アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~ 作:テン!
これは栗のことで、攻撃アイテムとしても使える調合素材です。
この小説では原作に準拠して、栗のことを「うに」と表記します。
ご留意お願い致します。
朝起きると同時に刺すような寒さが骨身にしみる。
慌てて上着を羽織ると、アリアは足早に暖炉へと向かった。
火が灯る。
ちいさな種火に用意しておいた枯葉を加え、火の勢いが強くなってきたら乾いた薪を配置する。
この時、空気が入るよう、そして火の勢いが強くなり過ぎないように、適度に空気を遮断するよう薪の位置を調節するのが火を長持ちさせるコツだ。
大きくなってきた火に手をかざすと、かじかんだ手を暖かい空気が包み込む。
ほうっ、とアリアは一息ついた。
最近は朝起きるのも辛いほど、寒さが厳しくなってきた。
すでに秋も終わりかけ、もうすぐ冬がやってくる。
雪が降り、このザールブルクが一面の銀世界に覆われた時、それが冬の到来を告げる時だ。
冬の前にやるべきことを終わらせておこう、とアリアは帳簿の一ページを捲った。
アルテナの水という薬がある。
これはアカデミーで学ぶ基本的な薬剤で、簡単な怪我ならこれ一本で事足りる。もちろん、簡単な病気にも効く。中和剤や蒸留水とは違い、傷や病を癒すという目に見える効果のある品なので、アカデミー生の大半が最初に調合する薬剤として選択する品だ。
アリアもまたその例にもれず、中和剤・蒸留水の次にアルテナの水の作成を行った。
最初のうちは何回も失敗してしまったが、回数をこなすうちにアルテナの水を作ろうとして産業廃棄物を作り出すこともなくなった。今ではもう、採集の時には常に欠かさず常備している品だ。
ちなみに、アルテナの水の作り方そのものは簡単だ。
まず乳鉢で徹底的に砕いたほうれん草を、グズグズに煮溶けるまで蒸留水で煮込む。煮溶けたのを確認すれば火から降ろし、ろ過器で不純物を濾し取る。その後、熱が冷めたらゆっくりと中和剤(緑)を注ぎ入れながら、手早く一気にかき混ぜる。これで完成だ。
この時一番難しいのがやはり中和剤(緑)を加える時だ。
中和剤(緑)をゆっくりとできるだけ静かに注ぐ必要があるのにもかかわらず、逆の手で早く一気にかき混ぜなくてはいけない。しかもこの時、かき混ぜながら調合物に魔力を注ぐ必要まである。つまり、三つの行程を同時に行う必要があるのだ。
この同時に行う、という行為がなんとも難しい。
中和剤を注ぎ入れるのに夢中になるとかき混ぜる手がおろそかになるし、ならかき混ぜることを意識すれば、今度は魔力の集中を切らしてしまう。
ようやくコツを掴み、品質は悪いながらも完成品と呼べる代物を作れるようになった頃には、すでに産業廃棄物の数は五つを数えていた。しかも他には何も使えない、クズ中のクズである産業廃棄物Aであった。
もちろんその日は貫徹で、出来上がりを確認すると同時に、アリアはベッドに寝転がり爆睡したことは言うまでもない。
さすがにあの時の五連続失敗は堪えたと、アリアはしみじみ思う。精神的にではなく経済的に。
アルテナの水の調合に使うほうれん草一束分の値段は銀貨十枚ほど。
五回失敗をしたので、その時無為に使ったお金は銀貨五十枚分にものぼる。
こう聞くと少なそうだが、ザールブルグでは一日生きていくのに銀貨五十枚もあればお釣りが出る。切り詰めれば、もっと少なくてもなんとかなる程だ。銀貨十枚さえあれば、パンを買うこともできるし、ベルグラド芋も買えるのだから当然である。一食には十分すぎる金額だ。
つまりこの日、アリアは一日の生活費を一気に消費してしまった計算となる。
無為に消費した金額分切り詰めるために、次の日の食事が三食茹でたベルグラド芋一個になってしまったのには、なんともひもじい思いをしたものである。
もう二度とゴメンだ。
