「あ……あぁ……あぁあー……」
「……レミィ、口から魂出てるわよ」
紅魔館、大図書館。口を半開きにしたまま机に突っ伏し続けているレミリアに、パチュリーが嘆息をつきながら指摘する。
昨日の夜の初め頃から今、つまりは今日の早朝前に至るまでずっとこんな感じだった。ちょうど魔導書の内容がいいところだったので半ばスルーし続けていたが、そろそろケアをしてあげなければいけない頃合いだろう。そうしなければいけない事情もある。
「だってフランが、フランがー……うぅー……フランー……」
レミリアがこうして異様なほど落ち込んでいる理由はすでに聞き及んでいる。
レミリアの妹、フランドール・スカーレットが家出をした。原因は姉妹喧嘩。レミリアがフランドールは内緒で外に出ているのではないかとカマをかけたところ大当たりで、それを高圧的に追求してしまった結果、彼女の家出に繋がったようだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫だと思うけどねぇ。妹さまも子どもじゃない……わけではないけど、本当の意味でのやっていいことと悪いことくらいはわきまえているはずだわ。狂ってはいてもね」
「あぅー、でもー……」
「はぁ。すでに咲夜に探しに行かせてるけど、そんなに不安ならあなたも探しに行ってきたらいいじゃない。もう雨はやんでるでしょ? ここでずっとへこんでたってなにも変わらないわよ」
「けどフランがここに戻ってくるかもしれないし、そうしたら入れ違いになっちゃうし……そもそももうすぐ朝だからまともに動けな、あぁ、朝! フラン、大丈夫かしらっ。ちゃんと日光をしのげる場所にいられてるかしら……もしかしたら悪い妖怪に攫われてたりとか!」
「あなたたち吸血鬼を何事もなく攫えるような規格外の妖怪がいるなら、それはもはや異変よ」
「それに……もう二度と会うことはないなんてまでって言われちゃって、合わせる顔なんて……あぅー、フランー……」
多少相手をしてみたが、なるほど。これを立ち直らせるのはなかなか骨が折れそうだ。
そもそも元はと言えば秘密で約束を破っていたフランが悪い……と言えれば簡単なのだけど、ことはそう単純ではないだろう。
彼女が全面的に悪いわけではない。非があるのはレミリアも同じだ。
「第一レミィ、あなたはあの子に過保護なのよ。ちょっと前まで地下に幽閉してたのだって、あの子の意思を尊重してのことでしょ? ご飯だってわざわざ持って行ってたし。館の外に出さないのはどうしてだっけ」
「あの子、外の常識とかよく知らないから、もしかしたらなにかの拍子に致命的ことをしちゃって、排除の対象になっちゃうかもしれないじゃない。里の人間を適当な遊び道具にしたりとか……」
「あぁ、そういえばそんな理由だったわね」
「む……そういえばだなんて、適当ね」
「適当よ。適当とは、ほどほどちょうどよいということ。決して悪い意味ではないわ」
レミリアは当然ながら、周りの評判を気にしてだとかフランの行いのせいで自分に迷惑がかかるからかもしれないからとか、別に自分の保身のために彼女の外出を禁止していたわけではない。
幽閉も、外へ出ることへの制限も。その他の昔からフランへするさまざまなすべてがなにかしら妹を、フランを思ってのこと。フランが内緒で外出していたことが判明した時に高圧的になってしまったのも、その思いが先行して爆発してしまった結果だ。彼女を思う気持ちに偽りはない。
だけどレミリアはそのことを一切フランへ示したことはなかった。それはきっと、恩着せがましい思いを彼女に抱かせたくないから。姉として妹を大切にする、ただそれだけのことだから。それ以外の事実は必要がないから。
不器用で、そして少しばかり歪で。けれど家族がいないパチュリーにとって、その関係はちょっとばかり眩しく映る。
だから思うのだ。
「レミィ。あなたが妹さまを大切に思ってることはわかってる。でもそれは、本当に彼女を思ってのこと? ただ単にあなたがあの子を失いたくない、傷つけさせたくない。そんなエゴではなくて?」
