【ラブライブ μ's物語 Vol.4】オレとつばさと、ときどきμ's ~Winning wings 外伝~ 作:スターダイヤモンド
海未たちの周りで急激に『μ's再結成』の期待が高まっている一方で、高野の会見は、様々な方面に波紋を広げていた。
まず世間の関心を集めたのは『夢野つばさとの仲』…というよりは、どちらかというと『高野梨里と事故そのもの』だった。
彼の…あの痩せ細った姿…あれは視聴者の同情を引くには充分過ぎた。
世間は…恐らくその前に出した『オフィシャルのコメント(高野曰く作文)』などのイメージから、もっと元気な姿を想像していたに違いない。
しかし実際は…
本人は「元気になってピッチに戻る」と言っていたが、とても楽観視できる状況には見えなかった。
サッカーをすることはもちろん、日常生活さえままならないのでは…そんなことすら思わせた。
『再起不能』…
ネット上は、そんな文字が埋め尽くす。
これは誹謗・中傷…というよりは『現実的な話』とエクスキューズを付けた上で『仮に復帰できたとしても』以前のようなプレーは望めないだろう…という悲しみに満ちた声だった。
大怪我から復活するアスリートは、少なくない。
しかし、それ以前の…いやそれ以上のパフォーマンスを発揮した者がどれくらいいただろうか?
ましてや、高野はまだ若い。
これから絶頂期を迎えようとする選手だ。
その前に負った…選手生命を脅かさんとするほどの怪我。
ファンならずとも悲観的になるのは、やむを得ないことだった。
そして妙に『口だけが滑らか』だったことも…表現が正しいかどうかはわからないが…カラ元気…痩せ我慢…そんな風にも感じられ、一段と視聴者の悲哀を誘った。
高野が、海未を救ったことを批判する者はほとんどいない。
むしろ、その勇気と行動力を賞賛する声が大多数を占めている。
当然のことだが『新文の柏木』とのバトル…つまり『救助は間違いだった』『自分の身は自分で守れ!』…ということの是非については、高野に軍配があがった。
緊迫する某国との関係になぞらえて柏木の考えこそが『国防の原点だ』などと言う輩(やから)もいたが、それとこれとはまったく次元の違う話である。
事故をめぐる論点の、本質ではない。
今回の件は、高野が訴えたように『加害者が16歳であったこと』『(当たり前だが)加害者が無免許であったこと』『(死亡した)同乗者の責任』『車の所有者の責任』『親の責任』『メーカーの責任』等々、様々な問題を孕んでいる。
要は『誰が一番悪いのか』ということだ。
ここを追求していくことこそが、マスコミに本来の役割だろ!との声が大きくなる。
しかし、立ちはだかるのは…
『加害者の人権』という壁だ。
これが未成年であるだけに、尚、高くて硬くて厚い。
今回も、そこがイチから問われることとなった。
これは何年も、何十年も繰り返されてきた、論議。
だが、未だに結論は出ていない。
世論の大半は、高野支持だ。
信号待ちをしていた彼らには、何の落ち度もない。
悪いのは加害者であり『避けられなかった(避けなかった)方が悪い』などという論理は、どう考えても成り立たない。
ほんの一握り…加害者を『ガキ』と呼んだり、会見中に(挑発されたとはいえ)キレたことについて『高野の人間性を疑う声』が上がっている。
高野だって、やっと次の誕生日で21歳になる若造だ。
「テメェだってガキのクセに!!」というわけである。
だが逆に「悔しい気持ちがよくわかった」「キレて当然」「一緒に泣きました」などと、あの言動を好意的に受け止める声が、批判派を圧倒する。
そして…
加害者の素性を明らかにすべき!という声が一気に高まっていく。
それはつまり、運転手が未成年の為、公には氏名が公開されていないからである。
しかし、高野はそれを望んでいるわけではない。
わかったところで、彼らに加害者を裁くことなどできないのだから。
しかし…正確に言えば、既に運転していた少年と同乗していた少女は、ネット上で氏名も住所も特定され、顔写真まで公開されている。
両者とも、お世辞にも品行方正な容姿とは言い難い。
