アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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 このお話の中ではザラメ=粗糖を使った赤ザラメでお願い致します。
 ザラメ(白双糖)や黄ザラメ(中ザラ)はすでに精製されているもので、世界観やこのお話にはちょっと合わないので;

 今回はオリジナル調合回です。
 とはいえ、原作のオリジナル調合とはまた別物です。ゲームのオリジナル調合はまた別のお話で詳しく説明するつもりなので、そういう認識でよろしくお願い致します。


第十四話 ハーブティーとスミレのシロップ

 最近のアリアの朝食は少し豪華だ。

 

 少し前までならパン一切れに焼いたチーズを乗せて終わり。たまに果物で作ったジャムや、飲み物に朝市で買ったミルクが付く程度だった。

 

 金が無い時はオーツ麦の粥の粥で腹を膨らませたこともあった。

 このオーツ麦の粥だが、あんまり美味しくはない。本当に空腹を避ける、程度の価値しかない。

 ある程度手をかければ美味しくなるのだが、金がない時にそんな手がかけられるかというと、推して知るべしというやつである。

 

 更に金がいない時は、ベルグラド芋を焼くか蒸すかしてそのまま丸かじりだ。

 あれはあんまりにもあんまりすぎる貧弱な食事であった。

 

 もう、二度と、やりたくはない。

 

 けれども、また調合に失敗する日が続けば、嫌でも繰り返すこととなる。材料が無駄になるし、その分経費がかかるからだ。

 調合にも気合が入るというものだ。

 

 貧弱な食生活を続けていると気力が萎えるし、食事という楽しみが苦痛に変わる。栄養摂取の機会を楽しみではなく義務に変えると、食べること自体が面倒になるし、食べる量も減る。そうなると健康にも影響が出てくる。

 

 なんという悪循環。

 

 この悪しき螺旋から抜け出すためにも、日々の食事というものは量だけではなく質も考えなくてはいけない。というのがアリアの持論である。

 

 まあ、アリアはその許容出来る最低限の範囲が広いからか、ベルグラド芋一個という情けないにも程がある食事に耐えられたのだが……。

 

 けれど、粗食に耐えられるからといってアリアの舌が貧しいわけではない。

 むしろ料理の腕前を考えると彼女の舌は、なるほど確かなものだ。

 

 面倒だから適度に手を抜くだけで、美味しいものが食べられるのならそちらのほうが良いに決まっている。

 

 だからか最近のアリアは、少し機嫌がいい。

 食いざかりの子供が増えたからか、手を抜くのも何やらしのびなく、必然的に料理に割く労力が増えている。

 面倒ではあるが、自分の作った料理を他人が食べるとなると張り合いが出てくるというものだ。一人だとどうしても労力の面で手を抜いてしまうのだが、他の人間がいると、手を抜いた料理など出して落胆させたくはない、という欲望が出てくる。

 

 その分、材料費も高くつくようになったが、まあ許容範囲だ。調理の仕方と生ゴミの再利用を駆使して、材料は限界ギリギリまで使っているため、高く付くようになったとはいえいきなり食費が二倍三倍になったわけではない。

 

 さて、今日も美味しいご飯を作ってあげるとするかね、とアリアは朝の太陽に背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 アトリエは以前に比べてだいぶ賑やかになった。

 アリア以外の住人が増えたからだ。

 

 お手伝い妖精のピコとポポロ。

 見た目は子供。性格もまた子供な彼らは、いるだけでアトリエの雰囲気を明るくする不思議な存在感を持っていた。

 

 子供に甘くなる人間は多いが、アリアもまた大多数に属する人間であった。

 どうにもこうにも、あの妖精さんたちに甘い自分がいて困ってしまう。

 一番の難点は、それを改める気が全くない自分自身だ。

 

 今日も今日とて、朝から気合を入れて朝食作りである。

 