「……私があの子の意思を無視してるってこと? そんなこと……」
「もちろんあなたが妹さまのことを一生懸命考えてることはわかってる。あの子が苦もなく健やかに、何事もなく快適に過ごせますように……だけど世の中には、たとえ苦しいことになるかもしれなくても、苦しい道を歩むことがわかっていても、その先に進みたいと思うこともあるのよ」
「まるで仙人みたいなことを言うのね」
「あの子はあなたに内緒で外に出ていた。それはあの子にとって、そうまでしてやりたいことがあったからじゃないかしら。煩わしいと、吸血鬼にとって居心地がいいとは言えないものばかりだと思っていた地上に、それでも出たいと願う理由があったからじゃないかしら」
「……そんなこと、わかってるわよ」
頬を膨らませてそっぽを向くレミリア。そんなこと、パチュリーよりも彼女の方がよっぽどずっと、この半日中悩み続けていたに違いない。
だからきっと、パチュリーが語ることに意味なんてない。すべてレミリアも考えたことだ。けれど未だ踏み切れていない彼女にもう一度、それを突きつける。
「妹さまは、レミィが自分のことを信じていないって言ってたらしいわね。あの子はあなたのことを少し誤解しているけれど、その言葉は決して間違ってはいない。レミィは妹さまのことを信じ切れていない。妹さまが外で問題を起こすんじゃないかと、幻想郷のルールを侵すのではないかと、そう思っている」
「……そうね。私はずっとあの子の望むがまま、自分をも含んだ他人を遠ざけ続けてきたから。そんなんでフランがいつもなにを考えてるのか、理解なんてできるはずがないわ」
「過保護とは元々いい言葉ではないけれど、保護だなんてもの、見方を変えれば束縛にもなる。まぁこれもあなたは何度も何度も考え続けたことだろうから今更私がなにかを言う意味なんてないでしょうけど……だから、もうとっくにわかっているんでしょう? 妹さまのことをまだ大切に思っているのなら、次にしないといけないことはなにか」
「そうね……うん。わかってる。わかってるわ」
……不器用なのは自分も同じか。そう、小さく息をつく。
親友を励ましたい。その思いを伝えたいがため、背中を押したいがために、わざわざこんな回りくどい言い方をするだなんて。
元々パチュリーにできることなんてない。そんなことはわかりきっていた。だからここまでずっと黙っていたのに、結局こうして口を出してしまっている。
こんなことをしてもなにも変わらない。なるようにしかならない。全部が無駄なこと。それでも。
「ありがとね、パチェ。少しだけ勇気が出たわ」
「勇気だなんて、人間みたいなことを言うのね」
「まぁ、普段から人間を食べてるもの」
「あら怖い」
少し元気を取り戻してくれた様子のレミリアと軽く話していると、一人の妖精メイドが今にも転びそうなほど慌て気味に図書館に駆け込んできた。
今の状況下でこれほどまでに急いで誰かが来る理由なんて、一つしかないだろう。
「レミィ」
「わかってるわ。今度はちゃんと、あの子の話も聞く。私のことだってちゃんと話す。心配してくれるのはありがたいけど、ここは私が一人で」
ふるふる、とパチュリーは静かに首を横に振る。
「そうじゃなくて、行くんならちょっとそこの本取ってくれる? あなたがずっとその上に突っ伏してたから見れなかったのよ」
「あ、うん……え。もしかしてこれ取りたかったら励ましてくれたわけじゃないよね?」
「もちろん」
「え、どっち? もちろんその通り? もちろん違う?」
「もちろん」
「え、いやだから、って早く行かないとっ!」
少し急ぎ気味に、そしてとても微妙な表情で本を手渡してくれた彼女を見送りつつ、読んでいた本を入れ替える。
「……心配なんて元々してないわよ。私も、咲夜も。だって、その必要がないんだから」
一人でそう呟いて、新しい本の内容に没頭した。
