私が取り憑いたせいで、朧がぼろぼろにならないように   作:七駆提督

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第二項

 大切な人を喪ったときの悲しさと、

過ぎゆく日常の中にその人がいないことにあらためて気づく寂しさがあるとする。

訳知り顔でどちらも耐え難いと答えるのはとても簡単だ。

確かに人はそうした別離を何度も経験することになる。

生きるための試験が繰り返されているようなものだと思わないだろうか。

喪失の重みを一度でも乗り越えきれなかったなら、そのとき人はあまりにあっけなく退行を選ぶのだから。

 

「二つ丸を描いて……か」

 

 ほとんど無意識に呟いた声で、自分自身が目覚めたことに気づく。それぞれの指で握ったり開いたりを繰り返して、手足の感覚を確かめた。思ったとおりに体が動くことを理解したうえで、体を包む薄い布団をそっと除ける。ゆっくりと周囲に視線を巡らせながら、首を少しだけ持ち上げた。部屋は消灯されているうえに、遮光カーテンが閉じられているからまっくらだった。とはいっても、自分の体くらいは確かめられる。寝間着を羽織った華奢なシルエットは朧の体に間違いない。さらに、周囲をあらためて見渡すことにする。私が横たわるベッドは部屋の中央壁際に設置されていて、ベッドのすぐ横には簡単なサイドテーブルが据え付けられていた。サイドテーブルに置かれた小さなバッグは漣が置いていったものだ。他は特に気になるものはない。昨夜就寝する前の記憶と寸分違わない光景だった。昨日の一連の出来事は夢だったのではないかと、目覚めた瞬間は少しだけ期待していたのだが、私はやはり朧のなかに居座っているらしい。

 

『ん、何?』

『あぁ、起きてたのか。おはよう。何だか妙な夢を見ちゃったんだ。最初に提示された状況が、昔に見たアニメの主題歌のフレーズに似ていてね』

『おはよう。ふたつまるを……あ、朧もあれ、好きだよ。再放送で見てたから』

 

 私が呟いた一言に朧が反応を示した。心のなかで響く声と表現すると妙な気分ではあるが、実際のところ不思議と違和感を覚えることはない。

 

『ところで朧、少し落ち着いて話がしたいと思うんだけど、どうかな』

『うん、いいよ。でも、顔を洗いに行きたいな。口が気持ち悪い』

『わかった。じゃあ、歩きながら話そう』

 

 朧の言うとおり、口の中がからからに乾いていた。洗面所へと向かうべく、私はゆっくりと上体を起こす。昨夜、右手に繋がっていた点滴は外されていて、代わりに小さな絆創膏が貼られていた。就寝中に誰かが処理してくれていたのだろうか。いずれにせよ、点滴スタンドを引っ張り回す煩わしさから解放されたのは喜ばしい。ベッドから降りて、素足にスリッパを履いた私は廊下へと続く扉に歩み寄る。壁際に設置された埋め込み型のデジタル時計を見るに、時刻は午前六時半だった。

 

『朧はいつ起きたの?』

『んっと……多分あなたが起きたときだと思う』

『眠りに落ちた瞬間……は覚えているわけないよね』

『うん、でもきっとあなたと同じときじゃないかな』

『私もそう思う』

 

 私たちは体を共有している。そこには感覚器からの情報も含まれているから、目覚めも同時というのはわかりやすい仕組みのように思う。感覚といえば、昨夜は随分酷かった怪我の痛みも今はまったく感じられない。

 

『朧、怪我の具合はどうなんだろう』

『あれくらいなら、もう大丈夫だと思う』

『そんなことはないだろう。あれだけ酷かったのに』

『うん。でも、もう痛くないでしょ?』

『確かに、そうだけど……』

 

 朧の治療を担当した職員によれば、全身に大小の裂傷があり、数本の肋骨が折れていて、おまけに内臓にも若干の損傷がみられたらしい。重傷といっていいはずだ。少なくとも一晩で治る傷ではない。

 

『艦娘だから、これくらいへっちゃらだよ』

『艦娘?』

『あれ、知らないの?』

『どうかな。多分聞いたことがないと思う』

『話すと長くなるから、まずは顔を洗いに行こう?』

 

