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第四話 斯くて少年は逃げ出した
羞恥の所為か恐怖の所為か、顔を背けて殆ど周りを見ることなくNPCが早朝営業を開始した通りを縫うように走っていく。
もし、アルゴさんが前回と同じようなスキル選択であれば<索敵>スキルとこれまた不人気の<鉤爪>スキルであろう。 記憶通り<索敵>スキルを習得している なら、昨日の話した『パルクール』のついでに<はじまりの街>で受けられるMAPマーキングクエスト、通称『鷹の気持ちになるですぞ』を受けているはず。 30分以内に街の6箇所の高台にマーキングするというクエストだが、成功報酬は<索敵>スキルポイントの上昇である。
成功していれば――いや、成功しているだろう。
彼女を避けるためにも、この醜い姿を隠すためにも<ハイディングフード>は必須である。
裏路地を伝い、怪しげなモノが数多く売られている街の一角。 スラムのように饐えた匂いが充満する露天に顔を出し、<フレンジー・ボア>の肉全てを売り払い獲得したコルで、最も性能の低い(それでもなかなかに高い)灰色の<ハイディングフード>を購入し、残りのコルで<アイアンランス>を買う。
どちらも値段はなかなかする為、二つを購入した時には既に所持金は一桁になっていた。だが、これからこの世界で逃げ続けるために、生き残るために必要な経費と言える。
このスラム街はアルゴさんに教えてもらったものではあるが、入り組んだ道と視界を狭める障害物、そして<ハイディングフード>のおかげで教えた本人であろうと低スキルの<索敵>は機能しない。
後ろめたさと自責の念でいっぱいになりそうになる心を押さえつけ、NPCだらけの大通りへと歩みを進ませた。
まずは北西門から街を出て、広い草原の先、深い森のそのまた向こうにある小さな村<ホルンカ>を目指す――そう、決断してからは早かった。
今の時間が午前7時12分。
この時間から狩りを始める人もいないだろうと考え、人目の少ないうちにできる限り先に進む。
だが、その前に一つやって置きたいことがあった。
「いらっしゃーい! 昨日発刊されたばかりの本だよー! 一冊どうだい!」
まるで映画で見る古風な八百屋の呼び込みをしながら、手に持った一冊の本をブンブンと振り回しプレイヤー相手に商売しているNPCに近づいていく。
アインクラッドでも現実世界でも早朝から店を開けている本屋というのは少なからず存在する。 それが、北西門の手前に存在することは僥倖だった。
「おっ! いかつい兄さん! どうだいこの本! いまならタダだよ! タダ!」
『いかつい兄さん』という言葉は無視し日焼けをしたNPCから本を受け取る。
タダの物を売るのが(もはや配布だが)商売になるのかと疑問を感じながら、すぐ取り出せるように小袋に入れようとして、思い出す。
『HPが0になった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に――諸君らの脳は【ナーブギア】によって破壊される』
茅場晶彦が言い放った怖気が走る反吐の出るほど醜悪なルール。
茅場晶彦の告げたルールのなかで生きていく上で重要となるのは情報である。
HPが0になればその瞬間、永遠に現実世界からログアウトしてしまう以上、例え幾度も簡単に乗り越えてきた障害であっても油断するわけには行かない。
このゲーム、いや現実では油断がそのまま死に直結することも多々あるだろう。
それはリアルでも同じかもしれないが、少なくともリアルでは人間に敵対的な生物が闊歩していないし、生命を人質に取られて生命を開放するなんてこともない。
ここは、いまや世界でも有数の危険地帯なのだ。 それも上に行けば行くほど、進めば進むほどに。
時間を潰すわけではないが、少し路地に入った所の休憩スペースのベンチに腰掛けて序盤の要所を確認するように本を開く。
これが現実であれば顔をフードを隠して、暗い路地で朝から本を読んでいる大柄な男など通報されても致し方ないが、多くのNPCと同じように衛兵はこちらを見ることなく通り過ぎていく。
