ガールズ&パンツァーダークサイド短編集   作:Narrenfreiheit
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安藤と押田のバレンタインデーにまつわるお話です


忘却のバレンタインデー

「押田ぁ! また貴様達エスカレーター組が私達外部生組を馬鹿にしたんだってなぁ!」

「何を言う、当然のことを言ったまでだ! それよりも、君達外部生組の素行の悪さはなんとかならないのか! ほとほと困っているんだよ私達は!」

 

 その日も、BC自由学園では怒声が飛び交っていた。

 戦車の格納庫を前に、戦車で両者を二分するように学園の外部生組とエスカレーター組が別れている。

 その先頭にそれぞれ、安藤と押田はいた。

 安藤は外部生の先頭に、押田はエスカレーター組の先頭にである。

 二人はそれぞれの派閥の代表のような立ち位置だった。だからこそ、何か揉め事が起きた際にはこうして先頭をきって論争を繰り広げるのだ。

 

「何を貴様ぁ!」

「君こそなんだぁ!」

 

 そうしているうちに取っ組み合いの喧嘩が始まってしまう。

 お互いにもみくちゃになり拳と拳をぶつけ合う激しい喧嘩である。

 それがBC自由学園の日常であり、その代表格である安藤と押田は、とても仲が悪いというのが一般的な学園での認識だった。

 しかし……

 

「押田、大丈夫か? 怪我してないか?」

「ああ安藤。君こそ、大きな怪我はしていないか?」

 

 その認識は間違っていた。

 安藤と押田は、実はとても仲が良かったのだ。

 二人は二人だけの秘密の場所にしている、戦車道関連の資材をしまっておく小さな倉庫でよく落ち合っていた。

 そして、その日外部生組とエスカレーター組の喧嘩があった日は、必ずこうしてお互いの怪我の具合を確かめるのだ。

 

「悪かったな……ついそういう流れだったとはいえ、思いっきり殴っちまった」

「こっちこそ。君のお腹を蹴り上げてしまった。変な後遺症がないといいんだが……」

「大丈夫だよ。私の体はそんなやわじゃないさ」

「ふっ、君らしいな」

 

 そう言って安藤と押田は笑い合う。

 二人は友情以上の感情、恋愛感情で結び付けられていた。二人は出会ったときから互いに惚れていた。

 いわゆる一目惚れというやつだった。惹かれ合った二人はすぐに付き合い始めた。

 しかし、不幸にも二人それぞれがそれぞれの派閥のトップに祭り上げられてしまったため、大手を振るって交際をすることができなくなってしまった。

 なので、表では不仲という演技をすることにした。それが、それぞれの派閥のため、そして自分達の保身のためになると思ったのだ。

 その結果、こうして望んでもいないのにお互いを傷つけてしまうことが多かった。

 だが、それもこっそりと会って互いの体に触れ合うことができると、二人は前向きに考えた。

 そこには、確かな愛が存在した。

 

「まったく、マリー様も止めてくれればいいものを……」

「あの人は基本我関せずだからなぁ。面倒なことはしたくないんだろう」

 

 BC自由学園の戦車隊の隊長であるマリーは、外部生組とエスカレーター組の対立を基本静観していた。それは安藤の言う通り、面倒ごとには関わりたくないという意志があからさまに感じ取れた。

 ちなみに、マリーも二人の関係性を知らない。

 安藤と押田の関係は、本当に二人だけの秘密なのだ。

 

「そういや、そろそろバレンタインデーだね」

「なんだ、お前何か欲しいのか?」

 

 押田の何気ない言葉を、安藤はからかう。

 

「べ、別にそういうわけじゃ……」

「冗談だよ。ちゃんと用意してやるから、安心しろ。去年はお前から貰ったからな」

「ほ、本当か!? ありがとう……」

 

 押田は安藤にそう礼を言って笑顔を見せる。その表情に、安藤はドキリとした。

 

「い、いいってことよ! とにかく、明日からまた頑張ろう。明日は揉め事がなければいいがな……」

「そうもいかないだろう。まあ、頑張るしかないさ。私達でなんとか、な」

「そうだな。……と、そろそろ時間か。もう出ないと、みんなに怪しまれちまう」

「ああ。……なあ安藤、でも、その前に……」

「……分かってるよ」

 

 安藤と押田はゆっくりと顔を近づける。

 そして、そのまま互いの唇を重ね合わせた。

 これが、安藤と押田の日課である逢瀬であった。誰にも知られない、二人だけの密かな時間であった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

