赤蜥蜴と黒髪姫   作:夏期の種

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第78話「真実の鏡」

 父は初代魔王に比肩する魔力に加え、神滅具さえも備えて誕生した俺を憎んでいた。

 何せ純血の最上位悪魔として誕生した自分は祖父の足元にも及ばない二流。初代と比べるのもおこがましい力しか備えていないというのに、混ざり物の息子は常識外の怪物だ。

 当時は虐待の理由に検討も付かなかったが、成長した今なら聞かずとも分かる。

 あれは劣等感から来る負の感情の発現。戯れで人間に産ませた玩具が創造主を凌駕する異常事態を認められず、自尊心を満たす為にどうしても必要な代償行為だったのだろう。

 

「悪魔の城を見ると、色々なことを思い出す」

 

 対して母は優しかった。そして、純粋に俺を愛してくれた。

 あの人にとっての息子とは悪魔に弄ばれた忌まわしい記憶の結晶だった筈なのに、虐待を受ける俺を、何度も、何度も、庇おうと必死に懇願し続けた姿は今も瞼の奥に焼きついて離れない大切な記憶だ。

 もっとも唯の人間が魔王の直系に抗える筈も無く、無駄な行為だったのかもしれない。

 しかし、それでも俺は救われたんだ。

 父の目を盗んで作ってくれた、塩と胡椒だけの粗末なパスタはこの世で一番美味かった。

 頭を撫でられるだけで、どんな暴力も受け流せる心の平穏を得られた。

 あの人さえ居れば、俺はそれだけで満足だった。

 

「……母さん」

 

 変わらぬ日々が続いたある日、恒例の暴力を振るい終えた父は唐突に言った。

 やはり人間は汚らわしい。あの女は昨夜の内に処分した、と。

 その言葉を聞いた瞬間、俺は檻の世界を捨て去る覚悟を決めた。

 元より強者たる俺にとって、外の世界を一人で生き抜くことは容易い。

 にも関わらず監獄に留まり続けたのは、守るべき存在が居たからだ。

 俺が抵抗すれば、代わりに母が殴られる。

 俺が出奔すれば、腹いせに母が殺される。

 そう思えばこそ、生贄の羊としての役割を甘んじて受け入れていた俺だ。

 繋ぎ止めていた枷を外してくれるなら、こんな場所に留まって堪るか。

 今は尻尾を巻いて逃げるが、他の世界で力を蓄えた後は覚悟しろ。

 俺から太陽を奪った罪は絶対に忘れない。何時か必ず貴様の命で償わせてやる。

 心に復讐の炎を灯した俺が向かった先は悪魔の目が届かず、隠れ住むに易い人間界の欧州と呼ばれる地域だった。

 しかし短絡的に選んだだけの道行きは、結果的に最適解だったらしい。

 紆余曲折の末に出会った男の名はアザゼル。

 今の俺を形作る上で欠かせない、憧憬を抱くに相応しい大人だったのだから。

 

「行くぞアルビオン。魔王直系の力を図る意味も兼ね、一気に攻めるぞ」

『つまり、ルシファー城攻略の前哨戦だと?』

「そうだ」

『当時の私は見ていることしか出来ず、歯痒い思いをしていた。しかし、今や我ら二人で一つの白龍皇。母君の時と同じ轍を踏まぬ為にも、全身全霊で力を貸そう。いよいよなれば、封じたアレさえ解き放つ覚悟は出来ている!』

 

 無力で弱かった少年は、結局のところ何も出来なかった。

 しかし僅かなりとも成長した今なら、違う未来に辿り付くことも可能だと思う。

 まだまだガキと笑われようと、知ったことか。

 禁手、覇龍、魔法、体術、貪欲に鍛錬を続けて流した汗は、全てこの日の為の布石。

 二度と虐げられない為、神も悪魔も食い千切る鋭い牙はこの身に宿っている。

 

