アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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第十三話 クラフトと妖精さん

 コンコン、という控えめなノックの音でアリアは目を覚ました。

 

 昨日、ひと月ほどの時間をかけて終わらせた依頼の成功を祝し、ちょっとした慰労会を行なったからかいつもよりも頭が動いていない。

 夜の遅くまでどんちゃん騒ぎをしていたからだ。まだ若年なのでお酒は飲んでいないが、夜更かしをしたので頭が重い。

 

 アリアはのそりとベッドの上から上体だけを起こし、周囲を睥睨(へいげい)した。

 

 物の少ない、良く言えば控えめで落ち着いた、悪く言えば地味で面白みのない内装の見慣れた部屋。女性の部屋らしく見た目は小奇麗に取り繕ってあるが、棚の上にあるきちんと手入れのされた鍛冶道具が異色である。下の棚には、この前興味を惹かれてつい購入してしまった竜の化石と鹿角ナイフがある。

 

 棚にはまっとうに簡単な化粧品も置かれていた。小瓶の中の化粧水はいくらか目減りしており、アリアが定期的にそれを使用していることがわかる。髪を梳く櫛は奮発したのか、庶民のものとしてはちょっとお高めの良い品だ。長年使ってきているのか、飴色に色が変わってきている。

 白粉(おしろい)やら口紅といった身を着飾る化粧品は見当たらないが、いろいろな小道具の存在が女性として最低限の(たしな)みを身につけていることを示していた。

 

 何度も見てきた、見慣れたアリアの寝室だ。

 

 それを寝ぼけ眼でぼーっと見つめながら、さっき聞こえた音を思い起こす。

 

 先ほどの音がお客様の来訪を告げる音だとアリアが気づくのに、たっぷり数秒の時を要した。

 

「しまった……」

 

 外を窓から見てみると、もうすでに日が高い。

 いつもなら朝の家事を終わらせ、調合や勉強に取り掛かっている時間だ。お客様が訪れるのにも良い時間帯である。

 

 完璧な、寝過ごしだ。

 

 慌てて起き上がると、階下からもう一度コンコンと扉を叩く音がする。

 

 催促する音に「ただ今参ります!」とひと声かけて、アリアは手早く身づくろいをする。

 お客様をおまたせするのはダメだが、見苦しい格好で出て行くのはもっとダメだ。

 

 最低限の身なりを整え、急いで――外見上はとても急いでいるようには見えなかったが。今日も鉄壁の鉄面皮は健在である――入口の扉を開ける。

 

「おまたせいたしまして申し訳ございません。ご用件は…………おや?」

 

 扉の向こうにいるであろう、と当たりをつけていたお客様の姿が見当たらない。

 首を左右に振って見回すが、どうにもこうにもそれらしい人影も見つからない。

 

 まさかイタズラか、とアリアが思い始めたその時だった。

 

「お姉さん、こっちこっち」

 

 子供らしい可愛らしい声が、アリアの眼下から聞こえた。

 ようやくアリアが目線を下に下げると――。

 

「あ、やっと見てくれたね、お姉さん。僕の名前はポックス。今日はね、お姉さんに贈り物があって来たんだ」

「………………はぁ?」

 

 そこにいたのは、緑色の服を着た四、五歳程度の子供。

 

 これがアリアと自らを「妖精さん」と名乗る一族との初対面であった。

 

 

 

 

 

 

 

 それを指先で弾くとカチーン、と金属特有の高い音が鳴った。

 けれど、触ってみるとその質感は金属というよりも、木のそれに等しくどことなく暖かみがある。

 

 不思議な腕輪である。

 

 あの子供から「妖精さんの腕輪」として渡されたそれは、アリアの知るどの金属にも当てはまらない特徴を持っていた。

 もしかしたら、何かの木材なのかもしれないが金属のような木などアリアの知識にはない。

 

「妖精さん」、それはアリアも名前だけなら知っていた。

 人間の仕事の手伝いをしてくれるという妖精さん。雇うのにお金はかかるが、その仕事量は小さな背丈の割に大人顔負けのものだという。腕が未熟な者もいるが、その分賃金は破格とのことだ。

