物語などでよく使われる“異世界”“パラレルワールド”“平行世界”。
呼び方は様々在りそれが定義するものも幅広く、類するものは無限に存在する。
そして、それらの全てに共通することは『もし〜なら?』と人が想像した物、ということだ。
あぁ、それっぽいことを言ってるが所詮は創作の話だ。
もしかすれば実体験を基にしたものもあるのかもしれないが、少なくとも俺自身は存在しないものだと思うし、有無の証明云々はその道の人に任せておけばいい。
特に興味無いし。
――ここで問題なのは、有り得ないはずの“それ”があってしまった場合のこと……回りくどい言い方を止めれば、俺は“その”異世界にいる。
それが問題なわけだ。
前提ぶち壊し。
はい、こんにちは皆さん。
俺の名前は氷河才蔵(ヒョウガ サイゾウ)。
親は、“うちは”と“日向”それぞれの宗家から見た内戚と外戚。
即ち一族の“下っ端”扱いの大勢の中の一人から見た孫に中るようだ。
血筋は繋がってるみたいなので一応ギリギリ一族として間違いはない。恐らく。
……はい、NARUTOの世界に転生です。本当に、有り難うございました。
とまぁ、よくありがちな紹介をついカッとなってやってしまったわけだが、そう、転生してしまったのだ。
と言っても特に前世に思うことも無い――わけは無いわけなんだが、
ので、状況の確認に移ろうと思う。
まず、自分の身体。
連呼してるように、転生なのだから当然赤ん坊だ。
一口に転生とか言ったが、この不可思議で理不尽な現象は、そんな簡単に済ませられては堪らない。
動かせない身体。
目は開かず耳も聞こえない。
身を守るはずの皮膚が薄く些細な刺激が痛みを伴う恐怖。
そこかしこで触れる生暖かい感触からとよく分からない液体の中、という状況である。
悲劇は母の体内にいた時から自我はあったことで、転生にあってそれが普通でないのかどうなのかどうなのかは当然判断に困るが、始めは幽閉されて拷問でもされてるのかと思ったものである。
胎内にいる時の記憶があるとか言ってた人の何となくいい話的なことをを聞いたことがあるが、実体験では冗談じゃないし、二度と御免である
もしかしたら赤子に魂だか記憶だけだかが憑依しただとか考えてもきりはないんだろうが、何であれ関係ないしどうでもいい。
やっと身体が動かせるようになってきた程度の現在含め、人としての尊厳が揺らぐことになったが、やっと生まれる事が出来るといういらん試練を乗り越えた身からしたら、この際どこまでも耐えてやろうというものだ。
次、前述した親。
父は、うちは一族の端に名前を連ねていた忍。
とは言え一族の本当に下っ端であり、一応上忍らしいが写輪眼も開眼していない模様。
九尾来襲のときに怪我を負ったため、今は後衛に回っているようだ。
母は、日向一族の分家の分家にあたり、元医療忍者。
この人もまた、形だけ白眼を開眼こそしていれど殆んど適正がなく、それどころか負荷が掛かったのか段々視力が落ちてきていて、活用するまでの事はほぼ出来ないらしい。
二人とも、血は流れているが親兄弟で適正のあった者はなく、限りなく薄くなっているとされた為、結婚同時に改姓して氷河と名乗っている、らしい。
実質的に一族から不要との烙印を押されたのに等しいのではないかとも取れるが、忍びの家の教育としては常なのか子守唄代わりに幼子に対して語って聞かせるくらいなのだから、悲嘆の色は見えず実家には誇りを持っていると思われる。
両親の良好な仲を見るに別に政略結婚だとかそういう類のものではなく、むしろ恋愛結婚を押し通したような雰囲気が見られる。
因みに余談だが、父と母の年齢差は3つ程。更に、母はかなりというかもろに童顔で小柄な体型だ。
……別に他意はない。
「サイゾウ、ご飯の時間ですよ。……全く、あなたは大人しいから放って置いたらひっそりと餓死してしまいそうねぇ。誰に似たやら妙な所で意地っ張りになりそうだけど、身体はしっかりしているし元気一杯だからそこは心配は無さそうね。
さぁ、こっちにいらっしゃい」
暫く、もう暫くの我慢。
そう言って胸元に抱き寄せているこのロリ母と、××した父は生暖かい目で見ることを決めた。
まぁそんな不自由な生活に耐えしのぐことここ三年。
成果としてはようやく不自然にならない程度に読み書きを出来るようになったことだろうか。
どうやってかと言えば、父親が読み終わった新聞(報誌というらしい)を落書きするフリをしてねだることに成功したことが切っ掛けだ。
本の読み聞かせなどもしてもらっていたので、興味の対象となるだろう基盤が出来ていたのも功を奏したのだろう。
ともあれ、驚きはすれどそこまでとんちんかんな事態でも無かったようだ。
一歳半ばくらいの時から始めたのだが、母のご近所付き合いでの話でも当たり前だがやはりこの年ではかなり早いとの評判だ。
