アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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第十七話 ガッシュの木炭と学年末コンテスト(下)

 学年末コンテスト・調合試験。

 課題は『調合に三日かかるガッシュの木炭を一日で調合せよ』というもの。

 まったくもって難題である。

 

 ガッシュの枝に中和剤(赤)、燃える砂と材料を揃えてみたが、なにから手を付けるべきか……。

 何も思いつかない。

 

 はてさて、さてはて。これからどうしようか、とアリアが首をひねったその時だった。

 

 ボゴォッ、と聞こえちゃいけない音が会場中に響き渡った。

 それは何かを殴り壊す音――破壊することが目的のそれ。

 その最悪の不協和音を奏でていたのは、錬金術士用の杖を大上段に振りかぶる橙色の錬金服をした少女――エリーであった。

 

 その地味だが愛らしい顔を気合できりりと引き締め、睨むは粘土で作られた炭焼き窯の一つ。

 先ほどの音の正体は唯一つ。エリーが自らの杖で会場中に連立した炭焼き用の窯をぶちのめす音だった。

 

「やあっ!!」

 

 振り下ろされる杖。ビュンと空気を切る音。

 ドゴォッ!、という先程よりも大きな音がなり、窯の壁が抉れる。かなり丈夫にできているのか、抉れるだけでまだ壁に穴は空いていない。

 

「よぅし、もう一丁!」

「もう一丁、ではありません!!」

 

 大音声一喝。

 大気がビリビリと震える。

 とっさに耳を抑えたものの、あまりの怒声の大きさに耳が痛い。

 

 一番近くで受けたエリーなど、衝撃で握りしめていた杖を取り落とし、足元がふらふらしている。

 

「エ、ル、フィールゥ!」

「え、あ、は、はい!!」

 

 けれどもその一喝が耳に入れば、エリーは背筋を伸ばしハーメルン、イングリドに向き合った。

 

「あなたは、いったい、なにを、しているのですか!?」

「はい! ちょっとこの窯じゃ物足りないので、一度壊して改造します!!」

 

 それは素晴らしく見事な笑顔だった。

 何もやましいことはありません、と全身全霊で主張しているような、こんなに頑張ってます。ほめてほめて、とご主人様にしっぽをふる犬のような、まったく憂いのない、こちらまで元気になってくる、そんな笑顔だった。

 

 ただし、それは……。

 

「窯を改造しています、じゃあありません!! エルフィール、改造したいからといって、許可も取らずにいきなり窯を杖で殴りつける馬鹿がありますか!! もう少し考えて行動しなさい!!!」

「あ、そっかー」

「そっかー、じゃありません!!」

 

 それはまさしく生徒たちの心の声の代弁であった。

 エリーの突拍子のない行動で驚いた全ての生徒たちの心は、この時一つとなった。

 

 すなわち、「イングリド先生、よく言った!」と。

 

「エルフィール・トウラム、減点です」

「ええええええええ!?」

「えええ、じゃありません! 今回は許しますが、次に許可を取らず同じことをしてみなさい。コンテスト参加資格を剥奪です。いいですか、これからはいきなり突拍子のないことをせずに、まず許可を取りなさい。許可を!」

「はい、わかりました……」

 

 がっくりと肩を落とすエリーは、隣から見ていても気の毒なほど落ち込んでいる。くたびれてしおれきったホウレン草のようだ。

 少し励ましてあげようか、そんな慈悲の心がアリアから湧き出てくるほど、なんとも哀れな様だった。

 

 けれども――。

 

 パンッ、と乾いた音が夏の空気を切り裂く。

 エリーが自らの頬を叩いた音だ。

 少女らしい丸みを帯びた頬が、赤く染まり痛々しい。

 

 だが、その目はしっかりと前を向いていた。

 先ほどのイングリド先生とのやりとりで、すっかり落ち込んでいた娘と同じ人物とは思えないほど、エリーはわずか数瞬の内に立ち直っていた。

 

「うん。次だ、次にいこう。ぜっったいに、ガッシュの木炭を完成させてやるんだから!」

 

