督戦の龍驤   作:神原傘

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2008年9月。
龍驤は暗殺部隊『スナッチャーズ』と共に青島軍閥を殲滅するよう命じられる。

青島軍閥。中国は青島半島に駐留する日本海軍の『出島』を牛耳る一大組織である。
彼らは様々な慈善事業を通じて地元市民の支持を得る一方、現在では違法行為とされるヒトの艦娘化、すなわち『改造艦』の建造、および密輸を行っていた。
作戦は無難に遂行されたが、青島軍閥の頭目である『最初の五隻』の一隻、漣は、龍驤へ向けて不吉な言葉を残す――


02 M.O.O.N. - Hydrogen from Hotline Miami

 深海棲艦の出現に対し、世界に先駆けて艦娘という対抗策を手に入れたのが日本である。

 開戦当初、日本はドイツ、イタリア、アメリカ、イギリスといったNATOを構成する主要諸国に対して積極的に技術を供与し、見返りに豊富な外貨と資源を得た。

 二年前、二〇〇六年にはドイツにて評判が高い駆逐艦レーベレヒト・マースおよびマックス・シュルツ、そして戦艦ビスマルクの合成手法が日本へ逆輸入された。

 艦娘は、人類の科学技術、特に医学・生理分野への理解を大幅に跳躍させた。また、妖精さんや陰陽師タイプの空母艦娘の存在もあり、長らく研究の埒外(らちがい)とされていた神秘学(オカルト)にも再び関心が集まった。

 艦娘は、軍事に留まらない最先端技術および知識の結晶なのだ。各国が、喉から手が出るほどに知識と技術を欲している。

 

 

 【RJ】

 

 

 二〇〇八年九月某日。

 残暑は厳しいが、木陰に入れば幾分か涼しい。そんな時節になっていた。

 龍驤は赤煉瓦にほど近い、軍用飛行場の片隅にある神社の境内にいた。

 殲滅任務を命じられていない間、すなわち平時の龍驤は、もっぱら訓練に時間を費やしている。今日は金曜日だ。

 月水金は艦載機の離発着および大編隊の制御訓練を行う。

 龍驤は目を閉じ、両手の指先に『勅令』の二文字が浮かぶ青い炎を燃やしていた。体内に巡る霊力を指先に留めると、炎のような形状になる。

 指先の霊力を編み、飛行機の形をした形代(カタシロ)を生成。片手に十八枚、両手で三十六枚。龍驤がひと呼吸の間に生成できる艦載機数である。

 

「ほっ」

 

 腕を振り、境内から鳥居に向かって放った。

 鳥居を通過した形代は、ぱっと燐光を散らして黄色にペイントされた彗星一二型甲に変じ、勢いそのままに急上昇。すぐさま雀の群れのような三角形の編隊を組み、神社の上空を旋回した。

 もちろん訓練だから爆装はしておらず、模擬弾を抱いている。

 

「ほっほっほっ」

 

 霊力で形代を編み、鳥居に目がけて次々と投擲する。

 霊体が神域から出ると、受肉(・・)する。ヒトを象ったものは人間の姿に。飛行機を象ったものはジュラルミン製の飛行機の姿に。妖精さんの技術が他国に先駆けていちはやく日本に根付いたのは、神道や陰陽道といった神秘学的な文化が良質に継承されてきたためだ。

 二十回もの投擲を終え、計六百四十機を飛ばし終えたところで龍驤は「ふう」とひと息ついた。

 霊力が残り五割五分を切った。

 ひとまず上空を旋回するよう編隊に指示を出しつつ、龍驤はひとりごちた。

 

「ぼちぼちやな……」

 

 発艦に費やす霊力は最大で五割と龍驤は決めている。

 編隊の制御にも術式弾頭の起動にも霊力を使う。状況によっては肉体の瞬間強化(エンチャント)も行う必要がある。

 もう少し、できれば七百から八百はコンスタントに飛ばせるようにしておきたい。三年前、叢雲の監督下で初めてこの訓練を実施したときは二百機程度が限度だったから、ずいぶんな進歩ではあるが。

 指先に灯した青い炎をすっと横に振ると、上空を旋回していた六百四十の彗星一二型甲のうち、後ろ半分が高度をぐんと上げた。

 低空へ残った編隊にはそのまま旋回するよう命じ、高度を上げた一群に対しては太平洋に向かうよう命じた。

 距離が十分に離れ、周囲に船舶が存在しないとの報を受けた龍驤は、両手の指それぞれに一文字ずつ炎を灯した。四縦(しじゅう)に左手四指の『兵者陣在』、五横(ごおう)に右手五指の『臨闘皆列前』。

 

「よっ!」

 

 両手を交錯させるように振り、ただの一挙動で『臨兵闘者皆陣列在前』の九字を切った。本来は護身に用いる九字切りを、龍驤は絨毯爆撃のトリガーとして運用している。

 三百機の彗星一二型甲による急降下絨毯爆撃。模擬弾が次々と落とされ、海面に格子状の点を穿った。

 

『どない?』

 

 と弾着観測を行っている二十機に尋ねた。

 

『ヒャクセンチデンナ』

 

 模擬弾の散布界は約一メートルということである。龍驤は炎を灯した指先で頬を掻いた。

 

『そらアカン。ばらっばらやないか』

 

 龍驤の要求は、散布界二十センチメートル以内である。艦娘や深海棲艦の最小半径は、直上から見た場合の五十センチメートル。これに直撃させるためには、平時の訓練で散布界二十センチメートル以内、実戦においても六十センチメートル程度の散布界としなければ話にならない。

 

『セヤカテ キタイガ ユーコト キカヘンサカイ』

『せやな。ウチのせいや。すまんすまん』

 

 急降下絨毯爆撃を命じた艦載機は、発艦作業の後半、集中力が低下し始めた頃に生成したものだ。霊力の編み方が雑になり、実体化した際の性能が落ちた。

 

「……ま、(せん)ないこっちゃ。次いってみよか」

 

 急降下絨毯爆撃を行った一群を陸へ戻し、代わりに神社の上空を旋回していた一群を太平洋へと送り込んだ。入れ違いに急降下絨毯爆撃を行わせるのである。こちらは主に吉良はんが仕切ってくれるので、龍驤は複雑な指示を出さない。状況報告を随時受け取りながら、戻ってきた彗星一二型甲を神社の境内へ戻す作業に専念した。

 月水金にはこのように派手な訓練を行う一方、火木土は術式弾頭の作成という地味な作業を行う。術式弾頭は手作業で弾頭の鉄芯に術式を彫り込まねばならず、結構な忍耐を要求される。辛抱たまらなくなると、射撃場に立ってマンターゲットへ銃弾をぶっ放す。これも訓練。

 

 三百六十機を回収し終えたときだった。

 ざく、ざくざく。

 ざく、ざくざく。

 という特徴的な足音が、神社のぐるりを囲う杉林から聞こえてきた。

 片足が不自由なために杖を使う者が立てる、特有の足音。

 龍驤はうんざりといった顔になり、音源には視線を転じず、ひたすら艦載機の回収作業を行った。

 叢雲の氷のような声が、龍驤の左耳を冷やした。

 

「いつも言っているけれど、訓練時も携帯は持ちなさい」

「……鳥居くぐれや。神サンに失礼やろ」

 