『紅白戦?』

 

 安藤と押田が同時に言った。

 それにマリーは頷いた。

 

「そうよぉ。いっそ、外部生組とエスカレーター組で紅白戦をして白黒決着をつければいいと思うのぉ。あっ、紅白なのに白黒ってなんかおっかしーぃ!」

 

 マリーは自分で自分の言ったことに破顔する。

 一方の安藤と押田は、互いに顔を見合わせた。

 

「ふっ、どうやら私達外部生組が温室育ちとは違って優秀なことを見せつけられるときが来たようだな!」

「それはこっちの台詞だ安藤。私達エスカレーター組は野蛮な外部生組に力の差というものを教えてあげよう」

「なんだとぉ!?」

「なにおう!?」

「はいはいそこまでぇー!」

 

 マリーは言い合う二人を扇子で遮った。

 

「勝負は今日の正午。場所は学園の演習場でいいかしらぁ? あっ、私は公平を期すために参加しないからぁ」

「……それはただ単に面倒なだけでは?」

「えぇーそんなことないわよぉー本当よぉー?」

 

 マリーは扇子をしまい、手元にあるケーキを食べながら言った。

 

「…………」

「…………」

 

 安藤と押田は見つめ合う。

 それは一見すれば睨み合っているように見えるが、実はお互い目で健闘を称え合っているのであった。

 

 

 正午。

 BC自由学園の戦車道演習場に、ずらりと戦車が並んでいた。それぞれ、外部生組とエスカレーター組の中から選び抜かれた生徒達であった。

 もちろん、それぞれの隊長は安藤と押田だ。

 

「それではぁ、両者礼ぃ!」

 

 マリーが号令をかける。

 

『よろしくお願いします!』

 

 それによって両者共に頭を下げる。

 向かい合う安藤と押田は、お互いにだけ分かる目つきで、これからの戦いを楽しもうと言い合った。

 そして両者戦車に乗り、配置に付き、合図と共に試合が始まる。

 試合の形勢は始まってから一時間ほどは、五分五分といった様子だった。

 フラッグ戦をルールとしたその戦いにおいて、両者共機動力を活かし動き回り、互いに互いの作戦を読んで戦った。

 お互いの作戦が手に取るように分かるのは、安藤と押田がずっと同じ時間を過ごしたからであった。

 そのことを知らないそれぞれのチームの隊員は、歯がゆい思いをしていた。

 しかし、やがて形勢に動きが現れる。

 押田の乗っているフラッグ車が崖際に追い詰められたのだ。

 そこに、安藤の乗るフラッグ車が森を越えて接近する。どちらかがどちらかを撃つ、緊迫した瞬間が迫っていた。

 やがて、安藤の戦車が森の中から現れる。

 それに気づく押田の戦車。

 

『撃てぇ!』

 

 会敵と同時、両者は同時に砲撃した。

 そして、同時にフラッグ車は白旗を上げた。

 結果は、引き分けだった。

 

「……ふぅ」

 

 安藤はフラッグ車の中で息を吐いて背中を戦車の中の装甲に預ける。

 引き分けなのは不本意だが、なかなかいい試合ができた。安藤はそう思った。

 だが、次の瞬間、安藤は装甲から一気に身を起こした。

 押田の乗っていた戦車がある崖が、途端に崩れたのだ。そして、押田の戦車はそのまま崖下へと落ちていった。

 

「っ!? 押田っ!?」

 

 安藤はみんなが見ているのも忘れ思わず押田の名前を呼びながら、戦車を飛び降り崖下を見る。

 しかし、その呼び声虚しく、崖下には火を上げながら砲塔をひしゃげさせた戦車が転がっていた……。

 

 

 学園艦にある病院の病室で、安藤は押田の側に座っていた。

 押田は、病院のベッドの上で眠っていた。押田が病院に運ばれ眠りについてから、もう丸二日が経っていた。

 安藤はその間、ずっと押田の側についていた。

 外部生組もエスカレーター組も、なぜ嫌いな相手の看病をそこまでできるのかと不思議がった。

 だが本当は、安藤は押田を愛しているのだ。

 当然、心配でその側を離れることなどできるわけがなかった。

 

「……押田……」

 

 安藤は押田の手を握る。

 その目にはすっかりクマができた。

 

「……どうかしらぁ、具合は」

 

 その病室に、第三者の声が聞こえてきた。マリーだ。

 

