猛然と向かっていくが、侍は流れるような動きで槍を超す長さの長刀を苦も無く振るい、少女へ切りかかる。少女はその太刀筋を受けようとはせず、回避してみせたように見えるが、離れた時にはその首筋から鮮血が散っていた。

 

 ――素人目にも分かる。あの侍には勝てない、と。

 実際、少女はいくつも手傷を負い、息も絶え絶えだががあの侍は未だ無傷にして余裕綽々。その様から少女は近付くことすらできていないのが見て取れる。

 

 それでもなお立ち向かい、さらに二撃、三撃と切り結ぶと遂に少女のナイフが飛ばされる。

 

「ふむ、勝負あったな。さらばだ、中々に楽しめたぞ」

 

 侍が満足げな笑みを浮かべて少女の首を薙ごうと剣を振る。今まで以上の力で放たれたそれを、回避できず、ナイフを失くした少女には打つ手は無く、ただ受け入れるしかなかった。

 

 そして、受けるしかなかったそれは一つの人形によって止められる。 

 

「む?」「なっ!?」「チッ……」

 

 自分はいつの間にか人形に指示を出していて、それを以て必殺の一撃を防いでいた。

 一瞬、拮抗してみせた人形はその後あえなく肩口から両断される。同時に自分の身体から急激に熱が去っていき、冷たい床に総身を叩きつけられる。その時、隣りに見知った顔を見た。その顔は行方不明になったはずのクラスメイトたちだった。

 

『……ふむ、これは予想外だな』

 

 ……どこからか、声が聞こえる。さらに言葉が紡がれていくが自分の耳には入らず、なぜか葛木と侍が去っていく姿と、こちらに駆け寄ってくる少女が無事であることを確認する。自分は死ぬのだろうか。そう思うと言いようのない虚無感に襲われる。悔いはない、などとは口が裂けても言えないが、少女が無事であったことには安堵する。遠ざかる熱とともに意識が遠ざかる。

 

 

 

 このまま、何もかも分からぬまま終わる(わすれる)のか。

 

 

 

 薄れゆく意識の中、ふと脳裏から何かが自分に問いを投げる、そして湧いてでたその言葉に最後の意識を繋ぎ止められる。なぜか分からないが『忘れていく』という部分にひどく後ろ髪をひかれる。思考の中枢に居座ったその言葉を中心に自分の意識は再び構成され再び振り返る。

 

 ――分からない。

 何故自分がそんなことをしたのか。

 

 ――分からない。

 何故、自分が真実を選んだのか。

 

 ――分からない。

 何故、自分はあそこにいたのか。

 

 ――分からない。

 自分は――いったい何なんだ?

 

 自分には分からないことばかりじゃないか。そう思った瞬間、自分の胸に熱が戻ってくる。このままでは終わら(きえられ)ない、終われ(わすれ)ない。起き上がろうと全身に喝を入れて両手足に力をいれるが、まるで床に縫い付けられたかのように動けない。

 

 それでも――このまま終わ(わすれ)るのは、許されない。

 動かない全身を無理やり起こそうと残ったか細い力を振り絞る。骨が凍ってしまったかのように固まって動かない。そして骨の冷気が最後の熱を奪おうとどんどんと中心へ迫って来る。

 

 ――それでも、こんなところで消えられない。消えたくない。

 

 ここで消えるなら、あの頭痛は、悪寒は何のために。

 

 ここで消えるなら、自分は、彼らは何のために。

 

 怖いままでもいい。痛いままでもいい。それでもなお、もう一度考えないと。

 

 

 だってこの手は、まだ一度も、自分の意志で戦ってすらいないのだから――――!

