愛里寿ちゃんがエリカの女王様になるお話
「はむ……んむ……」
薄暗い室内で、粘ついた水音とくぐもった声が聞こえる。
部屋に明かりはなく、たった一つしかない窓から入り込む月明かりだけが僅かな明かりとして部屋をぼっと照らしていた。
その月明かりに映し出される二人の少女がいた。
一人は幼い容姿をしており、椅子に座り素足を晒している。
そしてもう一人は、高校生ほどの容姿で、灰色の髪を揺らしながら、もう片方の少女の足を必死に舐めていた。
「ふふ……いいよ、エリカ。もっと丹念に、指の隙間まで舐めなさい」
「はい……愛里寿様……」
二人の少女のそんな会話が部屋にそっと溶ける。
島田愛里寿と逸見エリカ。それが二人の少女の名前だった。
愛里寿は妖しげな笑みを浮かべ足をエリカに突き出し、エリカはそれを恍惚とした表情で舐めている。
明らかに二人の間には、倒錯した主従関係があるように見えた。
「んっ……あむっ……はぁ……」
「んんっ……そう、エリカ、上手ね……」
「ありがたひ……ひあわせ……はあ……はあ……」
「こらっ、口に私の足の指を入れながら喋るんじゃないの、行儀の悪い。そんな子には、足は舐めさせないよ」
「もっ、申し訳ありません! 愛里寿様! この卑しい身には過ぎた行為でした! どうかお許しを……!」
床に頭をこすりつけながら愛里寿に頭を下げる愛里寿。
そんなエリカを見ながら、愛里寿はいたずらな笑みを見せる。
「どうしよっかなー……」
「ど、どうかお許しを……」
愛里寿に焦らされるエリカ。
だが、そんなエリカの表情からは決して怯えだけでなく、どこか興奮しているような、火照った様子も見て取れた。
「じゃあ、お仕置き。お尻を出しなさい。私が直々に、お尻を叩いてあげる」
「はっ、はい!」
エリカは愛里寿に言われるや否や、愛里寿に背を向け、スカートをめくり、下着のお尻の部分だけ下ろして、愛里寿に自分のお尻を見せる。
白くて丸い、綺麗なお尻だ。
「……それじゃあ、いくよ」
「は、はい……」
「……ふんっ!」
パシンッ! 乾いた音が部屋に響き渡る。
「んひっ!?」
パシンッ! パシンッ! パシンッ!
「あっ! ああっ! ああっ!」
「あら、嬉しそうな声出しちゃって。これじゃあお仕置きというよりもご褒美だね」
そう言って愛里寿が一瞬手を止める。
だが、エリカはそんな愛里寿を振り返って見て焦って口を開く。
「そ、そんなことありません! 愛里寿様のお怒りはこの身にしっかりと響いております! だから、もっと私にお仕置きをください……!」
「……しょうがない子」
そう言って愛里寿はスパンキングを再開した。
パシンッ! パシンッ! パシンッ! パシンッ! パシンッ!
