アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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第十九話 シャリオチーズとホッフェンの花束(上)

 ガタゴトと馬車が揺れる。

 作りが良いのか街道を走る幌馬車よりも揺れが少なく、下にひいたクッションのおかげか揺れで腰を痛める心配もない。

 あまりの座り心地のよさに、逆に尻が落ち着かないほどだ。

 

 アリアが馬車の窓から外を見ると、涼風が顔を撫ぜる。

 赤く色づいた山々が、秋の深まりを教えてくれる。道の端々には野花が咲き、風に揺れている。

 時折聞こえるのは鳥の声。

 なんとものどかな光景だ。いつまでも見ていたいほどに。

 

 けれども意を決して、アリアは馬車の中へと視線を戻した。

 

 内装もどこにも手を抜いていない。

 どうやったのか、白い革張りの腰掛けに天井。

 足元には何の動物か、ふわふわの白い毛皮。

 窓枠には丁寧に意匠が施され、一枚の絵画のように流れ行く風景を切り取る。

 

 豪奢というよりも上品で優雅な内装である。

 どれだけ金がかかっているのか、アリアは考えたくもなかった。

 

 そんなアリアの隣には、ガチガチに緊張したザシャが座っている。

 これで使い物になるのか不思議に思うほど、お高い馬車の中で気後れして全身が強張っている。

 

 アリアの前にはにこやかに笑うユリアーネ。

 全身から「一緒に旅できて嬉しい」という空気が発されている。

 

 そのユリアーネの隣りに座るは、仏頂面で目を閉じている銀色の鎧をまとった。女騎士の姿。

 ユリアーネと同じ金髪碧眼。その深い青の瞳は、今は瞼の裏側に隠れているが、頭の上でまとめられている見事な金髪は隠しようがない。

 美しい女性だが、れっきとした騎士の地位を持つユリアーネの護衛である。「お嬢様とご学友の談笑をおじゃまするつもりはありませんので」と言ってから、言葉通り一言も喋っていない。

 どうにも空気に刺が隠されているような気がするのは、アリアの気のせいだろうか?

 

 なぜこんなことになったのか、アリアは事の発端を思い返す。

 それは一月前のこと。

 九月に入りしばらくした頃のことであった。

 

 

 

 

 夏の暑さが和らぎ始め、生命力で満ち満ちていた深緑の葉が赤や黄色の衣をまとい始めていた。

 

 季節の移り変わりを日々目にしながら、アリアはいつものように鉄を打ち、アルテナの水や栄養剤といった薬を調合し、はちみつや水飴といったお菓子を作る。そんなありふれた一日であった。

 少し違ったのは、それは数少ないユリアーネがアリアのアトリエに遊びに来る日だったということか。

 

 ユリアーネはアリアのアトリエを訪ねる時には、たいてい何かしらのおみやげを伴ってやって来る。

 アリアとしてはユリアーネだけでも大歓迎だが、このおみやげもまた好ましい。

 ザラメから雑味を取り除いて作った砂糖をふんだんに使ったお菓子は、上品な甘さでいくら食べても食べ飽きない。

 モカパウダーという珍しい食材を使ったお菓子は、甘さの中にほろ苦さがあり、それが得も言えぬ美味を引き立たせている。

 

 こうした作り手の妙を感じさせるお菓子も嬉しいが、最近ではカステラやはちみつといったちょっと庶民向けのお菓子も持ってきてくれる。このどちらも参考書に載っている錬金術で調合することのできる品だ。

 つまり、貴族であるユリアーネが慣れないながらも手作りしてくれた品というわけだ。これ程嬉しい品があろうものか。

 心なしかアリアもまた、一流の料理人が腐心して作り上げた芸術品のようなお菓子よりも、ユリアーネが作った品のほうが美味しく感じる。

 

 それを正直に伝えれば、ユリアーネはその日一日中顔を真っ赤にして俯いていた。

 

 素直に賞賛しただけだというのに、そんなに照れるようなことだろうか、とアリアは思ったが、それを言えば「アリアさんが男性でなくてよかったですわ……」と困ったように微笑まれた。

「どういう意味だ?」と問いかければ、呆気にとられたように口を開きポカーンとしていた。そしてこらえきれない、とでも言いたげに突然笑い始めたのだった。

 