ただ、この失敗も全部が全部無駄に終わったわけではない。
調合のコツを掴むこともできたし、いくらか薬品調合の基礎も身についた。
それと……。
「じゃあ、今日も一つ持って行くとしようか」
アリアが開けた戸棚の中には幾つもの瓶が並んでいた。
それの多くは緑色の液体で満ちていた。――アルテナの水だ。
その後も調合の練習を続けたことにより、アリアはアルテナの水のストックを数多く作っていたのだった。
そのアルテナの水を一つ腰のバッグに入れ、アリアはかごを背負う。かごの幅は背丈に合わせて腕も長いアリアがようやく一抱えできる程度、高さは彼女の腰から方ほどまで。
かなり大きなかごだが、その分たくさんの荷物を背負うことができるので採取の時には、とても役に立つ。
アカデミーの特別製でもあるので、丈夫さも折り紙つきである。アリアがかごの上に乗っかってもびくともしない。
さて、今日も採取だ。
アトリエの看板についた鐘が、小さく音を鳴らした。
ザールブルグには日帰りできる近郊に「近くの森」と呼ばれる小さな森がある。
子供の足でも鐘が鳴ってから次の鐘が鳴る前に、行って帰ってくることができる距離にあり、うにやキノコにハーブといった食料品も採ることができる。そのためここに足を踏み入れる人は多い。
アリアもまた、その「近くの森」昔からお世話になってきた人間の一人である。
そして今日もまた、アリアは「近くの森」へと向かう。
けれどそれは昔と同じ目的ではない。
今日彼女が「近くの森」に行くのは、食料品や薪を採るためではない。
錬金術士の卵として冬になる前に、秋の素材を採取しに向かうのだ。
ガサガサと茂みの中をかき分け、その奥を覗き見る少女の姿が一人。
頭を藪の中に突っ込んでいるためその表情を見ることはできない。
ただ、その痩せているが縦に伸びた体を包む紺色の錬金服と、首の後から腰のあたりまで伸びた黒髪の三つ編みが特徴的だ。
「よし、あった」
音を立てて藪から顔を引きぬいた少女の顔は、ところどころ枝で切ったのか赤い筋が幾本もついている。黒髪にも葉っぱがついており、今の状態を見て彼女があの有名な錬金術アカデミーの生徒であると分かる人は少ないだろう。今の彼女をはたから見ていると、どこか間の抜けた印象を抱かせる。
その手には赤地に白の斑点といった毒々しい色合いをしたキノコを掴んでいた。
何も知らない人間なら、「それは毒キノコだよ」と善意で忠告しそうな光景だ。
だが、その少女――アリアはそのキノコの名前も効果も、そこらの一般人よりもよほど詳しく知っていた。
彼女が持つキノコの名前は「オニワライタケ」という。
このキノコは何もせずにそのまま食べれば、しばらく笑いが止まらないという毒性がある。が、このキノコをじっくり熱して調理すれば、ワライキノコとしての効果はなくなり、食べることも可能だ。しかし、渋みが強いので結局のところ食用には向かない。
ただこのキノコには強い滋養強壮作用があり、栄養剤の良い材料となる。
アカデミーの参考書にも基礎の栄養剤の材料として、しっかり記載されている程だ。
このオニワライタケは、特に季節を問わず採集をすることが可能なのだが、さすがに冬だけは採れない。
寒くなると胞子を作るために体の組織を変質させるので、栄養剤の調合には向かないのだ。だが、そうした問題点も、一度乾燥させれば関係なくなる。多少、質は悪くなるが、一度乾燥させたオニワライタケは寒さにも強くなり、長持ちするのだ。
冬の間も栄養剤を作るためには、秋の間にオニワライタケを採り溜めしておくのがザールブルグに住む錬金術士の鉄則である。
だが、無闇矢鱈と取り過ぎるのも問題がある。
一つの株に生えているオニワライタケを一度に全部採ってしまうと、来年以降その場で採ることができなくなってしまうことがある。最低でも一つ、五つ以上同時に生えているのなら最低でも二つ残すのがマナーである。小さいキノコが生えているなら、それも残すようにしたい。