 

 

 その瞬間、自分の右手にやきごてを押し付けられたような熱が宿る。

 それを最後に、必死の抵抗虚しく、自分の意識は深い微睡へ落ちていった。

 

 

※※※

 

 

 天は(あか)く染まり、家は(あか)く燃えており、人は(あか)く濡れている。そこは紛れもない戦場だった。

 

 死が溢れた空間(せかい)、生が瞬く空間(せかい)、誰もが平等な空間(せかい)

 

 『■■■■』はそんな世界から、抜け出した。しかしその代償は、あまりにも重すぎた。

 

 ――絶対に忘れるな。ここで『■■■■』はたった一人生き延びた代償に、それ以外のすべてを失くした。

 

 

 ※※※

 

 

 ……何か、欠けた夢を、見ていた気がする。

 

 ふわりとした感触に包まれたまま、眼を開けて首を動かし自分がいる場所を見渡す。

 

 自分のすぐ隣りには白いカーテン、少し奥にはテーブルがあり、クロスが敷かれておりその上にはティッシュや温度計が置いてあり、さらにその先には体重計など、身体検査に使われそうなものがある。思い出した。清潔感溢れるこの空間、ここは保健室だ。しかし、その割にはどこか今までとは違う気がするのはなぜだろうか。

 

 おそらく、自分はいまベッドで寝ているのだろう、未だに微睡みに囚われつつある頭を使って現状に到るまでの記憶を思い出そうとし、

 

「気が付きましたか」

 

 シャ――と隣りのカーテンが開け放たれる。突如として聞こえた音に意識が否応なくそちらへ向けられ視線を移し、その姿に思考が止まる。

 

 ベッドを椅子代わりにし、こちらを色のない顔で見る少女がいた。薄い紅色に、花をあしらった着物に、藍色の帯をした凛とした――しかし、花のような可憐さを併せ持った――少女がいた。最初に見た時の純白の着物から変わってはいるが、その程度で自分の中に残った彼女の印象は変わらない。そしてその印象から連鎖するように記憶を思い出し、

 

 ――怪我はもう大丈夫なのか。

 

「……はい?」

 

 ……またしても、考えるよりも早く行動していた。その脈絡のない発言に少女は無表情だった顔を戸惑いに歪ませる。

 

 ――しまった、自分は何を言っているのだろうか。

 

 後悔、言葉通り『後』に悔む。期せずして固まってしまった空気に何も言えず、ただ向き合うばかりで無為に時間が流れていく。時が止まっているのでは、と思ったがカチ、コチ、という無機質な時計の音が時が流れていることを如実に示していた。

 

「……怪我は、大丈夫です。それより……なんで、」

 

 そんな状態に耐えかねて、先に音を上げたのは意外なことに彼女の方が先だった。

 か細い声で吐かれたその言葉は、意識を向けていなければ聞き逃していただろう。

 

「なんで、私を助けたのですか」

 

 『助けた』というのは、あの空間での出来事だろう。確かにあの時の自分の行動はそう見えるだろう。しかし、自分はその問いに明瞭な答えを表すことができない。彼女の顔つきからこれが真剣な話だということが伝わってくる。

 だから、ここで曖昧な答えを出したり、先延ばしにすることは許されない。

 

 

 

 

 ――分からない。考えるよりも先に、行動していた。

 

 だが、それでも自分には、これ以外に伝えるべき言葉が浮かばない。

 

「………………」

 

 自分の返事を聞いた彼女はわずかに眉間にしわを寄せて不機嫌さを見せたが、こちらも彼女と同じように真剣に話していたことを察したのか、「……分かりました。一先ずそれで納得させていただきます」と言ってくれた。といっても一先ずということから完全に納得したわけでは無いらしい。

 

「では、次に――」

 

 一端空気を入れ替える様に目を閉じて身体の中の息を吐く。その何気ない仕草にこちらも思わず感嘆の息を吐いてしまう。

 

「――私に、何をしました?」

 

 全身にビリッ、と電流が流れた気がした。瞼を開けた少女の瞳はこちらを睨んでいた。

 殺意、というほど重くなく、悪意、というほど刺々しくはない。恐らく向こうもあの後、何があったのかを計りかねているのだろう。しかし、自分にもあの後のことは全く分からない。そもそも、あの世界が何だったのかも知らなかった自分には先ほど以上に答える術は無く、迷っていると――。

 

「あ、岸波さん。目が覚めたんですか? よかったです」

 

 ガラリ、と自分と同じ制服――男女の差はあれど――の上に、医者が着るような白衣を重ねた少女が入ってきた。足首のあたりまで伸ばされたやや青みがかかった紫色の長い髪が、こちらへ歩くたびに揺れ動く。

 

 ――その岸波、というのは自分の名前なのだろうか?

