ガールズ&パンツァーダークサイド短編集   作:御船アイ

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みぽりんの現実にまつわるお話です。


モヴェ・ジェニー

「大洗女子学園の勝利!」

 

 陸上自衛隊一等陸尉、蝶野亜美の声が高らかに響き渡る。

 この瞬間、大洗女児学園は、不可能と思われていた戦いに勝利を収めた。

 

 西住みほはこんなに嬉しいことはないと思った。

 

 みほは、一度退けたはずの廃校の危機に再び襲われるも、かつて戦ったライバル達の手助けによりその危機を乗り越えることができたのだ。

 みほが今いる大洗は、かつて黒森峰女学園で起きた事故によって傷ついたみほに新しい居場所を与えてくれた。失っていた戦車道という道の楽しさを思い出させてくれた。

 だからこそみほは大洗のために、大洗で出会った友人たちのために戦った。

 その戦いを通して、みほは多くの経験をした。

 自分という一個人を認めてくれた聖グロリアーナ女学院。

 戦車道を見つめなおさせてくれたサンダース大学附属高校。

 仲間との絆の大切さを改めて教えてくれたアンツィオ高校。

 トラウマを乗り越える機会となり、仇敵とも分かり合うことができたプラウダ高校。

 そして、大好きな姉と再び言葉を交わし、完全に自分の進むべき道を確信することができた黒森峰女学園。

 その一つ一つの戦いが、みほにとってかけがえのない思い出になった。

 紡いだ絆はみほを裏切らなかった。重ねた努力は嘘をつかなかった。

 知波単学園や継続高校の助けもあり、天才少女、島田愛里寿が率いる大学選抜という強大な相手に打ち勝つことができたのだ。

 

「みほさんおめでとう」

「おめでとう!」

「まっ、おめでと!」

 

 戦いを終えたみほに仲間たちが声を掛けてくれる。学校を超えた友情に、みほの胸は熱くなった。

 みほの勝利を大いに祝う大洗側の陣地に、一つの人影が近づいてきた。

 先ほどまで決死の戦いを繰り広げていた相手である愛里寿だった。愛里寿は、戦いの終盤にみほ達の間を横切った熊のおもちゃの乗り物――みほはそのとき知らなかったが名前はヴォイテクと言うらしい――乗ってやって来た。

 愛里寿はみほの前まで来ると、みほにとあるものをつきだした。それは、みほが以前愛里寿と最初に出会った場所で愛里寿に譲った、ボコられクマのボコの人形だった。

 

「私からの勲章よ」

 

 愛里寿はぶっきらぼうにそう言う。だか、それが愛里寿がみほを讃え、そしてライバルとして、友人として認めてくれたことの証だとみほはすぐい分かった。

 

「ありがとう、大切にするね!」

 

 みほは笑顔でそれを受け取った。

 戦車道ではついさっきまで戦っていた相手とも心を通わすことができる。戦車道には人生の大切なものがすべて詰まっているのだ。

 

 その夕方、皆が帰路につこうとしている中でみほは自身の姉、西住まほと夕焼け色に染まる港で言葉を交わした。

 今回の戦いはみほにとって、今まで経験してきたどの姉との共闘よりも楽しいものだった。黒森峰時代の枠に押し込められていた戦い方ではなく、自分自身の戦車道で姉と共に戦うことができたのだ。それは真の意味で初めての共闘と言っても過言ではない。

 みほはあらゆるものを出しきった。それはきっとまほも同じだった。

 だからこそ、交わす言葉ひとつひとつがとても新鮮に思えた。

 しがらみを全て乗り越えた後の姉との話はいくらでもできそうだと思った。

 他愛無いおしゃべりで何時間も笑っていられそうだった。

 みほは思った。

 辛かった過去も、楽しかった今も、それら全てが未来を作るのだと。その一つ一つが、今の「自分」を作っているのだと。

 それがわかった今、みほはとても幸せだった。

 

 西住みほはこんなに嬉しいことはないと思った。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 熊本のとある場所にある少し大きな病院。そこにある静かな病室の一室に、彼女はいた。

 

「…………」

 

