その初風の言葉は予想外だった。
まさか、神通が二水戦旗艦の任から外れるとは。
確かに、事故の責任をとるために彼女が処分を受けるというのは、理由として分からなくはない。しかし、彼女は二水戦の過剰な訓練を憂慮していたし、それを改善させようと努めていた。組織の性質とはいえ、彼女に責任を押しつけるのは、不憫であるし納得はいかない。
二水戦旗艦として優秀な神通を外すことは艦隊運営にとってもマイナスになると思うのだが……
僕はイスから立ち上がり、執務室の出入り口に向かおうとする。
「あなた、どこ行くの?」
「先輩に話を聞いてくる」
「提督が行くなら、私も行くわ」
「ついてきてもいいけど、まずは一対一で話をさせてもらうよ」
僕が先輩の執務室に歩いていくと、後ろから天津風と初風もついてくる。
そして、執務室の前まで来ると、この間と同様、陽炎とばったり出くわした。
「陽炎、また会ったね」
「司令!? 何でまた!? ……って、やっぱり神通さんのこと?」
「ああ、そうだね。悪いけど、まずは僕が一人で話をするから」
「何でよ、別に一緒でもいいんじゃないの?」
「まあ、司令官同士の方が話しやすいこととかもあるし。頼むよ」
陽炎は少し考えるが、すぐに答えを出した。
「……ま、分かったわ。なるべく早くしてよね」
「ありがとう。できるだけね」
そして、僕は扉をノックし入室する。
そこには、こちらに背を向けて窓の外を眺めている先輩の姿があった。秘書艦である神通の姿はなく、部屋には僕と先輩の二人だけである。
先輩はこちらを振り返り、落ち着いた低い声を出す。
「やあ、君か」
僕はいつになくかしこまって敬礼し、挨拶を済ませる。年齢が一回り以上離れた人と話すのは、よほど親しい仲でもなければ緊張するものだ。しかも、僕がこの鎮守府に着任したての頃によくお叱りを受けたことも、緊張に拍車をかけている。
ちなみに、先輩はカイゼル髭をたくわえているので、僕の中ではカイゼル先輩と呼んでいる。カイゼル髭の人なんて別に珍しくないのだが、僕の身近で一番似合っている人ということで、そう命名した。
「君がこの部屋に来るのは珍しいな」
「そうですか? もしかすると、先輩に会うと何か怒られるんじゃないかという意識が働いて、足が遠のいてるのかもしれません」
「フ、君らしいな」
カイゼル先輩は軽く鼻で笑い、僕の顔を見る。
「そんな君がここに来たのは、やはりあの件についてだろう?」
「はい、二水戦のことです」
「この前、神通経由で、二水戦の訓練の見直しを提案してきていたな」
「ええ、さすがにあの訓練内容は過剰ではないかと思いました。夜間無灯火演習も連日でしたし」
僕の発言を聞いて、先輩は目をつぶって難しい顔をした。
「もちろん、あれは私もやりすぎだと思っていたよ」
「え、あの内容は先輩が決めたものではないんですか?」
僕の意外そうな反応を見て、先輩が少しため息をつく。
「君はあれを私がやらせていたと思ったのか」
「え、ええ、真面目な先輩なら考えられるかと……」
「君にとって私の印象は相当ひどいようだね」
「はは、いえいえそんなことは……すみません」
「まあいい。……あれは、上からの指示だ」
「上から? 司令長官ですか?」
先輩は無言で首を横に振る。
「……まさか、大本営からですか?」
「そのまさかだ」
僕は次の言葉が出なかった。大本営から命令が下ることはあるが、一戦隊である二水戦の訓練内容にまで細かく指示が出るというのは、僕としては意外である。
それを踏まえると、艦娘の疲労を度外視した訓練内容や、その訓練内容が見直されなかったことにも合点がいく。大本営の命令では、僕や先輩が異議を申し立てたところで、鎮守府の司令長官に却下されるのは目に見えている。
カイゼル先輩は僕から目線をそらし、うつむき加減に言った。
「今回の件で神通には悪いことをした……」
「そのことですが、なぜ神通を二水戦旗艦から外したんですか? 現場監督責任があるとはいえ、彼女が抜けるのはマイナスじゃないですか?」
「いや、それは――」
先輩が何か言いかけたところで、突然出入口の扉が開け放たれた。
