IS学園での物語   作:トッポの人

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※胸糞?注意

「……前回の」
『あらすじ!』
「……一日だけとはいえ八人もの彼女が出来た。何でだ」
「私としてはそもそも海に行くだけで皆がはしゃぐ理由が分からん」
『それは春人が超絶面白いギャグで説明するよ!』
「ぅえっ!?」
「嫁よ、頼むぞ」
「…………その、日本では昔からこう言うんだ」
「ほう、何と?」
「…………海は、たの、シー……って」
『予想以上のクオリティにびっくりしたけど……はい、春人じゃーないと!』
「えっ、今ので許された?」


第62話

 臨海学校も終わり、梅雨ももうすぐ明けて夏休みに入る直前。俺と本音は空いている教室にていつもの如く昼寝をしようとしていた。

 初夏だというのに既に茹だるような暑さでは外で寝る気など起きず、こうしてエアコンが効いた部屋に避難している訳だ。

 

 それにしても何故直ぐに居場所がバレるのだろうか。いつもの場所ならまだしも、ここに来るのは初めてだというのに。

 

「お疲れ様、はるるん」

「…………本音もお疲れ様」

「うん」

 

 膝を借りて横になっている俺の頭上から本音が覗きこんでくる。

 いつもの人懐っこい笑みではなく、二人きりの時にだけ見せる柔らかい笑みに気恥ずかしくなって誤魔化すように目を閉じた。

 すると袖に覆われた手が頬を撫でる。まだ起きていて欲しいとねだっているかのように。

 くすぐったいと身をよじるのとどうしたのかと訊ねるのは同時だった。

 

「……何だ」

「目付き、少しだけ柔らかくなったね」

「…………そうか?」

 

 言われて携帯のカメラで確認してみるが、画面に映るのは相変わらず目付きの悪い男だけ。何処をどう見てもいつもの見慣れた顔しかない。

 

「うん」

「……そうか。でも良く分かったな」

 

 だが自分の事のように喜び、嬉しそうな笑みを浮かべている彼女を見ると確かに変わったんだろう。

 それにしても本人さえも分からない変化を良く分かったものだと感心してしまう。そんな思いがつい口を突いて出た。

 

「はるるんの事、いっつも見てたから」

「────」

 

 頬を赤らめながらそんな事を言ってくる本音に唖然としてしまう。

 単純に見ていたのをそんな思わせ振りな態度と台詞で言われてしまえば、間違いなく恋に落ちていただろう。俺じゃなければ。

 

「…………そういう言い方は余計なトラブルを招く。俺以外には言わない方がいい」

「うんっ。はるるんにしか言わないようにするね」

「えっ」

 

 あまり勘違いさせて罪作りな女にするのも悪いと考えて注意すれば元気良く斜め上の解答が。

 

 違う、そうじゃない。

 いや、確かにそう言ったけどそもそも言わないで欲しいのですが。こっちも危うく惚れてしまいそうになるので。

 

「…………何にせよ────」

「むー、話逸らそうとしてるでしょ」

「…………」

 

 分かってるなら頼むから言わないでくれ……。

 

 変な流れを変えようと露骨に話を変えようとしたら何故か凄まじく不服そうにしている。唇を尖らせて一目見て分かるように。

 

「……何にせよ色々あったからな」

「色々あったもんねー」

 

 少し間を置いてさっきのやり取りを忘れたように切り出せば今度は素直に乗ってくれた。

 だが本音もそう口にしてしまうほどにはあの数日間は非常に濃いものだったと言えるだろう。今も目を閉じれば鮮明にあの日々を思い出せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーるるんはみーんなの彼氏ー」

「…………その歌はやめてくれ」

「えー」

 

 たったワンフレーズで俺のクズさが分かるからね。仕方ないね。

 

 待ち合わせ場所で一悶着あったが、全員揃った事だし歩きながら何処に向かおうか悩んでいた。といっても服を見に行くか、水着を見に行くかの二択なのだが。

 ちなみに俺は未だ左右の腕に抱き着いている簪と楯無さんにも悩んでいた。いつ離れてくれるんだろう。

 

 いや、まじで両腕にお二人の柔らかな感触が伝わって僕の理性がですね……。

 

