アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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第十一話 フラムとひと月間の死の行進(中の二)

 剣を横にし、峰の部分で腹を狙い撃ち抜く。

「ぎゃあ」と潰れたカエルのような不愉快な悲鳴を上げ、人がふっとばされる。

 

 気絶して動かないのを確認し、次へ。

 剣の柄を強く握り、柄頭で敵の頭を撃ちぬくと、糸が切れた人形のようにその場に倒れ伏した。

 

 後ろから襲ってきた相手には、振り向きざまに蹴りをお見舞いしてやる。

 グニュリとした嫌な感触が足の裏に伝わる。

 

 思わず顔が歪む。

 

 けれど体は、日々の鍛錬で染み付いた動きを繰り出していた。

 

 蹴りの反動で体を正面に向け、相手の胸ぐらをつかむ。

 そのままふらふらとおぼつかない足取りの相手を地面にたたきつけるのは、片手だけでも簡単なことであった。

 

 ピクリとも動かない盗賊たち。

 

 ここに雌雄は決した。

 

 

 

 

 

 

 

 パチパチパチ

 

 軽い拍手の音が荒野に響く。

 手を叩いているのは褐色の肌を持つ美女、エマだ。

 

「よくできました。新人さんの割りには、なかなかやるわね」

「そうですか? 他の冒険者さんらがどれくらいのもんか知らないで、よくわからないんですが……」

「冒険者になったばかりの素人同然の人達だと、ここまで鮮やかに倒せないわ。自信を持ってもいいわよ」

「はは、そう言ってもらえると嬉しいですね」

 

 縄目のしっかりした荒縄で盗賊たちの手足を縛りながら、ザシャは朗らかに笑う。

 盗賊たちの数は全員で四人。一人はエマが倒したが、残りは全部ザシャの剣働きによるものだ。

 

(なるほど)

 

 思案げにアリアは顎に手を添える。

 

 確かにザシャは強い。

 さすがディオが太鼓判を押すだけのことはある。

 

 特に剣筋が早い。

 

 アリアは別に武術に造詣があるわけではない。剣に関してはド素人に過ぎないし、将来剣を振る機会もないだろう。目が特に肥えているわけでもない。

 だから、彼女にザシャの剣の腕がどれほどのものかはまったくわからない。

 

 ザシャの動き一つとっても目が追いつかなかった。

 ただ、目を白黒とさせてエマの後ろで馬を抑えているのが精一杯。元々訓練を受けている馬だからか、抑えるのもたいして労力を必要としなかった。荒事にも慣れている。

 馬は臆病な生き物なので、戦闘状態に入るだけでパニックを起こす危険性があるのだ。アリアのように騎乗の技術が未熟だと、さらにその危険性が上がる。

 馬がよく訓練されていたのでその危険性はなかったが、聖騎士御用達の軍馬でなければエマにも一緒に馬を見ていて貰う必要があったかもしれない。

 

 運の良いことに、そんな事態に陥ることもなく、今回アリアは、本当にただ見ていただけである。

 

 そして、じっくり戦いの経緯を見ていてわかったのは唯一つ。

 

 ザシャの武威はアリアの把握できる範疇を超えている、その事実だけである。

 

 まあ、それだけわかれば十分である。つまり、ザシャはものすごく強いということだ。

 護衛を任せるのに憂いはない。

 人の良いどこか抜けたところのある田舎者としてだけではなく、ザシャは有用な冒険者としてこれからも継続的に仲良くしていきたい相手と、太線でアリアの脳内に書き込まれた。

 

「これで全員か」

 

 盗賊たちを馬に引かせた台車に詰め込む。

 四人もいるので、台車は重さに抗議の軋み声を上げるが、それを引く馬は平然と台車を引いている。

 さすが軍馬ということか。なんとも力強いことである。

 

「さすがだねぇ。これくらいならびくともしないか」

「聖騎士様御用達のお馬さんだものねぇ。あたしが今まで見てきた馬とは大違い」

「ん? 馬をそんなに見てきたことがあるのかい?」

 