 鳥居をくぐった彗星一二型甲は燐光を放って妖精さんの姿になり、龍驤の足下までトテトテと駆けた。龍驤の靴に触れるなりフッと消えた。多少の霊力が龍驤に戻った。

 龍驤が叢雲の諫言を無視したように、叢雲もまた龍驤の批難を無視して話を切り出した。

 

「あなたに仕事よ」

「さいで」

 

 気のない返事をしつつ、龍驤は引き続き艦載機の回収作業を続けた。話を聞くからといって艦載機を放っておくわけにはいかない。航続時間には限りがあるし、それを無視するような艦娘は妖精さんから見切りを付けられる。

 叢雲は杖を両手で持って体を支え、作業を続ける龍驤へ任務の説明を始めた。

 

「あなた、青島(チンタオ)軍閥(クラン)は知っているわね」

「そらな。情報部におったら知らんことはないやろ」

 

 五年ほど前から、日本は中国に対しても限定的ではあるが技術供与を始めている。

 先の大戦で日本が占領していた中国領青島を『出島』とし、艦隊および艦政本部の一部を出向という形で駐留させ、医療に関する技術を提供。見返りは中国本土から産出される希少金属類(レアメタル)および希少土類(レアアース)、そして明確な相互不可侵条約である。

 かつて、日本列島は中国の太平洋進出を阻む目の上のこぶであったが、皮肉なことに、深海棲艦が海洋を跋扈するようになった今では日本列島が太平洋からのユーラシア大陸侵略を防ぐ防塁となっている。

 

「ほんで、青島軍閥がなんやのん。現地の評判は悪ないて聞いとるけどな」

「そうね。孤児院の設立、貧民への炊き出し、警察機構の整備と治安維持、『出島』における流動的な自由経済の保証。青島軍閥は市民からの強い支持を受けているわ」

「ええとこだらけやな。マフィアのええ見本や」

「ええ。クランと呼ばれるように、内実はマフィアね。高速修復材を精製する際の副産物を利用した麻薬の供給、艦娘を用いた売春、賭博の元締め、その他諸々……マフィアの例に漏れず、お金儲けに熱心な連中ね」

「それも知っとる。泳がせとってええやろ。軍閥(クラン)に癒着しとる政府筋が落としてくれる情報の方がよっぽど価値あるわ」

情報部(わたし)もそのように認識していたわ。最近までは」

 

 龍驤は舌打ちをひとつ。

 

「なんや。コトが変わったんか」

「青島軍閥は、孤児院で引き取った女児を艦娘に改造して、他国へ流通させていることが判明したのよ」

「はあ? いまどき『改造艦』やて? 御法度やのは当然として、そもそも割に合わへんやろ。『合成艦』の建造コスト、『改造艦』の半値やぞ」

 

 今から七年前、二〇〇一年のことだ。人体を機械化することで艦娘となす『改造艦』に代わり、有機物と鉄鋼のプールから艦娘を直接建造する『合成艦』の技術が確立された。

 艦娘の運用が始まった一九九五年当初より、ヒトを兵器と化すことについては国内外の人権擁護団体から強い非難声明が表明されていたこともあり、以来『改造艦』の新規建造は禁止され、『合成艦』の建造のみが許されるようになった。建造コストも格段に下がったため、龍驤が言うように『改造艦』に関する諸技術は時代遅れのものである。

 だが、国が変われば事情も変わる。

 

「青島軍閥は『合成艦』の半値で『違法改造艦』を売っているわ。ヒトの命が安いのよ。技術としては既に枯れているわけだしね」

「そら商売繁盛や。蔵が建つわ。で、お得意サマはどちらさんや」

「ロシアと中東の石油産出国」

 

 どちらも日本が艦娘に関する技術を供与していない国である。

 

「いまのところ駆逐艦のみが確認されているけれど、上位の艦が建造されるのは時間の問題。といっても、中東諸国は宗教上の理由で艦娘を保有できないはずだけれど……」

 

 艦娘の建造および保有に関しては、宗教や思想が障害となることがままある。先の大戦で建造された軍艦を『偶像』とみなし、機関部に軍艦だった頃の記憶を持つ『艦霊』を宿らせることで初めて『艦娘』が誕生する。

 人権擁護団体は当然として、一神教、特に偶像崇拝を教義で禁じている宗教は、艦娘の存在そのものに対して強いアレルギー反応を示す。

 

「そら建前はそう言うやろ。本音はあっちゃもこっちゃも戦争第一ってことや。生き死にがかかっとるとなりゃ、人間は神サンを殺すし仏サンを売る。南にゃ一生顔を向けられへんようになるて分かっててもな」

「そうね。それが、人間だわ」

 

 いっとき、沈黙が神社の境内を満たした。

 叢雲は塑像のように動かず、両手の杖に体重を預けたまま神社の拝殿を眺めた。

 叢雲の意図を理解した龍驤は、吉良はんを含む残りの編隊を収容し、うんと背伸びをしてから尋ねた。

 

「んで。やるのはええけど、正直言ってウチの手に余るで。ウチのやりかた(ばくげき)やと無関係の市民まで巻き込んでまう。情報部の外聞が悪うなるのは困るやろ」

 

 叢雲は眼球だけを動かして龍驤に視線を転じ、告げた。

 

「ええ。だから今回の作戦はスナッチャーズが主体よ。彼女たちは既に現地へ潜入して、情報収集と中国当局との調整にあたっているわ」

「そらまた……大盤振る舞いやな」

 

 スナッチャーズ。

 情報部に所属する暗殺部隊の名称だ。

 構成員は四隻。伊勢、日向、天龍、龍田。

 いずれも得物による近接戦闘を得手とする。

 誰もが皆、過酷な戦場を生き抜いた老兵だけが持つ『気』の張りを持っている。おそらくは九〇年代からの生き残りだ。

 年に一度、顔を合わせるか合わせないか程度の付き合いだが、いつ会ってもどんな状況でも隙を全く見いだせず、近接戦闘を不得手とする龍驤は背に嫌な汗をかくことになる。

 

「実働はスナッチャーズ。あなたの役割は彼女たちの支援。あなたはどうせ資料を渡しても読まないでしょうから、詳細は現地で天龍と打ち合わせてちょうだい」

 

 どこに持っていたのか、叢雲が手品のようにするりと名刺を取り出して指に挟み、龍驤へ差し出した。

 

「打合せ場所はここ。フタマルマルマルに天龍が顔を出すわ。符牒(ふちょう)は裏に書いた通りよ」

 

 龍驤は名刺を受け取り、表と裏にさっと目を通して所在地と符牒を暗記した。慣例に倣って、名刺を手持ちのコリブリで燃やした。ついでに煙草(ゴールデンバット)を一本抜き、咥えて火を点けた。

 神社の境内に煙が立ちのぼり、僅かな風に乗ってバットと名刺の灰が散った。

 

「では、命令するわ。殲滅対象(ターゲット)は人身売買および艦娘の不法建造を行っている青島軍閥。提督、艦娘、いずれも徹底的に殲滅しなさい。栄誉ある海軍の旗に泥を塗る愚か者を、この世から抹消しなさい」

「はいな」

 

 龍驤は片手を挙げて、鳥居へと向かった。

 くぐり抜ける寸前に気がつき、振り返った。

 叢雲は龍驤の背をじっと見ていたようで、視線が交錯した。

 

「青島いうたら海の向こうやろ。ウチのスパグラ(バイク)、運んでくれるんか?」

「時間の問題と言ったはずだけれど。明日のマルフタマルマルに発つ輸送機に便乗してもらうわ。バイクを載せるほどの空きはないわね」

「マジか」

 