 卵に小麦粉に、高いシャリオミルクの代わりたる牛のお乳。全部混ぜてパンケーキの生地を作る。 卵で黄色がかった生地はさらりさらり、とへらから落ちる。甘みのない少しとろみが付いた程度のゆるい生地だが、これで十分。

 

 生地は横においておいて、先によーく燻した薄切りの豚の燻製肉を炒める。

 香りづけにはズユース草をひとつまみ。清々しさの中に仄かに香る甘やかさが火の熱で立ち昇る。

 独特の舌を刺激する辛味と僅かな渋みが肉にとても良く合うハーブだ。

 

 軽く炒めてハーブの香りが肉に移ったところで、生地を投入する。

 黄色い生地にふつふつ、と穴が空いてきたところでひっくり返せば、綺麗な狐色に焼き上がっていた。

 

 良い出来だ、とアリアは自画自賛する。

 

 焼きあがったパンケーキを三等分にして皿に盛り付けると、焼けた肉の脂の香りとアクセントに混ぜたズユース草の芳香が鼻をひくつかせる。

 

 食欲をそそる素晴らしい香りだ。

 これはなら味にも期待できるだろう、と思うが、味見もせずに他人に料理を出す趣味はない。

 端の方を一口分ちぎり、自らの口の中へとアリアが入れようとしたその時だった。

 

「うわぁ、それが今日のご飯? 相変わらず美味しそうだねぇ」

 

 子供らしい透けるような高い声が、アリアの足元から聞こえてきた。

 

 一体いつの間に来たのであろうか。まったく気づかなかったアリアは少し驚き、目を丸く見開いた。

 

 平静を装い、首を床の方へと傾ければそこには紺色の服をした子どもと黒色の服をした子どもが二人。よく似た色合いの服装に、双子のようにそっくりな顔立ち。

 だが紺色の服を着た子供は白色の肌に焦げ茶色の髪、黒色の服を着た子供は少し日に焼けた飴色の肌に白髪と、服以外の色合いはなんとも対照的だ。

 

 やれやれ、とピコ――紺色の服を着た妖精さん――が首をすくめた。

 

「お姉さんノリが悪いよー。もう少しくらい驚いてくれてもいいのにさ」

 

 ちぇ、とどこか残念そうに、けれどもどこか楽しげにこちらをうかがう姿は、まさしく生意気盛りの子供といった風情だ。

 

 しっかりと驚いていたのだが、動きの悪い表情筋のおかげかピコにはこちらの驚愕が伝わっていなかったようだ。

 

 良いことである。

 どうもこのピコという妖精さんは、人が弱みを見せるとそこにつけこんでからかう悪癖がある。子供らしい可愛らしい稚気に溢れたものばかりではあるが、大人として雇用主として情けない姿は見せられない。

 

 隙を隠せるのならそれにこしたことはない。

 

「ぴ、ピコ、お姉さんをからかっちゃダメだよ……」

 

 弱気な声で反論するのは黒服のポポロだ。

 

 声にも態度にも迫力のはの字もないが、精一杯肩を怒らせて上位者に反論する姿は健気ですらある。

 思わず頭を撫でたくなるほどの可愛らしさだが、そこをぐっとこらえて表情を取り繕う。雇用主が雇ったものに対してデレデレしていてはいけない。

 

「ポポロ、私は気にしていない。それよりもナイフとフォークを出しておくれ。冷めるとまずくなってしまう」

「あ、はい……」

「はいはーい。もう用意してるよ―!」

 

 ポポロの返事を遮るように、ピコが元気よく大きな声を上げた。

 その手には三人分のナイフとフォーク。

 

 まったくもって用意の良いことだ。

 感激するほどだ。

 

 けれどポポロにとってはそうではない。

 せっかく与えられた仕事――お手伝い程度の軽いものだが――を横からかっさらわれたのだ。

 がっくし、と肩を落としている。

 