『この肉のぶつかり合い……懐かしいな、スネーク!』

 

 スネークじゃないし、その表現の仕方やめなさいよ。あと懐かしむほど経験ないわ。

 

『ほんとぉ?』

 

 嘘ついてもしょうがないでしょうが。

 

「春人はどっちから行きたいとかある?」

 

 そんな俺の悩みなど露知らず、見惚れる笑みで簪が問い掛ける。これからが楽しみで仕方ないのだと緩む頬が伝えてきた。

 

「……皆が決めてくれるとありがたいが」

「えー。おねーさん、春人くんに決めて欲しいんだけどなー」

「……むぅ」

「早くぅー」

「お嬢様……」

 

 天使な妹とは対照的にジト目で俺の胸に円を描く小悪魔な姉は猫なで声で早く早くと促してくる。虚さんも呆れているし、くすぐったいからやめてほしい。

 

 まぁ確かに時間は有限だし、早く決めないとこの悪戯も止まりそうにない。

 さて、どうしたものかと悩んでいると、そんな俺を見かねて先を歩いていたセシリアと箒が振り向いた。

 

「わたくしとしてはまず水着から見たいのですが」

「私もだ。これだけ大勢だと時間も掛かるだろうしな」

 

 なるほど、当初の予定通りか。

 無難であるし、二人の言い分ももっともだ。おまけを優先したから本命を見る時間がありませんでしたでは話にならない。

 

「……皆も────」

「それに調べる時間も欲しいですし」

「そうだな。時間は多いに越した事はない」

「……何を調べるんだ」

 

 他の皆はそれでいいかと口にしようとした時だった。何やら気になる事を二人が発したのは。

 無視出来ない内容に思わず反応すれば、二人とも示し合わせたかのように微笑んだ。

 

「勿論、恋人である春人さんの好みを」

「彼女からのお願いだ。教えてくれるんだろう?」

「…………構わないが聞いても意味ないだろう」

 

 待て待て待て。さっきは圧に負けて精一杯努めると言ったが、今日限定の彼氏の好みを知ってもしょうがないだろうに。

 というかそれって下手しなくても俺の性癖暴露大会ですやん。構わなくないじゃん。

 

「おい、ちゃんと夫の意見も聞け」

 

 目の前で起きている異常事態に半ば現実逃避しかけていると夫が立ち塞がった。

 そんなつもりもなかったが、無視されていると思ったらしい。如何にも不満ありますという表情だ。

 

「……すまない。ラウラはどうだ?」

「ふふん」

 

 訊ねると自信満々に鼻を鳴らし、腕を組んで何処か得意気。もしかしたら二択しかない選択肢の三つ目を教えてくれるのかもしれない。

 

「私はどっちでもいいぞ!」

「…………そうか」

「うむ!」

 

 いや、何で態々勿体振って言ってきたんだ。反応に困るのはやめてくれ。

 

「ラウラちゃん、どっちでもいいはお嫁さんに嫌われるわよ?」

「えっ。え……? そ、そう……なのか……?」

 

 小悪魔楯無さんの一言で満足そうな顔から一転、あり得ない事でも聞いたかのように硬直した。

 その様子を見て苦笑いする皆へ次々に視線を向けていき、あからさまに狼狽え始める夫。急にだらだらと流れ始めた汗がその心情を物語っていた。

 

「ち、違う。待て。考える、考えるから!」

「ラウラ、落ち着きなよ……」

「大丈夫だ、落ち着け……落ち着けラウラ・ボーデヴィッヒ。これまでにもピンチなんて幾らでもあったが全て乗り越えてきたじゃないか。私はやれば出来る。やれば出来る……」

 

 そう言っても最早隣にいるシャルの声さえ届かず、ぶつぶつとひたすら早口で呟くだけ。完全に冷静さを失っているようだ。最初の頃のクールさは一体何処へ行ってしまったのか。

 

「全く、騒がしいわね……」

「いいじゃんか、賑やかで。俺は楽しいぞ」

「まっ、私も楽しめていいけど」

 

 少し距離を取ってる二人が俺達を話のタネに談笑している。俺と違って穏やかな時間を過ごしているようで羨ましい。

 

「じゃ、じゃあ私達は服から見に行きましょうか」

「お、おう」

 

