アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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第十八話 栄養剤とブレンド調合

 学年末コンテストから一ヶ月が経過した。

 学年末コンテストを終えてから九月までの間は、すべての講義が休講となる。

 いわゆる夏期休暇というやつだ。

 そのため、寮生はこの休みを利用して実家に帰るものも多い。貴族のご子息ご息女様も多いので、ザールブルグではなく近郊都市出身の者もいくらかいるのだ。

 

 寮生ではないアリアにとっては半分他人ごとであるが、アリアの友人であるユリアーネは、ザールブルグの外から来た生徒であった。

 アカデミーに行くたびに話していた人の姿が、影も形も見えなくなるというのはなんとも物寂しいものだ、とアリアは思う。

 いつもユリアーネがいたアリアの右隣から、すきま風が吹いてくるようだ。

 

 ただ時折吹き抜ける寒風も、いつもの様に過ぎていく忙しい日々が忘れさせてくれた。

 

 忙しくとも、アリアの日々は充実していた。

 調合に没頭するアリアからは、コンテストの前までは見られなかった自負のようなものが発されていた。

 

 彼女の変化は、精神的なものが大きい。

 学年末コンテスト、全校生徒の学年順位を決める試験でアリアは五十七位という順位をとった。

 アリアを含む一年生の人数は二百八十一名。アトリエ生でありながら、平均を大幅に上回る高順位を得ることができたのだ。

 

 順位の張り出しを見た瞬間、飛び上がらんばかりに喜んだのはアリアだけの秘密だ。

 無表情と無感情が合わさって、外面からはまったくわからないものだったが、彼女は彼女なりに喜んでいた。

 

 ただ、このコンテストの結果、アリアは喜びと同時に困惑も得ることとなる。

 

 二年進級時の担当教諭の割り振りは、コンテストの結果と同時に貼りだされた。

 アリアの担当教諭はアカデミーでも名高きヘルミーナ女史であった。

 

 ヘルミーナ女史のクラスに選ばれる生徒は、学年内で二十位以内に入っている優秀な者ばかりである。これはただの噂ではなく、事実である。

 それなのに、まったくわけがわからないことに学年で五十七位という順位のアリアがヘルミーナ女史のクラスに選ばれてしまったのだから、これは大変である。

 番狂わせも甚だしい。

 

 おかげで最近アリアがアカデミーに行くたびに、ヒソヒソ、ヒソヒソと内緒話が鬱陶しいこと、鬱陶しいこと。

 

 少し考えればわかることだというのに、「どんなコネを使ったのやら」やら「さすが下々の人は媚を売るのがお上手だこと。私も見習いたいものですわ」とか言わないでほしい、とアリアは内心溜息をつく。

 

 一般庶民がアカデミー上層部とのコネを持っているわけがない。

 ついでに、ヘルミーナ先生は最近までアカデミーから離れていたんだぞ。どうやって媚を売れと言うんだ。物理的に不可能だろうが。

 

 あまりにも小うるさい陰口に、アリアは辟易としていた。

 表面上は涼しげに受け流しているが、アリアの精神力は常人と何ら変わらない。少し面の皮が厚いだけで、傷つく時は傷つくのである。

 この程度で傷つくような柔な心は持っていないが。

 

 まあ、真正面から文句をつけるわけでもなく、陰口を言うしか能のない人間の言葉で傷ついてやる義理などありはしないのだ。

 顔周りでブンブンうるさい蝿と一緒だ。気になると煩わしいが、結局はその程度の存在である。丁重にこちらが無視して差し上げれば害はない。

 その程度のことで、今回のコンテストの結果がケチつけられるわけではない。自分の実力を出し切った結果と、胸を張ればいいだけのことである。

 

 アリアの精神力は常人と同レベルかもしれないが、図太さは一段ずば抜けていた。

 

 

 

 

 