 龍驤は天を仰ぎ、片手で顔を覆った。

 日曜、休暇の楽しみであるバイクいじりができなくなることが確定したからだった。

 

 

 

 【RJ】

 

 

 

 夜明けに青島(チンタオ)へ到着した龍驤は、まずタクシーを夜まで貸し切り、都市の地理を把握することに専念した。

 艦娘であることを隠すため、Tシャツにオーバーオールといった格好で、サンバイザーを外し、いつもは頭の両脇で結っている髪も下ろした。

 青島は横須賀以上に近代化が進み、また日本風に整備された都市だった。

 高層ビルがいくつも建ち並び、主要な道路には塵ひとつ落ちていない。道幅は広く、自動車の交通量も大変に多かった。日本製だけでなく、ドイツ製、フランス製、アメリカ製の自動車もしばしば走っていた。

 鉄道も随分と整備されているようで、空港で購入した観光客向けの地図には蜘蛛の巣のような地下鉄網が掲載されていた。

 

「ホンマ、儲かっとるなあ」

 

 つい、そんなことを呟いた。

 龍驤は特に、ランドマークとなる大規模な建造物の構造を入念に観察した。叢雲は詳細を話さなかったし龍驤も尋ねなかったが、三年の付き合いともなれば、何を求められているかということくらいは自然と分かるようになる。今回の作戦に龍驤が必要とされたのは、建造物の破壊による何らかの効果を期待してのものだ。

 建物にも壊し方というものがある。柱と(はり)の構造を知れば、敷地内に全ての瓦礫が落ちるよう爆薬を設置することもできるし、特定の方向へ倒すこともできる。

 

 

 夜になると、街の様相が一変した。

 屋台が所構わず軒を連ね、ぐにゃぐにゃと連ねられたネオン管がびかびかと目にうるさく輝いていた。

 日本の雰囲気が消え去り、飛び交う言葉も耳慣れないものになっていた。龍驤は英語とドイツ語なら解すが、中国語は分からない。ようやく異国を訪れた実感が湧き、妙な安心感を覚えた。

 屋台が並ぶ繁華街で適当に時間を潰した龍驤は、予定の五分前に『月夜亭』と書かれた看板を下げたバーへ入った。

 間接照明のぼんやりとした光が満ちた店内には客が十人ほど入っており、談笑に興じたり、あるいは天井から吊られた液晶テレビを見たりしながら、ちびちびと酒を()っていた。龍驤の立ち位置からでは、客の顔かたちまでは判別できなかった。

 

「いらっしゃいませ」

 

 日本語で出迎えたスーツ姿の娘は、ひと目で退役艦娘と知れた。仕草が外見の歳に似合わず洗練されていたし、なにより体幹が一切ぶれない立ち居振る舞いをしていた。体格と髪の色からして、元は青葉だろうか。

 おそらく、情報部がこの店を拠点としているのだろう。もちろんここだけでなく、複数の拠点を持っているに違いない。全容を知っているのは部長の叢雲だけだ。

 龍驤はあらかじめ叢雲から伝えられていた符牒を告げた。

 

「ラフロイグをカウボーイで」

 

 元は青葉だったと思しき退役艦娘は顔色ひとつ変えず、ただ眉尻を下げて答えた。

 

「あいにく、ラフロイグは切らしておりまして」

 

 天龍はまだ来ていないということだ。

 

「ほんならミルクだけでええわ」

 

 先に入って待つという符牒である。

 

「承知いたしました。こちらへどうぞ」

 

 通された先は、狭い個室だった。緑色のカウチが一対と、漆黒のテーブルがひとつ。

 退役艦娘がミルクと灰皿をテーブルに置き、一礼してドアを閉じた。

 龍驤はすばやく動き、ドアを施錠した。カウチとテーブルを調べ、盗聴器や小型カメラの類いが無いことを確認した。壁に指を当てて霊力を通したところ、危険な仕掛けも存在しないと知れた。

 ひとまず、安心できる。

 龍驤はカウチに腰掛け、ミルクをひとくち舐めた。成分調整をしていないのか味は薄く、やや青臭かった。牛乳は冬物に限るな、などと龍驤はぼんやりと考えた。

 

 数分後。

 だしぬけに、ノックが二回、間を開けて三回、鳴らされた。

 龍驤は静かにコップを置き、オーバーオールの外ポケットに隠し持ったトカレフへ両手を掛けた。

 

「よう、梅屋の席はここだったかね」

 

 問うた声は随分とくぐもっていた。

 龍驤は大きめの声で返答した。

 

「三つ先や」

「っかしいな、三つ先は九番ってえ店の打ち上げだぜ」

 

 符牒が合致した。龍驤はカウチから立ち上がってドアを解錠し、開いた。

 

「梅屋やのうて竹屋やろ。いいかげん覚えいや」

 

 長身の女がするりと入り、ドアを閉めて再び施錠した。

 

「よう龍驤。久しぶりだな」

 

 いでたちはアロハシャツにジーンズ。右の義眼を隠すためか大ぶりなサングラスをかけていたが、間抜けなことに眼帯の跡が顔を斜めに走っていた。

 天龍だ。

 

「ドアホ。五分遅刻や」

「堅えこと言うなよ。こっちもこっちであちこち走り回ってんだからよ」

 

 言うなり、天龍はカウチに深々と身を預け、片手に持っていたグラスをあおった。

 ぷう、と息をつき、サングラスを取った。テーブルを見て眉をひそめた。

 

「あん? これ牛乳かよ。適当に酒持ってくりゃ良かったのに」

 

 そう言う天龍が持つグラスには、紹興酒と思しき褐色の液体がたっぷり注がれている。

 

「手元が狂うさかい、酒は飲まんことにしとる」

「そいつぁ気の毒だ。オレなんて酒が無えと手が震えちまう」

「そらただのアル中や」

 

 本気なのか冗談なのか分からない。

 

「遠回りは好かん。詳しゅう教えてえな」

「んだよ、まずは乾杯からだろ」

(さかずき)()して頭回らんようになられたらウチが困るやろ」

「相変わらず真面目だなテメェは……」

 

 天龍はアロハシャツの胸ポケットから、小さく畳んだ地図を抜き取った。

 広げた。青島市街の詳細な住宅地図だった。特段なにも書かれていなかったが、これは当然だ。万が一、天龍が紛失でもしたら一大事である。

 天龍が、トン、とある一点を指で示した。

 

「ま、なんてこたあない。明日の昼、殲滅対象(タゲ)の集会がある。幹部クラスが全員、供回りもいっぱい、ってとこだ。これをぶっ叩く。そんだけだ」

「叩くのはおまはんらやろ。ウチの役目はなんや」

「ここの天井、ヘリポートと――」

 

 天龍は、最初に示した一点の周囲をぐるりとなぞって示した。

 

「――周囲八ブロックに爆撃。要は逃げ道を物理的に塞ぐって寸法だ。ここらは地下鉄も通ってねえ。閉じこめちまえば袋の鼠だ」

「こらまた豪勢な封鎖やな。ビル、なんぼかぶち壊すことになるで。死体もぎょうさん作る」

 

 ハ、と天龍が鼻で笑って紹興酒をあおった。

 

「構うこたあねえよ。百人、二百人で済むんなら僥倖ってもんだろ。ここで潰しておかなけりゃ、青島軍閥は万単位で人を食い物にするんだからよ」

 

