アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~ 作:テン!
ゲームでは一年中とれるので、夏ですが今回も登場していただきました。
ちなみにシュネーバルはドイツの伝統的なお菓子です。
今回未成年の飲酒シーンが有りますが、良い子は絶対に真似しないでください。
ギラギラと最近の太陽はとにかく仕事熱心だ。
照りつく光がジリジリと肌を焼き、夏だというのに暑苦しい袖の長い服を着なければ、肌が真っ赤になってしまう。
髪もまた同じだ。長い黒髪はすぐに日の光で熱され、パサパサに日焼けしてしまう。
つばの広い麦わら帽子の中に長い三つ編みをまとめて入れて、ようやくアリアは夏の日差しの中を歩くことができる。
まったく面倒なことだ、とアリアにしては珍しく辟易とした雰囲気を隠そうともしない。
袖の長い服を着ていると、どうにもこうにも蒸れて暑苦しい。今すぐ脱いで外の空気に肌を晒したいくらいだが、北方人の血が強いアリアは下手に日に焼けると、日焼けをして肌が黒くなるのではなく、肌が赤くなりヒリヒリと痛むのだ。最悪、水膨れし下手なやけどよりもよっぽどひどい状態となってしまう。
夏になると季節に逆行したかのような服装でないと、安心して外に出られないのだ。
そういえば、錬金術の調合品の中には日に焼けなくなる薬もあるらしい。
いつか絶対に調合してやる、と鼻息荒く決意する。
そんなアリアの様子とは裏腹に、彼女の手は精確極まりない。プチリプチリと無情なほど戸惑いのない手つきで、丈の低い低木の木の実を摘んでいく。
赤に黒に青、かごにある色とりどりの木の実は、旬を迎えたばかりの種々のベリーとスグリ。
赤のラズベリーに、黒のブラックベリー、深い青色はブルーベリー。それに可愛らしい赤のスグリが薄茶色のかごを彩る。
これらの木の実は、甘酸っぱい夏の味覚だ。
そして夏至祭に作る、ベリーのトルテを美しく飾る主役となる。
夏至祭はその名の通り夏至の日に行われる祭だ。
奇しくもザールブルグでは夏至の直前、六月十八日に毎年日食があるため、復活し最盛期を迎えた太陽を祝うこの祭りは、王宮をあげての盛大なものとなる。
国庫を開けて民衆に酒も振舞われるため、大人であってもこの日を楽しみにしている人も多い。
街のあちらこちらや家々の扉には花が飾られ、明日の祭りに備えている。
大半の家は可愛らしい野の花でリースを作りそれを飾っているが、中には大輪の薔薇をいくつも使い豪華な花輪で周りを圧倒している家もある。他には見目ではなくハーブを中心に使い、香りで他の家に差をつけている家もある。
花輪ではなく、小さな花束を作りそれをそのまま家の扉に飾っている家もある。
家々ごとに趣向が違ってなんとも面白い。
この時期は目が飽きるということがない。色や香りが街中に満ち溢れて、まるで花々が洪水を起こしたかのように街を覆い尽くす。
アリアもまた自分のアトリエの扉に大きな花輪を飾っている。
客商売なので、こういう時に手を抜くと余裕が無いとみられ、足元を見てくる客が出てくるのだ。商売でなめられるは面白く無いので、手慰みに中途半端なものを作るのではなく、きちんとした花輪を時間をかけて作る。派手ではないが白と青色で綺麗にまとまったリースを小器用さだけが売りの手で作りあげた。
合間に仄かに甘い香りがするアニスを混ぜると、遠目では分からないが近寄るとふわりと芳香が広がるなんとも趣深いリースとなった。
これで使った花が、矢車草ともう一つがベルグラド芋の花とはいえ文句をつける奴もいないだろう。
食べ物の花というだけで使わないのはもったいないくらい、ベルグラド芋の花は形といい色といいそして大きさといい花輪に使うのにピッタリだ。一輪これだけでも見目は悪くない。
まあ、使う人が少ないので逆に目立てるという利点があるのだ。滅多なことは言わないようにしよう、とアリアは口をつぐむ。
「ただいま。良い子にしていたか、ピコ?」
「もちろんだよ~」
カランカラン、と手のひらに乗るくらい小さな鐘のついた「アリアのアトリエ」と書かれた看板が、扉を開けると音を鳴らした。
アトリエでは、いつもの様にピコが頼んだ調合を行なっていた。
夏至祭に備えてハチミツの調合を頼んでいたのだが、彼の周りの壺の数を数えるともう十分量はできているようだ。
よきかな、よきかな。