 九月の初日、アリアが二年生に進学して初めての講義がある日だ。

 運がいいのか悪いのか、それともあるいは当然というべきか。初日の講義――アトリエ生も参加せねばならない必須講義――は担当教師が講義に当たるらしい。

 つまりアリアはヘルミーナ女史が担当するクラスに行くこととなる。

 

 

 アカデミーは数日前の閑散とした様子から様変わりし、一月前の人で溢れた賑やかな様相を取り戻していた。

 初日の講義ということで、いつもより人が多いように感じるのは、アリアの気のせいではないだろう。

 

「それにしても、お久しぶりですわね、アリアさん。休暇の間はいかがお過ごしでしたか?」

「いつもとあまり変わりはなかったよ。アカデミーが休みとはいえ、私は日々の生活費を稼がなくてはいけないから、やはり仕事仕事だ」

 

 アリアに話しかけるのはユリアーネだ。

 いつものようにアリアの横で共に歩き、頭一つ分は高い位置にある顔を見上げるように覗き込む。

 歩みに合わせて肩に柔らかく落ちた金色の巻き毛が、さらさらと背に靡く。

 

 アリアの言葉を受けて、伏目がちに憂いを帯びた表情もまた麗しい。

 

「そうでしたの……。やはり、アトリエの方は大変ですのね」

「その分やりがいがある。私としてはこちらの方が自分に合っていると思っている。あまり心配しなくても大丈夫だ」

「あら、(わたくし)は何も心配しておりませんわ。アリアさんでしたら大丈夫だと知っておりますもの」

「……そうか。これは一本取られたな」

 

 顔を見合わせ、二人は笑った。

 アリアはかすかに口角を上げて、ユリアーネは鈴の音のような声でコロコロと。

 傍目では対照的だが、共有した感情は同一のものだ。

 

「それにしても残念ですわ。(わたくし)とアリアさんの担当の方が一緒でしたら、これほど喜ばしいことはありませんでしたのに。本当に、残念ですわ」

「そうそう、なにもかも都合よくとはいかないものだ。お互いに……というか、私が無事に進級できただけでも御の字というものだろう」

「もう、そういうことは言うものではありませんわ」

 

 ぷりぷりと腰に手を当ててユリアーネが怒ったふりをする。

 

「今のアリアさんの知識や調合の技量は十分にアカデミーでも通用するものです。謙虚なのは良きことですが、自分を卑下するのは良きことではありませんわ」

「そうか、ならこう言い直そうか。“私たちが今ここにいるのは当然のことだ”とね」

「そうそう、その調子ですわ」

 

 そう他愛ない話をしている内に、目的地である教室の前に着いていた。

 

「あらもう着きましたのね。では(わたくし)はこれで。また貴方のアトリエにお邪魔しますわ」

「ああ、ユリアーネなら歓迎させてもらおう」

「ふふふ、楽しみにしてますわ」

 

 そう言うと、ユリアーネは純白の錬金服を翻し、去っていった。

 彼女も自分の教室へと向かったのだ。

 

 その場に残ったのは、アリアただ一人。

 

 仕方がない、覚悟を決めるか、とアリアは教室の扉に手をかけた。

 

 開けると同時にザッと視線がアリアに集中した。

 

 視線、視線、視線。まるで視線の抱擁だ。

 アリアの全身、余すところなく教室にいた十名ほどの生徒に見回される。

 お行儀が良いことに本人を前にして陰口を叩くことはないが、そのねめつくような視線が何よりも雄弁に彼らの内心を語っていた。

 

「なんでお前のようなものがここにいる」という声なき声が。

 

 エリート中のエリートが集まるヘルミーナ女史の教室に、アトリエ生、しかも順位はたかだか五十七位の生徒が入ってきたのだ。

 声に出すかはともかく、内心は不満でたらたらだろう。

 

 だがそんなもの、言葉にしなければ聞こえるわけでもないし、悪意を含んだ視線など見なければいい。真正面から来ることがあれば、その時はその時だ。アリア自身は自分はただまっとうに勉強し、努力してきただけ、身の内に何ら疚しいところなど無いと自負している。

