「ケッコン!?」
僕は思わず声を上げてしまった。
伝令のために僕の執務室を訪れている大淀が、目の前であまりにも意外な言葉を告げたからだ。二人しかいない執務室が一瞬静まりかえる。
彼女は、そんな僕の反応も想定内のようで、淡々とした口調で話を続ける。
「はい、今申し上げたように、提督が『航空戦艦である扶桑とケッコンすべし』というのが、司令部からの伝言です」
「いやいやいや!? 何でいきなり彼女と!?」
「扶桑さんが選ばれた理由は、以前提督の秘書艦として従事していたことがあるからです」
天津風が僕の秘書艦になる前に、何人かの艦娘が僕の秘書艦として働いていたことがある。扶桑もその中の一人だった。
「そうじゃなくて、何で急にケッコンしないといけないのさ」
「それは……運営上の問題だそうです」
「運営上の問題? まさか、資材消費の軽減とか?」
「具体的には、そういうことだと思います」
「うわぁ……」
艦娘とケッコンカッコカリをして絆を深めると、士気向上の効果なのか、艦娘が消費する燃料や弾薬が少なくなる。つまり燃費が良くなるのだ。
だからといって、資材消費の軽減を目的としてケッコンするというのは問題がある。それを強制するというのならば、尚更である。
最近、この鎮守府における資材の備蓄が不足しているという話は耳にしているが、まさかそれでこんなブラックな指示が飛んでくるとは……
「それで、その指示を拒否することは?」
「残念ながら、拒否権は無いそうです。もし、拒否した場合は処分が下される、と」
「はは、冗談きついな。いや、冗談じゃないんだろうけど……その処分の内容って何なの?」
「まだ決定はされていないようですが、おそらく別の鎮守府か泊地へ転属になる可能性が高いようです」
「そんな……」
上の人から見れば、僕は優秀な司令官でもないし、上官のご機嫌をとるようなタイプでもない。上の人から扱いにくいと思われているとすると、何かしら問題があった時に、それを理由に僕を転属させようとするのは容易に想像できる。
僕はさして出世にこだわりは無い。だが、転属となれば、天津風や十六駆のみんなとは……
「ところで、扶桑の気持ちはどうなの? 僕と無理矢理ケッコンさせられるんじゃ、かわいそうだと思うけど……」
「扶桑さんにも確認はとりました。驚いてはいましたが、前向きに捉えているようです」
「そうなのか……」
天津風を除けば、僕が最も良好な関係を築けた秘書艦は扶桑である。他の秘書艦は、表には出さないものの、勤務意欲の低い僕を敬遠しどこか壁を作っていた。
そんな中でも、扶桑は優しく、怠惰な僕を認めてくれた。もっとも、仕事は一番滞りがちだったけれども。
ふと、大淀が憂いを帯びた表情になる。
「私自身、このようなことを申し上げるのは心苦しいです。提督がどちらの選択をするとしても、誰かの心に影を落とす結果になるのは……」
「大淀……」
その時、執務室の扉が若干きしむ音を上げた。
よく見ると、扉は先ほどから少し開いていたようである。まさか……
「誰かいるの?」
僕の呼びかけに対し、扉の隙間から姿を現したのは天津風だった。驚きを隠せない僕と大淀に、彼女はあわてて弁解する。
「ごめんなさい! 重要な話をしてるみたいだったので、入りづらくて……」
仮に重要な任務の話をしていたとしても、秘書艦の天津風が入室をためらう必要はない。それをしなかったのは、扉を開けた時に話の一端が聞こえて、不穏な空気を感じたためか……
大淀はばつが悪そうな面持ちで天津風に告げる。
「いえ、話はもう終わりました。では、私はこれで……」
それだけ言って、大淀は執務室を出て行った。
部屋に残された僕と天津風は、お互い何も言わず固まる。
その重苦しい沈黙に耐えられず、僕は口を開いた。
「あの、さっきの話……聞いた?」