 そんなに変なことを聞いただろうか、と自分で自分を疑問に思うアリアだったが、そんなアリアにようやく笑いの発作を収めたユリアーネはただ一言、「そのままの意味ですわ」と意味深な返答を残すばかり。

 

「ううむ」とアリアは首をひねる。

 何の影響か、最近ユリアーネは出会った頃よりもずいぶん図太くなってきたように感じる。

 まあ、最初の頃の小動物のような様相も可愛らしかったが、のびのびと自分を出しているユリアーネもまた好ましい。

 

「ところで話は変わるのですが……」

 

 アリアのアトリエに置いてあるものの中ではとびっきりの上物であるティーカップを上品に傾けながら、ユリアーネは切り出した。

 

 一応上客が来た時用にと奮発して買った値打ち物なのだが、生粋の貴族であるユリアーネの前では半端なものだと形無しだ。

 色といい形といいなかなか趣きのある代物なのだが、ユリアーネ相手では分が悪い。位負けも甚だしい。

 

「十月にレッテン廃坑をお訪ねする予定だと、この間耳にしたのですが」

「はてさて、さてはて。確かに十月はこの時期を利用して採取に行くつもりだが、一体全体どこで噂雀のさえずりを聞いたのかね?」

「雀、というよりも可愛らしい子犬さん、といったところでしょうか。アカデミーで見かけたのですが、ちょっとお尋ねすれば色々と教えてくれましてよ」

「……ふむ」

 

 答えを明言しないようにか、答えをはぐらかすユリアーネだが、そこまで言えばもう答えを教えているようなものだ。

 

(十中八九エリーだな)

 

 同じようにティーカップの中のお茶を楽しみながら、アリアは心のなかで断言する。

 アリアとユリアーネの共通の知り合いで、子犬じみたところがある人物など彼女以外に存在しない。

 人懐っこいところといい、いつも元気にアカデミーやザールブルグ中を駆け巡っているところといい、どうにもこうにも犬っぽい。 

 

 ところで、一体ユリアーネはどのような提案をしてくるのだろうか、ちょっと、いやかなり興味がある。わざわざ話題を変えて切り出した、ということは何かしらの提案、もしくは要請があるはずだ。

 

 一番確率が高いのは、一緒にレッテン廃坑に行きたい、というものだろうか。

 とうとうユリアーネも採取に行く気になったか、とアリアとしては何やら感慨深いものがある。

 

 ただ、ユリアーネからの提案はアリアの予想の斜め上をいった。

 

「良ければ(わたくし)と一緒に、ちょっと寄り道してみませんか?」

「……ふむ」

 

 寄り道、寄り道ときたか。

 

(なかなかこじゃれた言い回しだな。……だが、はてさて、さてはて。一体どうしたものか……)

 

 そういうユリアーネの顔には何の衒いもない。

 どうしたもの、と頭を悩ますが、この場はユリアーネが機先を制した。

 

「もちろん、(わたくし)の方から護衛も出しますわ。それに南方には(わたくし)の実家もありましてよ。多少回り道をすることになりますが、レッテン廃坑に行く前に立ち寄れば、邪魔な荷物を全部降ろしてから行くこともできますわ。アリアさんが残していかれたお荷物は、我がブラウンシュバイク家が責任をもってお届けしますのでご心配なく」

「…………すごくいい条件だな。対価は?」

「採取のコツを手取り足取り。よろしくって?」

「……うん」

 

 話だけ聞いていれば、なんとも破格の条件である。これで断るのはただの阿呆だ。

 もちろん報酬を釣り上げるのも。

 

 護衛は先日のコンテストで雇った、というかもともとユリアーネの護衛の人だろう、それ。護衛も給料のうちだから、元値は無料に近いだろう。とか、荷物はブラウンシュバイク家がわざわざ届けてくれるらしいが、それって結局ユリアーネが採取したものと一緒に送り届けるだけだから、手間賃が多少上乗せされるだけですむよね。とか、新しい採取地を教えてくれるとはいえ、それって地元だからもともと知っていた場所だろうが。とか、裏を見ればほとんど金をかけずにノウハウを絞るとるつもりが満々である。

 だが、先述した通り相手の事情が透けて見えるからといって、この破格の条件で報酬を釣り上げるのは、愚行という他ない。

 

 ぶっちゃけ、アリア程度が保有する採取のノウハウなど、そうたいしたものではない。

 やろうと思えば他のアトリエ生でも雇えばいいし、市井の錬金術士も数は少ないが存在している。

 

