「……そういうことで、『駆逐艦 島風』、彼女の指導をお願いできませんか?」
「うーん、指導といってもなかなか難しいけどね」
執務机をはさんで僕と相対している彼女は、この鎮守府内でも重要な役割を担っている艦娘、大淀。上層部の命を受け、各艦隊の司令や艦娘に伝達を行う等、事務方の取りまとめを主に行っている。
その彼女が持ってきた用件というのは、最近素行が良くないという艦娘『島風』を、しかるべき態度になるように指導して欲しいというものだった。
僕の横に立って大淀と対面している天津風に尋ねてみる。
「島風って、確か天津風と仲が良いんだよね?」
「え? うん、そうね。友達だけど」
急に話をふられて少し驚いた彼女は、その質問にゆっくりうなずいた。
「なるほど、僕の秘書艦が天津風だから、この案件を持ってきたってわけね」
「それもありますが、この件に関しては提督が適任という判断です」
「そうなの? ほほう、ついに上の人にも僕の能力が認められ……」
「いえ、違います」
僕が全て言い終わる前に、即座に否定する大淀。ちょっとした期待があっけなく打ち砕かれる。
「あ、違うんだ?」
「はい、理由は提督と島風が似たような性質の持ち主だからです。現在、彼女はほとんどの演習を放棄し、それが原因で任務中における他の艦娘との連携に支障が出ています。一方、提督もご自分の任を保留して、外出している姿がたびたび目撃されています」
「うっ!」
「ほんと、あたしが少し目を離してる隙にすぐいなくなるんです……」
天津風が少し困ったような表情でため息をつく。
大淀は表情を崩さず言葉を続ける。
「ただ、二人の間で違う部分があります。提督は秘書艦の目を盗んでまでなまける傾向がありますが、それでも業務はかろうじてこなしています」
「かろうじてって……」
「そこで、提督は怠惰な自分を抑えて自らの責務を果たす方法を島風に教えて欲しいんです。彼女と同じような考え方の提督だからこそ、できる任務だと思います」
真剣な面持ちで弁舌を振るう大淀。なんだか小バカにされているだけのような気がしないでもないが、おそらく彼女はいたって真面目なのだろう。ここまで言われては引き受けるしかない。
「了解、その件引き受けるよ」
「ありがとうございます」
「しかし、ずいぶん説得力あったなぁ。僕が選ばれるべくして選ばれたというか」
「私が司令部に具申いたしました」
「あ、そういうことね」
おそるべし大淀。僕の性格を分析して、上の人に適任者として提案するとは……
「それでは、よろしくお願いしますね」
そう告げて、大淀はきびすを返し執務室を出ていった。
部屋に残った僕と天津風は、お互いの顔を見合わせる。
「しかし、指導といっても難しいなぁ。島風って自由奔放な感じだし」
「そうね。島風は優秀な艦だけど、人の指示に従うようなタイプじゃないわ」
「まいったなぁ……まあ、やるしかないけど」
そうこう言ってても始まらないので、まずは天津風に島風を探しに行ってもらい、執務室に連れてきてもらうことにする。しかし、なかなか見つからなかったらしく、目標を連れ帰って来るまでにかなりの時間を要した。
「島風、入りまーす」
その声と共に、ようやく目当ての人物が執務室に顔を出した。一仕事終わってホッとした表情の天津風も後に続いて入室してくる。
うさぎの耳を連想させる大きなリボンに露出度の高い制服という、印象深い出で立ちの島風が、僕の執務机の前で立ち止まった。
「提督、私に何か用ですかー?」
「うん、単刀直入に言うけど、島風は最近演習とかをサボってるらしいじゃないか。それはどうして?」
「えー、だってつまんないんだもん。それに島風が一番速いんだから、訓練する必要ないし」
「まあ、演習みたいな鍛錬は面白いものじゃないかもしれないけど、そういった積み重ねが任務を行う時に役に立つんだよ」
「任務だってちゃんとやってますよー」
「でも、聞いた話では任務中に隊列を離れて、一人で突っ走ってるって聞いたけど?」
「だって、みんな遅いんだもん。あんなスピードじゃ日が暮れちゃうよ」
「確かに、島風は速い。でも隊列を乱さずに進むことは大事なことだし、もし敵影を見つけたら、すばやく次の……」
話が平行線の中、僕が説得を試みている途中で島風の目線が泳ぎだした。明らかに僕との会話に飽きて、内容が耳に入っていない。
「ちょっと島風、聞いてる?」
「え? なんですかー?」
「いや、なんですかじゃなくて……」
二人のやりとりを見かねた天津風が口を開いた。
「島風、まだ話の途中なんだから集中しなさいよ」
「あ! 天津風、提督も、鬼ごっこしよー!」
「え!? 何でそうなるの!? しないわよ!」
「えーやろうよー! 私がこの鎮守府で一番速いってところ、見せてあげるから!」
いやいやいや、そんなこと全く希望してませんけど?
