「あなたはあなたの戦車道を見つければいいのよ」
かつて私は後輩であり黒森峰の隊長の任を任せた逸見エリカにそう言った。
そのとき、エリカは無限軌道杯での戦いを不安に思っていた。
だから私は言った。あなたはあなたの戦いをすればいい、と。それが私からエリカに言える最善の言葉だと思ったから。
「……ふっ」
私は自棄気味に笑う。
だって、馬鹿馬鹿しいじゃないか。エリカは私を信頼できる隊長だと思って私にわざわざ海の向こうにいる私に聞いてきたのだ。
私が、このドイツでも活躍していると信じて。
だが、当の私は……。
「…………」
私はキューポラから頭を出して、自分の乗っていた戦車を見ていた。
戦車は見事に横合いを撃ち抜かれ、白旗を上げている。
私の足の下にいる隊員達は、ため息をつきながら暗い表情で話している。
私が視線を遠方へと移すと、そこには試合を続ける戦車の姿が。私は、それを敗北した戦車から眺めるのみ。
これが私の現状。
私、西住まほは、ドイツに留学して以降、まったく結果を出せずにいた。
「あー終わった終わった」
「今日も疲れたねーこれからどうする? ビールでも飲みに行こっか」
更衣室で、試合を終えた選手達が談笑しながら着替えている。
私の周りには、人の数の差はあれどそれぞれがグループを作って話していた。
それに対し、私は一人でただ黙って着替えている。
「…………」
チラリと、グループのうちひとつが私を見た。
その目は、さっきまで笑い合っていた者とは思えないほど冷たい。
しかし、すぐに視線を戻すと談笑に戻っていった。
「…………」
私はそれに気づかないふりをして、すばやく着替えて更衣室を出る。
それと同時に、更衣室での話し声がより一層楽しげになったのが耳に入ってきた。
当然だろう、私は好かれていない。
私が指揮する戦車は部隊内でいい結果を出せないことが多いからだ。
私の戦車道は、ドイツでは通用しなかった。
ドイツに来た最初の頃はよかった。ある程度私の戦車道は通用していた。
時折戦車隊全体の指揮を任されることも少なくなかった。だが、すぐさま駄目になった。
国際強化選手として以前から海外に露出していた私の戦略は――西住流はすでに研究され尽くされていたのだ。
結果、私が指揮するときは簡単に負けるようになってしまった。
もちろん私も努力した。私の戦車道で、私が培ってきた西住流の力で戦おうとした。だが、それがいけなかったのかもしれない。
自分の戦車道に固執した結果、私は勝てなくなってしまっていた。そして、それが原因で隊内の他の隊員と軋轢が生まれてしまった。
戦車道は個人競技ではない。仲間とのチームワークがものを言う。だが、そこにおいて仲間の信頼を失ってしまっては、勝てる試合も勝てなくなってしまう。
そして、私が勝てなくなることにより更に私の評判は悪くなり、信頼は更に落ちていく。
まさに悪循環だ。私はその悪循環から抜け出せずにいた。
「……っ」
私は歩きながら一人唇を噛む。
慢心。それが今こうして惨めな事になっている原因だ。
だが、その原因に気づけた現在でも、その打開策が見つかっていない。
一度失った信頼を回復するのは難しく、そして自分の殻を破る新たな戦車道も見つけられていない。
私は大学を出るとまっすぐに自分が今住まいとしている寮に向かった。
