アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~ 作:テン!
正直、アルテナ教の教義なんてリリーで出たちょっとだけしかわからないので、かなりオリジナルが入っています。
原作との齟齬? こまけぇことはいいんだよ! の精神でどうかよろしくお願い致します。
“神よ、汝が恵み、汝が憐れみにより生きるこの日々を感謝します”
朗々とした聖句が、聖堂に力強く響き渡る。
言葉の一つ一つが意思を持ち、何かを伝えようと信徒たちの鼓膜を揺らす。
“子らよ地を歩み、空を見よ。ここ彼方にあるすべてのものに神の恩寵は宿り、我らは神の愛を知りうる。汝らが神の子であるがゆえに”
それは肯定する聖句だ。
万物に神の愛は宿り、その愛は私達生きとし生けるものに向けられていると謳っている。
“あるがままに受け入れよ。さすれば道は開かれん”
だからこそ、神の愛を受け入れその愛に沿って生きていきなさいと、その祈りは締めくくる。
神の恩寵がすべてのものに宿っているのだから、それを受け入れ生きていけば万事がうまくいくと。
“すべてのものに我らが神・アルテナの恩寵が賜れしゆえに”
それは全て神が人に与えた恩寵であると、その祈りは説いていた。
“
美しく荘厳に神の形を象るステンドグラス。
色とりどりの光を映すそれは、見る人の中に宿る神の御姿を思い起こさせる。
敬虔な信徒ではないアリアも、このステンドグラスを見るとつい跪いて祈りを捧げたくなるくらいだ。とても良くできているステンドグラスだ。作った職人もこの出来栄えには満足しているだろう。
「また、罰当たりなことを考えているな」
朗々とした低い声が、アリアの鼓膜を震わせる。
そこにいたのはすでに五十をいくらか超えているだろう初老の男性だ。
その白い
「少しはまともに神へ祈りを捧げたらどうだ。この不心得者が」
白髪一つない黒髪に、曇りのないダークグレーの目。
その顔には幾らかの年輪のように太い皺が刻まれ、彼の生きてきた年月を伺わせる。しかしその瞳は爛々と光り、年月を経てもなお失われぬ意志の強さを、今なお周囲に示している。
アルテナ教司祭フーゴ。
ザールブルグ職人通りに面するアルテナ教教会の司祭であり、いざというときには製鉄所のカリンに並び立つ名士として敬われている人物である。
ただし大人たちからは名士として敬されているが、子供たちからはそこらの職人の頑固親父よりも怖い人物として有名だ。
厳格で、規律に厳しく、そして何より神父とは思えないほど顔形に迫力がある。彼を見るだけで、中には泣き出す子供もいるほどだ。
「まあ、いい。今日は一体何の用でここに来た」
「いつも通りお菓子の差し入れです。子どもたちにでもあげてください」
アリアの手の内にあるバスケットの中身は水飴や果物をザラメにつけたものだ。
果物をザラメにつけたお菓子は、ここらでよく食べられる伝統的なお菓子だ。ドライフルーツよりも甘く日持ちもするそれは、ちょっと高価でおいしいお菓子として子どもたちにも大人気だ。
昔は差し入れにはドライフルーツばかりだったのだが、アカデミーで学び始めてからは、錬金術の調合品がかなり高く売れるため、これくらいの贅沢なら時折できるようになった。
水飴は錬金術で作り上げた特別製だ。
こういった水飴などのお菓子も、錬金術で作ることができる。ただ、購買で売っている講義内容に沿った参考書にはレシピが載っておらず、図書館をあさるはめになったのは大変であったが。
「ふむ、ありがたくいただこう」
「あの子たちは喜んでくれていますか?」
「安心し給え。子供たちはお前の差し入れを指折り数えながら待っているほどだ」
「それは良かった」
あの子たちとは、この教会に住む孤児の子供たちのことだ。
昔この教会に文字を学ぶために通っていたアリアは、孤児の子供たちとも面識があった。お菓子を週に一度届けているのは、そうした縁があるからだ。