多少効率は悪いが、キノコ採りの鉄則を守りながら近くの森を散策するアリア。
歩き慣れているので、どこに何が生えているのかよく知っているのだ。オニワライタケだけではなく、魔法の草や、ちょっと強い衝撃を与えると針を飛ばして弾けるニューズという実も一緒に集める。
これらも錬金術の材料となるのだ。
一緒に採っておいて損はない。
日が空の真ん中に達する頃には、カゴが半分近くまで採取物で埋まっていた。
「ふぅ」
竹で作った水筒から水を飲み、一息つくアリア。
長時間歩き回ったせいで、肌寒い季節だというのに体が火照って仕方がない。
さすがに時間が経ったせいで生ぬるくなっているが、それでも疲れた体に水分はありがたい。
切り株に腰掛けて、風に吹かれるのんびりとした時間。
背丈の短い草や、木々の葉が風に吹かれて音を立てる。
長閑な光景である。
けれど、のんびりするのももう終わりだ。
水筒を腰に吊り下げ立ち上がる。
カゴを確認し、再び周囲を確認しながら、アリアは歩き始める。
出来れば今日中にもう少しオニワライタケを集めたい、と考えながら探し続ける。
だが、朝っぱらとは違い今度はなかなかオニワライタケの姿が見つからない。
採られた後、と思わしき株のあとは見つかるのだが、肝心の白い斑点を持つ赤いキノコは根こそぎ採られている。
どうやら今いる場所は、他の人が採っていってしまったようだ。
錬金術の材料になるものはおろか、薪になる枯れ枝も見つからない。
それどころか、生木を折ったあとすら見える。
中の緑地があらわとなった木の枝ぶりが痛々しい。
マナーが悪いな、とアリアは嘆息する。
時折「近くの森」に来ると、今日のようにマナーの悪いお客様の残していった跡が目に付く。
あまり快い風景ではない。
もう少し奥に行こうか行くまいか迷っていると、少し離れた場所に黒色のイガが落ちていた。
「うに」だ。
「うに」はザールブルグの近隣でよく採れる木の実で、固く鋭い刺の生えたいがの中に、焦げ茶色の殻を持つ木の実が二、三個入っている。殻をむいても生のままではとてもではないが食えたものではない。しかし、茹でたり焼いたりするとほっこりと甘くなりとても美味しい。ただし、殻をむくのは大変だ。
適当に焚き火の中に入れておくだけでも十分調理できるので、子供のおやつとしても食べられる。
アリアも小さい頃から食べてきた森のおやつだ。
ちょうどいい、ついでに拾っていこう、とその黒いイガに手を伸ばした。
「あ、こんにちはー。あなたもここに採取に来たの?」
明るい声がアリアの耳に届いた。
「うに」のイガをつまみながら、声のした方に振り向くと、そこにいたのは一人の少女であった。
肩口で切りそろえた明るいはしばみ色の髪と同じ色の目。
体のラインにピッタリと沿った錬金服は、優しい橙色。
同色の丸型の帽子を頭にちょこんと乗せ、子供のように無邪気に笑みを浮かべるその様は、どこかあどけない。
「初めまして、だよね。私の名前はエルフィール、長いからエリーって呼んでね! あなたのお名前は?」
エルフィール・トウラム、通称エリー。
彼女はアリアですらその名を知っている有名な生徒だ。ただしそれはあまり良い意味ではない。
なぜなら、アリアが彼女について知っていたのは、アカデミーに最下位の成績で入学した補欠入学生である、というこの事実だけだったからだ。
パチパチ、と焚き火の火から金色の火花が爆ぜる。
燃えにくいまだ乾ききっていない枯れ木で焚き火の木を崩せば、炭になった薪の下から少し大振りうにの実が顔を出した。
うむ、適度に殻が焦げてきて良い塩梅だ。
うにの実を焼く時は、じっくりと中まで火が通るように焼くのがコツだ。
殻が硬いので、火が通りづらく少しの焦げ目くらいでは中の実まで全然火が通っていない。
