IS学園での物語 作:トッポの人
くっそ長い……。
気付けばIS学園にある保健室のベッドで寝かされていた。保健室の白井先生から倒れた状況を聞かれ、その症状は精神に過負荷が掛かったものに似ているとの事。
「……皆は?」
「あなたの付き添いで来てた子達なら直ぐ出ていったわよ。凄く心配してたし連絡する?」
「…………いえ、大丈夫です」
再び悲鳴をあげ始めた頭を抑える。皆の話を聞くだけで痛いのだからもし会ったらどうなるかなんて想像もつかない。
だが呼ばなかった理由はそれじゃない。皆にどんな顔で、何て言えばいいか分からなかった。
「そう、分かったわ」
白井先生も倒れた状況や皆から聞いて原因は分かっていたのだろう。深くは言ってこなかった。その気遣いが凄くありがたい。
そのまま立ち上がり、この場を離れたかと思ったら直ぐに戻ってきた。手にマグカップを二つ持って。
「はい、ホットミルク」
「……ありがとうございます……ホットミルク?」
「先生ってば冷え性でね。夏でもエアコン利いてる部屋だと温かいのを飲むの」
差し出されたホットミルクを受け取る。時期外れの飲み物に困惑するも、立ち上る湯気と共にいい匂いが鼻をくすぐった。
「それにね、牛乳には心を落ち着かせる効果もあるのよ」
「……そうなんですか」
「そうなんですっ」
空いた手を腰に当て、ふんぞり反る先生だったが直ぐにまぁ今の時代ちょっと調べれば分かる事なんだけどね、と柔らかい笑みを浮かべた。
椅子を寄せると俺が寝ているベッドに近付き、子供に話すような優しい口調で語りかける。
「心から来る病ってもしかしたら治らない、ずっと付き合って行かなきゃいけないかもしれないってくらい厄介で複雑なものよ」
「……はい」
「でもね、ある日突然何かの切っ掛けで急に大丈夫になったりするくらい簡単で、単純なものでもあったりするの」
「…………はい」
頭痛と吐き気が心から来るものなら、治るとしたらなんだろうか。皆が許してくれた時だろうか。
「先生が思うにね、あなたは簡単な事を難しく考え過ぎなのよ」
「……そう、なんでしょうか」
「ええ、きっとね」
やたらと話を切り出すタイミングがいい。俺が悩み始めたのを察して中断させようと口を出したのだと思う。
話したのもあったが、気分を変えるためにもホットミルクを一口頂いた。じんわりと暖かさが広がっていく。
「もし良ければ明後日からの臨海学校行ってみたらどうかしら。環境が変われば気持ちも多少変わるかもしれないわ」
「…………」
「先生も付いていくから、ね?」
もし良ければと言っていたが、どうやら行かせたいらしい。行けば治るとまでは行かなくても改善されると信じて。
このままでは何も変わらないのは俺も分かっていた。なら少しでも変われる可能性がある方へ進みたい。
「……お願いします」
「じゃあ織斑先生には私が伝えておくわ。それまではここでゆっくり休みなさい」
「……いや、しかし他にも体調が悪い人が来るかも知れないので」
その申し出は非常にありがたいが、幾ら体調が悪いとはいえここでずっと寝ている訳にもいかない。他にも体調が悪い人が来るかもしれないのだから。
それが女性なら尚更だ。横で男が寝ている状況では休むものも休まらないだろう。
「話変えるけど、あなた何かいつもと違うのに気付かない?」
「…………?」
渋る俺に困ったような笑みを浮かべる先生はそう問い掛けた。
「あっ……」
言われて自身を見て、そこで初めて右腕にあるはずの待機状態のISが、ミコトがいないのに気が付いた。
「まだ月日が短いとはいえ、専用機がなくなってるのを言われるまで分からないのが今のあなたなのよ」
「…………」
「それほど弱っているのだからここで大人しくしてなさい」
「…………はい」
何も言い返せなかった。操縦者として、何より三ヶ月ほぼずっと一緒にいた相棒がいない事さえ気付けないなんてパートナーとして失格だ。
「…………その、俺のISは?」
