紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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二十六話

「副鬼道長、こちらです」

「ああ、分かった」

 

 かつて通っていた学び舎に赴くのは、鬼道衆副鬼道長・柊紫音。

 桜と共に木漏れ日が窓から差し込んでくる季節に、彼は鬼道を教える講師としてやって来ていた。

 度々、護廷十三隊から霊術院へ席官を送り、死神としての心構えを話す機会を設けている。護廷隊の席官―――しいて言えば、隊長格クラスになると院生からは現世でいう一流芸能人の扱いだ。

 それは一年に二度訪れる鬼道衆が受け持つ鬼道実習においても同じ。副鬼道長の紫音は、古巣に返って院生たちに羨望の眼差しを向けられることに一種の快感を覚えていた。だが、恩師と比べればまだまだ小童である自分の実力を鑑みれば、現を抜かしている場合ではない。

 

 ならば、大鬼道長を講師として呼べばいいのでは?

 しかし、組織の長たる者はスケジュールがみっしりと詰まっており、こうして霊術院に赴く事さえも敵わないのが現状だ―――というのは建前。大鬼道長の訛りが酷すぎて院生が話を聞きとれない&彼女の日常でのポンコツ具合が祟って、霊術院にやって来ても何かやらかして鬼道衆に対しての悪い印象を抱かせるかもしれないという鬼道衆全員の危惧が、主だった理由である。

 只でさえ人気を護廷隊に盗られているのだ。失態をまざまざと見せつけ、人員が向こうに割かれるのは真っ当御免である。

 

(今頃、『わや―――ッ!』とでも叫んでいるのだろうな……)

 

 どこかから『くしゅん!』とくしゃみする声が聞こえてきた気がする。

 それは兎も角、紫音が鬼道実習を受け持つようになってから、五年以上経った。毎度やって来るのが紫音である為、霊術院生にとって彼が来ることは恒例行事のようになっている。

 将来職場で世話になるやもしれぬ男を見ようと、教室からは院生たちがちょこちょこと顔を覗かせ、その度に紫音を引率してくれている教師が窘め、次々に引っ込ませていく。

 

「今年も元気そうな新入生が多そうですね」

「ええ、これからが楽しみですよ」

「それで私がこれから赴くのは、どの組で?」

「一年第二組ですね。一組の方には、十三番隊の志波海燕殿に来て頂いております」

「ほう、志波海燕殿が」

 

 槍術の指導をしてくれた海燕が一組に来ているとの情報に、紫音は驚いたような声色で応える。確かに、誰にでも分け隔てなく接するような溌剌した雰囲気は、院生を必要以上に緊張させることはない。しかれども、決める時は決める男。これからの霊術院生活、鍛錬を怠ることなく精進するよう告げる時は真剣な面持ちで語るだろう。

 一方、紫音はそこまでメリハリがつくような人間ではない。常に余裕ぶった笑みを浮かべて、特に深いことも考えてなさそうに飄々とした口調で話す男だ。五年前から続けているように、抑揚のない口調で無難な言葉を並べるのだろうと、自分で自分のことを推察する。

 

(まあ、鬼道の手本を教えてみせるだけなのだから、それほどまでに話すことも多くないだろう)

「では、柊副鬼道長殿。そろそろ演習場に着きますので……」

「相分かった」

 

 担当教師の言葉を受けて、身なりを整えるべく襟を掴んで、一度勢いよく鬼道衆の紋が刻まれている羽織を羽織り直す。紋に皺が付いたまま院生の前に出れば、流石に恰好がつかないだろう。

 

(さて……どれどれ―――)

 

 薄暗い廊下から演習場に入れば、正座して待機している院生たちが一斉に紫音に向けてお辞儀する。

 だがただ一人、呆けていたのか、お辞儀もせずにポーッと日和見に徹している女子院生が一人。

 

 その姿を見た紫音は、大きく翡翠色の瞳を見開いた。

 

 燦々と降り注ぐ陽の光は、初めて会った時の彼女を彷彿とさせる。

 セミロングの黒髪は、そよ風に揺られてしなやかに靡く。空を仰ぐ紫紺の瞳は、彼女と瓜二つだ。

 パッと見る限り、身長は此方の方が低いか。だが、その凛とした佇まいからはどことない気品が溢れ出している。

 

 

 

 思わず重ねてしまった。初めて会った頃の緋真と。

 

 

 

 そんなことを思いつつ女子院生を凝視していると、その女子院生の隣がハッとしてお辞儀の体勢のまま、膝をポンポンと叩いた。すると自分だけお辞儀していないことに気が付いた女子院生が、瞬く間に顔を紅潮させ、慌てふためきながら首を垂れようとするが、

 

「そこの女子院生」

「は、はいィ!?」

 

