Re:SAO   作:でぃあ

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ディアベルはん……!


第二話

 あの森での出来事から二週間ほどが経ち、その間迷宮区に潜り続けていたアスナは疲労と空腹を感じていた。

 

 虚ろな意識の中で思い出すのは、自らが殺されそうになったとき、黒髪の少年があの狼もどきを真っ二つにした光景。

 アスナはあの時、助かったという安堵と同時に、美しいと感じた。

 

 分断され、青い光となって散った狼の奥に見えた少年の眼。

 吸い込まれるような瞳の黒、その奥に見えたのは熱を感じるほどの意思の強さ。

 その意思を汲み取るように狼を両断した黒い剣。

 

 あのような美しさを、自らも持ちたい。あの人に追いつき、名前を聞きたい。

 そしてもし叶うなら、死ぬ前に感謝を伝えたい。

 

 そのために、アスナは睡眠も碌にとることなくひたすらに敵を倒し続けた。前に進み続けた。

 

 しかし、無理が祟ったのだろう。肉体的な疲労がなかろうと、気を張り続けていれば精神が疲弊する。

 精神を回復するためには睡眠なり食事なりをする必要があるだろう。しかし、今のアスナにはその時間すら惜しかった。

 

 今できることを全部する。

 最前線で戦い続けるには、がむしゃらに努力をするしかない。

 敵を倒し、レベルを上げ、あの人に追いつき、共に戦う。そして、いつか自分は死に場所を得るのだ。

 

 今のアスナにとってそれだけが目標であり、生きる動機でもあった。

 

 だが、そのような無理を続けた結果今の状況に陥った。

 注意力は散漫とし、気力で動こうにも、体力的に問題ないはずの足に力が入らない。

 

 精神的な疲れというのは、肉体にも影響するのか。仮想のものだけど。

 

 震える足を動かしつつ、アスナは前方に見えた扉を開ける。

 

――奥の部屋で少し休もう……。

 

 迷宮区においてはあまりにも迂闊。正常な判断ができれば絶対にしないであろう行為を、アスナは躊躇いなく行った。

 

 

 部屋に入ったアスナを待っていたのは休憩所であった。但しモンスターのという言葉が前につく。

 

 大斧を持つ狼型のモンスターが九体。

 

 ソロで動くアスナは基本的に一対一の状況で戦闘を行う。

 稀に一対二での戦闘もあるが、敏捷性を強化してきたアスナにとっては特に問題なく捌くことができた。

 

 しかし、九体。

 さらに周囲を囲まれ逃げる場所はない。

 

 消耗しきったアスナにとって、この状況を切り抜けるのは極めて困難だった。

 

――さすがにこの状況は厳しすぎるかな……。

 

 モンスターが一斉に飛びかかってくる。

 

 ターゲットがアスナだけである以上、スペースの関係から七体同時には攻撃できない。それを利用し、アスナは攻撃ができないモンスターたちの合間を抜け攻撃を加えていく。

 

 大斧は重いため、振りが大きくなる。

 アスナにとっては躱しやすい攻撃だったが、同時に一発も受けてはいけない攻撃でもあった。

 

 前方から迫る二体が振り下ろす斧の隙間を縫い、逆に足に一撃ずつ攻撃を加える。足を執拗に攻撃し続ければ多少は動きも遅くなるだろう。迫ってくる斧の下、横を縫って進み、背後に回りつつ足を攻撃し続ける。しかし、一度にせいぜい一回か二回しか攻撃を加えられない。ソードスキルを使えないこの状況では、アスナの攻撃は致命的に火力が欠けていた。

 

 敏捷性を高める代償は、筋力や体力。一発の重さではなく、手数とクリティカル攻撃の多さ。防御ではなく回避に特化させたアスナの構成は、対多数の戦闘において効果的である。

 アスナにはレベル相応の体力はあれど、敵の攻撃を正面から受け止めるための筋力や体力は持ち合わせていないのだから、当然逃げ回りながら攻撃することになる。

 

 しかし、集中力を欠いた今のアスナにはこの猛攻を躱し続けることは不可能だった。

 