「礼を言うのはこちらの方だ。こうした贅沢品は教会ではなかなか手に入らんのでな、子供たちには長い間わびしい思いをさせていた。お前たち親子の行動には私も感謝しているのだよ、アリアよ」
「それはそれは、光栄なことです」
子供たちにお菓子を配るのは、アリアの父の代から行なっていた善行だ。
もともとは父がザールブルグに移民してきた時に、お世話になったフーゴ神父への恩返しが主であったと聞く。
アリアの場合は、文字を習うため教会に通っている間に、孤児の子供たちと顔見知りになったが故だ。父の行いを自分の代で途切れさすのは忍びなかったし、この程度の骨折りで喜んでもらえるのなら満更でもない。
それに学のない鍛冶屋の娘に一から文字を、計算を教えてくれた神父様に、こんな些細な行動で役に立てるなら悪くはない。
本人に言えばもう受け取ってくれなくなるのはわかりきっているので、子供たちのためと嘯いているが、本当は毎回お菓子を持って教会に来るのは神父様へのご恩返しのためだ。
「これでお前が我らが神の信徒であれば更に良いのだがな」
「残念ながら私は正直者ですので」
「自らの心に誠実なのは認めよう。神に対する忠誠心が芽生えぬから信徒にはなれない、とはな。お前の父も『信仰もしていないのに建前上とはいえ信徒になる訳にはいかない』といつも言っていた。まったくよく似た頑固者たちだ。さすがは親子だな。そういうところばかり似ずともよいだろうに」
何かを思い出しているのか、目を細めアリアを見つめる目は、その凄みすらある迫力に反して柔和で優しげなものだった。
厳しい神父様として隣近所では有名なお方とは思えないほどだ。
だが、こういう面もあるからこそ、「厳しい、怖い、なんか迫力がある」と、ちょっと神父としてどうなんだという評判で有名な人間でありながら、いざというときは名士として頼りにされているのだろう。
「まったく、お前ほど手の焼かされた生徒は私の長い人生の中でも他におらん」
「なんとひどい。近所でも優秀で素直なお嬢さんと評判でしたのに」
「優秀で素直な生徒、と言えば聞こえはいいが、正確には頭は良いがこまっしゃくれた子供だったろうに。カステラの大きさで喧嘩をしている子供たちを尻目に、ちゃっかり水飴を一番多く確保していたことを今でもよく覚えているぞ」
「皆さんカステラに夢中になっていて、水飴なんかいらないのかと思いまして」
「そういうところがこまっしゃくれているというのだ」
もう何年も前のことをよく覚えているな、とアリアは思う。
確か、教会に通い始めてそこまで経っていない時期の話だ。
アリアと同じように教会に通っていた子供たちにと、どこかの親御さんたちが自分たちで作ったカステラや水飴といったお菓子を差し入れてくれたのだ。その後は、まあよくある話というわけで、やれお前のカステラが大きい、やれ自分のカステラが小さいと、よく見なければわからないような小さな差で、子供たちの喧嘩が始まったのだ。
アリアはその喧嘩に参加しなかった。アリアとてカステラは欲しかったが、水飴もあるのだ。わざわざ喧嘩してまで得るものには到底思えなかった。
こうして、喧嘩もせずにカステラを同輩に譲って水飴をねだった良い子なアリアは、他の子よりも多めに水飴をもらうことができた。
喧嘩のせいでおやつ抜きになった子からは、恨めしげな目を向けられたが、そんなことは知っちゃこったない。喧嘩するほうが悪いのだと、水飴を分けてはあげなかった。
まあ、その筆頭が当時ワルガキであったディルクだった、というのも大きいかもしれない。
遠慮もなかったし、色々とあったので自業自得という感情もあった。
確かにちゃっかりしていたな、当時を振り返ればそのとおりだ。
厳しい見た目とは裏腹に、子供たちをよく見ている。喧嘩をせずにカステラを譲ってあげた良い子、と褒めてくれた他の親御さんたちとは、見ているものが違う。
アリアは心のなかだけで、うんうん、と頷いた。
ただこの人は基本、善性の人間だ。だからこそ人に信頼される。