『ううっ……最近のヴァーリは控えめに言ってキチガイ枠で、脳に損傷を負った疑念を払えなかったアルビオンさんです。いやはや、調子を取り戻してくれたなら一安心。やはり我が主はピカレスクですよ。これを機に変態共との縁はきっぱり断ち切って―――』

「無理だ。既に第二回エロス選手権に、暫定王者としての参加が内定している」

『えっ?』

「俺はどんな戦いからも逃げない。爰乃も玉座も、何一つ譲らん」

『ふ、懐が広くなったと喜ぶべきか、それとも妙な遊びを覚えたと嘆くべきか……どんなコメントを返せば改心してくれるのか分からないよドライグ君っ! 僕はどうすればいいの!?』

 

 うーむ、最近のアルビオンは幼児退行気味気味の情緒不安定で困る。

 常用しているドラゴン用精神安定剤は、果たして本当に効いているのだろうか。

 まさか医者の誤診? ぼちぼちセカンドオピニオンを考慮して、別の診療所を探すべきか……?。

 

「む、屋上は無人か。城内に突入する必要が在るな」

『おういえー! れっつぱーりー!』

 

 母さん、俺は貴方を守ることが出来ませんでした。

 ですが、もう二度と同じ後悔は繰り返しません。

 生涯得られると思っていなかった、同じくらい大切な人を今度こそ救います。

 それが俺の償い。墓前に捧げる花束です。

 

「爰乃、アザゼル、ついでのおまけでジャンヌにも敵意を向ける奴らは全員殺す。俺の身内に手を出す意味を、この機会に冥界全土へ知らしめてやる」

 

 愚かにも逆鱗に触れた悪魔を抹消すべく、俺はテラスから場内に踏み込むのだった。

 

 

 

 

 

 第七十八話「真実の鏡」

 

 

 

 

 

 どうせヴァーリは事情を知る役者の一人。別に慌てて合流する必要も無いと判断した私は、試合の趨勢が決まった時点でシャルバさんの要求に従い席を立っていた。

 家主に誘われ向かった先は、大きな姿見の設置された更衣室でした。

 過程は兎も角、勝負は引き分け。つまり双方とも予測を外した共倒れ。

 個人的にはノーゲームで流したい結果ですが、腐ってもこれは悪魔と交わした正式な契約です。

 引き分け時のルールを定めていない以上、見るべきは結果のみ。

 つまり私も負けなら、シャルバさんも負け。

 私は被写体になり、シャルバさんはお土産を渡して決着となった訳でして。

 

「痛み分けで済んだと喜ぼう」

 

 私が自虐する理由は、内容的に読み負けたことに起因する。

 始めにエンターテイメントと宣言されているにも関わらず、ついつい真っ当な一騎打ちと勘違いしたのが最初の躓き。

 見世物なら台本があって当たり前。大番狂わせこそ数字を取る上の鉄則だというのに ”単純に強い方が勝つ” と言う価値観に縛られてしまった。

 

「……愚痴を零す前に、契約を履行しないと」

 

 悪いのは、与えられたヒントを読み解けなかった私。

 どうせ引き分けも温情措置です。

 だってヴァーリがジャンヌちゃんを巻き込むメリットが無い以上、最後の爆発オチはシャルバさんなりの気遣いと考えなければ腑に落ちません。

 そんな優しさに報いられるとすれば、黙って着せ替え人形の役割を果たすことだけ。

 幸いと言うべきか、渡されたメイド服はフェニックス家の物に似た実用性重視のデザインです。

 イッセー君好みの胸元を過度に強調するあざとさは無く、スカート丈も膝まで伸びる安心の防御力。布地は上質且つ縫製も丁寧で、間接の挙動を阻害しない様に調整された肩口等は個人的に好印象さえ受けます。

 

「これなら濡れた学校指定水着や、ステッキを強要される魔王少女のコスプレに比べれば普通―――って、メイド服は十分異常だから! 落ち着こうよ香千屋爰乃さん!」

 

 あれ、ひょっとしてSAN値の基準値が下降線を辿ってる?

