IS学園での物語 作:トッポの人
今思えばわたくしの両親はこの世界の縮図のような関係だった。
女尊男卑が広まる前から名家であったオルコット家の当主として気高く強かった母。とても厳しくて、わたくしの憧れだった人。
そして同じくその前から気弱で、いつも母の機嫌を伺っていた父。婿入りしてきたから母に引け目を感じていたのかもしれない。
ISが世に広まり、女尊男卑という風潮が広まれば二人の関係はより顕著なものになっていった。母はより強く、父は益々弱く。
母に憧れる一方で、父に対しては情けないとしか感じなくなっていた。将来、自分が結婚相手とする男性には強さを求めるようになるほど。
そんな両親との生活も唐突に終わりを迎えます。何の脈絡もなく、実にあっさりと。
三年前に起きた越境鉄道の横転事故。死傷者が百名を越える大きな事故に父と母も巻き込まれてしまった。
いつものように行ってきますの挨拶を交わし、いつも通り強い母と弱い父を見送って、そして帰ってきた。変わり果てた姿となって。
突然の死に泣き喚くわたくしに現実は何処までも非情だ。両親が遺した莫大な遺産を狙って、金の亡者が押し寄せて来たのだから。
せめて二人が遺してくれたものを守りたくて、わたくしは若くしてオルコット家の当主となり、あらゆる勉強をした。両親との別れを悲しむ時間さえ許されない。
それだけの時間を割いてもわたくしには足りない。力も知識も、何もかも。そう簡単に母のように強くはなれない。
このままでは守れない。どうしたものかと頭を悩ませていると国からIS操縦者の適性検査があるとの話が。もしも高い適性があり、代表候補生にもなれば国から援助があるとも。
幸いにもわたくしの適性はAと高いもので、直ぐに代表候補生として名を連ねる事になった。
それだけではない。国からの援助があると分かれば、今まで財産を奪おうとしていた人達も手のひらを返したようにわたくしの機嫌を伺うようになった。自分と同じ貴族のはずなのに、恥も外聞もない。
「全く、情けない……」
脳裏に過ったのはひたすら母に頭を下げる父の姿。幼少から育まれた弱さへの嫌悪は当主になって益々増していく。父のようには、目の前のこの人達のようにはなりたくないと。
同時に強さへの渇望も増していく。母のように強くならねばやりたい事も出来ない。
「強く、強くならなくては……」
そうして代表候補生として訓練を重ねていけば専用機を持つ事を許された。
自身の努力が実を結び、評価された喜びから訓練に更に熱が入るのは必然。来るIS学園への入学に向けて研鑽を重ねていく。
そこで不思議な人との出会いがあるとも知らずに。
訓練を終えてシャワーを浴びているわたくしは先日出会ったばかりのあの人の事を思い浮かべる。
「櫻井、春人……」
小さく呟いたはずのその人の名前は降り注ぐ水の音に消される事なく、すんなりと耳に入っていく。
不思議な人だった。
最初は織斑先生への対応からとても強い人だという事は充分伝わった。目付きの悪さも相俟って、恐れるのも無理もない。
しかし何とか話掛けてみれば何を言われても言い返してこない。どれだけ侮辱されようとも。
それに落胆したのはわたくしだけではないはず。たった二人の男性に他の男性とは違うのではないかとほんの少しの夢を抱いていたのも。
だが実際は見掛けだけの何処にでもいるような、わたくしの父のような弱い人。この世の中では極ありふれた人だった。
かと思えば、直前まで侮辱していたわたくしが失言しそうになった際は経験した事もないような殺気と言葉で止めてくれた。
他の候補生との会話では世の中には女尊男卑を嫌って、女性とあらば徹底的に噛み付いてくる狂犬のような人もいるらしい。
わたくしは会った事はないが、他の候補生は何人も見た事があると言っていた。
「でもあの人は違う……」
櫻井春人という男性は違った。聞こえているはずなのに、陰で何を言われようとも噛み付いたりはしない。怒ったりはしない。
初日にわたくしが怒りに身を任せて、大変な事を口にしようとした時のみ、あの人は怒った。
怒った理由もただ場の雰囲気が悪くなるから。ただそれだけ。呆れるほど簡単な理由だった。
「不思議な人……」
何度考えてみても結論はそこに行き当たる。強いようで弱く、弱いようで強い。
いや、織斑先生へあんな態度を取れるのだから間違いなく強いはずなのに強さをひけらかす事がなかった。隠しきれてもないが、あくまで弱く振る舞おうとする。
分からなかった。何故態々そんな事をするのか。その強さで耳障りな悪評なんて幾らでも黙らせる事が出来るのに。
気になって、気になって、気付けばあの人の姿を目で追っている自分がいた。
「櫻井くーん、ちょっと手伝ってー」
「……何だ?」
ある日の休み時間。相川さんが呼び掛ける声からある意味でいつもの光景が始まろうとしていた。