「えいえいおー!」と、鬨の声を上げるエリー。

 くすり、と口の端に笑みが浮かぶ。

 

「あれなら、心配はなさそうだな」

 

 心配をして損をした、とは言わないが、自分の心配など不要だったようだ。

 雨に打たれても風に吹かれても花を咲かせる野の花のように不屈の精神を持つ少女だ。敬意すら抱く。

 

「なら、私も頑張らねばな」

 

 ガッシュの枝に中和剤(赤)、それと燃える砂。この三つを前に佇むアリア。

 

「さあ、始めようか」

 

 彼女もまた、目の前にそびえ立つ難問へと挑みかかった。

 絶対解いてやる、と心を燃え立たせて。

 

 鐘は未だ鳴らない。

 

 

 

 

 

 

 ガッシュの木炭。

 それはガッシュという灌木の枝を焼き、炭にしたものだ。

 炭にすることにより、ガッシュの枝が持つ鼻につく匂いを内に閉じ込め、いざ使う時に炭を折れば、ただの枝であるときよりも強烈な香りを放つようになる。

 

 人によっては、近くにあることすら嫌がるほど途方もない匂いだが、これはガッシュの枝が持つ浄化作用の証である。

 事実、洗ったガッシュの木炭を水につけておけば、その水から有害な物質を吸着し、そのまま放っておくよりも長持ちする。もちろん泥水のろ過にもよく使われる。

 意外とガッシュの木炭が庶民にも売れるのは、こうした浄化作用によるものが大きい。ものや水が腐りやすい夏場には、本当に役に立つのだ。

 

 そしてこのガッシュの木炭の調合方法だが、実はかなり簡単である。

 ガッシュの枝に中和剤(赤)を塗り、その上から満遍なく燃える砂をかけ、そのまま窯に入れて三日放置するだけなのだ。ガッシュの枝に燃える砂がついているので、多少火力調整に気をつけなくてはいけないがそれだけである。数をこなし、コツさえ掴めば誰にだって作ることができるものだ。

 その証拠に、参考書には素材の一つである燃える砂よりも多少難しい程度、との評だ。素材と同レベルの調合技能ですむあたり、どれだけ容易い調合なのか想像がつくというものである。

 

 調合行程が容易いものには、大きく分けて二つの種類ある。

 極力まで無駄を省き、徹底的に機能性を追求した結果行き着いたもの。そして、まだ研究が不十分故に調合行程の見直しが行われておらず、結果として最も単純なレシピを今でも使い続けているものの二種類だ。

 この前者が三種の中和剤であり、そして後者の代表こそがガッシュの木炭である。

 

 やろうと思えばガッシュの木炭のレシピはいくらでも改善の余地があるのだ。

 窯から改造しようとしたエリーもまた、アプローチの手段としては間違ってはいない。

 だがここに、まったく違う方向から調合レシピの改善を行うものがいた。

 

 

 サラサラ、と中和剤(赤)に燃える砂を加える。アリアである。

 アリアの額には緊張により、うっすらと汗をかいていた。

 

 しっかり燃える砂を沈殿させたところで、均等になるよう丁寧に、繊細な手つきでかき混ぜる。ここで油断すると、燃える砂が発火する危険性があるからだ。緊張もひとしお、というものだ。

 中和剤(赤)の素材も元は、燃える砂と同じく可燃性の物質であるカノーネ岩。この二つを混ぜるのだ。下手なことをすると、指の一つや二つ吹っ飛びかねない危険性がある。

 

 そしてこの危険な香りのする液体に、葉を打ち払ったガッシュの枝を漬ける。

 燃える砂を入れた中和剤(赤)にガッシュの枝を漬けることで、内側まで燃える砂と中和剤(赤)の成分を行き渡らせることが目的だ。これなら従来のものよりも、燃える速度が上がるのではないだろうか。

 

 ただ、これだけではやはり不安である。

 アリアとしては、あと二つ三つ工夫したいところである。

 

 思いついた方法は二つ。

 一つはとても簡単で、アリアとて躊躇はない。この程度ならいくらでもする。

 