 

 あのぱっと見では人間の子供が物珍しい服を着ているようにしか見えない存在が「妖精さん」だとはにわかには信じがたいが、この腕輪を見ていたら信じてみたくなってくるから不思議である。

 アリアは大まじめに頷いた。

 

 地図を広げてみるとザールブルグの南東に、まだ乾ききっていないインクで丸が書かれていた。

 この丸の場所が「妖精さん」がアリアに告げた妖精の森の場所だ。

 そこに行けば、妖精さんを雇うことができるらしい。

 

(人手、か……)

 

 ちょっと考えれば分かることだ。最近は仕事も増えてきて、先日などひと月でフラム三十個という大型取引を行う羽目となった。あれはまったくもって想像の範囲外ではあったが、これからどんな依頼がやってくるかわからない。

 王室騎士隊からの依頼をこなしたということで名声も少しは広まっただろうし、大口の取引もこれから増えるだろう。万々歳ではあるが、その分人手を増やさないといつかやってくる仕事に対処できなくなるだろう。

 

 今ですら家事と調合の両立がけっこう大変なのだ。

 今回の訪問は良い奇貨と言えるかもしれない。

 

 都合の良いことに、すでに月は四月を数えている。

 今日から王室騎士隊がザールブルグで討伐隊を盛大に繰り広げる。今日からひと月は女子供一人で街道を歩いていても、ほとんど危険らしい危険はないだろう。

 

 まあ、撃ち漏らしの魔物がいたら大変なので護衛はつけるが。

 魔法が使えるといえど、アリアは戦闘に関して一素人にすぎない。自分の実力を過信するのはあまりにも怖すぎた。

 

 慎重さというのは、結局のところ臆病さと紙一重なのだ。

 アリアはそれを実感と共に知っていた。

 

「はてさて、さてはて。そうと決めたなら、準備するとしようか」

 

 どうせなら準備は完璧なものとしたい。

 完全に完璧は不可能だが、完璧に近づけることは可能だ。そのためには努力をすればいい。手段も道具もアリアのアトリエには何もかもがきっちり揃っている。

 

 帳簿を確認すれば材料も余っている。素晴らしい、まったくもって素晴らしい。

 

「まずは調合、だな」

 

 昨日までフラムの調合を鬼気迫る勢いで行なっていたくせに、今日もアリアは嬉々としてアトリエに立つ。その姿は、もはやすでに一端の錬金術士と言えた。

 

 

 

 今回調合するのは木の実爆弾ことクラフトだ。

 これはフラムと同じく「火薬のしくみ」という参考書に載っていた調合品で、フラムよりも簡易な爆弾である。

 

 材料も近くの森に行けばいくらでも採ることの出来るニューズ。このニューズという木の実が少し厄介で、少し衝撃を与えるだけで弾け飛び、刺を飛ばすのだ。ニューズ単体なら威力も弱いのでそこまで深い傷はできないが、痛いものは痛い。

 自分の身の安全に直結するので、調合するときは慎重に行わねばならない。

 

 まずニューズの針の部分を全て切り落とす。この針はまた後で使うので、大切に残しておく。

 針を全部取り終わったら、皮の部分に切れ込みを入れ中の果肉と種を取り除く。種は使わないので捨てておく。大切なのは果肉の部分だ。

 

 この果肉は熟していくと腐ってもいないのに実がやせ細り、針や種を飛ばすためのガスを発するようになる。ただし腐るとなぜかガスを発さない。

 腐っていない証として、熟してやせ細った果肉を食べても腐ったもの特有の酸っぱい味はしないし、腹も壊さない。その代わり青臭い上に味自体はほとんど無味に近いので、まっとうな感性を持つ人間ならとてもではないが食べられた味ではない。

 

 この果肉を魔力を混ぜながら乳鉢で潰しそのまま置いておくと、加工しないものよりも大量のガスを発するようになる。最終的に潰した果肉は全部消え去り、跡形も残らない。加工しない果肉だとカスはいくらか残るので、加えた魔力が何らかの反応を引き起こしているのだろう。

