【ラブライブ μ's物語 Vol.4】オレとつばさと、ときどきμ's ~Winning wings 外伝~   作:スターダイヤモンド

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母、強し

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か?」

 

沙紀がトイレから出てくると、その前で中村が立っていた。

 

「女子トイレの前で待ち伏せなんて、変態ですか?」

沙紀は中村を軽く睨み付けた。

 

その目は充血しており、明らかに異変が見られる。

 

「『つわり』じゃないだろうな」

 

状況が状況だけに、囁くように話す。

 

「なっ…何を?」

 

「口元を押さえてトイレに駆け込めば…まずは『それ』を疑いたくなる」

 

「見てたんですか?」

 

「見ちまった」

 

「だとしても、そんなわけないじゃないですか…。こんな時に、つまらない冗談はやめてください」

 

「こんな時だからこそ、余計心配なんだ」

 

「大丈夫です…そんなんじゃありません…」

 

「吐いた(もどした)のか?…」

 

「何も出ませんでしたけど」

 

 

 

練習が終わってから、今まで、食事はおろか、水も口にしていない。

 

胃の中は空っぽだった。

 

 

 

「確かにな…お茶くらいは飲んだ方がいい」

 

中村はロビーにある自販機へと歩き出した。

 

沙紀も、そのうしろをついていく。

 

「ジャスミン茶でいいか?」

 

「ジャスミン茶?」

 

「リラックス効果があり、眠りを誘う薬でもある」

 

「眠りを誘う薬?」

 

「知らないのか?『オリビアを聴きながら』」

 

「はぁ…」

 

「まぁ、いい…」

 

中村はジャスミン茶を2本買った。

 

「あとで、つばさにも渡してやれ」

 

「はい…ごちそうになります」

 

自分は缶コーヒーを選んだ。

 

 

 

「それで…どうした?」

 

「私…ですか?」

 

「他に誰がいる?…田北監督みたいなことを言わせるな…。こう見えても一応、トレーナーだから、選手の体調管理は、俺の仕事だ」

缶コーヒーのプルタブを起こしながら、沙紀に言う。

 

 

 

「…これを見てたら、具合が悪くなりました…」

沙紀は持っていたスマホを差し出した。

 

ジッとその画面を眺める、中村。

 

 

 

「なるほど…」

 

「わけがわかりません…」

 

 

 

沙紀がそう言った意味はふたつある。

 

ひとつは書き込まれた内容。

 

もうひとつは、それを見た自分の感情。

 

 

 

「こんな『落書きの類い』は、今に始まったことじゃないし、お前が気にすることでもないだろ?」

 

「わかってますよ…わかってますけど…。私だって、シュート外した時はバカだの、アホだの…死ねだの…言われます。だから、それくらいのことは、慣れてます。でも、これは…」

 

沙紀はそこまで言って、言葉を詰まらせた。

 

 

 

「…酷すぎます…」

 

 

 

「そうか…」

 

 

 

「自分のことじゃないのに…高野くんのことは数回顔を会わせただけで、よく知らないのに…すごく悔しくなって…」

 

「ほう…」

 

「だってそうじゃないですか!まだ、そうなったなんて、誰も言ってないのに!ここにいる私だって聴かされてないのに!」

 

沙紀の声が大きくなるのを、中村は指の前で人差し指を立てて制した。

 

「気持ちはわかる。俺だって気持ちのいいもんじゃない。だが、少し落ち着け…」

 

 

 

「…はい…」

 

沙紀は言われて、ひとつ大きな深呼吸をした。

 

 

 

「自分のことじゃなく、他人のことでそういう感情が沸くってことは、人として、とても大切だ。沙紀にそういう感情があるってことは、誇りに思っていい」

 

「冷静ですね」

 

「当事者でもなければ、関係者でもないからな…今のところは…という注釈が着くが」

 

「えっ?」

 

「『結果次第』で、お前とつばさと…2人のメンタルケアをしなければならない。とてもオリンピックどころじゃなくなる」

 

「中村さん…」

 

「そうならないように祈るしかないんだがな…」

 

