IS学園での物語 作:トッポの人
忙しくて……。
転校して数日経った頃、昼の休み時間に漸く教官との時間が作れた。
しかも裏庭も昼休みには賑わうはずなのに周囲には誰もいない。狙ったつもりもないが、これは好都合だと言えよう。
「教官、お願いします。私と共にドイツへ帰りましょう。どうかまた私達に指導を……!」
「すまないな。そう言ってくれるのは嬉しいが、私には私の役目がある」
だが、必死の懇願も教官には届かない。やんわりと断られてしまった。
その際に浮かべた表情はかつてドイツで見せた、織斑一夏の事を話している時のものと同じだった。柔らかく、穏やかな表情。何ともこの人らしくない。私が目指すこの人にあってはならないものだ。
『……織斑先生にとって世界大会優勝より一夏が大切だっただけだ』
「っ……!」
何故かあの男の顔と言葉がちらつく。
「役目とは何ですか……!」
「ボーデヴィッヒ?」
「その役目は重要なんですか!? あなたである必要はあるんですか!?」
気付けば心の底から沸き上がる苛立ちに身を任せて叫んでいた。自分の事ながらまるで狂犬のように。どうしても我慢出来なかった。
宝の持ち腐れとはこの事だろう。この人はこんなところで埋もれていい人ではない。もっとその才能を生かせる場所に行くべきだ。
「ふぅ……それこそお前達の指導は私である必要はないだろう」
「私は強くならなくてはいけません! あなたのように!!」
遺伝子強化試験体。所謂私は生体兵器で、その成功例だ。成功例がいるという事は失敗例もいる。
いや、正確にはいたが正しい。もう世界の何処にもいない。その人達を私は姉と呼んでいた。
姉達のおかげで今の私がいる。天国にいる姉達に恥じないためにも私は優秀でなくてはならない。教官のように強く、何者にも屈しないような人にならなくては。強くなれるのならこの命だって惜しくはない。
「そのためには教官でなくてはダメなのです!」
「私のように、か……」
「はいっ。なのでお願いします……!」
ぽつりと呟いたのは私の思いが届いたからだろうか。そう考え、これが好機だと深々と頭を下げてもう一度お願いをした。この人から感じた寂しそうな雰囲気には気付かぬふりをして。
「そんなに強くなりたいか」
「ご存知だと思いますが、私は兵器として産まれてきましたから」
「ふぅ……」
誰かを傷付けて、何かを壊すのが兵器だ。その役目を果たすために強くなるのは別におかしくはない。
知っているはずだがその事を改めて聞くと、教官は分かりやすく溜め息を一つ吐いてこちらを見据えた。
「今度学園の行事でISを使った学年別のタッグトーナメントが行われる」
「タッグトーナメント、ですか?」
遮るようについ口にしたこちらの問いに教官はああ、と短く肯定する。
ISを使った試合形式のものが何かしら行われるとは聞いていたが、よもやタッグバトルだったとは想定外だ。
「しかし……その事はまだ公表されていないはずですが……」
「どうせ今日の放課後には分かる。今目の前にある問題に比べれば些細なものだ」
「問題? 何かありましたか?」
「こっちの話だ。気にするな」
「はぁ……」
問題とやらが気になり訊いてみるも、はぐらかされてしまった。よく分からないがその問題とやらもあまり大した事ではないらしい。
教官も気にするなと言っていたし、とりあえず忘れるとしよう。
しかし、この学園内から相方を探さなければならないとなるとかなり面倒だ。
せっかく来たのだ。私はここでも優秀でいなければならない。となれば目指すは勿論トーナメント優勝だろう。
だがタッグとなればISをファッションか何かと勘違いしているようなやつらと並んで戦う事になる。置物になるならまだいいが、足を引っ張られては堪ったものじゃない。
「むぅ……」
「悩んでいるようだな。パートナーでか?」
「はい……」
「そうかそうか……くくっ」
「?」
さて、どうしたものかと悩む私を見て教官が話し掛けてきた。狙い通りというような、少し意地の悪そうな笑みを浮かべて。
何がそんなに楽しいのか気になって悩むのも忘れて教官を見ていると、その視線に気付いて咳払いを一つ。それで表情を切り替えた。
「んんっ。パートナーだが、当日まで決まらなければ余り者同士でランダムにタッグが決められる」
「なるほど」
ふむ、それで一回戦で負けるかもしれないが全員が参加出来る事になる。最悪の場合はそれでもいいのかもしれない。使えるかどうかも分からないパートナーを探すよりは期限まで己を高めた方がいいだろう。