「あまり……ただ、かなり張りつめた雰囲気だったのは分かったけど……」
「ん、まあ、簡単に言うと……司令部が僕と扶桑をケッコンさせたいらしい。もし従わなかったら、僕は他の地へ転属になるかもしれない」
「えっ、そんなことって……」
思ったほど天津風は驚かない。やはり、さっきの話をそれなりに聞いていたのだろうか。
「あなたはどうしたいの?」
「どうしたいって……確かに、扶桑とは秘書艦時代、それなりにうまくやれたけど、ケッコンとなると話は別だし……かといって、転属もできれば避けたい……」
僕は執務机に肘をついて、頭を抱える。どちらを選んだとしても、現状の何かが変わってしまう。今の僕はそれを望んでいないのに。
天津風はうつむいて、何かを黙考しているようだった。
再び訪れる静寂。
僕は考えがまとまらず、ため息をついてぼやく。
「正直、今回の件はまいったよ。どうしたらいいのか……」
「良かったじゃない!」
「えっ?」
苦悩する僕に、天津風は少し大きな声をかけてきた。
「扶桑さん、優しいしきれいだから、ケッコン相手としては申し分ないし。それに、あなた、前にあたしに言ってたわよね? 『たまには扶桑みたいに優しくして』って」
「それは……」
確かに、勢いでそんなことを言ったこともあった。女子はよくそういうことを覚えているな、と思う。
「だから、扶桑さんとケッコンできるなら、あなたにはそれが一番良い選択でしょ?」
「でもそうなったら、秘書艦も交代することに――」
「いいんじゃない?」
彼女は僕と視線を合わせることなく、僕の言葉をさえぎるように言った。
「ケッコン艦が秘書艦になるのは当然だし、あたしもそれなりに長いこと秘書艦をやってきたから、少し休みたいし。……そういうわけだから、あたしは応援するわ」
そこまで言うと、彼女はきびすを返し部屋を出ていこうとする。
「えっ、どこ行くの?」
「ちょっと置き忘れたものがあるから、取りに行ってくるわね」
そのまま天津風は部屋を出ていってしまい、扉が閉じられる。
しばらく時間を置いて彼女は戻ってきたが、それ以後業務以外で彼女と会話することはなかった。
そして、扶桑とケッコンという司令部からの指示を拒否することも無く、事は進んでいった。
***
あれから数日後。
僕と天津風の関係はこの前から変わっていなかった。
別にケンカはしていないので、彼女が怒っているわけではない。ただ、淡々と仕事をこなす上官と秘書艦の関係になってしまっている。日常会話もほとんど無い。
そんな状態が続く中で、ある時、一人の艦娘が執務室を訪ねてくる。
「提督、お邪魔するわ」
「初風か。どうぞ」
すると、初風は執務室の中を見回し、何かを確認してから僕の執務机の前までやってきた。
「天津風はいないわね」
「ああ、ちょっと用事で出てる。 何か用?」
「提督に聞きたいことがあるんだけど……最近、天津風に何かあった?」
「何でそう思ったの?」
「最近、妙に明るいっていうか、明るくしてるっていうか……私達と一緒にいる時間も長くなったような気もするのよね」
「そうなのか……」
「何か心当たりは?」
「うーんまあ、この前から天津風とちょっと距離があるんだ。最近、業務が終わるとすぐに執務室を出て行くし」
「何でそうなったの?」
「たぶん、扶桑とのケッコン話が原因、だろうね……」
「えっ、ケッコン!? 何それ!?」
初風はいつになく、目を丸くして驚いた。
「上からの指示で、今度扶桑とケッコンすることになったんだ」
「提督はそれでいいの?」
「扶桑は今までの秘書艦の中でも、僕のことを理解してくれた数少ない娘だから、悪い話じゃないと思う。それに、この話を断ると、僕はこの鎮守府にいられなくなる……」
「ふーん、そう……」
初風はつまらなそうな返事をし、それ以後何も問いかけてはこなかった。
