ミカの様子がおかしい。
私がそう感じるようになったのは、一ヶ月ほど前の頃からだった。
ミカは昔から飄々としているというか、私達の言うことの反対のことを言うようなひねくれた性格だった。
例えば私が「楽しそうだね!」と言ったらミカは「楽しい。そのことに何か意味はあるのかな?」なんて返したりしたし、私がこうしたほうがいいんじゃない? と提案すれば「それに意味があるとは思えない」なんて言ったりするような性格だった。
でも性格が悪いというわけでもなく、私やミッコのやることになんだかんだ付き合ってくれるし、三人で一緒のご飯を食べることはとても楽しかった。
私はミカと一緒にいることがとても好きだった。でも、ミカはよく一人でいることも多かった。
「常に皆で群れることがいいこととは限らない」なんてミカは言っていたっけ。
ただそんなことを言いながらも私達と一緒なのが嫌というわけではなく、ただ一人でカンテレを演奏しながら物思いに耽るのが好き、という感じだった。
私達はそんなミカを邪魔する気はなかったので、ミカが一人でいたいときはなるべくそれを重視してあげていた。
そんなミカが急におかしくなり始めた。
それは、いつも通りキャンプをしていて、そしていつも通りミカが一人物思いに耽るためにどこかへと行っていたときのことだった。
「今日のミカ遅いねー」
私はミッコにそんなことを言った。
「そうだなーアキ。まあでもこんな日もあるだろ。あいつの気まぐれが今日は長いってだけだろー」
ミッコは私にそう返した。
私もそうだと思った。ただミカのちょっと困った癖が長引いているだけ。
少なくとも、そのときの私達はそう思っていた。
だけど――
「ミカ!? どうしたの!?」
その日、夜も更けた頃になって帰ってきたミカは、とてもボロボロだった。
継続高校の水色の制服は泥だらけの茶色に染まっており、手や太もも、顔などの肌には傷がいっぱい出来ていた。
そして何より、ミカが目を真っ赤に腫らしながら、今まで見たこともないほどに暗い表情をしているのが、私達にとって異常事態に他ならなかった。
「……ちょっと転んだだけだよ。気にしなくていい」
ミカは私達にそう言った。
だが、それを信じるほど私達は馬鹿ではなかった。
「ちょっと転んだって……転んでそんな風になるわけないでしょ!? 何かあったの!?」
「なんでもない。本当になんでもないんだ」
「だからなんでもないわけ――」
「なんでもないって言っているだろう!」
「っ!?」
そんな風に激しい口調で怒るミカを、私もミッコも初めて見た。
私達はあまりのことに動揺し言葉を失う。
「あっ……」
ミカも自分自身の発言に驚いたのか、すぐさま後悔したような顔になる。
「……すまない」
「……あっ、い、いや、こっちこそ……」
ミカに素直に謝られることなどなかったから、またも私達は困惑した。
そんな私達に、ミカは近寄ってくると、そっと私の手を握ってきた。
「お願いだ、どうか私と一緒にいてくれ……」
そのミカの手は、震えていた。
ミカが震えるなんて、思っても見なかった私は、静かにミカに頷いた。
「……うん、分かった」
私達はミカに何があったのかを詮索するのをやめた。
その日はミカをそっとしておこう。そう思ったのだ。
いつか時間が流れればまたミカは元のミカに戻ってくれる。そう信じた。
しかし、現実はそうはいかなかった。
ミカはその日から、性格がうって変わってしまった。
常に何かに怯えるように体を震わせるようになったミカは、以前のようにひねくれた発言をすることはなくなった。
私達が何か話しかければ「……ああ、そうだね」と小さな声で肯定するばかりだ。
まるで、私達の機嫌を損ねないようにしているかのようだった。
それだけではない。ミカは、私達と離れることを極端に嫌がるようになった。
どこへ行くにも私かミッコの二人で、あるいは三人での行動をしていないとミカは極端に不安定になった。
たまに私やミッコがどこかに行ってミカを一人にすると、
「アキ! ミッコ! どこにいるんだい!? お願いだ! 一人にしないでくれ!」
と、恥も外聞もなく私達を探し求めた。
そして私達がミカのところに戻ってくると、
「よかった……よかった……!」
と、まるで子供のように私達に抱きついて泣きじゃくった。
そこには、以前の飄々としたミカの姿はどこにもなかった。
私達はそんなミカをずっと見守った。
いつかきっと戻ってくれる、いつかきっと事情を話してくれる。そう信じて。
しかし、そんな私達の思いとは裏腹に、ミカは戻るどころか、どんどんと悪化していった。
今ではトイレですら一人でいけない始末だ。
しかも、最も困るのが、ミカは男性を異様に恐怖するようになったということだ。
戦車道の関係者や、入った店の店員、挙げ句の果てには道行く人にまで、男性ならミカは恐れた。
ミカは男性を見ると、
「ひっ……」
と今までではまず上げなかったような悲鳴を上げて、私達の背後に隠れるのだ。
その隠れて私達の体を握るミカの手は、とても震えており、冷たかった。
そのため、以前のようにミカを連れて外出することもできなくなってしまった。
私とミッコはミカと半同棲生活になった。
どちらかがミカと一緒にいて、もう片方が必要なものを買いに行くなどした。
学校にも行かなくなった。いや、いけなくなったというのが正しい。