やはり私一人で戦う決意をしようとした時、教官が話始めた。まるでこちらの考えを見透かしたかのような話を。
「しかし、だ。きちんとパートナーを決めて当日まで訓練した専用機持ちにはお前は勝てないだろうな」
「そんな事は……!」
ないと言い切ろうとしたところでつい先日に即席タッグに苦汁を舐めさせられたのを思い出した。
もし、まともに連携の訓練をしていたら。あの時の私がもっと悲惨な事になっていたのは想像に難くない。
「ごく最近で心当たりがあるだろう?」
「っ、はい。ですが!」
それを思い出させた上で未だに渋る私に教官は畳み掛けるようにして話を続けた。
「お前がパートナーを決めないのは勝手だ。だがその場合、トーナメントは誰が優勝すると思う?」
「……」
「櫻井だ」
「くっ……!」
先日、散々苦汁を舐めさせられた男の名前が出てきた。教官の前だというのにその時が頭に過って思わず苦い顔をしてしまったのは言うまでもない。
それにしてもさっきから教官が物凄く悪役に見えるのは何故だろうか。というか自由なようで選択肢がないような気がするのは何故だ。
「逆に言えばあいつをパートナーに出来れば優勝に大きく近付けるだろう」
「……教官はあの男を推薦するのですか?」
「これでも分かりやすく言ったつもりだったんだがな」
確かに櫻井春人をパートナーに出来れば、セシリア・オルコットとのペアもなくなり優勝に大きく近付けるだろう。それは間違いない。
だが教官はこの前の授業でのトラブルの時といい、今の話といい、何故そこまであの男を薦めてくるのか。
「その、何故か理由を訊いても?」
「単純に強いからだ。あいつは今の状態でも学年でトップクラスだろう」
この前で分かったが代表候補生を相手に遅れを取っていない。異名もあるくらいだ。こと戦闘においては相当なものなのだろう。
それは認めるがそれだけではない気がする。
「それにあいつは矛盾していて面白い」
どうやらこれが本命の理由のようだ。何とも不透明な理由で、私がそうだと思った理由も何となくでしかない。だがこれが一番の理由だと確信していた。
「それはどういう……」
「さぁ、どういう事だろうな」
「むぅ」
気になって訊ねてみるも、全て言い切る前に遮られてしまった。
「まぁ、とりあえずあいつと組んでみろ。いの一番に行けばあいつも断らない」
「分かりました」
ここまで教官に薦められては断る理由もなかった。
元より私自身もあいつは強いと認めている。こちらに引き込めるならそれに越した事はない。
「それと……もしあいつと組めたらトーナメントまで一緒に行動してみろ。訓練の時だけでなく、日常でもだ」
「? 何故ですか?」
「さぁ、何故だろうな」
「むむむ……!」
教官からの命令なら従うまでだが、気になってしまう。だがやはり教えてはくれなかった。
櫻井春人と行動するのにも慣れた頃。ひょんな事から私達は静江教官の指導のもと、和菓子作りの訓練をしている。
タッグトーナメントが始まった日と時を同じくしてこちらでも本格的な菓子作りが始まった。
「むぅ……上手くいかんな」
「……そうだな」
しかし、やはり不馴れなもので幾日が経過するがどうにも上手くいかない。初めてだから仕方ないのだろうがそれなりにはショックである。
ちらりと見ると横にいる櫻井春人もかなり手こずっているようだった。しきりに首を傾げては最初からやり直したりしている。
「ところでウサギを作ろうとしているはずなのに何故お前は狸を作っているのだ?」
「…………何でだろう」
「む?」
そう言うとまたやり直し始めた。途中まで上手く出来ていたのに勿体ない。
その後も試行錯誤を繰り返していると漸くお互い納得出来る形が出来上がった。私が作った方が出来栄えがいいのは気のせいではないはず。
「出来たな……!」
「……ああ」
「ふふん、これだけの出来だ。写真を撮ってもいいんだぞ?」
「…………分かった」
二羽のウサギが並んだ写真を撮影したあと、勝ち誇った私の横で櫻井春人はこう呟いた。
「……フェーズⅢ、完了」
何だそれは。
「ⅠとⅡはいつ終わったのだ? というか次で終わりだと思うが、フェーズは幾つまであるのだ?」
「…………分からない」
「む。では何でⅢは言ったのだ?」
「…………言ってほしいと頼まれたから」
「誰に?」
訊けば訊くほど沸き上がる疑問をぶつけていればカウンターの方から聞こえてくるくつくつと小さな笑い声。
「ボーデヴィッヒに色男。ちゃんと真面目にやれよ」