 違いない。

 だから龍驤は「さよか」とだけ言った。

 腐ったミカンは箱ごと焼却する。それが情報部督戦隊の通貫した方針だ。

 病巣だけ丁寧に切除するような繊細な作業は、手間も時間もかかる。糾弾を恐れるな。人口に膾炙するのであれば、その人口ごと抹消してしまえばよい。

 龍驤は情報部の方針を認めているし、誰よりも実践している。

 

「で、ウチはおまはんらに合流せんでええのんか」

 

 天龍はテーブルに両肘を突いて身を乗りだし、片眉をそびやかせた。

 

「それなんだよなあ」

「なんや」

「テメェを合流させろ、って叢雲は言ってんだけどよ。銃に頼ってる奴なんざ足手まといだとオレぁ思うんだよな。(タマ)ァ張れねえ奴に背中ァ預けんのなんざゴメンだぜ」

「珍しいな。気が()うた。ウチも狂犬の世話なんざしたないからな」

「そもそもだ。叢雲は慎重すぎんだよ。正面と一階を制圧すりゃあ逃げ場は無え」

「ヘリがあるやろ」

「乗る暇なんざ与えねえよ。スパッと連中の首掻いて、それで(しめ)えだ」

 

 コトリ、と音を立てて、天龍が紹興酒のグラスを置いた。

 

「……おどれ、何が言いたいねや」

 

 じっとりと、嫌な汗が背に流れた。決して動揺を見せてはならない。

 

「まあなんだ。作戦に事故ってのは付き物だろ?」

 

 天龍が口に拳を突っこんだ。ぬるり、と幅広の刀が垂直に抜かれた。

 大道芸人がするように、武器を呑んでいたのだ。粘液に濡れたその刀身は長さ約二尺。

 標準的な天龍モデルが持つ刀より短いが、室内のような閉所では取り回しの良さが引き立つ。

 

これは事故だ(・・・・・・)

 

 天龍は口から抜き上げたその刀を、そのまま龍驤の脳天へと振り下ろした。腰の捻り、肩、肘、手首の回転周期を同じくさせた斬撃は、不十分な体勢からでも十二分の威力をもって放たれた。

 龍驤はカウチとテーブルの隙間へ横転。テーブルの足を蹴って更に天龍から距離を離し、立ち上がりざまにオーバーオールの外ポケットへ突っこんでおいた二丁のトカレフを抜き、天龍へ照準した。

 

「ハ」

 

 短い嘲笑。

 天龍はカウチの座面へ埋まった切っ先を、居合い抜きのように水平に薙ぎ払った。

 龍驤が引き金を引く前に、トカレフが二丁とも弾き飛ばされた。龍驤は衝撃で壁まで突き飛ばされた。背がぶつかり、潰された肺が空気を漏らした。

 

「かっ……」

 

 天龍は薙ぎ払いの勢いをそのままに両手で刀を握り直し、間髪を入れず龍驤を唐竹割りにするべく垂直に振り下ろした。

 

「ッシャ!」

 

 龍驤は、左右のどちらにも避けようとはしなかった。間に合うはずがなかった。

 ばしりと、板バネが弾けるように背筋(はいきん)を使い、壁から反発。

 電光石火、太刀筋をくぐり、天龍の懐へと肉薄した。

 腹に取り付いて組み伏せようとしたのであれば、悪手である。

 天龍は振り下ろしの勢いそのままに柄頭を龍驤の脊柱に叩き込み、地に伏した龍驤の首を貫けばよい。

 だが、天龍はそうしなかった。中途半端に切っ先を宙に浮かせたまま、硬直していた。

 龍驤がオーバーオールの内ポケットに呑んでおいた匕首(あいくち)を抜き、天龍の丹田に突きつけていたのだ。

 刃は横を向いている。

 斜め上に突き立て、こじって空気を入れれば、声も出せずに相手は死ぬ。刀身に刻んだ術式を起動すれば、艦娘でさえ即死する。脊柱を叩かれようが、天龍へ(たい)を寄せて倒れ込めば天龍が先に死ぬ。

 クハ、と天龍は楽しげに笑った。

 

「んだよ、奥の手があんのかよ」

 

 龍驤は音を立てないよう息を吸った。腹に力を込め、低い声でぼそりと言った。

 

「あんまりウチを怒らせるな」

「へいへいっと」

 

 天龍はあっさりと離れ、カウチへ尻を沈めた。幅広の刀は傍らに突き立てた。

 龍驤は部屋の隅に転がった二丁のトカレフを拾い上げた。弾は発射されていなかった。オリジナルのトカレフには安全装置が付いていないが、ハンマースプリングが強く設計されているため、落下しても暴発しにくい。

 銃身に深々と刻まれた傷を確認して、龍驤は顔をしかめた。

 

「ったく、悪ふざけも大概にせえや。どないしてくれんねん、コレ」

「ああ? 黒星(ヘイシン)なんざいくらでも替えがあんだろ」

「ダボが。中国製(パチモン)と同じや思うな。こいつは露助のホンマモンや。よう手に入らん」

「何が違うのかさっぱり分かんねえよ」

 

 天龍に斬り傷を付けられた銃身は、おそらく多少の狂いを生じているに違いない。その狂いを直すために今晩は夜なべしなければならない。龍驤は、片手での精密射撃を可能とするべく、鍛錬と整備の両方を常に怠らない。トカレフは元々、工作精度が低くても問題なく発射できる設計となっているから、『アタリ』を引くのも大変で、その整備もまた面倒なのだというのに。

 とはいえ、大雑把な性格である天龍はその手のことを理解しないだろうから、龍驤は黙って溜息をついた。灰皿を拾ってカウチに座った。

 テーブルは倒れ、紹興酒もミルクもドア付近にぶちまけられていた。

 龍驤はオーバーオールの胸ポケットからバットとコリブリを取り出し、一本抜いて火を点けた。

 大量の煙が室内に満ち、天龍が鼻をひくつかせて顔をしかめた。

 

「んだよテメェ、まーだバットなんて安物吸ってんのか」

 

 言いつつ、天龍もまたどこに持っていたのか細長い煙草を取り出し、ターボライターで火を点けた。

 

「煙草は煙草やろ。おどれこそまだエス(バージニア)なんぞしゃぶっとるんか」

「くせーんだよそれ」

「嫌やったら出てき。話は終いやろ」

「ほんっと、味気ねえ奴だよなテメェって奴はよ」

 

 天龍は鼻から煙を吐くと、割れていなかった紹興酒のグラスを取って灰を落とした。

 龍驤はバットの煙を肺にたっぷりと入れた。

 先ほど呼気を無理やり吐いた肺が痛んだ。

 その痛みを自虐的に楽しみながら、龍驤は、天龍から示された地図と、日中に視察した青島市街地の建造物とを照合した。

 

 

 

 【RJ】

 

 

 

 翌朝、マルキュウサンマルに作戦が開始された。

 龍驤と四隻のスナッチャーズが、目的の高層ビルの真正面に建つ、五階建てのアパートの屋上へ集結した。屋上には大きな立て看板があり、こちらの姿は隠されている。

 全員、黒いジャケットを着ていた。背には二条の炎で囲われた『勅令』の二文字。

 龍驤は巻物(ひこうかんぱん)を地面へ布き、四百二十機の彗星一二型甲を発艦(・・)させた。五十機ずつ、八部隊に分けて殲滅対象(ターゲット)が集うビルの周囲八ブロックに散開させた。

