西住みほは幼少の頃よりとても明るい性格だった。大人しい姉を連れてまわり、戦車で野山を駆け回ることを何度もしてきた。
女の子でありながら泥だらけになったり、傷だらけになったりして帰ってくることなどしょっちゅうだった。
親はそんなみほの腕白さにやれやれと頭を抱えつつも、どこかその奔放さを好ましくも思っていた。
戦車道の名家の家に生まれたみほは、いずれその性格も矯正されるだろうと周りは思っていたが、みほはそのまま元気なまま育った。
みほは親しい間柄の友人からは、その太陽のような明るさから『陽住』など呼ばれるようになっていった。
そう呼ばれるようになってから沢山の友達を作ったみほだったが、その中でも特にみほが好んでいた相手がいた。名を逸見エリカと言う。
エリカはみほが戦車道の名門、黒森峰に入学してからできた友達だった。エリカははよくみほと戦車道の腕を競っていた。
みほは控えめに言って天才だった。だから、誰しもがみほを特別視した。しかし、エリカは違った。エリカはみほを特別視することなく、同じ対等な同じ戦車道の仲間として扱ってくれた。みほにとってそのことは嬉しかった。だからみほは、エリカに対して他人以上に気兼ねなく接した。
エリカはみほについていける人間だった。戦車の腕はともかく、性格的な意味でそうだった。
みほは誰に対しても明るかったが、また誰に対しても傲慢な部分があった。
それは自分の才能に対する絶対的な自信から来るものであり、その傲慢さは普段は友達付き合いするのはよくても、戦車道においてはなるべくみほとは関わりたくないと思う生徒が多いほどだった。
だがエリカはそんなみほの傲慢さを気にすることはなかった。むしろ、みほの世話を甲斐甲斐しく焼いてくれた。みほはそんなエリカの接し方が嬉しく、よくエリカに甘えた。
みほはエリカを唯一無二の親友だと思っていた。
だからこそ、高校一年生のときの全国大会の決勝戦において、不慮の事故で水没したみほの戦車を助けに来たエリカが、その責任を負わされて学校を出ていったときは憤った。
理屈では理解していた。本当に悪いのは自分だとも思っていた。
だが、それでもエリカが黒森峰から出ていったのが納得できなかった。
そこには寂しさと、怒りがあった。
エリカがいなくなった寂しさ。そして、エリカが自分には黙って消えていった怒り。
そこに、大会が終わった後にエリカに対し「どうして助けに来たのよ! あんたがこなければ大会に勝ってたのに! 才能ない癖に、私達の足を引っ張って……この役立たず!」と、混乱するなか怒りをエリカにぶつけてしまった自己嫌悪が重なり、みほの内心は荒れに荒れた。
みほはずっと考えていた。
次にエリカにあったらなんて言おうと。
――いっぱい傷つけてしまったから謝らないと。でも、勝手に出ていったことは許したくない。もし次にあったら、私はひどいことを言ってしまうかもしれない。そもそも、次にエリカに会う機会などあるのだろうか。なにせ、エリカは戦車道のない学校に行ったと聞くから。
そんなみほの悩みは、一瞬にして吹き飛んだ。
翌年の大会の抽選会場において、みほはエリカの姿を見たのだから。
――黒森峰から出ていったのに、他の学校でまた戦車道をやるだなんて!