そして、自分の部屋に入ると荷物をベッドの上に投げ捨て、パソコンの電源をつける。
パソコンを起動して始めたのは、今日の試合結果の確認だ。大学では試合の結果がすぐさま大学の共有サーバーにアップされる。
正直私は紙のほうが馴染み深く、パソコンはよく使い方が分からなかったのだが、今そんなことも言っていられず、必死に使い方を覚え電子データで試合を確認するようになった。
「今日の試合のデータは……」
私は今日のデータを見直し、ずっと悪かった点、勉強すべき点などを考えていく。
これは試合のある日に必ず行うようになっていた。
そうして、私が必死にデータからいろいろ反省すべき点を洗い出しているときだった。
パソコンにダウンロードしていたインターネット通話アプリからメッセージが届いた。
それは、黒森峰に残してきたエリカからだった。
「隊長、今大丈夫でしょうか?」
私は時計を確認する。時間は、いつの間にか夜の十時頃になっていた。つまり、向こうでは朝の五時頃、早朝となる。
「ええ、あなたこそ大丈夫?」
「はい! 大丈夫です!」
私が返信をゆっくりと打つと、すぐさま返信が返ってきた。
なので、私はエリカにパソコンを通じて通話をかける。
「……もしもし、エリカ?」
「はい! おはようございます隊長! あ、そちらの時間ではこんばんはでしたね……」
通話画面が開き、ビデオ通話が始まる。画面の向こうのエリカは、恥ずかしそうに顔を赤くしている。
「いいんだ。あと、私はもう隊長じゃない。まほさんと呼べと言っているだろう?」
「は、はい……まほ、さん……」
エリカは未だ私のことを名前で呼ぶのに慣れていないらしく、ぎこちない口調で私の名を呼ぶ。そんなエリカがどこか可愛らしくて、私はふふっと笑ってしまう。
「たい……まほさん?」
「いや、なんでもない。それより、どうだ調子は」
「はい、随分今の体制にも慣れました。しかし、やはりどこか寂しいですね」
「おいおい、無限軌道杯を優勝に導いた隊長が何を言っているんだ」
私は笑いながら言う。
そう、エリカは日本で行われた無限軌道杯において黒森峰を優勝に導いていた。
最初は自分の実力に自信がなかったエリカだったが、その逆境を跳ね除け見事黒森峰を勝利させたのだ。
「正直、もう私との通話なんていらないんじゃないかと思っているよ」
「そんなことありません! 私はまだまだまほさんと比べたら未熟な隊長です! だから、これからもたくさん勉強させてください!」
エリカは画面越しに頭を下げてきた。
そんなエリカが可愛らしく、私はまた笑ってしまう。
「ふふっ、まったく、あなたという人は……私なんかでよければ、いつでも相手になるよ」
「ありがとうございます!」
エリカはとても嬉しそうな顔で言った。
それから、私とエリカは小一時間ほど会話をし、通話を切った。
「……ふぅ」
私は通話を終えると、天井を仰ぎながら軽く息を吐く。
「私は、彼女の理想の隊長になれているのだろうか……」
エリカは私のことを強く思ってくれている。
そのことは正直嬉しい。慕ってもらうということの嬉しさ、それがこうしてドイツに来てからより大きくなった。
実際、私もエリカと話している間はドイツでの辛い現状を忘れて話すことができる。
それに助けられているとも思う。
だが、今の不甲斐ない私をエリカが見たらどう思うだろうか?