「あっ! あっ! あっ! あっ! あっ!」
エリカはそれを、恍惚とした表情で受け止めた。
結局、そのスパンキングは、エリカの白かったお尻が真っ赤になるまで続いた……。
「それでは愛里寿様、今日もありがとうございました」
すべてを終えた後、エリカは愛里寿に深々と頭を下げて部屋を出ていく。
そんなエリカに、愛里寿は椅子に座りふんぞり返りながら手を振る。
「うん、それじゃあね」
「はい、それではまた」
エリカがうやうやしくそう言って部屋を出ていった後、愛里寿は薄暗い部屋に一人になる。
そして、エリカの足音が完全に聞こえなくなったとき、愛里寿は――
「……うううう……やっと……今日の分終わった……」
と涙声になりながら、椅子の上で自分の膝を抱え込んだのだった。
「もう嫌だよ……こんなこと……エリカさんにこれ以上、ひどいことしたくないよ……」
顔を膝にうずめながらか細い声でこぼす愛里寿。
その様子は、先程の女王のような彼女とは打って変わっていた。
「どうして……こんなことになっちゃったんだろう……」
少しだけ顔を上げ、窓の外を見ながら呟く愛里寿。
そうして愛里寿は思い出す。
かつての幸せな日々を。
エリカと共に並んで歩めていた、尊い日々のことを。
◇◆◇◆◇
初めて愛里寿がエリカと関わりを持ったのは、蝶野亜美が主催を務めた戦車道祭だった。
それぞれが無作為に選ばれたメンバーでトーナメントを戦っていくそのルール。
そこで、愛里寿はエリカと組むことになったのだ。
「えっと……あなたが今回の私のパートナー?」
「ええ……あなたは島田愛里寿よね。あの島田流の」
「うん」
愛里寿はボコ人形で顔を隠しながら軽く頷く。
「ちょっと……そんな怖がらないでよ、ちょっと傷つくでしょ」
「あ……ごめんなさい。あなたはえっと……」
「逸見エリカよ。黒森峰で副隊長をやってるわ」
「そうなんだ」
「ええ」
「…………」
「…………」
そこで一旦会話が止まり、沈黙が訪れる。
愛里寿はあまりそういう素振りを見せなかったが、エリカは少し困ったように頬をポリポリとかいた。
「あーその……まあ、お互いベストを尽くしましょう。流派は違えど、それぞれきっと何かいい影響とかあるんじゃないかしら。知らないけど」
「うん、そうだね。やるからにはベストを尽くすべき。そして、優勝を目指すべき」
「そうね。それには私も同意見よ。……じゃ、ほら」
エリカは愛里寿に手を差し伸べる。握手をしようというエリカの意思表示なのだと、愛里寿はすぐに分かった。
愛里寿は怖ず怖ずとだが、その手を握る。
「だから、そんな怖がらないでよ。頑張りましょう。島田さん」
「うん……逸見さん」
そうして始まった戦車道祭。
戦いは困難を極めた。どこもその場で作られた、エリカ風に言うならば急造チームである。それぞれが連携を取るのに苦労しているようだった。
それは、愛里寿とエリカもだった。
「十一時の方向! 敵戦車!」
「分かってるわよ!」
愛里寿が隊長で、エリカがそれに従う形を取った二人。
その方式に二人共不満はなかったが、やはり仮にも飛び級で大学生にまでなった天才少女の采配に、エリカは最初ついていくのに苦労した。
「次!」
「了解!」
しかし、愛里寿とエリカの連携はみるみるとうまくいくようになっていった。
ルールによって勝利しどんどんと仲間が増えていく中でも、二人はしっかりとした連携を崩すことなく戦った。
そして、あっという間に二人は決勝戦へと駒を進めた。
「簡単とは行かなかったけど、決勝戦には来れたわね」
「そうだね」
「それにしても、決勝戦の相手にあの二人がいるだなんて……」
エリカは対戦表を見て言う。
決勝戦の相手にいる二人。それは、西住みほと西住まほの、西住姉妹だった。
エリカにとっても、愛里寿にとっても因縁深い相手である。
「みほさんとまほさん……勝ちたいな」
「そうね。あなたにとってはリベンジマッチになるものね」
「うん」
「私も、あの二人にどれだけ今の自分が通用するか試してみたい。だから、頑張りましょう」
「うん」
決意を新たにするエリカに、愛里寿はコクリと頷く。