焦げ目が大きくなってきた頃が、丁度良い頃合いなのである。
「うん、いい具合に焼けたな。もういいよ、エリー」
「うわぁい、ありがとうアリア! さっそく頂きまーす!!」
手慣れた手つきでうにの殻をむき(その際に、熱くなった殻に少し苦戦していたが)、さっそく頬張るエリー。
同じように、アリアもまた焚き火からうにを引き上げ、自分の分を剥く。
ナイフで切れ込みを入れ、地面と枝で押しつぶすように力を込めると、パチリと威勢のよい音がして、殻が割れる。この時力加減や力の入れ方を間違えると、そのまま押しつぶしてしまうので注意しなくてはいけない。
まあ、すでに何百回と同じ作業をしているアリアにとって、これくらいは朝飯前というものだ。
焼きうにはザールブルグの秋の名物だ。
これを食べたことのないザールブルグ人は、いない。
秋なら少し城壁の外に出れば、誰だっていくらでも採れる。季節外れの時ですら、偶然それまで誰にも見つからなかったのか、それとも秋の間にリスが埋めていたのか、結構目にするのだ。
金のない庶民にとってこれほど嬉しいものはない。
焦げ茶色の殻から、ベルグラド芋よりも黄色味の強い中身を取り出す。
殻とは違い柔らかい身は、少し力を込めればほっこりと二つに割れた。よく火が通っている。
甘やかな香気の中に、ちょっぴりついた焦げ目の香ばしい匂いが混ざる。
無言で頬張れば、当然のことながら熱い。
熱さが口中に広がり、つい「ほっほっ」と息を吐く。
熱が収まってくると、次に口の中に広がるのは優しい甘さだ。ザラメを舐めた時のような鮮烈な甘みもいいが、こうした素朴な甘いおやつのほうが、普段食べるぶんには向いている。
ほこほことしたやわらかな食感が、中まで十分に火が通っていることを、アリアの舌に伝えてくれる。
果物のように汁気はないが、冬に近い今の季節にはこのほっこりとした食感のほうが、食べ物の熱をより感じるような気がする。季節の食べ物といった感じで、アリアはこの焼きうにを大層好んでいた。
隣ではエリーが、「おいしーい!」と歓声を上げながら、うにを次々と頬張っている。
今回焼いているうにの大半はエリーが採ったものだ。ただで相伴するのも気がとがめるので、いくつか今回採ったオニワライタケをおすそわけしている。
エリーは「えー、別にいいよー?」と最初は遠慮したのだが、おすそわけの交換ということで納得してもらった。
納得すると、すぐになんのてらいもなく笑顔で受け取ってくれた。
切り替えの早い子である。
いや、邪気がないというべきか。
こういう無邪気に好意の感情をすぐ表に出す子は、わかりやすくてアリアは好ましく思う。
幼馴染が鬱陶しいほど感情的に不器用、というか捻くれているので、素直な良い子はなんというか安心するのだ。ユリアーネに対する感情も、このエリーという子に対して抱いたものとよく似ている。
つい、頭をポンポンと撫でてあげたくなるのだ。
現実ではもちろんしない。
しかも、そんなことを思っているなど傍目では全くわからない。鉄壁の表情筋は今なお健在である……。
何故、先ほど出会ったばかりの、初対面を済ませたばかりの二人が焚き火を囲んで、うにの実片手に談笑しているのか。
簡単にいえば、エリーがアリアを誘ったのだ。
今日の採取は、欲を言えばもう少し量がほしいところではあったが、十分量はすでに採ってある。
せっかくの同級生のお誘いを断ってまで急ぐ必要はない。
むしろ、「丁度お昼の時間でもあったことだし、少し長めの休憩をとった後、二人で少し森の奥まで行こう、と誘おう」と画策している。
近くの森の浅場なら、アリアでも一人で散策するくらいどうということはない。
だが、深部に進むとなると一人では無謀である。
近くの森でも深くまで進むと、ぷにぷにやウォルフといった魔物が出現する。
どちらも水属性の魔法に耐性があり、特にぷにぷにはアリアの天敵だ。全くもって魔法でダメージを与えられない。