やはり、失望させてしまうだろうか。それが、私は少し怖かった。彼女の思いを踏みにじってしまうことになるのが。
「……そのためにも、より修練に励まねばな」
私は再びパソコンに向かう。まだ就寝する時間までは少し余裕がある。その僅かな時間も惜しいため、私は出来うる限り研究を続けた。
しかし、その結果は一向に出なかった。
それどころか――
「マホ、あなたには車長を降りてもらいます」
「……な……」
数週間後。訓練後に大学の隊長から呼び出され告げられた命令は、あまりに受け入れ難いものだった。
「……なぜですか」
「あなたが車長として結果を出せていないからよ。それに、あなたは自分でも分かっているでしょうけど隊内において信頼がないわ。そんな人を、車長にするわけにはいかないの」
「……っ」
事務的に告げられるその言葉。私は思わず反抗しそうになる。
だが、命令には逆らえない。逆らえば、隊の和を乱すものとして隊にいられなくなる。それは、厳格なドイツ戦車道ならなおさらのことだ。
「……分かり、ました」
だから私は、反論せずに頷いた。
そもそも反論できなかったというのが正しいかもしれない。彼女の言うことは、何一つ間違っていないのだから。
「次の役職はそうね……装填手でお願い。装填手なら、言葉のラグなく仕事に励めるでしょう?」
「……はい」
「どの部隊に配属するかは後日伝えます。今日は下がってよし」
「……はい」
私はうつむいたまま隊長のいる作戦室から出た。
そのまま私は一人構内を歩く。
その私を見かけた何人かの学生達が、ヒソヒソと会話をしているのが聞こえてくる。
「……れって……だよね……」
「……ん……ぱり……よね……」
はっきりとは聞こえなかったが分かる。それはきっと、私を蔑むような会話に違いない。
通りすがる学生皆が、私を蔑んでいる。
私に哀れな視線を向けている。
それが、とてつもなく辛くて、私は途中から駆け足になってトイレに入り込んだ。
「……うっ、うううううう……」
そして、私はトイレの中で声を殺しながら泣いた。
泣くことしか、今の私にはできなかった。
「ううううう……!」
私はドイツまで来て何をやっているんだ。
ドイツに来て日本よりも進んでいる戦車道を学んでくるはずだった。国際強化選手として恥じない戦車道をするはずだった。
だが、結果は隊長どころか装填手にまで落ちてしまった有様だ。
装填手が悪いというわけではない。戦車は一人では動かせないから、大事な仕事の一つであることは分かっている。だが、西住流の娘がただの装填手など、恥ずべきことであるのは確かなのだ。
このことをお母様が知ったらだうなるだろうか? 怒り狂うだろうか? それとも、呆れて見放されるだろうか?
とにかく、現状をお母様に知られるわけにはいかない。知られたくない。私はお母様の立派な娘、西住まほであらねばならないからだ。
みほが知ったらどうなるだろうか? みほはきっと優しいから、私を慰めてくれるだろう。でも、きっと失望もしてしまう。みほは、私のことを尊敬してくれているから。やはり、その気持ちを裏切りたくない。
特に知られたくないのはエリカだ。エリカにだけは、絶対秘密にしないと。彼女にだけは、彼女にだけは秘密にしたい。
エリカが尊敬する西住まほという姿を、壊したくない。彼女を失望させたくない。
「うっ……うっ、うっ……!」
私はとにかく泣き声を必死で抑えた。本当は泣くのもみっともないからやめたかった。
でも、涙は私の抑えを無視してどんどんと流れていく。
そんなときだった。
ガチャリと、扉が開く音が聞こえた。トイレに他の学生が入ってきたのだ。私は漏れそうになる泣き声をさらに力強く口に手を当てることで押さえつけた。
「……ねぇ、マホだけどさ、あれ、車長辞めされられたのかな」
「だろうねー。最近散々だったし」
私は息を呑む。それは私に関する話題だった。同じ戦車道を学んでいる学生だ。
当然だろう。ここは作戦室に一番近いトイレなのだから、戦車道履修者が入ってきてもおかしくない。
「マホってさー、入ってきたときは鳴り物入りだったのに、今は見る影もないよねー」
「うん、なんか残念って感じ。国際強化選手って聞いていたのにね」
「うんうん、高校のときは世界大会で勝ったっていう実績もあるらしいけどね。どうしちゃったんだろうね」
「うーん……まあ環境が変わればいろいろ変わっちゃうんじゃない? 頑張ってほしい部分はあるよね。そうじゃないと勝てないし」
「そうだねー、マホの努力が実る日が来ればいいね。お荷物状態はさすがに可哀想だよ」
そこで会話が途絶え、トイレの扉が開かれる音と、しばらくして流される音がし、再び扉が開かれる音がして無音の世界が戻ってきた。どうやら彼女達は用を足し終えて出ていったらしい。
「……くっ、くそっ……!」
私は、今度は一人悪態をついた。
原因はもちろん、今の会話だ。
同情だ。
私は、同情されていたのだ。それがとてつもなく悔しかった。西住流の次期家元である私が、国際強化選手である私が、こんな惨めなことになるだなんて。それがたまらなく悔しかった。
絶対に、絶対に車長に戻らないと……!
