アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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第十六話 ガッシュの木炭と学年末コンテスト(上)

 夏至祭も終わり、夏が燃え盛る七月にアリアは十六を迎えた。

 とはいえ、たかだか一つ歳が増えた程度のこと。

 多少手足の骨も伸び、背丈が更に高くなったが、若竹のように伸びる男性と比べれば微々たるもの。気づくものすらほとんどいない、些細な変化にすぎない。

 

 その程度で背丈の成長が止まってくれたのは、アリアにとっては行幸である。

 下手に男どものようににょきにょきと伸びれば、高い高い錬金服を仕立て直さなくてはいけない。

 空の彼方へと飛んで行く銀貨の枚数を思えば、まさしく悪夢である。

 丁度良い時期に終わりが見えてきた成長期には、感謝をしてもし足りない。アカデミーに入学をしてから伸び始めていたら、と考えるとぞっとしないものがある。

 

 しかし、そんな呑気な考えも吹っ飛ぶ行事がとうとうやってきた。

 

 来る八月。

 それはアカデミーの一大イベント、アカデミー中の学生全員が阿鼻叫喚の渦に巻き込まれる学年末コンテストが開催される月である。

 

 

 

 

 もうすぐコンテストが近いからか、アカデミーの図書館は連日学生達で溢れかえり、満員御礼の有り様である。目当ての本を探すだけでも一苦労で、図書館に来る間にアトリエで勉強したほうが効率が良いのではないか、と頭を悩ませるほどだ。

 本棚も寮生が借りていったためか、所々歯抜けのように本が抜けており、探しても探しても目当ての本がないことすらある。

 

 色々と自由に調合や勉強のできるアトリエ生だが、やはり立場としては寮生より一段低い。

 寮生ならば制約はあるものの図書館の本を借り受けて自室に持ち込むことができるというのに、アトリエ生は本を借りることすらできない。図書館内で読むか、写本をするしかないのだ。

 アトリエ生が本を持って図書館を出ようとすると、たちまち捕まり窃盗罪で騎士隊の詰め所に押し込まれた上、アカデミーも退学となる。

 

 厳しい対応かもしれないが、これは仕方のない面がある。

 本というものは一冊一冊手書きをせねばならず、表紙には上等の皮を使わなくてはいけない。有り体に言えば本というものは高価なのだ。

 寮はアカデミーの敷地内にある。アカデミーの内側で本が移動するだけならまだ寛容に対することもできるが、外に持ち出そうとすると極めて厳格に判定するか、そもそも持ち出さないようにするかのどちらかしかない。盗まれてからでは遅いのだ。

 

 アトリエ生にだけ風当たりが強い、と第三者が見たら思うかもしれないがそれも仕方がない。

 アトリエ生は基本的に補欠合格生――つまり寮生から見れば落第生レベルの点でアカデミーに入学したものばかりであり、庶民をアカデミーに受け入れるため、実験的に創った枠にすぎない。

 当然立場は寮生に比べれば弱いし、下手にアトリエ生が不祥事をおこそうものならそれが原因でアトリエ生というものすらなくなりかねないのだ。

 

 普段は寮生との接触も少ないので――ユリアーネは例外だ。普通の寮生はアトリエ生を路傍の石同然の存在と思っているのか、話しかけてくることすら稀である。――どうにもこうにもアトリエ生と寮生の立場の違いというものを自覚することは少ないが、テストが近づいてくるとにわかにそれが噴出した。

 

 歯抜けとなった本棚の前で、アリアは憮然とした顔を晒し隠そうともしない。

 テスト勉強に必要な、基本的な調合が載っている参考書ほど残っていないからだ。

 

 まったく何日も何日もこの状態だ。気が長いと定評のあるこの私でもこの状況は嫌になる。

 

 憮然とした表情のまま、腕を組み本棚を睨みつける。

 アリアは普段が無表情なためか、こうした表情をしていると不可思議な迫力が出る。

 関わりになりたくない、と彼女の姿を見た学生は、そそくさと退散するほどだ。

 

 まったく嫌になる、とアリアは何の収穫もないままアカデミーの図書館を辞した。

 