親たちに信頼されているからこそ、今なお多くの庶民の子供達が文字や計算の基礎を学ぶために、この教会に訪れている。
教会というものは定期的に市民に基礎的な学問を教えるための教室を開いているものだが、アリアはフーゴ神父の青空教室ほどしっかりと子供たちに知識と躾を教えこむものは見たことがない。
あの跳ねっ返りのディルクですら、フーゴ神父の前では頭が上がらず、借りてきた猫のように大人しくなる。そのうえ、フーゴ神父はアリアに比べて遥かに読み書きの習得が遅かった幼馴染にすら、完璧に基礎的な読み書き計算を叩き込んだのだ。
あのカリンさんが、息子の成長ぶりに泣いて喜び、フーゴ神父に直接お礼を言っていたのを、製鉄所の面々は皆知っていた。もちろん幼馴染であるアリアもである。
「それにしても神父様は変わりませんね。私は一応錬金術士になったのですが?」
アカデミーに入学した時、もしかしたらもう教会に立ち入ることは許されないかもしれないと、アリアは危惧していた。
その時は神父様の迷惑にならないよう、もう通うことはやめようと考えていたのだが、予想に反してアリアがアカデミーに通い始めてからも、フーゴ神父はアリアを教会に招き入れてくれる。
ありがたいが、それがどうしても疑問であった。
「アルテナ教の教義のことかね?」
「ええ、“あるべきものあるべきままに”。これは自然のものを組み合わせて新たなものを作る錬金術士の有様と相反します。だからこそアルテナ教と錬金術士は相容れない」
「くだらぬことだ」
敬虔なる神の信徒は、馬鹿馬鹿しいとアリアの言を一蹴する。
つい、ぱちくりとアリアは目を瞬かせた。
「よいか」とフーゴ神父はいつもの説法と同じ口調で先を続けた。
「“あるべきものをあるべきままに”、物事は自然の状態こそが最も調和がとれ美しい姿である、とアルテナ教の教義では説いている。では聞くが、アリアよ“自然な状態”とは何かね?」
「それは、……そのままであること、ではないでしょうか。人の手が入らない平原や森では草々が生え、木々が立ち並び、動物達が気ままに生きています。この状態がアルテナ教の言う“自然な状態”であると私は考えていますが」
「模範的な回答だな。ではもう一つ質問をしよう。我ら人間が生きる“自然な状態”とは何かね?」
これには少しアリアも頭を悩ませた。
はじめアリアが思い浮かべたのは、ザールブルグで生きる毎日の生活そのものだ。
しかしながら、高い城壁の中で草原を埋め立て、木々を切り倒して家を作り、動物たちを狩って日々の糧とするこの生活が、先程述べた自然な状態と同じものであるとは到底思えない。
けれども、ならば他に人間の生き方として自然なものがあるのか。
過分にして思い当たらない。多少頭の出来に自信があろうと、アリアはただの街娘にすぎない。そのちいさなおつむに蓄えられた知識は、その狭い世界相応のもので、自分の把握できる世界の外にあるものを想像することはあまりにも難しい難題だった。
フルフルと首を横に振るアリアを見て、フーゴ神父は子供に教え聴かせるように答えを教えた。
「簡単なことだ。それは、今我々がこのザールブルグで営む日々そのもの、だ」
「私が先ほど答えたものとまったく違いますが?」
「アリアよ、鳥が空を飛び生きるように、魚が海を泳ぎ生きるように、種族により自然な生き方とは違うのだ。我ら人間が鳥のように空の上で生きられるか? 魚のように海の底で生きられるか?」
「……無理ですね」
単純に考えてそんなことできるわけがない。
フーゴ神父もそれには大きく頷いた。
「その通り。不可能なのだよ」
大仰に両手を広げ、フーゴ神父は語りかける。
信徒に神の言葉を伝えるように。神に讃歌を捧げるように。
「生きとし生けるものにはそれぞれの領分というものがある。我ら人の世が、進歩の積み重ねによりここまで来たのなら、人間の自然な状態とは“発展”そのものであると言えるのではないかね。ならば錬金術という“発展”もまた否定するものではなく、肯定するものだ。そうは思わんかね」
