どうしても主人公をキンジにして書きたかった。
その一言に尽きると思います。
ジリリリリッ!
仕掛けていた目覚ましが鳴り響き、意識を深い闇から一気に現実へと引き上げる。
「もう、朝かよ……」
眠さからか、気だるげな表情で文句を言うが、文句を言っても仕方がないと重い体を起こし、まだ寝ぼけた頭で寝室を出て、下へと降りていく。
俺が真っ先に向かったのはリビングだった。
「おはようございます。キンジ様」
リビングに着くなり俺を出迎えたのは、シンプルな長袖ロング丈ハイネックのワンピースに、体の前面をほぼ覆い隠す実用性最優先の厚手のエプロンを身に纏った、十九世紀ヨーロッパ風の「いかにも」なメイドスタイルの少女だった。
彼女の名前は、桜井水波。
桜井シリーズ第二世代の調整体だ。
「おはよう。それと、様付けはやめてくれないか?」
どうも様付けは慣れていない。
背中がかゆくなるというかなんというか…とにかく様付けだけは、やめてほしい。
「で、ですが私はメイドですので……」
主に逆らう形となってしまうためか、少々言いづらそうな様子だった。彼女は自分の職に忠実的な面がある。それはいいことなのだろうが、やはり、様付けは慣れん。
「あー、その、なんだ…まあ、慣れてくれ」
まるで少女をいじめているような構図になりつつある現場に、これ以上はと俺は話を切り上げようとすると、
「キンジ、朝から水波ちゃんを困らせてはダメよ」
透き通った声が俺の耳に届く。顔をそちらに向けると、テーブルに座り今時珍しい紙媒体の本を読みながら水波が入れたコーヒーを優雅に楽しむ女性の姿があった。
太陽に照らされて輝く彼女はまるで聖母のようなオーラに包まれていた。
つまりそれは───絶世の美女───時が止まるほどの美しさを具現化したものだ。彼女はロングスカートのワンピースに身を包み長い髪を後ろで編んでいた。
「別に困らせたつもりはない、それと、おはよう、カナ」
「ええ、おはよう、キンジ」
ニッコリと柔らかな笑みを浮かべる彼女。
彼女の名前は遠山カナ。
実は彼女は、俺の兄なのだ。
なぜ姉ではなく、兄なのか。
それは、遠山家、つまり俺の家より代々伝わるある特殊な能力が関わってくる。
その名は、ヒステリア・サヴァン・シンドローム
俺は『ヒステリアモード』と勝手に読んでいるが、この特性を持つ人間は、一定量以上の恋愛時脳内物質βエンドルフィンが分泌されると、それが常人の約30倍もの量の神経伝達物質を媒介し、大脳・小脳・脊髄といった中枢神経系活動を劇的に亢進させる。
その結果、ヒステリアモード時には論理的思考力、判断力、ひいては反射神経までもが飛躍的に向上し、うんたらかんたらがどうたらこうたらで……
まぁ、一言で言うと。
この特性を持つ人間は、性的に興奮すると、一時的にまるで人が変わったようなスーパーモードになれるのだ。
遠山家に代々伝わるヒステリアモードは、性的興奮をトリガーにしている。
そして俺たちのご先祖様、名奉行・遠山の金さんは───もろ肌を脱ぐ事で、性的に興奮できる嗜好を持つ人だったらしい。
つまり、彼は自分の意思でいつでもヒステリアモードになれたのだ。
そして、21世紀。
遠山金一、つまり俺の兄さんも───その金さんのように、いつでもヒステリアモードになれる方法を見つけ出した。
兄さんに備わっていた嗜好は、ご先祖様と同じモノではなかった。
しかし、異性を必要とせず、自らの意思で自分を性的に興奮させらるものだった。
つまり、それは───絶世の美人に、化けること───!