 前方左右からの攻撃を回避し正面の敵に一撃を加えようとしていたアスナは、スペースが狭すぎるため一瞬足を止めてしまう。直後、背後から振られた大斧に気付いたが、回避することができなかった。

 

 大斧の一撃が、アスナの真後ろからクリーンヒットする。壁際まで吹っ飛ばされたアスナは自らのHPゲージを確認する。

 

 一撃死こそ免れたものの、一気にイエローまで削られたHPゲージ。横には一時行動不能(スタン)のステータスマークが点灯していた。

 

 一対一の戦いであっても決して受けてはいけない状態異常。それを一対七の状況で受けてしまった。

 

 ポーションも使えず、回避もできない。

 ただHPを削られるのを待つだけの状況。

 

――ここまでか。

 

 包囲を狭めた狼たちが、斧を振り上げる。

 

――最期まで頑張った。戦い抜いたから、いいかな……。

 

 迫りくる大斧を見つつ、アスナは思う。

 生き抜くことはできなかったけれど、戦い抜いて死ぬならば後悔はない。

 はじまりの町の宿屋で腐っていくより、よほどマシであっただろう。

 

――結局、あの人の名前を聞くことができなかったな。

 

 心残りは、それだけ。

 アスナは目を閉じ、振り下ろされた大斧を受け入れた。

 

 

「やらせるかよこの野郎!」

 

 

 聞き覚えのある声に目を開く。

 

 視界には見たことがある背中。

 そして、上下真っ二つになった狼もどきが三体。

 

「今回も間に合ったみたいだな、細剣使い(フェンサー)さん」

 

「貴方は……!」

 

「話は後だ、一先ずここを切り抜ける。動けるか?」

 

「え、ええ」

 

 ふらつく足に活を入れ、立ち上がる。

 HPゲージは黄色いままだが、一時行動不能(スタン)のマークは消えている。

 攻撃を行うことは十分に可能だった。

 

「背中は任せた、同時に行くぞ!」

 

 三カウントの後、同時に攻撃を仕掛ける。

 追いつきたいと思っていた背中が、今後ろに。

 背後の心配はない。ならば思う存分に動くことができる。

 

 三体が倒されたことで大きく空いたスペースを、アスナは最大限に活用する。

 アスナは持ち前の敏捷性でフェイントを仕掛け攻撃を外させる。それによってできた隙にアスナは渾身の≪リニアー≫を叩き込む。

 

 その速さはまさに流星の如く。

 散漫だった注意力が研ぎ澄まされ、左右から飛んでくる攻撃を容易く回避し、出来た隙に細剣による突きが吸い込まれていく。

 

――今までで最高に調子がいい。もっと早く……正確に動ける!

 

 アスナは無心に攻撃を繰り返す。背後で戦っている少年に攻撃がターゲットがいかないように誘導しつつ、自らを狙ってくる狼を青い光に変える。攻撃の手数を稼げる今、その火力は少年のそれに匹敵するほど高いのだから。

 

「突破口が開けた! 安全地帯に逃げ……こ……皆殺しですか!」

 

 黒髪の少年の声が聞こえる。

 気づいたら、自らを襲ってくる敵はいなくなっていた。

 

 少年の方も残り一体のようで、数秒後にはその一体も青い光となった。

 

「あの状況からよくもまあこんな戦闘を……あんま無理すると死ぬぞ?」

 

 少年が剣を背中の鞘に収めながら近づいてくる。

 確かに死んだと思った。少年が助けに入ってくれなければ間違いなく、黒鉄宮のAsunaの名前に二重線が引かれていたことだろう。

 

 少年の言葉に対して、お礼を口に出そうとするも、戦闘後で気が抜けたのか、意識が遠のく。

 

――また、助けられたな……。

 

 安堵と多少の悔しさを覚えながら、アスナの意識は暗転した。

 

 

 

 目が覚めると、見覚えがある森の中だった。

 

――ここは、迷宮区の外の……?