 エマの褐色の肌と銀色の髪を見てザシャはしみじみと呟いた。

 クスリと、口元だけで笑いエマが言葉をつなげた。

 

「ええ、あたし達の一族は馬車で街から街へと旅をする流浪の民ですもの。遊牧の民程ではないけど、あたし達とて馬の扱いはお手のものなのよ」

「ふーん、そうなんだ。おれの村に来たジプシーの人らは馬なんて連れていなかったけどなぁ……」

「それは多分一族が違うと思うわ。あたし達ジプシーわね、一族が違えば流儀がガラリと変わるのよ。馬車を使うものもいれば、ずっと徒歩にこだわる一族もあるし、中には馬を手足と同じように扱う一族もあるわ。あれには遊牧民も顔負けなんじゃないかしら」

「へぇ、そいつは知らなかったなぁ」

「外の人がジプシーのやり方を詳しく知ってたら、そちらのほうがすごいわよ」

 

 和やかに話し込むエマとザシャ。

 初対面同士というのに、すでに意気投合している。

 

 良いことである。

 

 冒険者同士の仲を心配しなくて良いのは、雇用者として安心できる要素の一つだ。

 

「さて、そろそろ二人共行きますよ。今日中には宿舎に着きたいので、これ以上時間を無駄に使う余裕はありません」

「そうねぇ、あたしも野宿よりは宿舎でのんびりしたいし、急ぐのは賛成だわ」

 

 それもそうだろう。

 誰が好き好んで野宿をしたいと思うものか。できるだけ、屋根のある場所でベッドの上で夜を明かしたいと思うのは人の常だ。

 そして、出来ればベッドの布団は柔らかく清潔ならなおよし、だ。

 

「あれ、宿舎? この先、ヴィラント山っていうすっごく魔物の出る山があるんだろ? そんなところに宿舎なんてあるのか?」

「ああ、そういえばここらへんにはきたことがありませんか」

 

 ザシャはザールブルグの人間ではない。エマのように旅慣れた人種でもなし。近隣の情報に疎いところがあるのは当然である。

 

「逆ですよ。そんな危険な場所だからこそ、不用意に人が行かないよう、そして魔物が人里に降りてこないよう見張りが必要とされます。

 さてここで一つ質問ですが、常時見張りが必要とされるような場所で、見張り役の人員をずっと野宿させて、無駄に疲労を溜めさせるような上司がまともな神経をしていると言えますか?」

「あー、そんなことしたらいざという時に疲労で使い物にならなくなる。というか、見張りの仕事すら失敗するようになる、か。俺達だって、狩りで山篭りすることはあるけど、せいぜい長くて数日だし、見張り役は何回にも分けて交代してるもんなぁ」

「その通り。飲み込みが早くて助かります」

 

 近年、採取を目的とした錬金術士がヴィラント山に向かうことが増えてきたため、宿舎を増設したという経緯もある。

 宿舎が使えるのは錬金術士にとってもありがたいが、宿舎の使用料も当然のことながらとっている。もちろん大半は国に渡さなくてはいけないが、幾らかは兵士の懐に入ってくる。見張り役の兵士にとっても小金稼ぎとなり、良い収入源となっているのだ。

 

 砂利の混じった道だからか、台車からガラガラと音がする。

 その音を耳にしながらアリア達は、ときおり他愛のない話をしながら歩いていく。台車の上で呻く盗賊たちが少々耳障りだが、宿舎に付けばさっさと引き渡せば良い。

 盗賊を倒したということで、微々たるものではあるが報奨も出るので、それも楽しみだ。今回の護衛費を埋め合わせることができたら最高なのだが、それはさすがにアリアの期待し過ぎか。

 

「あら、あれじゃないかしら」

 

 そう指差すエマの指先には、石で作られた建物があった。

 少し古ぼけているが、おそらくあれがアリア達の目指している宿舎で間違いはないだろう。

 