「ピコ、そろそろ休みなさい。ハチミツはそれで十分だ。明日の祭りを楽しむためにも、疲れを残すのはやめておいた方がいい」
「お、お姉さんてば、太っ腹ー! もちろんポポロも……」
「もちろんだとも。帰ってきたら、今日はもう休むように伝えてあげるといい」
「やったー!!」
子供のように無邪気に歓声を上げるピコ。
それを見ていたアリアの目尻はゆるやかに下がっていた。
残念なことではあるが、妖精さんたちとは違いアリアにはまだ仕事がある。
休むのはそれからだ。
最後の仕事に臨み、アリアは一人アトリエに立つ。
アリアの脳内に浮かんでいる調合物は、様々な武器・防具に使用される金属。鉄よりもなお高価で、それに見合った鋭さと硬さ、そして丈夫さを持つ一つ上の代物。
その名を「鋼」といった。
アリアのアトリエには父の遺産、というべき道具がいくつかある。
アリアの父は鍛冶屋であり、もとは錬金術と長年受け継いできた製鉄技術を組み合わせた技術で有名なカリン製鉄所の出身だ。
そのおかげでアリアは他のアトリエ生なら大金を出して買わなくてはいけない道具を、いくつか
それに加えて、彼がアリアに残した鍛冶道具は全て錬金術の使用に耐えうるものであり、また長年人の手で細かな調整をされてきたからか、使い勝手もなかなかのものだ。
トンカチにやっとこ、ふいご、それに細工道具。これだけでも銀貨二千枚はかたいのだが、それ以上にお金がかかるものがアリアのアトリエにはすでに設備されていた。
それはアタノール、別名反射炉と呼ばれるものだ。
三段構造をしており、下の段が炉となっていてここで物を過熱する。上の段は反射板となっており、下の段で生じた熱を逃さないように内部を加熱し続ける、といった仕組みになっている。
これを使えば、通常の炉ならなかなか温度が上がりにくく加工しにくい金属も、高温で一気に溶かすことが可能となる。
今までこのアタノールを使うことになるほど高度な金属加工をアリアはやってこなかったが、今回とうとう使うことになる。
そう、今回調合する「鋼」によって、ようやくこのアタノールに初めて火が点されるのだ。
ようやく、ようやく父の残した遺産を十全に使う日がやってきた。
その事実に、アリアは静かにしかし確かに胸を高鳴らせたのであった。
ふいごを足で踏みながら炉の火を高まらせる。
たちどころに燃え上がった苛烈な赤い炎が蛇の舌のように反射炉を舐め、内部の熱を高まらせる。
中で熱した鉄がたちどころに溶けていき、ドロドロの鈍色の液体と化す。
ここで取り出したるは中和剤(赤)で溶かし、余分な上澄みを取り除き純度をあげた黄金色の岩だ。成分の純度を上げたためかもともと持っている卵が腐ったような異臭が、耐え難いほどきつくなっている。
口元、鼻元に匂いよけの布を巻いているが、それでも臭い。後でお風呂に入らなければ、服や長い髪に異臭が染み付いて酷いことになるだろう。
この黄金色の岩だが、アリアが四月の討伐隊が編成された時期にヴィラント山で採取したものだ。時期が良かったおかげでヴィラント山の強力な魔物は一匹も出現せず、あのヴィラント山での採取だというのに、誰一人とて怪我することなく、安全に帰ってくることができた。
王室騎士隊さまさまである。
熱せられた鉄が赤く熱を発する頃を見計らい、中和剤(赤)で溶かした黄金色の岩を流しこむ。
じゅわり、と蒸気が舞い上がり、とたんに濃くなった臭気がアリアを襲う。
鼻にくるその香りに涙が
手早くふいごを止め、一気に温度を下げていく。
アタノールを覆い尽くさんばかりに燃え盛っていた炎もその火勢を弱め、ちろちろと下部分を舐めるだけとなる。
鉄と黄金色の岩が混ざり合った物体も温度を下げ始め、だんだんと固まっていくがその前にかき混ぜて鉄と黄金色の岩を混ぜあわせなくてはいけない。
ここで使うのが、最初の時に錬金釜とともに渡されたかき混ぜ棒だ。一体どんな素材で作られたのか。熱が伝わることも少なく、更にどれだけ熱しても燃えないその棒は金属を混ぜ合わせるのにピッタリだ。
おそらくこういった調合のために作られたであろうその棒で、溶けた金属をかき混ぜる。
あっという間に金色に輝く黄金色の岩が鉄の中へと溶けていく。
まったく姿が見えなくなった後も、アリアは慎重に反射炉の中で溶けた鉄をかき混ぜる。
だんだん温度は下がっていっているが、正直暑い。