 おう、待てい。

 

「……二人は別行動するのか?」

「う、うん」

「ま、まぁな」

「…………そうか」

 

 照れくさそうに頬をかきながら衝撃の事実を明かしていく二人は初々しくもお似合いなカップルそのもの。目の前に俺達という知り合いがいなければそれはそれは甘酸っぱい雰囲気を醸しながら手を繋いでいただろう。

 

 目の前にいるリア充が何故皆と一緒に待ち合わせしたのかとか、こいつら何でまだ付き合ってないのかとか考えていた時だった。

 

「あれ、お前……櫻井か?」

「…………ん?」

「お?」

 

 背後から聞こえてきた俺の名前を呼ぶ男の声。目の前にいるから一夏ではない。

 気になって振り返ってみれば三人の男が笑みを浮かべてこちらへ近付く。その中の一人が気軽な感じで話し掛けてきた。

 

「よっ、俺だよ、俺! 常磐だよ!」

「…………はぁ」

「いや、いやいやいや……なんだよその反応。小学校、中学校ってずっと一緒のクラスだっただろ!?」

「「「────」」」

「……すまない。覚えていない」

「「「えぇ!?」」」

『本当に覚えてないの?』

 

 じぇんじぇん分かんない。

 

 相手の男達は本気で驚いているような反応をしているが本当に分からなかった。

 一応俺が二人目の男性操縦者だってニュースとかでやってたらしいからそれで引っ掛けようとしてる新手の詐欺みたいなものかもしれない。気を付けないと。

 

「へぇ、一緒のクラスだったんだ」

「っ……」

「…………楯無さん? 簪?」

 

 しかし、それを聞いて食い付いたのが俺の左右の腕に抱き着いている二人だった。

 口元を扇子で隠しているが、男達に向ける目と声は初めて見るほど冷めきったもの。俺が初めて楯無さんと会った時よりもだ。

 黙り込んで俺の腕により強く抱き着く簪からも不安と嫌悪が入り雑じったのが向けられている。

 いや、二人だけじゃない。周りを見れば未だ悩むラウラを除く全員が何かしら良くない感情を向けていた。

 

「そうなんだよ。ずっと同じクラスで……そうだ! 櫻井、ちょっとこっち来てこれ見てくれよ!」

 

 だが初めて会ったからか浮かれている男達には分からないようで、怯むどころか話の切っ掛けが出来た程度にしか思ってないらしい。携帯を操作して何かを見せようとしている。

 

「何で私達に見せないのよ」

「恥ずかしい写真だからあまり他人には見て欲しくなくて……」

「ふーん、へぇー」

「あら、そうですの」

 

 はっきり言って怪しさ爆発だ。ただ、だからといってこのまま無視しててもこの男達は引き下がらない。

 ただでさえ注目の的なのに、その後ろから男達が付いてくるなんて確実に目を引く光景になるだろう。正直な話、想像しただけでお腹の痛みがどんどん増していく。どうにかしなければ。

 

「……俺が見ればいいんだな」

「春人……」

「……大丈夫だから」

「はぁ、分かったわ」

 

 という訳で俺の腕を離そうとしない二人の制止を何とか説得して男達の元へ。

 

「これ見れば思い出すって!」

「……はぁ」

 

 近付くと肩に手を回されて見せられた画面には写真などはなく、映っていたのはメールの本文。

 そしてそこには

 

 ────話を合わせろ化け物

 

 とだけ書かれていた。

 

『っ!!』

「な? 懐かしいだろ?」

「……そうだな」

 

 そうは言ったがにこやかに話し掛けてくる男に相変わらず見覚えなどない。しかし、俺の事を化け物と呼ぶのには覚えがあった。だから嘘ではない。

 小学校低学年の頃からの呼び名だ。IS学園に来てからめっきり言われなくなっていた呼び方。それを知っているという事は確かに小学校か中学校時代の知り合いのようだ。

 

「だろ? これとかもさ、どうよ?」

 

 ────その女の子達紹介しろよ。化け物のお前には勿体無いからさ。

 

 いつの間にか用意していた別のメールの本文を再び見せられた内容で狙いが女性陣だとはっきり分かった。

 俺には過ぎたものという点は同意しかないが、紹介してろくでもない事になるのは火を見るより明らかだ。

 