 特にユリアーネも知っているエリーなどはこの依頼に適任だ。

 採取に関して抜群の適性があるうえ、本人の攻撃能力も高い。杖でウォルフを殴り殺すな。

 

 新しい採取地というのも、エリーにとっては喜ばしい報酬だろう。

 アリアとて、それだけでこの依頼を受けても良いと思わせる見返りだ。

 とはいえ、この報酬が価値を持たない輩も多い。錬金術士であっても、採取自体に興味が無い寮生や新しい調合品を開拓する気のない、もしくはその実力がないアトリエ生では底値で原価割れもいいところだ。

 

 見事、という他ない。

 最低限の支出で、相手にも相応以上の見返りを与えておきながら、自分も支出以上の成果を上げる手腕は褒め言葉しか出てこない。

 

「十分すぎる、な」

「では、交渉成立ですわね」

 

 頷くアリアを見て、してやったりと微笑むユリアーネ。

 ここに、交渉は成立した。

 

 

 

 

 

 そう、ここまでは問題がなかった。

 まったく問題はなかったのである。

 

 頭を抱えたのは約束をした当日、つまりは昨日のこと。

 ユリアーネ達がアリアのアトリエを訪れたその時であった。

 

 

 

 

 

 ぐるんぐるん、と遠心分離器を回すアリア。

 

 中の物が固まり始めたのか、少しずつ取手が重くなっていく。回すのがそろそろきつくなってきた時に蓋を開ければ、並々と溜まった黄色い油と、底に沈殿した油よりは少し白い物体。原料であるシャリオミルクが分離したのだ。

 

 これをまとめてろ過器にかける。少し量があるので何回かに分けてろ過をする。

 ろ過を終えれば、だいたい瓶の半分ほどの油と手の平一杯分の白い物体――シャリオチーズのもとが出来上がった。

 このシャリオチーズのもとを型に詰め、魔力を込めながら一度かき混ぜればアリアの行うべき作業は終了だ。

 時間を置いて発酵させれば、シャリオチーズの完成だ。

 

「へぇ、これがシャリオチーズになるのかぁ……。見た目は普通のチーズとそこまで変わんないなぁ」

「さすがにしないとは思いますが、触らないでくださいね。完全に固まるまでに下手なことをすれば、そのまま失敗になることもありますので」

「いや、さすがにそんなことはしないよ。けどすごいなぁ。本当にレンネットも使わずにチーズが作れるんだなぁ」

 

 興味津々といった様子で、型に詰め込まれたシャリオチーズの前段階をしげしげと見つめるのはザシャである。

 錬金術の作業工程を初めて見るのだから、この反応も当然だろう。

 

「とはいえ、レンネット無しでチーズを調合できるのは、現時点ではシャリオミルクだけです。おかげで、レンネットを使っていないのに値段は結構なものがしますよ」

「シャリオミルクなんだ!? あれって普通のミルクよりもかなり高いよねぇ……」

「一本銀貨五枚しますからね。普通のミルクなら銀貨一枚でもお釣りが来るほどなんですが……」

 

 紛れも無い事実である。

 チーズを作るためには普通、仔牛や仔山羊の胃袋から取り出したレンネットと呼ばれる素材が必要となる。作るために貴重な仔牛を潰すこととなるので、チーズの値段はかなり高い。

 

 ただ、シャリオミルクを使えば、錬金術士が作り手ならばという注釈がつくが、仔山羊を潰さなくてもチーズを調合することができる。原理はまだ証明されていないが、油分を分離したシャリオミルクに魔力を加えると凝集し始めるのだ。

 これによりレンネットを使わなくてもチーズを作ることが可能なのだ。

 ただし、元の素材が普通のミルクよりも何倍も高いうえに、錬金術士の手が必要なので、お値段は相応のものとなる。

 

 結局のところ、そうした事情も相まって普通のチーズとそう対して値段は変わらなかったりする。

 

 まあ、そんなチーズについての講釈は、今は関係ない。

 それよりも――。

 

「ザシャさん、なぜ今ごろ。約束していた時間にはまだかなり早いはずですが?」

「あはは……、ええっと、その~……」

 

 アリアとしては別に構わないことではあるが、質問をすれば何故かザシャが言い淀む。

 

(あ、冷や汗)

 

 ザシャの額から汗が一筋、零れ落ちるのが見えた。だらだらと滝のように流れる汗。

 

