アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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第十二話 フラムとひと月間の死の行進(下)

 砂埃で灰色に薄汚れた外套が、風に揺れてはためく。

 細かい粒子が風に跳ねて顔に飛ぶ。目に入る埃で流れる涙が止まらない。

 顔についた砂埃も涙で流れ落ち、女とは思えないほど斑で歪な化粧と成り果てている。

 下手に顔をこすれば手についた汚れで、インクを塗りつけたように顔が黒く染まる。目にもゴミを押し付けることになるので、涙を拭うことすらできない。

 

(ザールブルグに戻ったら、お風呂屋に行きたい……)

 

 それは年頃の娘として当然な、そして切実な望みであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリアがザールブルグに帰り着いた頃には、もはや三月の中旬に入りかけていた。

 多少調合に失敗しても大丈夫なように、予備も含めてカノーネ岩を採ってきたのが仇となったか、予定と比べていくらか押し込んでしまったのだ。

 おかげで、採取地が離れているエリーのほうが、アリアよりも一足先にザールブルグに帰りついていた。

 

 約束していたエリーのアトリエまでザシャとエマの力を借りてカノーネ岩を運んでいったところ、すでに荷物降ろしを始めているエリー達の姿を見て、アリアは目を剥いたものだ。

 鼻の差であったので、調合の予定に支障はないが、もう一日帰りつくのが遅れて入れえば、エリーたちを無駄に待ちぼうけさせるハメとなっていただろう。

 

 見通しが悪すぎた。エリーの採取能力を甘く見積もり過ぎていたのだ。

 一度近くの森で、エリーの採取物に対する鋭敏な嗅覚を目にしていたというのに、それでもどこか見くびっていた。

「採取地にかかる日数も考慮すると、ザールブルグに先に帰還するのは自分たちだろう」と、そう考えて疑いもしなかった。

 

 まさかまさか、わずか一日で蜂の巣を必要数集めきるとは!

 

 称賛の念を覚えるほどの採取能力だ。惚れ惚れするほどに。

 

 採る時に蜂に襲われる可能性があるので、蜂の巣は採取にコツがいる。燻したりなんやりする必要があるので、どうしても時間がかかり採取効率は悪くなりやすい。

 アリアでは、たとえ逆立ちをしてもエリーと同様のことを行うのは不可能だろう。

 

 もしかしたら、なにかアリアの知らない方法で蜂の巣を採取していたのだろうか?

 疑問に思い直接尋ねてみると、エリーは何の変哲もない少し大きくて目の細かい網をアリアの眼前に差し出した。

 

 エリーが言うには、この網に松脂をつけ二本の棒に括りつけ網を広げた状態で、人の身丈の倍はある長い棒の先で蜂の巣を叩けばいいとのこと。そうすると、蜂はわんわんと騒ぎながら松脂の付いた網に突撃し、くっついて身動きがとれなくなってしまうらしい。

 

 ただもちろん、十分に離れていても網からそれて蜂がこちらを襲う可能性もあり、多少の危険はある。しかし、蜂の巣が採れるようになるまでの所要時間は、巣を燻して蜂の動きを鈍らせるよりもはるかに短い。しかも、方法も手軽だ。

 

「燻したほうが時間はかかるけど、確実かなぁ……?」

 

 首をひねりながら言っていたので、エリーにもどちらの方法が安全か確信をもって言えるほど詳しくはないようだ。

 

 あまり良く知らない方法を躊躇なくやるものだと口に出せば、「村の若衆のお兄さん達に教わった方法だからね」と腰に手を当て、胸を張るエリー。

「えっへん!」と口に出したわけでもないのに、声が聞こえてきそうな態度である。

 

 それを丁重に無視をして――無視をされたエリーは肩透かしを食らったのか少ししょんぼりしていた――アリアは手渡された網を引っ張った。

 軽く引っ張っただけでよく分かる。この網はザールブルグではなかなかお目にかかれないほど、丈夫に作られていることが。

 

 さすが田舎の村出身というべきか。

 持っている知識や技術が実践的だ。素直に感嘆の念が首をもたげるが、同時に悔しさも覚える。

 

