次の日の昼休み、僕はアイドル研究部の部室にいた。
「ねえ、にこちゃんはどう思う?」
机を挟んで向かい合って弁当を食べながら、僕は小泉さんのことを大まかに話した。ちなみにその際、スクールアイドルについてだということは伏せておいた。希先輩がこの前僕に忠告してきたのだ、にこちゃんには僕がμ’sと関わりがあることはまだ隠しておくように、と。
『まだ』って、いつになったら教えてもいいんだろう。
「んー、そうねぇ…………ってその前に、あんた最近いつも昼休みはここに来てるけど、クラスに友達いないの?」
「い、いいじゃないか、別に……というかそれはお互い様だよ」
「にこはぁ〜、あんたが一人じゃかわいそうだからぁ〜、しかたなぁ〜く来てあげてるのぉ〜♪」
「うわっ、なに言ってんの……しかもにこちゃん、僕が来るようになる前からいつもここで食べてたでしょ」
ちなみに希先輩からの情報である。
ついでに言うと、希先輩もときどきここでにこちゃんと一緒に食べてたそうだ。僕が入部してから来たことはないけれど。
「う、うっさいわね! …………それで、話戻すけど」
「え? あ、うん」
「彼女にはきっと、その『あと一歩』を踏み出すためのなにかが必要なんじゃないかしら」
にこちゃんは弁当箱を片付けると、真面目な顔で言った。
「なにか、か……どんなものかな?」
「どんなって言われても……さあ、それはその人にしか分からないでしょ。なんならその人だって分からないかも」
「そっか……じゃあまずはそれを——」
「ちょっと、あんたまた手助けでもする気?」
「え、そうだけど……」
にこちゃんは、ハァ、とため息をつくと、僕の方を鋭く見て言った。
「あのねえ、さっきの話を聞くに、それは彼女が自分で解決する問題じゃないの?」
予想外のにこちゃんの言葉に、僕は思わず固まってしまう。
「そう…………なのかな」
「優羽」
突然名前を呼ばれて、僕は驚いてにこちゃんの顔を見る。
「あなたは確かに、誰かを助けるための力を持ってる。それで助かったっていう人もいる。でもね、助けがない方がいいってときもあるの。なんでもかんでも力を貸すのがいいとは限らない。そこをきっちり見極められるように、まずはなりなさい」
彼女の言葉には、姉さんのそれとは別の説得力があった。彼女がしゃべっているとき、失礼かもしれないが、僕は彼女を、とても十八歳の女の子とは思えなかった。そのくらい、彼女の話は芯があるものだった。
「……うん、分かった」
僕はゆっくりと頷く。
「よろしい」
にこちゃんも微笑む。
すると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「じゃあ、にこちゃん、ありがとう」
「ええ、もっと感謝しなさい。なんなら貢ぎ物でも持って来なさい。例えばそうね、先週発売されたアイドルのDVDとか」
「にこちゃん……台無しだよ」
○ ○ ○
放課後になった。僕は取り敢えず、小泉さんのことは見守っておくことにした。改めて考えれば、彼女にとって必ずしもμ’sに入ることが良いことだとは、まだいえない。もしかすると、それも含めて彼女は悩んでいるのかもしれない。
「……なんて、僕が悩んでても仕方ないか」
僕は今日はμ’sの練習を手伝うために、屋上に行った。そこではもうすでに三人が練習していた。
一旦曲が終わったところで、僕は三人に声をかける。
「こんにちは」
「あ、優羽くん!」
穂乃果さんがパァっと笑顔になってこちらを向く。
「来てくれたんですね」
姉さんもニコッと笑う。
「うん。今日はなにかやることある?」
「そうですね……では今日は、私たちのダンスを見て貰えますか?」
「わかった」
そういうと、僕は彼女たちのダンスを見るために三人を同時に見ることができるようなちょうどいいポジションに腰を下ろした。
「では、早速いきますよ」
「おっけー! でも、今更だけど、誰かに見られてたら緊張するよねー」
「それも練習です。私だって、弟に踊っているところを見せるなんて恥ずかしいどころじゃありません」
「あはは……そうだね」
「では次こそ」
そういうと、姉さんは傍らにあるラジカセの再生ボタンを押した。三人の動きは止まる。
——そして、曲が始まる。
彼女たちは一斉に動き始めた。曲に合わせて体を動かしている彼女たちのその動きは、最初に見たあの講堂のときとはまるで違うということが見ていてすぐに分かった。動きにキレがあり、大きく体を動かすことができている。しかし、同時に課題も目に見えていた。表情だ。アイドルは常に笑顔でないといけない、だからこそ、みんなを笑顔にできるのだから……と、にこちゃんが言っていたのを思い出す。しかし、この指摘は僕が言うよりももっと違う誰かに教わったほうがいいと思う。それなので、僕はあくまでも良い点だけを言うことにしている。どこどこの部分は動きが揃っていたとか、どこどこの部分は上手く歌えていた、とか。