そんなことを考えていると、島風は今にも走り出しそうな体勢を取っている。
「ちょっ、島風! 最後まで僕の話を……」
「二人が私を捕まえられたら、話の続きしますよー!」
そして、僕が次の言葉を発する前に、彼女は疾風のごとく走り去ってしまった。
「ちょっと! 早く追いかけないと!」
「え!? 僕も行くの!?」
「さっきだって島風を探すのに苦労したのよ? 走り回ってる島風なんて、あたし一人じゃ捕まえられないもの」
「いやいや! だって相手はあの島風だよ!? 人間の僕が彼女の脚にかなうわけ……」
その刹那、彼女の鋭い眼光に睨まれて、僕の身体は思わず身震いした。
「ア、アイアイサー、たとえこの脚がもげようとも……」
それから、僕と天津風はすぐに部屋を飛び出したが、すでに島風の姿は影も形も無くなっていた。手がかりを失ってしまった僕達は手分けして彼女を探すことにし、各々別の方角へ進み出す。
この建物の中にはいなさそうな気がしたので、とりあえず屋外に出てみる。
外に出ると青空が広がっており、少し肌寒さを感じた。視界は開けたが、やはり島風の姿は見当たらない。
するとそこに、よく見知った駆逐艦の子が軽い足取りで近づいてきた。
「しれぇ! お疲れさまです!」
「おお、雪風。今日も元気だね」
「はい! 雪風、今日もお仕事がんばります!」
彼女は、天津風と同じ第十六駆逐隊所属、陽炎型八番艦の雪風。その二人に時津風と初風を合わせた十六駆の四人は仲が良く、任務以外でも一緒にいる所をよく目にする。
「ところで、島風を見なかった?」
「あ、島風でしたら、工廠の方に走って行きました!」
「ほんと!? ありがとう! ちょっと急ぐから」
雪風との会話を早々に切り上げ、僕は工廠の方に軽く走り始めた。
島風を見失った今、あえて走る必要もないのだが、天津風に見つかった時のことを考えて少しは急いでいる姿勢を見せる。
走り始めてから少しすると、海岸近くにある工廠に到着した。乱れた息を整えるために立ち止まり、辺りを確認するために見回す。しかし、島風の影は目に入ってこない。
「やっぱりそう簡単には見つからないか……」
「あ、提督! お疲れ様です! いつもの休憩ですか?」
こちらに語りかけてきたのは、工廠で働いている工作艦の明石だった。彼女はこの工廠で艤装の製造、修理等を担当している。
「明石、整備ご苦労様……って、“いつもの”とはひどいなぁ。僕ってそんなに息抜きしてるイメージなの?」
「やだなぁ、もちろんそうに決まってるじゃないですか~!」
「えぇ……」
にこやかに、さも当然であるかのようにのたまう明石。確かに、業務時間中に外で休憩することはあるが、自分としては目立たずにしているつもりだった。しかし、おそらく僕を目撃した艦娘から口コミで情報が広がり、大淀や明石の耳にも入ってしまっているのだろう。女子の世間話のすごさを改めて実感する。
「それはいいとして、島風を見かけなかった?」
「島風? ああ、そういえば、さっきあっちの方に走って行きましたよ」
そう言いながら、明石は防波堤の方を指さした。
「ありがとう! それじゃあこれで」
「追いかけっこでもしてるんですか?」
「ぐ……、確かにそうだけど、これはあくまで任務の一環で、決して遊んでる訳では……」
「大丈夫ですよ、提督! 分かってますから!」
事情が分かっているつもりのようにニコニコする明石。これは間違いなく遊んでいるように思われている。
「任務だから多言しないように! それじゃ!」
明石にそれだけ言って、さっさと工廠の元を離れた。
防波堤に向けて、ジョギングのような速度で海岸沿いを進んでいく。しばらく行くと、島風に近しい間柄である存在が目に留まった。
「あれは――」
それは、島風の側によくいる、連装砲のような生物だった。彼女はそれらを連装砲ちゃんと呼び、抜錨の際には海に引き連れている。
その連装砲ちゃん達が目の前にいるということは、彼女も近くにいる可能性が高いということである。
ようやく居場所にめどがつきそうだと思っていたら、横からふいに声をかけられた。
「あら、あなたここにいたの?」