 浅く頷いて朧に同意すると、私は廊下側へと足を踏み出した。清潔そうなリノリウムの床はスリッパ履きの足で歩くとぺたぺたと足音が響く。私たちが休んでいた病室から洗面所までは十メートルほどの距離だった。淡い暖色系の明かりで照らされた洗面所には、よく磨かれた曇り一つない大きな鏡と自動式の蛇口が五組ほど設置されている。総じて、きれいなデパートのお手洗いみたいだ、と思う私はイメージが貧困かもしれないが、説明としては最適だと思う。姿見に映る私は、鼻梁の整った中性的にも見える美しい少女の姿だった。明らかに自分の知らない顔であるはずなのに、どうにも違和感がないのは、今はこれが私自身だからなのだろうか。ともあれ、両手を蛇口にかざして、勢いよく注がれる水をすくって顔を洗う。

 

『ついでにお風呂、入りたいな』

『うん? 浴室があるのか』

『少し歩くけれど、大浴場があるんだ。昨日はお風呂入ってないし、ちょっと汗臭いから』

『そう、かな? 私はわからないけど、でも、そうだね。朧が気になるなら、行こうか。案内してもらってもいいかな』

『ありがとう』

 

 今更ではあるが、鼻を肩口に近づけて匂いを嗅いでみる。私には特に気にならなかったが、やはりこれくらいの歳の少女にとっては大切なことだろう。彼女が導くままに、大浴場へと向かうことにする。洗面所を後にして、廊下をまっすぐに進んだ先の鉄扉を押し開く。差し込む光に少しだけ顔を背けた。次の瞬間、潮の匂いが混じる涼しい風が吹き抜ける。どうやら建物の外に出たらしい。周囲にはいくつもの煉瓦造りの建屋が見えるが、正面に見える十メートルほどの高さの建物の向こう側、空が淡い橙色に輝いている。丁度顔を出したばかりの朝日が建物の向こう側に見えるのだろう。

 

『そのまま正面の建物に入るよ』

『わかった』

『本当は寝間着のままじゃ格好悪いけど……服、朧の部屋だから』

 

 渡り廊下のように屋根のある通路をまっすぐに進んで、向かい側の建屋の大きな鉄扉を開ける。すると、周囲に感じる活気のようなものが一段と強くなったような気がした。たくさんの人の声や動きが、ざわめきとなって明らかに聞こえているのだから、活気を感じるも何もない。

 

『こっちが朧の……私たち艦娘の宿舎。さっきの建物は診療所っていわれているんだ』

『なるほど、本来朧はここで生活しているんだね』

『うん、そうだよ』

 

 確かに、先程まで私たちがいたところは病院のような雰囲気があった。清潔さと静謐さによって、ぴんと空気が引き締まっていたように思う。一方で、こちら側はなんだか学生寮のようだ。適当な表現かどうかはともかく、生活感のある適度な汚さはむしろ落ち着きを覚える。道すがら、すれ違う相手はみんな知り合いであったようだ。相変わらず朧の助けを借りることでどうにか切り抜けることはできたが、一つ気になったことがあるとすれば、すれ違った相手はみな一様に十代の前半から精々後半くらいの少女たちであったことだろう。よくよく思い返せば、この軍港らしきところにたどり着いて今まで、出会った人はみんな少女といって差し支えのない年齢の女性であったように思う。

 

『ここが大浴場。部屋にはお風呂があるんだけど、ユニットバスだからあまり好きじゃなくて』

『わかるよ。どうせなら大きなお風呂でのんびりしたいよね』

『うん、そう。そうなんだよ。あなたが大きなお風呂苦手だったらどうしようかと思ってた』

 

 足を踏み入れた大浴場は、年季の入った銭湯といった様子だった。まずは入り口すぐのところでスリッパを脱いで、使い古されたすのこの上を素足で歩く。年代物の木製の棚には、これまたいかにもな脱衣籠が置かれていた。寝間着を脱いでから、下着に手をかけたところで背後から声が響いた。

 

「先輩、おはようございます! お体の具合はもうよろしいのですか?」

 

 まさに下着を脱ごうとして、片足を上げたままのどうにも情けない格好で肩越しに振り返る。黒のジャージにハーフパンツを履いた、肩を越える程度の艶やかな黒髪を湛えた真面目そうな少女が、その大きな瞳で私を心配そうに見つめていた。

 

『彼女は?』

『朧の後輩……かな。秋月っていうんだ』

 

 脱いだジャージを几帳面そうに畳んでから、私の隣の脱衣籠に入れる秋月。そんな彼女を、下着を脱ぎながら横目に見る。後輩とはいうけれど、彼女のほうが朧よりも背が高いようだ。そもそも朧の身長も正確にはわからないが、朧が160センチくらいだとしたら165センチ近くはあるだろう。