私は決意を新たにした。そうすることで、この惨めな思いを拭い去りたかったから。
それからというもの、私は毎日のように行っている研究をより長く行うことにした。もはや寝食以外はずっと戦車道のことを考えているぐらいだ。いや、寝食のときも考えている。ただ机に向かっていないだけだ。
だが、そんな私の研究とは裏腹に、私は未だ装填手から昇格できずにいた。もう数ヶ月も経っていると言うのにだ。
私は臥薪嘗胆の気持ちで装填手を続けている。だが、もう限界かもしれない。
ただ装填手をやっているだけなら私も耐えられた。だが、辛いのは定期的に通話をするエリカだ。
エリカは、日本でどんどんと成長し、華々しい活躍をしているのだ。
無限軌道杯で優勝してからというもの、彼女の勢いは止まることを知らない。
次々と強豪校との練習試合に勝ち、また高校生における国際試合にも勝利しているらしい。
新たな国際強化選手に選ばれるかも知れないという話だ。
エリカがどんどんと私の背後に迫ってくる。彼女の足音が聞こえてくる。
もし彼女が私の隣に並んだとき、私は彼女を失望させないことができるだろうか? 彼女の夢を、壊さないでいられるだろうか?
それがたまらなく怖く、私は最近、眠れなくなってしまったほどだ。
結果、寝不足でつまらないミスをしてしまうこともあり、最近は一軍の座すら危うくなってきた。
こんなことではいけないのは分かっている。だが、現状はどんどんと悪化の一途を辿っている。
どうにかしなければ。
そう思っていたときだった。
それは、いつものエリカとの定期通話のときだった。
「そういえばまほさん。こちらはもうそろそろ全国大会の時期なんですよ」
「そうか、もうそんな時期か……」
私はカレンダーを見ながら懐かしい思い出に浸る。
思えば、あのときからかもしれない。私の戦車道が転げ落ち始めたのは。黒森峰に十連覇をもたらせられなかったどころか、二年連続で準優勝に甘んじてしまったあの頃。
そのときから、私の戦車道は……いや、そんな風に考えるのはよそう。だって、このままいくとみほを責めてしまいかねないからだ。最初に負けたときは私の采配ミスだし、次に負けたのも私がみほの実力に追いつけなかったから。
それなのに、今の私は自分が悪いと考えるのではなく、みほが悪いと考えてしまいかねない部分がある。
そんなことは絶対にないのに。みほは私の大切な妹だ。そんなみほをけなす者は、例え私であろうと許してはいけないのだ。
「その、まほさん……」
私がそんなことを考えていると、エリカがなんだか言い出しづらそうにもじもじとしていた。
「ん? どうしたエリカ?」
「その……よかったらなんですけど……」
「ああ、言ってみろ」
私が笑顔で促す。すると、エリカはぎゅっと目を瞑って叫ぶように口を開き始めた。
「とても迷惑な事を言うのは承知で言います! もし問題なければ、全国大会を見に来てはくれませんか!」
「全国大会を……?」
「はい! ぜひともまほさんに、黒森峰が優勝旗を取り戻すところを見ていて欲しいんです……! ……いえ、違いますね。本当は、不安なんです。私に本当に黒森峰に再び優勝旗を取り戻させることができるのかとうことが。だから、まほさんに見守っていて欲しいんです。まほさんが見ていてくれれば、それだけで私は勇気づけられますから……!」
エリカはとても必死な様子で言っていた。
どうするべきか。私は悩んだ。
別に見に行くことはやぶさかではない。むしろ、日本の戦車道を見るのはいい気晴らしになるだろうとは思う。
だが、そんなことをしている暇が私にあるのか。その時間を使って、もっと戦車道の研鑽をして、車長復帰を狙うべきではないか。そう告げる私がいる。
私は少しの間考える。その間、エリカは不安そうに私を見ていた。そして、そんなエリカの視線を受けながら、私が出した結論は……。
「あの隊長、やっぱり今の話はなかったことに――」
