アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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 メインオリキャラこれで全員出し終わったー!!


第五話  ポテトスープと行き倒れ

 灰色に薄暗い曇天の空。

 重苦しい色合いの空から、舞い散るように雪が降っていた。

 

 冬。

 

 すでに季節は移り変わり、凍えるように寒い冬がこのザールブルグにもやってきた。

 

 はあ、と吐く息が白い。

 手に息を吹きかけ暖をとるが、この程度ではかじかんだ手は温まらない。

 

 少しでも早く帰ろうと、買ったベルグラド芋を入れた袋を抱え直した。

 

 

 雪が薄っすらと積もった道は歩きにくい。

 ビシャビシャ、と溶けかけた雪が靴や服の裾に泥と一緒に飛ぶ。

 

 最近乾きにくいのに、これは洗うのが大変だ、と内心ため息を吐いた。

 

 どうにも憂鬱な冬のある日。

 

 それがアリアの目に入ったのは、そんな時であった。

 

 

 ふと目をやると、アトリエの前に人がいた。

 

 雪が薄っすらと積もった髪は濃い焦げ茶色。

 顔立ちは少し見えにくいのでよくわからない。だが、体型と服装から男の人であることはすぐに分かった。

 鍛えているのか体にはしっかりと筋肉がついており、腰に下げられた剣も鉈のような妙な形をしているが、大きく重そうだ。背には荷物であろう、大きな背負い袋があり、中にはたくさんの荷物が入っているのかパンパンに膨れ上がっている。

 

 そして、背中全体に薄っすらと雪が降り積もっている。

 

 そう、雪が降り積もっているのだ。

 頭にではなく、全身に。

 

 その男は五体投地で、全身を溶けかけた汚い泥雪の上に投げ出していた。

 ピクリとも動かない。

 

 倒れた男から、盛大な腹の虫の鳴き声が聞こえる。

 どこからどう見ても立派な行き倒れだ。

 

「………………なんだこれは」

 

 それが、家の前で倒れている物体を見たアリアの第一声であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ポテトスープという料理がザールブルグにはある。

 その名の通り、ベルグラド芋を中心に使った料理で、お腹も膨れる料理だ。

 パンと一緒に食べて一食にするもよし、夜食にするもよし。

 作り方も簡単で、そのうえおいしい。なのでアリアは昔からよくポテトスープを作っていた。今ではもう、彼女の得意料理の一つとなっている。

 

 ただ、今回はいつもの作り方とは少し異なる。

 従来のものよりも、今回試してみるレシピのほうが状況に即しているからだ。

 

 ザクリザクリ、と手慣れた手つきで、アリアはベルグラド芋を一口大に切っていく。

 あまり大きく切り過ぎると、火が通るのに時間がかかるので、少し小振りに切るのがコツだ。

 切り終わったら、汲みたての綺麗な井戸水にさらしておく。

 こうしておけば、芋が黒ずみにくくなり、芋の表面に出てくる粉っぽい汁もとれるのだ。ベルグラド芋で料理をする際の基本的なテクニックである。

 

 この後、水を換えて煮込み、芋が柔くなってきたところで炒めたマッシュルームと小麦粉、それに動物のお乳――この辺りだとシャリオミルクが有名だがこれは高いので、妥協して別のものを使うことが多い――を加え、とろみが出てきたら完成だ。

 

 これが本来のレシピだが、今回作るものは少し違う。

 アリアは錬金術士の卵である。どうせなら、錬金術士の手法でポテトスープを作ってみようではないか。

 

 錬金術士用ポテトスープのレシピも、実はザールブルグに実在している。

 聞いた話では、二十年ほど前にザールブルグにやってきたある女性が、もともとあったポテトスープのレシピから作り上げたのだとか。その女性はアカデミーの創設者の一人らしく、アカデミーの開設を見届けると同時に、ザールブルグから旅立ったのだと言われている。

 その時にアカデミーと提携し、多くの技術・レシピを市井の放出したらしい。このポテトスープのレシピもその一つとのことだ。

 

 錬金術の材料を全く使わないポテトスープは、ザールブルグの郷土料理として庶民の間で愛されている。

 そして、錬金術の手法を使ったポテトスープは、その素朴さに反して傷や体力を回復する効果を持ち、さらに材料に中和剤(緑)という錬金術の産物を使うことから、少しお高めの食事処でよく出されている。