それは、執務室の前で分かれて、島風の追跡に当たった天津風だった。おそらく彼女も連装砲ちゃんの後を追ってここまで来たのだろう。
「お、天津風も連装砲ちゃんの行く先に島風がいると思ったんだ」
「あなたもなのね。やっぱりそれが確実だと思ったから」
双方の意見が合ったところで、お互い納得の表情でうなずいた。そして、二人で連装砲ちゃんが小刻みに跳びながら向かう方へついて行く。
すると、連装砲ちゃんが防波堤のところまでたどり着き、予想通り島風の姿を確認できた。彼女は、海岸から垂直に伸びている防波堤の一番先端部分のへりに、脚を降ろして座っている。
僕と天津風は島風の背後からゆっくり近づいていく。かなり距離が詰まったところでこちらの気配に気づいたのか、島風が振り向いた。
「二人ともおっそーい! 待ちくたびれちゃった」
「島風、この広い鎮守府であんたを探すの大変だったんだから!」
「これぞまさに背水の陣。あ、いえ、なんでもないです……」
僕と天津風は徐々に島風との距離を縮めていく。この防波堤は幅がそれほど広くないので、二人が横に並べばそう簡単に横を通り抜けることはできない。艤装を付けていないので、海上を渡っていくことも無理だろう。
あと一、二歩で島風に手が届きそうな位置まで近寄り、僕は一気に手を伸ばそうとする。
「これで終わり――アダダダダ!?」
その瞬間、ふくらはぎを電撃が走ったような激痛が襲った。脚がつったのだ。僕が伸ばした手を島風は難なく避け、痛みで脚の踏ん張りもきかず、その勢いのまま僕の身体は海へ放り出された。
「~~~~!!」
水面の上で叫んでいる声が聞こえる気がするが、何を言っているかは分からなかった。なんとか腕だけで浮上しようと試みるが、飛び込んだ際に水を飲んでしまい、脚に力も入らず思うように上がらない。
息も苦しくなって意識が遠のきそうになったところ、誰かが水中に飛び込んできて、僕の身体をつかみ、水面へと上昇した。
「ゲホッ、ゲホッ……」
「ハァ、ハァ、間にあった……」
僕の身体はなんとか陸に引き上げられたらしい。地面に横たわって意識が朦朧とする中、天津風が不安げな表情をしているのが見えたが、そこで僕の意識は沈んでいった……
***
ふと、視界に光が射し、意識が闇から少しずつ解放される。寝覚めはすこぶる悪く、軽い頭痛が陰鬱な気分を尚更助長させた。
どうやら、自分の寝室のベッドに横たわっているようである。僕が気を失っている間に、誰かが運んでくれたみたいだ。
「気が付いた? 大丈夫?」
耳に入ってきた声を頼りに少し頭を動かすと、心配そうな表情の天津風が僕の顔をのぞき込んでいる。
「天津風……僕はどれくらい意識を……」
「3時間くらいね。先生にも診てもらって、『水を少し飲んでるけど、処置が早かったから安静にしていれば問題ない』って」
僕の意識が無い間に、軍医の診察を受けていたらしい。
「そっか、それなら――」
「でも良かった。本当に」
僕の言葉に重なるように、彼女は安堵の口調でつぶやいた。胸をなで下ろし、ほっとした表情を見せている。
「そんなに心配してくれたの?」
「え? も、もちろんよ! あたしはあなたの秘書艦なんだから!」
「あはは、そっかそっか」
「ちょっと、何で笑うのよ!?」
普段の彼女らしい表情が見られて、僕も安心した。天津風に不安げな表情は似合わないと僕自身感じていたからだ。
「ところで、島風はどうしてる?」
「さすがの島風も、あなたが海に落ちたことに責任を感じて、しょぼんとしてたわね」
「あの島風がね……ところで、彼女が演習とかをサボるのは、自分が一番速いっていう自負があるからだよね?」
「急にどうしたの? ……そうね、島風は速さに絶対の自信があるから、訓練なんて必要ないと思ってるんじゃない?」
「なるほどね。だとしたら、ちょっと思いついたことがあるから、島風を呼んできてくれない?」
「? 分かったけど、身体は大丈夫なの?」
「少し話すだけだから」
「まあ、それなら……」
天津風は寝室を出てから、少し時間をおいて目当ての人物を引き連れて戻ってきた。
連れられてきた島風だが、先ほどの元気はどこへやらといった様子である。
僕は上半身をゆっくり起こし島風の方へ向くと、彼女は間髪いれず口を開いた。