 

 体を起こして周りを見渡すと、木に背中を預けて目を閉じる少年の姿があった。

 

 物音を立てないようにそっと近づいてみる。

 

「おはよう、細剣使い(フェンサー)さん。よく眠れた?」

 

 どうやら起きていたらしい。

 すぐに目を開けて声をかけられる。

 

――見張ってくれていたのかしら。

 

 疑問を浮かべたアスナの心を読んだかのように、少年は言葉を続けた。

 

「よく眠っていたから起こすのもなんだと思ってね。噂になってたよ、迷宮区の奥で狼を突き殺す赤ずきんがいるって」

 

 笑いながら話す少年に対して、アスナは苦笑いしかできなかった。

 

 アスナは赤いフード付きのコートを装備しているため、フードを被れば確かに赤ずきんと言える恰好だった。尤も、手に持つのはリンゴではなくレイピアで、狼に食べられるのではなく食べる――経験値的に――側だったわけだが。グリム童話も真っ青だろう。

 

 仮想現実なのにロマンがない話だと、我ながら思う。赤ずきんぐらい可愛げがあれば、もっとうまく人付き合いができるのだろうが……。

 無いものねだりをしても仕方ないし、つい先程まで命のやり取りをしていたというのに、少年の飄々とした雰囲気はアスナの心の張りを緩めてくれた。会話がとげとげしくならなくて済む、今はそれだけで充分だった。

 

「また、助けてくれたわね」

 

「たまたまさ。ちょっと気になってね、少し様子を見に行こうと思ってきてみたんだ。そのおかげで今回は間に合った。でも、次は間に合うかわからない」

 

「でも、そのたまたまで、わたしは二回も命を助けられた。お礼ぐらい言わせてもらってもいいと思わない?」

 

 アスナは少年の横に腰を下ろし、膝を抱える。

 そして、心からの礼を、少年に伝えた。

 

「ありがとう。貴方のおかげで、わたしはもう少しだけ戦うことができそう」

 

 アスナはあの時、死んでもいいと思っていたのだ。

 

 一か月で二千人が死に、未だ第一層の攻略の糸口さえ見つけられていない。

 まるで進展がなく犠牲者だけが増えていくこの状況に、始まりの町ではクリアは絶望的という噂が流れ始めているという。

 

 正直なところ、アスナ自身クリアは不可能だろうと考えていた。

 一か月で一層、百層を攻略するためにはこのままのペースで百か月。八年以上の時間がかかることになる。仮にクリアへの糸筋が見えたとしても、現実世界の体がもたないだろう。長くても三年。その程度でクリアしなければ、このゲームに殺されなくとも現実世界での体が衰弱して死ぬ。三年も寝たきりで点滴のみの生活だ、体が弱ければこの時間はさらに短くなるだろう。

 

 どうあがいても、現状が続く限り生きて現実世界に戻るのは不可能なのだ。

 

 あの西の森で、アスナはこの世界を戦い抜くと決めた。

 現実世界の死を覚悟してなお、何のために戦うのか?

 

 それは死に場所を得るために他ならなかった。

 

 現実世界の結城明日奈はあの西の森で死に、このSAOという現実で生きるアスナが生まれた。

 自分は一度死んだのだ。もう怖いものなど何もなかった。

 

 ひたすらに前に進み、少しでも情報を残し、後に続く者たちのために死ぬ。

 マッピングをし、一度迷宮から出てマップデータをアルゴに送信してまた迷宮にもぐる。その繰り返しを二週間。

 碌に休憩を取らずにひたすらに攻略に突き進む姿は、まさに攻略の鬼と言えた。

 

 だが、それによって少しでも攻略が早くなるならば、それは本望だと、アスナは本気で考えていたのだ。

 

「もう少しだけと言わず、これから長いこと戦ってほしいもんだね。ただでさえ前線は人不足気味なんだ、君のような剣士に簡単に死なれるのは困る。助けたのが無駄になるのも、なんか気分悪いしな」

 

 しかし、隣に座る少年はアスナに死なれるのは困るという。

 どうせみんな死ぬというのに、なぜこの少年は……。

 

「それに、死ぬならマップデータを遺していってもらわないとな。ホントは寝てる間にやろうと思えば色々できはしたんだけど……」

 

 寝てる間……色々!?