 窓際から差し込む、曇天からの鈍い光に照らされたベッドの上に眠る少女、みほ。

 その脇で、粗雑なパイプ椅子の上に座り込んでいるのは彼女の姉のまほだった。

 服装はボロボロのジーンズに、薄汚れた安物のウィンドブレーカーと、あまり褒められたものではない。髪もボサボサかつ油でベタついており、あまり風呂にも入っていないことが伺えた。

 まほはただ黙って、ベッドの上で眠っているみほを見つめ続けている。その顔はどこか疲れたようにぐったりとしていた。

 何をするでもなくただまほがそうしていると、急にまほの背後にある扉がガラガラと開いた。

 まほが振り返ると、そこにはまほとは対照的に、綺麗なスーツに身を包んだ、上品そうな銀髪の女性が立っていた。

 

「……エリカ」

「……まほ」

 

 逸見エリカ、それが彼女の名だった。エリカは気まずそうに眉を潜め少しの間そこに立ち尽くしていたが、「はぁ……」と溜息をつくと病室の中に入ってきて、まほの側に立った。

 

「……久しぶりだな」

「……そうね、元気……なんて、聞くまでもないわよね」

 

 エリカはまほを一瞥して言った。その言葉には、あからさまに侮蔑の感情が込められていた。

 

「珍しいな、こうしてお前がみほの見舞いに来るだなんて」

「来たくても来れないのよ。仕事が忙しくてね。無職のあなたとは違うのよ」

「ふっ、それもそうだな」

 

 まほは捨て鉢に自嘲する。

 そんなまほを見て、エリカは小さく舌打ちをした。

 

「まあ座ったらどうだ。そこにもまだパイプ椅子はあるだろう」

「いいわよ別に。そんな長居することもできなし。たまたま外に出た先がこの病院の近くで、ついでにそれなりに暇が出来たから、幼馴染の様子を見に来たってだけだもの」

 

 エリカはみほを見ながら言う。みほは穏やかな顔でベッドの上で寝息を立てている。

 

「……と言っても、無駄骨みたいね。私が来る時間帯はいつもこうして眠っているんだから」

「ああ、そうだな。この時間はいつもみほはこうして眠っている。だが、お前にとってはそれでいいと思うぞ。きっと、起きているみほを見たら辛い気持ちになる」

「……まだ、駄目なの」

 

 エリカの顔に影が落ちる。

 だがまほは、ゆっくりと首を振った。

 

「いや、お前の思っているのとは違うよ。みほは、最初にここに入ったときの状態からは回復したんだ」

「え? だったら……」

「でもな、今のみほはまた違う状況なんだ。そうだな……起きても夢を見続けている、と言ったところか」

 

 エリカはまほの言っていることが分からず疑問符を浮かべる。一方のまほは、みほの顔を見ながら暗い笑みを浮かべた。

 

「今のみほはそうだな……こことはまったく違った、別の世界にいるんだ。なんと言えばいいのか……どうやら、殆ど現実とは変わらないんだが、ただ学校が大きな船の上にあって、安全な戦車に乗って戦う競技がある世界にいる……らしい」

「はぁ!? 何よそれ……アニメや漫画じゃあるまいし……!」

 

 エリカは驚きを隠せずに大声を上げてしまう。だがまほはあくまでも冷静に、人差し指を口にあて「しぃー……」とエリカを窘める。

 エリカはここが病院であることを思い出し、反省して口を閉じた。

 

「そうだな。まるでアニメだ。でも、今のみほにとってはそれが現実なんだ。この子は女の子なりに戦車が好きだったからな……きっと、そんな願望が現れたんだろう」

「だからって、そんな……」

「みほは起きているときに私に楽しげに話しかけてくるんだよ。あのみほがだぞ? こうなる前は殆ど会話もなく、お互いにお互いを避け合っていた私とみほがだ。なんと向こうの世界ではみほも私も伝統的な武道――まあつまりは戦車なんだが、その古くからある由緒正しい流派の家の令嬢らしい。母は厳格な当主で、私は天才的な跡取り、父は優しい整備士だそうだ。面白いじゃないか。父と母はとっくの昔に離婚して、一人になった母は私達を放っぽいてさんざん夜遊びをして散財しているような、うちの親がだぞ? 学校で少し勉強が出来て顔がいいことに自惚れて勘違いしていた私がだぞ? まるで正反対じゃないか。まぁ、金だけはあるのは同じだがな」