「……変わらずだよ。ずっと、押田は寝たきりのままだ」

「……そう。あなたも、いい加減寝たら? ずっと寝てないんでしょ?」

「……いならい心配だ」

「……でもぉ」

「でもじゃない! 私のせいで押田は……押田は……!」

「……あなた、もしかして彼女のことぉ……」

 

 そのときだった。

 

「っ!? 押田!?」

 

 押田の手が、ピクリと動いたのだ。

 そして、今までずっと閉じていた瞳を、ゆっくりと開かせた。

 

「……私は……」

「……わ、私! 先生を呼んで来るわぁ!」

 

 マリーは押田が目覚めたことに驚きながらも病室から走り去る。

 一方の安藤は押田が目覚めたことを喜び、押田の体を強く抱きしめた。

 

「押田ぁ! 押田ぁ!」

「……や、やめたまえ……苦しいじゃないか……!」

「あ、ああ! すまん!」

 

 押田に言われ、安藤は抱きついていた押田の体から離れる。

 

「すまなかったな……目が覚めたのが私、嬉しくて……」

「目が覚めた……? 一体何を言って……そもそも……」

 

 その次の言葉で、安藤は凍りついた。

 

「一体、君は誰なんだ?」

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「記憶、喪失……!?」

「はい」

 

 押田を見た病院の医者は、安藤にそう告げた。

 

「強く頭を打ったのが原因で、記憶に一時的な障害が出たようです。どうやらそれほど大きな記憶障害ではないようですが、一部の人間関係についての記憶を失ってしまったようで――」

「大きな記憶障害じゃない、だと……?」

 

 医師のその言葉に、安藤は憤怒した。

 

「何が大きな障害はないだ! 押田は忘れたんだぞ!? この私のことを! 恋人だった私のことを! それが大きな記憶障害じゃないと、どうして言えるんだ!」

 

 安藤は医師の襟首を掴み大きく揺さぶった。

 

「わ、分かりました! 失言でした! だから落ち着いてください!」

 

「これが落ち着いてなど――」

「落ち着きなさい!」

 

 ピシャリとした声が安藤の動きを止めた。

 言ったのはマリーだった。

 

「あんた……」

「あなた達の関係性は分かったわぁ。正直、かなり驚いてるけど納得できることもあるものぉ。でもね、ここで先生に当ってもしょうがないでしょぉ? だから、まずは落ち着きなさい」

「あ、ああ……すまない……」

 

 安藤はそこでやっと医者の襟首から手を離し、椅子に座る。

 

「ゲホッ、ゲホッ……! すいません、こちらも失言が過ぎました」

「いや、急に興奮した私が悪いんだ、すまなかった……続けてくれ……」

「はい……」

 

 安藤に言われ、医者は話を再開した。

 

「押田さんは一部の人間関係についての記憶――つまり安藤さんとの記憶――を失っており、さらに記憶の喪失による一部性格の変化も伺えます。正直これはいつ回復するか分かりません。明日に戻るのか、一年後も戻らないのか……」

「そんな……」

「こちらでも必死に治療は続けます。しかし、記憶喪失という病はまだまだ未知の領域でして、我々としてもどうしたらいいのか……」

「……あああっ!」

 

 安藤は自分の膝を拳で強く叩いた。

 その手はあまりに強く握りしめすぎて、真っ赤になっていた。

 

「あなた……」

「私は、何もできないのか……何も……!」

「……できるとしたら、押田さんに話しかけることでしょう。押田さんと思い出話をすれば、何か記憶が蘇るかもしれません。記憶は何をきっかけにして蘇るか分かりませんから」

「……ああ、分かった」

 

 安藤は力なく頷いた。

 その安藤の肩に、マリーは優しく手を置いた。

 

 

「……む、また君か」

「おい、またとは何だまたとは」

 

 安藤はその日も押田の病室を訪れていた。安藤は毎日のように押田の病室に見舞いにやってきていた。

 

「そうも言いたくなるだろう。毎日毎日そうやってやってきて。外部生組にそうやってこられても面白くないだけだと、何度言えば分かるんだ?」

「その外部生とお前は付き合ってたんだよ。だから来る」

「はっ、その話もどこまで本当なのだか。君の話を信じる証拠がどこにある?」

 

 しかし、押田は安藤の来訪を歓迎していなかった。むしろ、煙たがってすらいた。

 

「証拠があってもなくても、私はお前のところを訪れるよ。お前に早く記憶を取り戻して欲しいからな」

「ふん、正直君との記憶が無くとも私は何も不便していないからいいのだけれどね」

 