「緊急で検査するとかで織斑先生が持っていったわ。何処かに預けているらしいけどすぐに戻ってくるって」
「……分かりました。ありがとうございます」
それでも心配なものは心配だ。訊ねてみれば落としたとか盗まれたとかではないようで少しほっとした。
「…………すみません、少し寝ます」
「ええ、少しと言わずゆっくり寝なさい。今のあなたにはとても必要な事よ」
「……はい」
「お休みなさい」
俺が持っていた飲みかけのホットミルクを取り上げると先生は席を立った。
臨海学校の当日。あれから二日間が過ぎた。今日まで学校も休んで体調を整えようとしたが、良くなるどころか悪くなる一方だ。
すんなり寝付けたのは初日のあの時だけで、それ以降は眠気があっても十分もしない内に目が覚める。皆と会う夢を見て飛び起きて、頭痛が襲ってきての繰り返し。
食事もろくに喉を通らない。仮に通っても胃が受け付けない状態で固形物ではなく、ゼリーで何とか過ごしていた。それでも受け付けない時もあるが、普通の食べ物よりはまだ食べられる気がした。
ふらつきながら身支度をしているとノック音が響いた。短くどうぞと応えるとゆっくり扉が開かれる。
「酷い顔だ。寝れていないのか?」
「…………はい」
「一応聞くがバスには乗れそうか?」
「……いえ、正直厳しいです」
「そうか」
迎えに来てくれた織斑先生が俺の顔を見てそう言った。顔は洗ったが目の下の隈やこけた頬では決して平気だとは取り繕えない。
だからやっぱり行くのを断ろうかと考えていれば、織斑先生は徐に携帯を取り出して電話を始めた。
「もしもし……ええ、すみませんがそちらはお願いします」
「…………?」
誰かとのあまりにも短いやり取りを終えて、織斑先生は用意していた俺の荷物を手に扉へ向かう。
「外に車を停めてある。それで行くぞ」
「……バスは?」
「山田先生に任せて先に行かせた。バスや電車よりも車の方がお前も気が楽だろう」
「……ありがたいですが、何で俺なんかにそこまで」
気軽に停まれる車の方が楽なのは確かだ。でも何でそこまでしてくれるのかが不思議だった。
先に行こうとする織斑先生が立ち止まり、こちらへ振り向いた。口許に穏やかな笑みを浮かべて。
「お前は私の生徒だ。勉学を教えるだけじゃなく、悩んでいる生徒がいたらその悩みを解決出来るよう導くのが教師だ」
「…………織斑先生」
「まぁ、まだ半人前もいいところだがな」
俺に近付くと頭に手を置き、くしゃりと少し乱暴に撫で始めた。乱暴とは言ったが不思議と何処か心地好く感じる。
「聞きたくないかもしれんが言っておく」
「……何をですか?」
「一夏達が寂しがっていたぞ。この二日間、お前と会っていないとな」
「っ、ぐっ……!」
一夏達と聞いてまた頭に鈍い痛みと吐き気が襲い掛かってくる。それに気付いていないのか、織斑先生は俺から離れようとしない。
襲ってきた苦痛を堪えるのに精一杯だったがこのままだとこの人に迷惑を掛ける。
「……やめて、ください」
「何故会わない」
「…………会わないのは、名前を聞くだけで辛くなるからです。本人達を前にしたらどうなるか」
「違うな、それは嘘だ」
どうにか口にした理由を述べてもこの人はそれは違うと言う。では何だと視線を向ければその続きを口にした。
「本当は勝手に皆を裏切っていた、皆を傷付けていた、だから合わせる顔がないと思っているからだろう」
「…………事実でしょう」
見透かされて少しだけ驚いた。家族以外で理解されたのは初めてかもしれない。
しかし、勝手にとは言うが皆を傷付けていたのは紛れもない事実だ。
言い返した俺に織斑先生は溜め息を吐くと頭に置かれていた手によってそっと抱き寄せられた。それに伴って乱暴な撫で方から優しいものへ変わっていく。
「お前は一つ誤解している。傷付くも何も、いつも一緒にいるやつらはお前が距離を置いていた事を知っていた」
「えっ……?」
なら、何で……?