【<ホルンカ>――小さな村だが、牧歌的な雰囲気で慣れない冒険に疲れたプレイヤーを癒してくれる。 特産物は牛乳と濃厚なチーズ】
田舎の観光パンフレットのような一文が目に入り、ページを止める。
これを書いたのは自分じゃない……緊張感を無くすような見出しに辟易しながら視線を下にずらしていく。
「こんにちはー! ちょっといいかな~?」
【この村の特徴は小さいながらも主要な施設が揃っていて、なおかつ周辺のフィールドには危険なスキルを使うモンスターもPOPしない。 さらに多くのフィールドでは夜になるとモンスターが活発化、凶暴化するのに対し、この村では確認されていない等、辿り着くのが少し面倒だが非常に優秀な狩場である】
この文章は自分が頻繁に主要な狩場としていた<ホルンカ>の紹介である。
読んでいて少し恥ずかしいけど、この文章が役に立つのならありがたいと思う。
「おーい……って。ナオ、聞こえてないんじゃないかな?」
【<ホルンカ>へのオススメルート】という見出しの項目で目をとめ、自分の記憶している情報と差異はないか確かめるように、真新しい厚紙の表紙を撫ぜ、ガイドブックを読み進めていく。
そこには自分が考えていた<ホルンカ>のルートよりも幾分も難易度の低いルートが記載されており、安心する。
ルートの選定も終了したし、さぁ行こう――と顔をあげたら同じ顔が目の前に二つあった。
「いやー。 ごめんね。 まさかあんなに驚くと思わなくってさぁ」
余り悪びれた様子を見せずにケラケラと笑っている左隣り少女。
「すいません驚かせちゃって……ふ、ふふ」
先ほどの痴態を思い出したのか、こらえきれずに口の端から笑いを滲ませている右隣の少女。
どちらも同じ顔である。
いや、厳密には違うのかもしれないけれども、初対面で名前もわからず性格もわからないのでは判別は不可能だった。
せいぜい服の色や意匠で見分けるぐらい――そう思い、フードの陰からちらりと視線を右に左にとずらす。 現実世界の姿形がアバターへと反映されるSAOにおいて、見る人が見れば彼女たちは“イケてる”子達なのだと思うが、女性経験皆無、対人経験絶無、自分に難あり、友人三人(仮想のみ)の人間には今の状況は針の筵と同義だった。
(驚いてベンチごと後ろに倒れたなんてアルゴさんに知られたら末代までのネタにされる)
本人がいたら殴られそうな事を思いながら、今の状況を整理する。
ベンチでガイドブックを読む→顔を上げる→驚く→転ぶ→笑う→お詫びに何か奢るよ!
(あわわわわ。 完全にこれネットで有名な美人局かハニートラップって手口。 都市伝説だと思っていたのに――あまりの劣勢にハンニバルもアルプス越えを諦めるレベル。)
既に自分の頭はオーバーヒートしそうですぐさまこの町から脱出して、牧歌的でチーズのおいしい<ホルンカ>で冷却したいのにテーブルを挟んで座る二人の少女は自己紹介まで始めてしまった。
(退路断たれりッ!!!)
「私はナオっていうんだけどねー。 ネコが好きなんだ~」
(だ・か・ら・ど・う・し・た!)
――そう叫びたくなってしまうのを堪え、いや堪える前に叫べないけどテーブルの下で右手を動かし、時計を表示すると7時半。 今日からこのデスゲームで生き残ると決意したプレイヤーであればそろそろ宿屋から出て行動を開始する時間。
「ちょっとナオ自己紹介じゃないよそれ!」
至極真っ当な突っ込みを入れる紫を主体にした服を着こなす少女。 顔は同じでも考え方には差があるみたい。
「すいません。 妹が……はっ! 今のは忘れてください!」
兄弟だからこんなにも顔が似ているのかと納得し、頷く。 ゴホンッ!と咳ばらいをし、話を再開する。
「私はミーシャっていいます。 あの、もし、よろしければなんですけど……お願いがありまして――」
(アルゴさん。 やはりこれはアルゴさんが『注意しろヨ』と言っていたハニートラップというのでしょうか。)
「私たちを<ホルンカ>まで連れて行ってくれませんか!」
どこまでも前向きな口調で彼女は言った。