熱せられた鉄のせいで部屋の温度が上がり、まるで茹だるような暑さだ。いつも着ている錬金服にはアリアの汗がぐっしょりと染みこみ、紺色の服が黒に近い色へと変色してしまっている。
かき混ぜ終わった後は椅子に座り込み、もはや指一本すら動かせないほどであった。
それでもなんとか気合で足を動かし、水差しから一杯の水を汲み入れ喉を潤す。
汗をかいた体に水が染みこむようにいき渡っていく。
はしたないが、音を立てて水を飲むたびに生き返るようだ。
一気に二杯ほど水を飲み干し、アリアはようやく息をついた。
一度休憩をいれたからか、汗を吸い込んだ服に不快感が湧く。けれど、冷えた鉄と黄金色の岩にもう一度火を入れる作業が残っている。
またすぐ汗をかくというのに、着替えてもう一着使うのはなんとも不経済だ。洗う回数が多くなればなるほど服の痛みは早くなる。いくら丈夫な錬金服とはいえ、その原則から外れることはない。
仕方がない、もう少し我慢するか、とアリアは重い溜息をついた。
鉄と黄金色の岩の混合物に焼きを入れながら形を整えていく。
柱の形、少し細長い形に整えながら、何度も何度もトンカチで叩く。
三度焼きをいれたところで、もう十分だろうと火から降ろす。
そこには鈍色に輝く鋼の柱が出来上がっていた。
とびっきり上等な鋼の柱だ。アリアの持てる技術を駆使したそれは、総合評価でB+という数値をたたき出していた。
これなら錆びる心配もなければ、木の柱のように折れることもないだろう。
夏至祭の花柱として使うのに、まったく問題はない。
夏至祭の当日には、大きな広場の中心に一本の花柱が立てられる。
普通は木を花で飾り立てられた花柱を使うのだが、今回の依頼人は何年も使い続けるために鋼の柱を依頼してきたのだ。
少し離れた地区からの依頼であったため、アリアがその柱の晴れ舞台を見ることはないが、花で飾り付けられた鋼の柱はきっと美しいだろう。
良い仕事をしたものだと素直に思える。
その代償が汗でベタベタとなった全身だ。
「お姉さん、汗臭いよー」
そんなことはこちらの方がよくわかっている。
余計なことを行ってくれたピコには、頬をつねることでお返しをしてあげた。
これで少しは言葉を選ぶようになれば良い。
「ただいまー」
と気の抜けた声で、ポポロが帰還を告げたのは、そんな午後の長閑な時間であった。
朝が明けて夏至祭の当日がやってきた。
夏至祭は基本的に午後から行われる。
太陽が一番輝く時間に皆がお菓子や料理、そしてとびっきりのお酒を持ち合い、日が落ちてまた日が昇るまで歌い踊り明かすのだ。
アリアが持ち寄るのはこの時期に採れるベリーの類をふんだんに使ったベリートルテだ。
バターをたっぷり使ったさくさくとした生地にクリームを乗せ、甘酸っぱく煮詰めたベリーをところ狭しと並べたなんとも豪勢なお菓子である。
ベリーは採ってくることができるが、他の材料は買わなくてはいけない。お金を出し惜しみしていては味が落ちるので、普段から作ることのできるものではない。まさしくこの時期限定のアリアの秘蔵っ子なのだ。
ベリートルテのレシピはアリアが考えだしたものではない。代々、母方の家系が作ってきたものをアリアが受け継いだのだ。
だが、アリアには母親との思い出は一つもない。彼女の母親は産後の肥立ちが悪く、アリアを産んですぐに亡くなったからだ。
けれども受け継いだものは確かにある。
母がよく歌っていたという父から聞いた歌は、我が家のベリートルテの作り方を歌詞に乗せた童歌だった。これにより、アリアは母のベリートルテを作ることができるようになった。
受け継いだものは確かにあったのだ。
“市場へ買いに行きましょう。砂糖、バター、小麦粉に牛乳。森の影では恋人たちが恋を歌う”
前の時に作りおきをしておいた砂糖に、買ったばかりのバターと小麦粉と牛乳。
それを台所に並べ置く。
“ミュルベタイクを作りましょう。砂糖、バターに小麦粉。一つはあなたのために、二つは家族のために、三つは恋に溺れた私のために”
砂糖一、バター二、小麦粉三の割合で混ぜ合わせ、ひとまとまりになるまでこね合わせる。
これをかまどで焼けば、口の中でホロホロと崩れるクッキー生地――ミュルベタイクとなる。
“クリームを作りましょう。砂糖、バター、小麦粉に牛乳。甘い甘いクリームで私の気持ちをあなたに伝えましょう”