 押田は冷たく言った。

 その押田の言葉に内心大きく傷つきながらも、安藤はなんとか笑みを作って押田の側に座った。

 

「ああ、そうかい。それじゃあ今日も話すぞ。今日は、去年のクリスマスの話だ」

「はっ、また君と私が過ごした時間ということについての話か。正直、自分のことだと思えないのでただのうざったいノロケ話にしか思えないのだがな」

「まあそう言うなって。じゃあ始めるぞ。去年のクリスマス、私達は――」

 

 そうして安藤は昔話を始めた。その話は、どれだけ安藤と押田が一緒に過ごしてきたかという話だった。その話を押田は一応黙って聞いてくれてはいた。

 だが、明らかに嫌そうに聞いている姿が、安藤には辛かった。

 

「……って感じだな。何か質問は?」

「特にないな。強いていうなら、外部生と本当にそんな時間を過ごしたのかと思うと吐き気がする」

 

 押田のその言葉に安藤はまたも傷つく。

 記憶を失った押田はすっかり外部生嫌いのエスカレーター組になってしまっていた。

 そのため、安藤には並々ならぬ敵愾心を見せてきた。

 そのことが、安藤を苛んだ。

 

「分かった……じゃあ、今日はもう時間らしいから帰るな。また明日、来るから」

「ふん、そこは安心しろ。もう明日から君が来る必要はない」

「え? それってどういう……」

「私は明日から、退院の許可が出たんだ」

「退院!?」

 

 安藤はそのことについて聞いていなかった。そのため、大きく驚愕する。

 

「そうだ。なんでも、元の環境に戻ったほうが記憶が戻る可能性が高いからというらしいが……正直、私は早く学校に戻りたかったのでよかったよ。これでまたマリー様のお力になれる」

「そうか……それは良かったな……」

「しかし、学校に戻っても馴れ馴れしくしてくれるなよ? 外部生と一緒にいたらどんな噂を立てられるか分からん」

「……ああ、分かってるよ……!」

 

 それは、記憶があった頃もしていたこと。

 そのはずなのに、今の押田に言われると、無償に傷ついて仕方がなかった。

 ――今のお前は元のお前じゃないのに……! どうしてそんなことが言えるんだ……!

 そう言いたい気持ちを、安藤はぐっとこらえた。

 ここで押田と喧嘩になってしまっては、もう二度と話してもらえない。そう思ったからであった。

 そして安藤は病院を後にした。翌日からの押田との新たな学校生活をどうするべきかを考えながら。

 

 

「押田さん! 戻ったんですね!」

「ああみんな、心配かけてすまなかった。私はこの通り平気だよ」

 

 押田は学園に戻ると心配してやってきたエスカレーター組の生徒達に笑顔を振りまいていた。

 その様子は、本当に少しの間だけ病院にいただけで、今は回復したと言った様子だった。

 他の生徒は押田が記憶を失っていることを知らなかった。

 押田が失っているのは安藤との記憶だけであり、その他の記憶についてはいたって普通だったからだ。それゆえ、無駄な心配をかけないように、かつなるべく日常通り過ごせるようにと記憶喪失のことは伏せていた。

 知っているのは、安藤とマリーだけだ。

 

「…………」

 

 安藤はその光景を黙って見つめていた。

 回りには、安藤に常に付き従っている外部生組の生徒がいた。

 

「あーあ、押田戻ってきちゃいましたね」

「ああ……」

「まったく、もうちょっと入院してればよかったのに。またエスカレーター組がうるさくなるなー」

「ああ……」

「それにしても、押田ちょっと態度でかくなりました? なんだか、以前に比べてより不遜に見えるんですけど」

「ああ……」

 

 安藤は話しかけてくる外部生組の生徒達の言葉に生返事で答えていた。

 正直、まともに話せばいつ自分が怒って取り乱してしまうか分からないため、聞き流しているのだ。

 だが、それでも安藤をイラつかせるのには十分だった。

 安藤は今にでも周りの外部生組の生徒を殴りたいという衝動を抑えていた。

 

「ふん、押田なんてもっと強く頭を打って、大怪我すればよかったんですよ」

「おい、ふざけるなよ……!」

 

 だが、その言葉に安藤は我慢できなかった。

 安藤はその言葉を言った外部生の襟首を掴み上げた。

 

「うっ……!? あ、安藤さん……!?」

「冗談でもそんなこと言うな! 分かったな!」

「は、はい! わ、分かりました……! だから、首……しまって……!」

「あっ、す、すまない……」

 