あえて『一番それっぽい』写真をピックアップしたのではないかと思われる。
「コイツならやりそうだな」と見た瞬間、誰もがそう呟くだろう。
我々の脳内に、彼らの普段の行動をイメージさせるには、それだけで充分だった。
ただし警察が公表しなければ、それが『本当に加害者なのかどうか』は、言い切れない。
万万が一、それが誤ったものであったら、それこそタダじゃ済まされない。
公共の電波でさえ、無関係な人物の写真を『犯人』として放送することがあるくらいだ。
一般人が警察や探偵の…あるいは必殺仕事人の真似事をするのは、あまりに危険だと言えた。
高野が訴えたかったのは『誰が、どう責任を取るのか』であって『加害者を晒し者にしろ』ではない。
世論に喚起を促した…ということについては一定の成果はあったが、そういった意味では、あの会見は若干言葉足らずだったかも知れない…と感じている。
彼が世間に投げた爆弾は、これだけにとどまらない。
あの会見では『同乗していた少女の責任』についても触れている。
「彼女がどこがで少年の運転をやめさせていれば、こうはならなかった…」というのが一般論。
「いや、それができるような輩(やから)じゃない」「同乗している時点で同罪」「結局、同じ穴の狢(むじな)だろ」と言うのはイメージ先行派の意見。
「少年に運転を強要したのが、彼女だった可能性もある」という者もいる。
少年が自己保身に走れば、そう主張することもありえよう。
いずれにしても、無免許運転の車の助手席で、事故死した少女に対して…『死んで当然』…とは言わないまでも『同情の余地なし』『自業自得』と世間の声は厳しい。
ところが、養護派も決していないわけではない。
「逆に少年の支配下にあって、逃げられない状況にあったのでは」…という意見もある。
なるほど。
百歩譲って、そういうことも考えられなくはない。
「少年が無免許だと知らなかった」「そもそも『車の運転に免許が必要だ』ということを知らなかったんじゃないか」なんていう、冗談なのか本気なのかよくわからない意見もある。
あまりに馬鹿げている!!…と言いたいところだが…我々が『常識』と思っているだけで、そうじゃないとも言いきれない。
常識の外の世界で生きている人間というのは、少なからずいる。
確かに…何をもって常識かなんてことは、人によって違うわけだ。
世の中には(これは2人に言えることだが)車を運転するのに免許が必要だ…ということを知らない16歳がいてもおかしくない。
そして、もしこの意見が正しければ、同乗していた少女に『瑕疵(かし)はない』ということになる。
いやいや、待て待て…やはりそれはそれで問題だ。
「無知は罪なり」。
16歳にもなり、そんなことすら知らないということは、充分、罪に値(あたい)するのではないか…。
もしそうであったら、バカを世の中に曝け出しているようなものである。
これはこれで、個人(故人)の名誉に関わることだろう。
知っていたのか、知らなかったのか…。
死人に口なし…。
残念ながら、彼女の口から真相を訊く事はできない。
ただどちらに転んでも、少女に対する評価はそう変わらない。
今後2人に関しては主従関係のみが、争点になるのだろう。
「彼女にも親族がいる。死者に鞭打つような発言はいかがなものか」と口を挟む者がいる。
それはそうかも知れない。
残された遺族は、悲しみにくれているハズだ。
例え娘に非があろうとも、親は親だ。
笑って手を振ることなど、できるはずがない。
いや、敢えてここは『普通の親なら』と言っておくべきか…。
しかし、彼女は被害者でもあるが、その前に加害者の可能性もあるわけだ。
親としては、ある意味、どっちつかずの辛い立場かも知れない。
だが高野からしてみれば、そんなことは関係ない。
親としての監督責任を問うていくことになる。
「何が原因でそうなったか」を解明しない限り、この事故(事件)の解決は見えない。
それを明らかにするのは、残った少年の責務である。
果たして少女は…あの世で何を思っているのだろうか…。
~つづく~