 

 こういう時は、普段は自由を謳歌できるアトリエ生という立場が、ことさら恨めしくなる。

 

 少し荒れた足取りでアカデミーの廊下を歩きながら、アリアは思考する。

 

 だからといって寮生になりたいわけではない。一応、成績優秀なアトリエ生が寮生となることは不可能ではない。もちろん、アリアもまた今の成績では無理であるが、将来はわからない。

 けれど、それとこれとは別だ。銀貨を山というほど積まれても拒絶するだろう。

 

 たしかに、寮生ともなればいろいろな図書館や実験室のような施設をもっと自由に借りることができるし、調合用の素材もアカデミーの方から都合してもらうこともできる。

 錬金術師、という立場から見れば至れり尽くせりだ。まったくなんて素晴らしい!

 

 けれど、その分講義や課題に時間を取られるし、成績優秀者ともなれば課題の一環として先生方の研究の一部を任されるようになり、自分の研究の時間が取れなくなるものも出てくるようだ。

 これもいろいろな研究に触れ、生徒自身の興味・関心を育てるための一環なのだろうが、「金属」という研究したい対象が既にあるアリアからしたらたまったものではない。

 

 気負いも衒いもなく、将来成績優秀者に入ることを当然と考えて思考しているのはなんとも図々しい思考回路だが、アリアにその自覚はない。

 たとえ自覚したとしても「そうか」の一言で終わらせる人間なので、仮定すら無意味でしかないが。

 

 それは横においておくとして、彼女が寮生という立場を嫌っているのは他にも理由がある。

 何よりも簡単で、とてもわかりやすいその理由。

 それは……。

 

 アリアがアトリエ生という立場を、この上なく気に入っている、ただそれだけである。

 

 自らの足で素材を探しだし、一つ一つ宝物をみつけるように吟味し分類する手間や、仕事の前の交渉で大の大人と行うひりつくような駆け引き。

 そして調合、調合だ。

 

 錬金術士の醍醐味とも言える調合。

 素材から選び抜き、過程の一つ一つに気を張り詰め、その結果アリアの手ずから生み出される調合品の数々。それを見た瞬間は、いつでも新鮮な感動に包まれ飽きることがない。

 アリアが特に好んでいるのは、素材から完成品の姿が想像できないほど両者の姿形に隔たりのあるものだ。

 

 こんな石っころから、こんな滑らかな鈍色の金属が生まれるのはなぜだろうか。

 こんなどこにでもある草一本から、色鮮やかな薬が生まれるのはなぜだろうか。

 

 理論や調合手順を参考書で呼んで知ってはいても、物の姿が移り行き最終的にはまったく違う姿へと変わってしまうこの過程を見ていると、いつも不思議に思う。

 そして、不可思議な感慨が湧き出てくるのだ。

 

 これを生み出したのは私だ、という思いが。

 

 そして、知りたくなる。そして、作りたくなる。

 なぜ、こんな不思議な現象が起きるのか。もっと他にも面白い反応をする調合品があるのではないか。

 

 好奇心が疼くのだ。

 それは決して嫌な感覚ではない。むしろ、もっともっとと求めてやまないものだ。

 

 そんな至福の時間を、課題やら講義やらで縮めるのは、アリアにとって不本意極まりないことである。

 却下、却下の大却下、というやつだ。

 

 だからこそアリアは、寮生よりも自由に時間を作ることのできるアトリエ生であることを望む。

 依頼をこなし、自分の食い扶持を自分で稼ぎ、何もかも自分自身で考えて行動しなければいけないのは、大変だ。時には失敗もある。

 だが、その程度でこの立場を捨てようなどとは微塵も思わない。

 

 ただ時々、本当に時々だが、……辛い時もある

 

「久方ぶりに夕飯が貧相になるな……」

 

 腕に抱えた本の重みと、それに反比例する財布の軽さ。

 テスト用の参考書のために飛んでいった銀貨を思い出し、外に浮かべる表情とは裏腹にアリアの心のなかでは大雨が降っていた。

 