 まったくもって、からかうのはいいが度が過ぎるのはいけない。

 ピコにとってポポロは体の良いからかい相手のようだが、あまりからかいすぎるとそれはもういじめだ。

 

 今はまだ微笑ましいレベルだが、将来的には程度というものを教えないといけないな、とアリアは思った。

 

 自分の思考回路に思い至り、アリアはなんとなく憮然とする。

 

 これはもう、子供を持った母親みたいではないか。

 まだまだそんな歳ではないのだがなぁ。

 

 アリアは額を手のひらで抑えるのだった。

 

 

 

 朝食のパンケーキはなかなかうまくできていた。

 味付けのない薄いパンケーキに、濃い塩味の燻製肉はよく合っており、いくらでも食べられそうなほどだ。

 

 柔らかいパンケーキに、香ばしく炒めた燻製肉。パンケーキの生地には燻製肉の脂が染みこんでおり、噛めば噛むほど旨味が口の中に溢れてくる。肉の弾力も歯に心地よく、噛むのが楽しいほどだ。

 もともと臭みの少なかった豚肉だったというのもあるだろうが、一緒に合わせたズユース草が肉の臭みを切れに吹き飛ばしており、一口食べるごとに甘みを含んだ爽やかな香りが口中を駆け抜ける。

 加えてズユース草のかすかな渋みが、単調になりがちなパンケーキの味をキリリと締めており、程よいアクセントとなっている。

 

 アリアだけではなく、ピコとポポロも夢中になって食べていた。

 美味しいという言葉だけではなく、そうした態度で伝わるものもある。下手なお世辞よりも、嬉しいものだ、と朝食を終えたアリアは、遠心分離器を回しながら顔色を変えずにほくそ笑む。

 

「お姉さん、何をしているの?」

「ん? ああ、これはザラメを精製しているのだよ」

 

 ピコがアリアの手元を覗き込みながら尋ねる。

 その手に持つのは緑がみずみずしい魔法の草。先ほどアリアが頼んだ中和剤(緑)を作っているのだ。

 

 ちなみにポポロには、ヘーベル湖でヘーベル湖の水を採取してくるように頼んだ。

 帰ってくるのは七日後になるという。

 帰ってきた時にはポポロの好きなものを夕飯にしてあげようと、アリアは脳内で計画を立てる。

 

「ふーん、わざわざ精製するんだぁ」

「今回の依頼で必要なのでね。甘いお菓子で色合いも美しく、となるとザラメを白く精製しなくては色が濁ってしまう」

 

 乳鉢で砕いたザラメを温水に溶かすと、少し茶色に色づいた液体が出来上がる。

 この温水で溶かしたザラメを遠心分離機にかけ不純物を取り除くと、色のなくなった透明な砂糖水が出てくる。

 

 これを乾かすと、白く美しい砂糖が出来上がるのだ。

 

「最低でも明日までは乾ききらないな」

「ふーん、じゃあこれからどうするの? 休む?」

 

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるピコ。

 

「まさか。そんな時間を溝に捨てるようなことを私がするとでも?」

「えー、いつも頑張り通しじゃあ疲れちゃわない?」

「ご安心を。これでも体力には自信があるし、適度な休息もとっている。まだまだやることが多いこの時期に休んでいる暇はないというだけのこと」

 

 そう言ってアリアが倉庫から取り出してきたのは、緑の葉に白い小さな花が可愛らしい香草――ミスティカ。それと白い花びらの中心に黄色い小花が集まってできた可憐な花――カモミールだ。

 

 葉を破らないよう細心の注意を払いながら、茎から葉柄をちぎり、葉だけをザルの中へと集めていく。

 ちぎり、葉の汁が溢れるたびに清涼感のあるミスティカ独特の香りが辺り一面に広がる。

 

 この葉を一口食べてみれば、胸がすくような特徴のある香りが鼻から喉へと通って行く。

 これがミスティカの特徴なのだが、少し刺激が強すぎるのかよく使われるハーブの割に苦手という人が割合存在していた。

 