「織斑先生に頼まれてね、職員室にある段ボールを持ってきて欲しいんだけどいい?」
「……構わない」
事情と内容を説明すれば、櫻井さんはそれまで読んでいた教本を閉じて立ち上がった。
それを見た相川さんが微笑む。
「ありがとっ。それじゃ行こっか」
「…………相川も来るのか?」
「えっ、当たり前じゃない。荷物持ちは櫻井くんに任せるけど、扉開けるのは私に任せてよ!」
「……そうか」
以前からそうだったが、どう聞いても雑用の仕事をあの人は毎回二つ返事で応じる。一つの例外を除いて。だがそれでも断るなんて、少なくともこの数日間では見た事がない。
そしてその例外がこれ。
「はるるんおんぶしてー」
「…………一応聞くが何故だ」
「歩くの面倒だよぉ……」
「…………」
次の授業は移動教室。そこまで遠い訳でもないが、布仏さんは心の底から嫌そうな声を出して訴えている。その証拠に櫻井さんの裾を掴んで離そうとしない。
布仏さんが口にした理由に思わず頭を抱える櫻井さんに織斑さんと篠ノ之さんが近付いていく。
「ほら、早く行こうぜ」
「……いや、だが」
「急がないと遅れてしまうぞ」
「……むぅ」
どうやら二人は布仏さんの味方のようで少し意地の悪い笑みを浮かべて櫻井さんを早く早くと急かす。
渋っているが、二人とも櫻井さんがどうするのか分かっているようにも見えた。
「はるるーん……」
そこへダメ押しとばかりに裾を引っ張りながら布仏さんがいつもの明るい声とは違った、若干どんよりとした暗い声で呼び掛ければ。
「……はぁ、ほら乗れ」
「わーい!」
「……はぁ」
溜め息一つと共にあっさり折れてしまい、その背に布仏さんを背負った。
さっきまでの暗い雰囲気は何処へやら、一転していつも通り明るくなった布仏さんを見てまた溜め息を吐く。
「えへへ、はるるんありがと!」
「…………ああ」
「んー? はるるん照れてる?」
「……そんな事はない」
他の人からすれば櫻井さんの様子は普段と何ら変わりないが布仏さんにしてみれば照れているらしい。
そんな二人の様子を見て、織斑さんと篠ノ之さんが示し合わせたように笑った。
そんな櫻井さんを見ていて、少しずつだが分かってきた事がある。
あの人はただひたすらに優しい。お人好しと言ってもいい。それも度が過ぎるほどの。
頼まれると断れない、困っている人を見ると放っておけない、良くある物語に出てくるヒーローのようだった。
雑用している姿に皆さんが違和感を感じなくなってきた頃、クラス代表決定戦が行われた。
結果、その非常識さと戦い方から多少は収まりかけていた悪評もより悪いものとなってまた広まってしまう。曰く、悪魔。曰く、化け物。
そんな事はないとあの人を良く見ていたわたくしや簪さんを含めた方で必死に否定したが悪評は止まらなかった。
自分が言われていたらどうだったろうか。少なくともあんな周りの冷たい視線には耐えられそうにはない。
でも、それでもあの人は変わらない。以前よりも酷くなった周囲にも動じず、以前と同じように頼まれ事や困っている事をこなしていく。
「いっつも思うけど、櫻井くんって力持ちだよね」
「……男だからな」
「いやいやいや、男だからってこんなに持てないよ? 普通なら一個しか持てないよ」
「……鍛えてるからな」
「そういう話じゃないと思うんだけど……」
「……そうか?」
今日もそうだった。
視線の先には段ボールを三つ積んだ状態で悠々と運ぶ春人さんと、付き添う相川さんの姿。
相川さんも否定してくれた一人だ。今もこうして春人さんは悪評のような人物とは違うのだと証明しようとしてくれている。
「春人さんっ」
「オルコットさん?」
「……セシリア?」
振り返っても段ボールのせいでこちらの顔が見れない春人さんは見えるように身体を横向きにして顔だけこちらへと向けた。
「どうしたの?」
「お急ぎのところ申し訳ありません。どうしても春人さんにお聞きしたい事がありまして……」
「ほほう?」
訊ねてきた相川さんに春人さんに用事があるのだと応えれば、その目をキラリと輝かせてにんまりと笑った。
「オルコットさんはぐいぐい行くタイプなんだ。モテる男は辛いねー。うりうり」
「……?」
「なっ、ななな!?」
とても楽しげな表情でそう言いながら指先でぐりぐりと春人さんを突っつく相川さん。
鏡なんて見なくても顔が赤くなっていくのが分かる。
「ち、違います! 違いますわ! わたくしは、そんな……!」
「はいはい、オルコットさんは分かりやすいなー」
「だから違いますと……!」
「……???」
幾ら言っても相川さんは聞いてくれない。それどころか、からかうのが面白いのかその笑みを益々深めるだけ。
本当は相川さんの言う通り。簪さんもそうだが、わたくしもこの人の持つ優しさに惹かれたのだ。こんな世界でも優しくいられる、誰よりも強いこの人に。