沙紀は黙って頷いく。

 

そしてそのまま、一旦は歩きかけたが、すぐに踵(きびす)を返した。

 

「どうした?」

 

「さっきの内容の中で『女がどうの…』ってあったじゃないですか…。あれ、事実ですかね?」

 

「知らんよ…俺に訊くな」

 

「もし、つばさっていう彼女がいながら、そんなことしてたとしたら…」

 

「お前が踊らされてどうする?」

 

「…ですよね…。なんか、もしそうだったら、つばさがあまりに可哀想だな…なんて思っちゃって…」

 

「ずいぶんとつばさ想いなんだな」

 

 

 

「はい、惚れてますから!」

 

 

 

「ん?」

 

 

 

「あ…いや、なんでもないです。何だかんだで4年一緒にやってきましたし、私の力を最大限引き出してくれるのは、つばさしかいないですから」

 

「うまい言い訳だな…」

 

「えっ?」

 

「いや、別に…。まぁ、共倒れにならないように気を付けろ」

 

「あ…はい…」

 

 

 

…なんだか、複雑な話になってきたな…

 

 

 

中村は開けた缶コーヒーを、グビリと飲んだ。

 

 

 

 

 

その時だった…

 

 

 

 

座っていた関係者、選手が次々と立ち上がる。

 

 

 

奥の方から、白衣を着た人物が現れた。

 

 

 

「先生!」

 

「梨里は!?」

 

「どうなんですか!?」

 

「無事なんですよね!?」

 

 

 

矢継ぎ早に、言葉を浴びせる。

 

医師はそれを受け…ゆっくり頚を振った。

 

 

 

「えっ!!」

 

 

 

「あ、いえ…無事ではないです…。ですが…」

 

「じゃあ!」

 

「まぁ、落ち着いてください、今、説明しますから…」

 

医師は「座って、座って」と、いうジェスチャーをした。

 

 

 

「では、高野さんの容態について…あ、今、ご両親には説明してきたのですが…非常に危険な状態…頭を強く打っており、昏睡状態です」

 

 

 

「昏睡状態…」

 

誰ともなく、呟く。

 

 

 

「意識が回復するかどうかは…ここ一晩二晩が勝負でしょう」

 

「身体の方は?」

 

「幸い…といいますか、外傷という部分で言えば、奇跡的に太股を強く打った程度で済んでます。いわゆる打撲です。骨折はしていません」

 

「あぁ、じゃあ、意識さえもどれば…」

 

「ただし…」

 

「ただし?」

 

「車との直撃は避けようですが…頭から落ちており…その結果、頸椎損傷をしています」

 

 

 

「頸椎…」

 

「損傷…」

 

 

 

「それじゃあ、意識を取り戻しても、プレーは…」

 

 

 

「それどころか…四肢に影響が残ることさえ、考えられます…」

 

 

 

「…」

 

 

 

 

 

絶望。

 

 

 

 

誰もがその言葉を思い浮かべた。

 

それ以外の言葉が見つからなかった。

 

 

 

呼吸すら、忘れる。

 

そんな、重く、静かなロビー。

 

ここだけ時間が止まったようだ。

 

医師もその空気に飲み込まれたかのように、そこから立ち去ることをしなかった。

 

もうすでに、ここでの仕事は終えたハズなのに…だ。

 

 

 

 

 

時を動かしたのは高野の両親だった。

 

 

 

先ほど医師が現れた方から、ゆっくりと歩み寄ると、ロビーに集まっている面々に、まずは深々と一礼をした。

 

「この度は、息子が大変なご迷惑とご心配をお掛けしてしまい、申し訳ございません」

 

高野の父はそう言うと、再び頭を下げた。

 

「いえ、いえ、どうか頭を上げてください。高野くんがこのような事故に巻き込まれて…私たちも大変なショックを受けておりますが…とにかく今は意識が回復するのを祈ることしか…」

 

「ありがとうございます」

 

「ご両親もお辛いと思いますが…」

 