「不思議そうだな。だが相手に信じて欲しいのなら、まず自分からその相手を信じるものだ」
「自分、から……」
「いつもいる皆はお前に信じて欲しいから、お前を信じているんだ」
信じて欲しいから信じる……。
「人にはそれぞれの歩くペースがある。ましてや過去にそういうのがあったのなら遅くても仕方ない」
「…………」
「だから自分を責めるな。まだ三ヶ月しか経っていないんだ。ここを卒業するまで時間はたっぷりある。それまでに皆に応えられればいいさ」
「…………はい」
「それでいい」
最後にまたくしゃりと乱暴に頭を撫でる織斑先生。気付けばガンガンと悲鳴をあげていた頭痛や吐き気は収まり、代わりにこの数日間で久し振りの眠気がやって来る。
車のシートに身を預けると少しの間も持たずに眠りの世界へと旅立ってしまった。
「ん……」
目が覚めると視界に飛び込んで来たのは車から映る景色ではなく、和風の造りが目立つ部屋だった。
「ここ、は……?」
「はるくんが泊まるお部屋です……」
寝惚けた頭のせいか、軽く混乱していると俺の問いに答えるように頭上から消え入りそうな女性の声が聞こえてきた。
呼び方といい、声といい、思い当たるのは一人しかいない。こんな話し方だったかと違和感を覚えるが。とにかく視線を上にやり、思い当たった人物の名を呼ぼうとした。
「…………たば……束さん?」
「ふぁい……」
何故か両手で顔を覆っている束さんがいた。途中で不安になって疑問系になったが合っていたらしい。気の抜けた返事がやって来た。
よく考えればいつも頭にあるウサギのメカ耳や不思議の国のアリスを模した格好をする人なんてこの人しかいない。たとえ僅かに覗く耳が真っ赤に染まっていたというらしくもない反応があったとしても。
「…………何で顔を隠してるんですか?」
「今はるくんにはとても見せられるような顔をしていないので……」
何で……?
「はるくんが今辛い状態だって知っているのですが……そのおかげで役得がありまして……嬉しい誤算というか何というか……」
「…………はぁ」
この人の言う役得が何なのかは分からないが、今こうして束さんみたいな美人に膝枕されている俺としては役得なのは間違いない。
そこで会話が途切れ、この部屋から聞こえるのはエアコンの機械音だけ。時折車が近くを通る音と束さんが短い呻き声をあげるくらいだった。
「その……束さんの話、聞いてくれますか?」
「…………はい」
そんな静寂を破ったのは束さんだった。顔を隠したままだし、口調も直ってないが、何となくこれから真面目な話をするのだと察して何も言わずにいた。
「束さんにとっての世界って箒ちゃんとちーちゃん、それにいっくんとくーちゃんがいれば良くて、他の人は有象無象でしかなかったのです……」
「…………そうなんですか?」
「うん……まぁISはそんな人達も宇宙に行けるようにって作ったのですが……」
何時だったか織斑先生が言っていた。束さんは人見知りの極致にいて、自分にとっての大切な人以外と関わりを持とうとしないと。
まさか実の両親ですら対象外とは思わなかったが、それでもこの人は結局どうでもいいと無視出来なかった。何だかんだ根っこの部分は優しい人なんだ。織斑先生もそれを分かっているのだろう。
「でも、ISは兵器として見られちゃいました」
「……はい」
「元からそうだったんだけど、ISを、私の夢を理解しないって分かってからはそれがもっと酷くなってました……」
「…………」
「人を守るために作ったのに、人を傷付けるために使われているのが耐えられなくてこんなろくでもない世界ならって壊そうとも思ってたほどでして……」
普段と違う口調で言っているが話はどんどん暗く、物騒な内容になっていく。表情も分からないためどう返していいのかも分からない。