「あ、ぐっ!?」

 

 どうしたものかと悩むより常磐の腕を掴んだのがいた。そのまま力任せに捻りあげて携帯を取り上げれば、内容を見て更に怒りで眉を吊り上げる。

 

「何だ、こいつ力強……!?」

「今のは俺でも分かった。これどういう事なんだよ……!」

「まぁまぁ落ち着けって、な?」

 

 もう一人の男が一夏の問いには答えず、言いながら肩に手を回すともう片手で脇腹に何かを押し当てている。上手く手と服で隠しているが凶器だろう。

 女性陣には見えないようにする隠し方といい、さっきと変わらない態度といい手慣れているのは容易に分かった。

 

「どういう事かって聞いてんだよ!」

「おい、そっちこそ聞いて……!」

 

 が、優位に立った気でいるのもほんの一瞬だけ。そんなのに目もくれず、一夏は常磐を問い質す。男から今度は怒りが混じった声が飛び出そうになったその時。

 

「おい」

「あ? うお!?」

 

 そこへいつの間にか復活したラウラにあっという間に地面に組伏せられた。未だ自分が持つナイフを強制的に自らの首筋に当てられるというさっきとは真逆の状況へ。

 

「油断し過ぎだぞ一夏。こんなやつをあっさり懐に入れるな」

「悪い」

「はぁ……まぁいい」

「ぐぅ……!!」

 

 小言を言うが一切見向きもしない一夏に無駄だと諦めて、ラウラは視線を自らの下で痛みに呻く男へ。

 

「折り畳み式のナイフか。随分物騒なものを持っているな。お前みたいに頭が足りてないやつが持っていいものじゃないぞ」

「じょ、冗談だって……」

「なんだ、お前は刃物というのは冗談で向けるものじゃないとパパとママから教わらなかったのか。それともその悪い頭では覚えられなかったか」

「くっ、てめぇはどうなんだよっ!?」

 

 この状況を作り上げた本人が言うとは思えない台詞に最初は取り繕っていた男が本性を出して騒ぎ立てる。

 明らかに馬鹿にされてるのと自分よりも遥かに小柄な女の子に手も足も出ないのも苛立ちの要因だったかもしれない。

 

「私か? 私はいいんだ────」

 

 しかし、吠える男にラウラは淡々と答える。

 

「────いつだって本気だからな」

「っ……!」

「動くなとは言わん。代わりに動いたらどうなるかも言わん。精々出来の悪いその頭で、今何が利口か考えてみろ」

「う……!」

 

 纏う空気で、底冷えする声で冗談と本気の違いを知ってすっかり怯えて大人しくなった。それは組み伏せた男以外にも残りのもう一人の抗う意志も挫いていた。

 

「う、ぐ、何なんだよ、お前ら……!」

 

 締め上げられる腕の痛みに耐えながら常磐が一夏を精一杯睨み付ける。しかし、一夏も一切怯まず睨み返してはっきり口にした。

 

「こいつの友達だ」

「同じく」

「……一夏、鈴」

「そして私達は彼女よ」

『公私のパートナーです』

「…………いや、それはちょっと」

 

 友達は嬉しいが彼女は今日限定だし。あと何で皆頷くの。

 

「は、はははっ! こんな化け物の友達なんて気が、っ!?」

「お前の感想なんか聞いてねぇよ」

 

 握り潰さんばかりに一夏が更に力を込めたらしく、痛みで言葉が続かない。

 

「い、いや、お前らもその化け物の力を見たんだろ。そんなやつに殴られたら死ぬんだぞ!?」

「で、春人は誰かに暴力を振るっていたのか」

「は?」

「暴力を振るっていたのかと訊いている」

 

 それでも何とか堪えて続けた言葉は即座に箒が訊ねる。訳が分からないとばかりに口を半開きにして呆けている常磐に溜め息一つ溢して畳み掛けた。

 

「振るっていないだろう。こいつはそういうやつだからな。ずっと一緒だったくせに何も見てないし、何も知らないのだな」

「どうせ、こいつに怯えてこそこそ陰湿な事ばっかやってたんじゃないの」

「見た目に反して控え目な方達ですのね」

「ぐっ、くっ……!」

 