 

 参考書を見てみると、なぜこのような現象が起こるのか、具体的な理論は載っていない。

 魔力をニューズの果肉に混ぜると、ニューズ内のガスを生成する成分が過剰反応し、本来なら残るような果肉すらも原料としてガスを作り出すのではないか、と記述されている。

 

 つまり殆ど仮説の域を出ない推論でしかない、ということだ。

 錬金術はそういうことがかなり多い。できることが多すぎて、それの原因が何なのか、何がもとでそんな反応が起こるのか、理論がわからないまま放置している部分があまりにも多い。

 

 喉元に小骨かなにかが引っ掛かったような感覚がする。

 仕方がないとはいえ、わからないものをわからないまま放置するというのはあまり気分が良いものではない。

 

 だが、今のアリアでは教科書に載っていることをそのまま使用することしかできない。なぜそうなるのか、理論を調べようにも何から手を付けるべきなのか一歩目から皆目検討もつかないからだ。

 手当たり次第に調べてみる、という方法もあるがこれは論外だ。アリア程度が思いつくようなものなら、アカデミーの先生方が試していないはずがない。

 

 つまり、調べてみても徒労に終わる可能性が高すぎる。そんなものに時間を割いている余裕などありはしない。

 

 必然、調合に集中するしかない。

 フラムほどではないが、クラフトも危険性の高い調合品だ。集中するにこしたことはない。

 

 丈夫だが小さな皮の袋に切った針を詰めていく。

 隙間には先ほど潰した果肉を塗り固める。隙間なく詰め込み、針が動かないよう固定出来れば半分出来上がりだ。

 

 あとはこれを日向において果肉の反応を進めれば完成だが、丈夫な皮の袋といえど、針の位置に気をつけなければガスで押し出されて突き破る可能性がある。

 袋に穴が空けばそこからガスが漏れ出てしまい、とてもではないが使い物にはならない。つまりは失敗だ。

 

 そんな事にはならないよう針の位置に気をつけて組み立てていけば、五個中四個は無事に完成した。一つだけ針が袋を突き破ってしまったが、まあ初めての調合で失敗が五個中一個なら及第点だ。

 針の詰め方のコツはもう覚えたし、次からは全部成功させることも夢ではないだろう。

 

 ツンツンと針の形に膨らんだ袋を箱に入れて棚に置いておく。誤爆しないように間に綿を詰めて保管することにした。

 

 

 

 

 旅という行為は大なり小なり人に開放感をもたらす。

 未知の土地に未知の風景。そこにどこまでも高い、手の届かない青空が広がれば完璧だ。

 未知は自らの狭い価値観を打ち崩し、透けるような青空は視覚を通じて自分を縛るものなどないことを教えてくれる。

 

 たとえ数日間だけの短いものでも、旅というものはなかなか快いものだ、とアリアは気に入っていた。

 

「あー、気持ちのよい青空だねぇ。昼寝とかに丁度よさそうだ」

 

 脳天気なことを木の抜けた声でのたまってくれるのはザシャであった。

 今回の旅――妖精の森までの道の護衛としてアリアが雇った唯一の人間である。

 

 今回の旅は四月ということもあり、しっかりかっちり冒険者を雇う必要はない。

 一人もいれば十分だが、何が起こるかわからない以上ある程度の腕利きは確保したい。できるだけ安い値段で。

 

 そうしたわがままな条件を兼ね備えたのが、ザシャであった。

 剣の腕前は前回の冒険でとくと教えてもらったし、雇用費も腕に見合わず破格のお値段だ。ザシャが個人的にアリアに対して恩義を感じているのもあるが、まだ冒険者になってから日が浅く実績も少ないので高い賃金を要求すると誰にも雇ってもらえないのだ。

 

 あまりにも安い値段にアリアですら少し色を付けてやろうか、と考えたほどだ。

 けれども、それはザシャによって拒否をされた。一度決めた値段を不当に吊り上げる気はない、と。

 

 そして「どうせ色を付けてくれるんなら、働きぶりを見てから決めてほしいね」と不敵に笑う姿に呆れながらも同意したのだった。

 