「はぁー……よしっ」
「…………?」
どうしたものかと悩んでいれば束さんが頭上で何度か深呼吸している。落ち着いたのか、深呼吸が終わると顔を覆っていた手が漸く離れた。
「でも、そんな世界ではるくんに会えましたっ」
「えっ……?」
覆われた手に隠されていたのは薄暗い話とは不釣り合いな赤らんだ頬と嬉しそうに微笑む顔、そして聞こえてくる弾むような声。
それが俺と出会えたからだと言われれば呆気に取られてしまうのも仕方ないだろう。
「はるくんは私の夢を理解してくれた初めての他人だったのです」
「俺が、ですか……?」
「うんっ」
何とか返せた言葉はあまりにも間抜けなものだった。だがそれでも先程から束さんが見せている表情は崩れない。余程嬉しかった事なのだろう。
「おかげで当たり前な事に気付けました」
「…………何ですか?」
「はるくんだけじゃなく、この世界の何処かに私の夢を理解してくれている人がいるかもって。私の世界は格段に拡がったのです」
だから『壊そうと思ってた』なのか。
少数かもしれないが、理解してくれる人はいる。それが分かったからこの人はもうそんな物騒な事はしない。
「……束さん、一つ訊いていいですか?」
「勿論、いいよ」
「……今の世界はどうですか?」
「────綺麗な事ばかりでもないけど、楽しくなってきたよ。はるくんのおかげでねっ」
「…………どういたしまして」
敢えてぶつけた俺の問いに目を見開いたかと思えば、直ぐに目を細めて笑顔で応えた。そう返されるとさすがに照れてしまう。
「だから世界を拡げてくれたはるくんとの縁を私は大切にしたい。きっと一緒にいた他の皆もそう思ってるよ」
「…………ですが、俺は皆を────」
「大丈夫、大丈夫」
何か言う前に束さんが優しく遮る。この人の事だ、きっともう知っているから改めて聞く必要もないのだろう。
「大丈夫、大丈夫だから」
柔らかい表情を浮かべながら繰り返し俺に大丈夫だと言う束さんに、母親が幼い子供に言い聞かせる姿を彷彿とさせた。
いつの間にか口調も聞き慣れたものに戻っているし、より一層この人が母親になったらというのを想像させる。と、いつまでも甘えてられない。
「……すみません、ありがとうございました」
「あっ……」
幾分か横になっていたらかなり楽になった。束さんが傍に居てくれたのもあっただろう。ただいつまでも膝を借りている訳にもいかないので一言お礼を述べて起き上がる。このところ寝てばかりだったので少し動きたくなった。
「ま、まだ寝てた方がいいんじゃ……」
「……いえ、おかげで少し元気になれたので散歩でもしようかと」
「うぅ……はい……」
残念そうに返事する束さんを横目に身体の調子を確かめるべく右拳を握るが、まだ本調子からは程遠いようだ。
多少は寝れたが寝不足には変わりないし、食事もまともに取っていない。何よりいつもいる相方がいないというのもある。
「あっ、そうだった」
「……?」
相方のいない右腕をじっと見つめていると、束さんは何かを思い出したのかごそごそと取りだそうとしている。
「はい、これ返すね」
「…………何で持ってるんですか?」
束さんが取り出したのは見慣れたブレスレット。俺のISの、ミコトの待機状態。渡されたそれを眺めているとたった三日間程度だったが随分長い間離れていた気がする。
「ちょっと検査したくてちーちゃんに頼んで預かってたの。結果は大丈夫だったから気にしないでオッケイ!」
「……はぁ」
気にしないでというが、そもそも何で検査したのか。まぁ検査と言いながら束さんも男性操縦者のデータが欲しかっただけかもしれないが。
しかし、そんなのも相方が戻ってきた喜びに比べれば大した問題じゃない。早速着ける事に。
ごめん、久し振りだな。待たせたか?