 だが、二つ目の方法は、とても危険な行為をすることとなる。

 先ほど行った中和剤(赤)に燃える砂を混ぜる、という行為よりも遥かに危険だ。一歩間違えれば、手の平が大火傷をしてしまうだろう。

 それでいて効果の程はどれほどあるものか。まったくもって検討がつかない。

 

 だが、それでも――。

 

(やろう)

 

 アリアは断行することに決めた。そしてそれからのアリアの行動は早かった。

 

 中和剤(赤)に漬けたガッシュの枝をつまみ上げてよく水気を切り、調合台の上に置く。

 ここで取り出したるは、またもや燃える砂だ。調合レシピ通り満遍なく振りかけ――そして革手袋をつけた手で、赤ちゃんを撫でるように優しい手つきでガッシュの枝に擦り込む。

 

 丁寧に、一手一手細心の注意を払って擦り込む。

 カノーネ岩はその発火性の高さから、火打ち石として不適当とされている。それを加工した燃える砂の危険性など、もはや語るまでもない。爆弾の素材、という時点で想像できることだ。

 革手袋をつけて作業をすることは、もはや必須だ。いざというときには、これでも不十分だろう。下手に火花が飛べば、触っているガッシュの枝全体に火が回るだろう。革手袋で防備しているが、心もとない事この上ない。

 直接手で燃える砂を触っていないだけましだろうが、それでも肝が冷える思いだ。

 

 

 バチッ。

 

「ひっ!?」

 

 赤黄色い光。

 一瞬飛んだ火花に、思わず手が竦む。

 

 だが、運の良いことに火花が燃える砂やガッシュの枝に引火することはなく、一瞬にして調合物が火だるまとなる事態は避けられたようだ。

 

 運が良かった、とアリアは詰めていた息を吐く。

 さすがにこれ以上、危険行為を試すのも怖いので、燃える砂をもう一度満遍なくガッシュの枝に振り仕上げとする。

 これであとは窯に入れて、焼けば完成だ。

 

 けれども、あともう一つ。

 よく火が通るためにもう一工夫だ。

 

 窯にランプの灯で火をつける前に、枯れ葉や枯れ草で火種を作る。

 その上に加工したガッシュの枝を組み、うまく燃えるように隙間を作ることも忘れない。

 

 そこで取り出したるは、もはや使いすぎてマンネリの感がある燃える砂である。少し使い過ぎかもしれないが、それも仕方がない

 やっぱり火力調整をするならこれが一番なのだ。

 

 燃える砂を火種から少し離したところにうっすらと撒く。

 直接火種に撒くと、火をつける時に危険だし、火力が強くなりすぎるかもしれない。

 適切な火勢になるよう、できることは全部するべきである。

 

「そして最後に火をつける、と」

 

 ぱちぱちと火種に火が燃え移ったところで、窯の蓋を閉める。

 次の試験が終わるまでに完成していれば、アリアの勝利だ。

 今回の試験における関門を一つ突破したことになる。

 

 けれども、今はただ――。

 

「さて、あとは出来上がりを待つとするか。最後の試験を受けながら、ね」

 

 パチリパチリ、と小さな土饅頭のような窯の中から、物が燃える音がする。

 黒い煙が小さな排煙口から出てくる。

 

 カラーン、カラーン、と少し遠くの方で鐘の音が鳴る。それは試験の終わりを告げる音だった。

 

 

 

 

 

 

「ようやくこれで最後、ですわね」

 

 げっそりした顔でユリアーネが言う。

 まさしく疲労困憊といった風情で、顔色も悪い。

 

「ユリアーネ、大丈夫か?」

「大丈夫、ですわ。この程度のことでへばっていては、錬金術士として大成できませんもの。(わたくし)のことは心配しなくても結構ですわ、アリアさん。あなたはあなたで、自分のことに専念してくださいませ」

 

 そう言われれば、アリアとしては引き下がるしかない。

 ただ、アリアとは違ってユリアーネは、貴族のお嬢様だ。顔色を見れば一目瞭然だが、まだまだ余裕のあるアリアと体力を比べれば、月とすっぽんである。勝負にすらならない。

 