そんなこんなで俺の姉ではなく、兄であるのだ。
「ほら、キンジもさっさと席に座りなさい。せっかくキンジのために水波ちゃんが愛情込めて作ってくれたんだから」
「なっ!?」
「あ、あの、決してそのようなことは……」
雪のように白い頬をやや朱に染めて水波が恥ずかしげにボソリと呟いた。かくいう俺も、顔が熱い。
「ふふっ、冗談よ。ほら、食べましょう」
俺たちの反応が面白かったのか、カナはクスクスと淑女を描いたような笑みで笑っていた。
ったく、カナめ。
睨みつけるようにカナを見るが、当の本人は気にした様子はなく、再び本に目線を戻していた。
チラリと横目で水波に目を向けると、水波と目が合った。
サッとお互い視線を逸らす。
……気まずい。
くっそ、と実に変な空気の状態でカナの横に座る。水波も、俺の真正面に腰を下ろした。
また目が合った。
そしてお互いサッと目をそらす。
何か隣でカナが笑ってる気がするが、気にするな、気にしたら負けだぞ俺。
自分に語り掛けるように呟き、俺は目の前のテーブルに並べられた朝食に手を付けた。
───美味い。
相変わらずの料理上手である。
「ホント、美味しいわね」
カナもどうやら同じことを思っていたらしい。
俺も思わずああ、と頷いた。
実はこの桜井水波という少女はプロのメイドなのだ。料理の腕前は一級品。
それに今の時代、ホーム・オートメーション・ロボット(HAR/ハル)と呼ばれるものが普及している。そのためそれが普及している先進国では、台所に立つ女性は───無論男性も───どちらかといえば少数になっている。本格的な料理ならともかくコーヒーやパン程度のものであれば、自分の手を使う者は、趣味でもなければほとんどいない。水波はその少数派に属してる。
前に一度趣味なのかと聞いたら拗ねた顔で睨まれたのは記憶に新しい。
兎に角、水波は家事万能メイドなのだ。
朝食を済ませた俺は、いったん自室に戻りクローゼットを開けて真新しい制服を手に取った。
国立魔法大学付属第一高校。
それが三年間俺が通うことになった高校だ。
毎年、国立魔法大学へ最も多くの卒業生を送り込んでいる高等魔法教育機関として知られているが、俺は正直面倒な学校だと思っている。
ブレザーのある部分を見ながら、俺はうんざりとしたため息をついた。
一科生と二科生、またはブルームとウィードと呼ばれるものがこの学校には存在する。
簡単に言えば、実力があるのが一科生、ないのが二科生。
そして俺は……
ブレザーに袖を通して、部屋にある鏡に自身の姿を映す。
「それにしても、面倒な制度よねぇ…」
いつの間にか俺の部屋に入ってきたカナが、八枚の花弁をデザインした第一高校のエンブレムがついていない俺のブレザーを神妙な顔で眺めた。
「まあ、貴方なら一科生の人達にも遅れはとらないでしょうけど」
まるで一科生を鼻で笑うかのようにカナは呟いた。
確かに俺がアレになれば互角に渡り合えるのかもしれない。
正直俺ですら人間じゃないのかもしれないと多々思うことがある…いや、気にしたら負けだ。
それに、アレには絶対になるわけにはいかない。
だから俺はカナに本日二回目のうんざりしたため息をついた。
「別にアレにはなる予定はない…」
「あら、でも、女嫌いは克服しないとダメよ?」
揶揄うような口調だが、これはカナの本心でもあるのだろう。
「勘弁してくれ…」
そんなカナに無理ですと言わんばかりに呟き自室を出た。
(女ってのは恐ろしい生き物なんだよ…)
階段を下りながら俺はそんなことを思っていた。
実はヒステリアモードは、本来誰にも知られてはいけない。特に、女には。
子孫を残すために、男には女を守るときに大なり小なりパワーアップする本能がある。ヒステリアモードはそれが異常に発達したものらしいが、俺の場合、その本能のせいか、それになると女子に対して不思議な心理状態になってしまう欠点がある。
一つには、女子を何が何でも守りたくなってしまう。
困ってる女子・ピンチに陥っている女子を助けるためなら、この力を使い。求められるままに戦ってやりたくなってしまうのだ。
そしてもう一つ、きわめて耐え難いのが───その際、女子に対してキザな行動をとってしまうことだ。