『今来たとことこ櫻井ミコト!』
ああ、元気そうで良かった。
「この子、はるくんの事すっごく気に入ってるから大切にしてあげて」
「……分かりました。大切にします」
『えっ』
「よろしくね。あと無理しちゃダメだよ?」
「……それも分かってます」
そう言って部屋を後にした。
季節は夏なのに部屋の外もエアコンが効いているらしく、涼しく快適だ。それでいて歴史を感じる内装も残してある。学生の旅行先としては随分と豪華なところだろう。
散歩ついでに飲み物を買うべく、廊下を歩いていく……更にそのついでに相方と話す事に。
ごめんな……お前がいない事に言われるまで気付けなかった。パートナーとして失格だ。
『春人』
俺の名前を呼んだ瞬間、身が強張って不意に歩みを止めてしまう。たった一言だけだったが、静かながら迫力ある言い方は初めて聞くものだった。
何を言われるのだろうか。表情が見えない分余計に分からない。一人不安に襲われて黙っているとミコトはその続きを口にした。
『それなら居なかった分、いっぱいお話しようよ!』
さっきの迫力ある声は何だったのかと思うほど、身構えたのが馬鹿馬鹿しく思えるほど底抜けに明るい声で。
そ、そんなんでいいのか?
『ミコトちゃんは理解力高い幼妻系ヒロインなのでそんなのでいいのです』
肯定と共に当初に比べて色々付け加えて言い返す相方に、ふと幼い少女が腰に手を当てて得意気に言っている姿が目に浮かぶ。少しだけ心が和らいだ。
そうか……ありがとう。
『いえいえ。ていうかさっきの私の挨拶可愛くなかった?』
いや、いつもと変わらないなとしか。
『嘘やん……ずっと考えてたのに……』
もっと他の事考えてくれ。
久し振りに相方と話しつつ外に出てみると、じっとしてても汗が流れるほど暑い。寝不足で弱った身体にこの暑さはかなり堪える。束さんとも約束したし、早く戻ろう。
たまに吹く潮風を浴びながら自販機へ向かう途中、モデルのようなスタイルと美貌の外国人女性がこちらへやってくる。この先の旅館に用があるんだろうか。
「こんにちは。あなたが櫻井春人よね?」
『んぅ?』
と思ったら用があるのは俺だったらしい。
「……そうですが何でしょうか」
「ごめんなさい、突然名前で呼んだりして。警戒させちゃったかしら。そんなに怖い目しないで、ね?」
一時はテレビで取り上げられるくらいは有名だったのを考えると名前を知られているのは何も不思議な話じゃない。突然名前を呼ばれたのは驚いたけど。
「…………すみません、これは元々です」
「あっ……そのー……ごめんなさい……」
「…………いえ」
俺の言葉にこちらの警戒を解こうと浮かべていた女性の笑みは一気に曇り、こちらも罪悪感で何も言えなくなってしまう。
しかし、この暑さの中で知らない人といるのは体調も相まってかなり気まずい上にしんどい。早くこの場から脱するためにも俺から言うか。
「……すみません、あなたは?」
「あ、ああ……私はナターシャ・ファイルス。IS関連の仕事をしているしがない社会人よ」
「……失礼ですが、ファイルスさんはどうしてここに?」
「うーん……何て言えばいいのかしら。それはそれで難しいわね……」
「?」
ナターシャ・ファイルスと名乗った女性はこちらの強引な軌道修正にも合わせてくれた。そのままの流れに乗って用件を訊ねると途端に顎に手を当てうんうんと唸っている。どうしたんだろうか。
『その人が持ってるISが春人に聞いて欲しい事があるんだって。ナターシャをここまで案内したのもそのISだよ』
この人のISが俺と?