 自然と役割分担がそうなったからとはいえ、頭脳役として採取計画と調合計画を立案した以上、計画性の不備はすべてアリアに帰する。

 アリアはエリーに確認すべきであった。どうやって蜂の巣を確保するつもりなのか、どれくらいの日数で必要数が手に入るのか。それを全て確認した上で、採取計画を立てるべきだったのだ。

 

 今回の件、間に合ったのは運が良かっただけにすぎない。

 一歩間違えればぎりぎりの時間しかない中で、無駄な日を作り出していたかもしれない。実際には大丈夫だったが、可能性があった以上アリアは反省せねばならない。

 

 自分では慎重に計画した行動でも、実際に事にあたるとその不備を露呈させてしまう。

 

 まだまだ未熟者なのだ。

 

 だが、いつまでもケツの青い子供でいるつもりは、アリアにはない。

 

 今回の状況はアリアにとって奇貨だ。

 計画をたてること、計画通りに実行すること、いざ失敗した時の対処法、全てがこれからのアリアにとって得がたい経験となる。

 反省すべきところは反省し、認めるべきところは自ら認める。そうすることで自らの成長につながるのだと、アリアは固く信じて疑わなかった。

 

「ちょっと、エリー。いつまでその子と無駄話をしているのかしら? 早く荷物を下ろしてくれないと調合ができないわよ」

 

 ぷりぷりと、怒気をにじませた声でエリーを呼ぶのは濃い紅色(べにいろ)の錬金服を着た少女だ。

 アイゼルと呼ばれたその少女は、咲き誇る大輪の薔薇のように、見る人に艶やかな印象を与える少女だった。少し釣り気味の深緑の瞳は、彼女の気の強さを表しているようで、陽の光を浴びて宝石のように輝いている。

 髪は黒檀。黒色を帯びた茶の髪は真っ直ぐ艶やかに彼女の背を覆っている。

 シミひとつない肌は健康的な白に照り輝いている。頬と唇の赤みがなんとも対照的で鮮やかだ。

 

 綺麗な人である。

 単純であるがそうとしか表現できない。

 

 怒る姿すら愛らしく、彼女の魅力を損なっていない。

 笑えばもっと可愛らしいのにな、とアリアは少し残念に思った。

 

「まあまあ、アイゼル。そんなに怒らなくても……」

 

 アイゼルという少女をなだめるのは、茶色の髪に茶色の目を持つ平均よりも整った容姿を持つ少年だ。

 優しげで所作が整っているからか、どこか育ちの良さを感じさせる少年である。

 

 ただ、地味だな。とアリアはにべもない評価を下す。

 アイゼルのように容姿が飛び抜けて優れているわけでもなく、エリーのように表情豊かなわけでもなく、小奇麗にまとまりすぎていてどうにも印象に残り辛い容姿をしている。

 言動からにじみ出る人の良さもあるのだろう。垢抜けしすぎて、アクがないのだ。

 

 だが、アリアはこの少年のことを覚えていた。

 なぜなら、彼こそがアリアの同期の中で最も有名な人間だったからだ。

 

 アカデミー新入生一位入学者、ノルディス・フーバー。

 この人の良さげな彼こそが、二百八十一人いる新入生の中で頂点に立つ男であった。

 

 

「ごめーん!」とアイゼルに泣きつくエリーを横目に、アリアは「うーん」と気の抜けた声を発しながら、首を傾げた。

 

 まったく接点の掴めない三人組だったからだ。

 

 エリーは、下から数えたほうが早いほど成績の悪いアリアよりも更に下、最下位アカデミー入学者だ。

 成績最上位のものと成績最下位のもの。顔を合わせることすら稀であろう二人がどこをどうして出会うことになったのか。

 

 そしてさらに不思議なのは、エリーとアイゼルだ。

 優しげなノルディスとは違い、このアイゼルという少女は見た目からして気が強そうだ。それに引き締まった口元には、生来のプライドの高さも見て取れる。

 進んでエリーのような――付け加えるならアリアのような――落第生と付き合うような人種には見えない。普通なら、エリーが例えアイゼルの目の前に立っていたとしても、路傍の石のようににべもなく立ち去るだけであろう。

 

 仕立ての良さからおそらく貴族であろうこの少女には、それが当たり前のはずだ。

 