 ただでさえ多勢に無勢なところへ口が達者な女性陣が相手であるため、何も言い返せないでいた。しかも皆顔が良いから怒っている表情に迫力がある。相手が可哀想に思えてきた。

 

「俺もこいつも何も言ってないのに何でそんな事分かるんだよ!?」

「ここにいる全員がそんな事はしないって彼を信じているからよ」

「……楯無さん」

『……良い人達に会えて良かったね』

 

 ミコトの言葉に同意しかない。前から感じていた事だったが、改めて強くそう思えた。

 ああ、俺には勿体ないくらい本当に良い人達に会えたのだと。

 

「信じる? 誰も信頼も、信用もしていないこの化け物をか?」

「えっ……?」

 

 その言葉に心臓が跳び跳ねた気がした。頭から血の気が引いていくのが分かる。少しずつ、少しずつ頭痛と吐き気が増していく。

 そんな事はない、そんな事はないと必死に言い聞かせていると嘲笑うような声が聞こえてきた。

 

「誰も信じないでいる化け物を信じる……はははっ、面白いなそれ!!」

「お前達を信じる訳ないだろ」

「こいつが信じなかったのは学校のやつら全員だ! お前らはどうだ!? こいつから何か頼られた事があったか!?」

 

 言われて思い返してみる。更に増していく痛みを堪えながら皆に頼った事はあっただろうかと。

 例えばシャルを助けたいと思った時。皆に頼んだかもしれないが、あれは言わざるを得ない状況だったから言っただけじゃないのか。

 その後箒に訊かれた際や皆に言わなかったのはこの常磐の言う通りだったからじゃないのか。

 

 ────こんなにも俺を信じてくれている皆を、俺は信じていないから。

 

「ぐっ、あぁぁぁっ!!?」

「はるるん!?」

「春人くん!?」

 

 俺自身が認めたからだろうか、かつてない痛みに悲鳴をあげる。もうまともに立つのさえかなわない。のたうち回っているところへ誰かが近寄っているのを気にかける余裕も。

 

『春人、はる────』

 

 皆の声を聞くだけで頭が痛い。だからか、無意識に皆の声を遠ざけていた。そうすれは少しでも痛みが和らぐ気がして。

 

 常磐の笑う声だけがはっきり聞こえる中で、

 

『よう、久し振りだな。随分面白い事になってるじゃないか』

 

 いるはずのない、いつかの元カノの声が聞こえてきた。幻聴にしてははっきり聞こえる。

 このままではまずい。痛みを我慢して辺りを見渡すも明らかに目立つはずのあの姿はなかった。

 

『まぁ、企業秘密だが確かに俺はここにいる。幻聴なんかじゃなく、な』

 

 お前、何で……。

 

『そこはどうでもいい。あまり時間がないからな、手短に行くぞ』

 

 何でここにいるのか、何で時間がないのかとか気になる事は山ほどあったがこちらの疑問を一切無視して一方的に問い掛ける。

 

『お前、何で我慢なんかしてるんだ?』

 

 がま、ん……? 

 

『そうだ。憎いだろう、悔しいだろう。何故それを抑え込む』

 

 あいつと言われた常磐は騒ぎを聞いてやって来た警備員に取り押さえられながらもまだこちらを見て笑う。

 

『あいつを見てみろ。自分のやりたいようにやっているのに、何故迷惑を受けたお前はそうしない』

 

 苛立ち、憎しみ、嫌悪……そういった黒い感情が沸き上がってくる。意識が朦朧としているのもあってこいつに言われるがまま、何でなんだと、どうしてなんだと。

 

『そうだ。少しだけお前もやってみればいい。少しだけあいつらにやり返してみろ。何、今までやられた事に比べれば大した事じゃない』

 

 何で、何で、何で。

 

『そうだ。さぁ、感情の赴くまま────』

 

 何で俺はそんな人達と皆を同列に見ていたんだろう。何で俺は裏切っていたんだろう。それがどうしても許せない。

 

『────何?』

 

 そこで痛みが激しさを増し、遂には耐えられず意識を手離した。

 

『こっちも時間切れか。やはり周りから、だな』

 

 薄れ行く意識の中で最後に呟いた事さえ気にする事も出来ずに。

 

 

 

 

 


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