一匹なら殴り殺すことも可能だが、さすがに有効な攻撃手段がない状態で一人で奥に進むのは危険すぎる。
だが浅場にある採取物は、もう見えるところにあるものは採り尽くしている。
この後、浅場で探すとなるとグンと採取効率は下がるだろう。
これはアリアのミスだが、本格的に採取を行うならしっかりと護衛を雇うべきだったのだ。
現在の採取量は最低目標量を達成してはいるが、理想量には程遠い。
冬の間、これだけの量のオニワライタケで過ごすには、栄養剤の調合をかなり切り詰めなくてはいけないだろう。今調合できるものの中では支払いがかなり良い方なので、それだけは避けたい。
浅場で日が落ちるまで探し回るか、丁度そんなことを考え始めている時にエリーと出会ったのだ。
エリーはアリアと同じアトリエ生だ。
話してみれば、すでに何度も採取に外に行っているとのことだし、戦力的にも不足はない。
頼めば二つ返事で、快く採取に同行してくれることと相成った。
それどころか、「私にとっても渡りに船だよ。ありがとうね、アリア!」とこちらの方がお礼を言われてしまった。
さすがに魔法は使えないとのことだが、「魔物を殴るのは任せて! そのかわり魔法はお願いね!」となんとも心強いお言葉を頂いた。
いやはや、まさにこれこそ神の思し召しというやつだろう。
たいして信心深くもないのに、神様に対してつい感謝の念を送ってしまったほどだ。なんともめぐり合わせが良い。
気分が良い。
高揚する気持ちのままに、うにの殻を焚き火の中に投げ入れた。
「あ、またみーっけ。ほら、ニューズ!」
近くの森の奥地、エリーが歓声を上げる。
その手にはニューズが乗っていた。周囲にもたくさんのニューズが落ちている。
「おお、大量だ。エリーは採取物を見つけるのが上手だな」
「えへへ~」
アリアが褒めれば、エリーは照れて頭に手をやった。
ただ少しそのニューズを持つ手が危なっかしい。
「けど、持ち方には気をつけたほうがいい。そんな持ち方をしていると……」
パンッと乾いた音が鳴り、エリーの手の中にあったニューズが弾け飛ぶ。
「あっ、いったー……」
「潰れて弾けるぞ、と遅かったか……」
硬い種と針が飛び出し、エリーの手に赤い線を引いた。
たらりと垂れる真っ赤な血が痛々しい。
見ていられないと、アリアは腰に下げたちいさなポーチから瓶を一本取り出した。
「ほら、これで早く治しなさい。痛々しくて見ていられない」
「え、けどこれってアルテナの水じゃない!」
「そうだが、それが?」
「こんな高価なものなんてもらえないよ!」
そう言われて気づいたが、このアルテナの水一杯分で最低でも銀貨百枚分はする。
売るとこに売ればもう少し値上がりするほどだ。
そういえばこれ私達から見れば高級品だったな、とのんきにアリアはアルテナの水を見る。
作りすぎてそういう意識が薄れていた。アトリエに戻れば、まだまだ予備が棚の中にあるので、どうにも銀貨百枚の品だという感覚がない。
いかん、経済感覚がずれ始めている、と改めて錬金術の生成物を恐ろしく思う。
こんなまだ未熟な生徒が作るものでも、十分すぎるほどの値がつくのだ。
それじゃあ、沢山の人達が入学しようとあくせくするわけだ。
「ね、だからそれはいいよ。アトリエに戻れば私も作れるし」
「それで化膿したらどうする。別にこれ一つくらい私は気にしない」
「けど~」
「じゃあ、オニワライタケのお礼ならどうだ。どうせなら、さっきみつけたニューズでもいい」
気後れするなら物々交換だ。
エリーのみつけた採取物は数多く、アリアの見つけた物の数を圧倒している。
物々交換はアリアにとっても都合が良い。
その後、エリーは少しの間「あー」だとか「うー」だとか唸りながら逡巡していたが、結局アリアのアルテナの水を受け取った。
一気にそれを煽ると、淡い光とともにエリーの手についた傷が消えていく。