 アトリエ生の支出は自らの自己責任によるもの。それがたとえテスト用の参考書のためとはいえ、例外はない。

 アトリエ生は最終的に購買で発売されている本を全部買わなくてはいけない、という噂は本当のことだったと、羽のように軽くなった財布片手にアリアはアカデミーの門をくぐって帰還の途についたのだった。

 

 

 

 アリアのアトリエは主人のもつ空気に反して、明るく溌剌とした生気にあふれた雰囲気がある。

 これはアリアの手柄ではない。ひとえに彼女が雇った妖精さん達のおかげだ。

 和気藹々と常に元気の良い笑い声を絶やさない妖精さん達は、いるだけでその場の雰囲気を明るいものとする。

 

 うるさいのは勉強の邪魔だが、暗すぎる空気はそれはそれで気が重くなる。

 こちらの状態を察してか、適度の場を温めてくれる。

 時折アトリエを覗いてみれば、頼んだ仕事を雑談しながらこなしている。

 さすがに依頼を受ける暇などないので急ぎの用事はないが、その代わりとして日持ちのするものの調合を頼んでいるのだ。

 

 中和剤や研磨剤はいくらあっても困らない。こういう時に作り溜めするに限る。

 

 机の上で参考書の一ページを捲る。

 大体は一度調合したものだ。内容はそう対して難しいものではない。

 目新しいものは少なく、どれもこれも見たものばかり。

 しかしながら、参考書という道具がなければ確認するのもまた一苦労であっただろう。新たに読みこめば忘れていることも数多く、読めば読むほど、書けば書くほど頭の中に刻まれていく。

 

 少し拍子抜けするほどだ。

 まあ、一年目のテストはこんなものだろう、と調子よく勉強を進めていくアリア。

 

 けれども、なんだろうか。

 勉強は調子よく進んでいるというのに、この消しきれない不安は。

 

 嫌な予感で脈打つ胸を、アリアは右の手で押さえた。

 

 その不安をかき消すように、少女は勉強に没頭した。

 けれどそれで消すことができるほど、彼女の不安は生易しいものではない。

 それでもアリアは、ただ勉強するしかなかった。

 それしか方法はなかったのだ……。

 

 

 

 

 鐘の音がなる。朝を告げる一の鐘だ。

 どうにも緊張のためか目が冴えて仕方がなかった。おかげでいつもなら朝の一の鐘を聞いてから起きているというのに、一の鐘を聞く前に目が覚めてしまった。

 

 幸いな事に緊張感のためか眠気はない。

 あとはこれを今日一日維持するまでのこと。

 

 徹夜などは最近ではそう珍しくもなくなってきたし、そう難しくはないだろう。

 最後は気合だ、気合。

 

 と軽く顔を叩きながら、汲みおいた水を入れておく水瓶から、生ぬるい水を小さな桶に汲み入れる。うっすらとかいていた寝汗を水に浸した布でふくと、気持ちのよい清涼感がアリアの肌の上を撫でる。

 

 アリアは寝間着から袖の長い白のワンピースに着替え、その上から紺色の錬金服を羽織った。

 いつものことながら、きっちり着込んだ服装に崩れは見当たらない。

 結い直した三つ編みにもほつれは見当たらない。

 

 十六の小娘とは思えないほど、堅苦しい着こなしだ。

 その姿はあまりにも隙がなさすぎて十ばかり年齢のサバをよんでいるのではないか、と他人に思わせるほどである。

 

「いよいよか」

 

 天気は晴れ。

 全くもって気持ちのよい戦日和である。

 学生たちの戦――コンテストに相応しい天気だ。

 

 胸に巣食う嫌な予感は晴れない。

 けれどもそれだけではない。

 

 はてさて、さてはて。今日のコンテストはどんな結果となるのやら。

 

 けれども確かに、自分の実力が一体どんなものか試すことができる。

 そういった楽しみも、この清々しい朝のおかげで生まれてきた。

 

 さて、それでは行ってこようか。

 

「お姉さん、頑張ってね」

「は、はい、これ!」

 

 ピコとポポロが簡単な軽食を渡してくれる。

 今日の昼用のご飯だ。

 