 アリアが、それとなく様子を見ているか、と決めたのも当然といえよう。

 

「さて、皆さん。本日はよく頑張りました、これで最後の試験となります」

 

 イングリド先生の凛とした声が、生徒たちの耳を打つ。

 静まり返った空の下、決して大きくない声量にもかかわらず、その声はすべての生徒に届いた。

 

「最後の実技試験、一年生のものは毎年変更はありません。例年通り実地します」

 

 その時、アカデミーの寮生の一角で動揺が走った。

 おそらく耳聡い生徒たちの集団だ。例年通りということは、先輩たちから試験内容を聞いておけば事前に知ることができる。

 アトリエ生であり、生徒同士のつながりが薄いアリアではできないことだが、知り合いが上の学年にいる寮生なら簡単なことだろう。

 

 事前準備ができるというのは、なんとも羨ましいことだ。

 試験にも有利になるし、いいこと尽くめではないか。

 

 なのになぜだろうか?

 

 アリアは一人首をひねった。

 

 なぜあんなに、例年通りという言葉を聞いて動揺しているのだろうか。

 

 アリアの目線の先には、イングリド先生を前にしているというのに、未だざわめきが収まらない生徒たちの集団があった。耳聡いと有名なその集団は、こちらから見てもそれとわかるほど、はっきりと動揺していた。

 

 遠目で確かではない。

 だがそれでも、アリアは見えた気がした。

 

 イングリドの赤い唇の端が、わずかに上がるのを――。

 

「最後の試験を通達します」

 

 それを疑問に思う前に、イングリドが宣言した。

 

「本日の最終試験はザールブルグ近郊での採集活動です。採った素材の数及び質によって得点とします。また魔物から剥ぎ取った素材を持ってきた生徒は加点対象となるので留意しておくように」

 

 だめだ、という三文字がアリアの脳裏に浮かび上がった。

 恐る恐る隣を振り向いてみれば、顔面蒼白となったユリアーネの姿。

 

 だめだ、ユリアーネを一人にさせたら絶対にこの試験を乗り越えられない。

 

 だが、アリアがいたとして何になるのか。

 確かにユリアーネを手助けすることはできるだろう。だが、アリアの身体能力は普通の少女からそう逸脱しているものではない。

 普通の街娘に体を鍛える機会が合わさって、普通よりも少しそちらに自信がある程度。

 本当の田舎で野山を駆け巡って過ごしてきたエリーと比べれば、簡単に負けるだろう。その程度しかない。

 勝算もなく同情でユリアーネの手助けをすれば、最悪ただの共倒れで終わってしまうだろう。

 

 自分の採ってきた素材を分ける?

 絶対に「Nein(ダメ)」だ。試験である以上、下手な同情は決してしてはいけない。協力ならまだしも、一方的な利益の享受はたとえ友人であっても、いや友人だからこそしてはいけない。

 それは彼女に対する侮辱である。

 

「アリアさん、(わたくし)のことは放っておいてくださいね。大丈夫、これくらいの疲労なんて栄養剤を飲めばどれほどのものでもありませんわ」

 

 だからといって友人の危機的状況に何もせず平然としていられるほど、アリアは冷血漢ではない。

 そしてそれは、生徒たちの間からすっと天に差し伸べた手によって示した。

 

「イングリド先生、すみません。二つほど質問してもよろしいですか」

「レイアリアですね。どうぞ、お好きなように」

「ありがとうございます」

 

 上げた手を降ろし、イングリドに向き直る。

 

「一つ目は道具の使用の有無です。そして二つ目ですが――」

 

 目を見る。

 色の違う一対の目がアリアを見定めん、とばかりに強い眼光を投げかけてくる。

 

「二つ目の質問は護衛を雇っていいかどうか、です。ザールブルグの近郊でも危険な場所が有ります。そこまで行くとなると、冒険者を雇わなくては心もとないことこの上ありません」

「なるほど、その二つですね」

 

「ふむ」とイングリドは一息ついて、アリアの質問に答え始めた。

 