 もし、自分がここにいることに文句をつけてくる輩がいれば、真正面から応対してさしあげよう、となんとも勇ましいことを考えていた。

 

 ただ、アリアの覚悟はほとんど杞憂に終わる。

 結局のところ、アカデミーの生徒はとてもお行儀が良い(・・・・・)のだ。自分は自分、他人は他人と良い意味でも悪い意味でも割りきっており、内心ではどう思っていようが特別問題を起こさなければ、自分から波風を起こすような危険な火遊びが趣味の輩もいない。いわゆる、事なかれ主義、というやつである。

 その傾向は、成績が上のものほど、つまり頭の良い生徒ほど強い。

 そのかわり、自らの能力には絶対の自信を持っている者も多いのが、難点である。事なかれ主義だが、決して我が弱くはないのだ。見くびれば、がぶりと反撃される。

 

 そして、例外というものはたいていどんなところにもいるものである。

 

 

 自らに集中する視線をきれいに無視して、観衆の視線の中を堂々と横切り、自らの席に座るアリア。その間、全く表情を変えないところがふてぶてしい。

 そしてそのまま講義の用意を始めるアリア。

 

 そんな彼女の前に一筋の影が差した。

 アリアが顔を上げるとそこにいたのは――。

 

「あら、あなた部屋を間違えているんじゃないの? ここはヘルミーナ先生の教室よ。あなたのような人が来る場所じゃあないわよ」

 

 黒に近い茶色の髪。目は両目とも明るい緑色。

 白い透き通るような肌を包むは濃紅色の丈が短い錬金服。

 言葉の端々に刺が見える彼女の名はアイゼル・ワイマールという。

 

 アイゼルはアリアの友人であるエリーの友達である。またアリアとはエリーを通じて知り合った過去がある。

 仲は正直良くはない。

 アリアの不用意な一言でアイゼルを怒らせてしまったことがあり、それ以降も積極的に交流をしていないからだ。アリア自身はそんなに悪印象は持っていないのだが、アイゼルの方はアカデミーで見かけるたびに鼻を鳴らして顔を背けてくるのが現状である。どう甘く見積もっても嫌われている。

 互いにヘルミーナ女史が担当であることは知っていたが、アリアの方から接触を持つつもりは全くなく、話しかけることすらするつもりはなかった。

 

 まさか向こうの方から声をかけられるとは、アリアは考えてすらいなかったのだ。

 少しの間呆けてしまい、なにも言わずにアイゼルの顔をただじっと見つめてしまうアリア。

 しかしその地獄のような無表情のせいで、ただ呆けているのではなくまったく別の何かと勘違いされることが多い。

 そして、今回もまたそうであった。

 

「な、なによ。この程度で睨みつけなくてもいいでしょ!」

「ああ、いや。睨みつけたつもりはないのですが……」

「ふん、どうだか」

 

 無表情のせいで睨みつけたと勘違いさせてしまったが、なぜだかアイゼルはアリアのもとから立ち去ろうとはしない。

 アリアならそんな対応をされれば、無言でその場から離れるだろう。特に嫌ってる相手ならなおさらだ。

 だというのに、アイゼルは何かを言いよどみながら、この場を離れようとはしない。なにか話したいことでもあるのだろうか?

 

「…………なにかあるのですか?」

「べつに。あなたに話すようなことなんてなにもないわ」

「はあ、そうですか」

「ええ、そうよ。あなたのような人と言葉を交わすくらいなら、エリーの田舎臭いおしゃべりでも聞いていたほうがましよ」

 

 悪態混じりではあるが、エリーのことを話す時、わずかではあるがアイゼルの表情が柔らかなものとなる。その表情こそが、彼女とエリーの友人関係が確かなものであることを、何よりも雄弁に教えてくれた。

 

「エリー、か……」

「……そうそう、そういえば最近エリーを見ていないわね。あなた、なにか知ってる?」

「…………は?」

 