 

「あれ、違いましたか? おかしいですね、ムーンセルから個人名をスキャンしたので間違えないと思いますが……」

 

 少女は首を傾げて何かしているのか、一端瞳を閉じ、再び開ける。

 

「――間違いありません。あなたは岸波白野さんですよ。予選を突破したことでセラフに入った際のメモリーも返されているはずですよ」

 

 予選? セラフ? メモリー? 駄目だ、言葉の意味は分かるが内容が理解できない。

 というか、自分の名前すらも分からないのだが……。

 

「え、もしかして記憶の返却に不備があるのですか……? 困りましたね……、そこは私の管轄外ですのでなんとも言えません」

 

 投げた抗議はあっさりと無視された。

 しかしそんなことで終えられるほど重要度の低い話ではなく、ならその管轄の人を、とさらに問い詰める。

 

「そう言われましても……。そういえば、言峰神父は私より権限が与えられているはずですから、それなりに融通は利くと思いますよ」

 

 神父――そういえば時々学校に神父が来ると、その予選で誰かが言っていた気がする。

 

 ありがとう、と一言告げてベッドから起き上がり、扉へ向かう。

 

「あ、待ってください。これを」

 

 扉を開ける直前に、声をかけられ振り向くと、彼女が何か端末を渡してくる。最近のケータイのような形をしたそれを受け取り改めて扉に向き直り外へ出る。

 

 

 外を出るとそこには見慣れた――しかし異質な――廊下がある。上にかけられた表札にはやはり保健室と書いてあった。窓の先から見える外の風景の異様さに驚きつつも言峰神父を探しに行く。

 

「まだ話は終わっていません」

 

 廊下を二、三歩歩くと背後の扉が再びガラリと音を立てて開く。先ほどまで座っていた着物の少女が自分に付き従う様について来ていた。無理に引きとめて話を再開しようとしないのは、彼女もその神父から話を聞けば謎が氷解すると察しているからだろうか。

 

 

 

 

 件の言峰神父は、教会とは反対側の階段前に居た。黒のカソックを着込んだ偉丈夫には人間らしさがあまり感じられず、些か不気味な感じだった。傍らの少女も顔を顰めている様子から、同じ心境なのだろう。

 

 しかし、謎を解くためにもここは退けない。覚悟を決めて足を進める。

 間合いまで踏み込むと偉丈夫は素早く反応し、瞬く間にその表情を喜悦に歪ませる。

 

「本戦出場おめでとう。これより君は、正式に聖杯戦争の参加者となる」

 

 やや芝居のかかった口調で話しかけてくる彼の言葉には、やはり人間味が薄い。まるで自動アナウンスの機会と話している感じだ。

 

「それは当然だろう。何しろ私はこの聖杯戦争の監督役として機能しているNPCだからな」

 

 ――聖杯戦争。監督役。NPC。またしても疑問が増えた。

 これ以上疑問が湧く前に、眼前の偉丈夫に矢継ぎ早に質問を投げる。

 

 ――ここはどこで、何故自分はここにいるのか、自分の記憶はどうなっているのか、予選とはなんだったのか、聖杯戦争とは何か。

 

 すべての問いを投げた後、元から喜悦を刻んでいた顔はさらに大きく変化していた。その瞬間、自分には彼が神父などではなく、悪魔や邪教の神官のような存在に見えた。背中を走る悪寒に耐えながら気丈に向き合う。

 

「まさか何も知らないとはな。いいだろう、教えてやろう」

 

 そう言うと神父は歩きはじめ、職員室へ向かって行った。突如動き出したことに驚き、戸惑いながら自分たちも続いていく。

 

 