「極論ですね。けれど、私にとっては好ましい極論です」
「そこは素直に賛成しておけ」と怒られるが、思ったことをそのまま口にしただけだと、アリアもまた悪びれずにのたまった。
「けれど良かった。これからも水飴をお持ちしても良いのですね」
「持ってきてもらわねば、こちらが困る。そちらの好意によるものだから強制はできんが、言っただろう。子供たちも楽しみにしていると。私とて子供たちを悲しませるほうが不本意だ」
「私も嫌ですね。そうそう、よければ水飴以外にも必要な物はありますか? さすがにこちらは依頼という形になりますが、私で良ければご用意いたしますよ」
「当たり前だ。好意を超える恩情は、こちらとてお断りだ。そのようなもの双方にとって不幸にしかならん。――それで、一体どんなものが用意できる?」
今調合できるもの、栄養剤やアルテナの水、面白いところではズフタフ槍の水や鉄などが作れることを素直に伝える。
「ふむ」とフーゴ神父は顎に手を当て、少し考えてから口を開いた。
「私が今欲しいのはアルテナの水だな。簡単な怪我人や病人ならあれでなんとかなるからな。予備も含めて、数は十もあれば十分だ。期間は一月。できるな?」
「もちろん、可能です。……もしかして今までも使ってましたか?」
「当たり前だ、アルテナ様は医療の女神だぞ。その神を祀る教会で、不十分な治療しか施せずして病人を外に放り出せるか。
“あるべきものあるべきままに”、これは自然の調和を称えるだけではなく、運命をありのまま受け入れ、そしてその状態で最善をつくすように教える言葉でもある。病めるものを救う手段があるというのに、自らの怠惰でそれを放棄するような愚か者など神はけして救いはせんよ。たとえそれが自らの司祭であろうともな」
アルテナ教の司祭様がそれでいいのだろうか。疑問がアリアの頭の中に浮かぶが、フーゴ神父だからと納得する。
良くも悪くも強い人だ。
まだまだ子供にすぎないアリアでは、フーゴ神父を案じるなど荷が勝ちすぎる。
「だが、誰もが私と同じ考えをしているわけではない」
「…………」
「アリアよ、いつか大きな仕事を頼むやもしれん。むろん、無理なら断ってもらっても構わん」
「……依頼なら望むところです。断る気はございません」
きっぱりと否定する。
自分がフーゴ神父の依頼を断るはずがない。頼まれた以上、完璧にこなしてみせる、そうアリアは宣言した。
そんなアリアを見て、フーゴ神父は「気の強いことだ」と笑った。
「大きな仕事なら報酬を期待してもいいのでしょう?」
「ふっ、安心し給え。私の権限を持って十分以上の見返りを約束しよう」
その言葉だけで十分すぎる。
フーゴ神父は絶対に嘘はつかない。今までの経験から、アリアは彼の言葉を誰よりも信用していた。
「では、皆に会ってから帰りますね。次に来る時にはアルテナの水も一緒に持ってきます」
「たった一週間で依頼を終わらせるときたか。大きく出たな」
「ええ」
腰掛けていた長椅子から立ち上がり、フーゴ神父と真正面から向かい合う。
まったく、本当に昔から変わらない人だ。
初めて会った時から、父と匹敵するほど背中の大きな人だった。
父とは正反対に饒舌な人ではあったが、言葉の重々しさは変わらない。
それはきっとこの人の生き様から来ている言葉だからだろう。経験に基づいた言葉は、重い。
「楽しみにしていてくださいね」
でも、いつまでもその重々しさに潰されるだけの子供ではない。
いつか子供は、それを跳ね返せるだけの力を得るものだ。
アトリエに戻ったアリアがまず行ったことは、戸棚に保管していたアルテナの水の確認であった。いくつか過去に予備を作っていたので、まったくのゼロから依頼をこなす必要はない。足りない数を補完し、新たに水飴や果物の砂糖漬けを作り足せば良いだけだ。
「アルテナの水は五つ、か。十分だな」
ほうれん草を煮こむ間に他の簡単な作業を行うこともできるし、一週間という日数は十分すぎるほどだ。
さて、さっそく作業を始めるとするか。
