西住みほは紛うことなき天才だ。
常識では思いつかない卓越した指揮。人を惹き付ける人間性。
その才能は、姉の西住まほより上だろう。
私は、そんな彼女の戦車の乗員だった。
私が彼女に出会ったのは二年になった春だった。新入生紹介の場で、彼女はおどおどとした様子で挨拶をした。
第一印象は『姉とは全然違う子だ、大丈夫なのだろうか』というものだった。
その弱々しい雰囲気は、とても戦車道に向いているとは思えなかったからだ。
だが、私はその考えをすぐに改めることになる。
彼女は新人の通過儀礼とも言うべき一年生の紅白戦で、チームを圧倒的な勝利に導いたからだ。
その指揮はまさに西住流そのもの、黒森峰の戦車道を体現するかのようだった。
戦車上で指揮する彼女はまさに別人のように凛々しく、美しかった。
私は、その姿にひと目で魅せられた。
彼女の指揮の下で戦いたい、そう思えた。
彼女は紅白戦後、すぐにそれまでいた副隊長を押しのけ隊の副隊長になった。
誰も――退けられた副隊長ですら――文句は言わなかった。
当然だろう。あのような戦いを魅せられては、誰が文句など言えるだろうか。
私は彼女が副隊長になってからというもの、必死で努力した。
元々私はそれなりに隊内でも優れた腕前を持っていたと自負している。だが、あの彼女の指揮に応えるには、もっと努力しなければいけない。
そう思って、私は研鑽を続けた。
その努力のかいあってか、私は彼女の戦車に砲手として乗ることを許された。
私は喜んだ。西住みほの戦車に乗って戦える。これほど嬉しいことはない。そう思った。
「よろしくお願いしますね」
彼女の戦車に乗ることになったその日、彼女は私にそう言ってくれた。
その一言だけで、私はとても嬉しかった。
もっとこの人のために頑張ろう。彼女にふさわしい砲手になろう。そう思えた。
私は彼女の指揮を忠実にこなし続けた。
彼女が狙う目標を、ただ黙って撃破し続けた。
そうして、黒森峰は次々に勝利していった。
それは、黒森峰十連覇がかかった第六十二回大会でもそうだった。
私は彼女の狙う標的を撃ち続けた。彼女の下ならば優勝は間違いない。
そう思えた。
だが、駄目だった。
大会の決勝戦、彼女は川に落ちた仲間を助けるため、フラッグ車の車長でありながら身を体して助けに行った。
私が止める暇もなく、彼女は戦車の外へ飛び出していった。
その行為に車内の誰もが言葉を失った。瞬間、隙ができた。
私が気づき砲塔を旋回させ、正面の敵車両を狙ったときにはもう遅かった。
敵の砲撃が、我が車を撃ち抜いていた。
私達は、負けた。西住みほの判断により、敗北した。
私は彼女が悪かったなんて思っていない。
悪いのは、水没した戦車の乗員だ。私を初め多くの隊員が水没戦車の乗員を責めた。その結果転科や転校をしていった者が多くでたが、それは当然だと思っている。
むしろ、のうのうとまだ黒森峰に残っている奴がいることが腹立たしい。
しかし、私達に予期せぬ出来事が起きた。
西住みほが転校したのだ。
私は絶望に叩き落された。彼女は悪くない。悪いのは水没した連中なのに。
私の戦車道生活は、その日から灰色になった。そしてそれと同時に、私は西住みほに恋していたことにも気づいた。
もうこの喪失以上に辛いものはないだろう。
そう思っていた。だが、それ以上の大きな衝撃が、その後私を襲った。
彼女が、西住みほが他の学校で戦車道を初めていたのだ。それも無名の新規参入校の隊長として。
誰もが言葉を失ったが、私の衝撃はそれ以上だった。
何故なら、その後、西住みほから副隊長を引き継ぎ――と言っても、西住みほと比べると月とすっぽんなのだが――副隊長となり、また私の新たな車長となった逸見の言うところによれば、彼女は新たな仲間と共に戦車喫茶にいたという。
それも、とても楽しそうに。
そのことを聞いたとき、私はとても信じられなかった。
西住みほは、黒森峰時代が誰かと一緒に遊びに出かけることなどなかったからだ。
あくまで隊員と車長。その関係性を私達と保っていたのだ。