牛乳を鍋にかけ、小麦粉と砂糖をふるい、固まってきたらバターの一欠片を入れる。
甘い甘いクリームはお菓子なら何にでも合う魔法のクリームだ。
“フィリングを作りましょう。ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリーにスグリ。あなたが応えてくれたなら、きっと甘酸っぱい恋の実が実るでしょう”
ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリー、スグリ。先日採ってきた木苺は、全部まとめて煮込んでとろみを出す。木の実を味を引き出すように、砂糖は最小限にしか使わない。
甘酸っぱいこの味が甘いクリームと絶妙に合い、いくらでも食べられそうだ。
“ベリートルテを作りましょう。ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリーにスグリ。恋の実で作ったベリートルテ、夏至の日に共に食べましょう”
最後にミュルベタイクにクリームを乗せ、その上から果物のフィリングをかける。このままでも美味しいが、最後に軽く焼きあげるとそれぞれの味が一つにまとまり、見事に調和する。
夏至の日に相応しい甘酸っぱく甘いお菓子の出来上がりだ。
それにしても、とアリアは父から伝え聞いた菓子を改めて思い返す。
どう考えても、お菓子のつくり歌と言うよりも恋唄そのものである。
歌そのものは節といいリズムといい悪くはないのだが、どうにも歌詞がこっ恥ずかしいのでアリアはあまり歌ったことがない。
ベリートルテを作るときも、頭の中で思い浮かべるだけだ。
これを母は、夏至祭の時にはいつも歌いながらベリートルテを作っていたというのだから驚きだ。
きっと自分とは違い、優しく気が細やかで女らしい人だったのだろう。
もしかしたら父に聞かせるつもりで、いつも歌っていたのかもしれない。
ぜひその光景を見てみたかったものだ。
あのいつも仏頂面だった父がどんな顔をして、この真正面から愛を告げる歌を聞いていたのだろうか。
母と父が二人でいちゃついている横で、アリアがニヤニヤと意地悪く笑いながら、けれどどこか微笑ましげに調合をしている情景が脳裏をちらついた。
溜息一つ。
まったく、とアリアは口の中だけで呟いた。
まったく、未練がましいことだ、と……。
味見と朝ごはん代わりに一切れずつピコとポポロに食べてもらうと、止める間もなく一切れをぺろりと平らげてしまった。
聞くまでもなく味の具合がわかる。これなら夏至祭に持って行っても大丈夫そうだ。
「こ、こんなにもらっても、いいんですか?」
夏至祭には屋台も数多く立ち並ぶ。買い食い用に幾らかの小遣いをもたせれば、ポポロが戸惑ったように聞いてきた。
せいぜい子供の小遣い程度の金額だ。まだまだ買いたいものが多いので節制はしなくてはいけないが、錬金術の産物で稼いでいるアリアにとっては痛くも痒くもない金額である。
いつも頑張ってくれているのだ。
このくらいのご褒美は当然だと思っていたのだが、どうやらポポロはそう思っていなかったようだ。
「ああ、今日は楽しんでおいで」
「…………」
そう言えば、ポポロは目を白黒とさせていた。
「ポポロ、ポポロ。お姉さんもそう言ってることだし、今日は楽しめばいいんだよ。こんな機会なんてめったにないんだしさ」
「けど、お仕事が……」
「あー、もう。今日はお仕事はお・や・す・み! お祭りなんだから余計なことは考えない。いいね!」
少し渋るポポロをピコが説得する。
なんだ、立派にお兄さんをしているじゃあないか。
この調子ならポポロはピコに任せて大丈夫そうである。
「さて、二人共。そろそろ職人広場に行こうじゃあないか。きっともう人が集まってきているだろう」
丁度良く昼前を告げる鐘の音が街中に鳴り響いた。
カランカラーン、とアトリエの小さな鐘が澄んだ音を鳴らしたのは、そのすぐ後のことであった。
ザールブルグの街には職人通りと呼ばれる通りがある。
ここはその名が示すとおり、鍛冶屋やパン屋といった職人達が運営する店がところ狭しと並んでいる。
ここで売られている品は、他の通りの品よりも一段質が良く、離れた地区の者がわざわざここまで買い付けに来ることすらあるほどだ。
アリアのアトリエがある場所は、本来この職人通りの地区からは少し離れているのだが、アリア自身が職人通りの人々と縁が深いため、わざわざこちらにやってきたのだ。