 

「ん……、秋月、おはよう。心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」

「そんな、先輩が謝ることなんて。でも、安心しました」

 

 朧の言葉を正確に真似て会話をするのも、多少慣れてきたように思う。脱いだ下着を寝間着の下に隠すように脱衣籠に入れてから、秋月というらしい少女の方に視線を向ける。私の方をちらちらと見ながら、少し慌てた様子で服を脱ごうとしているのは、先輩であるらしい朧を待たせまいとしているのだろう。

 

『随分尊敬されているようだね』

『朧、そんなに大したことしてないのに』

『どうかな。そういうのは本人にはわからないものだから』

 

 秋月が大方服を脱ぎ終えた頃合いで、私は彼女に目配せしてから大浴場へと続く引き戸を開ける。内部は左右の壁際にシャワーが5台ずつ設置されていて、奥の壁際から浴場内の三分の一程が大型の湯船となっている。脱衣場と同じく年季は入っているものの、水色のタイルに黒カビはさして目立たない辺り、掃除はしっかりとされているらしい。周囲を見渡してみるが、どうやら私たち以外に入浴している人はいないようだ。秋月と二人、隣同士のシャワーを使って体を洗い始める。

 

「先輩、今日の演習はお休みされるんですか?」

「ううん、明石さんが許してくれるなら、出るつもり」

「そんな、無理をされては……」

「ありがとう、でも心配しないで。無理はしてないから」

 

 長い黒髪を慣れた様子で洗いながら、問いかける秋月の声色には、彼女の人となりを知らない私にも分かるほどに不安の色が滲んでいる。

 

『朧、演習っていうのは? いや、何にせよ、彼女が言うとおり無理はしない方がいいよ』

『無理するつもりはないよ。あなたさえ大丈夫なら、付き合って欲しい』

『君が大丈夫だというなら、私に異論はないけど』

『そういって貰えると嬉しい。えっと、演習っていうのは……あっ、あなたは艦娘も知らなかったっけ? そこから説明するから』

『そうだね。私の方も、そうして貰えるとありがたいかな』

 

 体を洗いながら、さらに秋月と他愛のない会話を交わしつつ、私は胸の中で朧から艦娘についての話を聞く。言葉にすると非常に忙しそうではあるが、体を洗う動作はほぼ無意識にこなすことができる。幸い、私という人間はシャワーの使い方と体の洗い方くらいは知っていたらしい。その点は少々ほっとしている。話が逸れたが、秋月との会話は朧の手助けによるものであることはもはや説明の必要もないだろう。そして、胸の中では私はほぼ一方的に話を聞いているだけだ。具体的な私の動作といえば、体を洗うことと、朧に伝えられた通りに秋月と話すことくらいだ。むしろ、秋月との会話に応じて適宜適切な返答を私に伝えながら、レクチャーを続ける朧のほうが大変だろう。

 

『深海棲艦と艦娘……か。まるでマンガか映画だ』

『朧もそう思う。でも、現実だから』

 

 朧の説明は要点が絞られていて、すんなりと状況を把握することができた。私の理解の範囲をはるかに超えた話であるにもかかわらず、である。未曾有の怪物に唯一抗い得る存在、それが艦娘であり、朧もその一人なのだという。

 

『なおさら、私は早く君の体を返さないといけない』

『正直にいえば、そう。でも……あなたが本当のあなたに戻れなきゃ』

 

 朧が侵入者であるところの私にすら気を遣うような少女であるからこそ、なおさら早く彼女に体を返したいと思う。朧たちについて知ることが、私自身の正体を把握することに繋がるかと思っていたが、その見通しは甘かったようだ。艦娘と深海棲艦の話を聞いたところで、これといって思い至ることはなかった。

 ただ、今の私が置かれた状況を自然に解するなら、私の正体について一つの可能性が導けるように思う。いやに冷たいのに、なぜか優しげな手に背筋を撫でられるかのような、言い知れぬ不安感が私のなかにわだかまりはじめた。

 

「先輩?」

『どうしたの? 大丈夫?』

 

 秋月と朧の声で我に返る。文字通りはっとして、秋月に視線を向けると、彼女は酷く不安そうな瞳で私を見つめていた。浴びていたシャワーの温度が妙に生ぬるいことに今更になって気づく。