「あともう少しですね。皆さん、がんばってください」

 

 返ってきたのは、元気の良い声が二つと馬の嘶きが一つ。

 それが少し光が柔らかくなり始めた陽光に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 宿舎のすぐそばにまで寄って行くと、その建物の全貌がよく分かる。

 今まで歩いてきた街道は建物の前まで続いており、宿舎の中を通らなければ先に行くことができない作りとなっていた。

 簡単な関所がわりに使っているのだろうが、他国に行くときとは違い、通行手形は必要ない。

 こんなところで、ヴィラント山に行く人間を把握しているということは、ヴィラント山に行く人間の数は制御したいといったところか。それとも、下手な人間がヴィラント山に行き魔物を刺激するのを防ぐためか。

 

 見張りの塔は二塔。今役割についている人間だろうか、鈍い銀色の鎧を着込んだ兵士が塔の上にいるのが見える。

 同じように人の背丈を超える大門の前には、鎧を着込んだ兵士が見張りを行なっていた。

 

 アリアたちが今回向かうのはヴィラント山ではなく、その麓にある洞窟――エルフィン洞窟だが、この宿舎は丁度良い位置にあるので、今日はここで休む予定だ。

 明日、一日歩けば特に何事もなければ無事にエルフィン洞窟に着くだろう。

 

「すみません、兵士さんですか。私たちはヴィラント山麓での採取を目的としている錬金術士と冒険者です。本日一泊をお願いしたいのですが……」

 

 礼儀として紺色の帽子を取りながら兵士に話しかければ、彼は驚いたように眉根を跳ねあげた。

 

「ヴィラント山ですか? 今の季節に?」

 

 彼の疑問も最もだ。

 今の季節は三月。あとひと月待てば一年の中で最も安全に旅や採取活動を行える四月となる。

 今わざわざヴィラント山に向かうのは、自殺行為に近い暴挙である。

 

 今回は場所がずれているのでそこまで問題ではないが、普通なら善意で止められているだろう。

 

「正確にはヴィラント山の麓にある洞窟が目的です。ちょっと急に入用なものができたので」

「そうですか……。まあ、詳しくは聞きませんよ。礼儀に反しますからね」

「助かります」

 

 兜のためか顔はよく見えないが、この兵士はどうやら少し茶目っ気のある性格のようだ。

 きっと兜の下では片目をつぶって笑っているだろう。

 隙間から見える口元も、綺麗な三日月形だ。

 

 ただ、あまりにもそっけないアリアの返事のせいか、少し口元がひきつっている。

「何だこいつ?」と思われているかもしれないが、幼い頃からこういう性格だったので、もはや直し方がわからない。

 それ以前に、矯正しようという気もない。別に、あからさまに悪意をぶつけられるわけでもなし、昨日今日会って別れるだけの人の印象がどうなろうとアリアはまったく気にしない。

 ぶっきらぼうかもしれないが、礼儀は守っているし、何よりアリア自身こちらの方が気が楽だ。やりやすい。

 

「今の時期は人も少ないので、宿舎は好きに使ってください。厨房もありますんで。あ、ただし、料金はいただきますよ」

「それは当然ですね。おいくらですか?」

 

 宿泊料は思ったよりもかなり安かった。

 やはり人がいないからか、それとも元々安いのか。

 どちらにせよ、アリアにとって助かったことには変わりはない。素直に胸中で感謝させていただくとしよう。

 

 盗賊たちを引渡し、鍵をもらう。

 

 当てられた部屋は二部屋。それも二人部屋と一人部屋だ。

 女二人用に男一人用、というのがありありと分かる配置だ。

 

「じゃあ、あたしは先に部屋に言ってるわね。ちょっと剣の手入れもしたいし」

「ええ、私は少し厨房を見てきます。良さそうなら軽く夜食でも作ってきますよ」

「あら、それは楽しみね。期待してるわ」

「ご期待に添える代物かどうかはわかりませんが、私の腕をかけて作らせて頂きますよ」

 