「行こう」
「え?」
「だから、行くと言ったんだ。あなたの試合、見に行くとね」
私はそう言ってエリカに笑みを見せた。すると、エリカはとても嬉しそうな表情を見せた。
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
そのエリカを見て、私の心も安らいだ。エリカのこの顔が見れたなら、久しぶりに日本に帰るのも悪くないかもしれない。そう思えた。
そうして私は、日本に久々に戻ることを決意した。そのための準備を、私は通話が終わった後にさっそく始めるのであった……。
◇◆◇◆◇
第六十四回戦車道全国高校生大会、決勝。
その会場は多くの人で賑わっていた。大会を見に来た戦車道ファンに、選手の父兄。さらには他の学校の生徒と多種多様だ。その中に、私は混じっていた。
観客席から、今にも試合が始まりそうな富士演習場を見ていた。
試合前、私はエリカに会った。
エリカは私を見るととても嬉しそうな顔で私に駆け寄ってきて、言った。
「まほさん! 今日は来てくれてありがとうございます!」
エリカはそう言いながらも、かすかに震えていた。それは恐らく、緊張や責任の重みから来るものだろうと思った。
だから、私はそんなエリカの重荷を少しでも取り去ってやろうと思い、彼女の肩に手を置いた。
「大丈夫、あなたならきっと勝てる」
そう言って私は彼女に笑いかけた。そのときだけは、私は今の自分の苦しい現状を忘れることができた。エリカといることは、私にとっても安らぎになっているようだった。
「……はい! ありがとうございます!」
その私の言葉に、エリカはとても大きな声で返した。そして、笑って私に背を向け、仲間達の元へと走っていった。
そんなエリカの背中を、私は心暖まる気持ちで見ながらも、黒森峰の陣地を後にした。
もう一つ、私には寄る所があったからだ。
それは、黒森峰の相手である、大洗女子学園の陣地だ。
大洗は二年連続で決勝戦に進出していた。それを率いるのは、当然私の妹である、西住みほだ。
だから私は、久々に妹の顔を見に行ったのだ。
「あ、お姉ちゃん!」
みほは私の顔を見るやいなや、エリカと同じく嬉しそうな顔で私の下に走ってきた。
「みほ!」
「お姉ちゃん! 本当に返ってきてたんだ!」
「ああ」
「私ね、お姉ちゃんに話したいことが沢山あるんだ!」
「そうか」
「だから、試合が終わったら沢山話そうね!」
「そうだな……みほ、頑張れよ。きっと、今年の黒森峰は強いぞ」
「うん、分かってるよ。だって今年のエリカさんはとっても強いんだもん。でも、負けないよ。無限軌道杯では負けちゃったけど、今回は私達がきっと勝つから!」
みほは満面の笑みで言った。嫌味のない、とても爽やかな笑みだ。そのみほの顔を見ているだけで、私は癒やされる気持ちになった。
だから私はみほの頭を撫でながら言った。
「頑張れよ、みほ」
「……うん!」
そしてみほは去っていった。その姿を、私はできる限りずっと見ていた。
その後、私は観客席に戻り、今こうして戦いの行く末を見守っているというわけだ。
戦いは激戦だ。どちらも思ってもよらない戦術、戦略を見せてくれる。内容で言えば世界レベルの戦いだろう。
私はその戦いを、固唾を飲んで見守っていた。
「……どちらが勝つと見ますか」
そのとき、私の背後から声がした。私が振り向くと、そこにいたのはなんとお母様――西住流家元、西住しほがそこにいた。
「……私は、みほが勝つと思っています」
私は隣に座ったお母様に、そう言った。
「どうしてです?」
「……みほは、天才です。私を遥かに上回る。確かに無限軌道杯ではエリカが勝ちました。ですが、戦いの動画などを見る限りそれは薄氷の上の勝利だった。それから期間が空きエリカの戦いを研究する時間をみほは手に入れた。そのみほが、負けるとは思えません」