 

『ごめん、朧。ちょっとぼうっとしてた。大丈夫だから』

『ん……大丈夫ならいいけど』

 

 シャワーの湯を両手ですくって、顔を洗いながら朧に返答する。朧との対話は少々複雑で難解だ。彼女に聞こえるように発話するときと、あくまで私のなかでの思考に留めるときとで、要領が少しだけ違ってくることはわかっている。朧もそれを理解しているようだが、私の危惧が彼女に悟られていないことを願おう。

 

「あ、ごめん。ちょっと呆けてたみたい。まだ寝足りないのかな」

「いえ、秋月は大丈夫です。でも、やっぱり今日の演習は……」

「もう、大丈夫だから。心配しないで、明石さんが駄目っていうならちゃんと休むし、ね」

 

 それでも不安そうに私の瞳を覗き込む秋月に緩く微笑んでから、ゆっくりと椅子から立ち上がる。なんとなく俯きがちに視線を向けた自分の――朧の体には、昨日の傷なんて一つも残っていなかった。淡く日焼けした肌、細くても引き締まった四肢は、まだまだ伸びやかに発達するであろう若々しさと力強さを感じさせる。朧が私の視線にあらぬ疑いをかける前に、同じくひととおり体を洗い終わって立ち上がった秋月と一緒に湯船に浸かることにする。古い造りのタイル張りの浴槽は存外に深くて、お尻をつけて座ると肩までお湯が届いた。湯の温度は少し高めであるように思う。私にはこれくらいのほうが好ましいが、秋月は少々苦手であるようで、つま先をちょんちょんと何度かお湯に浸した後、随分とゆっくりと躊躇いがちにお湯に体を沈めていた。

 

「今日は少し、お湯が熱いですね」

「そうかな。朧はこれくらいで丁度いいよ。あぁ、でも……朧を待たなくていいから、のぼせる前にあがって」

 

 早速頬を朱色に染めている秋月の言葉に緩く首を横に振ってから、私は両手の指を組み合わせて、両腕を力いっぱい頭上に掲げて伸びをする。温かい湯で柔軟になった全身の筋肉が解されていくようで心地がいい。

 

『朧も熱いお風呂のほうが好きなんだ』

『案外年寄りっぽい趣味をしているんだね』

『意地悪なこと言うんだから。そういえば、あなたって何歳くらいなの?』

『どうだろうね。五歳児ってことはないと思うけど』

『あなたみたいな子どもがいたら絶対に可愛くない』

『君も結構意地悪なこというね』

 

 両手で湯船の湯をすくい上げて、顎の下から首筋にかけて流すように触れながら考える。私の人格はそれなりに成熟しているのは間違いないように見える。例えば、今朝方見た夢と、そこから思い出したアニメの主題歌についてはどうだ。それなりに古い作品であったと記憶している。再放送だなんだと考慮してしまうときりがなくなるのも確かではあるが、私の知識には過去の出来事が含まれているということは確かだろう。ただし、それが私の年齢を示す根拠にはならない。朧への憑依が成立するような力が絡んでいる以上、記憶なんざまったくあてにならないからだ。いずれにせよ、これ以上はやめておこう。ずっと昔の暇な人たちが考え抜いたテーマに触れている余裕は私にはない。

 

 *

 

 それから三十分ほど秋月と一緒に朝風呂を楽しんで、彼女が本当にのぼせてしまう前にあがることにした。一度朧の部屋に立ち寄って、下着と服を着替えた後、今は再び診療所に戻ってきたところだ。明石という艦娘の治療を担当する艦娘――という表現もややこしいが――から演習に参加する許可を得て、私は宿舎の食堂で軽い朝食を済ませた。時刻は八時三十分。朧に案内されるがまま、演習場なる場所へと向かうことにする。宿舎の建屋から外に出て、まっすぐに歩くこと五分ほど。イメージとしては体育館のような、ひときわ高さがあり大きな造りの建屋の前に辿り着く。内部もまさに体育館といった様子の広い空間が広がっていて、朧の話によれば一般的なトレーニングやレクリエーションとしてのスポーツに用いられているらしい。私たちが向かう先は、部屋の隅にある階段を降りた先。地階は打ちっぱなしのコンクリートで固められた比較的狭い通路が続いていて、明かりも足元にある非常灯のようなLEDが等間隔に配置されているだけだった。少々冷たい空気もあって、なんだか妙な圧迫感を感じる。