 病人食としても一部では使われていると聞く。

 

 今回アリアが作るのは後者のほうだ。

 

 棚から取り出した中和剤(緑)を片手鍋にいれ、そこに切ったベルグラド芋を落とす。

 そこで、少し弱めの火を焚いた竈に吊るして、煮立たせる。

 時折焦げないようかき混ぜながら、芋が柔らかくなるまで待つ。

 

 その間にもう一方のご用意ということで、マッシュルームと小麦粉を棚から取り出す。

 

 マッシュルームと小麦粉を軽く炒め、香ばしさと香りを引き出す。

 この時、小麦粉を炒め過ぎたり玉になったりしないよう気をつけなくてはいけない。

 小麦粉を炒めすぎれば焦げ臭さに直結するし、玉になってしまえばスープの滑らかさが損なわれる。

 丁寧に、手早く作ることが美味しくなる秘訣なのだ。

 

 芋が柔らかくなったのを見計らって、炒めた小麦粉とマッシュルームを片手鍋に投入する。

 鍋をかき混ぜるごとに、中和剤の緑色が薄れていく。そしてだんだんと、小麦色の淡く黄色がかった白色が現れ始める。

 完全に緑色がなくなったらできあがりだ。

 

 取り皿に一口分よそい、試し飲み。

 

 柔らかく煮崩れる直前のベルグラド芋が、口の中に入った途端にホロホロと崩れていく。

 滑らかなスープが胃の中へとするりと落ちていく。時折噛み締める肉厚のマッシュルームから旨味がにじみだし、口中に広がる。

 

 うまい。

 

 魔法の草から作った中和剤(緑)を使ったために青臭くなるかもと心配だったが、どうやら余計な心配だったようだ。

 魔法の草独特の青臭さも渋みも全く無く、小麦粉の旨味とミルクのような、けれど少し何かが違う柔らかな甘味が味蕾を刺激する。

 

 そのうえ、芋や小麦粉をふんだんに使っているにもかかわらず、とても食べやすい。

 さすが、錬金術で作ったポテトスープというところか。

 体力回復作用や体力増強作用だけではない、この食べやすさがあるからこそ病人食としても使われているんだな、とアリアは納得した。

 

 木の椀にできたばかりのポテトスープをよそい、お盆にのせる。

 暖かな湯気がスープから立ち上る。

 茶色の椀とほのかに黄色がかった白色のコントラストが、なによりも食欲をそそる。

 

 さて持って行くか。

 これならあの行き倒れさんが、多少体調が悪くても食べられるだろう。

 

 アリアの足は彼女の工房の奥へと向かっていった。

 

 

 

 コンコンとドアを叩くと、一拍おいて「どうぞ」という声が返ってくる。

 躊躇することなく開けると、困惑を顔中に描いた青年が、アリアのベッドの上で上体を起こしてすでに目を覚ましていた。

 

 その青年は、まさしくアリアのアトリエの前で倒れていた人間その人であった。

 

 体は鍛えられているが、顔立ちは朴訥としており、体格の割に威圧感はない。それなりに人好きのしそうな人間である。

 

 ただし、行き倒れだ。まったくもって迷惑極まりない。

 

「あの、君は……」

「体に異常はありませんか?」

 

 まずは相手が何かを言う間を与えることなく、アリアが問いかける。

 明らかに「え? あ、うん……」と戸惑った様子がこちらにもありありと伝わってくる返事が返ってきたが、それは華麗に黙殺する。

 

「あ、あの自分を……」

「お腹は空いてませんか? あなたをみつけた時、とても大きなお腹の音がなってましたが……」

「え、あ、はい。空いてます。多分……」

「ならこれをどうぞ。早く食べないと冷めてしまいますよ」

「あ、はい……」

 

 何かを言いかけた青年の言葉を遮り、問答無用でポテトスープを手渡す。

 少し悩ましげにアリアとスープの間を、青年の視線が行き来した。その間、ずっと青年を凝視し続ければ、根負けして一口、口に運んだ。

 

 反応は劇的だった。

 