 だから不思議だ。常識から外れているからだ。

 

 まあ、それは……。

 

「おかえりなさい、アリアさん。お待ちしておりましたわ」

 

 こちらも同じ事なのだけれども。

 

 そこに立っていたのは、百合のように清廉で麗しい少女であった。

 アリアの学友であるユリアーネ。彼女がそこで微笑みながらアリアを待っていた。

 

「ええ、只今戻りました」

 

 アリアの表情は変わらない。けれどもその声色は、何よりも親しみに溢れたものであった。

 

 

 

 

 アカデミーからアトリエ生が借り受けるアトリエは、大部分の作りは一緒だが間取りや位置取りなど細部がかなり違う。

 アリアのアトリエとエリーのアトリエもそうだ。部屋の方角、窓の位置、個人個人の私物まで含めれば違う箇所は数え切れないほどだ。

 

 だが、最も違うのはその広さだ。

 別にアリアのアトリエが狭いわけではない。だが、確実にエリーのアトリエはアリアのものよりも広かった。

 アリアのアトリエでは、今回のように五人も集まればかなり手狭に感じただろうが、エリーのアトリエでは五人全員がアトリエの中に入っても、まだ余裕がある。

 少し羨ましいが、本人はのんきなことに「掃除が大変なんだよ~」と嘆いている。

 

 宝の持ち腐れにも程がある。

 

 まったくもって微々たるものではあるが、アリアの口元に苦笑が浮かぶ。

 

 エリーの言動はのんきではあるが、どこか微笑ましいのだ。

 あるいは、こんなのんきな人間だから少しはしゃんとしろと、あえてこんな広めなアトリエをエリーに渡したのかもしれない。

 だとしたら先生方も人が悪いことだ。せっかくなので、もっとやることをおすすめする。

 

 口には出さないが思うだけなら自由だ。

 案外、アリアは性格が悪かった。

 

「で、あなた方お二人は?」

 

 いったいだれよ? と、アイゼルの緑の目が痛いほどに言葉を伝えてくる。

 それはこちらもなのだが――アリアも彼女のことはエリーが言っていた上の名前しか知らない――、質問に質問で返すのはあまりに礼儀違反であろう。

 素直に名前を告げる。

 

「レイアリア・テークリッヒといいます。私もエリーと同じくアトリエ生です」

(わたくし)の名はユリアーネですわ。ユリアーネ・ブラウンシュバイクと申しますの。あなたは、確か……」

「アイゼル・ワイマールよ。覚えておいてちょうだいね」

 

「覚えておいて」と口では言うが、どう考えても自分の名が忘れられるとは思ってもいない口調である。

「それにしても」と呟きながら、アイゼルは真っ直ぐにアリアと向かい合った。

 

 キッと眦をしかめるが、アリアの方が頭半個分は高いのでどうしても上目遣いとなる。

 上目遣いで睨んでも全然怖くはない。むしろ、意地っ張りな子供のようでどうにも可愛らしい印象ばかりが先立つ。

 

「あなたもアトリエ生なの? 寮生である私ですらそう何度も調合したことのないものを、あなたのような人が作れるのかしら?」

 

 とはいえ、その口調はあからさまにきつい。

 ほとんど詰問しているのと同じような調子だ。

 

 アリアの第一印象通り、どうもこのアイゼルという少女は少し気が強い高飛車な性格のようだ。

 

 ただ、アリアの面の皮の厚さとて負けてはいない。

 内心と同じように平然と、むしろふてぶてしくすらある態度でアイゼルの言葉を受け止めている。周囲のほうが二人の様子を見てあたふたとしているほどだ。

 

「仕事である以上やり遂げるだけです。受けたのなら、できないというのは言い訳にすらなりませんから」

「ふーん。まあいいわ。せいぜい私やノルディスの足を引っ張らないことね」

 

 そう言い捨てると彼女はくるりとアリアに背を向ける。

 もう話すことはない、とその背中が雄弁に語っていた。

 

「ごめんね、彼女ちょっと話し方がきついけど、悪い人じゃないんだ」

 

 次に話しかけてきたのは、不動の学年一位であるノルディス・フーバーだ。

 ハの字になった眉が、優しげな容貌に影を落としている。

 