「きょ、教官」
「……織斑先生」
「そうだ。教官ではなく先生だ」
視線を向ければ両肘をついてこちらを楽しそうに見ている教官が。三週間近く食堂にいるが教官が食事以外でここに来るのは非常に珍しい。一体何の用で来たんだろうか。
「二人とも休憩は済ませたか」
「いえ……」
「……まだです」
失礼ながら疑る私達を見ても教官の笑みは深まるばかり。どういう事か分からず首を傾げると、その答えはあっさり判明された。
「なら休憩ついでに少し私に付き合え」
ただの休憩の誘い。何とも拍子抜けする内容だった。
とはいえ、誘って来たのはあの教官である。嬉しい反面、何かがあるのかと気を引き締めて行く事に。
人気のないテーブルまで連れていかれると、ふと思い出したように教官が振り返った。
「ああ、飲み物を忘れてしまった。櫻井、コーヒーを淹れて来てくれ。お前達の分もな」
「……了解しました」
「美味いやつを頼むぞ」
「……善処します」
コーヒーを淹れるべく、櫻井春人は厨房へ入っていくと残された私は教官と二人きりになった。教官の思惑通りに。
「どうした、座らないのか?」
「失礼します」
言われてから対面の席に座る。
飲み物を忘れていたのは態とだろう。こうして私と二人きりで話すための小芝居だ。
「次は決勝だな。まずはおめでとう」
「ありがとうございます」
「楽にしていい。ただの世間話だからな」
「は、はい」
とは言ったものの、最早これは染み付いた性分だ。それにたった一年とはいえ、この人から教えを受けたのだ。そんな人相手に楽にしろと言う方が難しい。
「まぁいい。櫻井と行動するのは慣れたか?」
「慣れはしましたが、まだあいつの行動はよく分かりません」
あいつと行動する内に甘いものを食べるのも、外で横になるのにも慣れてきた。ただそうする理由は未だによく分からない。
単なる栄養補給や休養だけではないのは分かっているがそこまでだ。
「その割りには試合ではいい連携をしていたじゃないか」
「その、どう行動するかは分かるようになってきたので……」
「そうか」
そう答えると問い掛ける前から浮かべていた笑みはますます深まった。
私からすればダメでしかないこの答えも教官からすれば正解だったらしい。
「ところでさっきの色男とは?」
「そのままだ。あいつはよく女に好かれるからな。お前も気を付けろよ」
「はぁ……」
「……お待たせしました」
気の抜けた返事をすると今話していた件の色男が三人分のコーヒーを持ってきた。周りからの注目も一緒に。
私達の目の前に一つ一つ丁寧に置いていくと最後の一つを持って私の横に座る。
「ん。ありがとう……むっ」
「うっ……」
「……?」
出されたコーヒーを早速口に含んだ瞬間、私も教官も眉をひそめてコーヒーを睨み付ける。そしてその表情のまま、視線はこれを淹れてきた張本人へ。
「苦い……」
「櫻井。コーヒーはな、苦くすれば美味いという訳ではないんだぞ」
「…………すみません」
「折角二人とも似合ってる格好をしているんだ。菓子作りだけじゃなく、こっちも精進しろよ」
「…………はい」
「了解しました」
力なく返事をする櫻井春人は心なしかいつもより小さく見えた気がした。
私は似合っていると教官に褒められたのが嬉しい反面、これでいいのかと不安になってしまう。
このエプロン姿が似合っているということはそれだけ本来あるべき兵器の姿から遠退いてるのだろう。
強くならねばならないのに立ち止まっている。それどころか寄り道さえしているのだ。姉達はこんな事をしている私を見てどう思っているのだろうか。
「……どうかしたか?」
「いや……何でもない」
「…………そうか」
不安を感じ取ったらしく、櫻井春人が訊ねてくるも何でもないと言えばあっさり引き下がった。
「うっ……」
気付けばベッドで横になっていた。時刻も正確には分からないが、もう夕暮れになろうとしている。
「目が覚めたか」
「教官、っ……!」
「大人しく寝ていろ。ボロボロもいいところなんだからな」
起き上がろうと僅かに身動ぎしただけで痛みが走り、思わず声が詰まる。
教官の言う通り、私の身体はボロボロなのだろう。そうなった原因を教官は言わないが、ちゃんと分かっていた。
――――VTシステム。命を代償に強さを手に入れるシステムを使ったと考えると、この代償は非常に安いものだ。
力を求めた時はこの命なんてと思ったが、いざ実際に死ぬかと分かると怯えてしまうとは何とも情けない話だった。前まではそんな事もなかったのに。