そして曲は静かに終わり、同時に彼女たちの動きも止まる。僕はひとまず拍手をした。
すると穂乃果さんは最後のポーズを崩すと、僕の方を向いて聞く。
「どうだった?」
僕は素直に答える。素直に、良かったところを。
「動きにキレがあって、前よりもずっと上手になってると思います」
すると穂乃果さんはこちらに詰め寄ってきて、顔を近づけて言う。
「ほんと? ありがとう!」
うっ、だから近いって……。
僕はさりげなく顔を遠ざけながら、
「もう三人とも飲み物が無くなってるじゃないですか。僕、買ってきますね。スポーツドリンクでいいですか?」
と言うと、穂乃果さんも、
「あ、じゃあ穂乃果も一緒に行くよ!」
と言う。
穂乃果さんはまだ顔が近いままだ。
「いいの? 優羽くん」
ことりさんが、かがんで手を膝に着き眉毛を下げて言った。
「はい、僕にできることって、これくらいですから」
「優羽……ありがとうございます」
姉さんはにこりと微笑む。
「穂乃果さんも待ってくれてていいんですけど」
「穂乃果も行くの! ……それとも、一緒に行くのは嫌?」
穂乃果さんは僕の顔を下から覗き込んでくる。
……この人、多分無意識でこれをやってるんだよな。そんな顔で見られてドキッとしない男子はいない。
「嫌……ではないですけど……」
「じゃあ、早く行こっ!」
そう言うと、穂乃果さんはとっとと屋上の扉を開けて外へ出て行った。そして、僕もそれについて行った。
○ ○ ○
僕たちは外にある自動販売機でドリンクを四本買うと、そのまま屋上へ向かった。
最初は僕が三本買って戻ろうとしたのだが、穂乃果さんが「優羽くんの分もいるでしょ!」と言ってもう一本買ったのだ。別によかったのに……
屋上へ向かっている途中、穂乃果さんが話しかけてきた。
「そういえば優羽くん」
「なんですか?」
「今日、花陽ちゃんの様子、どうだった?」
僕は、なんでそんなこと書くんだろうと思いながら答える。
「小泉さんですか? 別に変わったところはなかったような……」
いつもみたいに星空さんと話してたし、いつもみたいに大きなおにぎり食べてたし、そのあとにまた大きなお弁当食べてたし……
「そっか」
「あっ、でも」
僕はふと思い出して、言ってみる。
「なになに?」
「小泉さん、いつもは発表のときの声は小さくて聞こえないくらいなんですけど、今日は大きい声を出してたというか、出そうとしてたというか……なんて、あんまり変わったことでもないですよね」
しかし、そう言って穂乃果さんを見ると、彼女は立ち止まり、少し考えて、
「そっか、花陽ちゃん……ふふっ」
と、少し笑った。なにか分かったような顔だったが、僕にはそれがなんのことかは分からなかった。
「あの、穂乃果さん——」
「よーし! さあ、優羽くん、はやく行くよ!」
「え? あ、はいっ」
そうして屋上に戻った頃には、もう空がオレンジ色に変わり始めていた。
僕は持っていたドリンクをそれぞれに渡すと、穂乃果さんも、持っていた一本のドリンクを笑顔で僕に渡してくれた。僕もきちんとお礼を言ってそれを受け取る。……穂乃果さんの笑顔はもはや凶器だ。きっとこの笑顔になら、なにを、どんなことを頼まれても、僕はそれを引き受けてしまうだろう。
しかし、それで言えば姉さんやことりさんも負けていない。姉さんは、いつものキリッとしている表情からたまに見せるあの優しくて少し子どものようでもある笑顔が、僕たちをいつも助けてくれる。ことりさんは、どんなときでも甘いスイーツのような笑顔で、みんなを癒してくれる。
しかし、その上で、穂乃果さんの笑顔は凄い。姉さんやことりさんとはまた違う、本当に、太陽のような笑顔だ。その眩しいほどの光を見れば、目が眩んでしまうことだって分かるだろう。
そして彼女たちは休憩を終えると、練習を再開する。
僕は再び見る役だ。姉さんが音楽を再生させると、三人は音楽が始まると同時に動き出す。
僕はこのとき、少しと言わず驚いた。
——さっきより、うまくなっている。
そうはっきりと分かるくらい、うまくなっている。彼女たちはまだ成長の限界なんて知らないのだ。今、この瞬間にも、彼女たちは成長している。僕は単純に、「すごい」と思った。それは、彼女たちの成長の速度、そして彼女たちの、言いようのない、その「引きつける力」が。
僕が改めて驚いている間に、曲は終わってしまった。正直、どこが良かったかなんて考えることができなかった。でも、なんだか良かった。そう言うしかなかった。
そして、彼女たちも疲れたのだろう、引いてあるシートに揃って腰を下ろした。
「お疲れ様です」
そう言って、僕は三人にドリンクを渡す。
「ありがと〜。ほら、優羽くんも座りなよ!」
穂乃果さんはシートの空いているところをポンポンと叩く。
「じゃ、じゃあ……」
遠慮しつつ、僕がそこに座ろうとしたそのときだった。
ガチャッ、と屋上のドアが開くと、僕の同級生が三人、星空さん、西木野さん、そして小泉さんが、こちらに向かって歩いてきた。