 まあ、それだけ自分の腕に自負があるのなら、それはそれで構わない。口先だけじゃない実を伴った自信は、見ていてなんとも快い。

 純朴そうな見た目の割りに、中身は存外しっかりしたものを持っている、とアリアはザシャの評価を新たにした。

 

「残念ですが昼寝をしている時間はありませんよ。できるだけ今日中に距離を稼いでおきたいですし……」

「いやぁ、本気じゃないから。さすがに魔物が普通に出るような場所で寝っ転がるほどのんきもんじゃないからね」

「そんなことをするようなら頭の中身を疑います。おが屑でも詰めておいたほうがまだましでは?」

「はは、まったくもってその通りだ」

 

 カラカラと笑う顔に影は欠片も見当たらない。

 脳天気に締りのない顔をだらしなく破顔させている。

 しかしながら、その笑い方が素朴な顔形をしているザシャにはこの上なく似合っていた。

 

「ま、寝るなら夜だ。それより今は腹いっぱい食べることのほうが重要だな」

「携帯食料だけでは足りませんか?」

 

 そう尋ねると、ザシャは大きく頷いた。

 

「うん、足らないな。だから鹿でも兎でも何でもいいから出てきて欲しいもんだよ。獲物は大事な食料だしね」

「猪や熊が出てきたら?」

「そいつはちょっと厄介だな。狩れないことはないけど、君を守りながらやるのは骨が折れそうだ。戦わなきゃいけない状況ならまだしも、今日のところは君を抱えてケツまくって逃げたほうが良さそうだ」

「おや、私はお荷物になればよろしいので?」

 

 荷物のように肩で担ぎ上げられるさまを想像してアリアが一言のたまった。

 それに返すは「当然だろ」とでも言いたげなザシャの顔。

 

「だってそっちの方が速いだろう?」

 

 それ以外に重要な事柄など無い、と真面目くさった顔でザシャは宣言した。

 

 たしかにその通りである。

 前回雇った時の動きを思い出せばすぐに分かることだ。

 

 あの脚さばきに速さ。どう考えても、アリアに真似できるものではない。下手に競争なんぞすれば、あっという間にその背中を見失うことだろう。

 

「そうですね。私ではあなたの足の速さには勝てませんから」

「そりゃあ冒険者なんてヤクザな商売をやってる人間だからね。一般人に身体能力で劣ってちゃあ食ってなんていけないよ」

「おやおや、もう何度も外で採取活動をしている私が一般人ですか……」

「違うのかい?」

 

 答えがわかりきっている問いを尋ねるかのようにザシャが聞いてくる。

 まったく――。

 

「違いませんね」

 

 まったくもってその通り。いくら旅慣れたとはいえ、一般人とそう大差のない身体能力しかアリアは持っていない。

 冒険時には彼のように戦い慣れたものの力を借り受けなくてはいけない。

 

「ですので今回は頼りにさせて頂きます。まあ、四月ですのでそうたいした危険性はないと思いますが、せっかくお金を出して雇ったのですから賃金分は働いて頂きます」

「はいはい。この程度のお金じゃ足りない、って君が思うくらいの働きをお見せいたしますよ。それでいいかい?」

 

 少し気取ったふうに会釈をするザシャを見て、アリアの口角が僅かに上る。

 よろしい。ならばそれが口だけではないところを見せていただこうではないか。

 

「上等です。私の評価は辛口ですので、厳しい結果に終わっても泣かないでくださいね」

「泣かない泣かない。おれだって男の子だしさ、きっついこと言われてもそれを次に活かす糧にしてやる、くらいの気概はあるよ」

「おやおや、それなら手心はいらないというわけですね」

「手心なんて加える気があったのかい? その時点で疑問なんだけどさ……とっ!」

 

 一閃。

 

 流れるような動作でザシャが腰に指していた小ぶりのナイフを、茂みの中へと投げつけた。

 茂みを揺らした音で驚いたのか、近くに潜んでいたトリたちが一斉に空へと飛び立った。

 

