許容できる方のみお願いします。
時刻は日付の変わる頃。
カルデアの火は節電状態になり、主要通路以外は薄暗く、サーヴァントを含めたカルデアの面々は眠りにつく。
食事や酒を求めるスタッフやサーヴァントの姿もなく、普段は賑やかな食堂も今は静寂に満ちていた。
その薄闇の中、忍び足で音を立てることを避けながら歩く影がひとつ。
「気分は某ダンボールの傭兵ね……クリア、クリア、クリア。よし、誰もいない」
影の正体、刑部姫は小声の指差し呼称と共に歩を進める。
仮にもアサシンのクラスなのだから見つかりたくなければ気配遮断スキルを使えばいいものなのだが、超長期にわたる引きこもり生活のせいで、刑部姫は気配遮断の使い方なんて忘れてしまった。
引きこもっていれば気配を隠す必要なんてない。誰とも関わらないのだから、そもそも隠す相手がいない。
「こんな時間に飯テロ画像なんか見ちゃったら我慢できるわけないよね。えっと、くろひーの情報によれば確かここに……」
なるべく物音を立てないよう、抜き足差し足でカルデアの食堂の奥に位置するキッチンへと侵入し、刑部姫は食料庫を開ける。
「ここかな……お、あったあった」
扉が軋む音と共に、そこには冷蔵庫に入れる必要のない食材の数々が詰め込まれていた。缶詰や保存食、乾物が主たるものである。
消費するのがマスターとマシュ、スタッフだけ、と考えるとかなりの量だが、いつ供給が覚束なくなるかわからないカルデアにおいて、保存食はマスター及びスタッフの生命に関わる。
出来る時に大量に仕入れ、足の早い食材や時が経ち悪くなりそうなものから普段の食事に使用する、という方針がカルデアの食糧事情だった。
加えて、サーヴァントでも娯楽や嗜好品という意味で消費する者もいる。中には常軌を逸した量を胃袋に収めるサーヴァントすらおり、そういう意味では少々溜め込みすぎ、くらいが丁度良かった。
が、そんな事を引きこもりの代名詞とも言える刑部姫が知る由もなく。
「ひっひっひ、これこれ」
現代になって開発された、簡単かつ短時間で調理が可能な保存食、いわゆるインスタント食品の中からカップ焼きそばを選び出す。
そのお手軽さたるや、ブリテンの王をして『これさえあればカムランで負ける事はなかった』とまで言わしめた程である。
「えーっと、お湯を入れて三分待ってお湯を捨てる……簡単すぎて魔法の域だね、これ。そりゃ現代にも姫みたいな引きこもりも増えるって」
包装ラベルを剥がし、厨房に備え付けてあるポットの湯を注ぐ。夜通し働くスタッフもいるカルデアの食堂では、ポットが簡単な夜食と共に設置されていた。
「おにぎり……これもついでにもらっとこ。いいよね、私も一応カルデアの戦力だし?」
今日の夜食である塩むすびを二個持ち出しカウンターに置き、箸やら飲み物の麦茶の用意やらを一通り終えたところで、三分に設定していたタブレットのタイマーが鳴った。
「お湯を捨てて、えーと、ソースを入れてよくかき混ぜる……うわっ、なにこのにおいテロ、やばっ」
鼻腔の奥を刺激するソースの芳醇な香りがもわっと周囲に満ちると共に、刑部姫の胃が、くう、と早くしろと言わんばかりに音を立てる。
カウンターの上に並ぶは、カップ焼きそばにおにぎり二個、作り置きの麦茶。
昼食ならばまだしも、炭水化物の暴力とも言えるそのラインナップは、うら若き女性の夜食としては若干どころか相当な危機感を覚えるレベルだった。
「ちょっと食べすぎかな……でも夕飯もおせんべだけだったし、夜なら身体も寝てるからカロリーゼロ! ってまーちゃんも言ってたから大丈夫! いっただきま――」
「おいしそうですね」
「おひゃあ!?」
手を合わせ、麺をかき混ぜた際にソースの染み込んだ割り箸を手に取った瞬間、後ろから声をかけられ刑部姫は飛び上がった。
「どうかしましたか」
「し、心臓が口から飛び出るかと思った……」
「ユニークな体質ですね」
「え、えっと……Xオルタさん、だっけ」
「はい。我ながら長い名前だと思うのでお好きにお呼び下さい。えつ子とかえっちゃんとか」
闇の中に溶けるかのように気配を消して現れたのは、謎のヒロインXオルタだった。