 そそそそ、そんなことある訳がっ。

 だって私は何処にでも居る、ちょっと腕っ節の立つ平凡な女子高生。

 女の子のことしか頭に無いイッセー君や、病的な忠誠心が怖い弦さん。一般常識皆無で俺ルール主義者のヴァーリ&アン等々、頭おかしい組とは無縁の良識枠です。

 今の私は多発する巻き込まれ型イベントの影響で、ほんの少し心が疲れているだけ。

 け、決して色物に染められた訳じゃありませんよ? 違いますからね?

 

「……無心です、無心」

 

 余計なことは頭の片隅に追いやり、サイズが合わず無理やり着込んでいた借り物の衣装を上から順に脱ぎ脱ぎ。

 上着から解放されて感じるのは爽快感。潰され気味に圧迫されていた胸周りなので、地味に呼吸が辛かったのは内緒です。

 続いて腰周りが若干厳しかったスカートをストンと落とし、自由な下着姿になったところで強張った体をほぐすべくストレッチを開始。

 全般的な凝りが気持ち緩和される頃には、私の腹もやっと据わりました。

 先ずはベースのワンピースから片付けようと意気込むも、何やら外が騒がしい。

 これは複数人が揉める声かな?

 トラブルはお腹一杯な私は反射的に警戒レベルを上げ、回避重視の半身の構えを取る。

 だけど着替えは勿論、退路確保の窓際移動も間に合わない。

 間髪居れずに響いた耳障りな音は、ドアノブが力任せに回された悲鳴。

 完全なる後手、それが私の置かれた状況でした。

 

「爰乃、無事かっ!」

「はい?」

 

 しかし、私の警戒心は直ぐに霧散する。

 何故なら力強く扉を開け放ち、乙女の聖域へと侵入して来た賊の正体は身内です。

 しかも何を勘違いしているやら、警戒色全開の禁手姿って何ですか。

 彼は困惑して首を傾げる私を尻目にズカズカと歩み寄ってくると、乙女のあられもない姿を堂々と凝視しながらシリアス声で言った。

 

「良し、怪我は無いな?」

「み、見ての通り玉のお肌ですが」

「薬物の投与は? 何か口にした物は? 魔術による呪いは?」

「クッキーとお茶……じゃなくて、先ずは説明を簡潔にお願い」

「ん?」

「はい?」

 

 この盛大な食い違いは何ですか?。

 

「……前提条件の確認だが、お前はシャルバに拉致監禁されていたのでは?」

「違います。ジャンヌちゃんの口添えがあったにしろ、彼は極めて紳士的に私を保護してくれた恩人です。と言うか、何でそんな話になっているの?」

 

 ぴっと人差し指を立てて断言した私を見たヴァーリは、自らの勘違いに気付いたのだと思う。

 鎧を解除して脱力し、額に手を当て天を仰ぐ姿は混乱する子供のそれ。

 安堵、怒り、羞恥、心中に渦巻く感情の色が、外から見ても良く分かります。

 

「……詐欺師に騙された」

 

 搾り出すような声で語られた事情を聞き、大方の事情は理解しましたよ。

 状況証拠的にシャルバさん関与の可能性も無し。

 つまり私が無駄な深読みで気落ちしたのも、あられもない姿を現在進行形で見られているのも、全ては諸悪の根源なジャンヌちゃんの責任ですか。

 あの子は後で絞めよう。そう、物理的に頚椎をギュっと。

 拳を握り締めた私は、部屋の外から何事かと覗き込むメイドさん達に慌てて謝罪。

 目を瞑らせたヴァーリを側に置き、急いで着替えを再開していた。

 

「ヴァーリの過失は殆どゼロだから怒らないけど、覗きは絶対ダメだからね?」

「……すまん」

「反省しているなら、もう少しその状態をキープ」

 

