中立者達の日常 作:パンプキン
しかし生態の全体が解明しきれていないが故に、あまり知られていない特徴も存在する。
「ウォォォォオ───────────ン!!」
静まり返ったキュロクの裏通りに、獣の鳴き声が響く。その鳴き声の主は、ガイアファンデーションによって特級危険種 ジャッカルへと姿を変えたチェルシー。その前後に立ちはだかるは、羅刹四鬼のメグとシュテン。
「ほぅ…」
「へぇぇ、やっぱり帝具使いだったんだ!」
特級危険種の姿へと変化したチェルシーを見てシュテンは関心を示し、メグは嬉しそうに再び笑みを浮かべ、双方構えを取る。特に
身体全体が屈みつつ上体が地面に付かんばかりに沈み込み、鋭く尖る爪はそのエネルギーを抑え込む為に足の地面に食い込む。口からは鋭い牙を全く隠さずに歯軋りの音が響き、その鋭い目はメグを捉え、正に今噛み殺さんとばかりだ。
「グゥゥゥ…!」
「どんな帝具か全く分からぬが…何、使用者が死ねばなんら問題は無い」
チェルシーが帝具使いと判っても尚、メグとシュテンの自信は崩れない。帝具使い5人をその身で倒してきた実績が、それを支えているのだ。
グググと、徐々にチェルシーの爪が深く食い込み始める。いよいよ、その姿勢から生み出されているエネルギーが抑えきれなくなってきてるのだろう。
「さぁ、来なよ?」
チェルシーの正面で構えるメグが、挑発を掛ける。それが、合図だった。
──ドゥッ!!
蓄積していた運動エネルギーを前方に全開放。瞬時に最大速に到達したチェルシーがメグに向かって突撃する。メグはそれに対し、右手で手刀を形成。皇拳寺の壮絶な修行によって手に入れた、人間を超える身体能力でもってチェルシーを迎撃する。引き絞られた右腕。瞬間、右肩からゴキンと嫌な音が響くと同時に手刀を突き出した。距離はどう考えても射程外であり、そんな攻撃は一見無意味に思える。しかし、彼女の右腕はそれ以上に伸び始めたのだ。
これが羅刹四鬼が手に入れた力。皇拳寺の壮絶な修行に加え、寺の裏山に生息する棲息する危険種 レイククラーケンの煮汁を食べ続けた事により、人間の限界以上の身体操作を可能としている。限界以上の伸縮性も持っている為、格闘戦とは思えぬリーチを持つ。
その力によって放たれた手刀の一撃。チェルシーの速力も相まって、一瞬後にはチェルシーの顔面へと直撃するのは間違いなかった。
が、チェルシーはその一瞬前に僅かに右にサイドステップする事で其れを回避。身体の毛に当たりながら、しかし確かに手刀を回避。そしてそのまま防御姿勢へと入ったメグへと突撃攻撃
するかと、メグとシュテンは思っていた。
チェルシーはそのまま、メグの横を通過。速度を緩める事なく逃走を開始する。
思わず、一瞬呆気に取られる二人。
「…逃がさないよっ!」
「まさか、そのまま逃げようとはな…だが逃がさん、お前の魂を開放してくれる!」
が、すぐさま追跡に入る。しかしその速度はほぼ同等であり、油断すればすぐにその姿を見失うだろう。
そう、チェルシーは最初から「逃走」する事しか考えておらず、戦闘など全くの論外であった。
幾ら人間より強い危険種に成ろうとも、その技量は微塵も変わらないのだ。一対一でもまともな戦闘にならないのは目に見えているのに、一対二。当然勝機などあるわけが無い。チェルシーの最優先は「生存」の一点。ならば答えは逃走あるのみだ。その考えは、戦いから逃げて汚い泥を啜る臆病者の考えでもあるだろう。
だが、構わない。
彼女は只々生き延びたい。彼女は只々死にたくない。
オールベルグが
チェルシーという一人の人間は「裏切り者」となった。
自分が生き延びる為なら何人でも殺そう。何回でも裏切ろう。何回でも見捨てよう。その為なら何度でも汚い泥を啜り、強者の靴を舐め、どれだけ無様な姿を晒そうが生き延びてみせる。
その為に彼女はナイトレイドを裏切り、ラバックを自らの手で殺し、オールベルグを滅ぼしたジャッカルという絶対強者の下に付いた。
だからこそ、彼女は死ねない。死ぬ訳には行かない。此処で無様な死骸を晒すものならば、彼女が自らの手で殺したラバックの命は、あの日見捨てたオールベルグの仲間達の命は全くの無意味と化す。故に彼女は生き延びる為に、逃げるのだ。
仲間だった者達を