「道具の使用の有無については答える必要もありません。あなたは錬金術士でしょう? そのことを考えれば答えは自ずと分かるはずです」

「確かにその通りです。愚問でした」

 

 確かにイングリドの言う通りである。

 錬金術士なら道具の使用は当たり前。禁じる方がおかしい。

 

「そして護衛を雇って良いか悪いか、ね。もちろん雇っても構いません。ですが、冒険者との交渉は生徒自らの手で行うように。――他に質問はありませんね」

 

 誰の手も上がっていないことを確認して、イングリドは一つ頷いた。

 

「只今より最終試験を開始します。日が落ちるまでに戻ってくるように。では、解散」

 

 弾かれるように、多くの生徒達が駆け出した。

 

 

 ただ、何名かの生徒は残っている。ただ出遅れてまごまごしている生徒もいるが、互いに集まり何かの相談をして者もいる。

 アリアもまた、そうした少数派の生徒に含まれていた。

 

 アリアが校庭を見回すと、エリーもまた友人であるアイゼルやノルディスの傍に駆け寄っているのが見えた。

 

 この試験、確実に採集活動になれているアトリエ生の方が有利である。

 採取に慣れていない、それどころか一回も採取をしたことのない寮生を鍛えるためか、それともふるい落とすためなのかはわからないが、よくもまあこんな試験を事前通達もないまま敢行するものだ。

 絶対後日、寮生からは不満の声が上がるだろうに。

 

 だが、今はそんなことよりも採取の準備だ、準備。

 一度アトリエに戻って、アルテナの水やクラフトなどの護身用の道具とかごを用意しなくてはいけない。

 それと、あとはユリアーネだ。

 

「ユリアーネ、私は今からアトリエに戻るつもりだ。これは交渉だが、私から調合品を買い取る気はないかね?」

「あら」

 

 そう、これは提供ではない。交渉だ。

 もちろんアリアはしっかりとお金をとる気は満々だ。切羽詰まっているユリアーネの状況はわかっているので、ぼったくる気はないが絞りとる気はある。

 

「あらあら、こんなところでご商売ですの。うふふ、いいですわ。(わたくし)にとっても渡りに船ですもの。もちろんお受けいたしますわ」

「それでは、交渉を始めましょうか」

「よろしくってよ。では、兎にも角にも……栄養剤、いただけませんか?」

「……アトリエにしかないので、そこまで着いて来てもらっても?」

「それくらいなら、なんとか……」

 

 なんとも締りのない二人であった。

 

 

 

 今日中に行って帰ってくることのできるザールブルグ近郊の採取場所と問われれば、アトリエ生なら誰でも答えることができる。

 そう、近くの森だ。西門近くにあるその森では、オニワライタケや魔法の草といった様々な植物性の素材を採ることができる。

 

 北門や南門、そして東門のすぐ側で素材をあさることも可能だが、採ることのできる素材など限られているし、採取効率も劣悪な事この上ない。

 アトリエ生で、近くの森以外の場所を選ぶ人間などいないだろう。

 

 ただ寮生は違う。

 ごく僅かではあるが、近くの森ではなくまったく違う方向に向かっている寮生の姿を、アリアは何度か見かけた。

 ちなみにその時にはユリアーネと別れていた。

 護衛の当ては、家のつてで直ぐ様呼び出すことができるのだとか。さすが貴族である。アリアとは状況が違いすぎる。

 

 それでも少し心配だったので、ユリアーネには近くの森の場所を教えてあげたが、さすがにまちなかで走り回っている寮生を呼び止めて親切に教えてやる義理はない。

 呼び止めて教える時間がもったいなさすぎる。

 今回は運がなかったと諦めてもらうとしよう。まあ、時間を費やして効率の良い採取場所を調べる気がない時点で、その程度だった、ということでもあるのだろう。

 

 魔法の草を根本から摘みながら、アリアはそんな益対もないことを考えていた。

 

「おーい、こっちにもきのこがあるよ。これは使えるかい?」

「それは……残念ながら普通のきのこですね。使えません」

「ありゃ、そりゃあ残念」

 