そんな怒りが、みほを支配した。
なので、次に会ったらいっぱい罵ってやろうとみほは決めた。
決めた、はずだった。
なのに――
「……は?」
みほは我が目を疑った。
場所は抽選会場に近い戦車喫茶。そこに甘いものを姉と一緒に食べにきたみほは、見た。
「あははははは! もう沙織ってばぁ!」
エリカが、あの常にクールという言葉が似合っていたはずのエリカが、他人に対しては多少棘のある性格だったはずのエリカが、満面の笑みで友人とスイーツを食べている姿が。
「エリカ……?」
「ん? あっ西住さんじゃなーい! お久しぶりー!」
エリカは朗らかな笑顔を崩さず、しかしまるで他人行儀に“西住さん”などという呼び方でみほを呼んだ。
「本当に、エリカなの……?」
「やーねー私に決まってるじゃないー! もう西住さんたら変なのー!」
――これは本当にエリカなの? 私の知っているエリカとは、全然違う。こんな常にヘラヘラ笑っているようなやつじゃなかった。
「えりりん? 誰あの人?」
「ああうん! 西住さんて言ってー、前の学校の知り合い!」
「に、西住姉妹ではありませぬか!? ど、どうも私秋山優花里と言いまして――」
エリカと一緒にいたもじゃもじゃの頭の子が何か挨拶をしてきたが、そんなことはどうでもよかった。
みほは姉である西住まほの顔を見た。まほもまた、動揺して言葉が出ないようだった。みほはそんな状況のなか、なんとか言葉をつがなければと思い、口を開く。
「……ひ、久しぶりじゃない。まさかこんなところで会うなんてねぇ! まだ戦車道をやってるとは思わなかったよ!」
みほは精一杯の虚勢を張って、相手をバカにするかのような態度で言った。
その口調に、沙織と呼ばれていたエリカの友人らしき子が嫌そうな顔をする。
だがエリカは、
「そうねー私も戦車道をまた始めるだなんて思わなかったわー。でもね聞いて西住さん! 私今とっても楽しいの!」
「え……? 楽しい……?」
「うん! みんなで一緒に戦車で遊ぶの、楽しいんだー!」
「遊ぶって……戦車道は武道なんだよ!? そんな生半可な気持ちでやらせてどうするの!?」
西住家は戦車道における由緒正しい旧家である。そこで育ったみほは、いくら奔放とはいえ戦車道に対し誇りのようなものを持っていた。そして、戦車に対し真剣に向き合うという心持ちもあった。それは、エリカにもあったもののはずだった。
だが、今のエリカは――
「ほら! 見て見てこの写真ー! この前みんなで一緒に撮ったんだけどさー! ほらーみんなこんな面白く戦車デコってるでしょー? もう楽しくってさー!」
「こんな、戦車に対してこんなふざけたことをあんたは……!」
みほはとうとう我慢できなくなり、エリカ達の座っている机に向かって歩き始めた。まほが驚き止めようとしたが、その言葉は耳には入らなかった。
「あんたねぇ!」
みほはバンッ! と机に両手を叩きつけた。
「戦車を動かすってことは重機を動かすってことなんだよ!? それをさぁ、こんな遊び半分の気持ちでやらせて、恥ずかしくないわけ!? それでも元黒森峰なの!?」
「んー西住さんが何怒ってるのか私ぜんぜんわかんないー」
エリカはふざけたようにヘラヘラ笑っていった。
それがみほの神経を逆撫でる。
「そもそも何よ西住さんって! 何その他人行儀な呼び方! 昔みたいにみほって呼びなよ!? それに、あんた昔はいっつも言ってたでしょ!? 私に勝つって! そのときの気概はどこに行っちゃったのよ!」
「んーそんなこと言われてもなー」
エリカはニコニコとしたまま言う。そして、次の言葉はみほをさらに失望の渦へと叩き落とすことになる。
「だってー真面目にやってもなー。私みたいなやつがいくら努力しても無駄だと思うしー」
「え……」
みほは思い出す。かつてエリカが言っていた言葉を。
『私はあなたに努力で勝って見せるわ! 才能だけがすべてじゃないってことを見せてあげる!』
それがエリカの口癖のようなものだった。
だが、今のエリカはその正反対のことを言っている。
本当に、目の前の人物は逸見エリカなのか?