 

『演習、というのは具体的にどんなことをするのかな。なんとなく想像はできるけど』

『うん、多分あなたの想像どおりだよ。他の艦娘と実戦形式で稽古をするんだ』

『君たちは銃のような武器を使うだろ? 危なくないのかい?』

『死ぬほどの怪我はしないようになってるって。朧も詳しくは知らない』

『不安だ』

『今日は潮と曙が相手。二人ともすごく強いよ……。特に潮は、きっと世界中の艦娘のなかでもトップクラスだと思う』

『潮って、あの大人しそうな子か。彼女、そんなに強いの?』

『うん、だから……いつか追いつきたいと思ってる』

 

 朧の声色には確かな決意が感じられる。朧を含めた昨日の四人がよい友人同士なのはすぐにわかった。しかし、そんな身近な相手だからこそ、朧にとっては目標であり、打倒すべきライバルでもあるのだろう。

 

「先輩っ!」

 

 狭い通路を抜けて演習場控室、と書かれた扉の前にたどり着いたところで、背後から声がかかる。肩越しに振り返ると、セーラー服を模したような服に着替えた秋月が手を振りながらに駆け寄ってきた。朧の服装もそうであるが、学生服のようないでたちが艦娘としての戦闘服であり、フォーマルであるらしい。朧の服は年齢を考えれば違和感は確かにないが、この秋月についてはどうだろう。細くしなやかな四肢と恵まれた体格に、なんだかやけにシルエットを強調する彼女の服の取り合わせは……。

 

『なんか、視線がスケベ』

『いや、誤解だよ。待って欲しい。随分フェティッシュな服装をしているものだと思って』

『エッチ。あなた、本当は男の人なんじゃないかな』

『ううん、どうかな』

『ほら……否定できないんだから』

『いや、それよりも今は演習、じゃないかな?』

 

 確かに、少々下品な視線であったかもしれない。無理矢理に話題を変えることにする。

 

「秋月、今日は頑張ろうね」

「はいっ! この秋月、先輩の足手まといにならないように、そして……先輩方の戦いをしっかり勉強させていただきます」

「ううん、勝敗は気にしなくていいから」

 

 少々朧を怒らせてしまったのは確かだが、それでも朧は私が話すべき言葉をしっかりと教えてくれている。秋月への態度からもわかるとおり、面倒見のよい優しい娘なのだ。秋月からの尊敬も、当然の結果と言っていいはずだ。

 

「きっと二人は秋月を狙ってくる。でも、潮は朧が抑えるから、秋月は曙と精一杯戦ってみて。きっと、色々参考になると思うよ」

「はい! 胸をお借りするつもりで、全力でぶつかります」

 

 秋月と一緒に、私たちは控室に足を踏み入れて演習の準備を始めることにした。控室とはいうが、廊下側と同様にコンクリートがむき出しの壁に囲まれた部屋に所狭しと武器の類が設置されていて、居心地のよい空間とは思えない。ともあれ、演習の準備に遅れるわけにはいかなかった。昨日朧が使っていた装備――これを艤装と呼ぶらしい――をあらためて身に着ける。黒光りする重々しい金属で造られているにもかかわらず、持ち上げると羽のように軽く動きの妨げにはならないようだ。部屋の端に設置された姿見に自分を映す。華奢な体と無骨な装備はあまりにアンバランスなはずなのに、不思議と違和感はない。

 

『大きな怪我をすることはないと思うから。あんまり心配しないで』

『うん、頼りにしてるよ。朧』

 

 深く吐息を漏らして、肩から力を抜く。演習とはいっても戦うことに気が重くならないといえば嘘になる。しかし、昨日は何もわからないままに戦ったのだから、それに比べればいくらかマシだ。

 

 ――潮さんと曙さん、ならびに朧さんと秋月さん、準備ができたようですね。それでは、ゲートを開きます。くれぐれも無理はしないよう、注意して励んでください――

 

 控室にスピーカーを通した声が響き渡る。その涼やかな声色を聞くだけで、声の持ち主が知的で優しい人なのだとわかるようだった。次の瞬間、控室の奥側にあったシャッターが重い唸りをあげて開き始める。シャッターの奥はまっくらで、ただ烈しい流水の音が聞こえるだけだ。

 

『まさか……』

『うん、ダッシュして飛び込んで』

『嘘だよね?』

『嘘じゃないよ』

 