三人は横に並んで——と言うよりも、星空さんと西木野さんが二人で小泉さんを引っ張って来ていた。
そして三人は僕たちの前に止まった。
「あの!」
西木野さんが大きな声で言った。
僕たちが彼女に注目すると、今度は星空さんが大きな声を出す。
「かよちんをアイドルにしてくれませんか!」
勢いよく言ってくる彼女たちに少し呆気にとられていると、ことりさんはゆっくりと言った。
「……つまり、メンバーになるってこと?」
「はい! かよちんはずっとずっと前から、アイドルをやってみたいと思ってたんです!」
「そんなことはどうでもよくて、この子は結構歌唱力あるんです!」
「どうでもいいってどういうこと!?」
「言葉通りの意味よ!」
星空さんと西木野さんが言い合いをしていると、間にいた小泉さんがようやく口を開く。
「あっ、私は、まだ、なんて言うか……」
しかし、再び星空さんと西木野さんがそれに対して口を挟む。
けれども、今度は言い合いにはならなかった。
「もう、いつまで迷ってるの? 絶対やった方がいいの!」
「それには賛成。やってみたい気持ちがあるなら、やってみた方がいいわ」
「で、でも……」
小泉さんを遮るように西木野さんは続ける。
「さっきだって言ったでしょ。声を出すなんて簡単。あなたならできるって」
「凛は知ってるよ。かよちんがずっとずっと、アイドルになりたいって思ってたこと」
「凛ちゃん……西木野さん……」
そこにはもう、言い合っていたときの顔はなかった。星空さんは小泉さんに向かいあって、その親友を鼓舞している。そして振りかえれば、笑顔で応援してくれているクラスメイトがいる。
「頑張って。凛がずっと付いててあげるから」
「私も少しは応援してあげるって言ったでしょ」
それを聞くと、小泉さんはこちらを向いた。手を胸の前で合わせて下を向きながらも頑張って言葉を繋ごうとしているが、やはりそこにはほんの少し、まだ迷いがあるようだった。
「えっと、私、こ、小泉——」
彼女が詰まりそうになったその時だった。
ポンッ、と。
二本の手が小泉さんの背中を押した。それは二人の——自分を応援してくれている二人からの、最後の一押しだった。そこにはきっと、「かよちんなら大丈夫」「あなたならできるわ」という、二人からのエールが込められているのだろう。
そして小泉さんは一歩前へ出される。振り返ると、二人は優しく微笑んでいた。
それを見た小泉さんは、二人からのエールを全て受取ることができたのであろう、再びこちらを向いた時にはもう、その顔に迷いはなかった。
「私、小泉花陽といいます。一年生で、様小さくて、声も小さくて、人見知りで、得意なものも何もないです。でも……でも! アイドルへの思いは、誰にも負けないつもりです! だから、μ’sのメンバーにしてください!」
そう言うと、小泉さんは深く頭を下げた。彼女の目には涙が溜まっていて、彼女にとってこれは相当の勇気が必要だったのだろう。
そして小泉さんが顔をあげると、そこにはいつの間にか穂乃果さんが立っていた。
「こちらこそ、よろしく!」
そう言いながら穂乃果さんは右手を差し出す。
小泉さんは一瞬、溜めていた涙を流すと、ゆっくりと、しかししっかりと、その手を掴んだのであった。
そして、その後ろで感動していた二人の前にも、いつの間にかことりさんと姉さんが立っていた。
「それで、二人は?」
「え?」
「二人はどうするの?」
「どうするって……ええ!?」
そう言って二人は顔を見合わせる。
「まだまだメンバーは募集中ですよ!」
そう言うと、ことりさんと姉さんは、二人に手を差し出す。
二人はもう一度顔を見合わせると、彼女たちも笑顔になってその手を握ったのであった。
○ ○ ○
「というか、なんで優羽くんがここにいるの?」
と、ひと段落ついたとき、星空さんが僕に言った。
「え? えっと、それは、なんていうか——」
僕がいきなりの質問に困っていると、姉さんが代わりに言った。
「優羽は私の弟なんですよ」
「ええっ、そうなの!? 知らなかったにゃ……」
「だから、ときどき僕も練習に付きあってるんだけど……」
「もう、それならそうと早く言って欲しかったにゃー」
もしかして……僕がいたら邪魔だったりするのかな? やっぱりこれからは、人数も増えたし、僕は来ない方がいいのか——
「優羽くんがいるって知ってたら、凛もかよちんももっと早く入れたのになー」
「え?」
「だって、知ってる人がいれば心強いでしょ?」
よかった、嫌われてるんじゃなかった。
すると穂乃果さんが言った。
「じゃあ早速、みんなで練習しようよ!」
「今からですか?」
「うん、だって早くみんなで踊りたいんだもん!」
「まったく穂乃果は……」
そう言いながらも、姉さんとことりさんは立ち上がり、練習の準備をする。
「よーし、やるぞー!」
穂乃果さんは勢いよく、空に向かって叫んだ。
その日僕たちは、空が暗くなるまで練習したのだった。