人見知りの引きこもり体質のせいでカルデアに召喚された英霊もほとんど把握できていない刑部姫だったが、Xオルタのことは知っていた。黒髭がパワーポイントで作ったプレゼン資料『拙者が選ぶカルデア萌えサーヴァント百選』で見ていたからである。
そのXオルタ当人は刑部姫の奇妙な悲鳴にも眉ひとつ動かさず、それでいて視線だけはカウンターの上に釘付けだった。
「ええと……それで、えっさんはなんでここに?」
「おいしそうですね、それ」
「へ?」
「おいしそうですね」
会話の最中も終始、ターゲット集中スキルをかけたかのように目線を焼きそばから外さないXオルタの妙な圧力が刑部姫を襲う。
そいつをよこせ、と。
その感情の色が読み取れない、ノイズのようにざらついた狂戦士の瞳が言葉以上に物語っていた。
その目力に刑部姫は瞬時に理解する。
この場において、私は獲物で、彼女は捕食者なのだ。
もし断ったりしたら食われるのは私だ、と、引きこもりと言う名の防御にポイント全振りした直感が告げていた。
「よ、よかったら一口食べる?」
固唾を飲み、熟考の結果ようやく出たのはその一言だった。
いくら相手がバーサーカーとはいえ、刑部姫もここまでお膳立てをしたからにはもう、焼きそばを食べないことには収まりがつかない。このまま生贄のごとく全てを献上して逃げるのが一番安全なのだが、焼きそばを食べる為に珍しく部屋から出たというのに、すごすごと帰っては悶々として眠れる気がしない。
それに黒髭の話によれば彼女は和菓子専門の大食い天然キャラ。焼きそばならば少し食べたら満足するだろう、というのが刑部姫の予想だった。
「いいのですか、やさしいお姉さん」
「うん、まあ、一口くらいなら」
「では遠慮なく」
Xオルタは待ってましたとばかりに箸を手にする――ことはなく、
「えい」
ポリスチレンの容器ごと手にすると、上を向き、そのまま自分の口の上で逆さにするという残虐行為に出た。
「ちょっと! 何してくれてるのよあんた!」
「ひほふひれふ(一口です)」
「これだからかわいい顔しててもバーサーカーは! 返して! 姫の焼きそばを返してよぉ!」
「……何を騒いでいるんだ」
と、なんとかして吐き出させようと刑部姫が咀嚼を続けるXオルタの身体を揺すっていたところに、第三者がいつの間にかすぐ近くまで来ていた。
魔力焼けした褐色の肌に赤い外套。
カルデアの食堂において調理を担当するエミヤだった。
「悲鳴が聞こえたから何事かと思えば……Xオルタと、刑部姫か? 君が部屋から出るとは珍しい」
「ふぁい(はい)」
「行儀が悪いから喋るのは飲み込んでからにしろ」
「私のなのにぃ!」
無表情のまま咀嚼を続けるXオルタに、彼女を責めるかのように涙する刑部姫。
カウンター上に乗った麦茶と塩むすび。
それらを見てエミヤは直感で察する。
「つまり、あれか。カップ焼きそばを食べようと作ったはいいが、彼女に全て食べられた、と」
「大体あってる」
「成程な。それはいいが年頃の娘がこんな時間にそんな添加物と炭水化物たっぷりの身体に悪いものを食うんじゃない。太るぞ」
「そっ、そんなの私の勝手でしょ! そもそもサーヴァントは太らないし! 姫はいつまでも適度にお肉のついた愛されマシュマロボディなんだから!」
「それこそ思い上がりだ。普段からろくに魔力も使わんであろう君が暴食を続けたらそれなりに蓄積するんじゃないか?」
「ていうかなんで姫だけ責められてるの? そこで口の周りソースだらけにしてもぐもぐしてる子はいいの!?」
「彼女たちには言うだけ無駄だ。スパルタクスに恭順のありがたみを説いた方がまだ有益だぞ」
「……さいですか」
Xオルタを見るエミヤの視線には、一種の諦観の念が見受けられた。アルトリアの名を冠する英霊たちの大食いスキルは刑部姫も聞いていたので、それ以上は突っ込まないことにした。
「食うなとは言わん。私も出自は現代人だ、時折ジャンクなものを食べたくなる気持ちもわかる。だが肉野菜炭水化物はバランス良く食え」
「バランスよくって言われても……私、料理なんて出来ないし」
「全く……仕方ない。五分待て」
投影開始、と魔術を使いエプロンを投影すると、刑部姫の返事も待たずにエミヤは厨房に立つ。