「……そうですか。……あなたの目も、ドイツに行っている間随分と曇ったものですね」
「え?」
私はその言葉の意味が理解できなかった。だが、すぐさまその意味を知ることになった。
戦いが、徐々に黒森峰有利へと傾いていったのだ。
大洗はだんだんと、確実に押されていき、そしてついには、フラッグ車が撃破された。
黒森峰が勝利したのだ。エリカが勝ち、みほが負けたのだ。
「な……」
私はその結果に唖然とした。だって、当然だろう。私のみほが負けるはずはない。負けるはずが、なかった。
無限軌道杯は時の運が味方しただけ。そう思っていた自分が、心の中にいたのを知った。
「みほは確かに強いです。そのことは認めましょう」
お母様が私の隣で表情を変えずに言った。それにまた私は驚いた。お母様はみほを完全に認めていた。私が居ない間に、雪解けがあったのかもしれない。
そして、お母様は続ける。
「ですが、戦車道にまぐれなし。無限軌道杯のときに、逸見さんはみほを越えたのです。逸見さんの中にある眠れる才能が開花したのです。今の彼女は、名実共に日本一の選手です」
「エリカが……」
「ええ。まほ、あなたがドイツで弾の装填をしている間に、逸見さんはどんどんと先へと進んでいるのですよ?」
「っ!?」
そう言って、お母様は去っていった。
私は言葉を失っていた。お母様は知っていた。私の現状を。考えてみれば当然だ。私の現状を知る手段など、いくらでもあるだろう。
だが、それはとてもショックだった。お母様を失望させてしまっているかもしれない。そう考えただけで、私は体の震えを抑えることができなかった。
「……落ち着け……落ち着け……」
私は自分に言い聞かせる。そうだ、お母様がなんだ。そんな恐れることはないじゃないか。だって、お母様の表情を見たか? いつもどおりだったじゃないか。それはつまり、まだ私に失望していないし、まだ西住流を継がせる気があるということだ。そうだ、きっとそうだ。間違っても私を見放してなんか、いない。そのはずだ。
そうだ、エリカに会いに行こう。今の彼女をねぎらってやらねば。優勝おめでとうと、言ってあげるんだ。そうすれば、エリカはきっと喜ぶ。
「……うん、そうだ。そうしよう」
私はそう決めると、観客席から立ち上がり、黒森峰側の陣地へと向かったのだった。
「まほさん!」
「エリカ、優勝おめでとう」
「はい!」
陣地に行くと、エリカは泣きながら私に抱きついてきた。その姿が、感触が、とても愛らしく、私は心安らいだ。
「見ていてくれましたね……取り戻しましたよ……優勝旗を……!」
「ああ、見ていたよ。よく頑張ったな」
「はい……!」
私はエリカの頭を撫でる。彼女を讃えたい気持ちを、そうして行動に表した。
エリカは私がそうして頭を撫でるたびに、ぎゅっと私の腰にまわしている手の力を強めた。
どれくらいそうしていただろうか。しばらくすると、エリカは私の体を離した。
「本当にありがとうございました、まほさん。勝てたのは、まほさんが見ていてくれたおかげです」
「そんなこと……」
「いいえ、まほさんが見ていてくれていると思うだけで、私は戦う勇気が湧いたんです。本当に、本当にありがとうございます……そうだ!」
そこでエリカが何かを思いついたような顔をした。
「まほさん、まだ日本にいる予定ならもう一つお願いがあるのですが……」
「ん? なんだ。何でも言ってくれ。一応、まだ日本にはいる予定だ」
「その……私と試合をしてください!」
エリカはがばっと頭を下げていった。
私は驚く。まさか試合の申し込みとは思っても見なかったからだ。
「別にいいが……どうして?」
「はい。思ったんです。みほと戦えて、私は本当に楽しかったって。とても自分の力が増していくのを感じました。そして、心を通わせられた気がしたんです……みほと。だから、今度はまほさんと戦いたい。まほさんと戦いを通じて、いろいろと教えて欲しいって……」