 その言葉を聞いた瞬間にアスナの思考は全て吹っ飛び、細剣を少年に向かって突き出した。

 

「ヒィッ!?」

 

「あなた、わたしの身体に何をしたの……?」

 

「してません! 何もしてません!!!」

 

 ゆらりと殺気を放ちつつ少年に近づく。

 寝てる間にいろいろできるとこの少年は言ったのだ。

 

 つまり、わたしがさっき寝ていた時にこの少年は……!

 

「嘘おっしゃい……! 寝てる間にわたしの身体に色々と……その……したんでしょう!? そんなことする人じゃないと思っていたのに!」

 

「濡れ衣だ! 待って! できるってだけで何かしたってわけじゃないから!」

 

 盛大に慌てている少年を見て、アスナは少しだけ冷静になれた。

 そもそも何かするのであれば、こんなところまで連れてこないだろう。それこそ迷宮内の安全地帯で寝ている間に手足を縛られたら、こちらはどうすることもできないのだから。

 

「……まあ、実害はないようだし、何もなかったということにしておきましょうか」

 

 細剣を収めると心からほっとしている彼を見て、軽くため息が出てしまう。

 どうも本格的に、精神的に不安定になっているようだ。

 寝ている間に何かされたのではと怒っていたのに、ほっとしている少年を見ると、何もされてないのは女性としてどうなのかといった思考が出てきてしまうのだから。

 そんな何とも言えない葛藤をしていると、少年が立ち上がった。

 

「んじゃ、俺はそろそろ町に戻りますかね。君もそろそろ戻ったほうがいい。日が暮れてきたし、明日は大事な会議があるからね」

 

「大事な会議?」

 

「ああ、明日十六時からトールバーナの劇場で第一層ボスの攻略会議があるのさ。君は本調子じゃないようだし、今日は早めに帰って会議と攻略に備えたほうがいい。もちろん、君がボス攻略に興味があるなら、だけどね」

 

 そういって黒髪の少年はアスナに背を向けて歩いていく。あの時と同じように……。

 

 

 

 キリトが攻略会議の開催場所である劇場に着いたのは、会議が始まる直前だった。

 そこにはすでに三、四十名ほどのプレイヤーが集まっていて、主催者と思われる男がステージの前に立っている。

 

――結構集まってるな。さて、あの細剣使い(フェンサー)さんは……いた。

 

 客席の端に座っている赤いフードのプレイヤーを見つけたキリトは、「横失礼」と一声かけてから腰を下ろした。

 

「やっぱり来たんだな」

 

「当然。レベルを上げたのはボス攻略に参加するためだもの」

 

「まあ君なら十分過ぎるほど戦力になれるだろうな。体調が万全なら、だけど」

 

 瞬間ぎろりと睨まれる。

 そして昨日しっかり休んだから問題ないわよと言って前を向いてしまった。

 

 キリトは少女の眼光の鋭さに冷や汗をかきつつ、同様に前を向いた。

 会議が始まってすぐ、キバオウと名乗る乱入者がベータテスターに対する糾弾を行い、それをエギルと名乗る男が仲裁するという騒ぎがあったものの、それ以降は順調に会議は進んでいった。

 現在ステージ上では今回の攻略会議の主催者であるデイアベルと名乗るプレイヤーによる、ボスに関する説明が始まっている。

 

 ボスの名前は、≪イルファング・ザ・コボルド・ロード≫といい、でかい犬が斧と盾を持って突っ込んでくる。体力が減るとタルワールという武器に持ち替えることがわかっている。ボスの周りには≪ルイン・コボルド・センチネル≫という取り巻きが三匹popするため、三班を取り巻きに、残りの班をボスに当てるというのが基本的な戦法になるだろう。

 

 ディアベルはアルゴの配布している――多くのプレイヤーは知らないだろうが――ガイドブックを見ながら説明をしている。

 

 説明を受けたプレイヤーは皆納得をしているようだが、キリトには不安があった。

 その情報はあくまでベータテストでの仕様で、正式サービスでの仕様ではないからだ。

 

――あまり目立つことはしたくないんだがな……。

 