「いえ、気にしてはいませんので」

「そう? それならいいんだけど……」

 

 ホッとしたようにノルディスは息をついた。

 

「ところで、あなたは?」

「ああ、僕の名前はノルディスだよ。確か君はレイアリアっていったっけ?」

「ええ、その通りです。よくご存知で」

「さっきアイゼルと話していたのを聞いていたからね」

 

 知ってはいたが礼儀として名を尋ねれば、素直に返答が返ってきた。

 手を差し出されたので握手で応じれば、そこにソプラノの高い声が割って入った。

 

「二人共、そろそろ喋っていないで調合を始めましょう。レイアリアっていったわよね。今回のお仕事はあなたとエリーが主体ってこと忘れてないわよね。私達はあくまであなた達があまりに無謀なことに手を出しているから、しょうがなく手を貸しているにすぎないのよ」

 

「おわかり?」と、子供に諭すように問いかけるはアイゼルだ。

 つまりさっさと手を動かして仕事をしろということか。

 口調は嫌味だが、言っていることはまったくの正論である。

 

 これ以上何かを言われる前に、さっそく調合を始めるとしますか。

 

 アリア達は互いに無言で頷き合い、自分の調合台へと向かい合った。

 目線だけ動かしてユリアーネを見ると、いつも通り柔らかな微笑を浮かばせていた。

 じっと見ていると、こちらに気づいて笑い返してくれたので、こちらも軽く口の端を上げて返礼とする。

 

 まあ、今はそれよりも調合だ。

 調合台の上にはアリアがかき集めたカノーネ岩がある。

 

 さてまずは、とアリアは頭のなかを切り替える。

 一瞬の後、そこにいたのは錬金術士の顔をしたアリアの姿。

 

 まずは、燃える砂だ。

 

 アリアは使い慣れた乳鉢と今回初めて調合に使うカノーネ岩を手にとった。

 

 

 

 

 

 今回依頼された品、フラムは錬金術で作り上げた爆弾だ。

 カノーネ岩を加工した燃える砂という可燃性の物質をロウで固め、衝撃もしくは魔力による反応で爆発するように作り上げる。

 

 調合時に気にかける点は唯一つ。燃える砂の扱いだ。

 その名の通り、燃える砂は砂状なのに火がつく火気厳禁の品で、空中に飛散している時に火をつけると大爆発を引き起こす。

 湿気りやすくもあるので、調合に使う時以外はしっかり密閉するのも忘れてはいけない。下手に放置すると砂が水分を含み、もう一度乾燥させても従来の可燃性や爆発力を発揮できなくなるのだ。

 

 燃える砂を調合するときは、下手に急がず火花が出ないようゆっくりと丁寧に調合することが肝要と参考書には記してある。

 ただ、実際にそれを行うとなると、これが案外難しい。

 

 意外と脆いのでそこまで力はいらないが、まずカノーネ岩を叩いてある程度の大きさになるまで砕く必要がある。ここでトンカチを使って勢い良く砕いていくと、火花が出て砕いたカノーネ岩全部に引火しかねない。

 乳棒でゆっくりと確実に砕いていかなくてはいけないのだ。

 そうしなければ――。

 

「うわっ!?」

「エリー!?」

 

 ぼわっとエリーの調合台から火柱が立ち上る。調合の失敗だ。

 

 顔を青ざめて慌てて――それでも錬金術士らしく、その手に持っていた調合器具と加工中の調合品は丁寧に机の上に置いていた――アイゼルがエリーに駆け寄る。

 急いでエリーの状態を確認するアイゼル。特に怪我らしい怪我もなく、彼女はほっと安堵の息をついた。

 

 エリーは燃える砂の調合中であった。急いで調合していたためか、砕いた時に出た火花が燃える砂に引火し火柱を立ち上らせたのだ。

 幸いなことに一瞬で燃え尽きたので、エリーの前髪が少し焦げた程度ですんだ。

 

 ただ、砕いていたカノーネ岩は真っ黒に炭化し、もう使い物にはならない。

 

 それを見て、アイゼルはキッと眦を釣り上げる。

 