 吉良はん率いる二十機の精鋭は、殲滅対象(ターゲット)が集うビルの屋上へ向かわせた。

 彗星一二型甲の編隊はビルの隙間を蜂の群れのように飛び、あらかじめ龍驤が指定した目標地点へ爆撃を開始した。

 昨晩に天龍へ告げたように、交通の要所となる地点の高層ビルを狙って爆撃。基礎を破壊して倒壊させ、目的のビルが存在するブロックをまるごと陸の孤島と化した。

 昨日の日中、青島の主要なランドマークを見て回ったことが幸いし、爆撃箇所に迷うことはついぞ無かった。

 残った爆弾は目標ビルの周辺にばらまき、二重の封鎖を成した。

 今回は艦載機を回収する猶予がない。爆撃を終えた者は手近な神社に向かい、鳥居を通過して実体化を解くよう指示を与えた。

 最後の一棟が倒壊し、二重封鎖が完全に完成したことを確認した。

 

「パーペキや。ネズミくらいしか通れへん」

 

 振り返ってそう告げると、立て看板に身を寄せていたスナッチャーズが次々と飛び降りた。

 

「返事くらいせえや……」

 

 ぼやきつつ、龍驤もまた飛び降りた。

 地上では、既に血しぶきが盛大に上がっていた。

 着地ざまに地まで抉る一撃、得物を地から引き抜く駄賃にもう一撃。

 伊勢と日向は太刀を、天龍は幅広の刀を、龍田は薙刀を、それぞれが一個の嵐のように振るった。

 龍驤が着地する頃には、玄関口を警護していた艦娘たちが一掃されていた。おびただしい血液と色々の欠片が路上にぬかるみを作り、龍驤が足を踏み出すたびにぐちゃぐちゃと音を立てた。

 絶命した艦娘たちは、いずれも戦艦あるいは重巡洋艦といった威圧感の高い艦種だった。

 玄関口を固めるには最適な選定だ。

 そんな格上の艦娘たち二十数隻を、スナッチャーズはものの数秒で片づけてしまった。

 

「これ、ウチ要らんのと違うか」

 

 龍驤のぼやきを聞いたのは龍田だけだった。

 天龍が真っ先に玄関のガラス扉を蹴破って突入し、伊勢と日向が音も立てず、蛇のような軌跡で追従した。

 龍驤はだらだらと歩いて伊勢と日向に続こうとし、ふと、足を止めたままの龍田を見上げた。

 

「なんや、行かへんのか」

「わたしは後詰め。後ろは任せて。天龍ちゃんの援護、お願いね」

 

 龍田はそう言って、片目をつぶった。

 頭上に浮いたリング状のセンサが、ぼう、と光を放った。

 地上一階のホールにも多数の艦娘が詰めかけていた。こちらは小柄かつ俊敏で室内戦闘に向く、軽巡洋艦や駆逐艦で組織されていた。

 天龍が群れの中央を、飢えた猛獣のごとく駆け抜けた。身構えていた軽巡洋艦や駆逐艦たちが乱切りにされ、噴き出した血液が霧のように充満した。

 だしぬけに中央を突破され、また血液の霧で視界を失った敵の艦娘たちを、伊勢と日向が処理していった。

 伊勢は天真正伝香取神道流、千変万化の切先が敵の隙を通過し、するりと致命傷を与える。

 日向は野太刀自顕流、頬より股にかけ、戦艦の膂力をもって一刀のもとに斬り伏せる。

 先陣の三隻が討ち漏らした艦娘、あるいは怯えて物陰に隠れた艦娘は、龍田の薙刀によって丁寧に処分された。穂先が生き物のようにうねり、的確に急所を突き、あるいは斬った。

 龍驤はというと、下半身を失いながらも這い寄ってきた駆逐艦の後頭部に二発を撃ち込むだけだった。

 

「いやこれホンマ、ウチいらんやろ……」

 

 血の霧が晴れた頃には、敵方で息をしている艦娘はただの一隻も残らなかった。

 日向が振り返り、抑揚のない声で告げた。

 

「我々は電源を殺したのち、各階の(しらみ)潰しにかかる」

 

 伊勢が補足した。

 

「最上階に殲滅対象(タゲ)の幹部が集まっていると思うから、あなたたちは電源が死ぬ前にエレベーターで一気に行っちゃって。五分だけ待つから」

 

 龍田が手をひらひらと振って応えた。

 

「はぁい」

「おい龍田ァ! 早く行こうぜ早く!」

 

 天龍が急かした。見やれば五十人は乗れそうな巨大なエレベータが三機あり、天龍が中から顔を出していた。他の二機は破壊されつくしており、黒い空洞となっていた。天龍の膂力ではあんな芸当はできないから、伊勢か日向がやったのだ。

 龍田と龍驤は急ぐでもなく歩調を合わせて歩き、エレベータへ乗った。

 天龍が四十九階のボタンを押し、重力が増した。

 

「で。ウチらが向こうとるのバレッバレやけど、どないすんねや」

「そうねえ……じゃあ龍驤ちゃんにお願いしようかしら」

 

 龍田の言わんとすることを悟り、龍驤は霊力の残りを測った。戦闘継続に支障はない。

 

「ま、ええけどな」

 

 エレベータは誰にも邪魔されることなく最上階に到着し、ベルの音と共に口を開いた。

 龍驤が言ったように、数十隻にのぼる精鋭の艦娘たちが三段に並んで雁首を揃え、主砲をエレベータの出入口へ向けていた。エレベータもろとも破壊し尽くす構えだ。

 軽巡洋艦二隻と軽空母が飛び出した。

 瞬間。

 世界が暗転した。

 伊勢と日向が電源を殺し、照明が消えたのだ。

 艦娘たちは本能的に危険と判断し、迷わず主砲を斉射した。

 対物ライフルほどの大口径弾がエレベータに集中した。籠がまず落ちた。次いで壁が抜かれ、間仕切りを次々と粉砕していき、ついにはビルの外壁である強化ガラスまでが破られた。

 数秒にわたる斉射が止んだ。

 そこでようやく、敵が馬鹿正直にエレベータなど使うだろうか、と疑念を抱く者が現れ始めた。確かに艦影は見えたが、艦種はいったい()だっただろうか。

 暗闇に砲撃の余韻が残る中、軽巡洋艦の一隻が、おそるおそる探照灯を照射した。

 紫色の何かが二騎、疾駆する姿を、千分の一秒だけ捉えた。追い切れなかった。

 

 ぴゅん、という風斬り音がみっつ。右翼の三段が唐突に崩壊した。

 おん、という風斬り音がひとつ。前一列に並んだ艦娘たちのうち、左翼から中央に位置していた者たちの首がころりと落ちた。

 鏖殺(おうさつ)は静かに開始された。

 エレベータから飛び出した軽巡洋艦二隻と軽空母は、龍驤が霊力を編んで作った形代(カタシロ)だった。本命の三隻はエレベータの天井へと登り、砲撃をやり過ごした。

 

巻物(まきもん)、新調せんとなあ」

 

 形代を実体化させた龍驤の巻物(ひこうかんぱん)は、先ほどの斉射で籠ごとボロボロにされ落ちていった。

 前衛が崩れてもなお、廊下のそこかしこから種々の艦娘たちが襲いかかってきた。

 豪奢な置物の陰、あるいは階段、部屋といった隠れられそうな所には必ず艦娘がいた。

 これを、遠ければ龍驤が撃ち、近ければ天龍が斬った。

 天井に張りついている者もいた。金剛型の巨体でよくやるものだ、と思いながら龍驤は撃った。両手のトカレフで胸に二発。力を失い落下してきた金剛型の首を天龍が空中で落とす。