そんな疑問すら、みほは持ち始めた。
「あんた……」
「それに、言ったのは西住さんだよ? 才能ない癖に足を引っ張るなって。私、それで目が覚めたんだー」
「あっ……」
みほはハッとする。それは、今までみほがずっと後悔していたはずの言葉。
だが、エリカに与えた影響はみほがしていた後悔よりも、ずっと大きくて――
「私ねーずっと思ってたんだ。私はずっと努力してるつもりだったけど、いくら努力しても西住さんみたいな天才の人達には全然追いつけてないなー、足引っ張ってるんじゃないかなーって。それでね、西住さんに言われて気づいたの! 駄目なやつはいくら頑張っても駄目なんだから、分相応に遊んでればいいんだって! 私に黒森峰は合わなかったのよ! だからそれを気づかせてくれた西住さんには感謝してるわ!」
「ち、違……私、そんなつもりじゃ……」
「だからね、私にとってこれはタダの遊びなの! 生徒会の人達はなんだか凄いやる気っぽいけど、まあ私はテキトーに楽しめたらそれでいいかなーって。努力なんて馬鹿馬鹿しいわよね! なんであんなことしてたのかしら私ー?」
人差し指を口元に置きながら、本当に分からないというふうに言うエリカの顔に、嘘は感じられなかった。だからこそ、みほは絶望した。
「私は……そんなつもりじゃ……私は……ただあんたと……」
「私ねー昔は色々言われてたんだ。性格がキツいとか真面目すぎるとか。それで友達ができなかったんだけど、今はこんなに友達がいっぱいなんだよー! 今まで真面目に生きてきたのが損だったんだよー」
「やめてよ……聞きたくない……そんなのあんたじゃないよ……」
みほは唇を震わせながら言う。
もうエリカの口からエリカがエリカでなくなってしまった事実を聞きたくなかった。
だがエリカは止まらない。まるでみほに今の自分を見よと言うように、しゃべり続ける。
「何に対してもねーテキトーが一番だなって。そう思ったら人生楽しくって、こんな笑顔になっちゃった! ほらほら見て見て! 沙織にネイル教えて貰ったの! 戦車やってた頃はこんなかわいい事もできなかったんだよ? それに――」
「――やめてっ!!」
みほは大声で言った。戦車喫茶の視線がみほに集まる。
そんな状況でも、エリカは笑顔だった。
「もー西住さんたらそんな大声出してー。西住さんっていっつも自分中心だよねー。それだから周りから距離取られるんだよー?」
「えっ……嘘……距離……?」
その言葉はみほにとって衝撃的だった。エリカの口から、そんなことを聞かされるとは思ってもいなかったのだ。
「みんな西住さんと一緒にいるの疲れるって言ってたんだよー? 西住さんもそれは薄々分かってたんじゃないの? だからずっと私に構ってたんでしょ?」
「そ……そんなこと……」
「私も結構大変だったなー西住さんの我儘に付き合うの。そういえば今の『西住さん係』って誰なのー? 私の後釜任せちゃった子はご愁傷様だよねー」
「うわああああああああああああああああああああああああっ!」
みほはとうとう耐えられなくなり、大声を出して頭を抱えてその場から走り去ってしまった。
まほもその後を追う。その場に残ったのは、終始ニコニコとしているエリカと、困惑した顔をしているエリカの友人達だけだった。
その後、みほは明るさが嘘のように消え、いつしか『陽住』というあだ名が『陰住』に変わるほどに陰気な性格に変わってしまった。
それでも戦車戦の腕は衰えず、黒森峰はその年優勝旗を取り戻すことができた。
エリカが所属していた大洗女子学園は、決勝戦に至ることなく敗北した。後にみほが聞くところによると、大洗は廃校になってしまったのだという。
だが、みほにとってそんなことはどうでもよかった。
なにせ、エリカからはあの日以来別の学校でも笑顔で楽しくやっている姿を見せつけるかのように、みほの携帯に画像や動画が送られてくるのだから。
そんなものは拒否すればよかったのに、みほは拒否しなかった。
見るのも辛いのに、聞くのも辛いのに、あえてそれを見続けているのは、未だ捨てきれないエリカへの未練なのかもしれない。
ともかく、みほが目にするエリカは常に笑顔だった。笑顔の奥の暗い目で、みほのことをずっと見ていた。