 沈黙が流れる。

 無言でザシャを見つめるアリア。その視線から逃げ出そうと、目線を彷徨わせるザシャ。

 アリアからすれば単に疑問に思ったから口に出しただけである。待ち合わせまでの時間つぶしに寄っただけ、と言われても「まあ、いいか」で流すつもりであった。

 ここまで口ごもられるとは思いもしなかった。

 そして黙り込まれると、ついつい聞きたくなるのが人情というものである。

 

 そして無表情が標準のアリアは、完全に黙りこむと妙な威圧感がある。

 まるで「黙らず全部喋れ」と責めてたてているかのように。当然、本人にその気はまったくない。

 

 そしてそれに対するザシャの返答は――。

 

「すみません! 朝飯たからせてください!!」

「…………は?」

 

 腰を見事九十度に曲げ、勢い良く頭を下げた。

 空気を読んだのか、タイミング良くザシャの腹の虫が、特大の鳴き声を響かせる。

 ぐるるる、ぐごごご! と、どこの魔物の鳴き声か、と言いたくなるような轟きである。

 

 アリアは頭が痛くなった。

 

「……うん、ちょっと待って下さい。ご自宅に食料品は?」

「…………昨日夕飯にしたベルグラド芋が最後です」

「どうやったらそこまで追い込まれるほど無駄遣いできるのですか?」

「ええと、ほ、ほら装備とかに金かけちゃって……」

「見た目、まったく変化していませんが」

 

 バッサリと切り捨てるアリア。

 数カ月前に購入した剣以外、ザシャの格好は出会った頃と何ら変わっていない。

 装備に金をかけたというが、かけるべき金すらかけていないのが現状だろうに。それでも並みの冒険者よりはよほど強いうえに、新人であることとお上りさん丸出しの見た目から賃金がとても安いのでアリアは好んで雇っているが、正直なところ、出会い頭のもろもろやその後の妙な縁がなければ絶対に使ってはいなかっただろう。断言できる。

 

 それほどまでに、ザシャは見た目に気を使っていなかった。どこからどう見ても強そうな冒険者には見えない。

 数カ月前からそのまんまで、装備に金を浪費したとはあまりに苦しい言い訳だ。そこらの子供のほうがよほどマシな嘘をつくというものだ。

 

 今度は「正直に喋れ」という意思を込めてアリアはザシャを睨みつける。

 ザシャは往生際悪くごまかそうと「あー」だの「うー」だの言葉にならない声を発していたが、まったく目線を逸らさないアリアに根負けしたのであった。

 重々しく口を開く。

 

「……ごめん。ちょっと見栄張って、仕送り奮発しちゃって……。仕事あれば大丈夫とか思ってたけど、その仕事自体がなくて……」

「君は馬鹿か?」

 

 アリア、思わず敬語をかなぐり捨てて一言。

 年上とはいえ、もはや敬語を使う気にもなれない。

 

「仕送りをしているのは立派だとは思うが、生活費くらいは残しておくのが常識だろうに……。あと冒険者の仕事なんて水物極まりないものだろうに。一年間冒険者をやっていてそれくらいわからなかったのか?」

「あ、あははは……」

「笑い事ではないだろう。……まあ、いい。簡単なものでよければ朝ごはんくらいなら用意してあげよう」

「え、本当!?」

「ただし」

 

 さすがに仕事中に倒れても困るので、ご飯を出すくらいならアリアとしても異存はない。

 ただ、食事代とて無料ではないのだ。

 

「今回の朝食分、賃金から引かせてもらう。ちょっとは反省しなさい」

「いや、うん、今回は本当にごめん……」

「謝る暇があるなら食器棚から皿を出す。働かざるもの食うべからず、だ」

「そうだね、たしかにそうだ。じゃあ、馬車馬のように働かせてもらいますかね」

「まったく……」

 

 呆れながらも、アリアの手は動きパンを厚めに切る。

 これに燻製肉の炒めものと卵でもつければ朝食としては十分だ。

 

「あ、臭い消しにズユース草を使わないと……」

 

 燻製肉にちぎったズユース草をふりかけ、油が出てきたところでといた卵を注ぐ。

 焼きながらかき混ぜ、卵を広げる。ある程度固まったところで一巻きにすれば燻製肉のオムレツの出来上がりだ。

 中まで火が通ったことを確認して火から上げれば、朝食の完成である。

 