 いきなりの話題転換に一瞬言葉に詰まるアリア。

 けれども、アイゼルは逃さないとばかりに眼光鋭く、アリアを睨みつけてくる。

 きれいな顔な分、そうした顔をすると普通の人よりも迫力がある。

 

 いつもなら顔を見ることすらしないアリアに自分から声をかけるという奇行。唐突な話の切り替え。そして、あきらかに質問の答えを催促する態度。

 そこに寮生という立場――アトリエ生とは時間の都合やら生活環境の違いやらでお互いの予定が食い違いやすい、という事情を考慮すれば、答えは自ずと分かる。

 

 ああ、なるほど。そういうことか、とようやくアリアは合点がいった。

 つまり何ということはない。アイゼルの目的はエリーだったのだ。エリーが調合に没頭してしまったのか、それとも採取に行ってしまったからなのかは知らないが、この休暇の間、ほとんど二人は会うことがなかったのだ。

 アイゼルがエリーのアトリエを訪ねれば、それだけで済んだだろうし、気に入らないアリアに尋ねる必要性などなかったのだが、どうにもプライドの高そうなアイゼルである。自分から折れるということがどうしてもできなかったのだろう。厄介な御仁である。

 だが、だからといってアリアでも全部が全部、質問に答えられるわけではない。

 

「申し訳ありませんが、私も最近はエリーと会っていないので、今何をしているかは知りません」

「ちょっとまちなさい。あなた、エリーと同じアトリエ生でしょう?」

「同じアトリエ生だからですよ」

 

 お互いにアトリエ生の方が予定は合いにくい。生活のためにも依頼を定期的にいれねばならないし、採取で何週間も外に出る事もザラだ。まだアリアは経験していないが、学年が上になってくれば、月単位でアトリエを空けるものもいるという。

 そして合間合間に予習復習、調合の練習に講義の参加、家事とけっこう予定がギチギチに詰まっている。

 寮生は休み期間中以外はアカデミーにいることが多いので、講義にさえ行けばついでに会うこともできる。アトリエ生とアトリエ生よりも、アトリエ生と寮生のほうが実は会う頻度は高いといえるだろう。

 

 アリアとエリーは友人関係を築いているが、互い違いに採取に向かい、一ヶ月もの間顔すら見合わせることがないのもよくあることなのだ。

 今回の夏休みの間も、アリアはまったくエリーの姿を見かけなかったが、「いつものこと」とろくに考えもしなかった。

 学年末コンテストに備えて依頼を控えていたので、終わったと同時に焦げ付き始めた家計を立て直す必要があったのも原因の一つだ。そのおかげで依頼が立て込み、充実はしていたがいつも以上に忙しく、エリーのことを気にしている余裕が全くなかったのだ。

 

「あなたそれでもエリーの友達なの? 一月も顔を合わずにいて気にはならないのかしら?」

「採取とか入ってくればザラなことでしたので……」

 

 正直、いちいちそんなことで心配していたら、日々の大半を相手の心配で浪費しなくてはいけない。アトリエ生同士なら、あえて気にしないことも時には必要なのだ。

 

「そんなに心配だったら、直接会いに行けばいいのに……」

「誰が誰を心配してるですってぇ!? もういいわ。あなたに聞いた私が馬鹿だったようね!」

 

 肩を怒らせながら席に戻っていくアイゼルを見送り、アリアは嘆息した。

 

 なんともかんとも、面倒な性格だなぁ、と素直になれないアイゼルという少女の怒りで赤く染まった耳元を見つめた。

 図星を指されたからといって怒鳴らなくてもいいだろうに。まあ、それを改めて突っ込むのは野暮というものか、とアリアは小さく肩を竦めたのであった。

 

 

 

 アカデミーで最も有名な教師は誰か、と問われればその答えは決まりきっている。

 それは校長であるドルニエではなく、最初期からアカデミーの経営に携わり三十代で幹部陣の筆頭に立つアカデミーの女傑、イングリドである。

 彼女の錬金術の腕前は教師陣の中でも群を抜いており、錬金術に自らの全知全能を捧げているドルニエに匹敵する。アカデミーの経営、王宮との交渉等様々な汝と関わりながら、である。