紺色の錬金服の袖をまくり、アリアはさっそく作業に取り掛かった。
まずは買ってきた果物を適度な大きさに切る。皮はそのまま残しておく。
今回は冬でも買えるリンゴがメインだ。
種を取り除き、適度な大きさにざく切りしたら、果実とザラメを交互に瓶に詰め、しっかりと口を閉じる。
このまま三日ほどそのまま放っておけば完成だ。
手間もなく簡単に作れるので、最初に準備をしておく。あとはただ待つだけだ。
次は水飴だ。ここで日も沈み始めたので、ランプに火を灯す。アカデミーで購入した特別製なので、火は安定した様子で燃えている。明るく力強い火は、調合机の上を照らし、これなら支障なく調合を続行できそうだ。
油をさしながら、アリアは満足気に頷いた。
水飴を作る時、最初にベルグラド芋をしっかりと蒸さなくてはいけない。
少し時間がかかるので、この時アルテナの水の準備も同時に進めておく。乳鉢でほうれん草を砕き、別の容器に移し替えてから乳鉢をしっかりと洗っておくのだ。
乳鉢はベルグラド芋を潰すのにも使うので、ここでしっかりと洗っておかなくてはいけない。ベルグラド芋にほうれん草が一欠片でも混じり込んだら失敗してしまう。
ベルグラド芋を蒸かし終わったら、しっかり粘り気が出るようすり潰す。この作業が結構な重労働で、意外と時間が掛かる。粘り気が出始めたらしめたもので、あともう少し頑張ればこの大変な作業も終りを迎える。
粘り気がベルグラド芋の全体に広がったら、次は用意したザラメを緑の中和剤に浸す。
ここでザラメの粒を全部溶かし、完全な液状にしなくてはいけない。溶け方が不十分だと、うまくベルグラド芋と混ざらない。
ここで最後に少し温めておくと、ベルグラド芋の粘り気をさらに引き出してくれる。
最後にベルグラド芋とザラメの溶けた中和剤(緑)を混ぜておしまいだ。
しっかりとかき混ぜ練りこめば、どこからどう見ても立派な水飴の出来上がりである。
実はこの水飴だが、錬金術の技法はほとんど使っていない。昔からあるレシピと大部分は一緒なのだ。
魔力も練り込んでいないし、違いといえば本来なら水を使う箇所で水替わりに中和剤(緑)を使っただけだ。
そのためか、この水飴は調合によって作ったものなのに、食べても特にこれといった効果はない。おいしいことはおいしいが、錬金術を使わずに作ったものと味もそこまで変わらない。
では、中和剤(緑)を使った意味があるのかと問われると、これはしっかりと意味がある。
中和剤(緑)を使うことにより、この水飴には魔力との親和性が生まれ、飴や他のお菓子を錬金術で作る際にとてもよい材料の一つとなるのだ。
ただの水飴では他の材料の効能・効果を引き出すことができず、材料として使うことができない。
いわば、錬金術で作った水飴は、他の調合品を作るための踏み台にすぎない。
けれども踏み台といえどおろそかにする訳にはいかない。中和剤と同じく、調合の基礎となるもののこそが、実は何よりも大切なのだから。
だが不思議なことに、図書館で探しだした参考書には様々な調合品の材料になると記載されているのにもかかわらず、水飴は購買で売られている正規の参考書――アカデミーに通う四年間で最優先で学ぶべきものとして採用されたものばかりが載っている図書――には載っていない。
他の調合品を作るのに必要となるのなら、水飴のほうが調合の優先度が高いのではないか、と思うが現実は変わらない。
なぜか?
そういえば、前に調合した鉄もそうだった。
あれも他の調合品の材料になるにもかかわらず、正規の参考書には載っていない。図書館の片隅でようやくみつけた一冊に載っていたきりだ。
一応それらしいことは聞いたことがある。
たしか父が言っていた。
「今カリン製鉄所で使われている製鉄の方法は、アカデミーから買い取った技術が使われている」と。
アカデミーが製法を売り払ったから、教えなくなったのか?
いや、それはない。
レシピを他の組織に売り払ったからといって、自分たちが作ってはいけないという法律はない。
では他に理由があるのか?