 男性には量が少ないかもしれないが、それくらいは我慢してもらおう。

 何を作るかはこちらの勝手だ。

 

「ほら、できたぞ。お皿はどこだ?」

「ん、こっちだよ」

「ありがとう」

 

 安い木の皿に、軽く焦げ目のついた黄色い卵をふんわりと乗せる。

 卵は半熟が美味しいという人もいるが、しっかり火を通さないと腹を壊す人が結構いる。

 運が悪いとそのまま……、という人もなきにしもあらず。ちょっと固くなるが中まで火を通したほうが安全なのだ。

 

「あれ、君の分は?」

「私はもう食べた。じゃなきゃ朝っぱらからシャリオチーズを作っているわけないだろう?」

「あ、そうか」

「君は馬鹿だ」

 

 もはや断言である。

 ザシャの前に、燻製肉入りのオムレツが乗った皿とパンが乗った皿を差し出す。そして同じようにザシャの目の前の席に座るアリア。

 ザシャは食事の前に祈りの言葉を唱えてから、フォークをもって食べ始めた。

 がつがつ、とまったくもってみている此方のほうが気持ちよくなるような食べっぷりだ。

 

「私のアトリエには妖精さんもいるのだぞ。子供を空きっ腹のままで放置する保護者がいるものか」

「妖精さんが子供か……。あの子たちは見た目通りの年齢じゃないけど?」

「それは知っている。けどあの外見とあの子供っぽい仕草で子供扱いするな、というのは無理がある」

「ふーん。ま、たしかに、そういうもんか」

「そういうものだ」

 

 あぐあぐ、と口いっぱいにパンを頬張るザシャ。

 一応、口の中に物を含んでいる時は喋らないので、食べ方はそこまで見苦しいものではない。マナーといった点では結構めちゃくちゃだが。

 

 最後の一欠片まで食べきり、ザシャはフォークを置く。

 

「満足したか?」

「うん、十分すぎるほどだ」

「なら、今回はみっちりと働いてもらうとしよう。……そろそろ時間だ。待ち合わせ場所である南門に行こう」

「了解」

 

 互いに席を立ち、アトリエの扉を開ける。

「アリアのアトリエ」と書かれた看板についた小さなベルが音を立てる。

 

「じゃあ、行ってくるよ。お留守番よろしく」

「はーい」

 

 妖精さん達の声を背に、アリアはザシャを連れ立ってユリアーネとの待ち合わせ場所である南門へと向かった。

 

 

 そしてそこで二人が見たものは――。

 

「…………」

「…………ええ~」

 

 黒塗りの下地に、ところどころ金細工の意匠が施されている馬車。

 成金趣味のようにごてごてと飾り付けるのではなく、あくまで上品にそれでいて豪奢に見えるよう計算されつくされた黄金比率。

 

 そんな馬車を引くのは二頭の白馬。

 物語の中から出てきたかのように黄金色のたてがみをなびかせ、太陽の光で毛を輝かせる。

 そんなに当の馬を制御するは小洒落た格好をした御者。けして派手ではないが、ザールブルグでも人気の流行服を小粋に着こなしている。

 

「あ、アリアさん。いらっしゃいましたのね」

 

 そしてそんな金のかかっている馬車から出てきたのは、白い錬金服をドレスのように翻した金髪碧眼の少女。

 おとぎ話のお姫様がそのまま抜け出してきたかのような美しい乙女、ユリアーネであった。

 

「お嬢様、どうぞ御手を」

 

 そしてそんなユリアーネの手を取り、馬車から降りるのをエスコートするのはユリアーネと同じく金色の髪に深い青の瞳を持った女性。

 銀色の鎧に彫られた紋章から、その女性が騎士の地位を持っていることがわかる。ザールブルグの王城に勤めている騎士の人たちと比べて細部が少し違うが、それはおそらく地方貴族であるユリアーネ――もしくはその家族に仕えているためだろう。

 

 そして、そんな女騎士の手を何の躊躇もなく取るユリアーネ。

 

 この時、アリアとザシャの心の声は奇跡的にも一致した。

 

 つまり「なに、これ?」と――。

 

 ただし立ち直りの速さは違った。

 まあ、ユリアーネは貴族だし、これくらいは当然か、と自分を納得させたアリアは、外に動揺を晒すことなく自らを立ち直らせることに成功する。

 ザシャは残念ながら馬車を見上げてポカーン、としていた。大口をあげて呆然としている姿は間抜けである。田舎者丸出しと言っても過言ではない。

 