 まったく、良い子たちだ。

 この子たちのためにも、悪い成績はとれないな。

 

「ああ、行ってくるよ」

 

 カツカツ、とアリアのブーツの踵が石畳を叩く音が、朝の空気の中、小気味良く鳴り響いた。

 

 

 

 

 早めにアトリエを出たのが功を奏したのか、指定された教室に人は少なく、かき分ける必要もなく席に座ることができた。

 時間が経つごとに人は増えていったが、そこにユリアーネの姿は見つからない。

 

 これは違う教室になったかな、と考えていると時間間際になってエリーが飛び込んできた。

 走ってでもきたのか、息が荒く頬は紅潮している。

 

 エリーと一緒か、と改めて周りの人間を見回すと見覚えのある顔がちらほらいる。

 どうも同じアトリエ生の生徒ばかりが集められているようだ。

 アトリエ生だけでは人数も足らないし、見慣れない人間もいるのでおそらく似たような成績の人間がひとつの教室に集められているのだろう、とアリアは推測する。

 そしてその推測は間違ってはいない。

 アリア達の集まった教室は、成績下位の者を中心に集められていた。

 

 エリーがこちらに気づいたのか手を振っている。こちらも礼儀と振り返せば、何が嬉しいのか満面の笑みが返ってきた。

 何かを話そうとしたのか、こちらに近づいてくるエリー。だが、その後ろからは担当の先生が音もなく教室に入ってきていた。

 席に付くように顎で促すと、エリーは先生がやってきていたことにようやく気づいたのか、慌てて自分の席に着席した。

 その時、一瞬先生の目がエリーの方を向いたように思えたのは、アリアの勘違いだろうか?

 一瞬だったのでよくわからない。

 

 それにしてもきれいな人だな、とアリアは教室の壇上に立った先生の顔を見つめる。

 

 若草色の髪に、色の違う双眸。

 強い意志を示すかのように引き締められた口元は、その白皙の美貌と混じりあい、どこか近寄りがたい印象を他人に与える。

 色の違う両目も中で炎が燃え盛っているかのように、意思のきらめきで輝いている。

 

 人に親しみを感じさせる容貌ではないが、背筋をピンと伸ばした姿といい、決して緩めぬ眼光といい毅然とした美しさを感じる。

 冴え冴えとした、けれどどこか冷たさだけではなく火のように熱情の持った美しさだ。

 

「それでは只今より学年末コンテスト、学力試験を始めます」

 

 声もまた綺麗だな、と呑気なことを考えながら、アリアは前から回ってきたテスト用紙を受け取ったのであった。

 

 アリアたちの担当教師の名はイングリド。

 アカデミーの双璧とも謳われる最も若く、そしてもっとも在籍年数の長い教師である。

 

 そういえば、とアリアの頭の片隅で疑問が浮かんできた。

 

 なんで、イングリド先生のようなアカデミーでの地位の高い人が、こんなアトリエ生が集まる教室を担当しているんだ?

 

「始め!」

 

 その疑問は、凛としたイングリドの疑問により遮られた。

 そして、もう二度と思い至ることはできなかった。

 

 よく彼女を見ていれば気づいただろう。

 緑髪の教師の瞳。それは橙色の錬金服を着た生徒に向けられていた。

 

 

 ペーパーテストの内容は予想通りのものであった、……半分は。

 基本的な調合物の素材や調合時に必要とされる道具、調合レシピなどきちんと復習していれば点が取れる問題であった。中には、調合品の名前を問う問題もあり、あまりの簡単さにこれはサービス問題だな、と思うものもあった。

 

 ただ残り半分は――。

 

(難しい……)

 

 無意識の内に口元に左手が伸びる。

 額や背中に、暑さとは関係のない汗が伝う。

 つーっ、と額から頬に流れる汗が不快だ。――不愉快極まりない。

 

 残りの半分。

 悔しくなるほど難問ばかりだ。

 ただ漠然と暗記するだけでは決して解けない。

 

 調合品ごとに必要とされる素材の特に効果が高いとされる部位とその理由。

 魔物から採取できるアイテムの採取方法などはまだましな方だ。

 

「アルテナの水はどんな病状の患者に使えばよいのか。具体的に全部記せ」という問題なんてあまりにも当てはまる症例が多すぎる。アルテナの水は初級治癒薬だ。たいていの病状には問題なく効く。

 この一問を答えるだけで書くことが多すぎてテスト時間が終わってしまうほどだ。答えられるか!

