アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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 今回のお話にはアリアは名前しか登場しません。
 題名にもなっているイングリドメインのお話です。


閑話 その一 イングリドの思惑

 

 カリカリカリ、と紙をペンでひっかく音が、それなりに広さのある部屋の中に満ち満ちていた。

 良い年をした大人たちが机の上にある紙に真剣な表情で向い合い、無言でひたすら赤い色のインクで丸やらバツやら数字やらを書き込む姿は、傍から見ると異様である。

 お伽話に登場する悪魔召喚をする魔女達のようなおどろおどろしさが、そこにはあった。

 

 カラン、と何かが転がる硬い音がした。

 

「終わった……」

 

 全ての痛苦から開放された聖人のように穏やかな顔が、そこにはあった。

 それも仕方がない。 

 机の上にある紙の束と転がる羽ペン、それと目の下に刻まれた分厚い隈が、彼の今まで行ってきた苦行を物語っていた。

 

 すなわち――数日間にも及ぶテスト採点である。

 

 

 彼を皮切りに、部屋中から次々とパタリ、カラリと手を机に置く音と、持っていたペンを机の上に投げ出す音が聞こえる。

 穏やかだが、どこか生気の抜けた顔。疲れ果て、上体を机の上に投げ出している者もいる。

 他人には見せられない醜態だが、今この瞬間だけは誰もがそれを自分に許していた。

 

 日昼夜を問わず敢行し続けたテスト採点に、指先が痛み、目の前で星がまたたく。

 単純に成否を判断するだけなら簡単なのだが、中にはレポート並みの記述を必要とした問題もあり、生徒たちも大変だったろうが、採点する教師陣の精神力をガリガリと削ってくれる。酷使し続けた頭は鈍い鈍痛を訴えかけてくるほどだった。

 

 パンパン。と手を叩く音。

 

 風が吹き抜ける草原のように目にも鮮やかな若草色の髪。

 色の違う双眸は氷のように冷たく鋭い。

 

 アカデミーの“双璧”イングリド。その人が、書類が高く積み上げられた上座の席から立ち上がり、その白魚のような手を叩いていた。

 

「皆さん、ご苦労様。これで、今期の仕事は終了です。しばらくは講義もないので、教師の皆さんもこの休日を使って骨休めしてください。では、解散」

 

 わあ、と歓声が上がる。

 

「失礼します」とイングリドにひと声かけてから、皆好き好きに帰っていく。

 ドアの向こうから「今から飲みに行くか」「あの店はなかなか……」と、思い思いに喋る声が聞こえる。

 

 その張りのある声からは、先ほどまでの疲労は見えない。

 それほどまでに休日、という事実が精神に活力をもたらしたのだろう。

 おそらく明日は、勢いで飲み過ぎて潰れる教師も多いだろう。自己責任ではあるが、アカデミーの名を貶めるようなひどい良い方をした時には、それ相応の対応が待っているので、我を忘れるようなひどい飲み方をする愚か者はほとんどいない。

 

 それでもいた場合は……。

 

「まあ、その時はその時ね」

 

 赤い唇を不快げに歪ませて、イングリドはアカデミーが誇る教師陣営のしごとぶりを確認する。

 彼らが死人のような有り様になりながらもこなしていた仕事は、先日行われた学年末コンテストの採点だ。

 

 四年生、上の学年から成績と生徒の名前を確認するが、あまり面白みはない。それまで順当に結果を出してきた人物が、順当に上位を占めている。

 そして下位の者は、順当に落ちぶれている。特にアトリエ生の成績がひどい。二,三年生で半分の生徒が既に退学を勧告すべき段階にまできてしまっている。四年生は、既に九割方退学となっており、なんとかアカデミーの末席に残った一割も、とてもではないがこのまま卒業させるわけにはいかない。ただ、このまま留年させたとしてもどれだけ無事に卒業できるのか。

 頭の痛い問題に、イングリド目眩がしてきた。

 

「無様な結果ね」

「…………何か用かしら」

「ふん、気づいていたのね。相も変わらず嫌な女」

「嫌味をいう暇があるなら早く用件を言ったらどうなの。私も、あなたの陰険な声をこれ以上聞いていたくないのよ」

 