「もう待てないわ! 失礼しまーす!」
「ええっ、そんないきなり入ったら……」
外で待たせていた陽炎や天津風達が、ぞろぞろと部屋になだれ込んで来る。その中には、先ほどいなかった霞などの十八駆や、八駆のメンバーも含まれていた。
「ちょっと! まだ話終わってないんだけど!?」
「話が長いから、待ちくたびれたわ」
「いや、そんなに長話してないから!」
「そんなことより、司令、どうして神通さんを旗艦から外したの!?」
しびれを切らした陽炎は、僕とのやりとりなどお構いなしに、先輩に質問をぶつけた。
彼女の後ろにいる大勢の艦娘達も、その質問の返答を黙って待っている。
先輩は陽炎の剣幕に多少驚いたものの、すぐにいつもの様子に戻り、質問に答えた。
「神通は、私が解任したわけではない。二水戦旗艦から退いたのは、彼女の意思だ」
その返答もまた、僕は予想だにしていなかった。艦娘達も同様だろう。
僕の神通のイメージは、責任感が強く、任された役目は身命を
僕はカイゼル先輩に「失礼します」とだけ言って方向転換し、急いで扉の外へ行こうとする。
「司令!? どこ行くのよ!?」
「神通を探しにさ! できるならみんなも手伝って!」
僕は扉付近にあふれている艦娘達に通路を開けるよう促し、神通を探しに駆け出す。
陽炎を始めとした艦娘達も、僕の指示に従って方々に離散していった。
彼女の行くあては見当がつかないが、走り回ってしらみつぶしに探していく。すると、神通が演習場近くの海岸沿いにいるらしいと聞き、そちらへ向かう。
演習場の近くまで来ると、神通の姿が目に留まった。彼女の周りには既に何人かの艦娘が集まっていて、天津風もいる。
僕は彼女の元へ駆け寄って、息を切らしながら声をかけた。
「神通!」
「! 提督まで……これは一体どういうことでしょうか?」
「神通さん、どうして二水戦旗艦を辞めてしまったんですか?」
天津風が疑問を呈すると、周りにいる艦娘達もその疑問に同意する。
神通は少し憂えた表情をし、口をつぐむ。
「先輩のために、ということだよね?」
僕が予想した答えを述べると、神通は少し目を見開いた。
「提督、それは……」
「今回の事故は轟沈の艦が出る危険性もあったくらい重大なものだったからね。当然、上から責任をとるように言われるのは想像に難くない。そうなると、二水戦の指揮官だった先輩が責任を負う可能性は高い。だから、先輩をかばって自分が二水戦旗艦から退いた」
神通は目を閉じて、わずかに笑みを浮かべる。
「提督がそのように私の気持ちを察してくださることは、本当に嬉しいです。……でも、それだけではないんです」
彼女は演習場の方を向き、今度は真剣な表情になる。
「私は二水戦旗艦を務めさせていただき、私なりに努力してやって参りました。駆逐艦の子達にも厳しく指導しましたし、それで二水戦が力を発揮できるなら、私は嫌われても構わない、そう思っていました」
何かを思い出したのか、彼女の表情が悲痛なものに変わっていく。
「でも、今回の事故を防ぐことができませんでした……私の監督不行き届きです」
「ただそれは、訓練の指示が過酷だったからであって」
「いえ、実戦の場では厳しい状況での戦いを強いられることもありますから、それは言い訳になりません」
「それは……」
神通は真面目だ。あの度を越した訓練に不満を言わず、全ての責任を自分で背負い込もうとしている。
「駆逐艦の子達からも嫌われて、指導することも満足にできないのでは、私が二水戦旗艦を務めるのはふさわしくな――」
「それは違います!」
神通が言い終わる前に、天津風が突然声を上げた。
「神通さん、ここに二水戦のみんなが集まってきてる理由、分かりますか? みんな、神通さんのことが心配で来てるんです」
先ほどから、神通を探していた艦娘達が少しずつこの場に集まってきている。
「確かに訓練は厳しいですけど、それで神通さんを嫌いになったりしません!」
天津風の発言に、その場にいる駆逐艦達も賛同の声を上げた。
「あなた達……」