「あなた何をしているの! 燃える砂を調合する時にはいつもの十倍は気をつけなさいって口を酸っぱくして教えたでしょう。まったく、本当どんくさいわね!」

「うえ~ん、ごめ~ん!」

「泣く暇があるならさっさと片付けなさい! 時間がないって私とノルディスに泣きついたのはどこのどなただったかしら!?」

 

 怒りからか心配した照れ隠しか、アイゼルの言葉には容赦のよの字すらない。

「まあまあ」とノルディスになだめられて、ようやくその舌鋒を緩めたが、エリーはいつもの様子が嘘みたいにしおれていた。

 

 仕方がない。

 

 アリアはそれと分からない程度に肩をすくめた。

 

「はい」

「あ、ありがとう。アリア」

 

 新しいカノーネ岩と予備の乳鉢をエリーの前に差し出すと、彼女は弱々しくそれを受け取った。

 

「肩を落とすな。失敗は誰にだってあるものだ。反省しないのは論外だが、あまり気にしすぎるのも問題だぞ」

「うん……。そうだね」

 

 とはいえ、その顔色は暗い。「気持ちを切り替えてきた方がいい」と、失敗の成れの果て廃棄物を片付けるよう命じると、エリーは肩を落としたままアトリエの奥へと消えていった。

 

 重症である。

 

 ジトリとした目で原因のお一人を見つめると、わかりやすくたじろくがすぐに胸を張りこちらを見返してきた。

 

「何よ?」

「いえ、何も」

 

 簡潔にそう返せば、アイゼルは逆に訝しげにこちらを見返してきた。

 何か言われるとでも思ったのだろう。

 

 逆だ、なにも言うことはない。どう考えても「言い過ぎた」と顔に大きく書いてある彼女に、わざわざ言うことがなにかあろうか。いや、ない。

 

 下手なことを言って仲をこじれさせるほうが面倒だ。

 

「ふうん。……まあ、そうよね。私が言ったことは全部当然のことですもの」

「……本当にそう思っておりますの?」

 

 そこで口を挟んだのはユリアーネだった。

 アイゼルの形の良い眉が、キリキリと危険な形に跳ね上がる。

 

「ええ、そうよ。当然でしょ。この私がわざわざ忠告してあげたのに、それを無視して無様な調合をするから、あんなあり得ない失敗をするハメになるのよ」

「たしかに彼女が失敗したのは事実ですわ。ですが、気をつけていても失敗することは誰にだってあります。それをあげつらって責めるのはいかがなものでしょう?」

「あなたに説教をされる筋合いはないわ。私は当然のことを言ったまでよ」

 

 傲然と言い放つアイゼルに、ユリアーネは溜息とともに小さな声で呟いた。

 

「心配なら心配したとそう素直にお伝えすればよろしいのに……」

「誰が心配した、よ! 勝手なことを言わないで頂戴!!」

 

 だが、その赤く染まった顔は、ユリアーネの行った言葉が図星であることを何よりも雄弁に告げていた。

 

 アリアは何やらその光景に見覚えがあった。同じ立場にたった人間は違えど、それは彼女が幼い頃から見てきたものの一つ。

 

 思い出した。

 

 ぽん、とアリアの手を叩いた間抜けな軽い音が、アトリエ中に響いた。

 他の三人の視線が集中する中、アリアはまったく意に介する事無くその口を重々しく開いた。

 

「照れ屋さんなんだな、アイゼルは」

「いきなり何素っ頓狂なことを言っているのよ、あなたは!?」

 

 何を言われるのだろう、と構えていたアイゼルにとってその言葉は、なんとも拍子抜けするものであった。

 ユリアーネは横から全部をかっさらっていったアリアに呆然としている。

 

 ぷりぷりと肩を怒らせて――とはいえ華奢な女の子なのでどうにも迫力がないが――調合台に戻っていくアイゼルを見ながら、アリアは心のなかで呟いた。

 

(やっぱり、少し似ているな)

 

 どうにもこうにもあの意地っ張り具合と不器用な性格が、彼女の知り合いと少し似ていたのだ。

 そう、男の意地と見栄とそれを素直に出せない不器用な性格のアリアの幼馴染。彼とアイゼルは、どことなく似ている部分があった。

 