「あの二人は……?」
「櫻井と一夏は別室で大人しくしているはずだ。とりあえず二人とも大きな怪我はない」
「そうですか……」
私を助けてくれた二人も無事だと分かると一安心した。これで私の代わりに二人が犠牲になったのでは笑い話にもならない。
「強いですね……」
「そうだろう」
「教官が推薦したのも分かります」
私があの二人の立場なら向かっていっただろうか。恐らく時間稼ぎ程度しかしなかっただろう。きっと出てくる教官に任せて。
「そういえば言ってなかったな。私が櫻井を推薦した理由を」
「強い、からでは?」
あいつは強かった。即席で連携も組めるし、奇妙な技も使う。何より身体能力が常人のそれを大きく逸脱していた。
「確かに強い。私も今まで色んな人間を見てきたが、その誰よりも戦う才能がある」
「天才……というやつですか」
「むしろ戦うために生まれてきたと言っても過言ではないだろう」
生まれながらの戦闘兵器。共に戦ったパートナーとして、VTシステム越しとはいえ本気で戦った相手として同意するしかなかった。
「だがあいつは戦いをよく思っていない。戦うのに向いていないんだ」
「えっ……」
「矛盾しているだろう?」
教官が浮かべる笑みを見て思い出した。矛盾していて面白い。確かにこの人はそう言っていた。
この人にそれほど言わせる才能がありながら、戦うために生まれながら戦うのに向いていない。なるほど、確かに矛盾している。
そういえば思い当たるのは山程あった。試合で降伏勧告をするところなんてその最たる例だろう。
「まぁ矛盾というよりは得手不得手と好きと嫌いはまた別といういい例だな」
「……私もそういう風になれと?」
「そういうやつもいる、とだけ分かってくれればいい。兵器として生まれたからそうしないといけない訳ではないんだ」
そう言うと教官は事後処理が山程あるからとこの場を去っていった。
去り際に言った言葉が私の頭を埋め尽くす。
「軍にいるのは別にいい。それは個人の自由だ。だが教師として、知人としてお前には兵器ではなく、人間として生きて欲しいよ」
どうすればいいのか悩んでいると誰かがこの部屋に入ってきた。
大きな身体を必死に小さくしようとしている様を見て吹き出してしまう。慌てて振り返ったそいつの顔を見てまた笑ってしまった。身体に痛みが走る。
「…………起きていたのか」
「ああ。お前こそ何をやってるんだ?」
「……パートナーだからな。様子を見に来た」
櫻井春人はパイプ椅子に座りながらこちらを伺ってきた。
「そうか……お前は大丈夫か?」
「…………あまり大丈夫じゃない」
「……すまない、下らない事を聞いてしまった」
見たところ怪我はなさそうだが、見えないところにあるんだろう。教官も大人しくしていると言っていたから怪我は当然だ。
「……ああ、違う。そうじゃない」
「ん?」
と、思ったら何か違うらしい。どういう事かと内心首を傾げて続きを待っていると意外な答えが出てきた。
「……黙って抜けてきたからな。バレたら多分怒られる」
「は?」
「…………というか前はそれで怒られた」
「…………」
何処か遠い目で話す男の姿は何とも言えないものがある。自身の怪我よりも怒られる方が心配のようだ。VTシステムにも果敢に立ち向かっていた男が。
「く……」
「……ん?」
「く、くく……ははは!!」
「……おい、あまり大きな声を出すな」
「お、お前が笑わせるからだ……くくく!」
唖然としていれば笑いが込み上げてきた。久し振りに腹の底から笑った気がする。
おかげで身体中が悲鳴をあげていた。正直かなり辛いが今は痛みよりも笑う方が忙しい。
一頻り笑ったあと、こいつの心配もあってか誰も来る事はなかった。これも日頃の行いというやつか。良いか悪いかは置いといて。
うん、こいつにならいいかもしれない。私のパートナーだしな。
「なぁ、私の話を聞いてくれるか?」
「……俺で良ければ」
了承の返事を聞くと全てを話してみた。
私が生体兵器であり、成功例である事。それまでに姉と呼ぶ人達が犠牲になった事。その姉に恥じないために強くなろうとした事。
こいつは時折相槌を交えながら真面目に聞いてくれた。そして――――
「教官には兵器としてではなく、人間として生きて欲しいと言われたよ」
「……そうか」
「私に出来るだろうか。傷付けて、壊す事しか出来ない私が」
不安だった。兵器として生きてきた私が突然そんな事を言われて出来るはずもない。
「……言っただろう。使い方次第だ」
「えっ?」