神通は彼女達の発言が意外だったようで、瞳を潤ませている。
「天津風の言うとおりね!」
後方から声がしてそちらを振り返ると、陽炎の姿があった。そして、彼女の両側には、僕達が待ち望んでいた二人が立っている。
「時津風! 不知火! 良くなったんだ!」
時津風と不知火の姿を確認して、他の艦娘達も歓喜の声を上げる。二人はこちらに歩み寄ってきて、神通の前に立った。
時津風も不知火も申し訳なさそうな顔でうつむく。
「神通さんが旗艦を辞めちゃうなんて、やだ。すごくイヤ。だから、神通さん。これからも二水戦にいてください! うんうん、それがいいよね!」
「今回のことは、不知火にも落ち度が……あったと、思います。ですが、同じことは繰り返しません。それを、見ていてもらえれば」
時津風と不知火の言葉に、神通は感極まったのか、一筋の涙が頬を伝う。
そんな彼女に僕は語りかける。
「これで分かったんじゃない? みんなの本当の気持ち」
神通は指で涙を
「――はい!」
***
あれからしばらく時がたち、事故の件がようやく沈静化した頃。
神通がカイゼル先輩の処分について、僕の執務室に報告に来ていた。
「おお、良かった。それなら先輩の処分は軽くで済むんだね」
「はい、事故の原因が訓練内容にあったと上の方に認められたみたいです」
「司令長官もやる時はやるんだなぁ」
「ふふ、そんなこと言ったら悪いですよ」
僕の隣にいた天津風が、嬉しそうに神通に話しかける。
「でも良かったです。神通さんがまた二水戦の旗艦に復帰できて」
「ええ、これからは訓練の内容を適正なものにできますね。ただ、極端に楽になるわけではないので、それは心に留めて置いてくださいね」
「が、頑張ります……」
神通のにこやかなその発言に、天津風は多少うろたえながら答えた。
「それと、提督。以前から気になっていたんですが……」
そう言って、神通は執務机の横を通って、座っている僕の脇に立つ。
「え、何?」
「少し失礼いたします」
すると、神通は前かがみになって、僕の軍衣のえり元に両手を伸ばす。彼女の顔が僕の顔の間近に来る。
「ちょっ!? 何を!?」
「えええ!?」
僕も天津風もこの行動に驚きを隠せない。しかし、神通は平然とした顔で僕の軍衣のえり元に触れている。
「えりのホックが外れています。今直しますので、動かないでくださいね」
「い、いや、これは暑苦しいからわざとはずしてるのであって!」
「それは駄目です。提督には身なりも正していただかないと」
それはごもっとも。ただ、とにかく、顔が近い。
されるがままになっている僕の方がどんどん恥ずかしくなってくる。
「……お茶をいれてくるわ」
天津風が低い声で淡々と告げる。
さっきまでと声のトーンが違う気が……?
「はい、できました」
「あ、ああ、ありがとう」
神通がえり元を直してくれて、ぴっちりとした見た目になる。しかし、やはり暑苦しい。
「この方がお似合いですよ」
「はは、そうかな……? 先輩のえり元もこうやって直したり?」
「いえ、提督はえり元のホックがはずれていることはないので」
「あ、それはそうだね」
そうやって談笑していると、天津風がお茶をいれて戻ってきた。そして、僕の前に緑茶の入った湯呑みを置く。
「はい、お茶です」
「おお、ありがとう」
僕は湯呑みを手に取り、口を付けると――
「にがっ! 何これ!? めちゃくちゃ苦いんだけど!?」
「あら? 目が覚めるように少し濃くしたんだけど、ちょっと苦かったかしら?」
「ちょっとどころじゃないよ!? しかも全然眠くないし!」
僕と天津風が舌戦を繰り広げていると、神通は少し笑みを見せる。
「神通?」
「あ、すみません。仲の良さが伝わってきて、思わず笑ってしまいました」
「ええ!? 今ので!?」
「神通さん! あたし達、別に仲良くなんて……!」
「
「!? い、今のは別にそんな深い意味じゃなくて!」
天津風が赤面しながら必死に弁解しているが、のれんに腕押しで、神通はただ微笑むだけである。
二水戦旗艦、神通。だが、今、目の前にいる彼女はその重圧を全く感じさせない、屈託のない笑顔だった。