 端的にいって、とても恐ろしい。聞こえる音は、まさに大瀑布のそれなのだから。

 

「先輩、お先にどうぞ!」

「う、うん……」

 

 行くしかなかった。腰を低く落として、一気に駆け出す。暗闇があと数メートルに迫ったところで、なかばヤケ気味に足を踏み込んで跳躍する。烈しい勾配の床に大量の水が流れているらしい。足が地面をとらえた瞬間、強烈な水流にさらわれそうになる。尻もちをつかないように、どうにか姿勢を維持することに集中することにした。なんとなく思い出すのは、有名なテーマパークのアトラクション。いかだに乗っておとぎの世界を旅して回るのだが、最後には急流下りが待ち受けている。あれに似ている気がした。

 

『もうすぐ出るよ。合図したら跳んで……今!』

「うぅぅっ……やぁっ!」

 

 朧の声と同時に、両脚を強く突っ張る。水流による勢いと朧の脚力によって重力を押し退けたのを感じた次の瞬間、視界が一気に開けた。相変わらず薄暗くはあるが、数百メートル四方はありそうな巨大な水溜りが眼下に広がっていた。水溜りといっても、深さもかなりのものらしい。印象としては、極めて広い空間にある地底湖だ。水底になんらかの照明が設置されているのだろう。唯一の光源として淡く水色に光る水面は、どこか幻想的でもある。長い跳躍から重力に従って着水して、水面に緩い楕円を描くような軌道で勢いを削いだ頃、秋月も私のそばに降り立った。

 

「遅かったじゃない。あたしにビビって逃げ出したのかと思ったわ」

「朧、秋月……今日は頑張ろうね」

 

 私たちの正面には、既に曙と潮が待ち構えていた。私が今しがた抜けたゲートとやらは、この水溜りの両側に設置されているようだ。曙たちは私たちが用いたものと対になるゲートから出てきたのだろう。

 

「ううん、むしろ楽しみにしてたから。全力で行くよ」

「先輩方、どうかよろしくお願いいたします!」

 

 周囲を再度見渡してから、左手に握った主砲と呼ばれる武器に視線を落とす。小さな朧の手にはあまりにもアンバランスに見えるのに、不思議と手になじむ。肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出して、私は潮をまっすぐに見据える。朧の指示どおり、私は彼女に張り付かなければならない。どこまでできるかはわからないが、せめて朧に対する秋月の信頼や尊敬を損なうことがないようにはしたかった。

 

 ――では、始めてください――

 

 再び聞こえる声とともに、けたたましいサイレンが鳴り響く。視線の先、潮と曙は即座に動き始める。朧の読みどおり、二人は秋月へと距離を詰めるつもりだ。

 

『彼女の相手は、私……ってことだね』

『うん、回り込んで!』

 

 右足を思いっきり踏み込む。足元で水が烈しく爆ぜて、私の体は即座に加速する。まっすぐに秋月に向かう潮の正面へと回り込みながら、砲身を潮に定めて左手に添えた引き金を引く。あくまで牽制射撃だから、当てることは気にしなくてもいいらしい。足を止めた潮を正面に見据えて、私は立ち止まる。

 

「うん、きっとこうなると思ってたよ」

「潮……全力で来て。じゃないと、朧も強くなれないから」

「大丈夫、最初からそのつもりだよ」

 

 潮……昨夜はとても穏やかで控えめな印象だった彼女が、今はとても大きな存在に見えた。私に向いたその視線にはわずかな油断も存在していないのがわかる。今度は彼女にしっかりと砲身を向けて、引き金を引いた。放物線を描いて赤熱した砲弾が彼女へと飛翔する。しかし、彼女はその場からは移動せず、まるでフィギュアスケートの演技でもするかのように、いっそ優雅なくらいにくるりとその場で回転して紙一重で砲弾を避けた。直後、着水した弾によって生じた水柱で彼女の姿を見失う。

 

「ほら、立ちなさいな。アンタはこんなもんじゃないでしょ?」

 

 聞こえた声の方向に視線を向ける。水面にうずくまる秋月の正面で、曙が両腕を組んで立ちはだかっていた。二人の実力差がそれほどに圧倒的だということなのだろう。

 

『曙なら絶対に無茶なことはしないから大丈夫。あなたはこっちに集中して、上!』

 