 なんでも食べる良い子なアリアは、ミスティカを使った料理も気にせず食べることができる。

 あの独特な芳香も、慣れれば癖になるというものだ。

 

 玉ねぎとバターで味を整えたミスティカソースをたっぷりかけた鶏肉のソテー。これは、なかなか乙な味である。

 今日の夕飯はこれにしよう、と考えながらアリアは一山分のミスティカをちぎり終えた。

 

 次はカモミールで、これは花の部分のみを一山分とる。

 リンゴのような甘やかな香りがなんとも特徴的だ。

 

 ハーブティーとしても親しまれている花で、特にそのリンゴに近い甘酸っぱい香りが女性には大人気だ。少し早咲きのそれは、少し味が薄いがそのかわりに若々しい活力のある匂いをしている。

 

 アリアも女性の例にもれず、カモミールのお茶を好んでいる。

 ただ、甘みがあり穏やかな味わいで飲みやすいのは良いのだが面白みがない。ミスティカを加えると少しさっぱりとした飲み心地のお茶となり、こちらのほうがアリアの好みに合致していた。

 

 このカモミールの花をミスティカと混ぜ込む。

 生花をそのまま淹れたほうがアリアとしては好きなのだが、保存することを考えると一緒に加工してしまったほうが長持ちする。

 

 今度ミスティカの葉を単独で調合した時にでも、カモミールの花を生花で混ぜるとしよう。

 

 カモミールの花をミスティカの葉に満遍なく混ざるよう混ぜながら、そんなことを考えるアリアであった。

 

 緑色のミスティカの葉の間からカモミールの白い花が見える。

 手袋をつけて、ぷにぷにとした感触が面白いぷにぷに玉を取り出した。

 黄色やら桃色やら青色やら、なんとも様々な色をした玉がところ狭しと瓶の中に閉じ込められているが、これを一粒手にとり押しつぶす。 

 ぷにぷにとした弾力があるので、なんとも潰しにくい。だが、一度力を込めて押しつぶすと皮膜が軽く破裂し、中に詰まった液体のようなものが垂れてくる。

 

 これを先ほどちぎったミスティカとカモミールの混ぜ物に満遍なくふりかけ、手でもみこむ。

 すると、驚いたことにみるみるうちにミスティカやカモミールの花から水分が抜け、何日も日の下で干した葉のようにカラカラに乾いていった。

 

 ただ、これでも乾き具合が足らないので、陽気な陽のもとで天日干しを行う。

 半日ほど日で干した後、中和剤(緑)をかけ、それが乾くまでまた日の下で干せば完成となる。

 

 これがミスティカとカモミールのブレンドティーである。

 

 ミスティカの葉単独ならばガッシュの木炭などを使い、特殊な製法で淹れるとミスティカティーと呼ばれる最高級のお茶となる。

 このミスティカの葉はただのお湯で淹れただけでもある程度の味となる。ただ、これだけだと雑味もあるし、ミスティカ特有の鼻にくる清涼感も強いので、苦手な人も一定数存在する。

 それゆえに、ミスティカの葉を基本として他のハーブや果実などを混ぜて飲むことが多い。

 

 まあ、本当に一般庶民がミスティカのお茶を楽しむだけなら、ぷにぷに玉のような高価な品を使い調合する必要はない。せいぜい、葉をちぎって天日干しにしておくだけで十分だ。

 

 ミスティカの葉を調合するのは、ミスティカティーのためだ。どうにも、ミスティカの葉に高純度の魔力が含まれていないと淹れる時に使用するガッシュの木炭などがうまく反応せず、ミスティカティー特有の気品ある香りや湖面に吹き抜ける風の様に爽やかな味わい――ちなみにこれは参考書の原文そのままである。どれだけこの著者はミスティカティーが好きなのか。べた褒めにも程がある――が再現できないらしい。