そうして挑んだ決勝戦は、激戦だった。
お互いがお互いの死力を尽くす戦い。相手の手の内を読み合う高度な駆け引きと、純粋な戦車の腕を競い合い。
それは、かつて行われた大学選抜戦に勝るとも劣らない戦いであった。
そして、その結果は――
「勝った! 勝ったわ!」
「勝ったね!」
愛里寿とエリカ、二人の勝利で幕を閉じた。
二人は互いに両手を合わせ喜び合う。
「さすがね! あなたの指揮のおかげよ! 島田さん!」
「ううん、逸見さんが頑張ってくれたおかげ」
お互いに健闘を称え合う二人。
そんな二人のもとに、まほとみほがやって来た。
「見事な勝利だったな、エリカ」
「隊長……! ありがとうございます!」
「すごかったよ、愛里寿ちゃん」
「みほさん、ありがとう……」
まほはエリカに、みほは愛里寿にそれぞれ賛辞を送る。
その言葉に、愛里寿もエリカもそれぞれ笑みを浮かべる。
「勝負は時の運だが、今回の混沌としたルールにおいてよくその勝利を収めた。さすが島田流であり、私の副官だな」
「そ、そんな……身に余るお言葉です」
「これなら、黒森峰を任せても大丈夫そうだ」
「い、いえ。私にはまだ……」
まほはエリカに笑いかけると、エリカの頭を撫でる。
それに、顔を赤くするエリカ。
その後、まほとみほは二人の下から去り、自分達のチームメイトのところに帰っていった。
「……よかったね、その……エリカさん」
そんなエリカに、愛里寿は名前で呼びかける。
「え?」
「あっ、その、つい、名前で呼びたくなって……駄目だったなら謝る」
「いいえ、いいのよ。そのかわり、私もあなたのこと、愛里寿って名前で呼ぶわ。それでいい?」
「……うん! これからよろしくね、エリカさん!」
「ええ、愛里寿!」
これが二人の出会いだった。
それ以降、愛里寿とエリカは少しずつだが交流を深めていくことになる。
陸にある大学に通う愛里寿と、学園艦に住むエリカ。
容易くは会うことはできない。
しかし、二人が電話やパソコンでの通話を毎日のように行うようになり、交流を重ねていく。
そして、それぞれが隙を見つけては最低でも月に一回、多いときには週に一回は実際に顔を合わせるようになっていた。
二人が交流するときにする話は、戦車道の話から日常の話まで多岐に渡る。
真面目な話から他愛のない話まで、二人はなんでも話すようになっていた。
そんな中で、愛里寿はほのかな感情をエリカに抱くようになっていた。その感情の名は愛里寿は分からなかったが、悪い感情ではないことだけは確かだったし、その気持ちを大切にしていこうと思っていた。
二人の生活はそんな風にしばらくの間うまくいっていた。
だが、それがある日から少しずつ歯車がズレていくことになる。
きっかけは、黒森峰の隊長でありエリカが心から尊敬する、まほの突然の留学だった。
「まほさんが、留学……?」
「ええ……私を新たな隊長にってだけ言い残して、それで……」
「そう……なんだ……」
ある日、待ち合わせ場所にしていた喫茶店でエリカが暗い顔で相談をしてきたので愛里寿は少し困惑した。
少なくとも、今までのエリカは愛里寿に弱っているところを見せたことがなかったからだ。
「引き継ぎは最低限だけで、ほとんど何も言わずに行ってしまったの……正直、不安でしかないわ……私が隊長で大丈夫なのかしら……」
「……大丈夫だよ。エリカさんなら。きっと、問題ない」
「そうかしら。私には自分に隊長の資質があるとは思えないの。私の能力はあくまで副官止まり。自分で大勢を指揮するなんて、そんなこと……」
「……そんな弱音を言うんだね。エリカさんでも」
エリカらしくない弱音。
それに、つい愛里寿はそうこぼした。
エリカは、それを指摘されるとさらに暗い顔をする。
「……ごめんなさい。確かに私らしくないわね。ちょっとだけナーバスになっているのかもしれないわ。だって、私達黒森峰は王者の異名を持ちながらも二年連続で優勝を逃している。その重圧を考えると、どうしても、ね……」
「なるほど……」
愛里寿は一口ジュースを飲みながら頷く。
正直、愛里寿にはよく分からない重圧であった。
愛里寿は生まれながらの天才であり、勝者である。