 硬直したと思ったら、次の瞬間にはものすごい勢いでポテトスープをかっこみ始めた。

 みるみるうちに椀になみなみと注いだスープは量を減らしていき、あっという間もなく食べ尽くされた。

 

 健啖家だな、とアリアは感嘆する。

 これはどうやら心配する必要は無さそうだ、と存外に青年の元気そうな様子に、アリアは息をつく。

 心配して損したな、とも思うがそんなことはおくびにも出さない。

 

 ポテトスープを食べ終わり一息ついたのか、青年が何かを問いたげに口を開いた。

 

「えっと、多分確認する必要もないと思うけど、おれをここに連れてきてくれたのは君でいいかな?」

「ええ、そのとおりです」

「そうか。あー、なんというか……」

 

 そこで青年はアリアにしっかりと向き合い、姿勢正しく頭を下げた。

 

「ありがとうございます。行き倒れていたところを助けていただいたばかりか、飯までごちそうしていただき、本当に助かりました」

「…………」

 

 律儀な人間である。

 

 ここまできっちり礼を言われるとは思わなかった。

 アトリエの前に倒れていた時は、本当にどうしようか悩んだものだが、まあこれなら助けたことの後悔はない。

 

「そうかしこまらなくて結構ですよ。それより、あなたは――ええと……」

「あ、おれの名前はザシャだよ。シグザール王国の南にあるアリズ村のザシャ・プレヒトさ」

「ザシャさんですか。私の名前はレイアリア・テークリッヒといいます。……それで、あなたは何故あんなところで倒れていたのですか?」

 

 途端に苦笑いの顔になり、言いにくそうに口をつぐむ青年――ザシャ。

 ただ、さすがに助けてもらったアリアに黙っているのは難しかったのか、渋々とではあるが語りはじめた。

 

「恥ずかしいことだけどね、村からザールブルグまでの間、必要な食料の量を間違えてね。途中までは野草を採ったり動物を狩ったりしてなんとか食いつないできたけど、ここ数日は何もみつからなくてほぼ飲まず食わずだったんだよ。ようやくザールブルグに着いたことで安心して、まあそのままばたんきゅーしてしまったと、そういうわけさ」

「……なんというか」

 

 かなり間抜けな理由で行き倒れていたらしい。

 さすがにアリアの顔も少し引きつる。

 

 それに気がついたのか、ザシャの苦笑も深まる。

 

「あー、いいよ。正直に言ってくれて」

「ならお言葉に甘えて。正直、お間抜けな理由ですね」

「だよねー」

 

 頭を抱えて落ち込むくらいなら聞かなければいいのに。

 

 そう思うが、落ち込んでいる人にさらなる追撃を食らわせるほど、アリアも鬼ではない。

 黙したまま食べ終わった椀を片づける。

 

「とりあえず、明日まではここで休んでいってください」

「え、いやこれ以上お世話になるのは……」

「もう夜ですよ。さすがにこの寒空の下、そのまま放り出すほど私は血も涙もない人間ではありません。素直に人の好意を受け取ったほうが、あなたのためにも良いと思われますが?}

 

 曇天の裏にあった太陽もすでに落ちたのか、外はすでに夜の闇に包まれている。

 雪はまだ降り続いている。

 

 こんな天気の中、行き倒れていた人間を外に放り出すのは気がとがめる。

 倒れた理由が自業自得極まりないものとはいえ、だからといって一度倒れた人間を見捨てるのはあまりにも気分が悪い。

 

 多少、お馬鹿な行為に呆れを感じているため、もしかしたら態度が硬くなっていたかもしれない。

 それを敏感に感じ取ったのか、ザシャの顔も曇る。

 

「では、ゆっくり休んでいってください」

「ちょっと待って!」

 

 椀を下げて、部屋を出ようとしたらザシャから焦ったように声をかけられた。

 

「なにか?」

「えっと、君の寝床はどうするんだい? ほら、今おれがベッドを使っているし」

「屋根裏部屋があるので、そこで寝ます。ベッドはもうひとつあるのでご安心ください」

「ああ、そうか……」

「お話はそれだけですか?」

 

 さすがにベッドが一つしかないのなら、こうも簡単に貸すわけがないだろう。

 今の季節は冬だ。

 きちんとした寝具がなければ、風邪を引いてしまう。

 