 

 そしてアカデミーには、そのイングリドと真っ向から向かい合う女傑がもう一人存在する。

 魔女と呼ばれし錬金術士、ヘルミーナである。

 

 外見は魔女という異名がつくのもある意味納得だ。

 このザールブルグでは珍しい左右で色の違う目。薄紫の髪にそれに合わせてか、服は常に濃い紫色。似合って入るのだが、常に湛える蠱惑的な笑みのために、紫という色が持つ神秘的な意味合いを真っ向から打ち消し、不気味でおどろおどろしい印象を他人に与える。

 一度そう見ると、並大抵のことでは印象を覆せない。白磁の肌も赤い唇も美人に対する褒め言葉ではなくどこか陰鬱なものとなり、死体のように白い肌やら血のように赤い唇と称される。

 如何ともし難いのは、本人がその評を受け入れてしまっていることだ。文句をつけるものが誰も居ないのだ。

 

 そのうえ、本人の性格もその評価を後押ししてしまっている。

 他者と馴れ合うことを好まず、天才的な才能を持つ人物としてはよくあることだが、実力の劣るものに対する評価も厳しい。気に入らなければ真正面から侮蔑の言葉を吐くことも珍しくはない。自分というものを縛るのが、とことん嫌いな人間なのだ。

 

 ホムンクルスの第一人者ということも外聞が悪い。命の創造というものに忌避感を持つものは、同じ錬金術士であっても数多い。

 それ故に、彼女の悪評は絶えず、イングリドに対抗しうる存在でありながら、その傘下に就く人間は極めて少ない。しかしながら、数が少ないからこそ彼女のもとにいる人間は粒揃いだ。アカデミーを卒業してもなお旗色をヘルミーナに向ける人間は、まさしく彼女の秘蔵っ子と言っても過言ではない。

 そしてそれだけの質が揃っているからこそ、数は少ないながら彼女はイングリドと真正面から向かい合う派閥の長に立っているのだ。

 

 

 教室の壇上にヘルミーナが立つと、何やら部屋中が薄暗くなったような気がする。

 もちろん気のせいではあるが、ヘルミーナもまた人に影響を与える空気を持っていた。

 

「私の授業では錬金術の神秘と深淵を、あんた達の軽い頭に叩きこむわ。ついてこれないものは容赦なく置いていくから覚悟なさい。まあ、精々頑張りなさい」

 

 いきなりの毒舌に生徒たちは軽く目を見開くが、そこはそれ、エリート揃いのヘルミーナクラスである。ざわめき一つ起こさず、教壇に向かい合う。

 

「今回の講義はブレンド調合について。二年になると同時に全生徒に教えられる調合方法よ。まあ、一定の成績を修めた生徒は、事前に教えられることもあるけどね。私のクラスに来る生徒でこれを教えられていないものはいないだろうから、さっさと先に進むわ」

「あの、申し訳ありません。私はまだなのですが……」

 

 手を高く挙げ、臆することなく事実を伝えるアリア。

 周りの目が集中するがそんなことは気にならない。

 一応予習はしてあるのだが、しっかりと内容は教えてもらってはいないので、それを真正直に言う。

 

「ふーん、で?」

 

 それはまさしく路傍の石を見る人間の目であった。

 血の通った人間を見る目ではない。興味のないもの(・・・)を見る目であった。

 その目を見ただけでアリアは悟った。

 

 あ、これは教えてはもらえないな、と。そして同時に、予習をしておいてよかった、と「高等錬金術講座」という参考書の表紙をなでた。

 これを持ってこなければ今回の講義、訳がわからないまま終わってしまっただろう。

 

「話したいことはそれだけ? そんなつまらないことで私の講義を止めるとはいい度胸ね」

「申し訳ありません。私が軽率でした」

「へぇ、自分の非を認める程度の知能はあるわけね……」

 