「提督、さっきはごめんなさい」
「いや、気にしなくていいよ。あれは自滅というか、海に落ちた自分も悪かったから」
覇気のない口調で謝罪を述べる島風に対し、できるだけ明るく返事をするように努める。
「島風は元気なのも良いところなんだから、さっきのことは忘れていいよ」
「いいの?」
「ああ、いいとも」
そこまで言うと、曇っていた島風の表情が一転、光が射したような明るい笑顔に変わる。
いつも通りの元気さを取り戻した彼女。天津風もその様子を見て、安心したようだ。
島風が本調子を取り戻したところで、僕は一つの思惑を実行に移す。
「ただし、演習などの訓練はしっかりやること。それを僕と約束して欲しい」
「えー、許してくれたのは嬉しいけど、それはめんどくさーい!」
予想通り、島風は訓練への参加を拒否する。すると、天津風がとっさに口をはさむ。
「ちょっと、島風! それは自分勝手すぎるんじゃ――」
天津風が全て言い切る前に、僕は片手を彼女の前に出し、発言をさえぎる。
「そんなこと言っていいのかな? 訓練をサボってると、いつまでたってもこの鎮守府で一番の速さを手に入れられないよ」
「私は今でも一番だもん!」
「いや、違うね。僕は島風より速い、この鎮守府一番の存在を知ってる」
「オゥッ!? そんなことないもん! 私には誰も追いつけないよ!」
「ねぇ、その一番速いのって誰なの?」
僕の言葉に驚きを隠せない二人。答えを急かすように視線を送ってくるが、僕はもったいぶるように間を置き、ゆっくりとしゃべり出す。
「それは――」
一瞬の沈黙の後。
「“亀”、だよ」
その答えの後に再び沈黙が訪れる。どうやら、島風も天津風も理解が追いつかないらしく、呆気にとられた顔をしている。
「お、二人とも意外って顔だね」
「意外っていうか、全然意味分からないですよー!」
「しかも、艦娘ですらないし!」
僕の発言に対し、二人は猛然と反発した。しかし、僕はそれを気に留めず、淡々と話し続ける。
「いやいや、意外と知られてないけど、亀って実は結構速いんだよ」
「本当ですかー?」
「仮に島風と亀が競争したら、島風は亀を追い抜けないと思うよ」
「えー! 私の方が絶対速いもん!」
「じゃあ、一つ例え話をするよ。島風と亀が100メートル走をするとしよう。ただし、亀の方は少しハンデをもらって、島風より少しゴールに近い地点からスタートすることにする。もし島風の方が速いんだったら、すぐに追い抜けるはずだからね」
僕の話に集中しているのか、二人とも大人しく耳を澄ましている。天津風は半信半疑といった表情ではあるが。
「島風のスタート地点をA、亀のスタート地点をBと呼ぶことにしよう。両者同時にスタートし、島風がA地点からB地点に到達すると、亀は島風がA地点からB地点に移動するまでの時間分だけ先に進み、これをC地点とする。今度は島風がB地点からC地点に到達すると、亀は島風がB地点からC地点に移動するまでの時間分だけ先に進み、これをD地点とする。これは延々と続いて、結局島風は亀に追いつくことができない、っていう結論になる」
島風は今の説明を聞いて混乱したのか、放心状態のようである。天津風は理解できたようだが、内容を吟味するかのごとく考え込んでいる。
しばらくすると、天津風が口を開いた。
「確かに、今の話だと島風は亀に追いつけないってことになるわね」
「そうだね。つまりこの鎮守府で一番速いのは亀ってことで――」
「納得できなーい!」
突然、声を上げる島風。僕の導いた結論に不服なようである。
「亀がそんなに速く移動してるの見たことないです!」
「それは、亀が普段本気を出してないからだね」
「どうしたら本気を出してくれるの!?」
「亀が『島風は自分の本当のライバルだカメー』って思ったら、本気になると思うよ。亀にとって島風はまだライバルではないんだ。島風がもっと鍛錬して速くなったら、亀は真の力を出すはずさ」
「もっともっと速くならないといけない……」
「そう、だから日々の演習や訓練を欠かすことなくやることが、偉大なる亀に近づく一歩になるんだよ」
そこまで話すと、島風はうつむいて少し考え込み、やがて顔を上げて言い放った。