わからない。まったく、想像もつかない。
アリアは重い吐息を胸の奥から吐き出した。
残念なことだが、考える材料があまりにも少なすぎる。このまま一人で悶々と考え続けていても、答えは出ないだろう。
それよりも、こんな想像で考えを持て余している暇があるのなら、調合の続きをするべきだ。
そこまで考えていたところで、窓の隙間から日差しが差し込んできていることに気づく。
嫌な予感がして、木戸を開けてみると、城壁の向こうから太陽が昇り始めていたところであった。
気づかない内に徹夜をしてしまっていたのだ。
鶏の鳴き声がどこからか聞こえた。
黄金色の光が、ザールブルグの町並みを明るく照らす。
あまりにも綺麗な光景に、アリアはがっくりと肩を落とした。
(徹夜をするつもりは、なかったんだがな……)
変に考えこまなければよかった、と後悔するが、すでに後の祭りであった。
誤って徹夜をしてしまった初日以外は、水飴とアルテナの水の調合はとても順調にいった。
もともと何回も調合し、作り慣れた品である。想定外の事態さえなければ、調合にどれだけの時間がかかるのかすでに把握しているし、調合の失敗ももうほとんどない。
今回もまた、調合に失敗することなくすべての品物を完璧に揃えることができた。それも一週間以内に、である。
少し、ではあるが、腕に自身もついてきた。
これからはもう少し難しい依頼に挑戦するのも良いだろう。
ただ、かき混ぜるものや練り込むものが多かったため、肩や腕が痛い。筋肉痛である。
寝る前にマッサージを行い、手の平も指も丹念にほぐしていたため肉刺はできていないが、それでも傷ついた筋肉が鈍い痛みを伝えてくる。
軽く肩を叩き凝りをほぐすが、これくらいでとれるような軽いものではない。
帰ったら風呂屋にでも行こう、と計画を立てながら、アリアは職人通りの近くまで来ていた。
そこには小さな教会があった。
質素な白い壁に赤い屋根の小さな教会。
庭の片隅では畑もある。今はまだ冬なので、育てているものはないが、春になればここから青々とした芽が芽吹くのだろう。
教会では幾人かの子供たちが庭で遊んでいた。
その中にはアリアの見知った顔もある。
孤児の子供たちだ。
だが彼らの顔には、溌剌とした生気だけが満ち、親のいない子供特有の影はない。
フーゴ神父の育て方が良かったのだろう。このまま憂いなく育つことを祈るばかりである。
「あ、アリアねーちゃん。きょうも来てくれたの?」
孤児の一人がアリアに気づき、声をかけてくる。アリアの持ってくるお菓子を楽しみにしていたのか、その視線は彼女の持つバスケットから外れない。
「ああ、レティ。神父様はいるかい?」
「うん、おいのりの場にいるよ。よんでこようか?」
「いや、いい。自分で行くよ」
できる限り柔らかく言うと、「わかったー!」と元気の良い返事が返ってくる。
友人の間に駆け戻る子供の背中を少しの間見つめ、アリアはいつもの様に聖堂へと向かった。
樫の木で作られた扉は丈夫だが重い。
アリアはまだいいが、もう少し非力なものがこの扉を開けようと思えば、体重をかけて少しずつ開けなければいけないだろう。
ここの教会の責任者が非力なシスターだったなら、この扉を開けるだけでも重労働だったに違いない。
扉を開け放てば、アルテナ様の姿をかたどったステンドグラスがまず目に付く。
太陽の光を透かし、複雑な色を空から降らすそれには、いつもいつも目を奪われる。
「きたか」
「ええ、先週ぶりですね」
聖壇の下で祈りを捧げていた白衣の男性が立ち上がる。
白い
見慣れたその姿はこの教会の主であるフーゴ神父であった。
「で、先日依頼をした品はもうできたのかね?」
「ええ、もちろんです」
胸を張ってアリアは答えた。
「アルテナの水といつものお菓子をお持ちしましたよ」
アリアの持つバスケットの中には、緑に揺れるアルテナの水と赤いリンゴの砂糖漬け、そして琥珀色に輝く水飴がところ狭しと並んでいた。