 安藤は苦しそうにしている外部生の姿を見て冷静になり、そっと締め上げていた外部生を床に下ろした。

 

「げほっ! げほっ!」

「悪かった……急にカッっとなってしまって……大丈夫だったか?」

「は、はい……安藤さんは優しいですね、エスカレーター組でもちゃんと心配するなんて。私みたいなやつにはできないことです」

「べ、別にそんなこと……」

「おやおや、何やら揉めてると思ったら安藤じゃないか」

 

 と、そこで鋭い声が飛んできた。

 押田だった。押田が、エスカレーター組を引き連れて安藤の元へとやってきていたのだ。

 

「押田……」

「どうした安藤? 久々に見た私の顔が珍しいか?」

 

 安藤が押田の病院に毎日見舞いに行っていたことも隠されている。そのため、久々に会った、というていで押田は話しかけていた。

 

「い、いや。久々にその憎たらしい顔を見たなと思っただけさ」

「ふん、そうか。私も君のその嫌な顔を久々に見て唾を吐きかけたい気分になったよ」

 

 いつも交わしていたはずの憎まれ口。

 しかしいつもの演技とは違い、押田の口から出てきているのは本当の罵詈雑言だった。

 

「……そうかい。それじゃあ私はこれで」

 

 安藤にはそれが耐えられず、一人帰ろうとする。

 その様子に、周囲の外部生は驚いた。普段の安藤ならさらにそこから憎まれ口を叩き、そこから口論が発生するはずだったからだ。

 だが、安藤は去ろうとしている。そのことが周囲には信じられなかった。

 

「あ、安藤さんいいんですか!? 言われっぱなしですよ!?」

「……いいんだ。野良犬の遠吠えだ、気にすることはない」

「まあなんと下品な! 野良犬はどちらかというとそちらでしょうに!」

「ああ!? なんだとこら!?」

 

 エスカレーター組の一人が言う。

 その言葉に、外部生組の一人が反応する。

 そうしていくうちに、エスカレーター組と外部生組の喧嘩がどんどんと大きくなっていく。

 安藤は、それに耳を塞ぎ走り去っていくことしかできなかった。

 

 

 その日から、安藤の立場はどんどんと瓦解していった。

 何せ、外部生組とエスカレーター組の喧嘩の矢面に立たなくなってしまったのだ。

 普通のエスカレーター組相手ならいつものように喧嘩をすることができた。しかし、押田が出て来ると急に逃げてしまうのだ。

 周囲は安藤に未だに押田を怪我させた負い目があるものだと思っていた。

 しかし、その実態は安藤が今の押田からの言葉に耐えられないからだった。

 押田はそのことを知ってか知らずか、安藤が現れるといつの間にか現れ、安藤に冷たい言葉を浴びせた。

 その言葉に、安藤は耐えられなかった。

 だから逃げた。

 それゆえ、いつしか安藤への外部生組の信頼はなくなっていた。

 そしてもう一人、精神の安定を欠いている者がいた。マリーだ。

 マリーは安藤と押田の関係に心を痛めていた。そして、それは自分が紅白戦を企画したからだと思い込んだ。そこからどんどんと精神を病み、ついには引きこもるようになってしまった。

 こうして、BC自由学園を支えていた三本の柱は、バラバラになってしまったのだ。

 そうして幾日もの日が過ぎた。

 

 

「ん……」

 

 安藤は暗闇の中目を覚ました。

 

「眠っていたのか、私は……」

 

 安藤が目を覚ましたのは、いつも押田と密会をしていた倉庫だった。

 その日安藤は押田との思い出に浸りたくなり、その倉庫に入って一人思い出にふけっていたのだ。

 安藤がそう思い立ったのには理由があった。

 なぜなら、その日は――

 

「バレンタインデーはまだ……終わってないか」

 

 安藤は携帯電話に表示されている時間を見ながら言う。時刻は午後の八時を回ったところだった。

 そう、その日はバレンタインデーだった。

 押田にチョコレートを渡すと約束した日だった。

 しかし、安藤のポケットには包装されながらもぐちゃぐちゃになったチョコレートが入っている。

 安藤は、今の押田にチョコレートを渡せなかったのだ。

 否、渡すのに失敗したと言ったほうが正しい。なぜなら安藤は、押田にチョコレートを渡そうとはしたのだから。

 しかし、それは失敗した。

 なぜなら、安藤が戦車格納庫で押田にチョコレートを渡すために話しかけたとき、押田はこう言ったのだ。

 

 