 質問を受け付けているディアベルに対しキリトは挙手で発言を求める。

 

「挙手してる君、発言をどうぞ」

 

「どうも。さっきディアベルさんが説明してくれたボスの武器や戦法なんだが、それはあくまでベータテストでの話ですよね? 正式サービスで変更が入ることもあるんじゃないかと思うんですが……」

 

「確かにその可能性はあるな。取り巻きの数が増えるかもしれないし、ボスが持つ武器に違いが出てくることもあり得るか」

 

「はい。確実じゃない情報を盲目的に信じてしまうと危険ですけど、他の可能性もあることを想定しておけば多少は対応しやすいと思います」

 

「そうだな……。わかった、ありがとう。基本的にはガイドブック通りに行くが、ボスの動きに違いがあることも大いにあり得る。その場合は現地で判断するしかないから、作戦変更がありえるということを頭に入れておいてくれ」

 

 ディアベルの言葉に皆が頷く。

 それを見てキリトは一息吐いた。これで盲目的な過信による犠牲は出なくて済むかもしれない。

 

「……意外ね。ソロのあなたは、あまり目立ちたくないのかと思ってた」

 

 横から聞こえる声は、多少の驚きが混じっていた。

 

「目立ちたくないのは間違いないんだが、指摘できることを指摘せずにそのままにするのはなぁ……。どうも最近、そういうのが放っておけなくて。一体どうしちまったんだか」

 

 キリトは苦々しい表情で答える。

 ソロプレイヤーの行動指針は自分中心。他者に極力関わらず、自己の力のみを頼りに行動するのが基本だった。

 

 しかし、最近のキリトはどうも世話焼きになってしまっていた。

 迷宮で危なそうなプレイヤーの援護をするのは前からだが、頻度は間違いなく上がっているように思える。

 

「よし、それじゃあ各自自由にパーティーを組んでいこう!」

 

 只でさえ苦々しかったキリトの表情は、この一言で苦虫を噛み潰したようになった。

 この攻略会議で顔見知りはいても、彼らは大体フルパーティーを組める友人関係を持っている。

 わざわざキリトに声をかけてくるとは思えなかった。

 

 つまり、キリトは必然的にぼっちになるのだ。

 

 現実世界でもぼっちだったなーと嫌なことを思い出し、キリトの纏う雰囲気は沈んでいく

 普段の狩りやフィールドボス程度ならともかく、階層ボスに挑むときにソロというのはさすがに不安だった。

 

 そしてぼっち同士の必然か、自らの横にいる人物も、自分と同様の沈んだ雰囲気を出していたことに気付いてしまった。

 

「その様子では、細剣使い(フェンサー)さんもあぶれるみたいだね?」

 

「まあ、グループがあるみたいだし。見知らぬ人と組むのもね」

 

「じゃ、じゃあさ! 今回のボス戦だけでもパーティーどうだ? 流石にボス戦にソロで参加するわけにはいかないし」

 

「……あなたから誘ってくれるなら、いいわ」

 

 返答を聞いたキリトは、メニューウィンドウからパーティー申請を送る。

 少女は申請を受託し、キリトの視界の右上にある自身のHPバーの下に少女の名前――Asuna――とHPバーが追加される。

 

――Asuna……アスナかな?

 

 少女を見るが、パーティーを組んだことに対しての反応は特にないようだ。

 互いの名前はHPバーの名前を見れば分かるわけだが、この少女が周りに名前を隠している可能性もある以上、下手に名前を呼ばないほうがいいだろう。女性プレイヤーにとって名前が広まることは決していいことではないし、この少女の場合他にも目立つ理由があるのだから。

 

――美人さん、だったもんなぁ……。

 

 初めて会った日、去り際にお礼の一言と共に見せてくれた笑顔。

 

 それは、キリトの脳裏に強く刻み込まれた。

 生まれてこの方家族以外の女性との関わりをほとんど持たなかったキリトには、女性から笑顔を向けられるということは余り経験がないことだった。リアルでの自分の視線は常に下向きに設定されているし、そもそも引きこもり予備軍の自分にわざわざ声をかけてくる人間などいない。好意的な視線や表情を向けられることなど、皆無と言ってよかっただろう。