しかし……素直じゃない彼女のことだ。今はあんな風にくだけていても、あの子と顔を合わせたらきっとつんつんとした態度を取ってしまうのだろうな。容易にその場面の想像がつく。
「ふわ、ぁ……うーん……」
もうそろそろ眠くなってきた。これを読み終えたら、今日はもう横になるとしよう。
必要ですらなかった自分の役目はもう終わった。
次に目を覚ました時には、きっといつも通りの平和な夜が訪れているはずだから。
生まれてからずっと、この世界のすべてがちっぽけなものに見えていた。
どんなに固い物質も、どんなに巨大な物体も。ほんの少しこの手を握りしめただけで壊れてしまう。
どんなに強い願いも、どんなに深い思いも。それを有する存在そのものが滅んでしまっては、なんの価値もない。
自分というただ一つの個体の裁量でなにもかもなくなってしまうような脆く儚い世界で、いったいどんな価値を見い出せるというのだろう。
この世のすべてがこの手のひらの上にはある。どんな苦労をしてなにかを成し遂げたところで、それさえもこの手を握ればあっけなく壊れてしまう。
だったら外に出ることに意味なんてないんじゃないかと。そう感じてきた。
こんな能力を持っているからか。いや、こんな自分だから、そんな能力を持っているのか。時折思うことがある。
この手で自分を含む全部を壊してしまったらどうなるのだろう。自分も、お姉さまも、館の誰もかれも、空に浮かぶ月やこの星さえも。
破壊願望、あるいは破滅願望。
ずっと昔は本気で試そうと思ったこともあった。だって全部がちっぽけなものに感じてしまうんだ。自分も他人も、世界さえ。だからきっとそれは本当にしかたがないことで、そしてどうしようもない。
けれど今は少し違う。自分が感じているすべてのものを壊してしまおうかだなんて、しょせん冗談としてしか考えることはなくなった。
それはきっと自分がいろんなものを大切に思い始めているからなんだろう。楽しいと感じているからなんだろう。
この手のひらを見下ろした時に、なにもかもがくだらなくて、等しくちっぽけに見えるのだとしても。しょせんそんな自分さえ、そのちっぽけでくだらない無数の目の一つでしかないのだから。
「ただいま、お姉さま。あ、まだ姉って呼んでいい?」
「……好きにしなさいよ」
「わーい。あ。あともう二度と会うことがないだなんて言った記憶もあるような気もするけど、あれはたぶん夢ね。こうしてまた顔を合わせているんだもの」
硬い表情をするレミリアに冗談交じりにまくし立てる。こんな状況でそんなことができるのも魔理沙のおかげだろう。やりたいことがはっきりしているから、少し心に余裕がある。
レミリアは初めほとんどしゃべらずに黙りこくっていたが、やがて小さく息をつく。そしていつもフランのいたずらに対してするように、ため息をついた。
「……さっきまで喧嘩してたっていうのに、よくもまぁそういけしゃあしゃあと接せられるものね。あなたのことだから癇癪でも起こしててもおかしくないと思ってたのに」
「あら、とんだ失礼だわ。そこまで子どもじゃないわよ私は」
「去り際に喚き散らしてたくせによく言うわ」
「それは夢よ。っていうか、私と違ってお姉さまはまたずいぶんとお硬いねぇ。そんなんじゃもてないわよ?」
「余計なお世話よ……はぁ。それで? なんだかずいぶんと平然としているけど。なにかあったの?」
「別にー? お姉さまには関係ないわ」
「ふんっ。自分から無様に戻ってきておいてよく言うわね」
今日はフランだけではなく、レミリアも妙につっけんどんだ。それもしかたがない。喧嘩別れした直前なのだから。
一度落ちつくために、大きく深呼吸をしてみた。
地下室に引きこもっていた頃はずっと手のひらを見下ろして、俯瞰的に考えてきた。だけど今はこの手のひらの上にあるたくさんのちっぽけな存在の一つとして、主観的な見方をしてみよう。
自分のために家を捨てた魔法使いのごとく、まるで人間のように。自分に正直に。