 

 どう考えても前半の簡単な問題は足切り用だ。

 ここで無様な点をとった生徒は、いわゆる落第対象というやつだろう。

 努力でとれる点をとらなかった。とれなかったではない、とらなかった(・・・・・・)

 そんな生徒を在籍させておくほど、アカデミーは生温いところではない。

 

 本当の実力を測るのは、後半の問題――難易度が急激に上がった応用問題の数々。

 これが、本当の生徒たちの実力を測るための問題だ。

 

「お前たちに、この問題が解けるのか?」と挑まれている。試されているのだ。

 

「……面白い」

 

 隣の席の人間にも聞こえないほど小さな声で、アリアは呟いた。

 

 面白いではないか。

 ここまであからさまに試されて、燃え立たないのは馬鹿だ。

 

 アリアはドラゴンに挑みかかる戦士のごとく、一枚のテスト用紙に立ち向かった。

 終了を告げる鐘の音が鳴り響いた時、彼女のテスト用紙は黒インクの文字で埋め尽くされていたという。

 

 

 

 草一本生えていない砂地の校庭にアカデミーの生徒たちが集まっている。

 多くの者は静かにその場で黙って先生の言葉を待っているが、やはり人数が多いためか、これから何があるのか不安なのか、小さなヒソヒソ声が聞こえる。

 それでも、本当にわずかにすぎないことが、このアカデミーに集う生徒の良識の高さを教えてくれる。下手な学問所だとざわめきが大きくなりすぎて、隣の人でもなければまともに話せなくなる人数だ。

 

「すっごい人数だね~」

 

 隣にいたエリーが、小さな声で感嘆する。

 同じ教室だったため、次のこの会場に来るまで一緒に行動していたのだ。

 

「たしかに」

「ねえ、次の試験は何だと思う?」

 

 それはアリアもまた気になっていたところだ。

 くるりと辺りを軽く見渡す。

 

 こういう時背が高いのは良い。

 エリーと比べて頭一つ分は高いので、遠くの方までよく見ることができる。

 

 見えたのは白い布で覆われた調合台の数々に、机いっぱいに積まれた素材の数々。

 そして、見慣れた金髪の少女の姿。

 

「あっ」と思っている間に、彼女の方もアリアに気がついたのか、一瞬驚いたように目を見開くと、すぐに顔をほころばせてこちらに近寄ってきた。

 

「アリアさん、それにエリーさん。お久しぶりですわ。ここにいらっしゃいましたのね。(わたくし)探しましたのよ」

「それは、手間を掛けさせたようで申し訳ない」

「うふふ、よろしくってよ。そういえばエリーさん、あちらでの前でアイゼルさんとノルディスさんが探していらっしゃいましたよ」

「えっ、本当!?」

「ええ」

 

 パッと顔を輝かせるエリーに、ユリアーネは茶目っ気の含んだ笑みを浮かべる。

 そして、内緒話でもするかのように顔を寄せた。

 

「アイゼルさんは探していない、と言い張っていましたけれど……。開口一番にエリーさんを見たか、と尋ねられましたから……。きっと姿が見えなくて心配していらっしゃるのだと思いますわ。早く元気なお顔をお見せしたほうが、アイゼルさんも喜ばれると思いますわ」

「う、ん。そうかな? アイゼル、喜んでくれるかな?」

「ええ、きっと。あの方は少し素直に気持ちを出すのが苦手なように見受けられましたから、少し風当たりのきつい言葉もいくらか引いて考えたほうがよろしいかと。……さあ、早く行って差し上げなさいまし」

「うん、それじゃあアリア、ユリアーネ。行ってくるね」

 