 ただ干しただけのミスティカでは魔力なんて含まれていないので、どれだけ頑張ってもミスティカティーを淹れることは不可能、ということだ。

 

 ちなみに今回調合した茶葉も似たようなものだ。

 このミスティカとカモミールのブレンドハーブティーは、ぷにぷに玉と中和剤(緑)を加えて調合したことにより茶葉に魔力が含まれている。

 しかし、どれだけ茶葉に魔力が含まれていても意味が無い。どうにもこうにも、カモミールとガッシュの木炭の相性が悪いのだ。下手にミスティカティー同じ淹れ方をしても、味や香りをぶち壊してしまうだけで、とてもではないが美味しいとはいえない代物となってしまうらしい。

 大半のハーブや茶葉はガッシュの木炭との相性が悪く、例外はミスティカなど本当に極一部のもののみということだ。

 

 それなのにこのブレンドハーブティーを作ったのは、まあアリアの趣味のようなものだ。

 茶葉にするだけなら、ほとんどのハーブで代用可能と参考書に書かれていたので試してみたくなっただけのことにすぎない。

 一個銀貨二十五枚もするぷにぷに玉を消費したことは少し痛いが、調合のための必要経費だ。仕方がない、仕方がない。

 

 それにしてもだ、ミスティカの葉の味や香りを引き出すガッシュの木炭が、ハーブが違うだけでまったく逆の作用をしてしまうとは、なんとも錬金術というものの妙を感じるものだ。

 ガッシュの木炭自体、かなり匂いがきついので常識的に考えればそれも当然かもしれないが、なんと手強い。難しい学問だこと。

 

 だからこそ胸が踊る。

 

 茶葉一つとっても、色々と改良の余地がある。挑戦のしがいがあるというものだ。

 何でもかんでも簡単にできてしまうのはつまらない。これくらい難しいほうが終の研究には相応しい。

 

 最近は、色々と忙しかったので横道の研究ばかりしてきたが、そろそろ本道に戻るのも良いだろうと、本棚から引っ張りだした帳簿を開き、文字を指先でなぞりながらアリアは目を細めた。

 

 彼女の指先が追った文字、それは鉄と黄金色の岩であった……。

 

 

 

 

 翌日。

 

 アリアは近所の野原に来ていた。

 野原というが、そこかしこに春の花が咲いており、昼中になると小さい女の子が花冠を作りに訪れることもある。

 

 アリアが主に摘んでいるのは、紫色の小さな花――スミレだ。

 可憐な小さい花は香りが良く、生のまま料理の最後に散らすとその香りと見た目で鼻と目を楽しませてくれる。

 

 昔は簡単な薬代わりにも使われていたことがある花だが、錬金術の台頭により最近は使われることが少なくなってきた。

 こんな小さな花よりもよほど効果のある薬が広まってきたのだから、それも当然か。

 

 だが、今回アリアはこのスミレを薬として摘みに来たわけではない。

 この紫色の花を使うのはまったく別の目的のためだ。

 

 一輪摘んで目の前でくるくると手慰みに回してみる。

 可愛らしい花だが、それだけだ。

 これが銀貨に化けるのだから、まったく世の中何が必要とされるかわからないものだ。

 

 小さな手提げカゴが、スミレでいっぱいになるまでそう時間はかからなかった。

 

 

 

 砂糖に色がついているとどうしても発色が悪くなる。

 色が濃くなればなるほど、どうしても材料の元の色は出にくくなってしまうのだ。

 だから、スミレ色の美しいシロップを作るためには、白い砂糖が必要不可欠となる。

 

 昨日の間に遠心分離器を必死こいて回していたのもこのためだ。

 天日干ししたことで、更に不純物が浮かび上がる。それを取り除くと、キラキラと日の光を受けて白く輝く砂糖の出来上がりだ。

 