そして、彼女は扉の方へ向きを変え、顔だけを少しこちらへ向けて言う。
「提督はもっと判断力があると思ってたけど、見込み違いだったみたいね」
その口調はいつもと同じ様だったが、とても険しいものを感じた。その言葉を最後に、彼女は部屋を立ち去る。
一人ではもてあます広さの空間に残された僕は、ただ出入り口の扉を見つめることしかできなかった。
「……じゃあ、どうすれば良かったんだよ」
誰の耳にも入らないそのつぶやきは、虚しく宙を漂い、霧散した。
***
その夜。
業務を全て終え、一人でなんとなく執務室に残っていた。
隣室の食卓には、天津風が作った夕食が置かれている。
食欲が無いわけではない。でもなぜか、こうして食事をとらずにたたずんでいる。
絶え間なく思考を巡らすが、頭の中は雑然としたまま、時間だけが過ぎていく。
ふと、風の影響か、窓ガラスが音を立てた。
僕は窓の所まで行き、窓ガラスを開ける。すると、潮風が勢いよく吹き付けてきた。寒の戻りか、その風は冷たく感じる。
「よくこうして風に当たったなぁ……」
暗い窓の外を呆然と眺めていると、再び一陣の風が僕の身体を吹き抜けていく。その風は先ほどより一層冷たく、思考が滞った脳を刺激するのに十分だった。
……
ああ、そうか。
答えは自分の中にしかないのに、それを見ないようにして言い訳ばかり探していた。
でも、ようやく分かった。
何が大事で、何をすべきか、を。
***
次の日の夜。
業務が終了し、天津風が部屋を出ていった後、僕は扶桑を執務室へ呼んだ。
彼女を待っている間、気分が落ち着かずに部屋の中を一人うろうろしていると、扉がノックされる。
「どうぞ」
「失礼いたします」
開かれた扉から姿を現したのは、予想通り、長い黒髪を揺らした和風美人であった。
彼女、扶桑は白を基調とした巫女風の着物を身にまとい、女性らしい体つきをしている。そんな彼女の姿にどきっとしたのは、普段、十六駆とばかり接しているせいか。いや、それは彼女達に失礼か……
などという雑念を早々にかき消し、扶桑に話しかける。
「よく来てくれたね」
「提督、ありがとうございます。この前はあまりお話できなかったので、嬉しいです」
扶桑はとてもゆったりとした口調で、感謝を述べる。
先日、ケッコンの話が出た後に、少し話をしようと扶桑の住む部屋を訪れた。その時は、妹である山城の怨念に満ちたような視線を感じて長く話せなかったので、今回は扶桑を執務室に呼んだのである。
「この部屋に来たのも、僕の秘書艦をやってた頃以来?」
「ええ、懐かしいですね」
「そっか、じゃあ結構前だなぁ。……そういえば、扶桑が秘書艦になる時は緊張したよ。戦艦が秘書艦になるのは初めてだったし」
「そうだったんですね。……でも、私が初めてこのお部屋に入った時、確か提督は居眠りしていましたよね」
「はは、そういえばそうだったね」
「私の秘書艦としての初めてのお仕事は、提督に毛布をかけることでした」
「目が覚めた時に、扶桑が目の前にいてびっくりしたなぁ」
そんなやり取りをしながら、二人で顔を見合わせて軽く笑う。
「それからも、色々と迷惑をかけたね。執務中に部屋を抜け出したり。でも、君は怒らなかった」
「それは、提督を信じていたからですね。提督は、それが必要なことだと思ったから、そうしたのでしょうし……」
「なるほど、君は本当に優しいね」
「い、いえ! そんなことは……」
僕の発言に、彼女は両の手のひらを頬に当て、顔を赤らめる。
さて、いつまでも思い出話に花を咲かせているわけにもいかないので、本題に入るタイミングをうかがう。
今まで難なくしゃべっていたのに、次の言葉選びは自然と慎重になる。
僕は意を決して、真面目な表情で口を開いた。
「扶桑」
「はい、何でしょう?」
彼女も僕の雰囲気を察して、真剣な面持ちになる。
「大事な話があるんだ」