それなのに、聞くところによればまるで普通の女子高生のようではないか。
最初、私はそれは逸見の見間違いだとすら思った。
だが、試合の中継で彼女が今の彼女の乗員達と仲良さそうにしている姿を見せつけられ、信じるしかなくなった。
そしてそれと同時に、私の中で昏い火が灯り始めた。
なぜそこに私がいないのか。
なぜ私ではなくそいつらなのか。
その思いは日に日に強くなっていった。
そしてそれは、今の彼女がいる大洗と当たった決勝戦でもっとも大きくなった。
彼女は仲間達と心を通わせ、こちらを翻弄する。
一方こちらは、完全に手玉にとられ、私の車長である逸見にいたっては履帯が外れるような指揮を取る始末。
もはや戦いの序盤から雌雄は決していると言っても過言ではなかった。
しかし私をもっとも火に包んだのは、試合後、仲間達と楽しげにする西住みほの姿だった。
そんな顔、私には見せたことがないのに。
私と彼女達、何が違うと言うのか。私の何がいけなかったというのか。
私は感情を表にださないことで精一杯だった。だが、完全に抑えることはできず、私は自分の親指を噛んだ。あまりに強く神すぎたせいで、血が出るほどに。
その日から私は彼女と彼女の乗員を観察することにした。
学校を休むことになったがそんなのはどうでもよかった。
私は彼女と彼女の仲間達を大洗の学園艦に忍び込みずっと見続けた。
彼女が楽しげに生活する様を。
彼女が仲間達と連携を取り戦車を動かす様を。
それを見るたびに私は指を噛んだ。
彼女の姿を毎日見るごとに、私の中の昏い火はどんどんと燃え上がる。
そしてそれはついに、炎と化した。
私はその日行動に出た。
カバンにカミソリを入れ、楽しげにする彼女の仲間達の所へと向かった。
脅してやろう、そう思ったのだ。
私はとある屋外カフェテリアでお茶を楽しむ彼女の仲間達に接近する。西住みほはそこにいなかった。
「ねえ」
そして彼女達に話しかけた。
彼女の仲間達は不思議そうな顔をする。
そこで私は彼女の仲間達を脅すつもりだった。
そのときだった。
「ごめーん! 遅れた!」
西住みほがやってきたのだ。そして彼女はこう言った。
「あれ? その人誰?」
その瞬間、私の理性は消え去った。
ああ、私はもはや覚えてすらもらえていないのか。
私は彼女にとって、封印したい過去なのか。
黒森峰での日々よりも、大洗での日々のほうがそんなに良いのか。
こいつらさえいなければ……こいつらさえ……!
私は、そう思った刹那、彼女の仲間達に向けてカミソリを振り上げていた。
「危ないっ!」
それを、なんと西住みほが庇った。
私の手に、ザックリとした感覚が伝わる。
見ると、彼女が頬から大量の血を流していた。
悲鳴が響き渡る。私の体が駆けつけた大人に取り押さえられる。
彼女の仲間達は彼女を心配し、泣いている。
彼女はしゃがみこんで動かない。
取り押さえられた私はというと、笑った。笑ってしまっていた。
だって、嬉しいじゃないか。
私は彼女に二度と癒えぬ傷をつけた。そのことで、西住みほは鏡を見る度に嫌でも私のことを思い出すだろう。
想い人が永遠に私のことを忘れない。
恋する乙女にとって、これ以上嬉しいことはない。
「ははははは! ははははは……!」
私は笑い続けた。
見たか、名前も知らぬ西住みほの今の仲間達よ。
これで、私はお前達より上だ。西住みほはこれから毎日のように私を想うのだ。
私は彼女にとって、無限の存在足り得るのだ!
「ははは……!」
そうだ、これをもっと盤石なものにしよう。
私はそう思うと、渾身の力を発揮して一瞬大人達の拘束を振り払った。
そして、地面に落ちているカミソリを拾い、自分の首にあてがった。
「さあ、見ていてください……!」
そして、私はそれを一気に引いた。
痛みとともに、私の視界が闇で覆われていく。
その薄れ行く視界の中最後に見たのは、絶望と驚愕で私を目に焼き付ける、西住みほの姿だった。
これほどの幸せはない。
そんな多幸感の中、私の意識は途絶えた。