 声がしたのはイングリドの真後ろからだった。

 足音もなく、気配もなく忍び寄ったその女を、イングリドは見もせずに気づいていた。

 

 闇から這いずり出てきたような瘴気に塗れた声。

 けれど、どこか蠱惑的で男の背を粟立たせるような甘やかな声。

 

 髪は薄い紫色。イングリドと同じ、色の違う二つの目。

 

「ヘルミーナ」

「……ふん。それはこちらだって同じことよ」

 

 イングリドと並び立つ女傑、“魔女”の忌み名で知られるアカデミーのもう一人の“双璧"。

 ヘルミーナがそこにいた。

 

「私の要件はこれよ。リリー先生からあなたへのお手紙」

「な、それならそうとさっさと言いいなさい!」

 

 勢いに任せてひったくるように……、ではなくあくまで破らないように細心の注意を払って、ヘルミーナの手からその簡素な手紙を受け取る。

 ヘルミーナも下手に意地悪をするでもなく、素直にイングリドに手紙を受け渡した。

 

「まったく、リリー先生のこととなったら、あなたまるで犬ね。人目もはばからず尻尾を振って、みっともないったらありゃしない。私のように淑女らしくした方がいいんじゃないかしらねぇ?」

「……あなたにだけは言われたくないわね、ヘルミーナ。リリー先生の手紙だと、あなた会った途端に抱きついて離れなかったそうじゃない。淑女の名が泣くというものよ」

「な!? う、うるさいわねぇ、この堅物イングリド! 都合が悪くなったらすぐ話をそらそうとする。そんな単純な手に引っかかるのは、馬鹿な子供ぐらいなものよ。いい加減学習したらどうなの!」

「お黙り! この陰険ヘルミーナ! あなたこそ人の悪口をいつまでもグチグチ、グチグチと! そんなことだから、あなたの部屋には不気味がって生徒が寄り付かないのよ! 嫌味しか言えないような口なら、糸で縫い付けておいたらどうなの!」

 

 ガルル……ッ、と面と向かい合いながら唸る二人。

 けれど、それは二人がふいっ、と顔を背けあったことですぐ終わる。

 

 この程度の喧嘩は昔からのことだ。

 いちいち取り上げて、グダグダ長引かせるようなものではない。

 

「それで、リリー先生の手紙にはなんて書いてあるの?」

「……さすがリリー先生ね。見てみなさい、ヘルミーナ。私達にとって、最も必要な情報がここにはあるわ」

「ふーん、どれどれ」

 

 ヘルミーナが目を通している間に、イングリドは先程まで読んでいたリリーの手紙を思い出す。

 

 まずは季節のあいさつとイングリドの体調を心配する言葉。

 季節の言葉も堅苦しいものではなく、「もうすぐ夏も終わりね。秋が来たら、錬金術の素材や料理の材料がたくさん採れるようになるのが嬉しいわ。けど、まだ暑さが厳しいから無理しちゃダメよ」という、温かい人柄が文章にまでにじみ出ているものだった。

 

(まったくリリー先生らしいものね……)

 

 いつもは固く引き締まった表情を崩さないイングリドも、つい穏やかな雰囲気を醸し出すような、そんな温かいもので溢れた文章であった。

 

 それはさておき、その後に続いている、「イングリドは大丈夫だったけど、ヘルミーナはいつもこの時期に体調を崩していたから、よく面倒を見てあげてね。特に体調が悪いと食欲もなくなってくるから、少しでもいいから食べさせるようにしてね」という文章には、さすがのイングリドも閉口した。

 

 イングリドの横では、ヘルミーナがリリーからの手紙だというのに珍しく苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 

 この仲の悪い二人にしては珍しいことに、心の声が一致した。

 

 すなわち、

 

(リリー先生、あなたは私たちのことをいくつだと思っているのですか……)

 

 と。

 

 それでも、脱力するような内容だったのは、そこまでであった。

 そこから先にはごくごくまっとうなことばかりが書かれている。

 そしてそこに書かれているものの中で最も重要な事は、リリーの研究成果。庶民教育における経過と成功及び失敗事例の数々。異国の地で、新たなアカデミーを築こうと奮闘してきたリリーの軌跡の数々。