冷蔵庫から取り出したのは、焼きそば用の蒸し麺に豚バラ肉、キャベツ、シメジ、もやしにピーマン。それらを手慣れた手つきで瞬く間に包丁で刻み、火にかけた油をひいたフライパンに投入。材料に火が通ったところで蒸し麺に日本酒を少量振りかけてほぐし、一緒に炒める。
「すご……」
その、あまりに鮮やかな調理の流れに刑部姫は魅入っていた。
そもそも、刑部姫は料理などした事もなければ、見たことすらない。姫路城で引きこもっていた時に、偶然目の端に入れた、程度だ。
城化物という妖怪に属される刑部姫は、大きな力を持ちながらも欲を持たず、人と会うことを厭い、結果引きこもった存在である。
人間という種は単体では虚弱なものの、全体を一つの個体と捉えると、その能力は他の生物と一線を画すと刑部姫は思う。
刑部姫が愛してやまないネットやパソコンを作ったのも人間だ。そのお陰で引きこもりに拍車はかかったが、元より関わるつもりすらない刑部姫にとってはメリットしかない。
そう、関わるつもりなんて最初からなかったのだ。
人を助け、善行を積み、神を気取ることも出来た。人に崇められていれば寂しさだけは埋められたかも知れない。
暴れ回り、人類の敵として必要悪を演じることも出来た。人間に畏れられることで、存在理由だけは得られたかも知れない。
だが、刑部姫はどれにも興味がない。
ならば自分は何の為に産まれ、何の為に存在し、何の為に死ぬのか。そんな事を考えるのは最初の百年でほどなく飽きる。
友人である清姫はひとりの人間を愛し、裏切られ、盲目の愛に溺れる蛇となった。
玉藻は人間そのものをこよなく愛したが、化物である以上、最後はその人間の手によって封印された。
愛そうが、殺そうが、何をしても結局は無駄なのだ。最後は人間にとって都合のいい形で利用され、捨てられるに過ぎない。刑部姫はそれを無意識的に理解していたのだろう、力を持つ存在として産まれても、何かをしようという気にはなれなかった。
そう思うと、刑部姫には、生きること自体に無気力になった。死ぬにしても、わざわざ自殺する程の理由も無ければ痛いのも嫌いだ。死後の世界があるかどうかは知らないが、そこも同じだったら単なる死に損である。
だからなるべく誰にも会わず、関わることもせず、ひたすら退屈の海に身を沈めた。
それから後は惰性だ。引きこもりという、生きているのか死んでいるのかもはっきりとしない無益の日々が続いた。
カルデアに召喚されても、場所が変わっただけでやる事は一緒だ。マスターが変わり者なのと機械類に不自由しないお陰で、前以上に引きこもりライフは充実している程だ。
それに反して、目の前で鍋を振るう名も知らぬ英霊は何なのだろうか。
少なくとも料理の上手い英霊なんて刑部姫は聞いたことがなかった。
「よし、完成だ。おまけで目玉焼きも乗せてやる」
「……っ」
皿に盛られた焼きそばに満遍なく青のりと紅生姜が散りばめられ、とどめと言わんばかりに目玉焼きが乗せられる。
ごくり、と身体に響く聞き慣れない音が、刑部姫が自分の唾を飲み込む音だと気付くのにしばらくかかった。
ちりちりとソースの焦げるにおいが食欲を増進させる。さっきのカップ焼きそばとは段違いのにおいテロだ。
そもそもカップ焼きそばは焼いていない、焼きそば風カップ麺なので当たり前ではあるのだが。
「わたしのはないんですか」
「君はさっき刑部姫のカップ焼きそばを強奪したんじゃないのか」
「強奪なんて人聞きの悪い。合意の上です」
「世の中には合意の上でも罪になる事があるんだ」
「お姉さんは未成年ではないので大丈夫です」
「あのな……まあいい、昨夜、栗きんとんを作ったんだが、それでいいか?」
「栗きんとんとはすばらしい。さすがです」
「刑部姫、君もぼうっとしていないで折角だから冷める前に食べたらどうだ」
「え、あ、うん。いただきます」
「いただきます」
「君はその前に口の周りを拭け、Xオルタ」
「むぐ」
一方的におしぼりで口許を拭かれているXオルタを横目に、仲のいい兄妹みたいだと思いつつ刑部姫は箸を取る。
目玉焼きの黄身を箸の先で突き破り、刑部姫の引きこもり生活で完成させた不健康優良児体質を気遣ってか、野菜を多めに入れた焼きそばを口にする。
「……!」
濃厚でべったりとした焼きそばソースに甘い卵のとろみが絡むことでまろやかになった酸味と芳醇な香りが口内に広がる。