「そうか……」
私は納得する。彼女はさらに進化しようとしているのだ。
お母様が言っていた言葉も頷ける。彼女は、きっと本当に才能があるのだろう。
「……ああ、いいだろう」
だから、私は頷いた。
「本当ですか!?」
「もちろんだ。試合はいつがいい? 私は今からでもいいぞ」
そんな彼女の成長の力になってあげたい。彼女に胸を貸してあげたい。そう思ったからだ。
「分かりました……ではこの日程で……場所は……」
そうして、日取りと場所が決まった。
きっと楽しい試合になる。私は、そう思った。
◇◆◇◆◇
「……嘘」
私は信じられなかった。言葉を失った。絶望が、私を支配した。
「……ありえない」
ありえるはずがない。こんなこと、あっていいはずがない。おかしい、おかしいおかしいおかしい。
「嘘だ嘘だ嘘だ……」
私が、私が……。
「私が、エリカに手も足も出ないなんて……!」
大会から三日後。場所は、西住家の管轄にある演習場。
お母様や、わざわざ大洗から見に来たみほの眼の前で、私は、エリカに負けた。
「あの、まほさん……」
身動きが取れなくなった私に、言葉をかけるものがいた。
エリカだった。試合後、茫然自失となっていた私に、エリカが心配そうに声をかけてきたのだ。
「お姉ちゃん……」
その側には、みほもいた。みほとエリカは、ぎゅっと手を握っていた。
「その……こういう日もありますよ! たまたま調子の悪い日だったんですよ今日は!」
「――い」
「本当なら私が負けていたはずなんです。でも今日はなんだかうまくいって……」
「――さい……」
「だからその、きっと次やったら私が負け――」
「うるさいっ!!」
私は怒鳴っていた。その私の言葉に気圧されたのか、エリカもみほもとても驚き、言葉を失っていた。
「うるさいうるさいうるさいっ!」
「……ま、まほさん……?」
「黙ってよ! そうよ! 私は負け犬よ! 私はあなたに負けたのよ! 西住まほは! 逸見エリカに!」
もう止まらない。
感情が激流となって襲ってくる。
「私は結局養殖モノだったのよ! 国内で西住流の覚えがいいからって調子に乗ってた! ちょっと勝てたからって自分を天才だと思ってた! でも、本当の天才はあなたやみほだった! みほはまだいいわ! だって子供の頃から勝てないなって思ってたもの! みほになら負けても納得ができるもの! でも! でもあなたに負けるだなんて……! こんなの……こんなの、屈辱すぎるわ……!」
「えっ……」
「何よその目は!? 私を哀れんでいるの!? ええ哀れみなさいよ!? 所詮、私はただの装填手よ! ドイツにまで行って、ただの装填手になった落ちこぼれよ! あなた達のように結果を出せる天才じゃない! 私なんて、所詮、私なんて……!」
「まほっ!」
その瞬間、私の頬ははたかれた。
はたいたのは、お母様だった。
「あなたは、自分が何を言っているのか分かっているのですか!」
「…………」
「あなたは、みほや逸見さんを侮辱しているのですよ!? 自分の失敗を、他人になすりつけて! それが、由緒正しい西住流の娘のすることですか!」
「……分かってるわよ、それぐらい」
「なら、どうして……!」
「どうしても何もないわよ!? ずっと頂点に君臨してきたお母様には分からないわよ! 落ちこぼれる気持ちだなんて! お母様も知っていたんでしょ!? 私が養殖モノだってことを! それなのに、私を次期家元だなんて勘違いさせて……ふざけないでよ! 私に最初から分からせてくれれば、こんな惨めな気持ちにならずにすんだのにっ!」
「まほ……」
「嫌い! みんな嫌いよ! がんじがらめに私を縛るお母様も! 妹なのに私よりずっと優れてるみほも! 部下だったくせに私より天才なエリカも! みんな、みんなっ……!」
そうして私は走り出した。
その場から、逃げ出した。
「まほっ!」
「お姉ちゃん!」