凡才の苦悩など、味わったこともなかった。
だが、それでもエリカの力になれるならと、愛里寿は思った。だから――
「……じゃあ、私にいつでも相談して。隊長としての経験は、一応私の方が長いから」
「……いいの?」
「当然だよ。だって、エリカさんは大事な友達だもの」
「……いつもの私なら年下に頼るなんてみっともない、とか言い出してしまうところなんだけど、今回ばかりはそんなこと言ってられないわね。……お願いするわ、愛里寿」
「うん、任せて。エリカさん」
愛里寿は笑顔でエリカに答えた。一方、エリカの顔は曇ったままだった。
それから、愛里寿とエリカの交流の質が変わっていく。
と言うのも、内容がほとんどエリカの悩み相談や愚痴を愛里寿が受け止める、と言った感じになっていったからである。
エリカは通話に置いていつも暗いトーンで話した。やれ重圧が辛い。やれ指揮がうまくいかない、などと。
愛里寿はそれを優しく受け止めた。正直少し疲れることもあったが、そんなことを思ってはいけないとエリカを優しさで包み込んだ。
だが、エリカのその心労の吐露はどんどんと重くなっていく。
そんな中、愛里寿はある日聞いた。自分の他にそういうことを相談できる相手はいないのか? と。
そうするとエリカはこう答えた。
「無理よ。私は黒森峰を継いだ強い隊長でいなければならないのだから。誰にも弱みなんて見せられないわ。こんなこと言えるの、愛里寿、あなただけよ」
愛里寿はか細い声で言うエリカのその言葉に、正直嬉しさを感じてしまった。
自分にだけは本心を話してくれる。そのことが、愛里寿にとっては喜びになっていた。
だから、どんなエリカの愚痴や悩みも受け止め続けた。
……それがいけなかったのかもしれない。
愛里寿は後にそう思うようになる。それがエリカの、弱い部分をどんどんと大きくしていったのではないかと。エリカの心を、蝕んでしまったのではないかと。
ある意味それを裏付けるような、決定的な事件があった。
それは、寒さの厳しい冬に行われた大会、無限軌道杯での出来事だった。
無限軌道杯の優勝候補として、黒森峰は軽んじられていた。
他の隊長が留学していない中、黒森峰のまほだけが留学し、残されたのは技量に不安が残るエリカである。
サンダースなどの他の学校からは、優勝候補としては一歩劣ると見られていた。
エリカは、その逆境の中でなんとか優勝しようと努力した。
大会前夜の愛里寿との通話でもその意気込みを語っていた。
「愛里寿、見ていて。私は無限軌道杯で絶対に黒森峰ここにありというのを証明して見せるわ。そうしないと、いけないのよ」
そのエリカの意気込みに、愛里寿は答える。
「うん、頑張って。エリカさんならきっとできるよ」
愛里寿は思う。
そのとき、エリカが微かに含ませていたSOSに気づいてあげられていれば、今のようにはならなかったのではないか、と。
だが、それも結局は後の祭りだった。
なぜなら、黒森峰は周りに軽んじられた通り、一回戦で敗北してしまったのだから。
メディアはこぞって黒森峰の敗北を面白おかしく書いた。
『王者失墜! 黒森峰一回戦敗北!』
『見る影もなし! 黒森峰の現在!』
『哀れ! 西住流から見放されたかつての王者!』
世間は黒森峰の様を笑い者にし、指を指した。
黒森峰を応援していたファン達は落胆の声を上げた。
後援会であるOG会は、黒森峰の現在の生徒達を糾弾した。
憐れまれ、失望され、軽蔑される黒森峰。
そのすべてを、エリカは一身に受けた。隊長だから当然ではあるが、それは一人の女子高生には厳しすぎるとも言えた。
だからかもしれない。逸見エリカという少女が、崩壊してしまったのは。
「……エリカさん、大丈夫かな……」
その日、愛里寿はエリカのいる黒森峰学園艦を訪れていた。
話によると、エリカはここ最近学校を休んでいるらしい。そんなエリカを心配して、愛里寿は黒森峰にやって来たのだ。
「一応行くって連絡は入れたけど……エリカ、ちゃんと携帯見てくれているかな」
そんなことを考えつつも、愛里寿はエリカの部屋の前に立つ。そして、インターホンを鳴らし、インターホン越しに話しかける。
