前編を未読の方は、ぜひ前編からご覧ください。
あの夜に扶桑と会ってから、2日後。
僕は執務室で午後の通常業務を行っていた。
相変わらず天津風との距離は開いたままで、なんとも息苦しい空気の中、お互い自分の仕事に向き合っている。
そんな中、僕は一つのことが頭から離れず、仕事がまともに手に付かなかった。
そっと、執務机の引き出しを開けると、中にはケッコン指輪の箱。
これを早く渡そうと思いつつも、なかなか踏ん切りが付かないでいる。
だけど、それももう終わりにしなければいけない。
その思いを胸に、僕は天津風に見つからないように細心の注意を払い、指輪の入った箱を取り出し、ポケットに忍ばせた。
そして、イスから立ち上がり、平静を装ったまま天津風の横を通り過ぎ、出入口の扉に手をかけようとする。
「どこに行くの?」
ふと、天津風に声をかけられ、思わず身体が硬直する。
「ちょっとトイレに……」
「嘘」
僕の言葉を即座に否定する天津風。平静を装っているつもりだったけれど、違和感を感じ取られていたのだろうか。
天津風はこちらに歩み寄ってきて、僕のポケットを指さした。
「そのポケットの膨らみは何?」
「こ、これは……」
なんて鋭いんだ。いや、それとも僕が隠し事が下手なだけ?
とりあえずこの場をしのごうと、言い訳を考える。
「実は、野球のボールなんだ。壁当てでもして気分転換でもしようかなぁ、と。あはは……」
「……」
分かっている。我ながらどうしようもない言い訳をしたと。だから、そんな目で見ないで。
天津風は一切表情を変えず、僕が隠したかった事実に言及する。
「指輪の箱、なんでしょ?」
「い、いや、それはっ……」
これはもう隠し通せないと悟り、話を切り上げてすぐに部屋を出ることにした。
「と、とりあえず、話はまた後で!」
執務室の扉に手をかけようとした、その時――
「行かないでっ!」
突然、背中から腰の辺りに衝撃を受ける。一瞬、何が起こったか分からなかったが、確認すると、天津風が後ろから僕に抱きついていた。
「天津風……!?」
「お願い、行かないで……」
天津風は僕に抱きついたまま、離れなかった。密着しているために、彼女の体温が背中の辺りに伝わってくる。
「あたし、あなたに謝らないといけないことがあって……」
天津風は、悲哀を帯びた声色で話し続けた。
「この前、あなたと扶桑さんがケッコンするって話を聞いた時、あたし、本当はすごくショックだった。二人を応援するなんて嘘。ずっと、ケッコンの話がなくなればいいのにって……」
天津風が言葉に詰まる。彼女の顔は見えないが、泣いているのが分かった。
「でも、そんなこと言えなくて……もし言ったら、あなたに嫌われるんじゃないかと思って……だけど、近くにいると苦しいから、感情を押し殺してた……」
そこまで言うと、彼女は腕を緩めた。抱きしめられていた身体が自由になったので、彼女の方を向く。その瞳は真っ赤で、彼女が指で涙を拭おうとも、それはあふれ出して止まらなかった。
そして、天津風は力を込めて言い放つ。
「あたしは、あなたのことが好きっ! だから、行って欲しくない!」
彼女の顔には悲しみと恥じらいが入り乱れていた。今までに彼女がこんな表情を見せたことがあっただろうか。
これは全て僕が招いた結果だ。我ながら本当に呆れる。
でも、もう迷うことはない。あとは、自分の選んだ道を進むだけだ。
「……あとちょっとだけ待って欲しかったなぁ」
「……え?」
「本当は自分の部屋に戻って、もう一回練習したかったんだけど、まあしょうがないね」
「え、何言ってるの……?」
「こういうことさ」
僕はポケットに入れた指輪の箱を取り出した。
***
「大事な話があるんだ」
僕は真剣な表情で扶桑に告げた。
その様子を感じ取ってか、彼女もじっと僕を見守る。
なかなか次の一言がのどから出てこないが、必死に声を振りしぼる。
「ケッコンのことだけど…………僕は、君とは、ケッコンできない。本当に申し訳ない……」
言い終えてから、深く頭を下げる。
しばらくその姿勢を続けていたが、彼女からの返事はなかった。