そのためか、本来ならすぐ近くにアトリエを構えているエリーの姿がここでは見当たらない。
おそらく、本来アトリエがある地区の祭りに行っているのだろう。
はちみつが入った壺を載せた重い台車を押すアリアの足元では、二人の妖精さんがそわそわと落ち着きが無い。
気もそぞろで、離れないようにとスカートを掴んでいる手も、今にも放してしまいそうだ。
これ以上我慢させるのも可哀想だ。
軽く背中を叩いて、「行っておいで」と耳元で囁く。
つぶらな目を瞬かせ、ピコとポポロはアリアを見上げた。
頷き一つ。
よく似た顔を破顔させ、二人はアリアを一人残し弾かれたように駆け出した。
「日が落ちたら花柱の下で落ち合うように!」
二人の背中が人混みの中に紛れ込む前に呼びかけると、「はーい!」という元気の良い声が返ってきた。
やれやれ、子供は元気の良いことだなぁ、とアリアは片手で日を遮りながら、花柱を眺める。
この地区の花柱はアリアが作った柱のように金属ではなく、伝統的な木製のものだ。
それも枝を打ち払っただけの単純な加工しか施されておらず、木肌もまだ残っている。職人通りの花柱とは思えないほど、単純で技工の欠片も見当たらない。
しかし、主軸の柱に木肌を残すことで、美麗な外見に地に根付いた重厚な力強さを与えている。
更に面白いのは、どうやったのか、上から下にかけてだんだんと大きくなる花輪を柱にくぐった状態で固定し、花で咲き乱れた樅の木のように見せかけている。
木肌の残した木材は、本物の木に見せかけるための小道具だったのだ。
これを考えだしたのはどこの誰であろうか。なんとまあ、面白いことを思いつく者もいたことだ。
「ようやく来やがったか」
品位の欠片もない気だるげな声。
口調は乱暴で、どこぞのごろつきのようなしゃべり方だ。
もう少しどうにかならないものか。幼馴染として頭がいた。
「ええ、約束通り太陽が正中に昇りきる前に。約束通り、太陽が、正中に昇る前に」
「いちいち強調しなくても聞こえてるつーんだよ!」
「時間をしっかり守った相手に、『ようやく』なんて人聞きの悪いことを言う方が悪い」
ほら、これが頼まれていた品だ、と赤髪の幼馴染――ディルクに昨日、ピコに調合してもらったハチミツとアリアの作ったベリートルテを押し付ける。
よろけもせずに飄々と受け取るさまがどうにも小憎たらしい。
思わず、ふんっ、とアリアは鼻を鳴らした。
こちらがえっちらおっちら運んできたものをこうも軽々と受け取られるとはな……。
「私のベリートルテは崩さないように。もし一欠片でも崩したり、ベリーを落としたりしてみろ。カリンさんに頼んでお前のトルテもハチミツも無しにしてもらうから覚悟しておけ」
「なんでお前はそんなに高圧的なんですかねぇ!?」
「チンピラ相手に気を使うのも馬鹿らしいだろう。チンピラにはチンピラに相応しい対応をしたまでのこと」
「だから! だれが! チンピラだ!!」
「お前」
一刀両断。
一言で切り捨てれば、「ふざけんな!!」と耳に痛い絶叫が返ってきた。
「俺のどこがチンピラだ! この鉄面皮女が!!」
「はっ」
自分で自分のことがわからないとは、これだからチンピラは嫌なのだ。
粗暴な言葉遣い、やる気の見えない態度、つり上がった目とバンダナで逆上げた髪に着崩した服装という見た目。全てが全て「私はチンピラです」と言っているのに、自分だけがわからないとは。
あまりにも可哀想な頭の出来に、嘲笑が漏れるというものだ。
実際には、固い表情筋のせいで蔑みの視線で見下げはてただけだったけれども……。
「てめぇ……」とディルクの右手がギリギリと嫌な音を立てるが、グッとこらえてその右手を下げた。
こうなると、アリアもまた舌鋒を緩めるのが互いの暗黙の了解だ。
アリアは自分のずるさを自覚している。ディルクは態度も粗暴で、言葉遣いも悪いどうしようもない馬鹿だが、人としての一線は決して越えない。
女である自分を決して殴ることはないと知っているから、いくらでも言葉の槍を投げつけることができる。
相手の人格に甘えているのだ。だからこそ、こちらもまた最後の一線を踏み越えさせてはいけない。怒りをこらえているところで、さらにそこで口撃を加えるのは火に油を注ぎこむようなものだ。
「やめだ、やめだ。今はてめぇにかかずらってる時間はねぇんだよ」