 

「なるほどね。たしかにあなたには必要な内容でしょうね。あなたには(・・・・・)

「……含みのある言い方ね、ヘルミーナ」

「それはそうよ。あなただってわかっているのでしょう、イングリド。私は反対したはずよ。アトリエ生の登用は時期尚早だ、って」

 

 切り捨てるような言い方。イングリドは鼻白むが、言い返しはしない。ヘルミーナの言い方にいちいちケチをつけていたら、話が進まないからだ。

 それにヘルミーナの言にも分がある。彼女が、アトリエ生の登用に反対していたのは事実だからだ。

 

 アトリエ生の登用は平民に対して門戸を開くことに等しい。

 

 アトリエ生という枠を作る前から、アカデミーは貴族であっても平民であっても平等に入学を許す、と豪語していたのだが実態はその真逆をいっていた。

 原因は、平民による受験率の悪さと学力の低さによる。自由に学ぶことのできる貴族や裕福な商人の子弟とは、まさに雲泥の差があったのだ。数少ない平民受験者で、一年目の試験を突破した者の数は零。そしてこの状態が数年間続くこととなる。

 そしてあまりの平民合格者の少なさに、さらに受験を希望するものが減る、という悪循環にさらされることとなってしまった。

 

 本来なら、イングリド達首脳陣はこの自体を予測してしかるべきであった。

 アカデミー設立までの長い期間、イングリド達はザールブルグの市井で暮らしてきたのだ。庶民の平均的な学力くらい把握して当然のことである。

 

 だが、そう責めるのはあまりにも酷というものだろう。

 イングリド達がアカデミーの中心に立ったのは、わずか十代の頃であった。その頃から女傑の片鱗を伺わせていたものの、当時はまだまだケツの青い若造でしかない。ここまでアカデミーを盛り立てられた事だけでも、只人と比べて異常なのだ。万事が万事うまくいくわけがない。

 

 イングリドが悪循環の構造に気づいた時には、既に入学希望者の数すらも零に等しくなっていた。

 

 しかし、神はイングリド達を見放してはいなかったのか、一人の救世主を与えた。

 アカデミー史上最悪の落第生、マルローネ。彼女こそが、この停滞した状況を打ち破る鍵となった。

 

 もともとアカデミーはマルローネの入学を許すつもりはなかった。

 資産家であるドナースターク家が後見人についている娘とはいえ、入学時の学力はお世辞にも高くはなく、合格水準を満たしてはいなかった。このまま入学しても、無事に卒業できるはずがなく、入学するだけ無駄である、と誰しもが思っていた。

 

 しかしながら、ドナースターク家の現状がそれを許さなかった。

 ドナースターク家の一人娘、シアが不治の病にかかったのである。

 

 この時の診察の結果、シアの病を治すことができる薬は、エリキシル剤のみであることが判明していた。

 だが、エリキシル剤はその絶大な効果と当時調合可能な人物がわずか三名という希少性により、市場に出回る数が王室から制限されており、値段も一資産家程度では到底手にできるような代物ではなかった。

 

 だが、ドナースターク家はそんな手詰まりの状況の中、一つの方策を考えだした。それは、自らの子飼いの人物をアカデミーに送り出し、その人間にエリキシル剤を調合させる、という方法である。

 だが、エリキシル剤はその調合の難解さだけではなく、調合時の絶大な消費魔力も問題であった。ドナースターク家が用意できる人材で、調合時に必要な魔力を保持している者。それは、当時十分な知識を持っているとは言いがたかったマルローネただ一人であった。

 

 アカデミーはその裏側にある事情を鑑み、マルローネの入学を許可したが、彼女の成績は振るわなかった。

 

 マルローネの意欲や姿勢に問題があったわけではない。「居眠り姫」というあだ名が額面通りのものなら、イングリドは五年間の再試験を許さず、退学を厳命していた。

 問題だったのは、平民出身故に劣る学力と繊細な調合を必要とする錬金術とは相反するようなガサツで大雑把な性格、そしてその性格に由来する体力任せの非効率的な勉強法。徹夜で勉強をしても、授業で寝ていてはまったく意味が無い。