 紫音に錫杖の先で差され、ピシッと背筋を伸ばした。

 その慌てふためいた様相に、周りの院生たちはクスクスと小さく笑い始める。クラスの笑い者にされている女子院生はそれを自覚している為か、茹蛸のように耳まで顔を真っ赤に染め上げつつ目を泳がす。

 可愛らしい挙動に、思わずにっこりと笑みを浮かべてしまう紫音。だが、相手からしてみれば自分の行ってしまった無礼に怒っているのだろうと、気が気ではない状態だ。

 

「名は何と申す?」

「はいっ、戌吊ルキアです!」

「ほう……もしや、南流魂街の『戌吊』から来た『ルキア』で、戌吊ルキアか」

「その通りです! はいっ!」

 

 先程の無礼の分を取り戻すべく、必要以上にハキハキとした口調で応答するルキアに、クラスの者の笑いも紫音の笑いも止まらない。

 それは兎も角、重要な情報を訊き出すことができた。霊術院に入る者の比率としては、若干貴族生まれの者に偏っているが、依然として流魂街から赴く者も多い。だが彼らのほとんどは苗字を持っていない。現世と違い、苗字の重要性がない流魂街では長い時の間で自然と忘れ行く者が出てくるのだ。だが、霊術院に入る以上は苗字も必要となる。そこで苗字を有さないほとんどの者は、住んでいた地区の名称を苗字として名乗るのである。

 

 

 

―――戌吊。かつて、緋真が『ルキア』という妹を捨てた場所

 

 

 

「ほうほう……では戌吊ルキア女史。この授業が終わり次第、来賓室に来るように」

「はぃ……!」

 

 説教される。

 念願の死神への第一歩となる、霊術院生活初日。まさかその日に、講師としてやって来た副鬼道長に目を付けられ、説教されることとなろうとは。

 まだ怒られると決まった訳でもないのにも拘わらず、ルキアの目尻にはじんわりと涙が溜まってくる。

 常時ニコニコと微笑んでいる紫音の不気味さが、一層彼女の不安を煽ったのだろう。

 

 勿論、紫音にはそんな腹積もりは一切なかったのだが、第一印象はどうやら悪い方向に向かっているらしい。この時、紫音が笑っている=激怒している、という公式がルキアの中で勝手に作られているのは、言わずとも分かるだろう。

 

 偉い人には怒られそうになり、クラスの者にはおっちょこちょいキャラという印象を植え付けてしまい、最悪な初日の始まりだと言える。

 緋真とは似ても似つかないような死んだ魚のような瞳になるルキアを見届けた紫音は、クスッと一笑してから正座する院生たちを見渡す。

 

「さて……其処の者のお蔭で空気が和んだ所で挨拶するとしよう。私が、鬼道衆副鬼道長の柊紫音だ。若輩ながら、後輩に当たる其方たちの為に鬼道の髄を教授するべく参上した」

 

 シャンッと、錫杖に通る輪を鳴らしたかと思えば、紫音の斬魄刀が露わになる。

 その様に院生たちは『おおっ!』驚いたような声を出し、紫音の手に握られている斬魄刀を凝視し始めた。彼等はまだ新入生。未だ自分自身の斬魄刀を持つことが叶わない者たちだ。

 こうして自身の斬魄刀を有す紫音を羨望の眼差しで見つめるのは、当然と言えば当然のことだろう。

 

「死神を目指すべく霊術院に入ったのだから皆も知っているだろうが、死神は斬拳走鬼と総称される四つの技術を以てして、虚から(プラス)の魂魄を守ることを生業とする」

 

 これは軽い建前だ。

 流魂街から赴く霊力の資質を持つ者の中には、流魂街の厳しい暮らしに堪えかねて死神として瀞霊廷内に住むことを望む者が多い。霊力を持つということは、その分良質な魂を求める虚にとって格好の餌食であるのだから、尚更だろう。

 つまり、死神の具体的な仕事も分からずに死神を志す者も居るということだ。

 そんな者達の為、上澄み程度の仕事内容を語る紫音は、鬼道の詠唱を唱えるかのごとくすらすらと言葉を並べていく。

 

「その内、私が所属する鬼道衆では文字通り、鬼道を極めんとする者達が属する部隊だ。破道に縛道……共に九十九もの術がある鬼道は、戦いにおいて戦略を豊かなものとする。死神と言えば刀……斬術を極める者と思うかもしれぬが、鬼道も立派な死神の技が一つ。個人で得手不得手あるのは承知済みだが、鬼道衆の私としては是非研鑽を重ね、その道を極めて欲しいと願っている」

 

 次の瞬間、紫音は『曲光(きょっこう)』で自身の斬魄刀を覆ってみせた。

 突如として消えた斬魄刀に驚く院生たちの表情に、満足げな笑みを見せてから続ける。

 