 今回アリアが急遽雇った護衛は――いつも通り貧窮していたザシャである。

 近くの森への護衛など小遣い稼ぎにしかならないが、その程度の仕事でも飛びついてくるのだからどれだけ困窮しているのかわかりやすい。

 日雇い仕事はやっていないのか、と聞けば、見た目が平々凡々なのでなかなか割の良い仕事が回ってこないのだという。

 

 さもありなん。

 日雇いの仕事で割の良いものといえば、やはり冒険者なら冒険者の技術が必要とされるものだ。

 だれでも良い仕事、というものは本当にその日しのぎくらいにしかならない。

 

 そして冒険者に最も求められるもの、といえば武力。これに尽きる。

 大抵の場合、雇う時にいちいち実力を見ている時間などない。ならば、何を見て実力を測るのか。

 

 答えは簡単、見た目である。

 見た目からして強そうな人間は冒険者向けの仕事だと人気がある。

 他には格好が洒落ている人間も引く手あまたとなる。見た目が洒落ている、ということは生活に余裕がある証でもあるので、それだけ仕事の達成率が高い、つまり実力のある人間だと思われやすい。

 

 ザシャはそのどちらの条件からも外れている。

 見た目は野暮ったい好青年といった風で、どこからどう見ても「強そう」という印象を受けない。むしろ、見た目だけなら本当に冒険者か疑われる人間だろう。

 

 哀れである。仕事をコツコツこなしていき、評判が広まらないことにはこの状況から逃れることはできないだろう。

 そのおかげで、アリアが雇えたというのだからなんとも皮肉である。

 

 近くの森で素材がよく採れる場所では、魔物も出る。いくら採取で外の活動に慣れているとはいえ、アリアとてうら若くか弱い乙女だ。一人くらい護衛はほしい。

 その分時間は食ったが、安全を確保する上で当然のことだ。それに護衛が一人いれば採取に集中することができる。下手に一人で周りを警戒しながら採取するより遥かに効率的だ。

 

「オニワライタケは赤地に白の斑点があるきのこです。他にこんな目立つきのこなどないので、あったら教えて欲しいですが、お仕事は忘れないように。私の護衛に集中していただければ十分ですから」

「そちらは大丈夫さ。周りの警戒を忘れることはないよ」

「なら、お任せしますよ」

 

 多少の軽口は、気晴らしにもなるし、気安い冒険者を雇えたアリアは僥倖であった。

 採取も順調だし、もしかしたら今回の学年末コンテストでは良いところまでいけるかもしれない、そんな期待で胸を膨らませていた、そんな時だった。

 

 がさり、と草むらの揺れる音がした。

 

 ばっとザシャがアリアの前に立ち、剣を抜く。

 

「誰だ? 出てこい!」

 

 鋭い誰何の声。

 

「出てこい、ですって!?」

 

 それに応じるは少し甲高い女性の声。

 

「この(わたくし)に出てこいとは、身の程知らずにもほどがありましてよ!」

 

 草むらから出てきたのは、巨漢の護衛二人を引き連れた赤毛の女性。

 小奇麗で飾りの多い錬金服といった服装、高飛車な言葉遣い、どこを見ても間違えようのない正真正銘のお貴族様であった。

 

 厄介だな、とアリアはそれとわからないほど眉根をしかめる。

 

「え、女の、子? あ、ご、ごめん。失礼なことを……」

「ザシャ、ここは私に……。申し訳ありません。私の護衛が失礼をしました」

「あら、あなたの護衛でしたの。護衛の教育はしっかりしていただかないと困りますわ。……あら、あなた、その服装はアカデミーの生徒で相違なくって? あなたのような方、(わたくし)見た覚えがないのだけれど……」

 

 それはそうだろう。アリアの前に立つ少女はどう考えても寮生だ。

 アトリエ生であるアリアとの接点なんぞあるわけがない。それがたとえ同学年であってもだ。

 

「私はアトリエ生ですので、直接会ったことはないかと……」

「あら、あなたアトリエ生でしたの。それなら合点がいきましたわ」

「……何がですか?」

 