さすがアルテナの水、とアリアも感嘆する。
「うー、ありがとう。本当にごめんね」
「気にするな。それにアルテナの水でこれだけのものと交換したんだ。私のほうこそお釣りが来るほどだ」
それは全くの本音だった。
アリアはかごにいれたオニワライタケ一房を見ながら、嘆息した。
先程からエリーはアリアを圧倒する勢いで、近くの森に落ちている採取物をみつけている。
アリアがこの近くの森の深部に来てからみつけたものは、オニワライタケ三房にニューズ五つ、うにが一袋分。それだけだ。
エリーがみつけたものは、魔法の草八本にニューズ十七個、オニワライタケにいたっては群生地をみつけたので、後で正確な数を数えなければいくつ採ったかわからないほどだ。オニワライタケは「いや、私だけで独占するのもちょっと~……」とエリーが言うのでご相伴させていただいた。
さらに合間合間にうにを拾っているので、採った採取物の合計はもうあまり考えたくない数に上っている。
ちなみにアリアは、あまり採りすぎても使い道がないので一袋分確保したあとはうにを全部エリーに譲っている。一人だと食べられる量にも限りがあるし、うには意外と実が詰まっていて重い。参考書にもうにを使った調合品など載っていないので、あくせく採る意味がないのだ。
もうエリーのカゴはパンパンだ。
エリーのおこぼれを頂戴したアリアのかごも、半分以上埋まっている。
さらに先ほどのアルテナの水との交換で、オニワライタケが追加されるのでアリアのかごは限界ギリギリだ。
もうこれ以上は入らない。
「これも一種の才能だな」
「ん~、そうかな? 私の故郷じゃあ、これくらい普通だったと思うよ」
じゃあ、エリーの住んでいた村がすごいのだろう。
そう、アリアは自分の内で結論づけた。
エリーの採取物に対する嗅覚は異常だ。
アリアは、経験を重ねてもエリーの領域にいけるとは、とうてい思えなかった。
それだけエリーの採取物に対する勘は突出している。
アリアが気づかないような木や岩の陰、草むらの中というみつけにくい場所から採取物をみつけだし、採取行為そのものも手馴れているのか手早く正確だ。
話を聞けばエリーの故郷はロブソン村という山奥の片田舎で、年がら年中食べ物を探したり、獲物である山の獣を探したりで山や森の中を駆け回っていたらしい。
木陰の影や草むらの中から食べるものや役に立つものをみつけるのは、得意中の得意とのことだ。
ああ、つまり昔から鍛えられているわけか。
なるほどな。
事情を聞けば、存外納得のいくものであった。
少し羨ましいが、同じような生活ができるかと聞かれれば即答はしかねる問いである。
エリーのように生きる。根っからの都会ものであるアリアには、たしかにちょっと難しいかもしれない。
柔らかい秋の日差しに、アリアは手をかざした。
まだまだ日は高く、思いの外早くに採集活動が終わったことをアリアたちに知らせていた。
よっこらせ、と掛け声をかけてカゴを背負い直す。
「そろそろ戻ろう」と声をかけると、「はーい!」とエリーは元気よく返事を返してくれた。
エリーの明るい声は聞いているだけで小気味が良い。
こちらまで元気になってきそうだ。
足取りも軽やかに、二人は帰路についた。
「ねえ、アリア」
「ん、どうした?」
帰り道の途中で、エリーがポツリと言葉を落とした。
「今日はありがとうね。友達と一緒に採取するのって初めてですっごく楽しかった!」
「さっそく友達認定とは嬉しいな。私以外の人とは採取にはいかないのか?」
“初めて”と言うエリーの言葉に引っかかり、聞き返せばエリーの顔に僅かな苦味が帯びた。
「んー、冒険者の人とは良く行くよー」
「それは私だって同じだ。そうじゃなくて、アカデミーの友人と、だ」
「アカデミーの友達かー……。実はまだないんだ」
「誘いたいんだけどね」と、エリーは少し寂しげに呟いた。