 かごの中のスミレを半分ほどを使い、紫色のシロップを作る。

 スミレに砂糖と水を少々加えて、シトロン*1の汁を数滴落とす。このシトロンの汁がスミレの紫を更に鮮やかなものとする。後は焦げ付かないように煮立たせるだけ。なんとも簡単なことだ。

 ただ、少しでも焦げると一巻の終わりだ。スミレの良い香りが焦げ臭さで全部飛んでしまい、カラメルにするしか使い道はない。

 

 今回はスミレのシロップを求められているのだ。カラメルなんて持って行ったら、雷が落ちるどころの騒ぎではない。

 

 もう一つはスミレの砂糖漬けだ。

 うんと砂糖を濃く混ぜた蒸留水にスミレを漬け込み、甘く味付けしたお菓子だ。

 あまり日にちをおくと花の形が崩れるので、明日には持っていかなくてはいけない。

 

 このどちらもお菓子の飾り付けとして依頼された品だ。

 

 アリアはお菓子職人ではない。なのに、なぜこんな依頼が彼女のもとにやってきたのか。

 

 答えは簡単。ザラメを精製することのできる者が、この国には少ないからだ。

 

 ザラメ自体はかなり昔から存在するが、そこから白い砂糖を作り出したのはこのザールブルグにやってきた錬金術士だという。

 白い砂糖を作り出すために必要不可欠な遠心分離器、それをこのザールブルグで使うのは錬金術士くらいなものだ。

 

 よっぽど気合を入れた料理人なら使っているかもしれないが、普通は砂糖を作り出すためだけに銀貨九百枚もする器具を買うはずがない。

 自分たちで作るくらいなら、技術を持っている人間に外注するほうが効率が良いし手っ取り早い。

 つまりはそういうことで、今回のように白い砂糖が必要なお菓子を作る時には、錬金術士に外注する者が大半を占めている。

 

 しかも見た目を気にするような菓子を作る店、となるとそれだけ高級な商品を扱う店であることが多い。ということは、依頼の割もかなり良い。

 アリアが今回受けた依頼もこの例外に漏れず、うまくいけばかなりの金額をもらうことができる。

 

 正直、手間はかかるが調合自体はかなり簡単、というかそんなに技量を必要としないものでここまでお金を頂いてよいものか。少々、罪悪感が湧くほどである。

 まあ、くれるものを拒否するほど愁傷な性格はしていないので、ありがたく頂くが。

 

 ただ、この依頼を受けるのはこれっきりにしよう、とアリアは誰に言うこともなく自分の中だけで決定した。

 

 たしかに、これは割の良い仕事である。

 こういう仕事ばかり受けていれば生活は安定するだろうし、貯まったお金で老後も安心だろう。

 

 けれど、なんというか調合が簡単過ぎて自分の技術が上がった気がしない。気を使う必要はあるので、ずっと見ていなくてはいけないが、作業自体は単調極まりない。

 こんな仕事を続けていれば、今は良いだろうが腕も錆び付いていくような気がしてならないのだ。

 

 もうそろそろアリアがアカデミーに入学して一年が経とうとしている。

 それ相応に成長はしてきたが、まだまだ一番下の学年にすぎないし、それに成績優秀とは言いがたい。アリアも八月に行われる一斉テスト――学年末コンテストでは頑張るつもりだが、上を見れば彼女以上の腕前を持つ人間など五万と存在する。

 

 はてさてさてはて、どこまで行けるのやら。

 

 肩をすくめるしかない。

 

 そう、今は自分の腕前を磨く時期だ。簡単で割の良い仕事だからと、こんな仕事に傾倒していては怠惰の海に沈んでしまう。

 

 嫌だ嫌だ。なんともゾッとしない。

 ついアリアは自らの腕をさすった。

 

「お姉さん、腕を擦ってどうしたの?」

 

 それを見ていたピコが「風邪?」と心配そうにこちらを見てくる。

 

 普段は生意気な言動が目立つピコだが、その性根には子供らしい単純さと率直な優しさがある。

 こういう時に垣間見せる素直な心根が、あどけなくどうにもこうにも憎めない。

 