 

 けれど、彼女には意志と目的があった。

 シアの病状は、彼女自身が望んだのかマルローネには知らされていなかった。だが、それでもマルローネは知っていた。親友の病状が決して良いものではないと……。

 

 親友を救いたいという思い故にか、マルローネはどれだけ失敗しようとも諦めることはしなかった。「居眠り姫」と口がさない連中が嘲ろうとも、常に真正面を向き続けた。

 

 その強さに、マルローネが持つ心の強さにイングリドは賭けた。

 たとえどれだけ反対するものがいようとも、マルローネが十分な成果を挙げられなかった時はいけ好かないヘルミーナにアカデミーを任せることになろうとも、それでもこの後の教師人生を賭けるならここだ、とイングリドは確信していた。

 

 信じていたからだ。そして、信じたかったからだ。

 マルローネの可能性を。マルローネの意志を。

 

 そして、彼女は賭けに勝った。

 

 マルローネは五年間の再試験を経て、伝説の人となった。

 エリキシル剤の調合を成功させ親友を救い、ザールブルグで五人目の賢者の石を調合した人間となった。

 

 マルローネが再試験中に叩きだした結果により、アカデミーは「平民に対してもう少し裾野を広げるべきではないか」という論調に進み始める。イングリドもマルローネの結果を鑑みて、アトリエ生の登用を提案した。

 

 だが、ここで待ったがかかった。

 ヘルミーナ一派の反対である。

 

 ヘルミーナはもともと選民主義なところがある。

 とはいえ、彼女の考え方の根底にあるものは、貴族的な伝統や歴史を重視する保守的なものではなく、「錬金術という学問にふさわしき学識と技術を持ったものにこそ、アカデミーの門戸は開かれるべき」という、実力主義が極まった、極まりすぎて偏った思想だ。

 ヘルミーナは平民の登用自体に反対はなかったのだが、いきなり実力の足りない者を補欠合格させるのではなく、アカデミーの前身となる平民向けの学院を併設し、その中から優秀な成績を得たもののみアカデミーに入学させるよう動いていくべきだと主張したのだ。

 

 イングリド派とヘルミーナ派の戦い。それは、イングリド派の勝利で幕を終えた。

 決め手となったのは、マルローネであった。彼女が結果を出した再試験。灯明のない荒れ地に道を作るより、例え獣道とはいえ既に人の足が入った道になびくのが人の常というものだ。

 この結果、ヘルミーナは一時的にアカデミーから離れることとなった。さすがにこれはイングリドも望んではいなかったので、数年の間、ヘルミーナを呼び戻すために敵対派閥の長が尽力する、というなんともおかしな事態が発生することとなる。

 

 

「今までまともに学ぶことを――出来なかったとはいえ、してこなかった連中が、目先の欲に捕らわれず研究に邁進できるはずがないわ。妥協の産物で集めた人材じゃあ、リリー先生が作り上げたアカデミーの名を貶めるだけよ。そんなこと、許容出来るわけないでしょ」

 

 そう、アカデミーを旅立つ時にヘルミーナは言い捨てた。

 

 彼女の言葉には一理ある。いや、一理どころではない。二理も三理もある。

 今のアトリエ生の現状は、まさしくヘルミーナが憂慮したものそのままだ。

 

 調合の産物は、通常の物品よりも遥かに高値で取引される。今までの品よりも遥かによく効く医薬品、魔物を一撃で打ち倒す爆薬、果てには金銀宝石までもが調合可能と聞けば、普通の人間なら目の色を変えてもおかしくはない。

 その結果が、錬金術という学問を修めようという気概はなく、錬金術を利用し金銭を得ようとするものが大半なアトリエ生。それが、学び続ける原動力となるのなら許容もできるが、そんなある意味愁傷な生徒はいない。

 

 大半の――というよりほぼすべてのアトリエ生は、平均よりも裕福な生活が保証される領域まで腕を上げれば、そこでポッキリとその先へと進む意欲を失くしてしまう。よく売れる、人々の生活に関わる物品を調合することが多い一、二年生の期間をすぎれば、「これ以上は学ぶ意味があるのか?」と言わんばかりに、極端なまでに成績が下がるのだ。