当然である。ここまでケッコンするという段取りで来ているのに、その約束を急に無かったことにしようとしているのだから。
自分の情けなさに胸を締め付けられつつも、僕は少しずつ頭を上げ、目線を扶桑の方へと向ける。
すると、彼女は目をつぶったまま、そこにたたずんでいた。その頬には流れ落ちた一筋の涙が見える。
「本当にすまない……謝って許されることじゃないけど……」
やがて、扶桑は目を開けた。その潤んだ瞳は一段と僕の精神に堪える。
「いえ、私も薄々気づいてはいたんです。でも、ごめんなさい、それでもちょっと悲しくて……」
「え……薄々気づいてた……?」
「はい、この鎮守府内で提督があの娘と一緒にいるところは、よく見ていました。本当に仲が良さそうで、私はうらやましかったんです」
扶桑は伏し目がちになり、話を続けた。
「それに、最近の提督は私とお話している時、無理に明るくしようとしているのが分かりました。そのお姿を見ていると、私もつらくなってきて……」
彼女は本当に優しい心の持ち主だ。僕を非難するようなことはせず、僕の気持ちをくみ取ろうとしてくれている。
「君は本当に優しい。君が秘書艦になってくれて、心を許せる相手ができたことは本当にうれしかったよ」
僕は少し上の方を見て、昔を振り返るように語る。
「だけど、僕は不完全な人間だから、そんな君の優しさに甘えすぎてしまったんだ。秘書艦との関係が良好だったのに、交代させられてしまったのは、僕が甘えすぎて仕事が滞ったから」
「そんなことは――」
僕の発言を扶桑は否定しようとしたが、僕は手をかざしてそれを制止した。
「僕には叱ってくれる人が必要だった。導いてくれる人が必要だった。不完全な僕を正して、共に歩んでくれるような」
「……それが、あの
扶桑の出した答えに、僕は無言でうなずいた。
「だから、僕には天津風が必要だって、分かったんだ」
僕が一通り言い終えると、扶桑は納得したように目を閉じた。
「提督の心の中には、あの娘がいるんですね……残念ですけど、提督が幸せなら、それが私の幸せですから……」
そう言って扶桑は、悲しみにくれる中でも、今できる精一杯の笑顔を見せてくれた。
***
僕は、ポケットから取り出した指輪の箱を持ち、涙で目を赤くした天津風を見据えて語り出す。
「実は、おとといの夜、扶桑とのケッコンの話を断ってきたんだ」
「えっ!? それじゃあ……」
「僕は他の地へ転属になるだろうね」
驚く天津風をよそに、僕は静かに話を続けた。
「僕は転属になることを恐れてた。天津風、それに十六駆のみんなとも離れることになると思ったから。だから、扶桑とのケッコンの話も受け入れたんだ。『扶桑は、天津風以外では一番仲良くできた秘書艦だから、ケッコンしてもいい』なんて考えたりして」
天津風は僕をしっかりと見つめて、話に耳を傾けている。
「だけど、それは僕の逃げで、言い訳だった。僕は臆病だから、無意識に一つの選択肢を考えないようにしてたんだ。天津風に僕の気持ちを伝えたらどうなるか、っていうことを」
自分の過ちを悔いるように、僕は少し唇を噛んだ。
「もし告白してフラれたら、って思うと怖かった。天津風は僕と扶桑のケッコンを応援するって言ってたし。そんなことになるんだったら、扶桑とケッコンして、この鎮守府で今まで通りの生活を続ける方がいいと考えちゃったんだ。ホント最低だよ、僕は」
僕は自らの言動を振り返って、天を仰いだ。やがて、天津風へと向き直って言葉に力を込める。
「だけど、それじゃダメだって、ようやく気づいたんだ。結果はどうなろうとも、君に気持ちを伝えるべきだって」
そこまで話すと、天津風が口を開く。
「じゃあ、その指輪の箱は……」
「この指輪を渡すために、最後の予行練習を自分の部屋でやろうと思ったんだけど、君に先を越されちゃったってわけ。我ながら情けないね……」
「それじゃあ……」
僕は箱のふたを開けて、中の指輪が彼女に見えるように提示した。
そして、こそばゆさを感じつつ、心に秘めてきた思いを言葉に乗せる。