 朧の声に弾かれたように首を反らして視線を上に向ける。高々と跳躍した潮と、彼女が構えた砲身が正確に私に向けられているのが見えた。それとほぼ同時に、私の体は弾き飛ばされる。潮が撃った砲弾が直撃したのだ。息ができなくなった。当たったのは胸の辺りだろう。吹き飛ばされながらも、左手に握った主砲をどうにか足元に向ける。最後に見た潮の位置から、そろそろ着水するであろう彼女の居場所を予測して砲弾を放つ。射撃の反動でさらに勢いを増した私の体は、そのまま水面にぶちあたる。

 

「くあっ……ぐっ!」

 

 肺の空気が一気に吐き出される。せきが止まらない。嘔吐しそうなくらいの息苦しさをどうにか耐えて、必死に立ち上がる。ふらつく足元に喝を入れて、ゆっくりと自分の胸元に視線を落とした。セーラー服は随分とぼろぼろに焼け焦げていて、破れ目から覗く皮膚に多少の傷と出血こそあるが、大きな傷は見当たらない。朧がいっていた死ぬほどの怪我はしないというのはこういうことか。しかし、体力は大きく奪われたように思う。ぼやける視界で潮が居た方向を見やる。

 

「凄いね、朧……あんな態勢から当てられるんだ」

「まぐれ、だよ」

 

 視線の先、10メートルほどの距離のところで潮は左手を額に添えて、肩で息をしながらこちらを見つめていた。その手に血が滲んでいるのは、彼女が額を怪我したことを示している。

 

『今の、偶然じゃなかったよね。やっぱり、あなたは戦うのが上手みたい』

『ますます、自分の正体が不安になるよ』

 

 拭うように手の平を擦りつけた潮の額には、確かに数センチほどの裂傷が刻まれていた。まだ止まらないままの流血を気にしていないかのように、彼女の背後の水が爆ぜる。直後、凄まじい加速で潮はこちらへと突っ込んできた。接近しながら私に砲身を向ける潮。ある程度狙いはつけられているようだが、これは牽制とみて構わないだろう。しっかりと弾道を見て、大きく回避すればいい。

 そう思った次の瞬間、背中に強烈な衝撃を受けた。視界にちかちかと星が飛ぶ。手放してしまいそうな意識を必死に保って、背後を肩越しに振り返る。そこには、拳をまっすぐに突き出した潮の姿が見えた。砲撃姿勢を見せたのははったりだったのか。しかし、今度は腹部に爆ぜるような熱を覚えた。急激に食道を駆け上がる吐瀉物を盛大に吐き散らしながら、ほんの一瞬だけ垣間見ることができた。私の正面で主砲を構える潮の姿を、である。次に、上下滅茶苦茶の視界の中で、背後から私を殴り飛ばした潮の姿が散るように消えるところを見たような気がして、私のすべての感覚は暗転した。

 

『起きて、まだ戦えるよ!』

『潮は魔法使いか忍者なのかな? 明らかに二人いたと思うんだけど』

『連撃っていわれてる……。多分、世界で潮にしかできない。あれが突破できなきゃ、絶対に勝てないから』

『無茶をいうよ。ただでさえ強い彼女を相手に……』

 

「んんんっ!」

 

 両手を突っ張って、どうにか上体を起こす。視界は酷くぼやけているが、見えないわけではない。唇の周りに付着した吐瀉物を拭った手の甲を、水面に浸して洗い流す。烈しい物音が聞こえる方向に視線を向ける。私の数十メートル先で、曙と秋月が戦っていた。曙の猛攻に秋月が膝をついて倒れそうになるたびに、曙は攻撃の手を緩めているように見える。曙もまた、よい先輩なのだ。

 

「さて、と。私も、朧には格好いい先輩でいて欲しいから……ね」

 

 小さく呟きながら、膝に力を込めて立ち上がる。潮の視線はまるで凪の海だ。あらゆる感情を排して、ただ自分が出し得るすべてを発揮しようとしているのだろう。私が立ち上がったことに応じるように、彼女は再びこちらへと砲身を向ける。先程のような殴打と砲撃を浴びたなら、次はもう絶対に立てない。彼女の連撃とやらを崩せなければ、その時点で終わりだ。

 

「行くよ。朧……」

 

 潮が力強い声色で呟く。直後、彼女の額に生じた傷口から、ぽたりと落ちた血液の雫がその白いセーラー服に赤いあとを残した。

 

「受けて立つよ。潮……」

 