「ああ、そうだ。何かおれにできることはないかい? さすがにここまでしてもらってなにもなし、は気がとがめるからね」

「なら水汲みと薪拾いか薪割りをおねがいします」

「……それだけかい?」

「行き倒れていた人に頼む仕事としては、これだけでも十分すぎるほどでは?」

 

 水汲みも薪割りも、女の手では重労働だ。

 男手とはいえ、病み上がりで体仕事を任せるアリアのほうがどうかしているのに、「それだけ」と言われればそれ以上返す言葉はない。

 

 よほど体力に自信があるのか、それとも恩を返すこと以外に何も考えていない義理堅い人間なのか。

 どちらにせよ、お馬鹿さんではあるが、悪い人間ではないようだ。

 

 旅に必要なものの量を間違えたことは、言い訳のしようがない行為ではあるが……。

 

「以上ですか? ではおやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 部屋を出て行くアリアの背に、ザシャの言葉が届いた。

 後ろ手に扉を閉めながら、彼女は思った。

 

 そういえば、家で「おやすみ」なんて言われたのも久しぶりだな、と……。

 

 

 

 

 ザシャ・プレヒトがアリズ村を旅立ったのは、秋も終わりかけの冬の到来が間近に迫った日のことであった。

 

 本来ならもう少し早くに村を出る予定であったのだが、今年は山の獣も少なく、村人全員分の食料を男手全員で確保している間に、ここまで日にちが押し込んでしまったのだ。

 何人かは「村のことはいいから早く出なさい」と言ってくれたのだが、それをザシャは拒否した。

 

 村一番の――では残念ながら違うが、それでも有数の戦士であり、狩人であるザシャが、村の現状を放置してザールブルグに向けて旅立てば、確実に何人かは冬を越せないことがわかっていたからだ。

 

 だからこそザシャは、ギリギリまで村に残り、山の獣を狩り続けた。

 それでも足りない分は、彼がためたザールブルグまでの道中用の食料といざというときの銀貨を置いていくことで、なんとか解決した。

 

 おかげで、ザールブルグに到着した途端に空腹で倒れてしまったが、まあ、無事に何とかなったことだし後悔はない。

 

 黙って置いていったので、里帰りした時には師や兄に殴られるだろうが、その時は甘んじて受けるつもりである。

 

 ただ、まあ……。

 

「他人に迷惑かけちゃいけないよなぁ……」

 

 カコーン、カコーンと小気味良く自前の鉈剣で薪を割りながらザシャは自嘲する。

 

 ザールブルクの雪降る寒空の下、倒れたザシャはレイアリアと名乗る少女に保護された。

 ベッドを貸してくれた上に料理までご馳走となった。味だけではなく滋養もある料理だったらしく、長い間空腹と雪風に耐え続け削られ続けたザシャの体力が、一晩でいつものように薪割りが片手でもできるほどまで回復している。

 あの女の細腕で、筋肉もついて重いはずのザシャを一人で運び、色々と世話をしてくれたのだ。どれだけ大変だったのだろうか。

 

 一宿一飯の恩義でも足りない。

 あのまま、誰もザシャに気づかなければ、いや気づいていても助けてくれる人がいなければ、空腹のまま寒風に吹かれ続け凍死していたかもしれない。

 

 レイアリアはまさしく、ザシャの命の恩人なのだ。

 

 水汲みや薪割りで恩が返せたとは到底思えない。

 なんとかしたいのだが、恩返しの押し売りは絶対に違うという思いがある。

 そんなもの、さらに迷惑の上塗りにしかならない。

 

 今の時点でこれ以上ないほど迷惑をかけているのに、これ以上重ねるのは人としてダメだ。

 ダメったらダメだ。

 

「ま、地道にやっていくとしましょうかね」

 

 どうせ長いことザールブルグにいることになるのだし、恩を返す機会はきっとあることだろう。

 

 最後の薪を一刀両断しながら、ザシャは初めての都会で生きていく未来に思いを馳せた。

 

 

 

 

 アリアの朝は早い。

 

 母のいなかったアリアの家庭では、家事労働はアリアの仕事だったため、朝早くから起きて仕事をする習慣が見に染み付いている。

 同じように朝早くから家事をしている近所のおばさん達の中でも、朝に強いことはアリアの密かな自慢だった。

 