「好きだよ、天津風。僕とケッコンしてください。そして、僕と一緒についてきて欲しい」
すると、天津風の瞳に、止まっていた涙が再びあふれ出してきた。
でも、この涙は先程の悲しみを含んだものとは違う。
彼女の表情は安堵に包まれていて、今までに見たことがないほど、柔和で美しい、最高の笑顔だった。
「はい。あたしで、よければ――」
僕は天津風に顔をそっと近づけた。すると、彼女は状況を察したのか、ゆっくりと両目を閉じる。
そして、僕達は唇を重ねた。
***
数日後。
僕と天津風は、他の鎮守府への転属を下命されることを待っていた。
僕の転属は確実。それに加えて、ケッコン艦となった天津風もそれについて行くことになるのが予想されたからだ。
だから僕らは覚悟していた。していたのだが――
「二人だけで別の鎮守府へ行こうとしてたなんて、ひどいよねー。ねー雪風?」
「そうです! 雪風はしれぇとも天津風とも離れたくないです!」
「それは僕もそう思ってたけどさ。だけど、まさか覆るとは……」
僕の執務室に、十六駆が集合している。
その理由というのが驚きだ。なんと、僕の転属が見送りになったということを報告しに来たのである。
数日前、僕が扶桑とのケッコンを断って、この鎮守府を離れることになる旨を雪風達に話した。その後、雪風、時津風、初風の三人は、僕と天津風の転属を反対する署名運動を始めてくれたそうだ。
最初に名を連ねてくれたのは、カイゼル先輩や神通をはじめ、陽炎など十八駆や八駆の娘達だったらしい。二水戦騒動のことで多少なりとも恩義を感じてくれていたのだろうか。
さらに、普段は司令部に離反するようなことをしない大淀や、あの自由奔放な島風までも、署名に応じてくれたそうだ。
そこから、徐々に署名が集まりだし、それなりの数の反対票を司令部へと提示できたという。
扶桑にいたっては、司令部へ直談判してくれたらしい。あんなひどいことをしたのに僕達を擁護してくれるなんて、彼女には感謝しても、し足りない。
初風が僕と天津風に対して、やれやれといった感じでつぶやく。
「駆け落ちで十六駆解散なんて、何の冗談かと思ったわ」
「は、初風! 別に駆け落ちじゃないわよ!」
「じゃあ、愛の逃避行?」
「同じじゃない!」
今度は時津風が何かを思いついたのか、目を細めてニヤニヤしだす。
「でさでさ、二人はもうチューとかしちゃってんのー?」
「んなっ!?」
僕と天津風はとっさにお互い顔を見合わせるが、恥ずかしさからすぐに顔をそむける。
「ほうほう、あたしの推理によれば、これはしちゃってるねー!」
「時津風、すごーい!」
いやいや、そんな推理しなくていいって。雪風は拍手しなくていいから。
「幸運の女神のキスを感じたんですね!」
「え!? はは、まあ、ね」
「そのこと、青葉さんに言ってもいいかしら?」
「それはやめて!」
雪風も時津風も初風も、みんな楽しそうだ。
こんな風に十六駆のみんなで、これからもにぎやかに話ができる。
その喜びを僕は噛みしめていた。
***
「ふう、風が気持ちいい……」
「そうだね、もう春かぁ」
僕と天津風は執務室の窓を開けて、二人で窓際に立ち、風を受けている。その風は、冬が終わり、春が到来したことを告げているようだった。
ふと、僕は隣にいる天津風の横顔をじっと眺める。
心地よく風を受けていた彼女は、その視線に気づき、こちらを向いた。
「どうしたの?」
「今思うと、出会った頃から、風を受けてる君の横顔が好きだったんだなって」
「な、なによ。急に……」
天津風は少し照れたようにそっぽを向く。
「……これからも風にあたろう。こうして一緒に」
すると、それに反応するように天津風は目を閉じ、笑顔でつぶやく。
「……いい風、ね」
春のさわやかな風が、二人の元に吹き続けていた。
天津風や十六駆の魅力が少しでも伝わればいいなと思いながら書き始めた小説でした。
本編はここで終わりですが、もし機会があれば番外編を書くかもしれません。
ここまでお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。