 努めて冷静に返したのだが、なにが琴線に触れたのかヘルミーナの眉が、危険な角度にピンッと軽く跳ね上がった。

 一瞬アリアの背筋に震えが走ったが、それをおくびにも出さず色違いの瞳を見返した。

 

「いいわ。レイアリア・テークリッヒといったわね。ブレンド調合というものがどういった調合か説明してみなさい。まさか、予習すらしてきていない、って馬鹿なことを言うつもりはないでしょうね?」

「……いえ、予習は終えています」

「なら問題ないわね。早くしなさい。時間は有限なのよ」

 

 一体どういった心境の変化かわからないが、怒らせるのも面倒だと、アリアは間髪入れずに口を開いた。

 

「ブレンド調合とは、調合する際の材料の配分を参考書のレシピ通りではなく、自分で自由に決めて行う調合のことです。調合品の品質・効力を高める際に有用ですが、事前に天秤がなければ細かい配分の調整ができません」

「ふぅん、確かに通り一辺倒の説明は知っているようね。じゃあ、一つ質問をしようかしら。なぜ参考書のレシピには、ブレンド調合で最適とされた配分が載っていないのか、あんたにわかる? この二十年の間にブレンド調合の結果、最適と思われるレシピはいくつも発見されてきた。なのにその調合比率は参考書に載っていない。さて、この問題があんたに解けるかしら?」

「それは……」

 

 そんなことわかるはずもない。

 だがここで何も答えられなければ、どうにも機嫌が悪くなりそうだ。

 

 破れかぶれだが仕方がない。ブレンド調合には天秤が必要だ。つまりはそういうことではないだろうか。

 

「ブレンド調合には天秤が必要だから。それもかなり精度の良い、錬金術用に調整されたものが。ですが錬金術用の天秤は高く、普通の人では用立てできない。だからこそ通常の天秤でも調合することのできる平易なレシピが参考書に載せられるようになった。……違いますか?」

「…………」

 

 楽しげにニヤニヤと、獲物をいたぶる猫のように加虐的な笑みを浮かべるヘルミーナ。

 人が悪いなぁ、とどこか諦めの境地に達しているアリア。

 

「面白い意見だけど、違うわね」

「……ああ、そうですか」

 

 まあ、これは予想がついたことだ。適当に思いついたまま理論を組み立てただけで正解したら、逆に驚きである。

 

「参考書に乗っているレシピは、一番成功率が高いものを採用しているのよ。初めてその調合に挑戦する人間でも、一定の成功率を確保できるように、ね。まったく、そんなつまらない理由で最適解を乗せないなんて非効率的だと思わない? あの女もつまらないことをするものよねぇ」

「申し訳ありません。私には答えかねます」

 

 さすがにそんな無茶ぶりをされても、アリアでは困惑するしかない。

 その面白みのない返答に少し気を悪くしたのか、ヘルミーナは鼻を鳴らして顔を背けた。

 

「まあ、いいわ。今回ブレンド調合を行うのは栄養剤よ。これを通常のレシピで調合するものよりも、品質・効力が高くなるように調合しなさい。ヒントは、栄養剤の主軸となる素材を一度考えること。そうすれば自ずと正解に近い答えが得られるわ。さあ、天秤はそれぞれの机に用意してあるわ。ブレンド調合の肝は正確な配分比率。ちょっとでも間違えたら、そこからケチがつく。大胆に配合比率を決め、細心の注意をはらい天秤で量り取りなさい。グズグズしている時間はないわよ」

 

 

 栄養剤の調合はそう対して難しいものではない。

 必要とされる調合の技量は基本的な調合品であるアルテナの水とそう対して変わらず、調合方法も似通っている。

 

 まずオニワライタケをざく切りにし、ぐつぐつと鍋で煮込む。この時使う水は事前に調合しておいた蒸留水を使う。オニワライタケはその名の通り、人を笑わせるという効果の毒があり、食べると一日中笑い続けることとなる。