「提督! 私、もっと頑張って一番になってみせるから!」
それだけ言って、彼女は快足を飛ばし執務室を出ていってしまった。
残された僕と天津風はお互いの顔を見合わせ、苦笑する。
「うまく説得できたわね。あなた、今回はお手柄じゃない?」
「お、天津風から誉めてもらえるとは光栄だね」
「べ、別に誉めてる訳じゃ! ……少し感心しただけなんだから!」
天津風は少し恥ずかしそうにそっぽを向いた。そして、場の雰囲気を紛らわせるためか、彼女は話題を変えてすぐにしゃべり出す。
「それにしても、亀がそんなに速いなんて驚きね」
「ああ、あれは嘘だけどね」
あっけらかんとした僕の告白に対し、天津風は目を見開いて驚く。
「嘘だったの!? 最初は何かおかしいなと思ってたけど……でも、さっきの説明を聞いてたら特に間違ってるところは無さそうだったから」
「いや、島風が亀を追い抜けないっていうのは間違いだよ。あれはゼノンのパラドックスと言って、証明する過程を一見正しそうに見せて、間違った結論に導くようにできてるんだ」
普通に考えれば、島風は亀を追い抜けるはずだとすぐ分かるのだが、そこを分かりにくくしているのだ。僕もこの話を初めて聞いた時はずいぶん悩まされた。
「自分が一番だと思いこんだら、鍛錬のモチベーションが保ちにくくなるのは、人も艦娘も同じだと思う。まあ、嘘をついてしまったのは悪いとは思うけど、島風にとってライバルがいた方が彼女にとっても良いんじゃないかと僕は思うよ」
ふと、天津風の表情が曇っていることに気づく。そして、島風が出ていった扉の方を少し見た後、つぶやいた。
「あなたの考えは分かったわ。……でも、島風はあたしの友達よ? 友達に嘘をつき続けないといけないのは……つらい、かな……」
いつもの勝ち気な天津風の姿はそこにはなかった。
自分が失敗したことに、はたと気が付いた。僕が天津風に嘘のことを話してしまったことで、しばらくは二人とも嘘をつき通さなければならない。
普段、彼女は島風にたびたび振り回され、多少迷惑しているようにも見えたが、やはり二人は友達なのだ。その関係に僕が横槍をいれてしまったことに、罪悪感を覚える。
僕は動揺を隠しながら、弁明に努めようとする。
「もちろん、島風が鍛錬をしっかりやるようになったら、すぐに本当のことを言うつもりだよ。あくまで今だけの措置だから。でも、それまで天津風に嘘をつき通させるのは本当に申し訳ないと思う……」
そこまで述べると、彼女はゆっくり首を振った。
「ううん、分かってるわ。ちょっと気になっただけ。あなたが島風のことを思ってやったことだもの。良かったと思うわ」
いつも通り、とまではいかないけれど、先ほどより元気を取り戻した天津風の様子に、僕は胸をなで下ろした。
***
それから数日がたち、状況に以前との変化が現れた。
一つ目は、島風が演習などの訓練に参加するようになったこと。僕の作り話がかなり効いたのだろう。この結果には大淀もご満悦なようで、僕に対する態度に多少敬いが見られるようになった……気がする。
二つ目は、島風が亀に話しかける姿が目撃されるようになったこと。島風が連装砲ちゃんだけでは飽き足らず、亀にまで話しかけるようになったと、鎮守府内で噂が広まってしまった。島風のぼっち感を加速させてしまったことには、切実にお詫び申し上げたい次第である……
そして、三つ目は――
「てーとくー! あまつかぜー! かけっこしよー!」
島風が勢いよく執務室の扉を開け、最近定番の一言を言い放つ。
「え!? また!?」
「島風! 業務時間中は無理だって言ったでしょ!?」
「もっともっと速くなって、私が鎮守府で一番速くなるよー! 二人とも、私が一番になるところ、見逃したらダメだから!」
「って、人の話を聞きなさい! こらぁ!」
「ちょっまっ、最近筋肉痛がひどくて今日は勘弁して欲し……うわっ!」
島風は僕と天津風の手首をつかんで、無理矢理部屋の外へ引っ張っていく。僕は彼女の力に為す術なく、今日も天津風と共に地獄の追走に身を投じる羽目になってしまう。
業務時間内の鎮守府で、司令官と駆逐艦が走り回っているという話は、しばらくの間、周囲で格好の話題になっていた。