「お姉さま、まずはごめんなさい。黙って外に出ていたこと、誠心誠意謝るわ」
「っ……意外ね。えぇ、本当に意外。誠心誠意? あなたにはまるで似合わない言葉だわ」
「そんなこと私が一番わかってるわよ。でも、この思いは本物だから。悪魔としてじゃない。お姉さまの妹として、心の底から思ってる」
「私の、妹として?」
「そう。だって、私たちは仲が悪い姉妹なんかじゃなかったでしょ? 喧嘩したのなら、仲直りしたい。そんな風に思ってしまうのは当然のことじゃないかしら」
「そう、ね」
どうにも歯切りが悪い。まだ怒っているのだろうか。
だけどそれを追求している暇はない。こちらの話を聞いてくれている今のうちに伝えなければ。フランの思いを。
「お姉さま。内緒で外に行ってたことは謝る。でも私、まだお外に出かけてたりしていたいの。外でもっといっぱい遊んでいたいの。できることなら、お姉さまにそのことをわかってほしい」
「……それなら、当然聞かせてくれるのよね。どうしてあなたは外に出たいのか、その気持ちのわけを」
「簡単な話だわ。もっとたくさん、友達と遊びたいからよ」
「友達?」
「うん。いつも言ってることもやってることもわけわかんなくて、毎回振り回されっぱなしで……それでも、誰よりちっぽけでどうしようもなかった私を、ここから初めて連れ出してくれた、大切な友達」
あの日見た星の海は未だ心に刻まれている。
綺麗だと感じた。無数の星を。今までくだらないと歯牙にもかけなかった、ちっぽけな命の煌めきを。
自分も彼女もその煌めきの一つだった。
誰にも気づかれないでいた寂しい星は、誰にも必要とされない虚しい星に手を伸ばして、星座を結んだ。
どちらの星も誰の目にもいらないと映る無価値なものだ。星座になったってそれは変わらない。
それでもその二つの星にとって互いの光は、きっとかすかな希望として映ったから。
ぎゅっ、と左手を握る。
この感情は誰にも否定させはしない。この姉にも、俯瞰的な自分にさえ。
「お願い、お姉さま。私がお家に戻ることと、普段から外に出ることを許してほしい。まだ全然遊び足りないの。まだ全然彼女の、こいしのことを知らないの。もっといっぱい遊びたい。もっとたくさん知りたい。もっともっと、館の外に広がる世界を味わってみたい」
「もしそれを、この私が許さなかったら?」
「今度こそ本当に、お姉さまの前から消える。今度こそ本当に二度と姿を現さない。悪魔の契約にかけてそう誓うわ」
「私なんかよりそのお友達の方が大事なのね」
「そうじゃないわ。どちらも大切だから、それしかできないの。お姉さまを傷つけたくない。こいしともっと一緒にいたい。だったらお姉さまから離れるしかないじゃない」
言いたいことはすべて伝えた。これでダメならこれ以上気持ちを伝えたところで、きっと全部無駄なことに違いない。
だからちゃんと待つ。今度は癇癪なんて起こさない。まっすぐ、そらすことなくレミリアの瞳を見つめ続ける。
レミリアがなにかを考え込むように静かに目を閉じる。そうして、数十秒は時が過ぎただろうか。
薄目を開き、姉が足を一歩踏み出してくる。
一瞬、びくりと震えてしまう。それでも逃げ出さず、きちんと踏みとどまった。
一歩一歩、近づいてくる。少し顔を伏せているせいで、前髪に隠れて目元が窺えない。
やがてすぐ目の前までやってきたレミリアは、フランの顔へそっと手を伸ばしてくる。下がることはなかったが、ぶたれるのではないかと目を瞑ってしまった。
そして、そっと体を抱きしめられる。
「お、姉さま?」
ぱちぱちと瞼を瞬かせると、すぐ横の間近にぼろぼろと泣きじゃくるレミリアの顔があった。
「う、うぅー……フランー、ぐすんっ。わ、わた、私が悪かったわ……うぅ」
「……は? え、なに?」
てっきり怒っているのだと思っていただけに、いきなり泣きつかれて意味がわからない。
これはどういう状況なのだろう。喧嘩した時に下手な言い訳は許さないとか言ってたからちゃんと全部話したのに、なんだろうこれ?