今まで黙っていた相棒からの言葉で納得がいった。確かに普通だったらここまでISが案内したと正直に言えば何を言ってるんだとなるかもしれない。
『うん。話してみてあげて。あのペンダントがISだよ』
分かった。やってみる。
「……ファイルスさん」
「ん、何かしら?」
「……そのペンダント借りてもいいですか?」
「……あら、そんなにこのペンダント珍しい?」
単刀直入に言えば一瞬だけだが雰囲気が変わった。向こうからしてみれば気付いていないとはいえ、ISを貸してくださいと言っているのだから怪しまれるのも仕方ないが。
「……いえ、そのISが俺と話したい事があるみたいですので」
「え?」
だから正直に話そう。下手に嘘を吐いても余計に怪しまれるだけだし、そもそも得意じゃない。
「何を言っているの。幾らコアに人格があるとはいえISと話すなんてそんなの出来る訳ないし、そもそも私はISを持って……」
「……そのISがファイルスさんをここに案内したと聞いています」
「……はぁ」
呆気に取られたファイルスさんも直ぐに持ち直して言い返すが、続く言葉に何も言えなくなっていた。
溜め息を一つ吐くとゆっくりと首に掛けていたペンダントを外して差し出してきた。
「…………いいんですか?」
「そうしないと話せないんでしょう? でもおかしな事しようとしたら直ぐに取り上げるから」
「……ありがとうございます」
厳しい監視の元でファイルスさんの手のひらに乗せられたペンダントにそっと触れる。
『君は本当に俺の声が聞こえるの?』
ああ、ちゃんと聞こえてる。
『わぁ……君と話せて嬉しいっ』
懐疑的だった問い掛けに答えると聞こえてくる無邪気な男の声。何処か幼さを感じる声に既視感を覚えるも早速本題へ。
ごめん、俺も嬉しいけどファイルスさんにあまり迷惑掛けたくないんだ。手短に頼む。
『そっかぁ……それは残念』
仕方ないとはいえ、今にも飛び跳ねそうな明るい雰囲気から一気にしょんぼりと落ち込まれると罪悪感が凄まじい。何か言うべきなんろうが何を言えばいいのやら。
と、一人勝手に迷っている間に回復したらしく、再びはしゃいだように話し掛けてきた。
『ナタルに訊いて欲しい事があるんだ』
ナタル?
『ナターシャの事だね』
ああ、ファイルスさんの愛称か。それで何を訊けばいい。
『あのね────』
「……一つ、いいですか?」
「別にいいけど、お話はもう終わり?」
「……ファイルスさんの答えを訊いて終わりです」
「あら、何かしら」
目の前で疑るこの人を態々俺のところに連れて来てまで訊いて欲しい話とは何か。
「……空を綺麗だと思いますか?」
「────」
何て事はない、一緒にいる人が自分が綺麗だと思うものを同様に感じてくれているかだった。
元々突拍子もない話に加えてこの質問だ。警戒していたファイルスさんも思わず目を丸くして驚きを隠せないでいる。
「ええ、綺麗だと思うわ。この子と飛んでいると特にね」
『本当!? 嬉しい!』
「ねぇ、この子は何でそれを聞いてきたの?」
「……自分と同じ事を思ってくれているか気になったようです」
「ふふっ、そっかぁ」
しかし、それを見せたのも僅かな間のみ。今度は驚いた表情の代わりに眩しいばかりの笑みを浮かべる。
未だ触れているコアから喜びの声が聞こえる傍ら、さっきまであった敵意にも似たものは不思議と消えているのがどうしても気になって今度は俺が問い掛けた。
「…………何で急に警戒しなくなったんですか?」
「あなたが本当にこの子と話したって分かったから」
どうしてそう思ったのか。そう訊ねる前にファイルスさんはペンダントを撫でながら話してくれた。自分のISへの接し方といい、若いながらまるで母親を彷彿とさせる。
「この子ね、空を飛ぶのが好きなの。だからあなたが空の話をしてきて驚いちゃった」
「…………話せるんですか?」
「いいえ。でもね、一緒にいるんだから会話出来なくても分かる事はあるのよ」
会話出来なくても分かる事もある。一緒にいても分からなかった俺にすれば何とも耳の痛い話だった。
「勿論、会話しないと分からない事もあるわ。私はこの子が何で飛ぶのが好きなのかは分からなかったから」
「…………なるほど」
「だからありがとう。この子の事がまた一つ知れて本当に良かった……って、ごめんなさい」