「それで十分よ」と一言残して、エマは一人宿舎の奥に消えていった。

 その場に残ったのは、厨房に向かう予定のアリアと何やら手持ち無沙汰なご様子のザシャの二人。

 

「なにか?」

「え、いやぁ。なんかさ、まだ日が高いのに休むのも変な気がするもんだなぁ、って思ってさ」

 

「部屋に行って休むのもなんだかなぁ」とザシャは頭の後ろをかく。

 なんとも子供っぽい仕草である。

 

「とはいえ、今からでは日が落ちるまで大して時間はありません。ここで下手に無理するよりは、今日は野宿を避けて体力を温存するのが最善だと……」

「あ、いや、うん。それはわかってるんだ。ただ……」

 

 窓枠に手をつきザシャは、なだらかな稜線を描く山間を見つめる。

 山々は訪れた春の息吹を感じてか、青々と明るい新緑色の葉でその身を彩っている。

 

「何もせずにぼーっと過ごすのが苦手なんだよ。こんな時間があるならなにかしたいなーって思っちゃってさ。ははっ。ま、おれが貧乏症ってだけなんだろうけどさ」

「貧乏性、ですか……」

「そ、貧乏性。おれにとっちゃあ日が登ってから落ちるまで働くのが普通だったからなぁ。ちょっと休むっていうのに慣れていないのさ」

「たしかに貧乏症ですね」

 

 せっかく贅沢に休む時間があるのだから、浪費してしまえばいいのにそれをしない、する気もないのだ。

 これを貧乏症と言わずしてなんと言う。

 

「暇でしたら私の夕食作りを手伝ってくれませんか? もし、薪がなければ割っていただきたいのですが……」

「それくらいならお安いご用さ。朝飯前にできるよ」

「そうですね。何しろ……」

 

 そこでアリアは意地悪く言葉を区切った。

 

「わざわざ鉈を剣代わりに使うような御人ですしね」

「ごめん! そこでおれの過去を抉るようなことを言わないで!」

 

「あれしか持ってなかったし、仕方なかったんだよ―!!」と、打てば返すような返事が返ってくる。

 まったく、からかいがいのある御仁である。

 

「事実は事実として粛々と受け入れるべきですよ。人は過去をなかったことになどできないのですから」

「字面はかっこいいけど、それずっとそのことに突っ込まれ続けるってことだよね!?」

「人生諦めが肝心ですよ」

「当人が言う!?」

 

 そこでザシャは諦めたように、深い深い溜息をついた。

 

「あー、もういいや。それよりおれは何を手伝えばいいんだい? 順当に薪割りかな?」

「まずは厨房に行きましょう。話はそれからです」

 

 先程までの言葉の応酬を忘れたかのように、ザシャは晴れ渡った夏の空のごとくカラリと笑った。

 

「ん。まあ、力仕事は任せてくれよ。男なんだからそれくらいは率先してするさ」

「頼りにしてますよ」

 

 二人は並び立って宿舎の奥に向けて歩いて行った。

 和気藹々とした話し声は、いつまでも途切れることはなかった。

 

 

 

 

 こんがりと焼けた黒パンの上には、淡黄色のとろりとしたチーズ。狐色に焦げ目のついたそれは、一口食べるごとに香ばしい香りが口いっぱいに広がる。

 その後、舌に広がるのは乳の旨味。チーズのやわらかな食感が、黒パンの噛みちぎるのも難しい硬さを中和しながら、独特の匂いや酸味が穀物の味を引き立たせる。

 

 合間に食べるスープもまた格別だ。

 塩だけで味付けした単純なものだが、燻製肉から引き出した肉の旨味と味をキリリと引き締めるハーブの風味によって、簡素ながらも味わい深いものになっている。

 

 パンをスープにつけて食べるのもまたおいしい。

 硬いパンが水気を含み柔らかく食べやすくなるし、香ばしいパンと旨味がたっぷり含まれたスープの相性もこれまた最高だ。

 お互いの味を互いに引き立たせ、得もいえぬ調和を生み出している。

 