ぐすんぐすん鼻をすするレミリアはただひたすらフランを強く抱きしめてくる。普通に痛かった。
「まさかフランがそんなに私のことを思って、いろいろ考えてただなんて……うぅ、私が悪かったわ……頭ごなしに否定するようなこと言って……」
「え、あ、うん……って、そうじゃなくて! お姉さま、結局どうなの? 許してくれるの? 許してくれないの?」
「あうー、フランー」
「むぐ。ちょっと……離れ、てっ!」
「ぐぇっ!?」
もしかして真剣に悩んでいたのは自分だけだったのだろうか。そう思うとなんだか無性にいらいらとしてきて、半ば反射的に思い切り頭突きを繰り出していた。
レミリアがあまりの痛みに仰け反って、頭を押さえている。誤算と言えば同じ勢いでぶつかったことで、当然フランも同等の衝撃を味わったことか。あまりの痛みで意識が及ばないが、きっと彼女と同じように自分の頭を押さえていることだろう。
「うぐ……わ、悪かったわフラン……ちょっと冷静さを失ってたかも……」
「べ、別にいいわよ。私も昨日はひどいこと言っちゃったし……お互いさまってことで」
まだ少し目の前がちかちかとするが、もうそろそろ動ける。
二人してふらふらよろよろと立ち上がると、そのうちレミリアは頭をぶつけた衝撃で飛んでいた帽子を拾う。その間にフランは自分の思いを伝えようとした時のようにもう一度深呼吸をして、改めてレミリアに向き直った。
「それでお姉さま、どうなの? 私が戻ることと、外に出ること。許してくれるの?」
「……ええ。あなたが館に戻ることを私は拒絶しない。紅魔館の主として、ううん。あなたの姉としてそれを認めるわ」
さきほどまでの急に泣きついてきたレミリアは鳴りを潜め、いつもの態度に戻った姉がいる。額は腫れているが。
とりあえず帰ることは許してくれるらしい。しかしまだもう片方の返事を聞いていない。
「じゃあ、外に出ることは?」
重要なのはむしろこちらの方だ。じっ、と見つめるフランの目線に、レミリアは考え込むように顎に手を添える。
「そうね……どうしようかしら」
「……そっちを許してくれないならここに戻るつもりなんてないけど」
「じょ、じょじょ冗談よ! もちろん許すわっ。別にあなたが思ってたような私が迷惑をかぶりたくないからなんて、情けない理由だったからじゃないし……けど」
「けど?」
「少し、条件はつけさせてもらうわ」
「条件って?」
「あなたは外のことをよく知らないでしょう? そんなことに興味だってなかったと思う。だからもしかしたら、ふとした拍子に致命的な一線を越えてしまって、幻想郷の妖怪どもから目をつけられてしまうかもしれない」
「そんなこと……」
ない、とは言い切れなかった。今はもうそんな自分の身が危うくなるようなことをするつもりはないけれど、無知ほどに恐ろしいものはない。
レミリアの危惧通り、フランは外のことをあまり知らない。幻想郷に暗黙の了解として浸透している妖怪たちのルールを完全には把握していない。あるいはそれがいつの間にか致命的な一線を超える原因になってしまうかもしれない。
「過保護かもしれないけどね。これが私のエゴでも、あなたにはどうか学んでほしい。外のことを。人間のことを、妖怪のことを、幻想郷のことを。私があなたのことを心配してしまう気持ちがなくなるくらいに」
「……うん。それくらいならもちろん受け入れるわ」
元々なにもしなくても生活できるような贅沢な環境にいた。それ以上のことを要求しておいて、多少勉強する程度のことを断ることなんてできない。