 片付けの終わったエリーが調合室に戻ってきたのはそんな中であった。

 あまりに変化した空気に、エリーは小首を傾げるが、わざわざ彼女に何があったのか伝えるものは誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 ロウの調合は案外体力がいる。

 蜂の巣に含まれている蜜と蜜ロウが、完全に分離するまでずっと遠心分離器を回し続けなければいけないからだ。湯煎で溶かした蜂の巣は熱く、回しているだけで熱気で額に汗をかく。

 当然の役割分担として、体力に自信のあるアリアとエリーが遠心分離器を回し続ける訳に選ばれたのは、燃える砂の調合を終わらせた十日後のことであった。これはユリアーネ達三人は授業を受けながらの数字だから、かなり早い。

 

 蜂の巣を入れて遠心分離器を回していると、最初は蜜と蜜ロウの混ざり合ったものが出てくる。

 これを根気よく全部絞り出してから遠心分離器の中を見てみると、底や壁面にびっしりと潰された蜂や幼虫の死骸がくっついている。

 見た目からして愉快なものではないのだが、これを定期的にへらでこそげ落とさないと遠心分離機からの出が悪くなるし、蜜と蜜ロウに虫の死骸が混じってくるのだ。そうなると物の質も悪くなり、値も下がる。

 面倒かつ精神的にも嫌な作業だが、必要不可欠な仕事でもあるのだ。

 

 へらで死骸を落とすと、もう一度蜜と蜜ロウの混ざった液体を遠心分離機にかける。

 そうすると余分な蜜が遠心分離機から排出され、残るは見事な蜜ロウだけとなる。

 これを取り出し、中和剤(緑)と燃える砂を練り混ぜれば完成だ。

 

 蜜ロウに燃える砂を混ぜることで火の勢いを強くし、中和剤(緑)を混ぜることによりどれだけ火が熱くなろうと溶けにくいロウになる。

 この錬金術のロウで作り上げたろうそくは、明るく溶けにくいということで値段も高めだが人気もある。

 

 

 琥珀色の蜜を最後の一滴まで絞り出したことを確認し、蜜と蜜ロウを分けておいておく。蜜ロウは三人に渡し、蜜は疲労をとるためのおやつとして使う。なかなかの味で売ることも可能だが、これには魔力が含まれていないので、錬金術の産物である「はちみつ」ほど明確に疲労を取る効果はない。

 

「はちみつ」を錬金術で作るためには、遠心分離機にかける時に魔力を込める必要があるのだが、そうすると蜜ロウの大部分も溶かしてしまう。

 それゆえに、「はちみつ」と「ロウ」を錬金術では一緒に作り上げることはできない。錬金術でなければ、「はちみつ」と「ロウ」は同時に出来上がるものだというのにだ。

 

 少し不経済だな、とアリアは息をついて額の汗を拭いた。

 玉のように汗が流れ落ちるので、拭いても拭いてもきりがない。

 

 一息つくと口の中がカラカラに乾いていることに気づく。先程まで作業に集中していてまったく気づいていなかったが、一度気がつくとのどが渇いて乾いて仕方がない。

 手身近にあった水差しから横着してビーカーに水を入れ、一気に煽る。視界の隅でアイゼルが不快げに眉をしかめたのがわかったが、厨房からコップを取りに行くことすら億劫だった。

 

 遠心分離器を回しすぎて腕が痛い。

 軽く腕を揉み込み、筋肉のこわばりを解くが効果は微々たるものだ。しっかり休まなければ、この疲労は採れないだろう。

 

 他の面々も見ていると、どうにも疲労の色が濃い。

 ここは一度休憩を入れるべきだ。

 

 エリーにアイゼルとノルディスを任せ、アリアはユリアーネのもとに向かう。

 この三人は明日も授業があるので、早い目に切り上げさせなければならない。

 

 流れ作業が功を奏したのか、すでにロウは半分近く出来上がっている。

 

「後半分ですね。かなり良い塩梅だ」

「そうですね。材料も余裕がありますし、後はミスさえなければ、どうにかなりそうですわ」

 

 そう言って笑うユリアーネに、いつもの精彩はない。

 通常なら華のように美しい笑みも、どこか陰りがある。

 