 美味い。

 

 語彙の乏しい田舎者が言葉に出せたのは、たった三文字の簡素な言葉。

 だがその中には、万の言葉を詰め込んでもなお足らぬほどの思いが詰め込まれていた。

 

「そこまで言うか」

「たしかにアリアちゃんの料理はおいしいけど、貴方のそれは言いすぎだと思うわぁ」

 

 ただしザシャの感想は、女性陣にはたいそう不評ではあったけれども。

 

「いや、本当に美味しくて。この黄色いのチーズっていうんですよね? 村にもこんなんがあればなぁ」

「ああ、そういえば辺境の村出身でしたっけ?」

「そうそう。だから凝った料理っていうのは少なくてねぇ。今日のご飯だって、おれの村じゃあごちそうだよ、ごちそう」

 

 一体ザシャはこれまでどんな食生活を送ってきたのだろうか。アリアは疑問が湧き出てくるのを止められなかった。

 

 アリアにとって今回作った料理は手抜き料理だ。材料も少なく、工夫する余地も少ない。ザールブルグでなら、もっと手の込んだ、もっと美味しい料理を作ることも容易い。

 

 それを「美味しい、美味しい」と言って食べてもらえるのは嬉しいが、少し胸がいたい。

 

「これくらいなら、いくらでも作れます。護衛に雇った時くらいなら、まあできるだけ作ってあげましょう」

「え、本当かい! そりゃ嬉しいなぁ!」

「ああ、もうがっつかないの。男の子でしょ」

 

 そうなだめるエマの手も、止まることはない。

 アリアの作った料理を美味しいと思ってくれているのだ。その行動一つで分る。

 

(まあ、喜んでくれるのなら悪くはないな)

 

 今度もここに来る機会があるなら、その時はもう少し良い物を作ってみるか。

 

 そう、アリアは決意するのであった。

 

 

 

 

 

 

 エルフィン洞窟。

 

 ザールブルグから徒歩で三日ほど、ヴィラント山の麓にある軍の宿舎から歩いて一日かかる場所にあるそれなりに大きな洞窟である。入り口はアリア達三人だけではなく、あと五,六人程なら一緒に入っていけるほど大きく、それ相応に中も広い。奥に行けば狭い場所もあるかもしれないが、入口近くなら馬で引いた台車も難なく入っていけるほどだ。

 

 洞窟だから日の入る場所は入り口から十数歩ほど。

 それより奥に行くには松明が必要だ。

 あらかじめ準備をしておいた松明に火をつける。

 赤い火が燃え上がり、同口の奥を照らす。光から逃れるように、足元を這いずりまわっていた虫達が、洞窟の奥へと逃げていく。

 岩陰などはどうしても光が届かないので薄暗い。そこから魔物が襲ってきたらことだが、傍を通り過ぎるときだけ気をつけていれば問題はない。

 

 ここではヴィラント山の頂上付近ほどではないが、良質なカノーネ岩が採れる。

 少し目を凝らせばこの洞窟を住処にしている蛇のものであろうか。脱皮して脱ぎ捨てた蛇の皮が、地面に散らばっている。大抵のものは魔物にでも踏み砕かれたのだろうか。使いものにならないほど微塵に砕かれている。

 形のしっかりしている幾つかは使い物になりそうだ。あまり場所も取らない小さなものなので、幾つかは採って自分の腰に下げた袋に入れておく。

 

 奥には地底湖もあり、その水は錬金術に使うこともできると聞いたが、今回はよほど時間に余裕が無い限り採ることはない。今回はカノーネ岩の採取を目的としてやってきたのだ。それ以外に目を向けるのは、あまりにも非効率だ。

 

「………………」

 

 無言で地面に手をつくアリア。

 ぱっぱっと砂を払いのけ、下半分が地面に埋まった赤い石を地面からのぞかせる。

 