 それでも生きて来られたのは、家族が自分に対してとても良くしてくれたこと。そして、仮想世界という逃げ場所があったからだ。仮想世界での、リアルとは無関係の人付き合いは、キリトにとって非常に重要な位置を占めていた。

 

 それが故に、キリトは彼女のことを気にかけていた。

 彼女が迷宮区に籠っている間、様子を見に行ったのは一度や二度ではなかった。アルゴからも様子を見に行ってやってくれと言われてはいたし、個人的にも彼女に死なれたくはなかった。自分に好意を向けてくれた人間を、むざむざ死なせたくはない。この感情が影響してなのか、他プレイヤーの援護をする機会も増えて行った。

 

 一昨日の迷宮区では、彼女が一時行動不能(スタン)をもらって動けないでいるところに出くわし助けることができた。

 その後、安全地帯まで移動してから一悶着あったのだが、その時彼女は「もう少しだけ戦える」と言った。まるで、自らの死が近いうちに来ると確信しているように。

 彼女は恐らく、死を望んでいる。

 自殺しようとしているのではない。殺されようとしているのだ。

 自らが全力を尽くし、後悔することなく戦い抜く。その結果が死であるならば、受け入れるつもりなのだろう。だからこそ彼女は迷宮に潜り続ける。まるで死に場所を探しに行くかのように。

 

 どれだけ気をかけていても、本人が死ぬ気ならばどうしようもない。キリトもフロントランナーである以上常に彼女を見ているわけにはいかない。このパーティーもボス戦だけの約束であるし、その後も組み続けるかと言えば、恐らく彼女は拒否をするだろう。彼女は他人を自らの死に場所探しに付き合わせたりはしないはずだ。

 

 それならば――視線だけを左上に向けキリトは思う。

 

 自分の視界にこのHPゲージが映っている間だけでも、彼女を守りたいものだと。

 

 

 

 

 パーティー編成があらかた終わり、その組み合わせに応じて役割が割り振られていく。

 

「君たちは二人パーティーか。さすがにボスの担当は厳しいだろうし、取り巻き担当の援護をお願いしたいんだが……」

 

「かまわないよ、了解。取り巻き潰しだって重要な仕事だし、二人なら遊撃もしやすいから」

 

 キリトはディアベルからの指示を二つ返事で引き受ける。

 先ほどパーティーを組んだ少女の意見は聞いていないが、否はなさそうだ。

 

 取り巻きならともかく、二人でボスを相手にするのは流石に危険が大きい。

 ボス戦でも突っ走ろうとするのかなとキリトは不安に思っていたが、この様子を見るにその可能性は無いだろう。

 

「よし、じゃあこんなところかな」

 

 各パーティーの担当が決まったところで、ディアベルが会議を閉める。

 

「ボス攻略は明後日の正午。集合は朝の八時にここで。俺たちはこれから連携の練習に行く。明日は自由行動で練習するもよし、休養するもよしで、鋭気を養おう。解散!」

 

 キリトの横にいた少女は、解散と聞いてすぐに劇場を後にしようとしていた。

 キリトは慌てて追いかける。

 

「なあ、連携練習参加しないのか?」

 

「……何が重要な仕事よ。遊撃って要は戦力外ってことじゃない」

 

「ま、まあ二人だから仕方ないさ。スイッチこそできても、POTローテなんて組めないしなぁ」

 

 攻撃や守備の担当を交代しながら戦うスイッチはパーティー戦闘の基本で、二人でも可能な動きだ。

 しかし、二人ではPOTローテ――回復アイテムを使用し体力が回復するまで後方に下がるローテーションを組むことはできない。

 

 定期的な回復をすることが難しい以上、常にターゲットをとり続けることはできないのだ。

 

「ね、ねえ。スイッチ……POTローテって何……?」

 

 あ、そこからですか。

 明日は連携の練習からだなと、気まずそうにしている少女を見ながらキリトは翌日の予定を立てるのだった。




次はボス攻略の途中くらいまで進みたい

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