 そう言うと、エリーは人だかりの中を風のように走り抜けていった。

 あのギチギチに詰まった人の隙間を縫うように走り抜けるさまはまったく見事なものである。

 つい惚れ惚れしてしまうほどだ。

 

「元気の良い方ですわね~」

 

 ユリアーネもまたどこか微笑ましげにエリーを見ている。

 

 その気持ちはアリアにもわかる。

 少々子供っぽいところもあるが、見ていて嫌いになれない人柄だ。

 

「そういえば、アリアさん。次の試験はなにか聞いていらっしゃいますか?」

「いや、聞いてはいない。だが、あの準備を見れば推測はできる」

「たしかにそのとおりですわね。あれなら、私の聞いていた噂とも一致しますし……」

「噂?」

「ええ」

 

「これは先輩の方から聞いた話なのですけれど……」と前置きをしてから、ユリアーネは話し始めた。

 

「なんでも毎年、ペーパーテストのあとは調合試験を行うようですわ。実際調合台や調合用の素材も用意されてありますし、まず間違いないかと。さすがに何を調合するかまでは、その方から聞くことはできませんでしたが」

「そこら辺は、用意された素材から類推できるかと」

「ええ、ですので(わたくし)も先ほどまで素材を確認しておりましたの。見ればすぐに分かりましてよ」

「……なるほど。中和剤の赤、燃える砂、ガッシュの枝、か」

「うふふ、目が良いのですね。ええ、これらの素材から推測できる調合品は唯一つです」

 

 ガッシュの木炭。

 おそらくそれが今回の課題である。

 

 ガッシュの木炭は匂いの強いガッシュの枝を炭化させることにより、木炭を折らない限り匂いが外に漏れないよう使いやすい形に調合した品である。

 匂いが木炭化した時にでも凝縮したのか、そのままにしておけばあの強烈な香りがだいぶ薄まっているのだが、一度木炭を折ればそこいら一帯にあの目が覚める匂いが更に強くなった状態で広がり、寝た子すら飛び起きて火がついたように泣き出すという。

 その代わり気付け薬としてはこれ以上ないほど有用なのだから、一定の需要はある。アリアも調合したことがある。燻している間は匂いがいくらか外に漏れてしまうので、あまり調合したい品ではない。

 

「……匂いがきつそうだな」

「今回の試験、女性にはキツイでしょうね」

 

 まったくだ、とアリアは頷いた。

 

 そこで、頭に何か引っ掛かった。

 

 あれ、ガッシュの木炭は調合するのに確か三日程……。

 

 生徒たちの前へと、緑髪の教師――イングリドが歩いてきたのはそんな時だった。

 

 

「これより、調合試験を始めます。まず今回の試験について説明します」

 

 イングリドが目元に力を入れると、それだけで生徒たちの背中が伸びる。

 だれた姿を見せるだけでどれだけの叱責が降ってくるのか、迫力がありすぎて怖いほどだ。

 

「今回の調合品の課題はガッシュの木炭です。今日の試験が全部終わるまでに完成させるよう各自調合するように。質問はありませんか?」

 

 ちょっと待て、これで説明は終わりなのか。

 

 あまりにも簡潔すぎる説明に、アリアは戸惑った。

 何か聞くべきなのだとは思うのだが、咄嗟に行動することができない。

 

「ではこれより……」と、イングリドが質問を打ち切ろうとした。

 

 待ってくれ、これではさすがに調合をするにも……っ!?

 

 なにかないか、なにかないか、と質問事項を探しあぐねたその時だった。

 

「はい!」

 

 と場違いなほどに明るい声が会場中に響いた。

 最前列から天へと伸ばされた橙色の錬金服に包まれた腕。――エリーだ。

 

「はい、エルフィール」

「はい! ええっと、今日って三つの試験があるんですよね? で、今は二つ目。てことは、三つ目の試験が終わるまでにガッシュの木炭を完成させればいいんですか?」

「ええ、その通りです」

「じゃあ、三つ目の試験の間にガッシュの枝を窯で燻せばいいんですね! 提出はどうすればいいんですか?」

「各自、自分の釜から調合品を取り出し、最後の鐘がなるまでに担当教員に提出するように。最後の鐘がなるまでに提出できなかった生徒は失格となります。良いですね」

「はい、わかりました」

 