ミカが完全に自室に引きこもってしまったために、私達もそんなミカのために学校に行くのをやめた。
それ自体は別によかった。もともと私達は真面目に学校に通っていたとは言いづらかったから。
ただ、戦車に乗れなくなったのは辛かった。
戦車道は私達にとってもはや切っても切り離せないものになっていたのに、それがこんな形で断たれるだなんて思っても見なかった。
そのことは本当に悲しかったが、私達は戦車以上にミカが大切なため、なんとか我慢することができた。
私達がそんな生活を送るようになってから、あっという間に三ヶ月が経過した。
「……なあ、アキ。そろそろミカに何があったのかちゃんと聞いてみないか?」
そんなとき、ミッコが急に私にそんなことを言った。
「え……で、でも、ミカは話してくれないよ多分……」
私は、すぐ脇で寝息を立てるミカを見て言う。
ミカはここ最近、ずっと寝ていることが増えてきていた。
まるで嫌な現実から逃げようとしているようだった。
「そうだけどさあ……でも、アキはミカがこのままでいいと思うのか?」
「それは……」
それは、私も嫌だと思う。
ミカにはいつか昔みたいなミカに戻って欲しかった。
飄々としていて常に私達の言うことの反対のことを言うひねくれ者で、それでいてかつお腹が空いたらなんでも構わず食べてしまう食いしん坊なミカ。
そんなミカに、私だって戻ってくれるなら戻って欲しかった。
「なあ、そろそろ私達のほうが腹を決める時期なんじゃないのかな。だって、私達がずっとミカをこのままにしているってのも考えられるだろ?」
「……まあ、そうだけどさ」
「だろ? だからさ、ちゃんと聞いてみようよ。腹を割って話せば、ミカもちゃんと話してくれるって」
「……うん」
私は一抹の不安を覚えながらも、ミッコに頷いた。
そして翌朝、一番遅くに起きたミカに朝食を出したあと、私とミッコは話を切り出すことにした。
「……ねぇ、ミカ」
「……ん、なんだい」
ミカは力なく答えた。その様子はとても痛々しい。
こんなミカに真実を聞くなんてなんて残酷なことだろうと思った。でも、聞かなければいけない。
ミッコが目でそう私に語った。
だから、私は切り出した。
「……ねぇミカ、本当のことを教えて。一体何があったの?」
「えっ……」
その瞬間、ミカは蒼白とした表情になり固まった。
「そ、それは……」
「何もなかった、事はないよね。この三ヶ月、ミカはもう誰の目から見てもおかしいことになってたよね。それこそ、私達がずっと一緒にいないとおかしくなるぐらいには」
「う……」
ミカが押し黙って震え始める。
正直ここでやめたかった。でも、やめるわけにはいかなかった。
「ねぇミカ教えて。教えてくれないと、私達どうにもできないよ。辛いことだとは思うけど、話して。話してくれたら、何か力になれることがあるかもしれない」
「……ないよ。アキ達にできることなんて、何も」
しばらく間を置いてミカが言った言葉がそれだった。
私達はその言葉にショックを受ける。ミカの口から、そんな言葉が出るなんて思っても見なかったからだ。
「……そんなの、分かんないじゃん。何も知らないのに、力になれないなんて言われても納得するわけがないじゃない!」
だから私はつい強い語気でミカに言った。
すると、ミカはさらに体を震わせ、私達から目を背けた。
「……無理だよ」
「無理じゃないって!」
「……無理だよ!」
「だから――」
「無理だって言ってるだろっ!」
ミカは背けていた視線をこちらに戻し、完全に激昂した状態で言った。
その剣幕に、私達は押し黙る。そして、ミカはついに言った。
「ああいいよ! 教えてあげるよ! 私はね、犯されたんだよ!」
犯された。つまりは、レイプだ。
その言葉を聞いたとき、私とミッコは言葉を失った。
「あの日、私は変質者に襲われて無理矢理茂みの中に連れて行かれて、そのまま犯されたんだ! 私のことなんて何も考えてない、ただ自分の快楽を満たすためだけのために私の体は使われたんだ! それをアキ達がどうにかできるって言うのかい!? もう純潔ではなくなった私の体を、元に戻せるって言うのかい!?」
「そ、それは……」
「ほら! できないだろう!? どうしようもないだろう!? 私だって散々悩んださ! 話すべきかそうでないべきか! でもやめたのさ! どうにもならないからね! 警察にだって言えなかった! こんな恥ずかしいこと、辛いこと、みっともないこと、言えるはずもない! 泣き寝入りするしかなかったのさ! だからそっとしておいて欲しかった! そばにいてくれるだけで良かった! なのに、なのに……!」
そこまで言うと、ミカは涙をこぼし始めた。
涙をこぼして、泣き声を混じらせながら喋った。
「どうして……どうして黙ってそばにいてくれないんだ……! どうして……どうして……うあああああああああああああああっ……!」
とうとうミカは言葉を継ぐことができず、崩れ落ちた。
床に座り込んで顔を抑え、涙を流すミカの姿は、とても哀れだった。
そして知ってしまった。
もう、私達の知っているミカは死んでしまったのだと。ミカの心は、壊されてしまったのだと。
そのことを知ったとき、私達の目からも涙がこぼれ落ちていた。
あの風のようだったミカはもう帰ってこない。私達のいる部屋には、風は入り込まず淀んだ空気だけが沈んでいた……。