「まほさんっ!」
三人の声がするがどうでもいい。私は逃げた。逃げながら、泣いた。
「……ううっ、私、最低だ……! 最低最悪の人間だ……!」
そう、私はなんて最低な人間なんだろうか。
私はずっと自分すら騙していたのだ。母を尊敬していると、妹を愛していると、エリカを思いやっていると自分を騙していたのだ。
だが、実際のところは、お母様のことは憎んでいたし、みほのことは嫉妬していたし、エリカは下に見ていた。
自分は西住流次期家元だと、そうやって自分のことを持ち上げていた。立場にあぐらをかいていた。
研究だって、実はやっている振りだった。心の中では、どうせ意味がないと手を抜いていた。
負け始めたのもそのせい。自分の立場に甘えていたから。本当はどうせ駄目だと、心の中で決めつけていたから。
そんな自分を棚に上げて、あいつが悪い、こいつが悪いと他人のせいにして、私は、私は……。
「……ははは、はははははは……!」
ああ、笑えてくる。なんて道化なんだ、私は。私の、私の人生は、まるでゴミだ。ゴミクズだ。
全部が全部偽物、まがいものだったのだ。
「はははははははははははは! あーっはははははははははは!」
私は笑った。泣きながら、笑った。
もうどうでもいい。どうにでもなってしまえ。もうすべてが、どうでもいい。
◇◆◇◆◇
あれから数年が経った。
エリカとみほは、すっかり有名人になっていた。
二人共戦車道の花形選手として、連日テレビや世間を賑わせている。
スポーツニュースで二人の名前を聞かない日はないし、新聞や雑誌にも常に名前が乗っている。
みほは西住流を継いだし、エリカは世界を股にかけて活躍している。
まさに、人生の成功者だ。
一方、私はというと……。
「……くだらない」
私は二人の映っているチャンネルが不愉快で、別のチャンネル、バラエティ番組が映し出されているチャンネルへと変えた。
今の私を見たら、二人はどう思うだろうか。
年中パジャマ姿で、そこらじゅうにゴミが散らばった部屋に住み、タバコや酒はやり放題。
趣味はギャンブルで、昔貯めたお金を浪費しながら生きている、こんな惨めな私を。
「……ふぁーあ、つまんない番組」
私はあくびをしながらテレビの電源を切った。
そして、つけっぱなしにしているパソコンに向かう。
昔と比べて、私はだいぶパソコンのことが分かるようになった。これしかすることがないから、当然なのだが。
「さて、匿名掲示板でも見ようかしら、それとも動画サイトで時間でも潰そうかしら……」
私は年中こんな生活をしている。
仕事はしていない。無職だ。金は未だ私を見捨てられないお母様の仕送りと、選手時代に稼いだお金でなんとかしている。
楽なものだ。何にも縛られず生きるというのは。少々刺激が足りないが、悪くない。
きっと、これが私の本来あるべき姿だったのだ。
「……っち」
私は舌打ちする。匿名掲示板で戦車道に関するスレッドが立っていたのを見つけてしまったからだ。
「こんなマイナースポーツにマジになってどうするのよ……」
私はふてくされた気持ちになり、敷いたままの布団に潜り込む。
「寝てるときが一番落ち着くわね……」
そして私は、まぶたを閉じた。面倒な気分のときは、寝るに限る。
好きなときに寝て、好きなときに起きて、好きなことだけやる。それが今の私の生活。
人はこんなゴミのような生活を送っている私を蔑むだろう。
しかし、そんなのどうでもいい。今の私はこれが一番心地良いし、もう何かに対して頑張ろうとは思えない。
「これでいいのよ、これで……」
そう、これでいい。これでいいのだ。
なのになんで? どうして、私の目からは涙が流れてくるの?
「……なんでよ、なんでよ……」
ああ、誰か教えてよ。
どうしてこうなったの。
どうして、こんなに胸がくるしいの。
誰か、私に本物をちょうだいよ。
私が私らしくあれる、まがいものじゃない何かを。
誰か……。