 ありがとうございます、とエリーが下がる。

 口火を切ったのが功を奏したのか、次々と手が上がる。

 

 そんな中、アリアはただ一人、静かにことの推移を眺めていた。

 何も考えていなかったわけではない。ただ、彼女は思い出していた。

 参考書の一文。ガッシュの木炭の項。

 

 ガッシュの木炭を作る際には、ランプを使って火をつけ、そのまま三日間放置する。

 三日間放置する(・・・・・・・)……。

 

「あっ!」

「はい!」

 

 アリアが閃いたのと、ある少年の手が上がったのは同時であった。

 その少年は柔らかい茶色の髪に、穏やかそうな顔をしていた。

 

 学年主席のノルディスである。

 その顔色は良くはない。血の気が引き、青白くなっている。

 

 アリアも自分の顔色が良くないことは自覚している。

 もしかしたら。彼もまたアリアと同じ結論に達したのかもしれない。

 

「はい、ノルディス」

「あの、すみません。たしか、調合は今日中にということでしたが、あの、ええっと……」

 

 歯切れの悪いノルディスの言葉に、イングリド教師の形の良い眉がピンッと跳ね上がる。

 

「ええ、その通りです。ノルディス・フーバー。あなたは何が言いたいのですか?」

「あ、はい! あの、ガッシュの木炭は作成するのに三日程時間が必要なはずです。今日中に調合することは、ふ、不可能ではないかと!」

 

 最後は勢い込んだのか、会場中の生徒が聞こえるほど大きな声であった。

 しーん、と誰もが静まり返る。

 何も話さない、話せない時間が一秒、二秒と過ぎていく。

 

 ようやくイングリドが口を開いたのは、たっぷり十は数える頃になってのことだった。

 

 そして彼女の口から発された言葉は、

 

「ええ、それがどうしましたか?」

 

 生徒たちの希望を打ち砕くものであった。

 

「私は今日中に完成させるようにと既に通達しました。教科書では三日かかる? もう一度言いましょう。それがどうしましたか? その程度のこと、私たち教師陣が考慮しなかったとでも?」

 

 ぐるり、と色の違う双眸が生徒たちをねめつける。

 誰も、何も、言うことができない。

 

「安心しなさい。私たち教師陣営はその程度のことなら、何も問題がないと判断し、今回の試験に踏み切りました。あなた達が今すべきことは、本来なら三日かかる調合を今日中に終わらせる、その方策を全力を持って考え、実行すること。それだけです」

 

 そう言い放つと、イングリドは壇上に置いておいた小さな鐘を手に持った。

 

「質問はありませんね。なら、次の鐘がなると同時に調合をやめ、次の会場へと移動します。準備はいいですね? では、始めます」

 

 カラーン、と彼女の手に持った小さな鐘が澄んだ音を響かせた。

 

 まったく……。

 

 思わず空を仰いだアリア。

 夏の空の上では太陽がギラギラと輝き、熱された光を人の上に降り注いでいる。

 

 大変な試験になったなぁ……。

 

 三日かかる調合を一日、いやそれよりも短く縮める。言うのは簡単だが、行うのはあまりにも難しい。

 

 はてさて、さてはて。どうすべきか。

 

 試験はまだ始まったばかり。

 これからどうすればいいのかさっぱりわからないが、それでもやらねばならない。

 

 それが、錬金術士というものなのだろう。

 

「ユリアーネ、行こう」

「え? え、ええ」

 

 動揺激しいユリアーネに声をかけて、アリアは駆け出した。

 

 まずは、何が何でも素材を確保しなくてはいけない。

 考えるのはそれからだ。

 

 いち早くかけ出した数人の生徒と同じように、アリアは素材置場の中から厳選して選び出し、ランプと調合台を確保する。

 その生徒たちの中には、エリーの姿もあった。その後ろには、釣られたのかノルディスとアイゼルの姿もある。

 

 時間は刻々と過ぎていく。

 これは、時間と生徒たちの戦いであった。

 

 


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