「ふむ、見たところもうほとんど夏至祭の準備は終わっているようだが。今更急ぐ必要があるのか?」
背を向けたディルクに問いかけるアリア。
彼女の見たところ、残るはアリアの持ってきたハチミツを卓ごとに配り、いくつかの持ちより料理を分配するくらいなものだ。
花柱も見事に立っているし、もうするべきことはパッとは思い浮かばない。
それにそろそろ祭りも始まる時間帯だ。
その証拠に人が集まり始めているし、中には男性にエスコートされて広場に来ている女性の姿もある。恋人同士が夏至祭に来る時は、男性が女性をエスコートするのが伝統だ。
幸せそうな恋人同士を見ると、こちらまで嬉しくなってくるから不思議だ。幸福というものはどうにもこうにも周囲に伝播するものらしい。
なんとまあ、素晴らしいことではないか。
そこでハッとしてアリアは広場中を見回した。
思ったとおり、お目当ての人の姿は見当たらない。
「ああ、なるほどそういうことか」
「おい、てめぇ今何を思い浮かべやがった?」
「いや何、あの近所でも有名な悪餓鬼ディルクが存外可愛らしいことで頭を悩ませているのだなぁ、と思ったものでね」
「うるせぇんだよ、ボケが!」
そうは言うものの、図星を突かれたのか声に精彩がない。
顔を真っ赤にして怒鳴る姿は滑稽ですらある。
いやはや、いやはや。まさかあのどうにもこうにも手の付けられない悪童ディルクが、恋人をどう迎えに行くか、どうエスコートするかで頭を悩ませる日が来ようとは。
子供時代には考えられなかったことである。
「そう怒るな。どうせなら助言の一つでもあげようか?」
「てめぇの助言?」
「女性のことは同じ女性がよくわかっているものだよ」
胡乱げな目線を向けられるが、それを無視して広場に飾られている花を一輪、二輪と引きぬく。たくさんあるので、数輪程度なら大体の人はお目こぼしをしてくれる。
大輪の赤薔薇を中心に、いくつかの見目麗しい花で揃えた花束は小振りだが、十二分に美しい。それをディルクに押し付けるように渡した。
「迎えに行くのなら、花をお贈りするのが礼儀というものだろう。女性はいくつになっても美しいものには目がないものだ」
「お、れにそれを渡せ、ってか?」
「お前の羞恥心とエマさんの喜ぶ顔。どちらの方が重要か考えてみたらすぐわかることだろう?」
何も言い返せないディルクは、無言でアリアの手から小さな花束を奪い取った。
「……礼は言わねーぞ」
「ご心配なく。そんなもの、最初っから期待していない」
あの花束を受け取った時のエマさんの反応を想像するだけで十分すぎるほどだ。
赤薔薇の花言葉は「あなたを愛します」。
はてさて、さてはて。いったいどうなることやら。
今から楽しみで仕方がない。
一人でアリアは広場の隅に立ちながら、ディルクの背中を見送った。
夜。
夜が来た。
夏至祭の夜。
星降る夜だ。
満天の星空の下、火が煌々と焚かれ麗しの花柱が闇の中から、ぼうと光る。
頭や服を花で飾った女性たちが、物語の羽が生えた妖精のように軽やかに踊る。スカートの裾が翻るたびに花びらが舞い散り、燐光のように彼女たちを彩るのだ。
その手をとる栄誉を与えられたのは、彼女の恋人たち。
赤く照らされたその横顔は、男神のように凛々しく力強い。
踊る彼らを輪になって囲い、やんややんやと囃し立てる祝福の声。
甘やかな恋歌とそれに添える楽器の音色。
年に一度の夏至祭は、今や最高潮に達していた。
(お、あれはエマさんだな)
聴衆の一人となり、持ち寄ったごちそうをつまむ。混じり物のないふわふわの白いパン、ローズマリーやズユース草を擦り付けて焼き上げた肉汁の溢れる鳥肉のロースト、チーズをたっぷりとかけたベルグラド芋と厚切りベーコンのグラタン、デザートはベーリーのトルテに焼いたうに、粉砂糖で白い雪球のようなシュネーバル、壺いっぱいのハチミツ。
料理を黙々と口に運びながらアリアは幸せそうな恋人たちを一人で見つめていた。そこに知った顔を見つけて、遠目ながらまじまじと見つめてしまう。
頭に赤い薔薇を中心とした花飾りをつけ、幸せそうに笑いながら彼女は恋人と共に人垣で作られた舞台の上で踊っている。
その傍らには仏頂面をした野暮男の姿。
少しは愛想を振りまけ、と思うが、まあ今日くらいは勘弁してやろうではないか。
ディルクの横顔は、炎で照らされただけではすまないほど真っ赤に染まっていた。