 持ってきていた「初等錬金術講座」を開く。

 少し重いが、実物の確認にはこうした参考書が大層役に立つ。

 

 見た目には問題なし。

 軽く松明の火を近づけると、石だというのに火が音を立てて燃え移った。

 

 慌てず騒がず、被せ物をして火を消すと少し焦げ目ができてしまったが、正真正銘のカノーネ岩がアリアの眼の前にあった。

 

「これを九十個、か」

 

 地面から掘り出しながら、アリアは呟いた。

 残念ながらヴィラント山の頂上とは違い、エルフィン洞窟ではカノーネ岩はそのままの形で、地面の上に転がっていることは少ない。

 たいていは今のアリアのように、掘り起こして手に入れるしかないのだ。

 

 一人で採取をしていては時間だけがかかって仕方がない。

 

「すみません、お二方。今回は採取も手伝ってもらっていいですか?」

「あら、一体何かしら? 内容にもよるわよ」

「サラリと釘刺すなぁ……」

 

 冒険者とは本来そういうものだ。

 何でもかんでもホイホイ受けるザシャのほうがおかしいというのに、それを理解しているのだろうか。

 

 ……あまり理解していなさそうである。アリア考えることを放棄した。

 

「私一人だけだと十分な量のカノーネ岩を地面から掘り起こせません。どちらか片方だけでも、掘り起こすのを手伝って欲しいのですが」

「それならおれの方が適任かな。スコップかなんかある?」

 

 特にこだわりがないのか、躊躇なくザシャが挙手をした。

 流れるようにアリアから小さなスコップを借りると、アリアの教えたカノーネ岩を掘り出していく。さすが男の筋力というべきか、アリアが一つ掘り出す間にザシャは三つは地面から採っている。それも悠々と。

 

 なんとも羨ましい限りである。妬ましいくらいだ。

 

「じゃあ、あたしは周囲の警戒をしているわ。こんな所ですもの、どんな魔物が現れるかわかったものじゃないしね」

「すみません。よろしくお願いします」

「いいわよ。これくらいなら仕事の範囲内だわ」

 

 松明をエマに渡し周囲の警戒に移ってもらう。

 手元が少し暗くなるが、それはもう諦めるしかない。

 

 ザクザクと土を掘る。

 地面に少し出ている赤い石を目安にスコップで掘ると、こぶし大のカノーネ岩が出てくる。

 中には残念なことに調合に使えないほど小さかったり、掘り出せないほどでかい物もある。その時は涙をのんで諦めるしかない。

 

 ある程度大きさのあるものを中心に、二人は黙々と採取を続けるのであった。

 

 

 汗が流れ落ちる。息が弾む。

 少し赤みが指しているであろう頬を抑えると、手の平にじんわりと熱が伝わる。

 

 かなり掘り続けたので、どうにも疲労が溜まっているようだ。体のふしぶしが重く、倦怠感が前身を包んでいる。

 

 それも当然か、アリアの周囲にはもうカノーネ岩の姿が見えない。それほどまでに掘り返し続けたのだ。

 一箇所でカノーネ岩を探していると、その場にあったものは採り尽くしてしまったのか、新しいものが見つかりにくくなってきてしまった。もう少し奥に行かなくては、効率よ採集を行うことができないだろう

 

「少し奥で探してきますね」

「あら、そう。ならお馬さんも連れてくるからちょっと待ってて頂戴」

「はい、わかりました」

 

 素直に返事をして、軍馬のもとに駆け寄るエマを見送るアリア。

 ザシャは先程のやり取りに気づいていないのか、黙々と地面を掘っている。時折鼻歌まで聞こえてくるほどだから、機嫌は悪くないのだろう。

 それとも体を動かすのが純粋に好きなのか。

 どちらにせよ妬ましいほどの体力だ。八つ当たりに背中を蹴飛ばしたくなるほどだ。

 

 手持ち無沙汰になったので、少し周囲を見回してみる。

 見えるのは代わり映えしない灰色の岩肌。それと時折顔をのぞかせる赤い鉱石くらいなものだ。

 