これはヒステリアモードの大体にある「子孫を残すため」の本能が働いて、女にとってこれは魅力的な男を演じてしまうということらしいのだが……ヒステリアモードの俺は、女子に優しく接するわ、誉めるわ、慰めるわ、さり気なく触るわ、ああ、後から思い出すたびに死にたくなるような、恐ろしいジゴロキャラになってしまうのだ。
それでなぜ俺が女嫌いになったかといえば、中学のころまで遡る。
この体質を知った一部の女子が、俺を利用することを覚えやがったのだ
ヤツらは俺をあの手この手のイタズラでヒステリアモードにし、こき使ったのだ。ある者はイジメを受けた復讐の為に俺を使い、ある者はセクハラ教師への制裁をさせたりもした。
つまり俺は……奴らにとっての独善的な『正義の味方』にさせられたのだ。
「キンジ様、そろそろお時間です」
いつの間にか玄関先まで下りていた俺は、水波に促される形で時計を確認した。時刻はちょうど入学式が始まる二時間半前。
学校に行くには豪く早い時間だが、約束をすっぽかしたら彼女に間違いなく殺されるであろう。
考えるだけで思わず身震いする。
俺はそのまま玄関へと向かっていると、
「キンジ様、お待ちください」
水波から待ったがかかる。
クルリと踵を返し彼女の方へと向くと、グイッと彼女は俺に近付いてくる。
思わず後ずさりそうになるが、
「ネクタイが曲がっておられます」
そう言われて思わず足が止まった。
ふわりと彼女からいい匂いがする。
香水のような強い匂いではなく、柔らかく心地いい香りだった。
要するに、女の子の匂い、ということなのだろう。
「はい、これでよろしいか…と……」
上を見上げる形で水波と俺と目が合った。
長いまつ毛に大きな瞳が俺の視線に否応なしに入ってくる。
(か、かわいいな…)
これがいわゆる上目遣いというやつだろうか。
その大きな瞳で見つめられ、俺は思わず吸い込まれそうになる。
「あなた達、いつまで見つめあってるのよ」
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
まるで電撃でも打たれたかのように俺たちは離れた。
咄嗟に視線を向けると、呆れたような顔つきのカナがいつの間にかそこにいた。
「全く、朝からイチャイチャしないで頂戴。どこの新婚夫婦よ」
「だ、誰が新婚夫婦だっ!」
俺は慌てて靴を履き、行ってくると告げて家を出た。
通勤・通学の人波が、停車中の小さな車に次々と、整然と乗り込んでいく。
電車は依然として主要な公共機関であるが、その形態はこの百年で様変わりした。
何十人も収容できる大型車両は、全席指定の、一部の長距離高速輸送以外、使われていない。
キャビネットと呼ばれる。中央管制された二人乗りまたは四人乗りのリニア式小型車両が現代の主流だ。
俺は二人乗りのキャビネットに乗り込み、第一高校前駅まで目指す。
ボケっと景色を眺めること20分。
ようやく駅まで着き、学校までの一本道を歩いていく。
やはり時刻が早いことはあって生徒と遭遇することがほとんどない。
俺はあくびを噛み殺しながら、校門へと向かっていく。
「やっぱりでかいな…」
校門へ近づくなり、大きな校舎が見えてくる。
本棟、実技棟、実験棟の三校舎。
他にも付属建築物があることから、もはや高校というより郊外型の大学キャンパスの趣がある。
「それで、どこにいるんだよアイツら」
まだまばらな生徒しかいないが、俺はキョロキョロしながら付近を歩いていると、見知った声が俺の耳に届く。
「納得いきません!」
「まだ言ってるのか」
そちらを向くと遠目からだが、約束した二人に間違いない。
というか、何か修羅場じゃないのかあれ?
どこか他人事のように呟く俺だが、今からそこに向かわなければならないのか…
いや、ここはいかないべきではないだろうか?
あんな修羅場に突っ込むとか俺はごめんだぜ。
そう思って踵を返そうとしたが、ふいに視線を感じ、はっと顔を上げると、視線の先には遠目からだが誰もを魅了させるような満面の笑顔を向ける美少女と、無表情な少年がこちらに顔を向けていた。
もうばれてるし……
はあ、とガス抜きを一つ入れてから、俺はそちらに向かった。
水波さんマジ天使…