 何をしたのか、アリアは一瞬わからなかった。

 ガサガサと藪をかき分けザシャが茂みの中に屈みこんだことで、ようやくそこに何かいたことがわかった。

 

 屈みこんでいたザシャが、右手に何やら白いものを持ち、こちらに手を振る。

 

「おーい、今日のご飯が増えたよ―!」

 

 彼の右手に掴まれた白い塊、それは頭にナイフが刺さった一匹の兎であった。

 

 呆気にとられ、アリアは目を丸くする。

 一体いつ兎の存在に気づいたのか。

 

 手際よく首の血管を切り、血抜きをするザシャ。

 木の棒に両足を括りつけて吊り下げる手つきにもまったく淀みがない。慣れているのだ。

 

「まったく、宣言した直後にコレですか……」

「ははは、まあどうだい。おれの働きっぷりは?」

 

 ニカッと大口を開けてザシャは笑った。

 そんな邪気のない姿に、アリアは呆れて何も文句をつけることもできない。

 

 溜息一つ。

 

 仕方がない。

 

「ええ、そうですね。褒めて差し上げます。これでよろしいですか?」

「ああ、うん。十分だ。その言葉だけで十分すぎるほどだよ」

「それはそれは。恐悦至極」

 

 まったくもって、安い男である。

 この程度の言葉で満足するなど、もう少し要求しても良いというのに。

 

 けれどその喜色で溢れた顔が、彼の話す言葉が嘘偽りのないものだということを何よりも雄弁に語りかけてくる。

 

(欲のない人間だ……)

 

 実績には正当な評価を下せねばならない。

 相手の働きにきちんと報いてやらねば、いつか自分に跳ね返ってくるものだ。

 よく言うではないか、「正直は最善の策」と。下手に理屈をこねくり回して一時の利益を得ても、長期的に見れば自分の信用を切り崩して売っぱらっているにすぎない。

 それなら信用の貯蓄をして、いざというときにつぎ込んだほうがよほどましだ。貯蓄とはそういうものだ。

 

 だから……。

 

(今回の旅が無事にすんだら、少しは賃金におまけを付けてあげよう。もちろん、狩りで獲物をとってくることは必須だがね)

 

 毎回はさすがに無理だろうが、少しは期待させてもらっても良いだろう。

 自分の考えに、アリアは口元を隠しながらほくそ笑むのであった。

 

 

 

 

 本当に豊かな森とは、物語にある魔の森のように鬱蒼と木が生い茂り、人も動物もすべてを飲み込み自らの養分とする不吉で不穏なもの、――ではない。

 

 木々は麗しく天へと伸び、その薄い翡翠色の葉の隙間から木漏れ日が降り注ぐ。

 土色のたくましい根本からは赤・黄・白といった色とりどりの花々が慎ましく咲きほころび、人の目を楽しませる。

 時折聞こえてくる木を叩く音は啄木鳥であろうか。忙しなく木を突っついているのか、ココココッとくちばしを木に打ち付ける音が止むことはない。

 

 うららかで気持ちのよい森だ。

 ザールブルグに近ければお弁当をもってピクニックと洒落こむのも楽しそうだが、この森まで片道四日分も離れている。とてもではないが小洒落たピクニックなんてできやしない。

 

 アリア達がたどり着いた妖精の森。それは、街から離れているからこそ自然の美しさを残したまま保たれた神秘の森なのかもしれない。

 

「はてさて、さてはて。地図上ではもうすでに目的地にありますが、妖精さんとやらはどこにいるのでしょうか。あなたは知りませんか?」

「いやあ、おれもここに来たのは初めてだからね。さすがにわからないなぁ」

 

 頭を掻きながらのたまうザシャ。

 最初から期待はしていなかったが、身勝手ながら少しだけ落胆する。

 

「それは残念。非効率的ではありますが、探して歩きまわるしかないでしょうね」

「ま、散歩にはちょうど良さそうな森だし、たまにはのんびりするのもいいんじゃないかな」

「貧乏暇なしとも言いますからね。今まであなたにはまともな休日はありましたか?」

「聞かないで……。お願い……」

 