「ユリアーネさん、明日は休みましょう」

「え、そんな、私は大丈夫ですわ」

 

 大丈夫ではないから言っているのだ。

 眼の下には軽くくまが浮いているし、いつもなら完璧に整えている身繕いも最近は必要最小限になっている。アリアでも髪や肌の手入れが若干疎かになっていることが分かるほどだ。

 

「明日は授業でしょう。無理したら倒れますよ。それに今回は私たちが無理して頼んだことですから、あなた方にまで無茶をさせるつもりはありません」

 

 断固として休むよう命じると、ユリアーネは不満気にしていたが、結局は渋々ながら頷いた。

 

「けれど、そうですわ。明日は休みますけれど、その代わり(わたくし)のお願い聞いてもらえますか?」

「私にできることなら」

「ならお願いですわ。……敬語をやめて(わたくし)のことをユリアーネと呼んでくださいませんか?」

 

 アリアは目を瞬かせた。

 そんな些細な事でいいのかと、首を傾げた。

 

「わかった、ならユリアーネと」

「ええ、ええ! それでいいですわ!」

 

 ただそれだけのことで、ユリアーネは飛び上がらんばかりに喜んで帰っていった。

 その後姿を見送りながら、アリアは「あれだけ喜ぶのならもっと早くに呼んであげればよかった」と、そう考えていた。

 

 ユリアーネたちが帰った後、アリアとエリーは夜中まで作業を続けた。

 途中まではアリアも遠心分離器を回していたのだが、単純作業の持続力はエリーが圧倒しており、作業の半場でアリアは蜜ロウに中和剤(緑)と燃える砂を練り込む作業に移った。

 

「ロウは明日で完成しそうだね」

 

 まだまだエリーには余裕がある。口調には張りがあるし、遠心分離器を回す手は力強い。

 

「この調子ならフラムも間に合いそうだ」

 

 ロウが出来上がりはじめた頃から、最も繊細な作業に向いているということで、ノルディスがフラムを作り始めていた。

 まだ二,三個ほどしか出来上がっていないが、明後日にもなれば全員でフラムの調合に移れそうだ。

 

「今回はありがとうね。あたし一人じゃあ、絶対に間に合わなかったよ」

「なに、この仕事はこちらの益にもなる。礼を言うのはこちらの方だ」

「それでも、ありがとう。えへへ、せっかくだから言わせてよ」

 

 それならば素直に受け取っておこう、とアリアは返した。

 二人の作業は夜中まで続いた。

 

 その日、彼女たちのアトリエから火が消えたのはすでに街中が寝静まったあとだったという。

 

 

 二日後

 

 一日休んだからか、ユリアーネ達の作業にも張りが戻ってきた。

 やはり疲労が溜まっていたのだろう。それがありありと分かる。それほどまでに、今日は三人の作業が見違えていた。

 

 フラムを作る時には、一度固めたロウをもう一度湯煎で溶かし、よく練りあげてから燃える砂を混ぜ込んでいかなくてはいけない。

 一度放置して熱をとらないと、どうもフラムの安定性が悪くなるようだ。二度手間であるが仕方がない。しっかり冷やしてからまた溶かし、三回に分けて燃える砂を練り込んでいく。いっぺんに燃える砂を混ぜれば爆発してしまうので、面倒だが分ける手間を惜しんではいけない。

 

 三回目に燃える砂を混ぜ込む時に、ロウを一部取り芯を作る。

 燃える砂の含有量を多くし、中央の爆発力を強めるのだ。この芯を中心として、燃える砂を混ぜたロウを固めていく。

 形を整形し、乾かせば完成だ。

 

 すべての作業を爆発させないよう精密かつ繊細に行わなければいけない。少しでも作業に狂いが生じれば、爆発の危険性があるのだ。常に気を抜くことはできない。

 

 ユリアーネ達三人の手つきは繊細かつ大胆であった。

 爆発しないよう丁寧に燃える砂を扱いながら、湯煎で溶けたロウが固まらないうちに燃える砂を練り込む手際は手早い。

 

 あまりこんな作業に慣れていないアリアは二度、少し不器用なところがあるエリーなど三度ほど湯煎し直したが、ユリアーネ達はそんなことをせずともフラムを作り上げていった。