「お久しぶりですわね、アリアさん。もしかして、そちらの方が……?」

「ああ、この人が私の用意した護衛だ。……ザシャ?」

「……え? あ!」

 

 呆然と馬車を見上げていたザシャは一瞬反応が遅れた。

 ついでに、すでにさん付けすらはずされていることにすら気づかなかったが、気づいても文句をいうような人間ではない。

 

「え、ええと。アリアの護衛のザシャです。あー、ヨロシクオネガイシマス?」

「なぜ疑問形なんだ?」

「いや、なんというか……」

 

 ちろり、とザシャの目線がユリアーネの斜め後ろに控えている女騎士に移る。

 

 清廉とした容姿を持つその女騎士は、隙のない所作から見て生半な腕前ではない。

 そこらの魔物程度なら一人で対処してしまいそうだ。

 

「ああ、そういえば紹介を忘れておりましたわ。アリアさん、こちらは(わたくし)の護衛で、名はベアトリス・ベネディクタですわ。(わたくし)の家に代々仕えてくれている騎士の家の出ですの」

「ベアトリス・ベネディクタです。今日はお嬢様のご学友とお会いでき光栄です」

「いえ、こちらの方こそ」

 

 顔色をまったく変えずに、こちらに頭を下げる女騎士の様子からはまったく何も読み取れない。

 感情も思考も、全てその無表情の仮面の下に隠してしまっている。

 

(わかりやすい人だなぁ)

 

 だが、無表情ならアリアの方にこそ一日の長がある。しかもアリアの無表情は自らがそうと知って装ったものではなく、混じりっけ無しの天然モノだ。

 意図して感情を塗りつぶした時の不自然さすら浮かばない。ただ感情が表に出にくい、それだけの代物だ。

 

 そしてそんな自らの顔を見慣れているアリアは、無表情の下にあるものを読み取るのが実は得意だ。

 

 だからこそわかる。この人は自分という存在を好んでいない、と。

 

(まあ、いいところのお嬢様とどこの馬の骨かわからない庶民の娘が一緒にいて、良い顔をする護衛がいるわけ無いか)

 

 それを表に出さないだけ、この人は良い人なのだろう。

 ユリアーネとアリアの身分差を考えれば、「身の程知らず」と面と向かって嘲られても仕方がない。

 

 そうした機微には気づいていないのか、それともわかっていながら流しているのか、いつもの様に穏やかな笑みを浮かべながらユリアーネがアリアの手をとった。

 

「さあさあ、どうぞ乗ってくださいな。一度我が館にご案内いたしましょう」

(……あ、あれに乗らなければいけないのか)

 

 ここでようやく目をそらしていた事実に思い至った。

 

 黒塗りに金細工の馬車。どう考えても身分相応しいとはいえない代物に乗って、数日間旅をしなくてはいけないのだと。

 アリアの隣では、ザシャがガクガクブルブル、と瘧のように震えている。

 そして前には、ニコニコと微笑むユリアーネの姿。

 

(逃げられないな、これは)

 

 アリアはすべてを諦め、内心で溜息をついた。

 そして半分やけくそになりながらも、そのお金のかかった馬車に乗り込むのであった。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 なぜこうなったのか、思い出したところで現実は変わらないし、変えられない。

 アリアが何かしたからこうなったわけでもなし。

 

 馬車に乗るほうが目的地には早く着くし、グダグダ考えるの早めにしよう、とアリアはもう思考を完全に放棄した。

 既に馬車に乗ってから一日経っているし、今更のことすぎる。

 

 馬車の中の様子も、ふかふか過ぎて落ち着かないクッションのことも忘れ、アリアは窓から外の景色を眺める。

 

 ストルデル川よりも南方の地域には初めて来た。

 植生やら光景やらがザールブルグの近辺とは少し違うように思う。

 

「ああ、アリアさん見てください。ようやく着きましたわ」

 

 ユリアーネが指差す方向に顔を向けるとそこには、晴天の空の下、木に囲まれた石造りの建物が遠目に映った。

 

「あれが我がブラウンシュバイク家の屋敷ですわ」

 

 あれが、と風になびく黒髪を押さえながら、アリアは近づいてくる屋敷をじっと見つめていた。


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