 アトリエ生、と告げた途端に目の前の少女の目に蔑みの色が浮かぶ。

 なんともわかりやすい。いっそ清々しいほどである。

 

「寮生ならその程度の礼儀もなっていない護衛を連れているわけなどありませんものね。共にいる人間を見れば、その人の人となりがわかるというのは本当のようですわ。先人も含蓄深い言葉を残してくれたものです」

「なっ!?」

 

 いきなり喧嘩を売られてしまった。

 何がしたいのだろうかこの人は。

 

 呆れるが、だからといって何も言い返さないのは性に合わない。

 自分だけならまだしも、きちんと仕事をしているザシャまで貶めるのはいただけない。貴族だからといって、アカデミー内なら対等だ。へりくだってやる必要など毛頭ない。

 

「ええたしかにそうですね。その人の人となりを見たければ周りの人間を見よ、とはよく言ったものです」

「あら、あなたはよく自分というものを知っていますのね。良いことですわ。庶民なら庶民らしくあるのがかしこい生き方というものですものね」

「あ、あんた……!」

「ザシャ、私に任せてくれ」

「けど……!?」

 

 憤るザシャを押し留める。

 こうも真正面から馬鹿にされて怒りたい気持ちもわかるが、貴族相手に暴力はいけない。

 さすがにそこまでいくと、いくら身分の垣根が低いザールブルグでも一線を越えてしまう。

 こういう時は、言葉なら言葉で返してやるのが上等なのだ。

 

「ええ、本当に。近くにいる気配すら読めず、ぼーっと突っ立っている護衛しかいない人など、あまりにも人材がお粗末過ぎて哀れみすら湧いてくるほどです。本当に可哀想!」

「なっ!? あ、あなた……っ」

「おや、どうしましたか? 私はあなたのことなど一度たりとも口の端には登らせていないのですが」

 

 空とぼけてやればあまりにも呆気なく、貴族のお嬢様は怒りで顔を真っ赤にする。

 なんとも単純。なんとも短絡的。

 この程度で怒りを顕にするとは、ちょろい、ちょろすぎる。

 

「ふ、ふん! 庶民の遠吠えなど痛くも痒くもありませんわ。お前たち、行きますわよ」

「おや、もう行かれるのですか。では、お互いに試験を頑張りましょう」

「…………っ!?」

 

 ギッ、とこちらを睨みつけてくるが、何も怖くはない。

 こういう時、無表情というものは助かる。内心を相手に悟らせることがない。

 

「では、ごきげんよう」

「……一つ忠告してあげますわ。そんな態度を繰り返していたら、あなたいつか痛い目にあいますわよ」

 

 よほど腹に据えかねたのだろう。

 一方的に捨て台詞を言い残し、赤毛の貴族のお嬢様は森のなかへと消えていった。

 

 残されたのは、アリアと呆然と成り行きを見守っていたザシャのみ。

 

「……アリア」

「ん、どうしましたか?」

 

 先ほどまでの口喧嘩の余韻を残すことなく、既に採集活動に戻っているアリアを見てザシャの一言。

 

「君、よくあんなに口が回るね」

「……何が言いたいんだ、あんたは?」

 

 敬語も忘れて、つい胡乱げな目を向けてしまったアリアを責めるものはいかばかりか。

 溜息一つ。脳天気な顔から目線をそらし、採った素材を入れたかごを見る。

 

 かごの中には素材がうず高く積まれている。

 それを見れば、先ほどまでの不快な人間など一瞬で忘れ去るくらい些細な事だ。

 かごを背負い直し帰路につく。

 今年のコンテストの結果を期待して、アリアはザシャを引き連れアカデミーへと戻っていった。




 試験結果は来週までお待ち下さい。
 
 最終試験はなぁ、主人公がアトリエ生で採取を何回もしているので楽勝でしかないんですよね。
 前編のほうが、よっぽど内容難しかっただろうなぁ。けど一年生の時くらいしか実技試験で採取をする、なんて試験出せないし。
 二年目以降の試験はもう少し難しくなるよう、脳汁振り絞ります。

 また読みにきてください。それでは、失礼致します。

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