「エリカさん、私、愛里寿。その……ちょっと心配になって、来ちゃった……」
愛里寿がそう言うと、しばらくしてからガチャリと鍵の開く音が聞こえた。
そして、扉が開かれる。中から現れたのは、げっそりと見るからに痩せたエリカだった。
「エ、エリカさん……」
「……愛里寿。入って」
「う、うん……」
愛里寿が入った部屋は、カーテンが締め切られており暗かった。
あたりにゴミが散乱し、ろくに片付けられていない。
一応あるゴミ袋の中にはカップ麺などの容器が捨てられており、健康な食生活も送れていないのが見て取れた。
エリカは制服姿で、少し臭う。どうやらしばらく着替えていないようだった。
「……だ、大丈夫? エリカさん? ここ最近大変だったようだけど……」
「……心配してくれるのね、ありがとう愛里寿。でも、ちょっときついわね……」
エリカはベッドの上に座りながら言う。
その声は、とても疲れていた。
「……そんな気を落とさないで、エリカさん。敗北は誰だってあるよ。大切なのはそこからで……」
「……でも、あなたは負けたことはほとんどないんでしょう?」
「そ、それは、そうだけど……」
「……やっぱり、私は負け犬なのよ。西住隊長にも、みほにも、そしてあなたにもなれない。駄目で平凡な戦車乗り。それが私。そんな私に、黒森峰を率いるなんて、土台無理な話だったのよ……」
「…………」
卑屈になりすぎているエリカ。
そんなエリカに、愛里寿はふつふつととある感情が湧いてくるのを感じた。
湧いてくる感情の名、それは、怒りだった。
「私なんて、所詮――」
「……いい加減にして」
「え?」
「いい加減にしてよ!」
いつの間にか、愛里寿は声を荒げていた。
「そんなグチグチネチネチ言うなんて、気持ち悪いよ! エリカさんはそんな小さい人間だったの!? 気持ち悪い、気持ち悪い! 私はそんなエリカさんを好きになったんじゃないよ! もっと前向いて頑張りなよ! ちょっと失敗したぐらいでさ! だからどうだって言うの!? そんなことでいちいち沈んでるなら……戦車道なんて、止めてしまえばいいよっ!!」
そこまで言って、愛里寿は言いすぎたと思った。
これで本当に戦車道を止めてしまったらどうしよう、そんな不安が愛里寿を襲った。
しかし、次にエリカが発した言葉は、愛里寿の予想外の言葉だった。
「……もっと、言って」
「……え?」
「もっと、私をなじって!」
エリカは愛里寿の前にひざまずくと、すがって言った。愛里寿はその突然のエリカの言葉に、困惑するしかなかった。
「な、なじってって……?」
「ええ。あなたが初めてなのよ。大抵がみんな私を同情するか、軽蔑して軽い嫌味だけ言って去っていくのみ。誰も私自身を見てくれなくて、私をただの“黒森峰の隊長”として憐れむだけ。でも、あなたは私を正面からなじってくれた。正面から私のことを気持ち悪いと言ってくれた。逸見エリカ、本人を……。それが、今の私にはとても心地よいの……お願い、愛里寿。いえ、愛里寿様……私を……もっと……蔑んでください……!」
理解できない。
愛里寿はそう思った。
自分から蔑んで欲しいなど、まともな人間が言うはずはない。
流れからみても、突然そんなことを言うなんておかしい。
何もかもが、愛里寿には意味不明だった。
だが、一つだけ理解したことがあった。
今のエリカは、壊れる寸前まで来ている、ということを。
だから――
「……私がなじれば、エリカさんを貶めれば、エリカさんは満足するの?」
「……はい……それと、どうか、どうかあらゆる言葉で私をバカにしてください……それと、私のことは呼び捨てで結構です……いいえ、呼び捨ててください……!」
「……そう……だったら……」
愛里寿は決意する。
ここで見放しては、エリカは本当に壊れてしまうだろう。
最後の防波堤として、自分を傷つけてくれる存在が必要なのだろう。
ならば、今の自分にできること、それは、たった一つだと。
「……この、卑しい敗北者のエリカ! あなたのせいであなたの学校は負けたの、分かってる?」
愛里寿はできうる限りの罵詈雑言を、エリカに浴びせることに決めた。