だから自分も首を振ってどこまでも後ろ向きに断った。
なのに、なんで後ろから気配がするんだろう……。
広い平原で、“遮蔽物”の無い! 広い平原で! 後方5mにこそこそと歩く二人組、先ほど丁寧に断ったナオさんとミーシャさんがいた。
非攻撃的モンスターである<フレンジー・ボア>の一挙一動にびくびくしている様からも彼女たちが初心者であることは予想がついた。
ならば何故、この<はじまりの街>から出て、わざわざ多少危険な<ホルンカ>へ行くのか。
その理由は彼女たちが大きな声で話している。
なんでも、『わ、わたし一度牧歌的な田舎の村って言ってみたかったんだよね~』とか『せっかくファンタジーな世界に来たんだから楽しまないとー』など。
明らかに嘘っぽいけどそれを指摘するのは野暮だし、勇気もない。 もし本気でそれを言っているなら心臓に毛が生えているか、本当に前向きな性格なんだろう。
別に後ろから大きな声でピクニックのように楽しげに付いてこられても特別害はないから無視しているのだが、彼女たちが大きな声で話しているせいで弱い攻撃的モンスターの注意を引いて、集まってきたモンスターが目立つ自分をターゲットにするのだ。
そのおかげか既にレベル4になっており、筋力値極振りに更に磨きがかかり<ダイアー・ウルフ>でさえ胴体に一撃を加えただけで吹き飛ぶようになってしまった。
意図せず彼女たちの露払いになっている状況に溜息をつきながら、ようやく見えてきた深い森に足を進ませるのだった。
陽光がひっそりと木々の間を抜けてくる薄暗い落葉樹林にはいると、さすがに気味が悪いのかピクニック気分もどこかへ行き、二人は時折り道からはいずり出る最下級イモ虫型モンスター<ウッド・ワーム>を二人して喚きながら片手斧を振り回し、惨殺する姿は非常に猟奇的であった。
なお<ウッド・ワーム>は非敵性モンスターであり、さらに一切の攻撃手段を持たないという初心者に非常にやさしいモンスターなのだが、自分は虫が嫌いなため容赦しないからわからないが、あんまり虐殺していると良心の呵責からか狩場を変えるプレイヤーが多いらしい。
いまも、ゆっくりと這い出てきた<ウッド・ワーム>に槍を付きいれると蚊の鳴くような声で断末魔を上げ、ガラス片となって消えた。
もし、魔法がこの世界にあったら森ごと燃やして根絶やしにしてやるのに――と後ろの二人の猟奇さにつられたのか、つい思ってしまう。
彼女たちから付かず離れず一定の速度を保ちながら森に入り20分。 何匹目かのイモ虫の討伐に成功した彼女たちは歓喜の声を上げた。
「やったー! レベル2になったよーお姉ちゃん!」
「私もなったよ! ナオちゃん!」
二人して抱き合って喜んでいる姿はなかなかに微笑ましいと思う――斧さえなければ。
自分の視線に気づいたのかドヤッ!と二人して胸を張りこちらに顔を向ける。
本日何度目かの溜息をついて深緑のハイキングを再開した。
ホルンカまで残り2kmというところでいよいよ深淵の森はその本性を現し、プレイヤーにゆっくりとその毒牙を向けてくる。
先ほどまで木々の間をすり抜けていた陽光はついぞその身を巨木達に屈し、世界を暗く染めていた。 休憩点とでも言いたげな打ち捨てられた森小屋を経由し、中からいくつか松明を拝借してくる。 二人ともまるでお化け屋敷のような建屋に入ろうとは思わないのか入り口で中を覗き込み震えていた。
朽ち果てている建物から出るときに“わざと”二つ松明を落としておき2m程離れた位置で松明を着火すると、真似するように後ろで2つの火が灯される。 その姿を横目で見ると火がついた事を喜んでいるのか、二人して先ほどまでの怯えた雰囲気は何処へやら、笑顔ではしゃいでいた。
この森の中で松明を使用している以上は大抵のモンスターは近寄ってくることはない。そのためいくら騒ごうと危険はないのだが、行き過ぎた前向きぶりに不安を感じずにはいられなかった。
暗く、湿った森の中を三つの揺れる灯が照らしている。
自分の胴周りの何倍にもなる倒木の幹を乗り越えて先へ進んでいく。 慣れない獣道に戸惑いながら歩みを進ませる二人の少女は平原よりもその距離を近づけており、既に傍から見れば立派なパーティであることは間違いなかった。