 天龍は幅広の刀を軽々と振り回し、道中に立ち塞がる敵を立ち止まることなく斬り捨てた。

 雑なようでいて、実際にはことごとく切っ先三寸で正確に斬り捨てている。

 天龍の頭上に付いている一対のセンサは、三次元的な距離を精密に測定する。これに加えて眼帯を外し、赤外線を視認している。照明が落とされた今、敵からは漠然とした輪郭しか見えないのに対し、天龍は晴れた昼間の屋外と同等の視界を得ている。

 龍驤は背後を龍田に任せ、天龍が進む先に顔を出してしまった粗忽者の額を次々と撃ち抜いた。天龍が足を止めないようにするための露払いだ。龍驤は両の(まなこ)に霊力を宿し、敵の艦霊を視て所在を把握している。

 

「はい、そこ」

 

 後詰めの龍田が薙刀を横薙ぎに払った。天龍と龍驤をやり過ごし、背後から襲いかかろうとした妙高型が胴体を上下に二分割された。最小半径で振り、刃が届く直前に柄を送って穂先を伸ばした。バトンのようにくるくると回しながら龍田が低く呟いた。

 

「おイタは駄目よぉ?」

 

 龍田の頭上に浮くセンサは全方位に感を持つ。天龍が持つセンサほど精密ではないが、得物である薙刀との相性は抜群で、砲弾を弾き、艦娘を殺した。

 かくして三隻は、会合場と思しき広間まで一直線に、危なげなく突き進んだ。

 

 天龍が重厚な扉を蹴破った。

 ぱっと光が差した。ガラス張りの壁面から日光が入っている。

 円形のテーブルが見えた。白を基調とした第二種軍装の提督が七名座り、それぞれの背後に艦娘が控えていた。

 

「ッシャ!」

 

 当然、扉に砲口は向けられていた。

 ただ、天龍の速度が上回った。

 脇目も振らず、むしろ速力を上げ、ただのひと跳びで上座に座っていた軍装の男まで到達。右肩に担いでいた幅広の刀で頭部をかち割り、そのまま背後に立っていた綾波型駆逐艦・漣の腹へ突き出した。

 桃色の髪を頭の両脇で結っている、あどけない顔立ちの少女が、華奢な体躯を貫かれた。

 あまりの事態に、敵の誰もが思考と行動を停止した。

 その隙に龍驤は弾丸の鉄心に刻まれた術式を全て起動した。居並ぶ幹部たちの背後に控えていた艦娘のうち、まず四隻の背を撃ち、倒した。

 残りの二隻が振り返ったが、既に両手の照準は済んでおり、撃たせる前に胸の中央を撃ち、倒した。

 座っている提督たちは人間だ。脅威ではない。

 龍驤と龍田が手分けして、三隻ずつに止めを刺した。

 手近な提督の後頭部に銃口を向け、龍驤が尋ねた。

 

「んで。キミたち、いまなんどきや、分かるか?」

 

 誰も応答しなかった。

 怯え、歯の根が合わない様子だったが、これから何をされるのか理解はしていた。

 問答無用で頭部をザクロのように割られた提督を目の当たりにしたのだ。自分だけが例外であるわけがない。ただ何かの目的があって生かされている。

 これまで、彼らが敵対組織へそうしてきたように。

 沈黙を肯定と受け取った龍驤は鼻を鳴らした。

 

「ハ。ええ返事や。せやけど――」

 じろり、と天龍を見やった。天龍はテーブルから降り、幅広の刀を漣から抜いているところだった。

 

「おいコラ天龍、このダボが。アタマ真っ先に潰してどないすんねや。聞き出すこと山ほどあんねやぞ」

「バーカ。生かしてらあ。この漣モデルだけだけどな」

「艦娘なんぞ生かしとったところで、なんの役にも立たへんやろ……」

「カチコミってのはな、アタマを先にぶっ叩いたほうが勝ちなんだよ。どうせ残った提督どもがそれぞれの事業(シノギ)の元締めだ。歯ァ抜きながらゆっくり聞きゃあいい」

 

 天龍は、頭の中身をテーブルへぶちまけた青島軍閥の首魁と思しき提督の背に幅広の刀をこすりつけ、血を拭っていた。

 龍驤が覗きこむと、腹を貫かれた漣が仰向けに倒れ、ごぼごぼと血に溺れていた。

 確かに、この程度の傷では艦娘は死なない。

 

「情報、部……どうして……」

 

 漣は驚愕のあまり目を見開いていた。事態が理解できないという表情だった。

 

「どうしてもクソもあるかいな。悪さしたらしばかれる。モノの道理やろ」

「だっ、で……むだぐもは……」

 

 ふと、漣の顔を覗きこんだ龍田が意外そうな声を上げた。

 

「あらぁ……? あなた、もしかして最初の五隻(イニシャル・ファイブ)の漣さんね?」

 

 チッ、と漣が忌々しげに舌打ちした。

 

「ああ、やっぱり。耳欠け(・・・)の漣さんだわ」

 

 龍田の言うとおり、その漣には左耳が無かった。代わりに小さな翼めいた飾りがあった。

 事情が変わった。皮肉にも天龍の行動は正しかった。

 

「……龍田」

「はぁい」

 

 トンッ、と龍田が円形のテーブルへ飛び乗った。

 爪先立ちから身を伏せ、フィギュアスケーターのようにくるりと一回転。薙刀が、座ったまま動かなかった提督たちの首を音も立てずに刎ねた。

 ころりと落ちた首の断面は、骨と筋肉と血管が明瞭に区別できるほど滑らかだった。

 転瞬、鮮やかな血液が六条の噴水となって吹き出した。しぶきの一滴一滴が陽光にきらめいたが、全てが(きたな)らしい血であり、美が混入することはありえなかった。

 

「さてさて。こらまた、大御所が出よった」

 

 最初の五隻(イニシャル・ファイブ)

 深海棲艦に対抗する手段として生み出された艦娘のうち、最初に建造方法が確立された駆逐艦、そのオリジナルを指す。

 すなわち吹雪、五月雨、電、叢雲、漣。

 既に全隻が前線を退き、海軍内部の要職に就いている。

 吹雪は最も長く前線に身を置いていたこともあり、軍務局へ。

 五月雨は軍需局へ。

 電は法務局へ。

 叢雲は艦政本部第九部へ。

 そして漣といえば、豊富な知識と弁舌の才を高く買われ外務省へ転属となった、異色の経歴を持つ。青島を『出島』と化し、艦隊および艦政本部を出向させる、などという難事を成し遂げたのも漣の働きによる。

 日中両国の利害と弱みを完璧に把握し、交渉の場では両国の関係者を手玉に取ったと噂されている。これでは漣という第三の国が存在するようなものだ、とも。

 その後、漣は青島から遠ざけられ、本国での内勤を命ぜられた。

 そのはずである。

 

「窓際で新聞広げて悠々自適やと思うとったけど、なんやおどれ、院政でも布いとったんか。アレか、元は公家の出か?」

 