「このような呪いのような真似もできるのが鬼道だ。少し話が逸れるが、斬魄刀には様々な種類がある。その所以は、斬魄刀が所有者自身の魂を映し出す鏡である故。よって、斬魄刀の形状や能力も、十人十色のものとなる訳だ。火を操る斬魄刀もあれば、刀身を桜吹雪の如く散らして相手を斬る能力の斬魄刀もある」

 

 鬼道衆が専門とする分野ではないが、オチに繋ぐ為に斬魄刀の説明を続ける。

 

「中には形状が変わるだけで、摩訶不思議な能力を持たざる斬魄刀もあろう……だが、その時に鬼道を極めていたのであれば、斬魄刀の能力にも及ぶ程の芸当を行うことも叶おう―――縛道の六十二・『百歩欄干(ひゃっぽらんかん)』」

 

 すると徐に青空目がけて光の柱を放り投げる紫音。光の柱は瞬く間に分裂する様は、春風に攫われて空を舞う蒲公英の綿毛のようだ。

 そこへすかさず『氷牙征嵐(ひょうがせいらん)』を繰り出す。

 鞘に納めたままの斬魄刀の鋒から放たれる壮絶な冷気は、一瞬にして放り投げた『百歩欄干』の群れを凍てつかせる。

 

「破道の三十一・『赤火砲(しゃっかほう)』」

 

 最後に一つの赤い火球が凍てついた柱の群れに直撃すれば、パリンと甲高い音を鳴らしつつ砕け、霊子と氷が日光を反射しながら鬼道演習場の中庭へと落ちていく。

 眩く日光を反射して落下する氷の結晶という幻想的な光景を作りだした紫音には、院生たちの歓声と拍手が送られる。この程度で鬼道のアピールは済んだことだろう。

 

―――ついでに言えば、ルキアも舞い散る氷の破片に目を奪われているようだ

 

「……さて、話が長くなってしまったが、鬼道は極めれば万能な術であることが少しでも伝わってくれれば良いと思う。それでは長々と正座しているだけも辛かろう。早速、実習らしく皆で鬼道を学ぶとしようか」

 

 

 

 ***

 

 

 

 とは言ったものの、初回の鬼道の授業などは、鬼道を放つ為の基礎中の基礎であることを教え、一桁代の簡単な鬼道を教える程度のことしかしない。

 だが、それでも各個人の得手不得手は目に見えてとれる。

 

 中でも、ルキアは顕著なものだったと言えよう。

 

(鬼道の才で言えば、一組に居てもなんら遜色ないな)

 

 一組が特進学級であるのに対し、二組は現世で言うところの普通科と言ったところか。

 そんな二組に在籍していながらも、ルキアが有す鬼道の才は他生徒よりも目に見えて優れていた。

 どことなく嬉しい気分になりながら紫音が赴くのは、霊術院の一角に存在する来賓室だ。

 流魂街では触れることもないであろうフカフカなソファーに背中を預ければ、ギシギシと機械のようにぎこちない動きで付いてきたルキアに座るよう促す。

 

 これから怒られるのであろうと思っているルキアの表情はどことなく強張っている。

 その容姿が惚れた女に重なってしまうも、彼女はここまで強張った顔を見せたことが無かった為、どこか新鮮な気分で見入ってしまった。

 

「ふぅ……さて」

「ヒィっ!」

「……くっくっく、なにをそんなに怯えている。なにも、とって食おうなどとは思っておらぬさ」

「は、はい……」

 

 声を掛けただけで悲鳴を上げる少女を滑稽に思いつつも、どうにか緊張が解れるように宥める。

 

「それで、戌吊ルキア……だったか。其方、流魂街の出だが親は居るのか?」

「い、いえ……赤子だった私を拾って育ててくれた老人は居りましたが、既に亡くなって……それで十年ほど前から、同年代の者達と共に暮らしておりました」

「成程……では、これからは院生寮での生活か」

「はい。瀞霊廷内に知り合いが居る訳でもありませぬし……寮が妥当だと思いまし、て……はい、そのう……」

 

 落ち着きがなく、そわそわとあちこちを見渡しながら受け答えするルキアに思わず噴き出しそうになるも、寸でのところで堪えつつ頭の中で情報を整理した紫音は、ある判断を下した。

 

 その容姿。

 

 霊力の質。

 

 生い立ち。

 

 全てを鑑みるに、この戌吊ルキアという少女は―――。

 

 

 

 

 

「なあ、戌吊ルキア」

「は、はいっ!?」

「其方に是非、紹介したい者達が居るのだが―――」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ()()蝶の羽搏きが、未来を一つ変えた。

 

 別の軸では叶わなかった邂逅。

 

 故に生まれる喜劇もあれば、生まれる悲劇も存在する。

 

 だがそれは例外なく、更なる未来への大きな(ひずみ)となり、やがては……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






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