まぁ前述の両親の情報のような自分のお家の事を子守唄代わりに繰り返し語って聞かせられてはいるわけで、小さい頃から自覚を促せていく方針は忍の家では当たり前のことなのだろう。
この環境なら、早熟なのも不思議ではないのだろう。
とは言えまだまだ文字を書いたりするのはまだまだ拙いもので、微笑ましいくらいに留まっているくらいだと思うが。
同年代に比べ圧倒的鮮明なインプットに対して、アウトプットする過程で思う様に体が動かないのだ。
事実、読みはともかくとして書きの方は、中途半端な漢語混じりの行書体が現代日本人の俺(中の人)には慣れず、結果ミミズののたくったような字になってしまうのだ。
まぁいきなりすらすらと文字を書き出す赤子など、かなり不気味だろう。
その点は下手に勘ぐられずに済んで帳尻が合ったとみていい。
それはともかく、情報の取得手段を得たのはかなり大きい。
赤子と言う身分の間合いが探り探りな現状、正確に内容を把握できているとは思われずに渡されているものから堂々と知識を得ることが出来るのだから。
これによって、取り敢えず大体の世間の常識を得ることができたのだが、どうも自分のいるここは一概にNARUTOの世界と同一とは言えないのではと今は考え始めている。
原作では間に合わせの設定が目立った様に思えるが、それとも違うどうもよく分からない事象が多いのだ。
まず文化水準からしてちぐはぐで、かなりしっかりとした家具を初めとする生活用品の製造、ラーメン等の一部食文化の発達、高度な建築様式や上下水の設備、そして電力なのか何なのか謎の動力源で供給される光源、などなどの、なかなかなインフラぶり。
少なくとも町並みを伺うに、電線の類は見当たらない。
そのクセ本来なら明らかにクナイを投げるよりも速いだろう画一的で訓練も比較的容易な筈の銃火器の類は汎用化を見せないまま未発達(全く無くはない)であるらしく、道は誰が整備するのか結構整っているにも関わらず交通手段は殆ど徒歩(歩いた方が早いという戦慄の説が濃厚である)。
こんな話も矛盾のある原作やアニメということでスルーするべきところなのかしれないが……出て来ていた筈のものが影も形もみあたらない、というのが少し気になった。
原作を特に事細かく究明していた訳ではないが、少なくとも無線の類は存在していた筈だし、綱手が通っていたパチンコ屋等の近代設備がある現代に近いものが舞台になっていたと思う。
後者に関してはこの里には無いというだけかもしれないが、テレビだとかのある種娯楽のものは身近に存在せず、新聞を伺うに情報伝達に然程遠隔のやり取りが成されていない様に思うのだ。
これは割と重要な見落としや何か途方もない絡繰りがあるのかもしれない……なんてことも考えたりしたが、勿論忍が世を動かしているらしいことは変わらないし、何か不味いことでもあるかと聞かれれば特に思い浮かばないのであった(爆発)
強いて言えばオーバーテクノロジー満載の映画の舞台は前提が崩壊しているような気もするが、その辺は知ったことではない。
始めのほうの映画には女優がキーマンだったものもあった気がするが、彼女は失職か。まあ元々存在しないなら失職も糞も無いわけだが。
逆に、そのうち火薬や何かを使って現代技術チート!みたいなことを試してみるのも一つの道か。
まあ上手くいかないと思うが。
新聞には五大国の情勢や火の国の政情などが当たり障り無く書かれ、残りは一風変わった広告等が載っている。
当然と言えば当然だが、俺の当たり前であろう根本的疑問が殊更に紙面に載ることはなく、しばらく謎は謎のまま解消されることは無さそうだが。
推測では忍の無茶苦茶過ぎる存在が文化の発展を置いてけぼりにしているのだと思われる。
それか、原作との相違点は忍の活躍を邪魔されないようにするためのご都合主義だと考えると全て丸く収まってしまい、ちょっと笑えるものがある。
閑話休題。
転生といえば定番の、自分が保有する原作知識の価値だが、一応今のところ原作沿いに進んでいるように思える。
まず九尾の来襲は俺が生まれた年らしく、木の葉隠れに大きな打撃を与えたものの、最近やっと復興の目処が立ってきた状態のようだ。
生前──という言うべきか判断に困るが、ジャンプを立ち読みしていた最新のものは鬼鮫が八尾とナルトの所に襲ってきた辺りで、単行本では読んでないが五十何巻かだ。
これから終結にむかってまとめに入るだろうという雰囲気だったが、やはり最後はマダラに勝って終わりか。
これは上手くやっていけば結構、いや、かなり優位に進めていける程の情報量だろう。
とにかく目先の問題としては、取り敢えずヤバいのはうちはの一族のクーデター未遂辺りか。
……後は日向一族の影武者事件なんかも、日向ネジの話からしてそのくらいだった気がする。