それが、自分の本心ではないのに、である。
「はい! 私です! すべては私のせいです!」
「そうよ! それなのにあなたは責任から逃げて引きこもって! 駄目な人間はすぐ逃げて責任を投げ出す! それだから黒森峰は負けたのよ。あなたのような後任で、まほさんも本当に可哀想ね」
「はい、はい……!」
エリカは愛里寿の言葉を土下座しながら受け止める。その表情は愛里寿からははっきりと見えなかったが、笑っているのを、なんとなく愛里寿は分かった。
「何? 笑ってるの? 気持ち悪いわね。叱られて喜ぶなんて、とんだ変態ね」
「はい! そうです! 私は変態です!」
「認めるの? 本当に気持ち悪い。あなたのような人間は、こうよ……!」
愛里寿はエリカの頭を踏みつける。
自分でもそんな行動に出たのに愛里寿は驚いていた。
それは、愛里寿の内なる加虐心が刺激されたのもあるが、今のエリカは何が一番喜ぶかをなんとなく理解したゆえの行動であった。
「あ、あああ……!」
「まったく、本当に卑しい女ね。いいえ、今のあなたは女ですらない。豚よ。家畜よ。ほら、家畜は家畜らしく、鳴いてみなさい?」
「ぶひっ! ぶひっぃ!」
エリカは喜んで鼻を鳴らす。
正直、そんなエリカを愛里寿はとても見ていられなかったのだが、そこはぐっとこらえて、エリカにさらなる罵詈雑言を浴びせかけることにした。
「ふん、豚にお似合いの鳴き声ね。人語を喋るよりも、ずっとあなたに似合っているわ。醜い子豚のエリカ?」
「ぶひっぃっ! ぶひぶひっ!」
愛里寿はニヤリと笑う。笑みという仮面を被る。そうしていないと、今にも辛くて泣き出しそうだったから。
その日から、愛里寿とエリカの関係性は変わった。
愛里寿は女王として、エリカは下僕として。
二人の間に、絶対的な上下関係が生まれた。
◇◆◇◆◇
「ほら、何やってるの? 今すぐ、あなたのそのみすぼらしい体を見せなさい?」
「はい、愛里寿様……」
一年程経った今でも、愛里寿とエリカの関係は続いていた。
その日は、愛里寿はエリカを目の前で裸にさせていた。愛里寿は、すっかり女王として様々な命令をエリカに出せるようになっていた。
それは、愛里寿がエリカを落胆させないために努力した結果だった。
エリカはすっかり人が変わってしまっていた。
愛里寿がやって来ない日は常に部屋に引きこもるようになり、ついには学校を止めてしまった。
多くの旧友がエリカを心配して家を訪ねるも、そのどれにもエリカは応えなかった。
ただ一人、愛里寿を除いて。
愛里寿はエリカの部屋に足繁く通う様になっていた。大学が休みの日は必ず、と言っていいほど出る。ときにはエリカの方からも訪ねることもあった。エリカが訪ねるのは突然で、講義がある日でも構わなかった。エリカがやって来ると、必ず愛里寿は大学を休んだ。
愛里寿はなんとかギリギリ戦車道はいつも通りにしているため周囲にはバレていないが、それでも生活がエリカ中心になったことは変わりなかった。
エリカを虐げることが、今の愛里寿の生活の中心だった。
「ふん、本当にひどい体ね。無駄に贅肉をつけて、元アスリートの体とは思えないわね」
「もう選手を止めましたから……愛里寿様がお嫌いならば、今すぐにでも肉体改造に励みます」
「いいえ、いいのよ。豚らしくていいんじゃない? あなたはそのだらしない体のまま、恥を晒せばいいのよ」
「はい、愛里寿様がそうおっしゃるなら……」
エリカは虚ろな目で答える。
愛里寿は理解していた。
あれだけ守ろうとしたエリカの心はもう、駄目になっていると。
愛里寿は選択を間違えたのだと。
でも、一度選んだ選択は覆らない。愛里寿には、女王の仮面をかぶり続けるしか、道は残されていないのだ。
「ほら、そのだらしない姿で芸の一つでもしなさい。おすわり」
「わんっ!」
「お手」
「わんっ!」
「ちんちん」
「わんわんっ!」
嬉しそうに舌を垂らしながら答えるエリカに、愛里寿は笑いかける。蔑むような、しかしその奥に悲しさを潜ませた瞳で。
愛里寿は泣く。涙を見せずに、心の内で。
女王の仮面の下で、愛里寿は泣き続けるのだ。
もう戻れない、あの頃を夢見ながら。