 

 夕刻まで時間をかけて、ようやく湯煎をし直さずともフラムを作り上げるまで腕を上げたが、その時には調合した数の差で圧倒的に負けていた。

 

 ユリアーネ達は間に授業があるので、アリアたちほど時間がとれないのだが、ここに来て地力の差が出てきたのだ。

 

 やはり成績上位者はさすがだな、とアリアはもうため息しか出ない。

 なんとか失敗せずにすんでいるので、足手まといにはなっていないが、本来ならこの依頼はアリアとエリー――特にエリーが主体となるべきものだ。あまり不甲斐ない姿は見せたくない。

 

 せめて少しでも作業進度が追いつくよう、この日は夜が明けるまで火が消えることはなかったという。

 

 

 

 

 朝が来た。

 

 ちゅんちゅんと、鳥の鳴き声が聞こえる。

 

 いつの間に眠ってしまっていたのか、もうすっかり日が昇っている。

 

 慌てて調合台の上を確認すると、昨日のうちに調合していたフラムがきちんと整形用の型の中に入っていた。

 軽く叩いて取り出すと、もうすっかり乾いて固まっており、今すぐ使っても問題がない出来だ。

 

 震える手でフラムを手にとり、納品用の箱に詰める。

 

 できた。

 

 脳内にあるのはただその一言のみ。

 

 数を確かめる。箱のなかには三十個のフラムがきちんと揃っていた。

 

 もぞもぞと、アリアの後ろで人の動く気配がする。

 エリーだ。

 アリアが起きだしたので、エリーも目がさめたのだろう。

 

 調合台の上に上半身を投げ出していたエリーが起き上がり、こちらに寝ぼけ眼で顔を向ける。

 

「おはよー、アリア。どうしたの?」

「ん、ああようやくフラムの最後の一個が完成したんだよ」

「んー、そうなんだー。…………え、本当!?」

 

 緩慢な動きでもう一度寝直そうとしていたエリーが、ガバっと起き上がる。

 猫のように俊敏な動きでアリアの隣まで来たかと思うと、次の瞬間には箱のなかに顔を突っ込まんばかりの勢いで覗きこみ、数を数え始めた。

 

 一度数え終わると、ゆっくり二度確かめた後、エリーは後光が指しているかのごとく顔を輝かせ、アリアに飛びついた。

 

「やったよ、アリア! ようやく、ようやく完成したんだー。良かった、本当に良かった!」

 

 全身で喜びを表現するエリーが落ち着くまで、幾らかの時間を要した。

 アリア自身も見た目にはわかりにくくとも、たしかに喜んでいたので為すがままにしていたということもある。

 

 ゆっくりとアリアに抱きついたエリーが離れた後、アリアはいたずらを思いついた子供の顔で提案した。

 

「さて、ユリアーネ達が来るのを待とうか。どうせなら全員で納品しないか」

「あ、それいいね!あたしは賛成!」

 

 朝もやに包まれた町並みに、少女たちの明るい笑い声が響く。

 

 資金はかなり消耗したが、今回の報酬で充分に黒字となる。

 少し贅沢をして、どうせなら飛翔亭で祝うことにしようと、アリアは思った。ユリアーネ達がどれくらい喜んでくれるかは分からないが、それでも今日くらいは喜びを分かち合ってもいいだろう。

 

 一月間のデスマーチの終わりの日、彼女たちは初めての大仕事を成し遂げたのだ。

 

 

 コンコンと扉を叩く音が聞こえる。

 アリアとエリーは顔を見合わせた。

 

 きっとおそらく、あの扉の外には待ち望んだ人達がいる。

 

「はーい、今開けまーす!」

 

 のうてんきなエリーの声がアトリエ中に響く。

 長い間の修羅場のせいで汚れに汚れたアトリエを見渡しながら、アリアは思った。

 

 まずは、掃除だな、と。

 

 あまりにものんきな思考に、苦笑が漏れる。

 

 まあ、今くらいはいいだろう。

 

 そう自分で自分を許し、アリアは立ち上がった。

 彼女もまたアトリエの入り口へと向かう。

 

 さて、それでは今日を始めるか。

 

 彼女たちは二人でアトリエの扉に手をかけた……。


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