【ラブライブ μ's物語 Vol.4】オレとつばさと、ときどきμ's ~Winning wings 外伝~ 作:スターダイヤモンド
シルフィードの3人と海未はタクシーに乗ると、病院からさほど離れていない、飲食店が立ち並ぶ繁華街と出向いた。
はるかが先頭を歩き、ビルの地下にある隠れ家的な店へと到着した。
看板には『Rosso Nero Bianco (ロッソ ネロ ビアンコ)』と書いてある。
どうやらイタリアンの店らしい。
「予約した『鈴木 萌絵』です」
はるかを出迎えた店員に伝えた名前は、彼女の本名だった。
「いつもありがとうございます。お待ちしておりました」
入った店はシルフィードとして馴染みの店らしく、店員も誰だかは知っているようだったが、だからといって騒ぐことも、特別扱いをすることもなく、淡々と席へと案内した。
はるかが予約した個室は、8人が座れる席だった。
「ふふふ…あとから誰か来ますよ…ってバレバレじゃない」
つばさが笑いながら突っ込むと
「…ですね…」
とバツが悪そうに、はるかは舌を出した。
A-RISEが来ていないので、4人は固まって座る。
主役のつばさは上座の奥に、その対面には『ゲスト』の海未、つばさの隣にめぐみ、その前に本日の幹事であるはるかが位置した。
「先にお飲み物を…」
案内をした店員が4人に尋ねる。
「綾乃さん、飲みます?」
幹事らしく、はるかが取り仕切る。
「今日はやめておくわ。オレンジジュースで」
「園田さんは?お酒…スパークリングワインとかありますよ?」
「いえ、私もオレンジジュースで結構です」
「飲めるなら遠慮しなくてもいいんですよ?」
「いえ…」
「そうですか…。かのんは?」
「私も同じので」
「じゃあ、オレンジジュースを4つ。それと…これと、これと…これとこれ!全部、人数分で」
はるかがメニューを見ながら、迷うことなく、手早く料理を注文すると、店員はオーダーを復唱して、部屋をあとにした。
「『はるか』さんは『萌絵』さん…とおっしゃるのですか?」
海未は店に来た時に、はるかが店員に告げた名前を思い出した。
「はい!あ、そうですよね…急に誰?って話しですよね…。基本的にプライベートな時間は、本名で過ごしてるんです」
「ちなみに私は『かのん』です」
「私は『綾乃』よ」
「私は『海未』です」
「知ってる」
「知ってます」
「はい、知ってますよ」
3人から突っ込みが入る。
「あ、いえ、皆さんが下の名前で呼ばれるなら、私も海未でいいです…と言いたかったんですが」
「あぁ、そういうことですか。『園田 海未』っていう芸名があって『園田 海未』って本名があるのと…」
「『園田 海未役の園田 海未』的な…ね?」
「なっ!はる…いえ、萌絵さんも、かのんさんも
、なぜそんな話を!」
「μ'sファンなら常識ですよ!」
「『μ's伝説』に載ってますし」
「『μ's伝説』?」
「あれ?知りません?誰がまとめたかはわからないですけど、μ'sの歴史から、楽曲、メンバーの裏話等々をまとめたwebサイトです」
「聴いたことはあります…。ですが、見たことは…」
「へぇ、そうなんですか。でも、案外、そういうものかも知れないですね。自分たちのことは自分たちが一番よく知ってますから…いちいち過去のことなんて見ないですよね…って、じゃあ…今の話は本当なんですか?一種の都市伝説みたいなものかと思ってましたけど…」
「えっ?あ、はい、いや…その…はるかさ…ではなくて…萌絵さん…」
「無理しなくていいですよ、はるかでも全然平気ですから」
「すみません。それで、その…ええ、確かに、昔、そんなことを言ったかと…」
「ふふふ…意外と天然なんですね?」
「こら!萌絵!それは海未さんに失礼だよ」
「いえ、そうかも知れません」
「あの…海未さん」
「はい、なんでしょう、かのんさん」
「ずっと気になってたんですけど…もっと、肩の力を抜いてくださいな。私と萌絵は年下ですし、そんな敬語で喋って頂かなくても…。って、私たち、そんなに緊張させてます?」
「そんなことはございません!むしろ、こんなにも距離を詰めて頂いているのに…。ですが、私はμ'sの中にいてもこういう感じなので…決して特別ことではないのです!」
「なるほど…噂通り、本当に大和撫子なんですね…」