麺もカップ焼きそばのそれとは大違いで、日本人の大好きなもちもちとした食感があとを引く。
野菜は炒められたことで食べやすくなっており、豚バラ肉の脂にソースと絡み合うことで白米を進ませるのに一役も二役も買っていた。
ともなればしつこすぎるとも思えたその濃厚な味も、多めの野菜と、あっさりとした紅生姜を時折箸休めとしてつまむことで、焼きそば、おにぎり、紅生姜の無限ループを形成していた。
「はぁ……おいしかった」
気付けば皿は空になっており、今まで味わったことのない充足感が刑部姫を包む。
「それは結構。気は済んだかね」
「え、う、うん」
「栗きんとんのおかわりをいただけますか」
「駄目だ。君ももう寝ろ。残りは明日だ」
「明日は好きなだけ食べていいのですか?」
「ああ、おかわりもいいぞ」
「わかりました。約束ですよ。では今日は撤収します」
結局彼女はなんだったのだろうか、と刑部姫が聞く機会を逸したまま、Xオルタは表情ひとつ変えずに恐らくは自室へと帰っていった。
「彼女、何者なの?」
「ん? ああ、私は生前、彼女の系譜を辿っている者に世話になった事があってな……まあ、よく食べるだけで害はないから気にするな」
「そう……あ、言い忘れてたけど、ごちそう、さま。その……ありがと」
「お粗末様。さあ、君も早く部屋に戻りたまえ」
「……むう」
と、手早く食器の片付けを始めるエミヤを、刑部姫が口先を尖らせ、上目遣いで睨むように凝視していた。
それに気付いたエミヤが洗い物を両手に立ち止まる。
「? まだ何かあるのか? これ以上の夜食は暴食だぞ。頼まれても作らんからな」
「ち、違うわよ!」
「じゃあなんだ、口に合わなかったか?」
刑部姫は何度も言うように誰とも関わりたくないが為に引きこもることを選んだ、生粋の引きこもりである。
必然的に普段から人と接しない彼女の対人コミュニケーション能力は、黒髭やエリザベートといった趣味や波長の合う友人以外には既存のテンプレートをなぞる事しか出来ない。
こういう時。
仲のいい人間以外、それも異性に慣れない頼みごとをする時。
何と言っていいのか、わからないのだ。
「あの……た、たまにでいいから、また姫にごはん作ってもらっても、いい?」
数十秒の試行錯誤の末、やっと絞り出したのは、そんな普遍的な言葉。
食事に楽しみを見出せるなんて、思いもしなかった。
嗜好品としてのお菓子や食事は時たま摂っていたけれど、生前も英霊化した後も食事が生きる上で大して重要な要素ではなかったせいか、食事そのものにこれ程の感動があるとは思わなかったのだ。
「それは別に構わんが……次はこんな真夜中ではなく、食事時に来るんだな」
「
「君の部屋までデリバリーしろと?」
「それいい。すごくいい。姫が連絡したら作って、サランラップかけてドアの前に置いといてくれるともっといい」
「お断りだ」
「ぐっ……やっぱりダメかあ」
「なに、一人で来にくいのであればここには君の友人だと聞く黒髭は毎日のように来ているし、何ならマスターや友人と一緒に来たらどうだ」
誰かと一緒にごはんを食べる。
そんな事、思いつきもしなかった。
食事は一人で摂るもの、という固定概念がいつの間にか彼女の中にはあった。長い人生において、誰かといるよりも孤独な時間の方が長かったのだから、無理もないことではあるが。
刑部姫は想像する。
「…………」
この食堂で、エミヤの作った食事を囲んで、清姫や玉藻、エリザベートにマスターと談笑する自分の姿。
「うん……そうね。そうしよっかな」
考えたこともなかったため、想像するのに時間はかかったが、悪くない。
女子会みたいなリア充イベントには一生縁がないものと思っていた。だが、あの友人たちならばきっと快諾してくれるだろう。
柄ではないけど、今度はここに誘って来てみよう。
何か、今までずっと足りなかったものが補われたような気分だった。
初めて経験する、どこか晴れ晴れしい気分で刑部姫はエミヤに向き直る。
「それはそうと」
「ん?」
「お兄さん、どこの英霊?」
その日、刑部姫には黒髭以外に異性の友人が出来た。
後日、わがままを言って部屋まで夜食を届けてもらった際、部屋を強引に掃除され、刑部姫の悲鳴がカルデア中に響き渡ったのは、また別の話。