 言いつつ、龍驤は高速修復剤のアンプルをジャケットの内ポケットから取り出し、漣へ投与した。腹の傷がまたたくまに修復された。

 漣は、この青島軍閥の生き字引であるに違いない。このまま死んでもらっては困るし、喋ってもらわねば困る。

 龍驤が龍田へ目配せをすると、龍田は心得たとばかりに薙刀を振り、漣の足首を断ち落とした。喋ってもらわねば困るが、逃げだされるのも困る。

 漣はつい数秒前に修復された腹に力を込めて、顔を苦痛に歪めた。

 

「ふぐっ……!」

 

 龍驤は漣の胸をブーツの踵で踏みつけ、トカレフの銃口を眼球に照準して尋ねた。

 

「ほんじゃ、答えてもらおか。『改造艦』の建造は機密指定基準(セキュリティレベル)乙二、艦娘の密輸は機密指定基準(セキュリティレベル)丙一違反やぞ。ホイホイ外に出されちゃ情報部の顔が立たんっちゅうねん」

 

 現在の海軍における機密指定基準(セキュリティレベル)は重要度に応じて甲乙丙(てい)()の五種類に区分されている。付随する番号のうち一は現在も利用されるべき情報、二は利用されないが保存されるべき情報を意味する。

 同様に機密情報触接権限(セキュリティクリアランスレベル)が海軍関係者には与えられており、大抵の艦娘は丁まで、情報部の構成員は乙までの情報にアクセスできる。

 最初の五隻(イニシャル・ファイブ)であれば、存在自体が秘匿されている甲の情報を握っていても不思議ではない。

 ゆえに、龍驤は漣だけを生かしたのだ。

 

「で、本題やけど。渡り(・・)を付けたんは誰や」

 

 クハ、と漣が嗤った。

 

「てめーらは鼻しか利かない犬っころです。目先の腐肉に食らいつくだけの、飢えた野良犬です」

 

 龍驤は鼻で嘆息し、軽く身を引いた。

 

「天龍」

「あいよ」

 

 幅広の刀が突き出され、切っ先が漣の上前歯を一本だけ、精密にえぐり取った。ぴっ、と血が舞った。

 

「かっ……」

 

 歯髄は、空気に晒されるだけでも痛む。こじられれば、者によっては気絶するほどの激痛を引き起こす。

 

「もいちど聞くで。渡り(・・)を付けたんは誰や」

 

 最初の五隻(イニシャル・ファイブ)の漣が裏で糸を引いていたのならば、『改造艦』の建造は容易だったろう。問題は艦娘の密輸、その販路である。

 当然のことだが、商売はモノを売る相手がいなければ成立しない。

 青島軍への物資の出入りについては軍需局が常に目を光らせているし、密輸の片棒を担ぐなどということは考えづらい。軍需局の局長補佐に就いている五月雨は、抜けた性格だが一方で相当な頑固者であり、軍規には過剰なまでに厳しい。龍驤も愛銃(トカレフ)の融通を具申した際に悩まされた。したがって軍需局の線は薄い。

 となれば、外部から揉み手をしつつ擦り寄ってきた誰かがいるはずである。

 そういった粗忽者どもを芋づる式に締め上げ、根切りにせねばなるまい。

 

「犬っころは想像力ってもんがないんですね。そりゃそうですよね、犬なんですから。ちょっと考えれば分かることなのに、わざわざ答え(エサ)を欲しがるなんて、まさに犬っころですよ」

 

 欠けた前歯からひゅうひゅうと空気を漏らしながら、漣はなおも減らず口を叩いた。喋るだけで激痛が走るだろうに、よく気力が保つものだ。

 内心で驚きつつ、龍驤は無言で身を引いた。また天龍が漣の歯をえぐり取った。

 

「あぐっ……!」

 

 こんどは下の前歯を二本。

 

「コラ。節約しろや。サメと(ちご)て歯の数にゃ限りがあんねやぞ」

「悪い悪い、酒がねえとどうも手元が狂っちまう」

 

 早く聞き出して終わらせろ、と天龍は言っている。

 

「これで最後やぞ。渡り(・・)を付けたんは誰や。答えによっちゃ処遇を考えたってもええ」

 

 もちろん嘘だ。情報部の方針は関係者全員の、是非もない殲滅である。

 漣が唇をひん曲げて「ハ」と嗤った。見透かされている。

 

「他人の犬っころを懇(へつ)丁寧に(ひつ)けてやる(ひゅ)味はねーれふ(です)。何より、(わたひ)はてめーらが気に入らねーの()、なーんも(ひゃべ)ってやりまひぇ()ん。ま、(えひゃ)に食いついたという点では(わたひ)も同()なんで()がね。ぶっちゃけひょ()れが悔()いの()、てめーらも同()目に遭えばいいと思ってるわけ()すよこれが」

 

 上下の歯茎をどろどろの血で汚しながら、常人であれば白目を剥いて気絶しているであろう激痛に耐えながら、漣はべらべらとまくしたてた。

 ようやく龍驤は気づいた。この漣はもはや、正気のようで正気ではない。

 龍驤は嘆息し、龍田を見やった。

 龍田は力なく首を横に振った。

 

「ええ、無理ね。時間も無いし、首級(くび)だけ持って帰りましょう」

すり替え(スナッチ)か」

 

 スナッチャーズの本領はその名の通り、軍規違反を犯す危険性が極めて高いと判断された艦娘を、ただ暗殺するのではなく別の人格にすり替えることにある。

 

「ま、しゃーなしやな。あとはあのクソウサギに任せりゃええわ」

 

 龍田が耳に手を当て、無電をスナッチャーズの共有チャンネルに接続した。

 

「龍田よぉ。伊勢ちゃん。適当に漣モデルの死体を持ってきてくれない? なるべく新鮮で頭部に外傷がないもの。ええ、日向ちゃんだとほら、頭からバッサリだから」

 

 艦娘の人格は機関部の艦霊から強く影響を受けるが、艦霊は艦娘の人格による影響を受けない。艦霊は分霊元である神社の神霊に繋がっており、その性質は変化しない。

 首から上を同型艦のものにすり替え、意味記憶、すなわち言語化できる記憶を元の艦娘から転写すれば、真っ当な人格を持つ艦娘へと変貌させることができる。

 欠点はいわゆる『思い出』にあたるエピソード記憶を持たないことだが、エピソード記憶というものは曖昧であり容易に改竄(かいざん)される。「かつてこのようなことがあった」と聞かされればそのように信じ、改竄された記憶が本物に成り代わる。

 すり替えた直後はちょっとした健忘性のような状態になるが、じきに混乱は失せ、保持していた悪意を失ったまま日常へと回帰する。

 ともあれ、龍驤がここでなすべきことは何も無い。

 

「ほな、後始末は任せるわ」

「はぁい。お疲れ様、龍驤ちゃん」

 

 龍驤は胸元からバットを一本抜き、コリブリで火を点けながら立ち去ろうとした。

 その背に、低く不気味な声がかかった。

 

「コード・ソロモン」

 

 漣の声だった。

 ぞわり、と背筋に百足が這うような悪寒を覚え、龍驤は煙草を口から零した。

 振り返ってはいけない。聞いてはいけなかった。

 そういった類いの、いわば呪詛だった。

 陰陽師タイプの空母艦娘である龍驤は、その手の感覚に鋭敏だ。

 

機密指定基準(セキュリティレベル)甲だよん。あ、もう乙になっちゃったか。ま、これくらいはね? 意趣返しってことで。せいぜい苦しみーー」

「もう黙れよテメェ。用無しなんだからよ」

 