唐突に鳴り始めた電子音により話は中断。短いやり取りを終えて改めて向き直ったファイルスさんは社会人が持つ暗い雰囲気を撒き散らしながら深い溜め息を吐いた。
「はぁ、折角のオフなのに来てくれだなんて……」
「…………そうですか」
電話している時の口調からしてそうだと思っていたが、どうやら今から仕事のようだ。休みの日にまで連絡が来るくらいなのだから余程頼りにされているのだろう。
こっちも心配してか束さんから連絡来てるし、タイミングとしてはちょうど良かったのかもしれない。
「また会いに来てもいいかしら? もっとこの子の事聞きたいわ」
「……明後日には帰ってしまいますが、それでも良ければ」
「ええ、今日働く分を直ぐ返してもらうから待っててねっ」
「……分かりました。ではこれで」
再会の約束を交わせばファイルスさんはその日を楽しみにしているのか、あれだけ嫌そうにしていた仕事へも軽い足取りで向かっていく。
「…………話せば分かる事もある、か」
自販機から出てきた飲み物を取りながら先程ファイルスさんが口にしていた言葉を繰り返してみた。俺にも出来るだろうか、そんな淡い期待にも似た気持ちを込めて。
『大丈夫。うちの春人はやれば出来る子だから』
そうかな……まぁ、そうだとしてもまた寝てからじゃないとダメそうだ。
『焦る必要ないよ。今日はゆっくり休んで明日やってみよ』
ああ、そうするよ……。
相方の励ましの言葉に応えたいとも思うが、少し外に長く居過ぎたようで足がふらつく。こんな程度でまた休まないといけないとは我ながら情けない。
倒れるように寝ていればすっかり日は暮れていて、寝るまで付き添ってくれていた束さんも何処かへ行っていた。
「うーん……」
代わりに山田先生が側で書類とにらめっこしている。うんうんと唸っている姿を見て静かに起き上がったつもりだったが、ただでさえ静かな部屋ではそれもあまり意味がなかったようだ。
「あ、起きましたか」
「……おはようございます」
「おはようございます。もうこんな時間ですけどね」
さっきまで唸っていたのが嘘のようにほんわかとした笑みで出迎えられた。
「どうしますか? 今ならまだ温泉入れますけど、その後にご飯にしますか?」
「……そうさせてもらいます」
山田先生に食事の準備をお願いして、必要なものを持って温泉へ。入浴出来る時間ぎりぎりのはずだし、もう誰もいない温泉に一人きり。
「『あっ』」
「おっ」
しかし、予定というのは狂うもので。入り口手前でばったりと一夏と出会ってしまった。完全に想定外だ。
何を言えばいいか分からず、俯き黙っていれば肩に手を置かれる。顔を上げれば笑みを浮かべた一夏が口を開いた。
「もう大丈夫なのか?」
「…………ああ」
「そっか。なら早く入ろうぜ」
「…………そうだな」
促されるまま付いていけばそこは二人には広すぎるほどの浴場が待っていた。
特に会話もなく、それぞれ自分の身体を洗っていく。一足先に身体を洗い終えて湯に浸かっていると遅れて一夏もやってくる。
「ふぃー……いい湯だなぁ……」
「…………ああ」
「今日は一日寝てたのか?」
「…………そうだな」
「ぷっ。お前、さっきからそれしか言ってないぞ」
何とも恥ずかしい指摘を受けてしまった。いや、その前に一夏に失礼だろう。
気を取り直すべく、思いっきり両頬を叩けば何とも良い音が鳴り響いた。ひりひりと頬が痛むがおかげで気合いが入った。
「……すまない」
「お、おう……別にそんな事しなくても良かったのに……」
ドン引きしている一夏へ今日初めてちゃんと目を向けた先、一夏の右手はビニール袋に、もっと言えばその中は包帯に包まれている。怪我をしているらしい。
「…………その右手どうした」
「ん? ああ、これか」
軽く振って見せる辺り、右手は完治しているようだった。相変わらず治るのが早い。
「ほら、この前レゾナンスで会ったやついたろ。春人と同じ中学で最後まで五月蝿かったやつ」
「……ああ」
「そいつ思いっきりぶん殴ったら罅入ってた」
「は?」
あっけらかんと言ってみせた内容に思わず出たのは間抜けな声。頭が真っ白になった俺は心の声をそのまま口にしていた。
「何で……」