後者は明確にいつだったのか覚えていないが、原作キャラ達に確執を生むもの。
これは、当事者達には悪いが自分のことで精一杯なので、放置せざるを得ないだろう。
別に善人を気取るつもりも無し、ここで介入して未来が変わってしまっては困るのだから。
それはさて置き、やはり問題はうちはの一件。
父は2世代前から写輪眼を開眼していない分家の者同士で成された家系の三男で、一応血はうちはの物だが、もう開眼の見込みが無いとされているらしい。
こういった家はいくつかあるが、それらは一族内では専ら下っ端としてバックアップをしているようだ。
純粋に一族として見做される者とは開眼する可能性のある者であり、実際開眼している者は当然更に少ない。
エリート中のエリートといったところだろう。
そうして考えると、我が家はその一族を更にサポートする駒の一つ程度の下っ端であろう。
うちは一族も全体としては九尾事件の際に結構な数が減っているのだが、本家を中心とした上流の家々は被害が余り出ていない。
これは分家の宿命で、本家を護るために父の近しい親族の家々はこの時かなり亡くなったそうだ。
この尻尾切りのような手際の良さが仇となって、九尾襲撃の犯人だと疑われるのではないかと思うが。
それ程、木の葉の里内の他の名家には被害がでているということだ。
このことで里がうちはを更に疎外し、クーデターという形で暴発してしまうというカラクリのようだが。
肝心なのは、一族のどこまでがこれに参加するのか、ということだ。
現実的な話として、我が家のように“うちは”から名前を変えたり、忍ではない一般人であったりする者もいると思うのだが、そういった人達はどうなるのか。
あと6年程の猶予があるが、あくまでもうちはの血を引く者の皆殺しが目的ならば、少なくとも忍をやっている者の子供を逃すことは無いだろう。
今後もどうなるかは注意していく必要があり、そして自分の力を鍛えておくのが懸命だろう。
………
……
…
というわけでは有言実行、流石にまだ身体を極端に鍛えるわけにはいかないのでチャクラの確認をする事に。
……と、色々やってはみたものの、ここで今更な話ながらこの“チャクラ”という縛りはよく分からない。
はっきり言ってNARUTOの世界でいう“忍”というものは、元の世界で実在した忍とはかけ離れている。
まず忍んでないし、自己主張の激しい“NINJA”!という名のナニカであるという話しだ。
なまじに本元の忍の事を多少なりとも知っているため、「考えるのではない。感じるのだ」とかいうスタンスだったらどうしようもなかったが。
そこは幸いな事に、ちゃんと研究と解明がなされ体系的にまとめられていたため、何とかなりそうであった。
自分なりに解釈するとこんな所だ。
チャクラとは漫画などでよく使われる“気”の様なもの。
あまり深く考えない方が良さそうだ。
詳しくは、身体エネルギーなる身体を構成する膨大な数の細胞各々から取り出すエネルギーと精神エネルギーなる修行や経験によって蓄積したエネルギーをを合わせることでチャクラとなるらしい。
要は前者が先天的な素養が左右する能力によるもので、後者は後天的な努力による成果だ。
鍛えればどちらも伸びるのだが、身体エネルギーは才能に有無によってはそもそも扱えない。
これは原作でも解説していた気もするが。いざ身をもって認識してみると、かなりシビアなものだ。
忍術が使えない原作キャラのロック・リーなんかは、身体エネルギーが足りなかったかもしくは用いる才能が無かった、ということだろう。
字面的にはあり溢れてそうなものだが。
そして体内で生成・運用するものに関しては努力次第で誰にでも可能なのだろう。
そのため、最終的に行き着くのは上位になればなるほど誰もが皆びっくり人間になっていく、と言うわけだ。
インフレぶりもお察し。
まぁ精神エネルギーの方はこれからとして、身体エネルギーの方は俺はどうなのだろうか。
身体のスペックは日頃の体感、はっきり言って元の世界での三歳児とは比べものならないと思うが。
「まーけっきょくさいごはかんがえるより、じっせんするほーがはやいか。とにかくからだのしんからながれるものをかんじてしゅーちゅーして……」
地の文ばかりで初めてしゃべったように見えるかもしれないがそんなことはない。
何を言ってるか自分でも分からないがそれは置いといて、新聞のコラムに載っている『誰でも解る忍の極意Part3』の通りに実践。
……いや、深くは考えるまい。いつか必ず、忍べよ、と言ってやる。
誰にかは知らないが。
反応があるのか無いのか判断出来ず、何度かやっていると徐々に視界が赤くなってくる。
お、成功か?等と思っていると、いきなり地面が挨拶を敢行してくる不思議。
……ベタだな、と思う約3歳の夜。
今日も今日とて今日この頃であった。
やってやります。