「いえ…。逆にこのように皆様駆けつけてくださり、感謝しております。誠にありがとうござます。ですが、…梨里は今、ICUにおり、私たちも中に入ることはできません。いつまで待っていてもアレですし、時間も時間ですので…今日はお引き取り頂いたほうがよいかと…」

 

「いや、しかし…」

 

「皆様も大事な時期であることは、承知しておりますので…。状況に変化があれば、速やかにお伝え致します」

 

 

 

正直、結果がどちらに転ぼうと、顔を見るまでは帰れない…そんな感じだったのだが、ICUから出てこないのであれば、これ以上待っていても仕方がない。

 

心苦しいが、それはそれで仕方ないことだった。

 

 

 

「わかりました。では、私たちは一旦、引き上げます…」

 

「はい」

 

「どうぞ、彼を責めないでください。我々は彼がピッチに戻ってくるのを祈ってますから」

 

「ええ、必ず戻りますよ…梨里は!」

 

 

 

 

 

関係者と選手は、ひとりづつ一礼をしたあと、病院をあとにした。

 

医師も、持ち場へと戻る、

 

 

 

それを見送った両親は「はぁ…」と大きく溜め息をひとつついた。

 

そして、崩れ落ちるようにして、ロビーのイスに腰掛ける。

 

 

 

「お父さん…」

 

「あぁ…」

 

 

 

それだけで会話が成立したようだ。

 

それが夫婦というものなのだろう。

 

 

 

「喉が乾いたな…」

 

父がイスから立ち上がろうとするのを「私がいきますよ」と妻が制した。

 

そして彼女が自販機の方へと振り向くと…

 

そこには、忘れれ去られたかのように、静かに佇む、3人の人影があった。

 

「きゃっ!」

 

一瞬のけぞる妻。

 

だが、すぐに

「ごめんなさい、誰もがいないと思っていたので…」

と謝った。

 

 

 

 

「いえ、こちらこそ、驚かせてしまい、すみませんでした。なんか、帰りそびれちゃって」

 

「あら、関係者の方ですか?これは失礼致しました」

 

 

 

「おばさん…おじさん…『綾乃』です」

 

 

 

「えっ!?」

 

「『綾乃』ちゃん?」

 

 

 

「おばさん!」

 

綾乃はフラフラと歩き出すと、高野の母にしがみついた。

 

それを彼女がしっかりと抱き止める。

 

「どうして、綾乃ちゃんがここに…」

 

「いても立ってもいられなくて…仲間に連れてきてもらったの!」

 

梨里の母は、沙紀と中村に頭を下げる。

 

2人は軽く会釈した。

 

 

 

「ごめんね、梨里が迷惑掛けて…」

 

「迷惑だなんてそんな…」

 

「綾乃ちゃんも大事な時期なのに…」

 

「私のことはいいんです!とにかく、梨里が心配で…」

 

「ありがとう…。本当にありがとう。でも、私たちは、今、何もできないの。顔を叩いて起きるものなら、何度でも叩くけど」

 

「おばさん…」

 

「それとも、綾乃ちゃんがチューしてくれたら、目を醒ますかしら」

 

「白雪姫ですか!」

 

「うふふ…立場が逆だったかしら…」

 

「それで起きるならしますけどね…チュー」

 

「そうしてくれる?私のチューじゃ起きないから…」

 

「…おばさん…」

 

「泣かないの。大丈夫。あの子は丈夫なのが取り柄なんだから。小中の9ヵ年皆勤賞を舐めちゃいけないわよ」

 

「ふふふ…ぐすっ…それ、関係ある?」

 

綾乃は泣き笑いをしていた。

 

 

 

…気丈な母親だな…

 

 

 

中村はその様子を見て、目に熱いものを感じた。

 

 

 

…俺も歳かな…

 

…涙腺が脆くなってる…

 

 

 

中村は沙紀に気付かれないよう、そっとトイレへ逃げ込んだ。

 

 

 

その沙紀は…

 

 

 

鼻水をすすりながら、2人の様子を見ていた。

 

 

 

なぜか涙が止まらなかった…。

 

 

 

 

 

~つづく~


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