オラリオに来て四日目の早朝。市壁の上に場所を移して鍛錬を終えた後、宿の入り口にてリリを待つ。しかし気分はあまりよくない。
昨日、リリとの別れ際に子どものように大声で朝食に誘った(流石に後で恥ずかしくなった)のだが、リリの返事がなかったので不安なのだ。
それ以前にお節介が過ぎたかもしれない。迷惑だったかもしれないと、昨日自分のやったことを考えて少し不安だった。
―――でも、杞憂に終わりそうで良かった。
視界の遠くにクリーム色のフードを被った小さい姿が見える。一つ胸を撫で下ろし、中で彼女を待つことにした。
昨日と同じく、リリは宿まで赴いてきて中に入ってきた。鎧と戦闘槌は持っていない。来て早々、リリはフードを外して頭を下げる。
「昨日はすみませんでした。リリの用事で夕食が一緒に出来ず………。それと、調子に乗って随分と酷いことを言ってしまいました。それも合わせて」
ずい、とバックパックの中から取り出した袋を座っていた机に置いた。
「これは?」
「ノームの宝石です。丁度、ベル様から盗んでしまった額と同じくらいあります。リリからのお礼と謝罪です」
「あの、リリ。………あのお金は、僕はあげるって言ったよね」
「言いました。ですから、リリも無駄遣いしてしまったベル様に差し上げます」
「なんだか、その言い方だとダメ男みたいなんだけど………」
これは一本取られたと思った。同じように総額90万ヴァリスのプレゼントをしたのは何処の誰だったか。しかし、押し返せない。リリから不動の思いを感じてしまった。これは受け取らざるを得ないと、渋々受け取ってリリを椅子に座らせる。
「ごめんなさい。リリはベル様にまた酷いことを言いましたか?」
「いや、それはいいんだけどね。………でも、本当に良いの? お金、要るんでしょ?」
「それはそうなんですが。………リリの気が収まらないというか。ベル様に与えられてばかりで、情けなくなってくるというか。なんというか、その。サポーター、みたいで………」
「あー、そうかー」
なんとなくリリの言わんとすることを理解する。昨日実際にサポーターをしてみて分かったことだが、幾ら冒険者である自分にその意識がないと言っても、サポーターをやっている者は惨めな気持ちになる。
もしかすると他の所では昨日や一昨日のように取り分をサポーターと冒険者で半々に山分け、ということはないのかもしれない。ソロでやっている人は少ないだろうから、もっと取り分を決める際は難しいのだろう。サポーターは楽をしている、と見られてもおかしくない。リリはそのサポーターの負の面を自分自身に重ねたのだ。
しかし、リリからこうして
「あの、リリの顔に何かついてますか?」
「いや、別に?」
「???」
なに、リリを助ける口実を思いついただけだ。
変なベル様、とリリが笑う。少しだけその屈託のない笑顔に、自分は間違ってなかったと実感した。
今日の朝食はコーンポタージュスープだ。コーンがトロリとしたスープはコクがあり、美味しいの一言。主食にあたるパンもガーリックバターで味付けされているため、スープと合わせて食べるとお腹にガツンとくる。腹持ちも良さそうだ。
昨日の振る舞いに少し卑屈になっている様子だったのでフォローする。
「いや、昨日のリリはすごかったよ。思わず見惚れちゃった」
「もう、そんな風にリリを揶揄わないでください!」
「ホントホント。なんていうか、こう、攻撃の嵐みたいな感じで!」
世辞ではなく、正直な気持ちである。しかし、当人には伝わっていないのが残念で仕方ない。
小柄な彼女が己の体重以上もある巨槌を果敢に操る様は見惚れた。まるで異世界の知識に見た『ゲームのキャラクター』のようで格好いいと思ったのだ。
世辞のように受け取られているが、本人も満更ではなさそうで、髪の毛から覗いている耳の先が赤くなっている。
「………でも、そうだとしたら全部ベル様のお蔭です。本当に、ありがとうございます」
「う、うん………」
そんなことはないと言いたかったが、言えなかった。リリが嬉しそうに微笑む。リリが年上だと一方的に知っているからだろうか。少しだけ大人っぽい仕草に目が行ってしまい、ドギマギとしてしまう。
「さ、冷めちゃわないうちに食べよっか! ね!」
「え、えぇ………。なんだか、今日のベル様は一段と変ですよ?」
「………気にしないで」
少しだけ驚かせてしまったが、その原因を作った本人はきっと無自覚だ。年下の身としては困ったものである。
調子を取り戻して、談笑しつつ手を口を動かしていく。
少しだけ残したパンで、残ったスープを拭い、皿の内側には一滴も残さない。少しだけ粗野な感じだが、リリも同じようで、綺麗に食べられている。それだけ美味しかった。
「じゃ、今日も一日よろしくね」
「はい、ベル様!」
初日とは幾分か違う声色に、思い付きを実行するための気合が入った。