「なんかね、ノルディスとかアイゼル――あ、この二人は私の友達なの。それで、この二人なんだけどね、なんだか一緒にいると、最近周りの人にいろいろ言われるようになっちゃって、ちょっとまだ採取に誘えてないんだ」
「なんだか気後れしちゃって」と、気まずげに笑うエリー。
言葉は少ないが、だいたい事情はわかった。
その友人がアトリエ生ならそんなやっかみを言われることなどありえない。大半の寮生にとって、アトリエ生など十把一絡げの存在だ。
いくら友人づきあいをしていようと、何かを横から言うなどありえない。
けれど、その友人が寮生ならどうだろうか。
寮生の大半は貴族か、それに準ずる経済力を持つ裕福な家の子供だ。同じアカデミーに通う生徒とはいえ、寮生とアトリエ生の間には見えない壁がある。
そんな壁を越えた付き合いをしているエリーを見て、周りの人間がどう思うのか。想像することは難くない。
普通のアトリエ生なら、アトリエ生であると公言しなければアリアのように寮生の人間と友情を育むこともそう難しくはない。アトリエ生の顔を覚えようとする奇特な生徒は少ないし、黙っていれば三百人近くいる生徒の中に埋没することはそう難しくはない。
だがエリーは最下位入学生だ。
その名をアリアですら知っていたように、よくも悪くも有名なのだ。
寮生でも彼女を知っている人間は少なくない。
つまり、成績を飛び越えた付き合いをしているせいで、周りからやっかみを受けているらしい。
そのせいで、どうやらアカデミーに入学してからできた友人たちとは、疎遠になり気味とのことだ。
あまり好ましい状況ではないな。とアリアはエリーの状況を評した。
最下位入学生であるエリーと行動することに抵抗はないのか?周りの人に見られたらどう思うのか?
そんな些細なことアリアは気にしない。もちろんその逆もだ。
正直、誰がどんな悪口を言おうと、隔意をエリーに抱いていようとも、アリアには関係ない。ぶっちゃけ成績の悪さならアリアも同等だ。
今は多少エリーのほうが成績は下だが、アリアとてアトリエ生という補欠入学した生徒には違いない。立場は一緒だ。むしろこの成績の差は、エリーが地方の出身であることを考えれば、当然のこと。ザールブルグより地方の田舎のほうが、アカデミーの情報は入りにくいし、勉強できる場など限られている。これでエリーを嘲笑えば、目糞鼻糞を笑うどころの話ではない。
そしてこれはアリアとエリーだけの話ではない。
他の学生にとっても同じだ。
エリーはアカデミー入学生の中でも特に環境に恵まれていなかった。
周囲の人間環境という意味ではなく、錬金術という学問を学ぶ上で、だ。
それでも努力で乗り越え、たとえ最下位とはいえ彼女はアカデミーの入学試験を突破した。
胸を張って良い成果だ。
エリーと同じように生まれ育って、アカデミーに入学できる人間がどれだけいるというのか。
地方出身の庶民がエリーだけ、という現状を考えれば、どれだけエリーの出した結果が大きなものか、簡単に想像できる。
「別に気後れする必要はないと思う。私はね」
「そうかな?」
「そうだと思うよ」
十分以上エリーは頑張っていると思う。
既に成果は出ている。あとはもう少し、周りの認める結果を出すだけだ。
けどそれまでの間、遠慮するのは少し違うのではないだろうか。
「んー、そうだね。ちょっと気後れしすぎたかな?」
「そう君が思うのならそうなんだろうさ」
「なにそれ~」
ケラケラと笑うエリーに、先程までの影はない。
そちらの方がらしいと思うのは、アリアの気のせいだろうか。
だが、気のせいだろうがなんだろうが、彼女の気が晴れたのならそれでいいとアリアは思っていた。
少し、この子の背を押せたのならそれも良い。
そう自然と思える秋の日和であった。
原作の登場人物が出ることは少ないといったが、決して出ないとは言っていない。
ある程度は出しますよ。多分四、五話に一度程度ですけど。