 生きていくだけなら、その程度の知識と技術でも十分すぎるからだ。ここで、学ぶ内容が一気に難しくなるのも遠因だろうが、それでも情けない。

 

 正直、ヘルミーナの言ではないが、イングリドも失望を禁じ得ない。

 学問の徒としては、アトリエ生は質が悪すぎるのだ。寮生とてたちの悪いものがいないわけではないが、比率を見ればアトリエ生よりもよほど少ない。

 寮生ともなると貴族や裕福な商人の子供ばかりなので、生活自体に不安はない。寮生でここアカデミーにやってくるのは、それ以上の目的意識を持っている人材ばかり。目標の高さが根本的に違う。

 

 だが、これはアトリエ生だけの問題ではない。彼らに目標を示すことのできないイングリドを含めた教師陣の力不足も問題だ。

 嘆くだけでは、問題を押し付けるだけでは解決なんぞできるわけがない。

 

 幸いなことに、ようやく、ようやくマルローネに続く、かもしれない人材がアトリエ生に現れた。

 一年生の成績を確認したイングリドの口元が綻ぶ。

 そこには二人の女子生徒の名が記されていた。

 

 彼女たちを観察し、分析し、次の世代のアトリエ生の教育につなげる。

 それこそが、今のアカデミーに求められていること。そしてそのためなら、努力を惜しまない。

 

 アカデミー生は二年生になれば、自らの担当教員を得る。

 担当となった生徒の教育や面倒を見ることは、教師の役割だ。

 

「ヘルミーナ、アカデミーのために協力しなさい。私はこの生徒を担当するから、貴方はもう一人の教育をお願いするわ」

「あら、私がなんであんたなんかに協力しなくちゃいけないのかしらねぇ。しかも、アトリエ生の教育を反対派だった私が? とうとうボケたのかしら、イングリド?」

 

 ねっとりとした嫌味混じりのヘルミーナの声。

 いつもながら苛立たしい声だが、いつものように喧嘩腰にではなく、真正面から見据える。

 ひたり、と合わせられた色の違う二対の目。逸らすのは、互いのプライドが許せない。

 

「ボケてもいないし、私は一度たりともあなたに“私に協力しろ”といった覚えはないわ。聞こえていなかったの、ヘルミーナ? 私はアカデミーのために(・・・・・・・・・)協力しろ、と言ったのよ。リリー先生のアカデミーのためによ」

「ふん、そんな言葉で私が頷くとでも?」

「ええ、貴方は首を縦に振るわ。貴方も私と同じリリー先生の教え子ですもの。そうじゃなくって?」

「…………本当に嫌な女。いつかこの借りは熨斗をつけて返してあげるから、首を洗って待ってなさい」

「ええ、期待せずに待っててあげるわ」

 

 イングリドから手渡された資料を、常人とは比べ物にならない速さで読み進めるヘルミーナ。

 ものの数分で読み終えた彼女の眉根には、深い渓谷が刻まれていた。

 

 ヘルミーナが持つ資料に記載されていたものの名は、「レイアリア・テークリッヒ」。今回の学年末コンテストの成績は五十七位。

 アトリエ生であり、入学時の二百番代という成績を考えれば驚異的な飛躍とみなすこともできるが、ヘルミーナが担当を受け持つ生徒は少なくとも上位二十位には入る優秀な人間ばかりである。そんな優秀な人間ばかりを揃えても、例年ついていけなくなる生徒が何人かは出てしまうというアカデミー随一の難易度を誇るヘルミーナのクラス。

 そこに、生活のために自活する必要があるアトリエ生、しかも成績は他の者と見比べても見劣りする五十七位という成績で入れるのは、少し無謀と言えるだろう。

 

「ふーん、たかだか五十七位を私が担当することになろうとはね。確かにアトリエ生としては破格の成績だけど、この程度の成績じゃあ私の授業についていけるかどうか怪しいわよ」

「その時はその時よ。その程度の子だった、と見る目のない私をいくらでも嘲ればいいわ」

 