 けど、それが今日覆された。

 

 カコーン、カコーンと気持ちのよい音が窓の外から伝わってくる。

 寝ぼけ眼を擦りながら、屋根裏部屋にある唯一の窓から庭を見下ろす。

 

 雪が積もり真っ白に染まったアトリエの庭。

 そこにいたのは、濃い茶色の髪をした青年。

 昨日アリアが行き倒れていたところを拾ったザシャ・プレヒトの姿があった。

 

 ザシャは庭にある切り株の上で、昨日頼んだ薪割りの仕事をこなしていた。

 すでに薪の残り数は少なく、後もう少しで終わりそうだ。

 

「…………」

 

 無言で窓から踵を返し、アリアはすでに着慣れた錬金服に手早く着替える。

 着替え終えると、梯子をつたい階下に降りる。

 

 裏手の台所には、桶いっぱいに水が汲まれていた。

 すでに昨日頼んだ仕事は終えた後のようだ。

 

 仕事が早い。

 思ったよりも頑張り屋な人のようだ。

 

 桶から木のコップに水を汲み入れ、汗を拭くための布を用意する。

 

 さすがにずっと肉体労働をしていて汗をかいているだろう。

 少しくらい労ってあげてもバチは当たらない。

 

 アリアは、ザシャのいる庭への扉を開けた。

 

 

 アリアが来た時には、すでに薪割りも終わっていた。

 ザシャの額には汗が滝のように流れていたが、その顔に疲れは殆ど見えない。

 

 体力があるのだな、とアリアは感嘆の念を覚える。

 少し羨ましい。

 

 アリアは女性にしては体力はあるが、鍛えられた男性には到底かなわない。

 悔しいことに。

 

 扉が開く音に驚いたのか、アリアが来たことに驚いたのか、あるいはその両方か、ザシャは目を丸く見開いた。

 もともと素朴な顔立ちをしているが、そんな表情を浮かべるとなんだか幼く見える。

 

 内心の思いを全く見せず、アリアは水と布をザシャに差し出した。

 

「良ければどうぞ。のどが渇いているでしょう」

「え、ああ、いいのかい? なら、ありがたくいただくよ」

 

 アリアから受け取った水をザシャは音を立てて飲み干し、綺麗な布で汗を拭いた。

 布にすぐさま汗が染み込み、少し濃い色に染まる。

 

 渡した布を受け取りながら、アリアは尋ねた。

 

「体に異常はありませんか?」

「ん? ああ、まったく。君のおかげだよ、ありがとう」

「それはよかった」

 

 やはりあのポテトスープが良かったのだろう。

 錬金術で作ったポテトスープはアルテナの水と同じく簡単な怪我や病気なら治す効果があるし、体力も回復する。

 どんなに丈夫な人でも何日も飲まず食わずで寒風吹きすさぶ中を歩き続ければ、体を壊すものだ。

 今、何も体に不調がないのなら、ポテトスープを食べたことによる結果だろう。

 うまくできたようで少しホッとした。

 

「今から朝食を作りますので、少し待っていてください」

「え? いや、朝食までとか、そこまで迷惑は――」

 

 ぐうううううううぅ、と盛大な腹の音が、庭に響き渡る。

 

 なんとも素晴らしいタイミングだ。感動的なほどだ。

 

「……食べていきますね?」

「………………はい」

 

 簡潔なアリアの問いに返ってきたのは、絞りだすようなザシャの返答であった。

 

 なんとも締まらないな、と呆れ返ったアリアは空を仰いだ。

 

 空に目を向ければ、曇天の切れ間から青空が見えていた。

 太陽の光が、階段のように地上に降り注いでいる。

 

 ああ、そういえば。

 今日は雪が降っていなかったな。

 

 空に手を差し出しても、雪が手の熱で溶ける慣れた感覚がないことに、ようやく気づいた。

 

 今更気がつくとは、私もなんとも締まらないな、とアリアは苦笑をこぼした。

 そう、たしかに彼女は、笑っていたのだ。

 

 今日も、一日が始まる。

 

 アリアのアトリエに、今日もまた火が点いた。

 


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