つい、と目線を逸らせばとろけるような笑顔で料理を頬張る妖精さん達。
特にお菓子の類が好きなのか、甘いお菓子を口いっぱいに頬張っている。
アリアは一人で祭りを見物し、いくつかの家族を見やる。
子供たちは手に手に花を持ち、珍しいごちそうの数々で腹がはちきれそうだ。
それを暖かな眼差しで見つめる父親と母親。
祭りを楽しむ人々。
その顔には喜色だけが溢れ、明日への憂いなど欠片も見あたらない。
良い光景である。幸せな風景である。
……けれど、それが遠い。
見えない膜で遮られたかのように、輪から外れ一人立つアリアのもとには祭りの幸福な熱気が届かない。
目の前にあるのに、そこに入っていけない。
今まではそうじゃなかった。
めったに食べられないごちそうでお腹をいっぱいにして、花柱の周りで踊り狂う人を見るだけで十分楽しかった。それで、十分だった。
隣を見る。
いない。
父さんがいない。
仏頂面でちびりちびりとお酒を飲みながら、一緒に祭りを見物していた父さんは、もういないのだ。
よく焼けた鳥のローストを口に運ぶ。
もそもそとかみ砕くが何の味もしない。毎年、食べるのを楽しみにしていたごちそうなのに、紙を食べているようだ。
祭りの華々しさが、人々の熱気が、逆にアリアが一人になってしまったという事実を浮き彫りにする。
寂しい。
夏なのに、すきま風で体が冷えたように冷たい。
もう、ここにいるのは嫌だった。
熱気を冷やすために涼みにいくのだ、と赤み一つ差していない頬のまま、誰かに言い訳するかのように……。
能面のような無表情で、アリアは酒瓶とコップを一つ手に持ち広場を後にした。
広場から離れると、闇夜を照らす光源がないからかとても良く星空が見えた。
街の外れまで行くと、夜風に吹かれてさやさやと丈の長い草が揺れている。
誰もいない。まあ、祭りの最中にこんなところに来る人間などいるはずもない。
一息つく。
誰も居ないという事実が、ありがたい。楽に息をすることができる。
一人なら、他に誰もいなければ、自分が一人になったことを思い知らされなくてすむ。
服が汚れるのも厭わず草の上に腰掛けると、手の平にチクチクとした感触が伝わる。
持ってきたお酒をコップに注ぐ。
これは父さんが好んでいたお酒だ。
目についたので思わず持ってきてしまったが、これはこれで良かったかもしれない。
大人はお酒を飲んで嫌なことを忘れるものだという。
お酒に酔えば、こんな嫌な気持ちで悩まされることもないかもしれない。
今日という日を、楽しんで終わらせることができるかもしれない。
琥珀色の液体を、ぐいっと煽る。
瞬間。
喉から火が迸った。
「~~~~っ!?」
口を抑えて悶絶する。
辛い。
喉が焼ける
「ゴホッ、ガハッ」
意地と根性で吹き出すことだけは避けたが、おかげで変なところに入ったのか咳が出て止まらない。
生理的な涙が目尻に浮かぶ。
咳が落ち着き、大きく息がつけるまで幾らかの時間を要した。
ゼー、ゼーと肩で息をするアリア。
まさか、ここまでお酒がきついものだとは思わなかった。
後悔するアリアだが、彼女の感想も当然である。
アリアは知らなかったが、彼女の飲んだお酒は火酒とも称されるほど強いもので、酒豪と言われるような人間でも一杯で酩酊するという代物である。
それを一口分とはいえ飲んでおきながら、まったく酔った気配のないアリアは確かに酒豪の素質を持っていた。
コップを傍らに置き、アリアは四肢を草原に投げ出した。
まったく、ままならない。
笑い出したくなるほどうまくいかない。
自分自身に振り回されてしまっている。
それがどうにも不甲斐なくて腹ただしい。
けれど、今戻っても先ほどのように一人であることを思い知らされそうで、足が萎える。
こんなに自分は情けない人間だっただろうか。
零れ落ちそうなほどキラキラと光る星に手を伸ばしながら、アリアは自問した。
「何やっているんだい?」
そんな時、上から降ってきたのは純粋に疑問だけを詰めた声だった。
宵闇の下では黒髪にも見える色の濃い焦げ茶色の髪、純朴な田舎者といった風情の素朴な顔立ち――ザシャ・プレヒトが草原に横たわるアリアの顔を覗きこんでいた。
「そういうあなたは?」
「おれ? おれかい。おれは宿に帰るところだよ。その途中で君を見かけてね。ま、様子を見に来たってとこ。で、君は?」