故に、彼女は逃げる。キュロクの裏通りを駆け、背後から羅刹四鬼が迫る。スピードは緩めず、出し得る最速を維持。アドレナリンの多量分泌でスタミナの少なさは誤魔化せる。たとえ限界が来ようとも、それを突破する。筋肉痛など知る事か。
目の前に建物が迫る。大きく跳躍、不足分は壁を蹴って補い、屋上に到達。屋上を高速で飛び移り、キュロクの郊外を駆け続ける。
メグとシュテンも、諦めずに追跡を続ける。世界で最大48人しか同時に存在しない帝具使いを逃す気はないらしい。
しかし、中々追いつかない。相手は人間ではあれど、帝具によって擬似的に特級危険種、それも危険種殺しと呼ばれるジャッカルに姿を変えている。その小柄な身体から発揮される身体能力の高さは、危険種の中でも随一を誇る。幾ら人間の枠から外れる力を持った羅刹四鬼とは言えど、簡単に追い付ける物では無いらしい。
だが、チェルシーの速度は徐々に落ちつつあった。アドレナリンによってスタミナの少なさは誤魔化せるとはいえど、それも限界というものがある。少しずつ、確実に羅刹四鬼の射程内へと入りつつあった。
が。その前に、遂にはキュロクの街から飛び出し、森林地帯へと進入した。
木々が高速で迫り、落ちていた速度が更に落ち込む。そうなれば大して速度が落ちていない羅刹四鬼に追い付かれるのは当然の事。
「ぬぅぅん!」
「キャン!?」
横に回り込んだシュテンの一撃。全体重を掛けて放たれたそれをチェルシーは避ける事が出来ず、左腹部に直撃。右前方に身体が吹き飛び、背中上部から木に衝突。しかし勢いが殺され切れず、衝突起点から激しく回転して落下し、地面に叩きつけられて激しく転がった。
たった一撃。しかしその一撃はチェルシーを行動不可に陥るには十分な威力だった。ガイアファンデーションが自然に解除され、元の人間の姿へと戻る。
「ゲホッ、ゲホッ…!」
地面に横たわったチェルシーは吐血した。シュテンの一撃と木の衝突、地面への叩きつけによって何本かの骨が折れ、内臓にも少なくないダメージが入っている。そして手足が今までの逃走による無茶によって筋肉が激しく痛み、まともに動かす事すらままならない。更に頭を強く打ったのか、脳震盪を起こして意識が混濁する。
「はぁっ…はあっ…」
「あー、やっと止まった…全く、速すぎっしょ。そのままトドメ刺しちゃっていーよ」
「応」
シュテンの左手がチェルシーの首を掴み取って締め上げ、そのまま抵抗出来ずに空中へ持ち上げる。気道が塞がれ、呼吸困難に陥る。
「がっ……あ……」
「長く苦しませるつもりは無い、現世を彷徨う迷い子よ。儂がその魂を開放してやろう」
首を絞める力が強まっていく。やがてそれは限界を迎え、チェルシーの首を折るのだろう。チェルシーに最早抵抗する体力も、方法も無い。
間違い無く、ゲームオーバーだ。
彼女一人だけならば。
────サ。
(…ん?)
違和感に気付いたのは、手持ち無沙汰だったメグだった。
遠くから、草を掻き分ける音が聞こえる。キュロクの近くとはいえ、様々な生物が生息しているのには変わりが無い。故に、最初は然程気にする事も必要性も無かった。
────ガシャガシャ。
(…いや、違う!)
しかしそれは間違いであった事に気付く。その音は極めて高速で、尚且つ
────ガサガシャガシャガシャ!!
「シュテン、囲まれてる!!」
「む…!?」
構えを取り、周囲に気を張り巡らせながらシュテンに警告を飛ばす。それに気付いたシュテンが周りを見た時。
────ザバァッ!!
シュテンめがけて、一つの影が凄まじい勢いで飛び出す。その着地点は、正にシュテンが立つ地点だ。
咄嗟にチェルシーから手を離し、後ろにバックステップする事で回避。メグと背中合わせとなり、その正体を見やる。
その生物は、再び倒れ込んだチェルシーを庇うかのような位置に佇み、その殺意は微塵も隠す気配無し。
「グルアァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」
「危険種殺し」と名高い、特級危険種 ジャッカルは敵へと怒りの咆哮を上げた。
真の自然界の狩人が、人間に牙を剥く。
危険種殺しは非常に仲間意識が強く、仲間と認めた者の匂いと声、そして血に「酷く敏感」だ。