「何言ってんだ。友達にあんな事しといて怒らないやついないだろ」
相変わらず聞いてるこっちが恥ずかしくなるような台詞をポンポン口にする。それが然も当たり前だという顔で。
そんな一夏が眩しくてしょうがなく、そこまで言ってくれるのに裏切っていたのかと罪悪感が襲い掛かる。と、その時だった。
「おい 」
「ぶっ!?」
一夏の声と共に突如飛来してきたお湯が顔面に直撃。そうなった原因を作ったであろう男を睨み付ける。
「…………何をする」
「どんよりしてたからお湯掛けた」
「…………鼻に入って痛いんだが」
「変な事考えて隙だらけなのがいけないんだ」
「……ほう」
「わっはっはぶぁっ!?」
鈍い音の後、ドヤ顔で高らかに笑う一夏の顔目掛けて大量のお湯が襲い掛かる。訂正、顔というか最早上半身全て巻き込むレベルだった。これは予想外。
一夏の頭の上に乗っけていたタオルが水面に着水。問い掛けられたのはそれと同時だった。
「おい……」
「……何だ」
「何した……?」
「……コイントスの要領でお湯を飛ばした」
「はーん……」
このように、と一夏にも見えるように温泉に浸かっていた右手を出して実演してみせる。親指に付着していた水滴を飛ばす程度だったが一応は納得したらしい。
「痛いんだが……?」
「……俺も痛かった」
「俺のは直撃した痛みだこのやろう!」
「…………隙だらけなのが悪い」
「隙なくてもあんなの防げるか!」
ぎゃーぎゃーと言い合っている内に頭を支配しつつあった嫌な思考が顔から滴る水と共に流れていく。
今までと何ら変わらないやり取り。たった数日程度交わさなかったそれが何だかあまりにも懐かしくて、嬉しかった。
「……一夏」
「ん?」
「ありがとう」
それを思い出させてくれた、あんな事があっても変わらずにいてくれた一夏には感謝してもしきれない。だから拙い言葉だがこの気持ちが少しでも伝わればと思って言ったのだが。
「あ、ああ……」
『ヴおぉぉ……』
何故急に頬を赤らめてぎこちなくなる。ミコトに至っては地縛霊みたいな声を出しているのは何だ。
「…………どうした」
「いや、何か普段笑わないやつが笑ってるの見るとこう、来るものが……」
『分かる……』
「…………そうか」
何が来てるんですか?
ねぇ、頬を赤らめて何が来てるんですか?
一夏にその気があるかもという記憶の片隅に追いやっていた事実を思い出し、それを切っ掛けにさっさと温泉から出る事に。時間も時間だったから仕方ない。
「じゃあ、俺はこっちだから。大丈夫かもしれないけど今日は夜更かしすんなよ」
「……分かってる」
「また明日な」
「……ああ。また明日」
「へへ、またな!」
別れる間際にまた明日という期待に応えれば嬉そうに全力で手を振ってくる一夏に苦笑いしてしまう。
そんな反応に照れ臭く思いながら部屋に戻ってみると、相変わらず山田先生が書類とにらめっこしていた。
「……ただいま戻りました」
『ただいまー』
「お帰りなさ、い……?」
軽く挨拶を交わすと山田先生の視線が書類から俺へと移り、不思議そうにじっと見つめている。
「……何でしょうか」
「いえいえ、行く前と雰囲気が変わっていたので。何かありましたか?」
何かあったかと言えばあったんだけど、そんなに分かりやすいのか俺?
『春人をちゃんと見てるんだよ』
ちゃんと見てどうこうなるレベルではないと思うんですが……まぁいい。
「…………その、友達と話してました」
一夏を真似てそう言ってみたものの、気恥ずかしさが勝ってしまう。やはりあまり口にする事でもないのかもしれない。あいつ凄いな。
だがそんな俺に山田先生は少し間を置くと優しく微笑んでくれた。
「そうですか。良かったですねっ」
「…………はい」
その後、持ってきてもらったお粥を食べていた。久し振りのまともな食事を味わっていると横にいる山田先生から熱い視線が。それもニコニコと笑みを浮かべて。
「…………何でしょうか」
「いえいえ、気にしないでください。あ、急いで食べちゃダメですよ。ゆーっくり食べてくださいね」
「…………はい」
気になって訊ねてもはぐらかされる。正直な話、めっちゃ食べ辛いんですけど。本当に何なんだろう。
ちなみにたっばさんが膝枕してたのは自分からしたのではなく、くーちゃんが強引にさせました。