『と、格好つけてみたけど、なにか対処の糸口はあるの?』

『ごめん、ずっと考えてたんだけど、朧には無理だった』

『分身……というか、分裂されたらどうしようもないよね』

『勝手とは思うけど、今はあなたに託してもいい?』

『もちろん。君の体を間借りしてるんだから、それくらいはね』

 

 彼女の行動を待っていては、あの二重攻撃に晒される。私はこちらからしかけることにした。彼女に狙いをつけさせないように、とにかく砲弾を乱射しながら動き回ることにする。まずは距離を空けるべく、海面を蹴って背後に飛び退こうとした瞬間、背筋にぞわりと寒気が走った。まず、前方には潮が主砲を構えて立ちはだかっていることを確かめる。即座に振り返って、背後に視線を向ける。果たして、悪い予感のとおり、彼女のすらりと伸びたつま先が、飛び退いた勢いを止められないままの私の背中に突き刺さろうとしていた。できるかぎりの息を吐いて、衝撃に備える。潮の見事なまでの回し蹴りは、体を両断しそうなほどの勢いをもって私を弾き飛ばす。蹴りの勢いでその額から零れ落ちた血液の雫が、”汚れ一つなかった彼女のセーラー服にしみを作ったのが見えた。”

 なるほど、と思い至る。彼女はただ速いだけでは限界があることを悟ったのだろう。だから、加速する方向を考え抜いた。敵を圧倒する速さはもちろん必要だとしても、時間をも追い越してしまえるのではないか、と。今回も、少なくとも私に砲身を向けるより前に、彼女は今の時間を抜き去って、私が距離を離そうとして飛び退く未来を待ち構えていたのだ。言葉にすると極めて非論理的だ。実際私にも意味がわからない。けれど、実践することはできる。母語の使い方をあらためて同じ母語で説明するのは難しいが、使うことには支障がないというようなものだ。

 時間の歩みを追い越すには、吹き飛ばされたままの状態だって構わない。未来に向けて、跳躍する。時間を抜き去った私は、潮の背中に砲身を押し当てた。吹き飛ばされたままの私と、潮の背後を取った私が、確かに同じ瞬間に存在する。潮のような二重攻撃ではないが、初めてにしては上出来だろう。

 

「嘘……」

 

 肩越しに振り返った潮の瞳が、この演習で初めて感情を露わにする。所在なさげに揺れる瞳は、明らかな驚愕に襲われているようだ。しかし、次の瞬間には彼女の瞳は私を鋭く見据えていた。背筋が根本から凍らされるかのような不安感を覚えて、私はすぐさまに引き金を引こうとする。しかし、すんでのところで思いとどまった。潮はいつ連撃を会得したのだろう。私の場合は潮というヒントがあったからこそ至れた答えに、独力で辿り着いた天才が、ただの二連撃で満足するだろうか。きっと、この悪寒は連撃をしかけられたときの直感なのだろう。私の背後には、二度時間を置き去りにした彼女が待ち構えているはず。彼女が待ち構える先の未来へ、私もまた強引に跳躍する。時間を超えるのは、いわば無酸素運動のようなものだ。呼吸ではないけれど、集中力か、あるいは体力か、そういったものが強烈に奪われていくのを感じる。内臓が口から飛び出そうなほどの吐き気と、地球がシェイクされているかのような目眩を強引に無視して、彼女が走り抜いたよりも先の未来へと回り込む。

 吹き飛ばされたままの私、潮の背後を狙う私、さらにその私に主砲を振り下ろそうとする潮の背後に私は忍び寄る。

 

「凄いよ……朧」

「潮には、負けるよ」

 

 力いっぱいに声を張り上げながら、振り向いた潮の頬を右拳で殴り飛ばした。水面を切るように繰り返し叩きつけられた潮は、うつ伏せのまま必死に上体を起こそうと両手で体を持ち上げたが、それも叶わぬままに糸が切れたかのように意識を手放した。時間に追い着かれた私たちは、最初からそれが夢であったようにかき消える。最後に残るのは、時間を一度も超えていない私と潮だけ。つまり、蹴り飛ばされた私と、主砲を構えたままの潮だ。しかし、連撃の代償は残された私たちが背負うことになる。蹴り飛ばされた勢いで着水するよりも前に、急速に視界がぼやけるように意識を失っていく私が最後に見たのは、突然瞳が焦点を失ったように遠くを見つめて、そのまま膝をついて倒れた潮の姿だった。

 

 胸中に響く、一人取り残された朧の声に応じることはできなかった。

 

 

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