「穂乃果にもよく言われるんです。真面目すぎるとか、堅すぎるとか。ですが、これはもう、生まれ持った性格でして、今更は変えられないのです」
「いいんじゃないかな、それで」
「つばささ…失礼しました…綾乃さん…」
「いいのよ、訂正しなくても」
綾乃は軽く微笑んで、話を続けた。
「海未さんみたいな人がいたから、μ'sはあの人数でも、ひとつにまとまったんでしょ?それは海未さんに人望があったからだと思うわ」
「そういって頂けると、少し救われます。時おり、自分で自分が嫌になるときがあるんです。もっと楽になれればな…と」
「息抜きは必要ですよ。だから、今日は楽しくお喋りしましょう」
「かのんさん…。はい、ありがとうございます!」
海未の顔が、パッとほころんだ。
「ところで、皆さんは芸名と本名を使い分けるのは、大変ではないのでしょうか?」
「そうねぇ。大変ではないかな?逆にON/OFFの切り替えができるというか…」
「当然メリット、デメリットはありますよ。本名で生活するのって、すべてがバレちゃうわ けですから。でも、だからこそ、下手なことができないってこともあるし」
「それなりの緊張感をもって暮らしてるよね?」
萌絵がそう言うと、綾乃もかのんも、首を縦に振った。
『仕事以外は本名』
これは事務所の…というより、事務所の社長の『原』の方針なのだが、一般生活において『芸能人』であることを理由に、特別優遇されるようなことがあってはならない…というものだった。
芸能人だというだけでチヤホヤされるのは、本人の為に良くない。
特に若いうちは実力も経験もないのに、周りに流されて、自分を勘違いしてしまうから気を付けなさい…と、厳しく教育されてきた。
長らく芸能界を見てきた社長の原にとって、才能がありながらも、天狗になり、若くして金や酒、クスリ、異性関係などで身を滅ぼした人間を山ほど知っている。
自身の事務所からだけは、そういった人間を出すまいと心掛けてきた。
だから、浅倉さくらについても『芸名を付けてあげれば良かった』と後悔してしていたらしい。
彼女の名前は本名なのだが、あまりに芸名っぽかったので、当時はそれはそれでいいだろう…という判断だった。
しかし、どこにいくにも、なにをするにも、その名前はついて回る。
本人にそのつもりはなくても、周りが気を遣う。
今で言うところの『忖度』だ。
結果、仕事とプライベートの区別がつかなくなる。
幸い彼女は、名前を誇示して公私混同をするようなタイプではなかったが、このことを教訓に、綾乃以降のタレントについては芸名を与えることとした。
名前を使い分けることで、スイッチの切り替えができるのが、このことの一番のメリットだろう。
もっとも、プライベートだからと言って(芸能人としての)緊張感がなくなっていいか…というのは、また別問題である。
こういう時代だ。
いつ、どこで、誰が、何をして、どうなったかなんて、芸能リポーターやパパラッチでなくても、簡単にネットやSNSに曝すことができる。
それは芸能人である、ないに関わらず、プライバシーの侵害という問題とどう向き合っていくか…という、もっと大局的な話になるのだが…。
「そういうことですか。わかる気がします。私は弓道を嗜んでいるのですが、ジャージで弓を持つのと、袴を身に付けて弓を持つのとでは、全然集中力が違います。つまり、そういうことなのですね?」
「うん、多分そうです」
「多分って」
と、かのんが笑う。
「いきなり弓道が出てくるとは思わなかったから」
「す、すみません」
「だから、謝らないでください」
「すみません」
「ほら!」
「あっ!」
「ふふふ…海未さんて、本当に生真面目なんだね」
「はぁ…」
「これでステージに立つと投げキッスとかしちゃうんだから、海未さん、素敵すぎます!」
「萌絵さん…いや、それは…お恥ずかしい…」
海未の顔はみるみる赤くなった。
「失礼します」
店員が、飲み物と料理を運んで、テーブルに並べていった。
「それでは、皆さん、グラスを持って…えへん!…我らが夢野つばさのオリンピックメダル獲得祈願と、μ'sの園田 海未さんとの出会いを祝して…」
「カンパ~イ!!」
はるかが音頭を取り、4人はグラスを合わせた。
~つづく~