 職員室の中はいくつもの机が並んでおり、その合間を縫って職員室の一角に存在する簡素なテーブルとイスに向かっていく。神父は奥へ座り、自分は彼と相対するように、少女は自分の隣りに座る。

 

「ではまずここがどこで、何故いるのか、という質問に答えよう。ここは君たちが求める聖杯、ムーンセルによって構築された『SE.RA.PH(セラフ)』と呼ばれる霊子虚構世界だ。そして霊子虚構世界とは仮想の電子世界で、君たち魔術師(ウィザード)は自分たちの魂をデータに変換してやって来たのだ」

 

 彼の説明は思いのほか丁寧だった。未だに分からない部分もあるが、少なくともここが仮想の空間で、自分たちはその魔術師という存在で、自分の意志で選んだという事が分かった。

 ――自分は何故、こんなところへ来たのだろうか。

 

「その問いの答えは自分で見つけるがいい。次に聖杯戦争のことを教えよう。聖杯戦争とは君たちがあらゆる願いを叶える万能の願望器、ムーンセルを手に入れるための戦いである。

「万能……? 胡散臭いですね」

 

 万能、という言葉に少女が反応する。確かに、万能なんて眉唾物だ。言われたところではいそうですかと信じられるわけがない。

 

「そこは信じてもらうしかあるまい。だが君たちは現に聖杯を求めにここにきているのだよ」

「私は、いつの間にかここにいただけです」

 

 自分も参加した覚えはない。戦争なんて、碌な物じゃない。仮に本当に万能だったとしても、それに託すに相応しい願いなんて持っていない。

 

「なるほど、君はイレギュラーなのか。それならば仕方ない。では話を続けよう。聖杯戦争には予選と本戦があり、君たちが体験してきたこの校舎での出来事が予選でここからが本戦なのだよ」

 

 ――予選? あれが、あの出来事が?

 

「その通り、安寧とした空間で違和感に気付き、真実に目を凝らしたものだけが本戦に出る資格を得る試練に挑み、それを突破した者だけが参加できる。君の右手のそれが証だ」

 

 言われて右手を見てみると、そこには奇妙な紋様が三つ刻まれていた。思い返せば、意識を失う直前にやきごてを当てられたような熱を感じた。それがこれなのだろう。

 

「もっとも君の場合、事情がかなり特殊だったようだが……」

 

 神父はそこで初めて視線を彼女へ向けた。しかしそれはわずかな間だけだった。再びこちらへ向き直る。

 

「そして君にはこの本戦で――殺し合いをしてもらう」

 

 ――殺し合い。とても比喩に取れそうにないその言葉と、それが持つ意味に思わず身の毛がよだつ。傍らの少女も似たような反応をして見せた。

 

「本戦の戦いはトーナメント形式で行われ、一回戦から七回戦まで勝ち進み、最終的に残った一人だけに聖杯が与えられる。つまり予選を突破した百二十八人のマスターたちが毎週殺し合い、最後の一人になるまで戦い続けるのだ。非常に分かり易かろう。どんな愚鈍な頭でも理解可能な、実にシンプルなシステムだ。なお、戦いは一回戦ごとに七日間で行われる」

「……」

 

 絶句する。内容に衝撃を受けたのにはもちろんだが、それ以上にそんな内容を微笑を浮かべながら語るこの男に戦慄する。先ほど人間味を感じない、といっていたがその原因はこの男がNPCだから、ではなく、この男の命に対する無気力感によるものだったのだ。

 

 ……戦うって、どうやって戦うつもりなんだ、と震える全身を抑えて声を絞り出す。

 

「君にはサーヴァントとの契約によって強靭な剣が与えられただろう」

 

 サーヴァント……? そんなものは与えられていない。もしや先ほど貰った端末なのだろうか。しかしどう見ても剣には、というか武器にすらなりそうにない。

 

「いるではないか、隣りに」

 

 隣り、というのはもしや……。

 

「……」「……」

 

 同じように、『隣り』を見た少女と目が合い、二人そろって瞬かせる。いや、まさか……と淡い期待を込めてニヤついた笑みでこちらを見る神父へと、視線を移す。

 