 嘲るように笑うヘルミーナを、鼻で笑いあしらう。

 

「私が貴方に望むのは、その子の常識を打ち砕くこと。発想そのものは悪くないものを持っているのだけれど、どうにも慎重派で常識的な考え方が散見される子ですからね。このままだと、安定して成績は取れそうだけど、どうにも小さく纏まりそうな雰囲気があるのよ」

「……まあいいわ。けど、私はこんな子のために配慮なんてしてあげないわよ。私が貴重な時間を消費してアカデミーの教鞭をとっているのは、より優秀な人材を排出するため。アカデミーで教える用に手加減した内容でついてこれなくなるような子だったら、そのまま見捨てるわ。そこのところわかっているんでしょうね?」

「もちろんよ。さっきから言っているでしょう。その時はその時。そんなことになったら、私を嘲ればいい、と」

「ふん、ならそうならないように祈っていればいいわ」

 

 イングリドの言葉に面白くなさそうに鼻を鳴らすヘルミーナ。

 資料を再読する彼女は、レイアリアの学年末コンテストの結果を見て嫌そうに顔を歪めた。

 そして、呆れを含んだ視線をイングリドへと向けたのだった。

 

「まあけど、こんな簡単な試験――生徒用に調整した調合試験で失敗するような生徒じゃ、期待もできないでしょうけど」

「さあ、それはどうかしらね」

 

 レイアリアの第二試験――ガッシュの木炭の調合試験の結果は調合失敗という結果に終わっていた。

 

 原因は燃える砂の使いすぎ。

 ガッシュの枝を漬け込んだ中和剤(赤)に混ぜ、更にはガッシュの枝に擦り込んだあとさらにまぶし、火力を上げるために窯の火にまで加えていた。

 レイアリアの使用した燃える砂は通常の五倍にまで上り、その結果、彼女の調合したガッシュの木炭は炭化どころか灰と化し、まともに使用できるものではなかった。

 

 第三試験――実技試験である採取の結果は学年三位という結果を出していたが、この調合試験の結果が足を引っ張った。第一試験である学力試験の結果も平均より上ではあったが、それでも実技試験に比べれば低い。

 それが、試験の一つで学年三位をとっておきながら、総合は五十七位という結果に終わった原因である。

 まあ、実技試験は他の試験よりも配点が低いので、この結果も致し方ない部分がある。

 

「それで、あんたが担当するのは一体全体どんな子なの?」

「ええ、この子よ」

「…………何よこの子。調合試験で窯を壊した?」

「ええ、面白い子でしょう」

 

 イングリドの手にある資料。そこには「エルフィール・トウラム」の名が記されていた。

 彼女も同じく調合試験の結果は失敗。

 原因は窯を一から直した事による時間の浪費。試験時間を考慮していなかったエルフィールは、窯を直し終えたところで時間切れとなってしまったのだ。一応、彼女の作りなおした窯は従来のものよりも出来が良かったので、わずかではあるが点はとれた。そこから減点されたので、ほぼ零点に近い成績ではあったが……。

 

 学力試験はケアレスミスが多く、ぎりぎり平均点に届くかどうかという微妙なもの。

 しかしながら、実技試験である採集活動の結果は素晴らしく、団子状態である二位以下を引き離してのダントツの一位である。

 

 これによりエルフィールの成績はギリギリ百番台を切り、九十三位という成績に終わった。

 

「わざわざ成績の悪い方をとるなんて、あんたも物好きねぇ」

「好きに言いなさい。この子に必要なのは、貴方のように破天荒とも言える発想ではなくて、堅実に考え計画的に行動する安定性と判断したまでのこと。成績の如何で判断したわけじゃないわ」

「あらそう、なら学年主席が貴方のところにいっているのはなぜかしらね、イングリド?」

「!? ……見たわね、ヘルミーナ。人の資料を盗み見るなんてはしたないことね」

「あら、人に隠して自分の都合の良いように物事を進める人がはしたないなんてよく言えたことだこと」

 