 貧乏暇なしだったのはアリアも同じだが、それを教えず一方的にからかってやる。

 大の大人が肩を落としてとぼとぼと歩く姿はどことなく哀愁ただようものがある。見ていて笑える、となにか意地悪な気持ちが沸き起こる。

 

 それを振り払うように、アリアは言葉を紡いだ。

 

「まあ、そんなどうでもいいことは横に置いておいて、今は妖精さんを探さなくては。呼べば出てくるでしょうか?」

「妖精さーん! てかい?」

「はーい!!」

 

 すぐそばから聞こえてきた幼い声に驚く。

 二人は声の方向に――自らの足元に目を向けると、そこには緑色の服を着た四、五歳程度の子どもがいた。

 

 アリアは知っている。彼が妖精さんだと。

 

「ポックス?」

 

 なぜなら、彼女のアトリエにやってきた妖精さんと名乗った子どもとまったくの瓜二つだったからだ。

 

「ざーんねん! 僕の名前はピピン。人間さんは本当に僕らの見分けがつかないんだねぇ」

「人違い――いやこの場合は妖精さん違いでしたか。礼を失した振る舞い失礼しました」

「いいよ、いいよ。そんな馬鹿丁寧にしなくても。僕らはそんなことでいちいち目くじらを立てるほど狭量じゃないよ」

 

 子供な外見に似合わず難しい言葉を知っている。

 こんな森奥深くに一人でいることといい、この言動といい、ただの子供ではありえない。

 

 認めようか、この小人にように見える生き物は本当の「妖精さん」であると。

 

「お姉さんその腕輪はポックスからもらったんだよね? ならいいよ。僕が案内してあげる」

「それはそれご丁寧に。ではどこに案内していただけるので?」

 

 腰に手を当て、その妖精さんは大人ぶって答えた。

 

「もちろん、僕らの長老様のところに、だよ!」

 

 

 

 

「大きいなぁ~」

 

 気の抜けたザシャの声。けれどこの時アリアは内心素直に同意していた。

 

 それは見たこともないほど大きな木であった。

 胴回りは大人五人分はあるだろうか。幹には幾つものツタが絡まり、緑のカーテンとなって茶色の樹皮を彩っている。

 

 たくましい枝ぶりが地上からもよく見える。

 翡翠細工のように美しい緑の葉は風にそよぎ、さやさやと優しい音楽を奏でている。

 

「いらっしゃいお客人。今日はなんの用で来られたかな?」

 

 年老いたしゃがれ声をかけられたのは、威風堂々とした大木に目を奪われている時だった。

 

 声はアリアの足元から聞こえてきた。

 目を向けると背丈は四、五歳の子供程度だが、豊かな白髭をもつ年老いた翁が杖をついてそこに立っていた。

 

「あなたが妖精さんの長老様ですか?」

「いかにも。そういうあんたはどなただね?」

「これは失礼いたしました。ザールブルグのレイアリア・テークリッヒと申します。こちらの青年はザシャ・プレヒト。私の護衛です」

「ザシャ・プレヒトです。えっと、よろしくお願いします」

 

 二人同時に頭を下げると、長老はふむふむと頷き、白髭をなでつけるように手で触れた。

 

「レイアリア殿にザシャ殿か。それで、今日はなんの用で来られたのかのう?」

「はい、こちらで妖精さんを雇うことができると聞きましたので、私の調合を手伝って頂きたいと思いここまでやって参りました」

「ふむ、なるほどのう。でしたら――ピピンや。今この森にいる働き手たちを呼んできておくれ」

「はーい、長老様ー!」

 

 長老の言葉に従い、ピピンと呼ばれた妖精さんが森の木立の中へと消えていく。

 

 とても足が速い。

 

 まるで風のように馳せる。

 

 ピピンが他の妖精さんを連れて戻ってくるまで、いくらも時間はかからなかった。

 

「さて誰を雇うのかのう。今この森にいるのはここにいる八人だけじゃ」

 

 そう言って長老が指をさすのは色とりどりの服を着た八人の妖精さん達。

 

 紺色、青色、緑色、黄色、橙色、赤色、茶色、黒色といったなんとも目に鮮やかな色合の服装をしている。

 