 

 まほの乾いた笑いが病室に虚しく響く。

 エリカは、渋い表情でそんなまほを見て、ゆっくりと口を開いた。

 

「……そうね、はっきり言って、あなた達家族は酷かった。うちの親も、あなた達には係るなっていつも言ってた。でも、私はそんなの嫌だった。幼馴染であるあなた達のことは嫌いになれなかったし、それに、みほはそんな環境でも必死に頑張ってた」

「そうだ。みほは、みほだけはずっと努力していた。腐りきった環境の中でもなんとか生きようとしていた。でも、みほには何もなかった。勉強も運動も全て人並み以下だった。それに、周りはみほに幸せを許さなかった。みほはずっとイジメられ続けて味方は誰もいなかった。ペットにしていた動物も気色悪いと母に捨てられて、本当にひとりぼっちだった。教師も、母も知らんぷりをした。私も見てみぬ振りをしてしまった。エリカがいたら少しは違ったかもしれない。みほが熱を出したとき、母すら見捨てたあの子に付き添ってくれたこともあったお前がいてくれたら……高校のときお前は離れた進学校にいたから、それも叶わなかったがな」

 

 まほがそう言ったとき、エリカは反射的に謝罪の言葉を口にしようとした。

 だがまほは、それに対し手のひらを付きだして、静かに首を振った。

 

「でも、いいんだ。エリカが自分の道を諦めていたら、それはそれできっとみほの負担になっただろうからな。まあそんな高校を乗り切った後も、大学でもみほは馴染めなかった。それまでろくな友達付き合いなんて出来なかったせいで、大学での人間関係作りにも失敗した。それどころか、無理やり飲み系のサークルに連れ込まれて、いろいろと辛い思いまでしたらしい。そして私が大学を出て入った会社に馴染めず無職になってさらにみほに迷惑をかけるようになってしまった。そして、あの事件だ……」

 

 そこまで言うと、まほもエリカも非常に辛い面持ちになった。

 みほにとってだけでなく、誰から見てもあまりに痛々しいその事件のことは、思い出すだけでも嫌なことだった。

 

「……みほの父親からみほに対する……性的暴行、及び殺人未遂」

「……そうだ。ずっと姿をくらましていたと思った父が突然帰ってきたと思ったら、父は酒とクスリにどっぷりと浸かっていた。父と母はみほが幼いときに別れたから、みほはずっと父親に幻想を抱いていた。でも、それを、金を毟り取ろうとしてきた本人の手によって壊された」

「……っ」

「私が気づいてこっそりと警察を呼ばなかったら、きっとみほは殺されていた。あのときはよく私は冷静に対処できたよ今でも思うよ。でも……命は助かっても、心は助からなかった」

 

 エリカは手が真っ赤になるほど握りこぶしに力を入れていた。

 それだけ悔しかったのだ。大切な幼馴染が壊れるまで、気づくことの出来なかった自分に。助けの手を差し伸べられなかった自分に。

 

「みほが信じていた人間から裏切られるのは一度じゃないんだ。前にも一度、好きだった男に騙されて酷く振られて、晒し者にされたことがある。それ以降みほは人を信じることが怖くなっていたんだ。それはそうだ。大切な青春時代を、まるまる潰されたのだから。本当に一杯一杯だったんだ。変な宗教にハマりかけたときすらあったからな。そのときは私もまだみほと比較的話せたから止められたが、今思えば宗教にハマっていたほうがまだ幸せだったかもしれない。少なくとも、心は壊れなかったんだから」

「……あのとき、最初にみほにあったときは、本当に酷かった。言葉もロクに喋れず、うわ言をつぶやき続け、だらしなく体液を流し続ける……。あんなの人間じゃないと思った。壊れたロボットだと思った。駄目になって、捨てられてしまったロボットのようだと……。だから私は、逃げてしまった。みほから、逃げてしまった……」

 

 エリカはいつの間にか泣きそうになっていた。罪の意識が、今なおエリカを苦しめていた。

 まほは、そんなエリカの手をそっと握った。

 