 そう言って、ヘルミーナが片手に持つは「ノルディス・フーバー」という名が記された資料であった。

 すべての試験が高水準でまとまっており、調合試験はマイスタークラスで新たに生み出されたレシピそのままの手順――燃える砂の濃度を変えた中和剤(赤)に、薄い順からガッシュの枝を漬け込み、枝の奥まで燃える砂の成分を染み込ませる、という方法で調合に成功していた。

 

 最後の最終試験は、アトリエ生の多くに遅れを取るものの、うまく自分の能力不足を補う冒険者を雇っており、寮生の中では高い成績を誇っていた。

 エルフィールとともに採取を行うこともあるということだから、その時の経験とコネをうまく活かしたのだろう。この結果は畑違いの分野でも、経験さえあればそれを応用し、一定の成果を収めることができる能力があることを示している。

 少し線の細いところが心配だが、将来有望な錬金術士の卵である。

 

「貴方がノルディスをもらうなら、私はアイゼルをもらうわ。当然、いいでしょうね?」

「……いいわ。もちろん許可しましょう。けれど、意外ね。その子、今回の学年末コンテストでは六位よ。十分良い成績だけど、貴方なら二位の子をとりそうなものを……」

「冗談じゃないわ。あんないい子ちゃん、つまらないったらありゃしない。それに比べてこのアイゼルって子は、なかなか面白そうよ。気が強そうだし、なによりホムンクルスに興味があるところがいいわ。なかなか仕込みがいがありそう」

 

 ふふふ、と小さく笑う姿は、まさしくおとぎ話の悪い魔女、だ。

 善良という言葉からは程遠い。

 イングリドはヘルミーナに気に入られたアイゼルという少女に同情した。

 

 成績は六位と高いが、特に突出したところはなく、どの成績も極めて高い水準でまとまっている。

 彼女もまたエルフィールとともに採取活動をした経験からか、実技試験の成績も高い。

 

 興味深いのは調合試験だ。

 アイゼルは火属性の魔法の使い手からか、自らの魔法で一気にガッシュの枝を焼き上げ、残りの時間で窯を使い、最後の調整を行っている。錬金術士としてはあまり褒められた方法ではないが、使えるものはなんでも使うという姿勢は見どころがある。

 

 そういった部分がヘルミーナに気に入られたのだろう。

 同情はするが、自業自得でもある。

 

「ならいいわ。いつも通り、残りの十位までの子たちは他の先生達とも協議して平等に振り分けます。いいわね、ヘルミーナ」

「ええ、あとは勝手にしなさい」

 

 もう興味はなくなったとばかりに、音もなく部屋を出て行くヘルミーナを見送り、イングリドは溜息をついた。

 

「……宙に浮いてしまったわね」

 

 自分かヘルミーナで分け合うつもりだった学年次席の資料を目を通し、イングリドは眉間を押さえた。

 

 残念だが、この生徒はイングリドとヘルミーナ以外の教師が担当することとなるだろう。

 一位から十位までの生徒は、他の担当を持つ教師と平等に分け合うのが慣例だ。いつもなら、一位と二位はイングリドとヘルミーナで分け合うのだが、今回は極々稀によくあるヘルミーナの気まぐれによって、他の教師陣の元へいくこととなる。

 

 彼らは喜ぶだろう。

 いつもなら三位以下の人材しか手にはいらないのに、今回は二位の人材が自分の教室にはいる可能性があるのだ。

 

「まあ、いいわ。あの人達も期待の星に変なことはしないでしょうし……」

 

 生徒たちの資料をまとめ、イングリドもまた部屋を出て行った。

 これから、この資料を使い生徒たちの振り分け会議がある。僅かではあっても時間を無駄にはできない。

 

 足早に、イングリドも廊下の先へと消えていった。

 

 イングリドの手の内にある学年次席の資料。そこには「ユリアーネ・ブラウンシュバイク」と書かれていた。

 

 




 ゲームシステム上、やろうと思えば一年目から学年末コンテストで一位をとることは可能です。
 けどさ、たったの一年で学年最下位が学年トップに踊り出るなんて不自然極まりないと思うんだ!
 なのでアリアとエリーの成績は、一年目はかなり微妙なものにしてあります。アトリエ生の中だと一、二を争う成績なんですけどね。

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