 その毒を抜くために、蒸留水でしっかりと煮こむ必要があるのだ。ここで、蒸留水以外の水を使うと不純物で上手く毒が抜けず、栄養剤を飲んだ人が笑い転げる羽目となる。

 

 しっかりと毒抜きをしたら、毒を含んだ蒸留水を捨て、中和剤(緑)で軽く沸騰するまで煮こむのだ。この間、焦げ付かないようにかき混ぜながら魔力を注ぎ込まなくてはいけない。

 混ぜながら魔力を注ぎ込む、という手法がアルテナの水と似ているが、それよりはよほど作る手間がかからない。

 アルテナの水はかき混ぜ、魔力を注ぎ込み、さらに中和剤(緑)も一緒に加えるという三つの工程を同時に行わなくてはいけない。そちらのほうがよほど大変だったので、栄養剤を調合するほうがまだ楽なのだ。

 

 そして一度沸騰したら火から降ろし、冷めるまで待つ。触っても問題がないくらいまで温度が下がれば、ろ過器で残ったオニワライタケの欠片や繊維を濾し取り、瓶に詰めて完成だ。

 

 改めて参考書見て手順を確認するが、間違っているところは何も無い。

 問題は……。

 

「素材をどういった比率で調合するか、だな」

 

 栄養剤の基本レシピは、蒸留水が二にオニワライタケが二、中和剤(緑)が一とされている。

 ここからどう材料を増減させるか、それが今回の問題だ。

 

 まず考えるは栄養剤の主軸となる材料・オニワライタケだ。

 基本的に栄養剤の主要な成分はオニワライタケから抽出したものだ。蒸留水はオニワライタケの毒抜きにしか使われていないし、中和剤(緑)は煮溶けたオニワライタケの効果を引き出すために使う。基本となるのはオニワライタケなのだ。

 なら、単純に考えればオニワライタケの量を多くすれば、より効果の強いものが出来上がる、と考えて間違いないだろう。

 

 そして次に量を増やすべきは蒸留水だ。オニワライタケの量を増やしたなら、より多くの毒が出るのもまた必然。その分、蒸留水を増やし、毒をしっかり抜かなければ、お客様に渡せない代物と成り果てる可能性がある。

 

 逆にそう対して量を変える必要がないと思われるのが中和剤(緑)だ。オニワライタケを増やした量に合わせて、少し加えたほうが良いかもしれないが、中和剤(緑)はオニワライタケの効果を引き出すものであり、魔力をなじませる触媒にすぎない。あまり増やしすぎれば、逆にオニワライタケの成分を薄めることとなり、せっかく増やした分を意味のないものにしてしまうだろう。

 

「ふむ、ではこれでいこうか」

 

 頭の中で計算した比率を簡単にメモにとり、アリアは早速天秤を手にとった。

 

 

 

「…………うむ、良い出来だ」

 

 最後の一滴まで瓶に注ぎ込み、アリアは瓶の口を閉める。

 茶色の瓶の中、緑色の液体がちゃぽんと揺れる。

 

 品質と効果を確かめてみれば、アリアの調合した栄養剤はどちらの値もA+という評価が出ていた。

 紛れも無い成功である。鼻が高い。

 

 だか、アリアと共に教室に残っている生徒の数は少ない。天秤の扱いにアリアは慣れていなかったので、余計な時間を食い、ほとんど最後まで居残る羽目となった。

 だが、その分成果は出した。

 気難しいヘルミーナであっても、アリアの調合した栄養剤を認めないなんてことはないだろう。

 

 アリアは意気揚々と、教壇で待つヘルミーナのもとに栄養剤を持っていった。

 

「ヘルミーナ先生、栄養剤の確認をお願いします」

「ようやく来たわね、遅いわ。もっと高度な調合品ともなると、調合時間が重要になってくるものもあるわ。もっと手際よく調合するように」

「…………」

「なに突っ立っているのよ。もう帰ってもいいわ」

「え、もう終わりなんですか?」

「栄養剤ごとき、一目見れば大体の質が分かるわ。あんたの栄養剤は一応及第点ね。ブレンド調合に必要な考え方は身に付いてるようだし、これ以上なにかを言う必要もなし。わかった? ならさっさと帰りなさい」