「……って、あれ?」
「どうかした?」
「や……お姉さまって別に私を外に出すのが恥ずかしいから外出を禁止してたわけじゃないんだよね? お姉さまの言うことを信じるならだけど。で、この条件からするとお姉さまが私の外出を許してくれなかったのって、もしかして私のことを……?」
「へっ? あ、え、い、いえっ!? な、なんのことかしら? べ、べべ別にフランが私の知らないところでひどい目に合わないか心配だったとか全然そんなことはないわよっ?」
「……あのねぇ、お姉さま。こいし譲りのつっこみだけど、ツンデレは今時流行らないわよ」
「意味はわからないけど罵倒されてることはわかる!」
いつものように、フランがからかってレミリアがいじけて。たまにその逆をしたりして。
結局全部、すれ違いが招いた喧嘩だった。もしもフランがレミリアの前から逃げ出さなかったら、いったいどうなっていたのだろう。
……決まっている。きっと今と同じように、こうして軽口を言い合っていたことだろう。
だってレミリアとフランは、決して仲の悪い姉妹などではないのだから。
「って、あつっ! ……あー、日差し……そういえばもう朝だっけ」
「雲ももうほとんどないわね。あれだけ降ってたのに」
「あー……なんだか安心したら眠くなってきたわ……元々眠かったのに、お姉さまに寝るのを邪魔されたせいで一切寝れてないし」
「わ、私のせいじゃないわよ。元はと言えばフランが……はぁ。ううん。こういうところがいけないのよね」
「そうよー。なによ。本気で怒ってるかと思ったら心配してただけって。めちゃくちゃ悩んだのに取り越し苦労だったこっちの気持ちも考えてほしいわ」
「悪かったってば……」
あくびをするフランに、ちらちら、とレミリアが視線を向けてくる。どことなく仲間になりたそうな目に見える。
どうせくだらないこと言い出すんだろうな、と絡まれる前にさっさと立ち去ろうとすると、ごほん、と咳払いをするような声が背中越しに聞こえてきた。
「と、ところでどうかしら。仲直りの記念に、姉妹一緒で同じベッドで寝てみるなんてのは」
「は?」
「そ、そんな嫌そうな顔しないでよぉ……」
「うわ。ちょっとやめてよ。実の姉にそんな猫なで声で擦り寄られても気持ち悪いだけだってば」
「あうぅー、ふーらーんー……」
「ひ、ひっつかないでってば! もうっ、わかったわよ! 一緒に寝ればいいんでしょ、寝れば!」
フランがいない間、ずっと心配してくれていたのかもしれない。そのせいでいつも張っている意地が緩んでしまっているのか。だとすれば、フランにも少し責任があると言えなくもない。
無邪気に「えへへー」とか喜んでいる姉にぶるぶると鳥肌を立てて戦々恐々としつつ、引っ付いたままの彼女をずるずると引きずっていく。
「……少なくとも、これを尊敬するようなことは今後二度とないわね……」
ため息をつきながら。けれど、ほっとしている自分もいる。
こうしてありのままの自分を彼女にさらけ出せる毎日が続いて。彼女の本当の気持ちを知ることができて、自分の本当の気持ちを伝えることができて、よかった。
これもまた外に出たいという願いと同じ俯瞰的なものではなく、フランがフランとして思う、偽りのない確かな思いだった。
・どことなく仲間になりたそうな目に見える
→ドラゴンクエストシリーズより。【なんと ○○○○(お好きな名前をどうぞ)が おきあがり なかまに なりたそうに こちらをみている!】