「いや、大丈夫だよ。だが、そうだ。今日の夕飯はジンジャーをたっぷりいれた煮込みものでもしようか」

「ふふん、お姉さんの料理ならなんでも食べるよ。ポポロもかわいそうに、黒妖精だから外に行くばかりで毎日お姉さんのご飯が食べられないのは、本当にかわいそうだよ」

 

 声の調子は軽いが、いたずらっこじみた笑みというには少し影のある顔で、ピコは言った。

 

 まったくいじらしいことだ。

 言葉はなんとも小憎たらしいものだが、本当にポポロを案じているのだろう。

 こういういじらしさが生意気な言動とも相まって、なんとも可愛らしい。生意気盛りの子供、といった風情だ。

 

「毎日帰ってくることが出来る方法でもあれば良いのだがな」

「一応、フェーリング陣ていうのがあるからそれを使えばできるよ。けどあれ、使える回数にも限りがあるから、黒妖精が毎日使うとなると雇用賃金が高くなるよ」

「大体いくらだ?」

「今のざっと三倍かな? これでも勉強して、だね」

「ふぅん、そうか」

 

 淡々と、いつもの様に返せば、これで話は終わりとでも言うかのように、ピコはアリアに背を向けた。

 

 おやおや、こちらはまだ何も言っていないというのに。

 方法がないから今までは向こうでご飯をとらせていたが、あるのならば話は別だ。

 

 妖精さんとはいえ、子供は子供。子供の面倒を見るのは大人の役目というものだ。

 

「三倍になるだけなのだな。まあ、元の値段が安いし、その程度なら許容範囲内だ」

 

 そう告げれば、ピコはバッと音がなりそうな勢いでこちらを振り向いた。

 

「今度帰ってきたら言ってあげると良い。手段があるなら毎日でも帰ってきなさいと。まったく、君たちが何も言わないから、そういった手段はないものとばかり思っていたんだぞ」

「え、え!? け、けど……」

「けどもだってもない。私は君たちの雇用主だ。雇用主は君たちの生活と健康を見守る義務がある。そして君たちは雇用主たる私の言うことは絶対、違うかな?」

 

 上から目線で告げれば、呆れたような視線が返ってきた。

 

 まったく、失礼極まりない。

 

「お姉さん、僕たちは子供のように見えるけどさ、こう見えても立派な成人なんだよ」

「大人扱いをするのと、一生懸命働いてくれる人にできるだけ便宜を図ることを両立させてはいけないのかな? 私としては、この程度なら労働力に対する正当な対価にすぎんよ」

「ああ言えばこう言う~」

 

 口を尖らせながら、ピコは破顔した。

「んじゃ、ポポロが帰ってきたら仕方ないから僕から伝えてあげるよ~」といつもと変わらぬ口調で生意気な口を利く。

 

 子供扱いをしていることは否定しないが、それをわざわざ言ってやる必要性は皆無だ。

 頑張って働いてくれる子供にできるだけ報いたいと思うのは、人間として当然の感情であろう。その本能の赴くまま、好き勝手にやっているだけだ。誰にも文句をつけさせる気はない。

 

 スミレ色のシロップを瓶に詰めると、小さな花の甘い香りがアトリエ中に広がる。

 しばらくはこの香りがアトリエから消えることはないだろうな、と余ったスミレの花を見ながらアリアは思った。

 

 紫色に色づいた甘いシロップが、とろりと瓶の中へと落ちていった。




*1 シトロン=レモンの近縁種

 世界観の参考にしている中世~近世のドイツにレモンが入ってきているかわからないので、多分確実にあるシトロンに登場して頂きました。
 まあ、レモンも大航海時代にはあったと思うので、そう時代的に離れてるわけじゃないんだけどね。
 確証が持てないし、雰囲気を出すためにドイツっぽい名前を出してみました。その程度の小道具です。

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