「エリカが気に病むことじゃない。……それに、私は今のみほはきっと、今までで一番幸せだと思うんだ」

「……は? こんな状態が……幸せ?」

 

 それまで悲しみに満たされていたエリカの頭は、今度は湧き出るような怒りのマグマで満たされた。

「そんなわけないでしょう!? こんな部屋に閉じ込められて! 今では下らない妄想の世界に囚われて! そんな状態が幸せだなんて、ありえるわけがないでしょう!?」

 

 激昂するエリカだったが、まほは表情を変えず、両手を膝の上で組み合わせ、座ったまま前かがみになって、笑顔でみほの顔を見つめ始めた。

 

「いいや、幸せだよ。みほは。今のみほにとっては、その下らない妄想こそが現実なんだ。高校からやり直した人生には、友達がいて、素敵な家族がいて、自分にとって誇れるものがあって、困難を乗り越えて成長することができて……こんな満たされた人生、そうそう送れる人間なんていないぞ? いいかエリカ……もしそれが本人にとって満たされた世界であるのなら、それが現実である必要はあるんだろうか? いや、そもそも、本当に現実は現実なのか? 苦しみしかない世界が現実である必要はあるのか? 妄想こそが現実で、現実こそが虚構であるとは言えないのか? 結局、人が認識する世界は人の頭の中にしかないんだ。突き詰めれば、あるのは心のみなんだ。だから、いいじゃないか。今のままで」

「そんなの……そんなの……!」

 

 エリカはぷるぷると震えまほを見た。

 まほの言っていることはとても正気には思えなかった。まともな思考だと思えなかった。

 言いたいことがありすぎて、逆に言葉は出てこなかった。

 まほはそんなエリカの心中を察したのか、再び口を開く。

 

「なあエリカ。本当にお前は現実に満足してるか? 仕事は辛くないか? なぜこんなに働いているんだろうと疑問に思わないか? 自分は本当に社会に必要な人間だと悩んだことはないか? 自分はなぜこんなに不出来なのだろうと、自分のことが惨めすぎて死にたくなったことはないか? 自分の境遇を哀れんだことはないか? どうして自分はと他人を羨んだことはないか? 他人との付き合いに苦しんでいないか? 現実の人間に嫌気がさしていないか? 誰かに蔑まれたことはないか? 逆に誰かを蔑んで愉悦に浸ろうとしたことはないか? 人と繋がることに苦しんでいるのに、一方で見えない人間との繋がりを求めていないか? 自分と違う人間をとにかく憎んで攻撃しようと思ったことはないか? 社会が、国が、世界が憎らしくなったことはないか? 小説やドラマや漫画やゲームやアニメや、とにかく妄想の世界に入り浸ったことはないか? 死にたいと常に思っていはいないか? それでも死ねずにそれがまた苦しく思えたことはないか? こんな世界は嘘で、きっと別の特別な自分がいるはずだと、そう思ったことはないか? ……ないんだろうな、お前には。それがきっと、正しい姿なのだろうな。でも、私には……」

 

 そう言って、まほはそっと眠りこけているみほの頭を撫でた。

 

「私には、今のみほが、羨ましくてしょうがないんだ」

「……もういい! 帰るわ! 理解できない! 不愉快極まりないのよ!」

 

 エリカは声を荒げながら、激しい勢いでまほ達に背を向け、乱暴に病室から出て行った。

 再び病室にはまほとみほだけが残り、静寂が訪れる。

 まほは、みほの頭から頬を優しくなで、そしてそのままみほの顔に自分の顔を近づけ、そっと囁くように言った。

 

「なあみほ……私も、そっちの世界に連れて行ってくれないか……私ももう、こんな人生は嫌だよ……」

 

 その言葉に反応するように、みほは眠りながら笑顔を浮かべた。

 きっと、また何か楽しいことがあったのだろう、まほはそう思った。

 

 みほはこれからもずっと、その幸せな世界で暮らし続けるだろう。

 それが彼女にとっての幸福であり、現実であるのだから。

 その世界にいる限り、彼女は幸福な少女である。いつか、彼女の物語が終わりの章を迎えるその日までは……。

 

 


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