「おや負け犬の安藤じゃないか? どうした? まさか私にチョコレートを渡してくれようとしてくれているのか?」

 

 押田は鼻で笑いながら言った。

 しかし安藤は、これがきっかけで記憶が戻ろるかもしれないと思い、押田にチョコレートを見せた。

 

「ああ、実は……」

 

 すると、押田は言った。

 

「……本気か? ……気持ち悪い」

「……えっ」

「気持ち悪い、と言ったんだ。私はエスカレーター組、君は外部生。住む世界が違うんだ。外部生組の汗臭いチョコレートなど貰えるか」

「そ、そんな……でも、約束で……」

「約束? ああ、記憶があるときの約束が。しかし、今の私には関係のない約束だ。いいか、昔の押田は死んだのだ……こんなもの!」

 

 そう言って押田は、安藤のチョコレートを払い除けた。

 

「あっ……!」

「ふん!」

 

 そして、それをそのまま踏みつけた。

 

「やめろ……やめろぉ!」

 

 安藤はそれが耐えられず、押田を突き飛ばしチョコレートを拾って懐にしまった。

 

「……っ! 君は……! 君の勝手な理想の私を、私に押し付けて……もう昔の私は死んだと言ったろう……! それを、君というやつは……!」

 

 押田が頭を片手で抱えながら横たわっていた。

 そのとき、安藤は思った。

 もしかして、頭に強い衝撃を与えたら押田は戻ってくるのではないか? と。

 そして、安藤の近くには都合よく、資材として放置されていた鉄パイプがあった。

 安藤は、それを手に取った。

 

「……ちょ、ちょっと待て。そんなものを手にとってどうするつもりだ……も、もしかして……」

「…………」

「わ、悪かった! さっきのことは謝る! い、いや! 今までのことすべてを謝罪する! もう君に関わったりもしない! お願いだ! だからそれを下ろして……」

「…………」

「……ひっ」

 

 安藤には押田の命乞いは聞こえていなかった。

 瞳に映るのは、ただ怯えて涙を流す押田の姿のみだった。

 そしてついに安藤は、押田に襲いかかった。

 

「うああああああああああああああああああああっ!」

「う、うわあああああああああああああああああっ!?」

 

 押田は怯えた表情で悲鳴を上げる。安藤は鉄パイプを振りかぶり安藤に向けて振り下ろそうとした。

 しかし、そのとき――

 

『安藤』

 

 押田の声が、聞こえた気がした。

 その瞬間、押田の目の前で鉄パイプが止まった。

 押田はその恐怖により、気を失った。

 一方の安藤は、茫然自失としていた。

 ――私は、今何をしようとしていた? 私は今、自分のエゴで押田を傷つけようとしたのか? あのときみたいに? そうしてまた押田の記憶を奪うのか? また、押田を殺すのか? 二度も? 私の手で? そんなこと、そんなこと……。

 

「……そんなこと、できるわけないじゃないかぁ……!」

 

 安藤は鉄パイプを落とした。

 カランコロンという音が、格納庫に響き渡った。

 安藤は手を震えさせ、その手を見つめた。そして、次の瞬間、走り出した。

 

「うっ、うわあああああああああああああああああっ!」

 

 悲鳴を上げながら、走り出した。

 そして、彼女が逃げ込んだ先が、押田との思い出の詰まった、倉庫だった。

 

 

 そうして、今彼女はこうして倉庫の中で涙にくれているのだ。

 

「はは……私も記憶がなくなったらいいのに……そうしたら、押田のことを憎んで、ただの仲の悪い二人になれるのになぁ……」

 

 そう言いながら安藤は、懐からぐちゃぐちゃになったチョコレートを取り出す。

 包装を解くと、そこには粉々になっている、元はハートの形をしていたであろうチョコレートがあった。

 安藤はそれを口にする。

 

「……ああ、しょっぱいなぁ。砂糖と塩、間違えたかなぁ。これなら、渡さなくて正解だったかなぁ……」

 

 安藤はチョコレートを食べ続ける。

 涙に濡れたチョコレートを。

 暗い倉庫の中で、安藤の泣き笑い声がこだまする。

 それは、すべてを諦めた者の笑いなのか。それとも、未だに現実を受け入れられず幻想にしがみつく者の泣き声なのか。

 あるいは、その両方か。

 ただ一つ確かなことは、その日以降、安藤の心は壊れてしまった、ということである。

 安藤と押田のバレンタインデーは、忘却の彼方へと去り、もう二度と訪れることはない。

 








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