 ずぶり、と肉に刃物を突き立てる音がして、漣の声は途絶えた。

 天龍があの幅広の刀を、声帯あたりに突き立てたのだろう。

 

「もう天龍ちゃんたら……首は綺麗に斬らないと駄目よ?」

 

 龍驤はバキバキと音を立てて瓦礫を踏み、累々と折り重なった艦娘だった物体を目の端に捉えながら歩いた。

 ガラス張りだった壁の下を見やった。野次馬が集まり、龍驤が立つ四十九階を見上げていた。この区画については先日、強制退去命令が出されていたはずだから、ほとんどは浮浪者だろう。

 風が強い。前を開いた黒革のジャケットがばさばさとなびいた。

 龍驤は耳に手を当て、スナッチャーズの共有チャンネルへ割り込んだ。

 

「伊勢、日向、天龍。野次馬がぎょうさん来よんぞ。片づけや」

 

 伊勢が驚いた声で応じた。

 

『龍驤……?』

「すまんな。枝ァ付けさせてもろた。それより目撃者だらけや。骨やぞ。ウチだけやと弾が足りひん。艦載機の発艦もできひんしな。すり替え(スナッチ)は龍田一隻で手ェ足りるやろ」

 

 無電を盗聴されることを俗に枝が付くという。陰陽師タイプの空母艦娘であり、同時に情報処理のスペシャリストでもある龍驤にとって、この程度のことはたやすい。

 

『そう。分かった。速やかに掃討するわ』

 

 それきり、通信は途絶えた。

 封鎖された区画は、腐ったミカンが入った箱である。

 督戦の姿を目にした者は、その可能性がある者まで含め、ヒトと艦娘の区別なく一切を焼却しなければならない。

 二重に包囲網を形成したため、死者は少ないだろうが、それにしても手間だ。

 

「んー、半分は焼夷弾にして()しときゃ良かったか」

 

 なにぶん初めての試みだったため、彗星一二型甲には破壊力と貫通力に優れる通常爆弾だけを抱かせた。焼夷弾で焼け野原にしておけば、もう少し手間が省けた。

 

「……ま、(せん)ないこっちゃ」

 

 過去の自分に文句を付けても始まらない。

 やれやれ、とかぶりを振り、龍驤は四十九階から地上へとひといきに飛び降りた。

 

 

 

 【RJ】

 

 

 

 結局、事件は反青島軍勢力によるテロによるものとされ、捜査は中国当局へ委ねられた。

 青島軍は完全に解体され、『出島』における主権は中国へ返還される運びとなった。

 手際が良すぎたが、これは叢雲が事前にあらゆる根回しを済ませていたためだと龍驤は判断した。本来ならば海軍の面目は丸潰れであるところ、誰も何も言わず、報道すらされないのだ。

 人員も総入れ替えとなり、本国で医療技術の研究開発に従事していた者たちが送られた。彼らは何も知らぬまま、己の機密情報触接権限(セキュリティクリアランスレベル)に応じた情報を中国へ提供することとなる。

 最初の五隻(イニシャル・ファイブ)の漣は健在(・・)。記録にある通り、過去から現在に至るまで外務省にて内勤に励んでおり、青島軍創設以来、青島からは遠ざけられ続けたことになっている。

 

 週明けの月曜日、龍驤は日課の訓練を終え、艦政本部第九部の本拠地、赤煉瓦の地下へ赴いた。

 

「邪魔すんで」

 

 扉を開けると、隻眼の叢雲がいつも通り執務机に座り、書面、電子、あらゆる情報をてきぱきと捌いていた。

 龍驤が現れても視線ひとつ寄越さなかった。必要を認めなければ叢雲は言葉を発さない。

 かつて龍驤は、叢雲に世間話のひとつもしないのはなぜかと問うたことがある。

 (いわ)く、世間話は任務に含まれていないから、とのことだった。

 龍驤は黒い革張りのソファに座り、コリブリでバットに火を灯した。

 煙をたっぷり吸い、毒物が肺と喉を焼く感覚に集中した。

 量が減った煙をゆっくりと吐き出してから、尋ねた。

 

「なあク……叢雲。ひとつ聞いてええか」

「何かしら」

「コード・ソロモン、て何か知っとるか」

 

 隻眼の叢雲は眉ひとつ動かさず、情報を整理し分析する手をまったく淀ませず、淡々と答えた。

 

「いいえ。知らないわ。聞いたこともないけれど」

 

 龍驤は続く言葉を待った。

 叢雲が探りを入れてくるようなら、この言葉には何かある。

 だが、バットを二本吸いきっても、叢雲は何も喋らなかった。ただ業務を淡々と遂行していた。

 龍驤は灰皿にバットを押し付けて火を消した。

 

「……つまらんことで邪魔したな。ほな」

 

 立ち上がり、後頭部をがりがりと掻きながら龍驤は扉へ向かった。

 ドアノブに手を掛けたとき、背後から声がかかった。

 

「龍驤」

 

 瞬間。龍驤は考えうる限りの最悪の事態を想定した。

 背後から撃たれるか。あるいはドアの向こうから刺されるか。

 しかし。

 続く言葉は、何でもないことだった。

 

「念のため言っておくけれど、あなたも報告書を提出しなさい。期限は来週の月曜よ」

「は?」

 

 拍子抜けしつつ叢雲へ振り返った。無感情な右目が龍驤を見据えていた。

 

「報告書ぉ? そないなもん、スナッチャーズが書くやろ。なんでウチまで書かなアカンねん」

「そんなことだろうと思ったわ。今回のあなたの任務は爆撃による建造物の効率的な破壊。重要なデータよ。見事な手腕だったけれど、暗黙知にしておくわけにはいかないの。どのように爆撃を計画したか報告を。あと、全機のログと分析結果も添付なさい」

「おま、そういうことは先に……データちゅうんは計画立てて取るもんやぞ」

「抽出はできる。そうでしょう」

「そらまあ、せやけど、ほないいうたかて……」

 

 全機ということは四百二十機分の飛行記録とその分析ということになる。当時の搭乗員だった妖精さんを呼び出し、記録を提出してもらわねばならない。搭乗員となるような妖精さんは総じてこの手の事務仕事を嫌うため、一人ずつ呼び出しては懇切丁寧に拝み倒しアメのひとつでも差し出さなければならない。これにはひどく霊力を使う。一日に百体程度が限度だ。

 要するに、ログの抽出だけで今週の平日がまるごと潰れる。

 加えて分析に一日、報告書の作成に一日。

 目眩がした。次の日曜もバイクいじりができない計算になる。

 

「殺生な……今まで紙ペラ一枚やったやん」

「スナッチャーズとの共同作戦は初めてだったでしょう。データが必要なのよ」

 

 必要事項は伝達した、とばかりに、叢雲は再び情報処理作業に戻った。

 

「いや、ウチのスパグラがな、手入れせえて……」

 

 言いつつ、龍驤は懇願の視線を叢雲へまとわりつかせたが、どうやら叢雲は実存主義者であるらしく、そんな概念(もの)は存在しないとばかりに作業へ没頭していた。

 龍驤は数分ばかり立ち尽くしたあと、しょんぼりと肩を落として執務室を後にした。

 誰もいない、がらんとした暗い廊下をとぼとぼと歩いた。

 

 まったく、ひどい作戦だった。

 二度と連中(スナッチャーズ)とは行動を共にしたくないと願った。

 龍驤の願いは、じきに叶えられることになる。

 

 

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