「……わかりました。では、失礼します」

 

 少し釈然としないが、ヘルミーナ先生がそう言うならそういうものなのだろう。

 頭をかしげながら、アリアは教室を後にした。

 

 

 

 一日の授業が終わったからか、アカデミーの廊下は人の数が少なく、とても静かであった。ユリアーネのことが頭の隅にちらついたが、もうすでに寮に戻っているだろう。ユリアーネはアリアよりもよっぽど優秀だ。アリアのように天秤の扱いに手間取り、時間を浪費するような間抜けなことはしないだろう。

 

 早く家に帰ろう、とアリアが夕日が差す廊下を歩いている時だった。

 廊下の反対側からだれか急いで走ってくるのが見えた。

 茶色の髪に柔らかな黄色の錬金服と赤色のマント。

 走ってくる男子生徒はノルディスであった。

 

 けれど、様子がおかしい。ノルディスは廊下を走るような生徒ではないのだが。

 もしかしたら、何か緊急事態があったのかもしれない。アリアはノルディスに声をかけることに決めた。

 

「ノルディスさん、何かあったのか?」

「あ、君はたしかアリア、だよね? うん、ちょっとエリーが……」

「エリーに何か?」

 

 何かあったのかもしれない、とは思ったがそれがエリーだとはまったく予想もしていなかった。いつも元気なエリーに何があったというのだろうか?

 そういえば、最近顔も見ていなかった、とアリアの胸中に暗雲が立ち込める。

 

「うん、エリーが疲労で、その、倒れて……」

「な!? ……それでエリーの容態は?」

「幸い、ただの過労だって。僕は先生を呼んでくるからアリアもエリーのことを頼んでもいいかな? アイゼルが見ててくれてるけど、一人だとやっぱり心配だから」

「そうか……。ならひと安心ですね。わかりました。私も看ています。エリーがいるのは医務室ですか?」

「うん、そうだよ。それじゃあお願いするよ」

 

 そう言うと、ノルディスは来たときと同じように走っていった。

 アリアもまた急いで医務室へと向かう。

 頑張りすぎは体に毒だぞ、とエリーのことを思いながら。

 

 

 医務室まではそうたいして離れていない。

 ノルディスと別れてから大して時間をかけることなく到着した。

 アリアが扉にてをかけたその時であった、小さな声が聞こえてきたのは。

 

「まったく、あなたときたら人に心配をかけるだけかけて、こんなところでぐーすか寝てるなんて。いい身分ね、うらやましいほどね」

 

 その少し気取ったしゃべり方は、アイゼルのものだった。

 

「あなたが倒れるなんて明日は雨かしら? それとも槍でも降るのかしら? どちらでも青天の霹靂であることには変わりないわね」

 

 嫌み混じりのその話し方。

 いつものように、普段と変わらぬ様子で話しているつもりだろうが、その声には張りがない。萎れた花のように、どこかくたびれている。

 

「ああもう、あなたが元気ないと調子が狂うのよ! 私が手ずから作った栄養剤あげるから、すぐにいつものように能天気に笑ってなさいよ! いい? これは命令よ!」

 

 医務室のドアの前で立ち尽くしながら、アリアはあごに手を当て考えた。

 

 今、この中に入って行くのはあまりにも空気が読めていないな、と。

 ここにいたこともばれるのは、自分にとってもアイゼルにとっても歓迎出来ないことだろうな、とアリアは嘆息した。

 

 仕方がない。約束やぶりになるが、ここはアイゼルに任せるとするか。

 アリアはせっかく来た道を戻っていった。

 ノルディスになんて言い訳しようか、と考えながら。

 

 アリアの影が夕日の差す廊下に長く、長く伸びていた。


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