「…………すまない。この場合だと言い方が悪かった」
でもそんな不安なんてこの男は一蹴してみせようとした。若干失敗したような気もするが。
ばつが悪そうに携帯を弄ると画面を見せてきた。二羽の黒いウサギが仲良く並んでいる写真だ。少し出来の悪いのとそれよりも遥かにましなウサギが。
「これは……」
「……お前が作ったんだろう。忘れるな」
「私が作ったのはこの出来のいい方だけだがな」
「…………覚えてるならいい」
「ふっ」
私に携帯を預けると拗ねたように腕を組んでしまったのを見て、また笑いが込み上げてくる。
ただ直ぐにその笑みは面白さから来るのではなく、嬉しさから来るものへと変わっていった。
「そうか……私がこれを作ったんだな……」
傷付けるのでもなく、壊すでもなく、私でも作る事が出来るのだ。 それをこいつが教えて、今思い出させてくれた。
同時に理解した。こいつが私に作る楽しみを教えて、死への恐怖を教えたのだと。生きていたいと思うようにさせたのだと。
「死に方が分かっても死ねなくなった……。生き方が分からなくても生きていたいと思うようになった……」
「…………そうか」
「お前のせいだ……どうしてくれる」
携帯を返す際にぼそりと文句を言ってみた。自分で言いながら酷い責任転嫁だと思う。
でも、それでも櫻井春人にその責任を取って欲しかった。私を変えた責任。
「……心配しなくてもボーデヴィッヒの生き方が分かるように手伝う」
「ああ、ありがとう……」
まだこいつとのパートナー関係は続く。ただそれだけ。ただそれだけなのに何故この頬は緩むのだろう。何故この心は歓喜に満ちているのだろう。
と、その時櫻井春人が廊下の方へ勢いよく顔を向けた。誰かが近付いて来ている気配と足音がする。
「……ここまでだな。また明日会おう」
「また明日、な」
「……ああ」
また明日……いい言葉だな。また明日も言おう。他でもないこいつと次の日も会うために。
廊下でばったり遭遇しないために窓から降りようとしている櫻井春人を見ていると、窓に足を掛けたところで振り返った。
「…………一つ、言い忘れていた」
「ん?」
「この空と海の全てが貴方に可能性をもたらすだろう。生存せよ。探求せよ。その命に――――」
夕暮れを背にしてそいつが口にしたのはとても素敵な贈り物だった。
「――――最大の成果を期待する」
「……ああ、任せておけ」
そう私が応えると、軽く手を振り今度こそ姿を消した。
私が軍人だからと気を使ってか、形式ばった言葉で祝福してくるとはな。おかしなやつだ。
「ふふっ……」
もう目の前にはいないというのにあいつが頭から離れない。不思議と笑みが溢れる。
ああ、教官が言っていた色男とは本当なんだな。気を付けていたつもりだったがどうやらダメだったらしい。
「明日クラリッサに相談してみよう……」
副官のクラリッサならこの胸に感じる暖かさをどうすればいいのか教えてくれるかもしれない。それを心地好く思いながら目を閉じた。
あいつと過ごす明日が楽しみだ。
辺りを警戒しながら足音を立てずに進んでいく。自分が休んでいた場所へひっそりと。
もし仮にこの移動しているところを見られたら、箒の時みたいに物凄く怒られるだろう。絶対にバレてはならない。
「…………よし」
左右に誰もいないのを確認してからまたそろりそろりと前へ踏み出す。
それにしてもボーデヴィッヒの話が物凄く重かった件について。あれ俺が聞くの間違ってるぞ。
いや、ちゃんと話は聞いていたが途中から相槌打つしか出来なくなってしまった。それぐらいコメントし辛い内容だった。何度でも言うがあれ一夏の役だろ。
それだけに最後の方に出た死に方云々で頭の中ガルガンディアでいっぱいになってしまった。
ボーデヴィッヒもアニメは疎いだろうし、あの重い雰囲気をどうにかしようとして、ついチェインバーの台詞を送っといたが案の定バレていない様子。その上で少し明るい雰囲気になったし良しとしよう。
「……セーフ」
何とか誰にも見付からずに部屋に戻れた。これも日頃の行いか。あとは何事もなかったかのように寝るだけ。
「よう、色男。精が出るな」
「――――」
と、思ったら織斑先生が素敵な笑顔を浮かべながら腕を組んで待っててくださっていた。こめかみにある青筋は見なかった事にしたい。
――――そっかぁ。待ち伏せかぁ。それは考えてなかったなぁ。
「何か言う事はあるか?」
「…………すみません」
この後、滅茶苦茶怒られた。
次回からまた日常です。
あの子も復活します。