Ξ-Ξ-Ξ-Ξ
ダンジョン17階層。
「じゃ、今日はこの辺にしようか」
「え、でも、これだけしか………」
バックパックの中身を見せる。まったくと言って良いほど、今日は魔石やドロップアイテムを集めれていない。自分が稼いだくらいしかないのだ。この人であればもっと稼げるはずなのに。
ベルは来た道を戻る。少し不思議に思いながらも、そのあとをついていった。
案の定だ。合計7万5200ヴァリス。魔物を倒す速さは自分と比べてもおそろしく速かったが、稼ぐ額自体に変わりない。
「それじゃ、リリ。また明日」
「え、あの。ベル様、夕食は?」
「あ、一人で食べて。ちょっと用事があるんだ」
「………そう、ですか」
寂しいとつい思ってしまったのは、ぬるま湯に浸かってしまった証拠だ。ダメだダメだ。慣れてしまっては駄目なのだと自分を戒める。あと三日もすれば別れてしまう人なのだから。
「………もしかして一人で食べるのが寂しかったりする?」
「そんなことは、………ありません」
「ホントごめん! どうしても今日は駄目なんだよ………。リリが悲しいのはわかるけど」
「リリは悲しくなんてありませんっ!! ベル様のばか!」
「あははは。冗談だよ、冗談。でも、ホントにごめん。今日は一緒にできないや。必ず埋め合わせするから」
「は、はい………」
―――真剣な表情にドキッとしたのは、気のせいです。ええ、気のせい。
背中を向けてベルは離れていく。つい追いかけたくなってしまって、手が伸びた。まるで子どものようだ、と情けなくなる。
「あぁ、リリ。もし、もしだけど。【ファミリア】から抜けれたらどうしたい?」
「え、あの、それはどういった意図で?」
急に振り向かれ、伸ばしていた手を慌てて膝におく。はぐらかすには少し失敗したかもしれない。
「いや、どうしたいのかなって。もしなかったら、考えておくといいよ? 一生懸命だった時ほど、人は燃え尽き症候群ってのになりやすいらしいから」
「は、はぁ………」
なんだかよくわからないことを言って今度こそ、ベルはこの場から去って行った。
一人寂しく食事をした翌日。ベルの宿まで向かう。
「え………ベル様帰って来られてないんですか?」
自分の顔を覚えていたらしい宿の主人曰く、ベルは昨日から帰ってきていないらしい。それで今日は朝食を作っていないそうだ。ダンジョンで死んだのか、と不謹慎なことを聞かれたが「まず有り得ない事です」と否定して、宿を後にした。
あの人が約束を反故にすることは無いはずだ。そう思ってベルと訪れた場所をそれとなく訪ねてまわる。
バベル前、ギルド前、市壁の上に行ってみて、女神が売り子をしていたジャガ丸くんの屋台にも遠目で見て居ないことを確認する。
何処に行ったのだろうか、と立ち止まると、まるで自分が迷子のようだと気が付いた。甘ったれてしまって、本当に子どものようだ。ベルに10歳くらいのお子様だと言われても否定できない。
「はぁ………ダメダメですね。リリは」
「何が駄目なの、リリ?」
「わっ!? え、ベル様!? なんで!?」
耳触りの良い優しい声だ。ベルの声だ。自分を甘やかして―――………だめだ。これはいけない。
ベルはいつもの格好で、手にはジャガ丸くんの匂いがする袋を持っていた。ベルのことだ。あの屋台で買ったのだろう。丁度すれ違いになっていたのかもしれない。
「リリの姿が見えたから。あれ、リリも何か用事があった? 帰ったら宿に居なくて心配したよ?」
「い、いえ………。ベル様があの宿に居なかったので………」
「あ、もしかして探してくれてたの?」
「………はい」
恥ずかしくて、被っていたフードを深く被る。目元しか隠せず、赤くなった顔は見られているだろう。
「………そっか。ごめんね、何も言わなくて。実は僕もリリを探してたんだ。昨日の野暮用で帰るのが今日になっちゃって。帰ってみたらリリが居なかったから。でも、ほら。ちゃんと帰ってきたから。安心していいよ」
「べ、別にリリはベル様のことなんか心配してないです………」
流石に嘘を吐くのが下手過ぎた。ベルにもわかるような嘘の吐き方をしてしまった。
「それはちょっと悲しいかなぁ………僕は心配したんだけど。リリは心配してくれないの?」
「………もぅ」
頭を撫でられてしまい、何も言えなくなってしまった。そうやって自分を甘やかして笑うベルが憎い。数日で別れてしまうと知っているから、余計に。
―――この感情に名前を付けるなら、なんになるんだろう。
ベルに「はい、朝食と昼食」と言って手渡された袋からジャガ丸くんを一つ取り出して、残りをリリはバックパックに仕舞った。ダンジョンに行くため歩き出したベルにリリは疑問を抱えてついて行く。
早鐘を打つリリの心臓は、リリが知らないときめきにも似た感情を如実に表していた。
少しだけ、忌まわしいあの酒の匂いがした。