「私ですか。私は……」
さああぁ、と風が吹き、草々を揺らす。
アリアの額の髪を撫でつけ、首筋を流れる汗を吹きさらしていく。
「そうですね。夏至祭の熱気に当てられて、少し涼みに来ました」
「……それ絶対、今考えた言い訳だよね?」
「……いけませんか?」
「いけないわけじゃあないけどさ……」
早く帰ってほしいと適当に答えれば、しかたがないなぁ、とでも言いたげにザシャは肩をすくめて、アリアの横に腰を下ろした。
「……なに座っているのですか?」
「ん、君が動くつもりがないなら、ここで待とうかと思ってね」
「余計なお世話です。さっさと帰ったらいかがですか?」
「あのさぁ……」
一人になりたかったのに邪魔をされて、冷たく言い放てば少し怒ったようにザシャは眉根を寄せた。
「こんな夜遅くに女の子を一人ほっておくなんて、まともな良識を持っている人間だったら絶対にやるわけ無いだろ。常識的に考えてさ」
「…………」
「何があったかは知らないけど、見つかったのが運の尽きだと思っておれに送られなさい。どうせ明日だって大した仕事はないんだ。夏の夜に月見と洒落込むのも悪くはないさ」
そう言って、「もらうよ」とザシャはアリアの持ってきた酒に手を伸ばした。
「どうぞ」
どうせもう飲むつもりのなかった酒だ。
いくら飲まれても何も惜しくはない。
ザシャが瓶から酒を一口、口に含んだ。
ブゴゥッ、と何かが破裂するような音がした。
何事!? と驚いて上体を起こしたアリアが見たものは――ゲホゲホッと咳き込みながら、口と鼻から飲んだ酒をこぼすザシャの姿。
あわあわ、とあんまりといえばあんまりな事態に泡を食うが、ついついいつの間にかむせて跳ねる背中をなだめるように擦っていた。
何度が咳き込む内に、変なところに入った酒が全部出たのか、ようやくザシャの息が落ち着いてきた。最後に何度か大きく深呼吸をし、キッとザシャはアリアと向き直る。
「よ、よくこんな度の強い酒飲めたね!?」
そこまで強いお酒だったのか、と知らず知らずのうちに火酒を持ってきてしまったアリアは目を白黒とさせる。
口元は少しも動いていないが、目は零れそうなほど真円に見開き、その驚きの深さを如実に知らしめている。
「私も、それは一口しか飲んでいなかったのですが……そんなにきつい代物だったのですか?」
「うん、かなり……。これ、一口飲めるだけでもすごいんだけど……」
「ふぅん……」
手が緩んだ隙を見計らい、アリアは再び酒瓶を取り返す。
「あ……っ」と言う間もなく、瓶に口をつけ酒を嚥下する。
熱い。
辛い。
苦い。
最初に感じたのはこの三つ。
とてもではないが、美味しいとは感じられない味。
覚悟していたので、むせることはなかったが飲みなれない強烈な味にしかめっ面となる。
「ちょ、何一気に飲んでるの!?」
「…………まずい」
「いや、まずい、じゃないから!? おい、大丈夫か!? 酔ってはいないか!?」
あたふたと慌てるザシャの姿に笑いがこみ上げてくる。怒るでもなく、こちらを心配する姿はどこか間が抜けていて滑稽だ。
気がつくとアリアは声を出して笑っていた。
大きく口を開けて、星空の下誰にもはばかることなく。
それは酔いの力もあったのか、それともそれほどザシャの間の抜けた姿がツボにはまったのか。アリア自身にもわからなかった。
長いこと笑い続け、ようやくアリアが冷静になった時には、すでにザシャは憮然とした顔を隠そうともしていなかった。
けれど、地顔がどうにもこうにも朴訥とした迫力に欠けるものなので、全然全く怖くない。
むしろ、笑いを誘う。
無表情が地顔のアリアをここまで笑わせるとは大したものである。
本人にそのことを伝えても、絶対喜ばないだろうが。
唐突にアリアは服についた草や埃を払い、立ち上がる。
「そろそろ、戻ります」
「ん、そうかい。んじゃあ、送ろうか」
憮然とした顔をいつもの好好青年といった顔に戻して、ザシャがのたまう。
少し意地悪を言いたい気持ちになり、つい問いただす。
「嫌だと言ったら?」
「広場まで手をとってエスコートされたいのならそれでもいいけど?」
「それはご遠慮したいですね。噂をされるのは恥ずかしいので」
星降る夜に、祭りの夜に二人で誰もいない街並みを歩いた。
いつの間にか、胸の中に巣くった寂しさは消えていた。
そんな夏至祭の夜。
花に囲まれたザールブルグの一夜だった。