「……良く分からないが俺で答えられるなら答える」
「「えぇ……」」
「……何かがっかりさせてすまない」
漸く春人さんが口を開いたかと思えば、分からないとバッサリ断ち切った。比較的分かりやすい状況だったにも関わらず。
思えばわたくしや簪さんがどれだけ好意をアピールしても伝わっていないのだから当然なのかもしれない。
「ん、んん! では気を取り直して……」
いち早く立ち直ったわたくしは一つ咳払いすると本題へ。また相川さんに茶化されては堪らない。
「春人さんは何故そんなにも強いのですか?」
「…………俺が、強い?」
「ええ」
意外そうに首を傾げる春人さんは自分の強さを分かっていないようだった。
でもあなたは間違いなく強い。それでいて誰かを気遣う優しさも失わずに持っている。
「どうすればそれだけ強くなれるのですか? どうすればあなたのように強くなれるのですか?」
「…………」
重ねて質問するわたくしに春人さんは話が長くなりそうだと思ったのか、手の荷物を置いてちゃんと向き合ってくれる。
十数秒ほど黙り込んでから口を開いた。
「……今のままで充分だと思うが」
「まだ……足りません」
「…………そうか」
「「?」」
最終確認なのだろうか、まだまだ満足していないと答えると何故か春人さんは残念そうにしている。
わたくしもそうですが、何で残念そうにしているのか相川さんも分からない。
「……訓練している時に意識はしているか?」
「意識……ですか?」
「……ああ」
聞かれた事をそのまま口にすれば静かに頷いて肯定される。
「どうすれば勝てるのか、相手がどうするかを意識して訓練していますが……?」
だがそんな事は当然だろう。相手がいる競技なのだから相手の事を考えて訓練する。
ISに限らず、それはどんな競技でもそうだ。自分よりも強い人だったり、互角の相手だったり。意識する相手は人それぞれでも、何も考えてないなんてありえない。
「……そんなに難しい事じゃなくていい」
しかし、春人さんは否定した。そうではないのだと。もっと簡単な事なのだと。
「では?」
「……俺はいつもどう強くなりたいかを意識している」
「どう強くなりたいか……」
「……そうしていれば自然と強くなる。セシリアはどう強くなりたいんだ?」
春人さんの答えでどうして自分が強くなりたいのか、その理由を思い出した。
いや、違う。忘れていた訳ではない。他の事に目移りしてしまっていたのだ。
いつの間にか目の前で見せ付けられる弱さを憎んで、ただただ漠然とした強さを求めるようになっていた。
「わたくしは――――」
「あ、櫻井くん! 時間、時間!」
「……ん」
「あ……」
「ごめんね、オルコットさん! また今度にして、ね?」
どうやら休み時間が終わる寸前まで話し込んでいたらしい。
話の途中で終わらせた事を気にして謝ってくる。でも――――
「いえ、納得出来る答えは得られました。もう大丈夫です。ありがとうございました」
あなたのおかげで忘れかけていた大切な事を思い出せた。感謝してもしきれない。
本来、わたくしが求めた強さは守るためのもの。決して無闇矢鱈に誰かに振りかざすものではない。
きっとこの人も同じものを見てくれているはずだ。だから何を言われても怒らないし、強さを振りかざさない。誰かが傷付こうとしない限り。
「……そうか」
「良ければお手伝いしますが……」
「……いや、大丈夫だ」
そう言うと春人さんは置いていた荷物を持ち上げ、また歩き出した。
同じものを見てくれているが、この人はもう遥か遠くでなりたい強さを求めて頑張っている。
まずは追い付いてみよう。いつかあの人と肩を並べて歩くために。
「櫻井くん、結構良い事言うねっ!」
「……そうか?」
「うん、見直しちゃった!」
「……そうか」
それまで相川が俺の事をどう見ていたのか気になるところだ。多分ろくでもないんだが。
セシリアと別れてからというものの、先程の話で相川からやたら褒められる。
訊いてきたセシリアも納得したと言ってくれていたし、最後は何処か尊敬の眼差しのようなものを向けていた。
あんな筋トレの方法を教えたくらいで。
筋トレにおいて意識するというのは非常に重要で、意識するかしないかだけで効果が全然違う。
論より証拠。俺も毎日意識しながら筋トレしていたおかげでこうして強くなれたのだ。というよりも俺が強い要素なんてそこくらいしかないんだが。
まさかインターネットで調べれば分かるような事をお嬢様のセシリアだけでなく、スポーツマンの相川も知らないとは思わなかった。
そしてセシリアは俺のようになりたいと言っていたが、やめておいた方がいいと思う。
マッチョなセシリアなんて誰も見たくないだろう。間違いなく今のままの方がいい。
だが意志は相当固いようだった。願わくば本人がその考えを改めてくれるのを祈るのみである。
次回は春人の一日の様子になります。