「…………あ」

 

 そんな中少し気になるものをみつけた。

 少し奥に行ったところに、赤い拳大よりも一回りほど大きな赤い石が、岩陰のすぐそばに落ちている。

 あれだけ大きければ、カノーネ岩二個分はあるだろう。しかも幸運なことに、地面に埋まっている様子はない。

 

(おお、運がいいな、今日は)

 

 しかし最悪なことに、ずっと硬い地面を掘り続けたことでアリアには疲労が溜まっていた。

 常の判断力が鈍り、いつもなら絶対にしないような短絡的な行動をとってしまう。

 

 すなわち、護衛から離れての行動。

 ただ目に映るものを反射的に取ろうと、足を進める。

 

 そして運の悪いことは重なるのか、アリアが近寄った岩陰には一匹の魔物が隠れ潜んでいた。

 

 その魔物は、別に獲物を待ち伏せしていたわけではない。

 丁度良い休憩所として、自らの居心地の良い場所で体を休めていただけだ。

 

 その魔物の名は「吸血コウモリ」。

 その名の通り、人を襲い血を啜る魔物である。

 

 そして「コウモリ」である以上、その魔物には共通の弱点がある。

 

「光」である。

 

 そしてアリアの手元には一本の火のついた松明。

 いきなり弱点にさらされた魔物が取る行動は唯一つ。

 

 すなわち、脅威の排除である。

 

「…………っ!?」

 

 岩陰から飛び出し、アリアに牙を向ける吸血コウモリ。

 

 まったく予想もしていなかった、思ってもみなかった場所からの急襲。

 戦いの素人であるアリアに反応するすべはなし。

 

(つ、杖を……)

 

 腰に下げた魔法媒体にもなる杖。

 しかし焦りか疲労か、彼女はその最後の命綱を取り落としてしまう。

 

(あっ…………)

 

 カラン、と軽い音を立てて地面を転がっていくアリアの杖。

 その音を耳にしてようやく事態に気づいたのか、エマがこちらに向かってくるのが見えるが、遠い。

 

 絶対に間に合わない。

 

「…………くっ」

 

 せめてもの抵抗で、腕を顔の前で交差する。

 

 咄嗟の判断。

 

 少しでも、急所を避けようという本能での行動。

 

 襲い来る痛みを覚悟して、アリアは目を閉じた。

 

 

 

 

「………………?」

 

 しかし、痛みはいくら待ってもやってこない。

 不審に思い、恐る恐るまぶたを持ち上げる。

 

 そこには…………赤く染まったスコップ片手に仁王立ちするザシャの姿。

 彼の足元にはぐしゃぐしゃに潰れたコウモリの死体が一つ。

 

「おいおい、気をつけなきゃいけないじゃないか」

 

 あくまで爽やかに、どこまでも誠実にアリアを諭す姿は、どこからどう見ても近所の好青年といった風情である。

 

 片手に持つ血塗れのスコップさえなければ……。

 

(剣が無くてもいいんじゃないかな、この人……)

 

 あまりの絵面の酷さに笑えばいいのか、スコップで魔物を撲殺したという事実に恐れて泣けばいいのか。

 

 さすがのアリアも、この時どうすればわからず、二の句を続けることができなかった。

 そんなアリアの様子を不思議に思い、首を傾げるザシャ。

 

 薄暗い洞窟の中、微妙な空気を含んだ沈黙だけが彼女たちの間に広がった。

 その微妙な空気は、エマが軍馬を引き連れて戻ってくるまで、二人の間に流れ続けたのであった。

 

 ちなみに、戻ってきたエマにアリアがこっぴどく叱られたのは言うまでもない。

 

 

 

 余談だがこの三日後、全てのカノーネ岩は無事に集まり、アリア達三人はザールブルグへの帰路についたそうな。

 その時の彼女たちの様子は、まあ言わぬが花というやつだろう。


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