「他に誰が君の隣りにいる」

 

 そして淡い期待はシャボンのように弾ける。どういうことだ、と問い詰めようとするが、

 

「どういうことですか! 何故そんなことに……!」

 

 自分よりも早く、少女が椅子を押しのけて立ち上がり、机を平手で叩いていた。

 たしかに、いきなり知らない人間の従者だと言われれば、彼女が怒り心頭なのも十分納得だ。そしてそれが自分も彼女も、知らないうちに勝手にされていたとなればなおさらだろう。だからその視線をこちらに向けないでほしい。鋭すぎて心が痛いです。

 

「元々、サーヴァントとはこの聖杯戦争でマスターの手となり足となり、また剣となり盾となる、過去の英霊のことだったのだが……。いかんせん、事情が事情でな」

「どういう事情ですか!」

「なに、元々君はムーンセルにとっては異分子だ。それ故に君の存在はムーンセルにも、そして君自身にも負荷をかけていた。あの頭痛がそれだ、身に覚えがあるだろう」

「……ッ!」

 

 神父の言うとおり、覚えがあるのか、両手を握りしめて怒りをこらえ、再び椅子に腰を落ち着け薄ら笑いを浮かべた神父を恨めしそうに睨みつける。

 

「そしてムーンセルはその異分子をどうにかするために、サーヴァントの枠組みにはめ最適化したのだよ。サーヴァントには七つのクラスがある。騎士(セイバー)槍兵(ランサー)弓兵(アーチャー)騎兵(ライダー)魔術師(キャスター)暗殺者(アサシン)狂戦士(バーサーカー)。君はそのうちの一つ、アサシンのクラスになったのだ」

「アサシン……」

「兎に角、君は彼と契約を結ぶことで酸素を得ている状態だ。彼が居なければ君は再び酸欠状態に陥り、次は頭痛どころか体すら維持できず崩壊するだけだ。長生きをしたいのであれば、彼に従うしかあるまい」

 

 告げられた神父の言葉に少女は項垂れる。肩まで伸びた髪が垂れて表情は見れないが、おそらく屈辱に顔を染めているだろう。大丈夫か、と声をかけるが、それに応える余裕すらないのか沈黙が返ってくる。

 

「最後に、記憶に関する質問だったな」

 

 記憶。そう、自分の失くした記憶。歩んできた道しるべ。それが無ければ、自分は先へ進むことすらできやしないのだ。だから――。

 

「それに関してだが確認したところ、一切の不備はなかった。だから君は元々その状態――記憶など、端からない」

 

 一瞬、言われたことが理解できなかった。

 元々この状態? 

 なら自分はそもそも戦う理由などなかったのか? 

 なら何で、こんな場所にいるんだ?

 なんで記憶を持たない人間がこんなところにいるんだ?

 

「分かっていることはただ一つ、君が岸波白野という名前の東洋人であることだけだ」

 

 それだけ言って話は済んだと言わんばかりに神父は自分たちを尻目に扉へ向かっていく。

 

「それと、言い忘れていたが本戦参加者には特典として個室がプレゼントされているはずだ。2-Bの教室に端末を当てればいい」

 

 それを最後に神父は消えた。後に残されたのは項垂れる少女と、放心状態の自分。

 広い職員室には他に人はおらず、驚くほど静かで、いまの自分たちにはちょうど良かった。悔しいことに神父は神父なりに自分たちに気を使ったのだ。

 

 

 ……あの神父は確かにこちらに答えを提示してくれた。しかしその代わりに、自分たちは先ほど以上に厄介な問題を置いて行かれた。これからのことを思うと、不安にならざるを得ない。

 

 しかし、それ以上に自分たちは、互いに互いを知り合う必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……君の名前は。

 

 ……式。両儀、式。あなたは……?

 

 ……岸波、白野。

 

 それから三十分後、自分たちはようやく立ち直り、互いの名を交わした。

 

 




主人公の原作より輪をかけてひどい記憶とか、式の口調とかの伏線暴きは次話でやります。

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