「仕事の力量ごとに切る服が決まっておってのう。俺等妖精さん一族の中でも優秀なものは紺色の服を、逆にまだまだ腕が未熟なものは黒色の服を着ることになっておるんじゃ。もちろん、かかる賃金も力量相応のものをもらうぞい。さて、お前さんは誰を雇うかのう?」

「なるほど」

 

 そう言われて少し悩む。

 妖精さんにランク付けがあることまでは知らなかったので、誰を雇うかなどは考えてもいなかった。

 

 じっと妖精さんたちを見つめると、ランクの高い妖精さんはこちらを見返すように胸を張り、ランクの低い妖精さんほどおどおどと自信無さげにこちら覗き見てくる。

 

「雇っている間に妖精さんのランクが上がることはあるのですか?」

「もちろんじゃ。一定の成果を上げた者は随時地位を上げていくことになっておる。ああ、じゃが安心しておくれ、雇っている途中で妖精さんのランクが上がっても、払う賃金は変わらんぞい。未熟な者をそこまで育ててくれたお礼というやつじゃ」

 

 ふむ、とアリアは顎に手を当て考え込んだ。

 幾らかの時を経て彼女は顔を上げ、迷いなく八人の中から二人を選び出した。

 

「では、この二人を雇わせて頂きます。よろしいですね」

「うむ、かまわんよ。では、またおいで」

「ええ、またいつか寄らせていただきます」

 

 アリアが選んだ二人は紺色と黒色の服を着た妖精さんであった。

 

「あなた方お二人の名は?」

「僕の名前はピコ。僕を選ぶとはお姉さんもお目が高いね!」

「ええっと、ぼ、ぼくの名前はポポロっていいます! こ、これからよろしくお願い致します」

 

 堂々として軽口を叩く余裕すらあるピコに、色々と一杯一杯なポポロ。

 まったくもって対照的な二人だ。

 

「そういや、なんでこの子たち二人を選んだんだい?」

 

 余計な口を出さないよう先程まで黙りこくっていたザシャが疑問を口に出す。

 

「一言で言えば期待できるからです」

「え?」

 

 期待という単語に疑問を抱いたのか、ポポロがつい声を出してしまう。

 それを黙殺して、アリアは一方的に言葉を紡いだ。

 

「ええ、ピコは私の助手として働いてくれることを期待しています。私一人では手が回らない時に仕事の一部を任せられる人材としてピコを選びました」

 

 そこまで説明すると、えっへんとピコがアリアの足元で胸を張った。

 そこまで言われたからには役割を全うしようという意志が感じられる。

 

「ポポロは賃金が安いということもありますが、一番は将来性への期待です。一番ランクが下ということは成長の余地が一番あるということですから。頑張ってできるところまで育て上げて見せますよ」

「それは、けっこう大変だよ」

「望むところです」

 

 ポポロがどれだけ上にいけるかわからないが、それは全部アリアの責任だ。

 人一人――この場合は妖精さん一人か――預かる以上、全力を出すのが礼儀というものだ。

 

 アリアの言葉が何をもたらしたのか、ポポロはじっとアリアを見上げて目線を外さない。

 先程までのおどおどとした様子が嘘のようだ。

 

 まあ、呆然としているだけなのだが、目線を逸らされるよりはよほどましだ。

 

「さて、帰りましょうか。いえ、違いますね。この場合はこう言うべきだ」

 

 硬い表情を緩ませて、彼女はゆるゆると笑みの形を作った。

 

「私のアトリエにようこそ。小さな妖精さん達」

 

 それは確かに彼女が紡いだ歓迎の言葉。

 身内として招き入れることへの宣言であった。

 

 彼女の優しく微笑んだ姿を、ただ三人だけが見ていた。

 

 

 数日後、アリアのアトリエで二人の妖精さんが働く姿が見られるようになったという。

 彼らの服の色は紺色と黒色。

 彼らの姿はアリアのアトリエが閉められるその時まで、ずっとそこにあった。アリアがいなくなるその時まで、彼らはアリアとともに時を過ごしたと言われている。


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