そのため、後ろを歩く二人の声がどうしても耳に入ってしまう。
「……お姉ちゃんお姉ちゃん。 あの人って凄い良い人だよね!」
「うん。 明らかに私たちの事守ってくれてるよね」
こそこそと囁き声で話す二人の声がどうにも自分のことばかりで恥ずかしくなってしまう。
目的地が同じ人間を勝手に後をつけてきておいて『守って貰っている』というのも変な話だが、露払いや彼女たちの持つ松明は自分が持ってきた物なのだから結果的にはそうなのだろう。
「でさでさ! お姉ちゃんあの人の名前予想ごっこしようよ!」
「名前予想ごっこ?」
「そうそう! ここまでして貰っていてあの人呼ばわりもあれだしさ!」
「うーん。 まぁ、そうかも知れないけど」
いや、そうじゃないでしょ。 納得しないでミーシャさん。
しかもナオさん、それは『あだ名つけゲーム』っていうものであってお礼にはなりません。
胃がきりきりと悲鳴を上げるのを感じながら、モンスターの出現しない退屈な道を歩いていく。
「じゃぁ先にお姉ちゃんからね!」
「ええ!? 何でよナオちゃん!」
いいからいいから! と押し切られ、姉であるミーシャさんはうんうんと唸り始める。
そこまで悩むかと思わずにはいられない程、30秒たっぷりと悩んで口を開く。
「…………ギ、ギガン○スさん……とか?」
SAO開始以来初めてプレイヤーに殺意が湧いた。
「おおお、お姉ちゃん! 見てあれ!」
「? どうしたのナオちゃん? ……わぁ!」
<ホルンカ>まであと少し、川のせせらぎが聞こえるようになり、ようやく松明を使わなくても良いほどに周りは明るくなり始め、視界が開けてくると何かを見つけたのかナオさんが指をさして傍らの姉に伝える。
ミーシャさんはその指の先――木々の間にひっそりと花を咲かせている一帯を見つけ驚きの声を上げた。
「綺麗……」と一言漏らし、ゆっくりと近づいていく。 妹のナオさんもそれに続くように花を愛でに行った。
青、赤、黄色、様々な色の花弁が森を通るそよ風に舞い幻想的な光景を作り出した。
小さな花畑で小休止という風に座り込んだ二人を置いて、どうにもどこかに行こうとは思わなかった。
二人の表情はどこか憂いを帯びたもので、今までの印象とはかけ離れていたからだ。
実質的な護衛のような形で先陣を切って歩く自分も、少し離れた位置、彼女たちからは決して顔の見れない位置に腰をおろし、小休止といった具合に小袋から水筒を取り出し水を飲もうとすると乾いた音が水筒から響き、空であることを伝えた。
<ホルンカ>まで我慢しようと思い、収めると目の前に真新しい水筒が出現した。
差し出された手の先――ミーシャがぎこちなく水筒を差し出していた。
「よ、よかったら飲んでよね」
どこか顔を背けながら言ったミーシャに無言で首を振り、返答する。
「……えっ」
驚いた顔で自分を見つめるミーシャさんから逃げるように立ち上がり、先ほどから小さく聞こえている清流の水音に足を向けた。
湧水が小川となり、長い時間濾過されたのか底が見えるほどに澄んだ川に水筒を潜らせる。
ちゃぽんという小気味のいい音が耳に入り、一口飲むと仮想の渇きを癒した。
「ふぅ……」と一息を付き、先ほどのミーシャさんの顔を思い出す。
呆然とした表情で立ちすくむ少女。 だが、もし、受け取って後々自分の姿を見られたら、ふとした時にこの醜い顔を見られたら――そう思うと例え相手を傷つけてでも受け取りたくはなかった。
自分を恐怖する顔、忌避する表情、奇異とする言葉。
いずれの人間にも共通する瞳に映った自分の姿。
思い出すだけで嫌だった。
水面にうつるフードの端から覗く傷跡をかき消すように足元の石を投げ、波紋を作り出した。
小休止も終わりとばかりに濡れた土で汚れたボトムスを叩き、花畑に踵を返すと聞きなれない音が花畑から聞こえた。
そう、まるで羽音のような――そこまで考えたところで二つの悲鳴が森を揺らした。
ようやく街から出れました。 第一層攻略は何話になることやら。