 他人に見られるなら、隙の無い完璧な姿を目指すのが私のポリシーです。

 姿見の前に立って目を凝らし、服装の乱れを最終チェックっと。

 前面良し。背面は……あ、エプロンの結び目が少し汚いから修正が必要ですね。

 うん、これでオールクリア。

 最後に絹の手袋を嵌め頭にホワイトブリムを身につければ、立派なメイドさんの出来上がり。どうぞご覧あれ。

 

「はい、目を開けて良し。お疲れ様です、ご主人様♪」

 

 茶目っ気を出した私はスカートの裾を握り、それっぽいポーズを取ってみる。

 続いてスカートをふわりと浮かせ、くるっと一回転。自分では笑われない程度に着こなせたとの自負はあるけど、やはり写真と言う半永久的な媒体に残されるのは怖い。

 第三者から見た修正点があれば、今の内に意見を述べて欲しいところです。

 

「はい、お色直しを終えた私にコメントをお願いします」

「モノトーン調の装いが、爰乃の黒髪に良く映えている」

「ふむふむ」

「全体的に女性らしい柔らかなラインをアピールしつつ、醸し出される淑やかさが高得点。普段の和装とも甲乙付け難い、魅力的な格好だと思う」

「一言で言うと?」

「似合っている。大変可愛らしい……が、仕えた主から隷属の言葉を聞いて、兵士の駒としての内心は複雑だ。正直、メイドで王な存在の取り扱いが分からん」

「そこで難しく考えちゃうのが、ヴァーリの弱点だよね」

「……対人スキルは苦手なんだ」

 

 不貞腐れ、顔を背けるヴァーリが初々しくて可愛い。

 でも君は私と大差無い年齢の男の子ですよ?。

 その素直さは美徳かもしれませんが、もう少し精神的な成長を目指して下さいね。

 

「では助け舟代わりに、可愛いメイドさんがオーダーを与えちゃいます」

「使用人風情に命令されるとか、新鮮過ぎて咽る」

「ご主人様、ロールプレイは大切ですよ?」

「はいはい、何なりとお申し付けを」

「先ずは大きな騒ぎになる前に移動です。お供をして下さい」

「承りましたお嬢様。事情は尋ねませんので、地の果てまでお連れください」

 

 迎えの馬車ならぬドラゴンが到着した以上、他所様の家に長居は無用です。

 事情を知らずに心配しているお爺様達、そして私の可愛い眷属たち。皆を安心させる為にも、さくっと義務を果たして早くお家に帰りましょうか。

 

「あ、言い忘れてたことが」

 

 一歩だけ先導していた私が不意に足を止めぴっと指を立てる仕草を見せると、ヴァーリは露骨に ”まだ責められるのか” と眉を潜めて不幸街道まっしぐら。

 だけどそれは、大いなる勘違い。

 背中で手を組み、腰を曲げた上目遣いで振り向いた私が浮かべるのは心からの笑顔です。

 

「心配させて御免なさい。そして、駆けつけてくれてありがとう。本当に嬉しかった」

「眷属として、当然の義務を果たしただけのこと。余計な気遣いは不要だ」

「では私も、王としての責務を果たさないとですね」

「む?」

「ゲームにおける一番槍、誰よりも先に窮地の王の下へ馳せ参じた忠義。これらの功に対し、相応しい褒章を与える義務が私には在ると思いませんか?」

「……それを言われると弱い」

「と言うことで、素直に私の気持ちを受け取るように。これは王命ですよ?」

「命令なら仕方がない。何か強請る物を考えておくさ」

「宜しい」

 

 さて、言ってしまったからには引き返せない。

 一人だけ特別扱いを出来ない以上、他の眷属へのご褒美も考えないとですね。

 幸いレイヴェルのお陰で冥界滞在費も浮き、懐事情に余裕はあります。

 どーんと奮発して、皆に喜んで貰えるように頑張ろう。

 

「それでは気を取り直し、参りましょうかご主人様」

 

 踵を返した私は一念発起して王子様の手を取り、ぎゅっと握り締めるのだった。


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